ここで、狭間は自分の立ち位置を知る。 円卓会議に狭間を呼び出した時点から、この罠は始まっていたのだ。カムロの髪の毛が入った瓶を手元に置いた ままで話をしたのも、九頭竜会の動きを敢えてカムロに教えるためであり、麻里子を誘導するためでもあり、更には 狭間が切り札だと思い込ませるためでもあった。ヤクザが一般人を戦力として数えるはずもないし、シャンブロウの 力も端から当てにしていないだろうし、そもそも狭間の能力が使い物になると思っていないだろう。辰沼とその部下 達は信用しているかもしれないが、九頭竜総司郎は違う。自分の部下しか信じていない。 いや、他にも信じているものはあった。娘の愚かさと、カムロの浅はかさだ。狭間はアイドリングするドリームから 降り、ツブラを抱きかかえた。雪崩式ジャーマンスープレックスをまともに喰らった聖ジャクリーンの格好はあまりに も無様で、両足を無防備に広げて大股開きになっていて、両腕も変な方向に投げ出している。時折足先が痙攣するが、 芝生から頭を引き抜く気配はないので、気を失っているらしい。 「もーう、親分ってばおっそーい」 倉庫の屋根でぴょんぴょんと飛び跳ねているのは、二丁の怪銃を携えた御名斗である。 「仕方ないだろ、タイミングが重要だったんだから」 頭上に崩れ落ちてきた瓦礫を赤い光の糸で難なく切り裂いた須藤は、スーツに付いた砂埃を払う。 「御嬢様、今どんな気分? 顎で使っていたはずの俺達が親分にだけ従って、あんたに逆らってんだから、面白く ねぇよなぁ? というか、俺達があんたとヅラ野郎に大人しく操られているはずがねぇだろ? あんたが組長代理に なった時点から、親分の作戦は始まっていたってわけさ」 サバンナの運転席から出てきた寺崎はタバコを吸い、にたにたする。 「麻里子」 日本刀の鞘を抜いて投げ捨て、九頭竜総司郎は目を据わらせる。面差しは穏やかではあったが、その瞳に漲る輝き はぞっとするほど鋭かった。気迫、殺意、威圧、どれもが備わっている。三人は殺気を湛えた主と向き直ると、 それぞれの態度で従属の意思を見せる。御名斗のボニー&クライドも、須藤のシニスターも、寺崎のサバンナ も黙り込んでいる。崩れかけた灯台の展望台から父親を見、麻里子は不愉快げに眉根を寄せる。 「お父さん」 親子の対話ではあったが、そこに温もりはない。愛情はあれども、常人の思う愛情とは懸け離れたものが父と娘 の間に流れている。カムロは麻里子の肩口で変形し、死神の鎌の如き大振りな黒い刃を作る。 〈総司郎。人間の分際で、この俺と、俺の麻里子の王道を阻もうというのか?〉 「狭間君。あいつが何を言っているのか、解るか?」 唐突に九頭竜に問われ、狭間は答えようとしたが喉が裂けそうになるので喋れず、咳き込んだ。 「そうか。解った」 何も答えていないのに、九頭竜は歩み出した。何が解ったというのだ、と狭間が戸惑っていると、切り落とされた はずの右手で握っている日本刀を袈裟掛けに振り下ろした。空を切っただけだ。が、カムロと麻里子の立つ展望台 に太刀筋と全く同じ切れ目が生まれて灯台が斜めに切断され、滑り落ちていった。灯台の斜め半分が地面に激突 する寸前に脱したカムロと麻里子は、超人的な身体能力で芝生に着地すると、直後にその背後に灯台が倒れ込んで きた。どうやら、あの日本刀もただの日本刀ではないらしい。 「すーちゃんの御土産、絶好調だなぁ」 うひょひょひょひょひょ、と変な声で寺崎は笑う。須藤は熱した左腕を振り、蒸気を払う。 「苦労して見つけ出したモノだ、切れ味が良くなければ困るんだよ。お前の知り合いにはろくな奴がいないようだな、 シニスター。