シーモンキー。 それは、手軽で安価なペットである。海水の素、シーモンキーという通称を与えられたブラインシュリンプの乾燥 卵、そして孵化したブラインシュリンプの餌と、プラスチック製のちゃちな水槽がワンセットにされて販売されている。 育て方は至って簡単、水槽に水道水を入れて海水の素を入れて一日置き、そこに乾燥卵を入れて更に一日置けば卵が孵化 するので、そこに餌を与えて育てる。子供が初めて育てるペットとしても、理科教材としても需要は高い。 「それは知っていますけど。流行っていますから」 上司からシーモンキーについての説明を受け、愛歌は訝った。 「そのシーモンキーの卵に怪獣の卵が混入したとの報告があったんだ、製造元から」 怪獣監督省横浜分署怪獣実動課課長、高盛信克が書類の束を寄越してきた。 「それが流通ルートのリストだ。販売元には販売中止と商品回収を要請しておいたが、それだけだと漏れがあるかも しれん。万が一、混入した怪獣の卵が孵化してしまえば大失態だ」 「ですが、課長。怪獣の卵は海水に入れたぐらいでは孵化しませんよ?」 愛歌の同僚、赤木進太郎が意見すると、高盛は太い首に食い込んでいるワイシャツの襟を緩めた。 「そいつは孵化するんだ。そういう種類の怪獣だと製造元から報告を受けている。細かいことについてはそこに書いて あるが、それでも納得行かなければ怪生研にでも聞いてみろ」 「解りました。怪獣の卵を回収すればいいんですね」 「孵化する前にだ。孵化させるなよ、絶対に」 高盛はやけに念を押してきた。そんな種類の怪獣がいたかなぁ、と思いつつ、愛歌は自分のデスクに戻り、相棒 でもある赤木と分担して資料を読み込んでいった。シーモンキーの生育セットに付属している乾燥卵は一袋に付き 一〇〇個前後入れられていて、関東一円には合計一万個が流通している。単純計算で百万個の卵だ。 「気が遠くなりそうな数字ですね」 赤木はシーモンキーの製造元の調査報告書を読み、苦笑する。 「シーモンキーの養殖場は海に隣接していて、海流の都合で怪獣の卵が流れ着くことは大して珍しいことでもない のだが、通常の怪獣の卵は大きいので取水孔に付いているネットに引っ掛かるので混入することはない。混入した としても、怪獣検知器で検査を行うので検品の際に除外されるのだが、怪獣検知器が故障した状態で製造ラインが 稼働してしまった。その後、出荷する前に怪獣検知器に掛けたが、その際にも停電が発生して……」 「それはきっと何かの陰謀よ、私達を忙殺させるためのね」 「誰が得をするんですか、そんなことをして」 「どこかの誰かよ!」 「輸送するためにコンテナに積み込んだ際にも怪獣検知器に引っ掛かり、検品して半数以上を自主回収したが、 税関の怪獣検知器にも故障が発生していたために摺り抜けたものがあった。そして、船便で日本に到着するとまた 税関の怪獣検知器に引っ掛かり、そこでも更に振るいにかけたのだが、販売業者から不良品でもいいから売ってくれ と強要された。その結果、不良品と良品が入り混じったシーモンキーが関東一円に……」 「ところで、赤木君はシーモンキーって育てたことある?」 「ありますけど、あれ、結局どうなったっけな……。ああ、乾涸びちゃいました。カラッカラに」 「私はボウフラを育ててしまったわ」 「ありがちですよね」 「そうよねぇ。子供って飽きるのが早いから、百万個の卵を全部ダメにしちゃうかもしれないわよね」 シーモンキーには罪はないが、子供達が杜撰な扱いをしてくれれば件の怪獣の卵も孵化せずに済むかもしれない。 そうなったら、愛歌と赤木の仕事量が少しは減るかもしれない。残業する時間が、張り込みという名の時間外労働が、 もう少しだけは緩和されるかもしれない。という希望的観測に基づいたことを言ってみたが、空しくなるだけだと 両者はすぐに悟り、シーモンキーが流通した小売店や学校関係の販売業者に電話を掛け始めた。 リストにある全ての番号に電話するだけでも、一苦労だった。 国立怪獣生態研究所。通称、怪生研。 怪獣監督省と怪生研はお互いに支え合って成り立っている組織であり、どちらかが欠けるとどちらも仕事が滞る と解っているので、両者の関係は穏やかである。但し、それは組織間の話であり、個人と個人の関係となるとまた 別だ。高盛から渡された資料だけでは解らないことだらけだったので、愛歌と赤木は怪生研を訪れた。 だが、歓迎されはしなかった。二人を出迎えてくれたのは羽生鏡護だったが、出会い頭から罵倒された。その内容 は、先日回収した身代わり怪獣ダイリセキの状態に関する愚痴だった。怪獣の声が聞こえるばかりに怪獣達の 使い走りにされている青年、狭間真人の報告によれば、ダイリセキは人間に危害を加える可能性があったために 強硬手段を取って熱源を破壊した、とのことだった。