横濱怪獣哀歌




ダーティ・ハニー



 枕元に銀色のジュラルミンケースが横たわっていた。
 横幅の長い長方形でやけに分厚く、厳つい錠前が付いている。そして、散弾入りの箱が添えられている。ケース はもう一つあり、そちらは小振りではあったが錠前はしっかりしていた。新品の銃弾が一箱付いていて、金属粉の 香りがかすかに鼻腔をくすぐる。この物騒なプレゼントの送り主が誰なのか、考えるまでもない。

「すーちゃあん!」

 一条御名斗は起き上がり様に男の背に抱き付き、頬を摺り寄せる。

「いいの? 本当にいいの? 俺にくれるの? 仕事があるの?」

「御嬢様から御許しが出た」

 引き締まった上半身を曝している須藤邦彦は、全力で甘えてくる御名斗を撫でた。怪獣義肢の左手で。

「だが、殺す相手は決まっている。無駄撃ちするな、後始末が面倒だ」

「何人? 大陸の連中? それとも足抜けしようとした馬鹿? でなきゃヤクの売人?」

「どれでもない」

 矢継ぎ早に問い掛けてくる御名斗を宥め、須藤は口角を緩めた。

「んー、じゃあ何だろ。ヒント、ある?」

「トカゲ男の昔馴染みだ」

「解った! ヘビ男だ!」

「正解」

「わーい」

 須藤の筋肉質な背に背中を合わせ、御名斗はタバコを一本銜えて火を灯した。須藤の背には禍々しい般若が、 御名斗の背には翼を広げた天使の刺青が入っている。壁掛け時計を見上げると、彼が仕事に出向くまでの時間が 刻々と迫りつつあった。それがどうしようもなく寂しく、御名斗はタバコを思い切り吸い込んだ。
 フォートレス大神の御名斗の自室で事に耽るのも好きだが、須藤の自宅の方が広いので気分がいい。九頭竜会 の組長である九頭竜総司郎から与えられた一軒家で、洋風の間取りとインテリアが洒落ている。観葉植物やガラス テーブル、キャビネットにずらりと並んだ洋酒とグラス、その裏に隠されている拳銃とナイフの数々。そのどれも が御名斗を落ち着かせてくれるが、最も好きなのはやはり須藤だ。そして、この家で一番気に入っているのが幾度と なく愛を交わした二階の寝室で、イタリアから直輸入した特大ベッドには昨夜の営みの名残が散らばっていた。

「俺さぁ、退屈だったんだよねぇ」

 サイドテーブルから飲みかけのウィスキーを取って呷るが、寝起きの喉には強すぎて少し噎せた。

「何がだ」

 須藤は御名斗の短い髪に指を通し、散々触った肌にまた触る。これでもかと触る。

「だって、俺、あの女のお目付け役みたいなもんでしょ? 怪獣Gメンのパンク女のさぁ」

「そうだな」

「それなのに、俺、なーんにもしてなぁーい。殺せって言われたら、すぐにでも殺すよ? あのバイト君と変な小娘も 一緒にさぁ。やれって言われたら手足もバラすし、内臓も引き摺り出すし、なんだったら死なない程度にやって半殺しに してやってもいいのにさぁ。つまんない!」

「それは他の連中でやらせているだろうが、いくらでも」

「それでもつまんないんだもん! だってあの女、辰沼先生と秋奈ちゃんと似たような体なんでしょ? てことはさ、 普通の人間よりも頑丈ってことじゃん! 痛め付け甲斐があるじゃん!」

