横濱怪獣哀歌




深窓ノ真相



 それから、ツブラは紙芝居を一人で見に行くことだけは許された。
 鳳凰仮面その人であり紙芝居屋である、野々村不二三ふじみが紙芝居を見た後にヲルドビスまで連れ帰ってくれるので あれば、と狭間と海老塚が許可してくれた。愛歌はあまり気が進まないようだったが、ツブラにも少しは社会経験を 積ませるべきなのかもしれない、と最後には許可してくれた。そして、その日からツブラは一日につき十円の小遣い が渡されるようになり、駄菓子を一つ買えるようになった。といっても、棒付き水飴以外は買わなかったが。
 紙芝居屋が来る頃合いになると、狭間から渡された十円玉を握り締めたツブラは、ヲルドビスの裏口からそっと 抜け出して空地へと向かった。でこぼこした道に坂道に階段、鎖で繋がれた雑種のイヌ、板塀の上を歩く野良ネコ、 行き交う人々、車が巻き上げる粉塵、民家で熱源として使われている怪獣達のざわめき。そうした刺激にまみれて いると触手が疼いてくるが、ぐっと堪えて体にきつく巻き付ける。
 鳳凰仮面はどうなるのだろう、あの姉弟は今度こそ幸せになれるのだろうか、とツブラはわくわくしながら空き地 に飛び込んだ。が、まだ誰も来ていなかった。紙芝居屋が来る時間はまちまちだが、午後三時半前後になると舞台 を担いだ自転車があり、野々村が集まってきた子供達に駄菓子を売っているのだが、今日に限ってはそのどちらも いなかった。通りがかった子供達は空き地を覗くが、紙芝居屋がいないとみるとすぐに立ち去ってしまった。

「ムゥ」

 ツブラはむっとしたが、もう少し待ってみよう、と板塀に寄り掛かった。だが、待てど暮らせど野々村の声も 自転車のチェーンが回る音も聞こえてこず、時間ばかりが過ぎていった。

「――――ねえ」

 退屈すぎてどうしようもなくなったツブラが、先が尖った石で地面にデタラメな文字と絵を描いていると、頭上から 鈴を転がすような声が降ってきた。

「ねえ、あなた」

 それが自分に投げかけられたものだとは思いもせず、ツブラは字と絵を描き続けていた。割と楽しい。

「ねえ、そこのあなた。黄色いレインコートの」

 そこまで言われて、やっと自分のことだと気付いたツブラが顔を上げると、空き地の斜向かいに立っている洋風の 家の窓辺から少女が手を振っていた。ツブラが反射的に降り返すと、少女は笑みを浮かべる。

「紙芝居屋さん、今日は来ないんだって。他の子がそう言っていたわ」

「コナイ?」

「そう。来られなくなっちゃったんだって。暇なら、うちで一緒に遊びましょう?」

「アソブ?」

「なんでもあるわよ。綺麗な絵の御話の本に、御人形に、おままごとに、テレビも」

「ダメ」

「あら、どうして? いつも見ているけど、あなたはいつだって一人きりで御友達もいないじゃない。だから、私と一緒 にうちで遊びましょうよ。その方が楽しいわよ」 

「ダメ」

「どうして? 私のことが嫌なの?」

「ツブラ、アナタ、チガウ」

 本音を言えば遊びたくて仕方なかったが、ツブラは狭間からの教えを守った。お前は人間の子供と背格好と精神 年齢は似ているが、自分が怪獣でシャンブロウだってことを忘れるな、だから誰かに遊びに誘われても断れ、それが お前と相手のためなんだ、と。彼の言うことは尤もだ、だから逆らう理由もない。

「どうしても?」

「シテモ!」

 ツブラは強く言い切り、少女に背を向けた。これでいい、これでいいのだ。

「じゃあ、こうしましょう。うちの玄関まで来てちょうだい。うちの中に上がらなければいいのよ」

 少女の提案を受け、ツブラは考えた。家の中に入ると関わったことになってしまうが、玄関までであったらただの 通りすがりだ。そうなるのであれば、狭間にも愛歌にも海老塚にも怒られずに済むし、あの少女も満足してくれる。 それに、ツブラも遊べる。生まれて初めて友達が出来るかもしれない。