俺も人のことは言えないが」 〈あいつはかの有名な吸魂怪獣ストームブリンガー……の、卵の欠片から削り出された鉱石を練り込んで作った刀 だが、それだけでも充分といえば充分なんだよ。見ての通りの威力だから、あいつだけでも人間の手には余る代物 なのさ。昔、どこぞの兵士の片腕をやっていた頃に知り合ったんだ。本家本元は嵐の使者って名前だが、あいつは その百分の一にも満たない。だから、名前は〉 饒舌に語るシニスターの声を遮ったのは、全く別の怪獣の声だった。 〈ヴィチローク。俺のことはそう呼べ〉 ロシア語でそよ風を意味する言葉なのよ、と聞いてもいないのに氷川丸が教えてくれた。横浜港近隣で起きている 騒ぎなので、山下公園にいる氷川丸が感知していないわけがないのだが、見ていたなら手助けしてくれよと狭間はつい 思ってしまった。だが、下手に関わると事態がややこしくなるのは目に見えているので、傍観しているのが最善だと 他の穏健派の怪獣達も口々に言った。もっともだが、もっともではあるのだが。 カムロとヴィチローク。麻里子と総司郎。互いが互いを睨み合い、敵意を鬩ぎ合わせている。先に動き出したのは カムロと麻里子で、長い黒髪を翼のように変化させた生首を飛び上がらせると同時に胴体を走らせ、首の切断面 から放った無数の長く黒い糸を父親に向かわせる。胴体を遠隔操作しておくために内蔵させておいた髪の毛を攻撃 に転用しているのだ。対する九頭竜はヴィチロークを構え、髪の毛に絡みつかれる寸前に刃を翻し、一息に数十本 を切断した。だが、髪の毛が途絶えれば胴体がやってくる。品の良いセーラー服を着た肉付きの良い肢体が躍り、 躊躇いもなく父親に蹴りを叩き込もうとしたが、父親はもっと躊躇いがなかった。 ヴィチロークの滑らかな刃は柔らかな太股を貫き、その奥にあるセーラーの襟を、制服を、胸を、心臓を一突きに した。麻里子の生首が目を見開いたが、九頭竜は動かなくなった胴体をぞんざいに投げ捨て、返り血をたっぷりと 浴びた顔を袖で拭った。辰沼が結合させたであろう右腕と右足が怪力を発揮しているからこそ出来る、人間離れ しすぎた芸当だ。直視していると正気を奪われそうな惨劇の連続だが、目を逸らせない。 「お前はどうしようもない阿婆擦れだよ、麻里子」 落ち着いてはいるが興奮を隠し切れていない九頭竜は、はっきりと笑っていた。 「だが、お前を生かしたことを後悔してはいない。お前は私の生き甲斐だからだ」 娘の血と肉片が付いた日本刀を下げ、九頭竜は娘の生首に向き直り、口角を上げる。 「ええ、お父さん。私もあなたが生き甲斐です」 なぜなら、あなたを愛しているから。交錯する両者の眼差しには、そんな思いが宿っていた。考えないようにしても 解ってしまう、嫌でも解らされてしまう。カムロを通じて麻里子の記憶を見せられたから、麻里子の目を通して九頭竜 総司郎を見てしまったから、残虐な行為に酔う男と、その男に心酔する女の思いを感じてしまったから。 父親と娘である以前にこの二人は男と女だ。狭間の価値観や人生観には決して存在しない、異常極まりない世界 が繰り広げられている。カムロは麻里子と共に在りたいから、麻里子は父親と対等で在りたいから、九頭竜は娘と 通じ合いたいから。そこだけ抜き出せば真っ当だが、そこだけだ。それ以外は、最悪だ。 黒髪の鎌と白銀の刀が鍔迫り合い、火花を散らす。実際散っている。首だけなので恐ろしく身軽なカムロと麻里子 に的確に斬り付ける九頭竜の刀の腕前は相当なもので、素人目では追い切れなかった。麻里子の胴体は心臓を 貫かれても尚生きていて、四つん這いで獣のように走っていき、九頭竜の背中に飛び掛かった。