横濱怪獣哀歌




百万分ノ一、ソノ一千万倍



 少女達の話によれば、近頃こんな噂が流れているそうだ。
 シーモンキーが手に入りづらくなったのは、シーモンキーが好物の怪獣が出現したからであって、その怪獣は凶暴で 手に負えないがシーモンキーを食べさせると途端に大人しくなるのだそうだ。シーモンキーを怪獣に与えているの は怪獣使いでもなければ怪獣Gメンでもなく橋の下にいるウジムシで、どうしてもシーモンキーを譲ってほしかったら ウジムシに売ってもらうしかない、とのことだった。
 ウジムシとは、ハエの幼虫ではなくホームレスの男の渾名だ。桜木町に程近い帷子川に掛かっている橋、旭橋の下 に身を潜めている、瓶底のような分厚いメガネを掛けた矮躯の男だ。どんなに暑い季節であろうとも分厚く服を着込んで いて、訳の解らないガラクタを体中にぶら下げている。時折、寿町の職業安定所を訪れては日雇いの仕事に行き、小銭を 稼いではまた旭橋の下に戻っていく。ホームレス同士は横の繋がりがあるものだが、ウジムシに限ってはそういうことは ないようだ。以前、愛歌と赤木は別件の捜査でホームレスに聞き込みをしたことがあるのだが、ホームレス達にとっても ウジムシは不気味な存在であるようで遠巻きにされていた。
 不気味だからこそ、そんな妙な噂が起きるのかもしれない。少女達の噂話の裏付けを取るため、愛歌は元町商店街 に住まう子供達に聞き込みをしてみた。すると、細部は違えどもウジムシがシーモンキーを売ってくれるという話が 次から次へと出てきて、何人かはシーモンキーを買って育てていると自慢したぐらいである。
 中でも特に詳しいのが、佐々本モータースの一人娘、佐々本つぐみだと子供達は口々に言った。なので、愛歌と赤木はつぐみから より詳しく話を聞くために佐々本モータースを訪れたが、工場のシャッターは閉まっていて、事務所に通じるドアには 外出中との札が掛かっていた。出直すかと二人が相談していると、社長令嬢が帰宅した。

「何か御用ですか?」

 ランドセルを背負ったつぐみは首からぶら下げた自宅の鍵を握り、愛歌と赤木を見上げてきた。

「あれ、ヲルドビスにいるパンクの御姉さんと……狭間さんじゃない男の人? もしかして、これってアレ?」

 つぐみがあからさまに怪しんだので、赤木は苦笑いしつつ身分証を出した。愛歌も出した。

「あらぬ誤解をしているようだけど、俺は怪獣監督省の者だ。光永さんもね」

「パンクの御姉さんって公務員だったんですか!?」

 二人の身分証を見たつぐみの驚き方に、愛歌は言い返したくなったが我慢した。髪と目の色のせいで誤解される のは今に始まったことではないからだ。

「立話もなんですので、事務所にどうぞ! 聞きたいことがあるから来たんですよね、刑事ドラマみたいに!」

 目を輝かせるつぐみに、愛歌は笑む。

「まあ、そんなところかしら。お気遣い、どうも」

 鍵を開けたつぐみはいそいそと事務所に向かうと、愛歌と赤木を応接セットに案内してから、お茶を淹れてくると 言って台所に駆けていった。それからしばらくして、茶菓子と緑茶入りの急須と茶碗を載せた盆を抱えたつぐみが 戻ってきたので、愛歌はパン屋で買ってきた手土産をつぐみに渡した。

「四つあるから、残りは御家族とどうぞ」

「わあい、三角シベリアだ! ありがとうございます! んじゃ、切り分けてきますね!」

 と言うや否や、つぐみは台所に駆け戻っていった。せっかちな性分なのだろう。それからしばらくすると、つぐみは 三等分に切り分けたシベリアを載せた皿を抱えて帰ってきた。少し温くなっている上にやけに濃い緑茶を傾けつつ、 愛歌は話を切り出した。ウジムシとシーモンキーについて知っていることを教えてくれ、と。