「ゲンカン」

「そう、玄関!」

 どうぞいらっしゃいませ、と少女が大きく両手を広げたので、ツブラは躊躇いを振り切って駆け出した。道路を通る 車が途切れた頃合いを見計らって一気に渡り、家と家との間の路地を通り、斜向かいの家の正面に回った。家屋と 同じく門構えも洋風で、半楕円形の鉄格子の中ではツタが渦巻き、門扉の上には棘が付いている。その門から伸びる 敷石の先では、あの少女が両開きのドアを片方開けて顔を覗かせ、おいでおいでと手招きしている。

「コンニチハ」

 ツブラが御辞儀をすると、少女も礼を返す。

「こんにちは」

「ナマエ、ツブラ」

「私のお名前は、オオイシリコです」

「シリコ?」

「違う違う、リコ。変なところで切らないでよ、オオイシは名字。そこにあるでしょ、表札が」

 少女が右側の門柱を指したので、ツブラはそれを見上げた。マーブル模様の石の表札には、大石、とある。

「オジャマシマス」

「はい、どうぞ」

 リコはうやうやしくドアを開けてくれたので、ツブラは狭間に対してちょっと罪悪感を感じながらも、敷石を一つずつ 踏んで敷地内に入った。うっかり鍵が掛かったら困るので、門扉は半開きのままにしておいた。玄関先に到着する と、ツブラは改めて御辞儀した。リコはツブラよりも背丈がやや大きく、年頃は七歳前後のようだった。絵本の中の 御姫様のような裾が大きく広がったワンピースを着ていて、薄い茶色の長い髪はふんわりとカールしている。青い瞳 はくりっとしていて、頬にはソバカスが散らばっている。

「それじゃ、何して遊ぶ?」

 理子はにんまりして、玄関のあがりまちにあるオモチャの山を示した。それはツブラにとっては桃源郷であり、幼心 に夢見ていた光景そのものでもあった。綺麗なドレスを着た西洋人形、ふわふわした可愛いぬいぐるみ、山積みの 絵本、おままごとセット、色とりどりのクレヨン、大きくて真っ白な画用紙。
 そんなものを見せられては、飛び込まずにはいられなかった。




 それから、ツブラの日常には少しだけ変化が起きた。
 狭間と手を繋いで古代喫茶・ヲルドビスに出勤し、午後には空き地で駄菓子を買って紙芝居を堪能した後、リコの 住む家に遊びに行くようになった。リコの両親はいつも不在なのは不思議だったが、大人と子供では生活の時間帯 がまるっきり違うから、会えないのはそう珍しいことでもないだろう、とツブラなりに考えて納得した。狭間と愛歌も、 同じ部屋で寝起きを共にしてはいるが同じ時間に動き出すことは滅多にないからだ。
 ツブラはリコの家の二階の窓から空き地の様子を窺い、野々村が帰り支度をする頃合いを見計らい、また空き地に とんぼ返りするようになっていた。リコと遊ぶ時間は短かったが、ツブラはそれだけでも充分嬉しかった。野々村は ツブラがどこかに行ってからすぐ帰ってくるのを不思議がっていたが、言及はされなかった。子供には子供の世界が あるのだから尊重すべきだ、というのが野々村の持論だそうで、ツブラが妙な行動を取ることを狭間に言った様子は なかった。そのおかげで、ツブラとリコは日に日に仲良くなっていった。
 その日もまた、ツブラは紙芝居を見た後にリコと遊んだ。上手く絵が描けたので、どうしても狭間に見てもらいたい と思い、リコの目を盗んで画用紙を折り畳んでポケットに入れた。だが、リコにも狭間にも悪いことをしているという 自覚があるので、ツブラはその絵を取り出せなかった。きっと、褒められる前に怒られてしまうだろうから。
 絵を出せないまま、狭間と愛歌は夕食を終え、その半時間後にツブラは狭間を捕食した。それから、二人は近所 の銭湯に出かけていった。ツブラも熱い湯のオフロに入ってみたいが、怪獣は人間と同じ風呂に入れないんだ、と 狭間が特に強く言い聞かせてきたので我慢している。三日に一度、狭間がぬるま湯に浸して絞ったタオルでツブラ の体と触手を綺麗に拭いてくれるので、それはそれで気持ちいいのだが。