「それでも、良い子にしているんだ」

「……そしたら、すーちゃんがもっと構ってくれる?」

「構う。全力で」

「仕事も御嬢様の命令も放り出してくれる?」

「時と場合によるが」

「すーちゃんも一緒に遊ぼうよー。俺一人で遊ぶよりもずっと面白いじゃーん」

「そうしたいのは山々なんだが、野暮用があってな。一週間ほど留守にする」

「だから、俺一人でも寂しくないようにって御嬢様から仕事を斡旋してもらったの? やっさしーい」

 拗ねて唇を尖らせる御名斗に、須藤は笑う。

「そう怒るな。帰ってきたら、御土産を持ってきてやるから」

「おいしいもの?」

「面白いモノだ。それよりもずっとな」

 始業までにはまだ時間はある、と囁いて須藤は御名斗の腰に手を回してきた。女の骨格ではあるが筋肉は男の それで、柔らかさに欠ける。ささやかに膨らんでいる乳房と、須藤のそれよりも矮小だが確かに存在している男の 生殖器は、どちらも本来の機能を備えていない。ただ、そこに在るだけだ。
 今でもよく覚えている。御名斗の性別の定まらない歪な肉体を愛撫する手が、御名斗を飼っていた者達に銃弾を 撃ち込んでいったことを。真新しい制服で駐在所に立っていたお巡りさんだった頃のことを、背中に般若の刺青を 入れていない頃のことを。若き日の須藤が警邏中に御名斗に出会わなければ、今頃は本庁勤めの刑事として出世 街道を邁進していたことだろう。それなのに、彼は御名斗を選び、極道に身を窶した。
 なんて馬鹿な男だろう。




 人生何があるか解らない、とはよく言ったものだ。
 狭間の目の前で、鳳凰仮面が土下座していた。日没後で辺りが薄暗いおかげで目立っていないが、人目の多い 夕方であれば、ありとあらゆる誤解をされたに違いない。狭間と手を繋いでいるツブラは、鳳凰仮面の行為の意図 がさっぱり解らないのか、きょとんとしている。地べたに額を擦り付けて背中を丸め、両手を付き、正座した両足 はつま先まで揃えられている。動揺と混乱を経て平静を取り戻した狭間は、屈み込んだ。

「あの、野々村さん」

「鳳凰仮面だ」

「鳳凰仮面は何をしているんですか、しかもこんなところで」

「トコロデ」

 狭間が苦笑混じりに問うと、ツブラがその語尾を繰り返した。

「前々から言おう言おうと思っていたのだが、狭間君。鳳凰仮面は正義の味方であるにも関わらず、正義に反した 行動を取ってしまったのだ。君に対して」

 覆面を被っている上に土下座したままなので、鳳凰仮面の声はくぐもっている。

「なんかありましたっけ?」

「タッケ?」

「あの日、狭間君が九頭竜会の御嬢様に連れられていってしまった時のことだ!」

「あー……そういえば、そんなことも」

 記憶の糸を手繰り寄せて、狭間は思い出した。九頭竜会の組長代理である九頭竜麻里子、否、その怪獣義肢で あるカムロの目論見で九頭竜会に連れ去られる直前、紙芝居屋の仕事を全うしていた野々村不二三が図書館前を 通りかかったのだが、野々村は麻里子と狭間が連れ添っている様を見た途端に逃げていった。若い二人の逢瀬を 邪魔するまいとする気遣いと、横浜一帯を縄張りにしている九頭竜会には関わるべきではないという恐怖心による 行動だったに違いない。無理からぬことなので、責めるのは酷だ。ついでに言えば、連れ去られた後の出来事が 強烈過ぎたので、鳳凰仮面に指摘されるまで当の本人は忘れていたからでもある。

「俺は別に気にしていないんで、そこまでしてもらわなくてもいいですよ」

 正直、早く帰りたい。仕事上がりに空き地に呼び出されたので、まだ夕食も食べていない。狭間がやる気なく返す と、鳳凰仮面はやけに力んだ動作で起き上がった。

「いや! この鳳凰仮面、己の過ちを償わなければ正義の味方には成り得ない!」

「ミカタ?」

「よくぞ聞いてくれたツブラちゃん! 正義の味方とは、力任せに正義を成す者ではない! 正しい行いをする人間 に助力し、正しき義を育む者のことだ! それが鳳凰仮面の目指す正義であり、ジャスティスだ!」

 力強く答えた鳳凰仮面は厚い胸を張り、狭間に向き直る。覆面には、土下座の名残の汚れが付いている。

「というわけで狭間君、鳳凰仮面の正義に付き合ってもらおう!」

「すぐに終わるんでしたら行きますけど、長引くようだったら遠慮させてもらいますからね?」

「ネ?」

「いやいや、そこまで時間は取らせないから。この前のお詫びに、屋台のラーメンでも奢らせてくれ」

 ほらそこにある、と鳳凰仮面は街灯に照らされている路地を指した。そこでは、赤い暖簾を下げたラーメン屋台が 店を広げている。ラーメン一杯ぐらいだったらいいか、と狭間は承諾した。店主と鳳凰仮面は顔馴染みらしく、屋台 の暖簾をくぐると明るく出迎えられた。ツブラは水だけ出してもらい、狭間は鳳凰仮面に勧められるがままに注文し、 しばらくするとチャーシューメンが出てきた。一杯、三五〇円也。
 濃い味付けのスープに少し太めの縮れ麺がよく絡み、箸が進む。空腹も相まって狭間は一心に麺を啜っていたが、 隣に座っている鳳凰仮面は口元の覆面を外して食べていたが、サングラスはそのままだった。湯気でレンズが 白く曇っているので、外が見辛そうだ。夜なのだから、そんなものを掛けていては視界が塞がるだけだろうに。