「ウジムシのことはそんなには知らないです、たまに九頭竜会の人と一緒にいるのを見たことがあるぐらいで」

 カステラの間に羊羹が挟まった甘い菓子、三角シベリアの三分の一を頬張りながら、つぐみは言った。

「それが誰かまでは知らないですからね、先に言っておきますけど。なんで九頭竜会なのか解ったのかって聞きたい ですよね、たぶんそう聞きますよね、じゃあ聞かれる前に言いますけど、九頭竜会の人達って代紋の付いたものを 必ず持っているじゃないですか。遠目からでも解るんです、あれ。寺崎さんのを見慣れちゃっているから。だから、 九頭竜会の人だなぁって思ったんです」

 緑茶で口の中の甘味を漱いでから、つぐみは続けた。

「それを見かけたのは、シーモンキーが手に入りにくくなった後だったかなぁ? うん、そうそう、紙芝居屋さんが よく来る空き地の斜向かいにある家がいきなり取り壊されてから何日かしてからだから、うん、そうだ」

「なんで九頭竜会とシーモンキーが繋がるんですかね」

 半笑いになった赤木に、愛歌は返す。

「それを調べるのが私達の仕事でしょうが」

「シーモンキーを買って育てた子の話も聞いたんですか?」

 早々に三角シベリアを食べ終えたつぐみは、茶菓子のサラダせんべいを取り、袋の中で小さく割った。

「ええ、そうなの。その子達がつぐみさんが一番詳しいから聞いてみてくれって言っていたので、こうして」

 愛歌が答えると、つぐみはサラダせんべいの袋を開けて欠片を齧った。

「それ、逆です」

「えっ?」

 面食らった赤木に、つぐみはちょっとむくれた。

「お父さんが言っていたんです、責任が取れないなら動物を飼うな、って。だから、お母さんもどんな動物を飼う のも許してくれなくて。だから、シーモンキーも飼ったことないんです。……そうか、あいつらだな? 私がまた ポケバイのレースを始めたのが面白くないからって、つまらないことをしやがって。悔しかったら自分もポケバイに 乗って私に勝てばいいものを、回りくどいことを」

「悪いことを聞いてしまったかしら、ごめんなさい」

 愛歌が謝ると、つぐみは首を横に振って二つ結びの髪を揺らした。

「いいえ全然! ペットを飼ったことはないけど、飼えない分、色んなことを調べましたから大丈夫です!」

「じゃあ、シーモンキーはどういう生き物なのかしら?」

「アルテミア・ブラインシュリンプというエビの一種で、ヨーロッパや北アメリカの塩分濃度が高い湖に生息していて、 餌は植物プランクトンや酵母です。一億年前から変化がないので、カブトガニやシーラカンスのように生きた化石と 呼ばれています。だから、シーでもモンキーでもないんです。生息地は海じゃなくて湖だし、そもそもエビなのでサル とは何の関係もありません。写真を一杯見てみたけど、ちっともサルっぽくはありませんでしたね。ペットショップで 詳しく聞いてみたら、ブラインシュリンプは熱帯魚や海水魚の餌にすることが多いんだそうです。だったら、熱帯魚と 抱き合わせで飼えばいいんじゃないか、と魔が差した瞬間もありましたが、熱帯魚の値段を見て心がぽっきり折れて しまいました。あれ、シーモンキーの何百倍もするんですよ。水槽と設備一式を合わせると」

 聖ジャクリーン学院のお姉さんもそんなことを嘆いていましたよ、とつぐみは付け加えたが、その女学生とは恐らく あの三人組の一人であるマユカだろう。生物部だけあって、ペットショップの常連なのだろう。

「だから、変なんですよね」

 サラダせんべいを食べ終わったつぐみは、その袋を細長く畳んで結んだ。

「ウジムシからシーモンキーを買った子達が自慢していたのを又聞きしたんですけど、培養液を二倍の濃さにして 育てろってウジムシが言うんだそうです。でも、培養液の素を二袋くれるわけじゃないらしいんで、水を半分にして、 その中にシーモンキーの卵を入れておけって。そんなことをしたらすぐ死んじゃうのに。ピンクの卵があったら当たり だから、それが大きくなったらウジムシのところまで持ってきてくれたら景品をあげる、とも言っているそうで」