「どうしたものかなぁ」

 銭湯から帰ってきた愛歌は洗い髪をタオルでまとめていて、薄手の寝間着に着替えていた。

「何がですか」

 窓を開けて就寝前の一服を楽しんでいた狭間が聞き返すと、愛歌は生乾きのピンク色の髪を掻き上げる。

「機密に抵触するから詳しいことは言えないんだけど、密輸入された怪獣が近所に放置されているらしいの」

「で、その怪獣の声を聞いていないかどうかを俺に聞きたいんですね」

「説明するまでもなく理解してくれて嬉しいわ」

「愛歌さんが思わせぶりなことを言うのは、そういう時だけですから」

 ため息交じりに紫煙を吐き出し、狭間は自嘲する。

「それで、その怪獣はどんな奴なんです? それを知らないことには、俺も聞き分けられません」

「二重の意味で?」

「二重の意味で」

 にやりとした狭間に、愛歌は窓を閉めるように手振りした。狭間が窓を閉めると、愛歌は戸棚から三分の一ほど 中身が減った焼酎を取り出し、二つのコップに注いでからコーラで割った。コークハイを狭間にも勧めてから、愛歌 は焼酎が多めのコークハイを飲んだ。

「その怪獣は、人間に擬態する能力があるのよ。識別名称はダイリセキ」

「代理は解りますけど、セキってなんですか?」

「責任の責。その昔は影武者として重宝されていたのよ。擬態した人間と全く同じ記憶と思考を持っているだけじゃ なく、怪獣だけあって当人よりも遥かに頑丈で腕っ節も強かったから。だから、豪傑として名を挙げた戦国武将の 正体は実は身代わり怪獣のダイリセキだったんじゃないか、っていう話もあるぐらいよ。だけど、姿形だけは人間に 出来ても中身は違うから、ここぞという時に正体が露呈して追放されてしまうの。言ってしまえば、まあ、初夜の時 にバレちゃうわけ。体付きはそっくりなんだけど、あるところにあるものがないから」

「それで、追い出されたダイリセキはどうなるんですか?」

「山に逃げ込んだら鬼にされて、川に逃げ込んだら河童にされて、海に逃げ込んだら人魚にされて。いずれにせよ、 ろくでもない扱いをされていたのよ。近年だと兵役逃れのために身代わりにされたり、望まない結婚から逃げる ために使われたり、とまあひどいことに変わりはなかったの。当人の代わりにされたダイリセキがどうなったかのか と言うと、ほとんどが捨てられたわ。ダイリセキは体に強い衝撃を与えられると本来の姿に戻るから、捨てられる前に メッタ打ちにされ、証拠隠滅されたのよ」

「人間ってのは……」

「そんなもんよー。だから、そのダイリセキは回収して印部島まで輸送してもらえるようにするつもりよ。私が集めた 情報が確かなら、そのダイリセキが密輸入されたのは二十年も前のことなんだけどね、今の今まで誰からも通報が なかったのが不思議なぐらいよ。だって、そのダイリセキは二十年も同じ姿をしているんだもの」

 これは見なかったことにしてね、と前置きしながら、愛歌は手帳の間に挟んでいた写真を抜き、テーブルに置いた。 それは親子三人が写っている家族写真で、大柄な外国人の父親と細身で品の良い母親。そして、その両親と手を繋いで 満面の笑みを浮かべているのは。

「リコ!」

 ツブラはテーブルに身を乗り出し、触手で写真を拾い上げた。御姫様のようなワンピースを着たリコが、こちらに 明るい笑顔を向けている。こんなところにもリコがいる、またリコに会えた。それが嬉しくてたまらず、ツブラはその 写真を食い入るように見つめた。が、愛歌は写真を取り上げ、手帳に戻した。

「ツブラちゃん。その子のこと、知っているの?」

「リコ! ツブラ、リコ、トモダチ!」

 愛歌がリコを知っているのであれば、後ろめたくもなんともない。ツブラはにこにこする。

「どうしたものかなぁ」

「……どうしたもんですかね」

 先程と同じ言葉を繰り返した愛歌が苦笑いすると、狭間も同調する。その意味が解らず、ツブラはきょとんとした が、愛歌がリコを知っているのならばとレインコートのポケットから画用紙を取り出した。意気揚々と渾身の力作 を愛歌に渡すと、愛歌は絵を見た途端に化粧を落とした顔を強張らせた。狭間は一言、良く描けている、と言ったが それきりで、ツブラの絵はきちんと折り畳まれて愛歌の通勤用カバンに入れられてしまった。
 絵を飾ってもらえなかったのが気に入らず、ツブラは大層拗ねた。





 


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