「サングラス、邪魔でしょうに」

「ジャ、マー」

 カウンターの下に顔を隠し、口から出した触手で水を啜っていたツブラが頷く。

「いや、これは外すに外せん。いいか、狭間君。ヒーローというものはだな、うん、顔を隠しているからヒーローなので あって、顔を丸出しにしていては意味がないのだ。古来より、人間は素顔を隠すことによって人ならざるモノになり、 人ならざる力を得るのだからな。神事で舞を奉納する時に面を付けるだろう? それと同じだ」

 食べ応えのあるチャーシューを噛み締めてから、鳳凰仮面は力説する。

「つまり、鳳凰仮面はしがない紙芝居屋の親父ではなくなるからこそ、正義の味方に成り得るのだ。あの恰好のままで いいことをしても、大して面白くないしな! ふはははははははははは!」

「はあ」

 生返事を返しつつ、狭間は薄っぺらいナルトを齧った。

「だから、狭間君も自分ではない自分を曝け出してみたかったら、顔を隠してみるといいぞ。とてつもない解放感と 万能感、でもって今までにない感覚に目覚めるぞ。いや本当に」

「俺はそういうのは特に求めていないんで」

「いやいやそう言わずに、鳳凰仮面の自転車にはスペア一式があるから貸してやってもいいんだぞ? ん?」

「勘弁して下さい。俺を誘った理由のキモはそれですか」

「仮面ライダーだって二号三号といるじゃないか」

「鳳凰仮面は一人で充分だと思いますよ」

「えっ。それは、その、褒めてくれているのかな? んふへへへへ」

「なんでそこで照れるんですか。皮肉に決まってんじゃないですか」

「そうなのか? でも、鳳凰仮面、そんなこと言われたの初めてだぞ。んひひひひ」

 鳳凰仮面は本気で照れているらしく、覆面から出ている口元は緩み切っていた。なんでそうなるんだよ、と狭間は 呆れてしまったが、自分の行動を認められるのは嬉しいものだよな、とも思い直した。狭間も身に覚えがあるので、 それ以上は言及しないことにした。それに、鳳凰仮面は見た目がやたらと派手だが、話を聞く限りでは正義の味方と しての活動は至って大人しい。夜中、酔っ払いに絡まれている女性を助けたり、親から家を追い出された子供の相手 をしてやったり、民家に忍び込もうとしている泥棒を捕まえて警察署に連行したり、と。そうやって地味な善行を 行う分には無害なのだが、正義が押しつけがましいのが難点である。

「ところで狭間君」

「なんですか、今度は」

「コンドハ」

「うちの嫁さんに、鳳凰仮面の素晴らしさを伝える手伝いをしてくれないかなぁ、なんて」

「お断りします」

「マス」

「……うん、そう言うだろうと思ったよ。鳳凰仮面、ちょっと期待してしまっただけなんだ。嫁さんはとてもいい女で、 鳳凰仮面が夜な夜な正義の味方をしていても黙認してくれているんだが、褒めてくれないんだ。それが切ないという か、寂しいというかでなぁ。息子は思い切り褒めてくれるけど、それとこれとは違うのだ」

「はあ、そうですか」

「ソウデスカ」

 そうとしか言いようがないのだから仕方ない。狭間は丼を傾け、余ったスープを啜る。

「まあ、それはそれとしてだ。今後ともよろしく頼むぞ、狭間君、ツブラちゃん」

「何をですか?」

「デスカ?」

「ははははは、決まっているではないか。横浜のみならず世界の平和を守るため――――」

 チャーシューメン二杯分の代金を店主に渡し、鳳凰仮面は覆面を直した時、破裂音が聞こえてきた。花火の ようではあるが、何かが違う。音源の周辺にいる怪獣達が一斉にざわめき、感情と声の嵐が駆け抜け、狭間は 思わず顔をしかめた。鳳凰仮面の眼差しが強張り、すぐさま音源へと駆けていったので狭間もそれに続いた。
 狭間の想像と怪獣達の証言が正しければ、あれは。





 


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