だが羽生は、狭間とシャンブロウが手を下す前に怪獣監督省 が冷却剤でもなんでも掛けて凍結させて回収すべきだった、と何度も何度も責め立ててくる。ダイリセキは人間の 外見を模倣出来るが故に迫害された怪獣であり、そのために近年では絶対数も少なく、精神面は不安定だったが 肉体は完全だったので、傷付けずに回収出来たら今後の研究に大いに役立っていたことは間違いない。だが、それは それだ。大石理子を模倣したダイリセキが巣くっていた大石邸は私有地であったため、そう簡単に立ち入れる場所 ではなかったのと、大石夫妻と連絡が付かなかったので回収する手筈が整えられなかったからだ。狭間とツブラが 行動に出てくれたおかげで、怪獣の違法所持の名目で大石邸を取り壊してダイリセキの生体組織も一つ残らず回収 出来たのだから、そこまで責めなくてもいいのでは、と愛歌は思う。が、言えるはずもない。 「今度、狭間君に怪獣の生体構造についてみっちり教えてやらないとね。でないと、標本にすら出来ない肉片しか 回収出来なくなってしまいかねないからね」 研究棟から離れている応接室に入った羽生は、愛歌と赤木を椅子に座らせてから、向かい合って座る。 「光永さんが書いた狭間君の証言、興味深いよ。怪獣に意思があることはこれまでのことで解っていたけど、人間 に明確な殺意を抱くとはね。しかも、それが光の巨人を呼び出すための口実であると。自殺願望だよ、自殺願望。 怪しい獣という通称を与えているせいで、この僕達は彼らに対する認識を根底から誤っている。彼らはもっと高潔 で知能の高い生命体なんだ。ともすれば、人間よりも。しかし……そうか、怪獣が人を殺せば、光の巨人が現れる のか……。アレをまともに調べられる機会はないと思っていたが、そうでもないかもしれない」 うっすらと笑みを浮かべて不穏な言葉を呟いた羽生に、愛歌は資料の束を押し付ける。 「今のは聞かなかったことにしますから、これ、読んで下さい。私達が探している怪獣の卵がどういった特性を持つ 怪獣のものなのかはっきりと解らなかったので、御意見を伺いたいんです」 「なんだこれ。スケッチも下手くそだし、添えてある文章もいい加減だけど、まあ、この優れすぎて世界から嫉妬 される僕に掛かればどうってことはないよ。すぐに解る」 羽生はぺらぺらと資料をめくって一通り目を通したが、一分もしないで閉じ、紙面を叩いた。 「ところで、君達は怪獣検知器についてどこまで知っている?」 「怪獣検知器は、怪獣の出す熱を検知して音を出す機械ですよね。成体でも卵でも」 赤木が答えると、羽生は資料を丸めてテーブルを叩く。 「そう、原理は極めて単純なんだよ。怪獣検知器は、怪獣であれば必ず持っている熱探知器官を電極と電子回路と スピーカーに繋いだものであって、怪獣同士がお互いを認識した際に発生する微弱な生体電流を強めた機械だ。 その怪獣検知器がことごとく怪獣の卵を見逃したのは、果たして偶然だろうか?」 「いくら怪獣でも、熱探知器官に意思が宿るとは思えませんよ。人間でいえば、肌が自我を持つような」 赤木の意見を受け、羽生は丸めた資料で額を小突く。 「そうだねぇ、常人であればそんな考えに至る。だが、彼らはこの僕達の理解を超越した生き物なんだ。有史以来、 怪獣達はこの僕達が栄えるために尽力してくれているが、その怪獣達について知っていることは少なすぎるんだ。 というより、むしろ――――ある一線を越えようとした時に阻害される、と言うべきかもしれない」 「なぜそう思うんですか?」 愛歌が聞き返すと、羽生は一笑して腰を上げた。 「独り言だ、忘れてくれ。さて資料室に行くとしよう。ぼんやりしている間にも、シーモンキーに混じった卵から 怪獣が孵化しているかもしれないんだ。この僕としては孵化する様子を観察したいが、そうもいかないしね」 羽生の独り言が気にならないこともなかったが、陰謀論の域を脱していないのも事実だ。いい加減な情報で 動くわけにいかないのは、捜査官も科学者も同じだ。疑念を持ったとしても、それを裏付けるものがなければ、 ただの妄言で終わってしまうからだ。赤木はまだ羽生に不慣れなので、羽生が自信に溢れすぎた言葉を口に出す たびに愛歌の様子をちらちらと窺ってきたが、その都度愛歌は視線を送り返した。気にするな、と。 羽生の言葉の牙は鋭いが、死に至る毒は出していないからだ。 羽生に調べてもらった結果、卵の形状と性質が一致する怪獣が見つかった。 その名も珊瑚怪獣ガチョーラ。遠浅の海中に生息している怪獣で、珊瑚に紛れて潜んでいる。大きさは一メートル 足らずの超小型怪獣だが、海水の塩分濃度が上がると浸透圧に異常を来して巨大化してしまう性質を持っていて、 塩分濃度が下がると砂粒よりも小さくなってしまう。