「ちなみに、その景品ってなんだい?」

 赤木が身を乗り出すと、つぐみは首を捻る。

「さあ? そこまでは聞いたことないんで」

「そう、ありがとう」

 そのお話は参考にさせてもらいますね、と愛歌はにこやかに礼をしてから、赤木を引き連れて佐々本モータース を後にした。赤木は笑顔を保っていたが、見送りに出たつぐみが引っ込むと表情を変えた。

「光永さん、これ拙いですよね」

「ええ、とても」

 愛歌は速足で歩きながら、胸中のざわめきを押さえた。つぐみの話を信じるならば、事が大きくなる一歩手前に まで至っている。九頭竜会の目論見までは見通せなかったが、ろくでもないことなのは確かだ。
 ピンクの卵とは、珊瑚怪獣ガチョーラの卵のことだ。九頭竜会はどこでガチョーラの情報を聞きつけたのかは定か ではないが、漏れた情報を掠め取られたのは確かである。そして、その情報を元にして製造元に返品される寸前の シーモンキーの卵を手に入れたはいいが、百万個の卵を検品するのが面倒臭かったのだろう、子供達を利用して 手っ取り早くガチョーラを探し出そうとしている。最も大きな問題は、孵化させたガチョーラの使い道だ。
 嫌な予感しかしない。




 佐々本モータースを後にした二人は、旭橋に向かった。
 目的はもちろん、ウジムシとの面会である。手ぶらで赴いても口を割ってはくれないだろうと踏み、カップ酒を三つ 携えていった。つぐみの場合はシベリアだった。日も暮れかけた頃合いになると、街のあちこちから貧相な身なりの 人間が湧き出してきて徘徊し始めた。ホームレスは夜行性だからだ。昼間は人目もあるので落ち着いていられるが、 夜は暗がりに乗じて襲われるかもしれないから、夜が明けるまでずっと歩き回っているのだそうだ。
 原色のネオンサインが瞬き、すっかり出来上がった男達がうろついている繁華街を通り過ぎ、愛歌と赤木は旭橋の 下を覗き込んだ。そこには、廃材と段ボールとブルーシートを複雑に組み合わせた巣があった。家という呼び名 は到底似合わない、継ぎ接ぎの住居だ。人間が醸し出す饐えた匂いと、帷子川から立ち昇る生活排水の匂いと、 何かの腐臭がねっとりと淀んでいた。思わず息を詰め、愛歌は身を引いた。

「何か、うちに用事でも?」

 背後から声を掛けられ、愛歌と赤木が振り返ると、ガラクタの固まりが突っ立っていた。小柄を通り越して矮小な 体躯、かなり分厚い上に度が恐ろしく強い瓶底メガネ、幾重にも着込んだ古着、そして訳の解らないガラクタを体中 にぶら下げている男。巣と全く同じかそれ以上の臭気を放つもの――それがウジムシだった。

「御久し振り、氏家うじいえさん」

 愛歌が愛想笑いを作るが、ウジムシは表情を一切変えずに手を払った。愛歌は赤木の腕を引いて下がらせると、 ウジムシはがしゃがしゃとガラクタを鳴らしながら巣に戻り、ドア代わりのビニールシートを剥がした。すると、 更に濃密な臭気が立ち上って、赤木は顔を歪めて鼻と口を塞いだ。愛歌は意地で堪えたものの、喉の奥に胃液の味が 込み上がってきた。ウジムシは服の固まりの中に隠していた袋を出し、巣の奥へと押し込んだ。

「いいよ、その名前でなくとも。僕はウジムシだ」

 ウジムシはひび割れた唇を綻ばせたが、歯は数本しか残っていなかった。チンピラから殴られて折られたものも 多いが、虫歯が悪化しすぎて崩れたものもあった。この男の本名は氏家たけしといい、愛歌が調べたところによれば、 大学を好成績で卒業するほどの知性の持ち主で、大学を卒業後に名のある企業に就職したはいいが長続きせず に一ヶ月足らずで退職してしまった。それからというもの、住居も失い、家族からも見放され、今に至るというわけ だ。知能の高い変人といえば羽生と鮫淵が思い浮かぶが、二人も一歩間違えればこうなっていたのかもしれない、 という不安が愛歌の心中を過ぎった。