少女の長い手足で 拘束された男は、やはり一秒の躊躇いもなくその腕を切り落として蹴り飛ばしてから、頭を叩き割りに掛かる。 「……マ」 血煙と愛憎にまみれた戦いに見入っていた狭間を現実に引き戻したのは、ツブラだった。 〈ツブラ……俺の声が聞こえるか?〉 潮風に混じる濃厚な鉄錆の匂いを嗅いではならないと、狭間はツブラの小さな肩に顔を埋める。 「キコエル」 〈でも、怪獣言語は使わないんだな〉 「ツブラ、ツカウノ、ヘタ」 〈そうだろうと思ったよ。触手を一杯切られたが、痛くないか?〉 「イタイ。デモ、ガマン、デキル」 〈やってほしいことがある。カムロが戦いに気を取られているうちに〉 「ワカッテ、イル。デモ、ソノマエニ」 ツブラは汚れた小さな手で狭間の頬に触れると、顎を上げた。狭間は喉の奥から食道を伝って胃に垂れて落ちる 血を吐き出してから、するべきことをすべきだと思ったが、ツブラは中腰になって狭間の唇を塞いできた。血の味に 気付いたのか、ンゥ、との短い呻きが聞こえた。針金よりも髪の毛よりもずっと優しく、滑らかな触手が狭間の粘膜 に触れて真新しい傷口を慈しんでくれる。こうしているだけで、非常識極まりない状況に対する不安や恐怖が解れて いくのは、気のせいではないだろう。あ、やべ、と狭間は自制して身を下げる。 〈いけるな?〉 「ウン」 しゅるりと触手を口の中に戻したツブラは、ちょっと残念そうではあったが、バイクから降りた。廃墟も同然の 灯台を身軽に昇っていき、露出した鉄骨の頂点に上り詰める。細切れのレインコートの下で体に巻き付けていた触手を 一気に解放し、強い風に遊ばせる。そして、深く深く息を吸って平べったい胸を膨らませ、口を開けた。 ――――歌が聞こえてきた。何語でも怪獣言語でもない未知の言葉を、不気味さと神々しさの合間のメロディーに 載せた歌だ。それは初めて巨大化したツブラが奏でた歌であり、光の巨人を戒める音の鎖であり、怪獣電波を乱す 武器でもあった。何度となく同じ音と言葉が繰り返されると、少女達が正気を取り戻していく。カムロの遠隔操作 から逃れた女学生達は自分がどこにいるかに気付くと、ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げて柵を乗り越え、更に灯台の惨状 を知ると更に絶叫し、血みどろで戦い合う父娘を見ては怯えて泣き喚いた。 散り散りに逃げていく女学生達を見て、狭間は少しほっとした。安全なところまで逃げてくれたら、後はなんと でもなるからだ。数百名の体内に埋め込まれている髪の毛を摘出するのは大変だろうが、死にさえしなければいい のだから。供物であり奴隷である少女達が解放されたことで動揺が生まれたのか、カムロと麻里子の視線が僅かに 逸れた。その隙を見逃すほど、九頭竜総司郎は優しい父親ではなかった。 〈ぎぃえあおうあっ!?〉 長い黒髪の隙間から露出しているカムロの瞳が、白刃に潰される。 「ひぐぅっ!?」 カムロが受けた痛みが直接やってきたのだろう、麻里子の生首が顔を歪める。 「お前に似合う髪型にしてやるよ、麻里子」 地面に転げ落ちた娘の生首を革靴で踏み付けた九頭竜は、ヴィチロークを真横に引ききった。芝生と土、それを 遥かに上回る量の体液と黒髪が飛び散る。悪魔じみた絶叫が響き、顎が外れんばかりに大きく開けて叫ぶ麻里子 の生首が脈動すると、胴体も不格好に跳ね回る。鍔と刀身の合間に赤い瞳を覗かせたヴィチロークが、先程 灯台を切り捨てた時に発したものと同じ衝撃波を放つと、麻里子の生首と黒髪が分離した。 汚らしいゴムまりのように転げ回った生首が小高い丘から落ちていくと、手持無沙汰だった寺崎が拾いに行き、 ズタ袋に放り込んだ。