湧き水の出ない島では、塩分濃度を上げた海水をガチョーラ に掛けてガチョーラに吸収させ、排出する真水を生活用水にするという手段があるそうだ。成体や巨大化した姿は、 四肢の生えたピンク色のサンゴだが、卵は茶褐色の小さな粒なので虫や魚の卵などと見分けが付けづらい。その ため、過去にも海産物にガチョーラの卵が混入した事件はあるが、ほとんどの場合は怪獣検知器が発見したので 最悪の事態は未然に阻止されていた。だが、今回はその怪獣検知器が役に立たなかった。 「どうしてだと思う、狭間君?」 愛歌は小売店のリストを広げ、今日訪問した店の名前に赤ペンで引いていった。シーモンキーを販売しなかったか どうかを確かめるためであり、怪獣を違法に扱っていないかどうかを調べるためでもある。ペットを扱っている店で 小型怪獣が密売されていることがあるからだ。 「怪獣検知器に使われている熱探知器官って、元を正せば一体の怪獣なんですよね? ……経年劣化じゃないか、 って意見がほとんどです」 少し間を置いてから、狭間は愛歌の疑問に答えを出した。彼の視線があらぬ方向に向かったので、恐らく、近場 の怪獣から話を聞いたのだろう。どこの怪獣からどんな話を聞いたのかを聞き出したかったが、生憎、彼は仕事中 であり、ここはアパートではなく古代喫茶・ヲルドビスなので迂闊なことは口に出来ない。 「そうなると、今年の怪獣供養に出すものが増えちゃうわね」 ウェイター姿の狭間が運んできてくれたナポリタンと向き直り、愛歌は気持ちを切り替えた。昼食を食べている時 ぐらいは、仕事のことを忘れなければやっていられない。フォークの先端を包んでいる紙ナプキンを剥がしてから、 粉チーズを満遍なく掛け、トマト味のスパゲティを巻き付けて口に入れたところで話し声が聞こえた。 「なんだか解らないけど、今、世間は重大なシーモンキー不足に陥っているね」 やたらと深刻な口振りで話しているのは、麻里子と同じ制服を着た女学生だった。麻里子よりも小柄で、髪型は ボブカットで顔付きは幼く、チョコレートパフェを食べている。 「生物部の今後に関する話し合いがしたいと言い出したから何かと思ったら、そんなこと?」 チョコレートパフェの少女と向かい合っているのは、吊り目気味だが際立った美貌を備えた女学生だった。黒髪の ロングヘアは艶やかで手入れが行き届いている。ちなみに、コーヒーと共にプルーンケーキを食べている。 「てか、虫でいいだろ虫で。あたしらが一番得意なのは虫だし。つか、虫以外はどうでもいいし」 ロングヘアの少女に言い返したのは、栗色の髪を外に跳ねさせている髪型の女学生だった。ボブカットの少女より も更に小柄で、中学生と言っても差支えがないかもしれない。ちなみに、クリームソーダを啜っている。 「虫だけだと生物部らしくないって言われてしまったの、シスターから」 「虫の美しさを解らないなんて、勿体ないわね」 「だーから、虫だけでいいんだよ。標本じゃつまんねーから、生きたやつをさ」 「でも、展示物が虫ばっかりだったから、新入部員が入ってこなかったんだよね」 「幽霊部員なら何人でも作れるわよ。遊んでばかりの御令嬢ばかりだもの、うちの学校は。今だってそうよ、実質的に 部活動をしているのは私とマユカとネネだけだもの。それが一番気楽だというのもあるけど」 「んじゃ、また幽霊部員を増やせばいいだけだし」 「でも、甲殻類って虫の親戚……だよ、ね?」 「だから?」 「シーモンキーも飼ってみたいっての? えー?」 「だ、ダメかな? シーモンキー……というか、アルテミア・ブラインシュリンプ……」 「エビだわ」 「エビじゃん」 「ちゃんと世話するから。だから、水槽を一つ増やしてもいいかな?」 「増やすのはマユカの自由だけど、私達は手伝わないわよ」 「あたしも。つか、あたしは他ので手一杯だし」 「増やしてもいいんだね、うん、ありがとう。キリヨちゃん、ネネちゃん」 「けれど、シーモンキーが手に入らないのであれば、育てようがないわ」 「あ、それ、なんとか出来るかもしんねー」 「えっ、本当?」 マユカが目を輝かせると、ネネはにいっと笑って唇の端に付いたアイスクリームを舐め取った。 「実はさぁ」 少女達は身を乗り出して額を突き合わせると、小声で話し始めた。マユカが上げる子供らしい歓声と、ネネの自慢げな 口振りで何を話しているのかのは想像が付いた。愛歌は口に入れかけたナポリタンを下げ、耳をそばだてた。 事と次第によっては、仕事がまた増えてしまうかもしれない。だが、それが仕事なのだから仕方ない。 話を聞き終えた頃には、ナポリタンはすっかり冷めてしまった。 14 6/24 |