「先払いで」

 どうせ何か持ってきたんだろ、とウジムシに急かされ、赤木がカップ酒を差し出すとウジムシはすぐさまひったくり、 膨れ上がった服の下に入れた。埃なのかフケなのか判別しづらい粒子が散り、淀んだ空気が更に濁る。

「それで、何を聞きたいのさ」

「単刀直入に言うわ。あなた、珊瑚怪獣ガチョーラの卵を探すように九頭竜会から言われているのね?」

 愛歌の質問に、ウジムシは赤黒く日焼けした頬を引っ掻いた。

「九頭竜会……というか、ううん、あれはタツヌマ個人からかな」

「タツヌマって、あの辰沼ですか?」

 面食らった赤木に、愛歌は肩を竦める。

「それ以外にあると思う?」

「そう、そのタツヌマケイジ」

 僕の友達だ、とウジムシはちっとも嬉しくなさそうに言った。辰沼京滋とは、九頭竜会と関わりの深い人間であり、 怪獣義肢との結合手術を始めとした違法な医療行為を行う犯罪者である。金さえ出せばどんな人間や怪獣であろう とも施術するので裏社会では重宝されていて、何度も逮捕されているが、すぐさま莫大な保釈金を支払われて釈放 されてしまう。辰沼京滋は脳と内臓の一部以外は怪獣に置き換えた怪獣人間を、助手兼ボディガードとして手元に 置いているからということもあり、滅多なことではやられない。ゴウモンそのものである御門岳で狭間が出会った のも、この男とその部下だ。全身を改造された怪獣人間は藪木丈治、体液を怪獣の体液に入れ替えられた怪獣人間 の少女は田室秋奈といい、その二人もれっきとした犯罪者だ。

「あんた達と話していたことを知られたら辰沼の逆鱗に触れそうだから、大した情報は出さないよ」

 もらうものはもらうけど、とウジムシはのっそりと二人に背を向け、巣に入り込んだ。

「けど、これだけは教えてもいいかもしれないなぁ。ガチョーラの卵と引き換えに渡す景品はもらってはいる んだが、手元に置いておくのは危なすぎるからここにはないよ。勝手に探すといい」

「ヤクの類か?」

「そこまでは教える義理もないし、そこまでのものをもらっていない。用事が終わったなら早く帰ってくれよ、でないと やることを済ませられない。何もせずに生きているように見えるだろうけど、僕は僕で結構忙しいんだ」

「解ったわ、どうもありがとう」

 赤木を下がらせてから、愛歌は一礼する。

「末期だね」

 愛歌が顔を上げる前に、ウジムシが低く言った。並々ならぬ好奇心が籠っている。

「光永さん。あんた、秋奈ちゃんや辰沼なんかよりも余程進行が速いよ。外見に変化が起きていないのは、投薬が 効いているから? それとも、光永さんの体質かな? 髪の毛の一本でも寄越してくれたら、もっと有意義な話をして やれるんだけどな。血の一滴でも分けてくれたら、あんた達に味方してやってもいいんだけど」

「生憎ですけど、お断りしますわ」

「ああ、そう? それは残念だね」

 そう言い残して、ウジムシはブルーシートを下げた。愛歌は言い返したくなったが、唇をきつく結んで橋の下から 出た。一足先に逃げ出していた赤木は離れた場所で深呼吸を繰り返していて、吐き気をやり過ごしていた。愛歌も 口直しにタバコを吸い、ため息と共に煙を吐き出した。ピンク色の髪を指に絡めたが、振り解く。
 ガチョーラの卵の行方までは突き止められなかったが、ガチョーラの卵が孵化した際に起きる騒動に乗じて辰沼 京滋が何かをするつもりでいるのは解った。それが何なのかを探れる時間があればいいんだけど、と愛歌はちらり と不安が過ぎったが、タバコの味で払拭した。
 シーモンキー、珊瑚怪獣ガチョーラの卵、辰沼京滋、ウジムシ、子供達。断片的な情報を頭の中で繋ぎ合わせては 千切り、千切っては混ぜ、愛歌は思案した。三本目のタバコを吸い終えた頃合いに、ある事実がデタラメな情報を 一つにした。唇に挟みかけた四本目のタバコを握り潰し、愛歌は駆け出した。
 すぐに手を打たなければ。





 


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