胴体が動かなくなると寺崎はそれも回収しに行き、両手足を太いロープできつく縛ってから、 愛車の後部座席に放り込んだ。準備良くブルーシートが敷いてあった。 「随分と派手なリハビリになっちまったな」 滴るほどの血を吸ったネクタイを緩めてから、九頭竜は鞘を拾い、ヴィチロークを収めた。 「狭間君、大丈夫か」 〈あ、はい、まあなんとか〉 と、狭間は答えたつもりだったが声が出せなかったので、恐る恐る下を覗いた。九頭竜総司郎と目が合うと、 その迫力に負けて腰が引けてしまった。歌い終えて戻ってきたツブラも九頭竜総司郎は恐ろしいらしく、狭間に 力一杯抱き付いてくる。九頭竜は汚れたジャケットを脱いで肩に担ぎ、頬を歪める。 「他言は無用だ。誰にも言わなければ君には手出しはしないが、言い触らしでもしたら、その時はどうなるか 解るな? 解ってくれているなら、黙っていてくれ」 この惨劇と無関係でいられるなら、それに越したことはない。首の骨が折れそうな勢いで狭間が頷くと、九頭竜は 部下達に引き上げを命じた。狭間は心底安堵してへたり込んだが、ふと気付いた。階段が壊された灯台から降りる には、どうすればいいのだ。ツブラは歌い切ったことで余力を使い果たしたらしく、やっとのことで灯台の頂点から 降りてきたが、それきり動かなくなった。愛車のドリームはオフロード仕様ではないし、これまで散々無理をさせた ので、これ以上はいけない。だが、早く降りなければ後々面倒なことになるのは確かである。 〈大丈夫、人の子?〉 瓦礫を押しのけて顔を出したのは、聖ジャクリーンだった。狭間はぎょっとしたが、気を取り直す。 〈まあ……どうにかこうにか。ここから降りるのを手伝ってもらえたらいいんだが〉 〈それは構わないわよ、はいどうぞ〉 そう言って、聖ジャクリーンは狭間とツブラが乗ったドリームを抱え、瓦礫の山から少し離れた場所に下ろした。 車体に盛大な傷跡が付いてしまったが、そんなものは後でなんとでもなる。両足で地面を踏み締めた狭間は安堵の あまりに泣きそうになったが、さすがに堪えた。 〈さあ、帰りましょうか。私は皆を導かなければならないから、人の子と天の子は自力で帰ってね〉 ばいばーい、とやけに幼い仕草で手を振った聖ジャクリーンに、狭間は気力だけで手を振り返してから、ドリーム のスロットルを回した。ドリームもさすがに疲弊しているらしく、速度はあまり出なかったが、それで丁度良かった。 のろのろと帰路を辿りつつ、聖ジャクリーン学院の女生徒達が聖ジャクリーンに導かれて帰る様子を窺ったが、皆、 何が起きたのかさっぱり解っていないようだった。理解しない方がいい。狭間でさえも、まだ混乱している。 こうして、長いようで短い一日が終わった。 一週間後。 狭間はまた声が出せるようになり、ツブラも触手が再生して生え揃った。海老塚にはひどい風邪を引いたのだと 言い訳をしたが、御大事に、とだけ言われた。何をどこまで知っているのかを問い質してみたくなったが、さすがに その勇気はなかった。聖ジャクリーン学院の全生徒、及び全教職員が連れ立って外に出たのは集団ヒステリーであると みなされた。灯台を壊したのは聖ジャクリーンではない全く別の怪獣であると断定され、あっという間に証拠が隠蔽 され、灯台そのものも取り壊された。九頭竜会が裏からどんな手を回したのかは見当も付かないが、恐ろしい額の金が 動いたのは間違いないだろう。その財源がどこかは考えてはいけないのだろう。 「うーん……」 「どうしたものかしらねぇ」 「どうしろってんだよ」 聖ジャクリーン学院の制服を着た三人の少女がボックス席を占め、原稿用紙と睨み合っていた。兜谷繭香、桑形 桐代、蜂矢音々の三人はかれこれ小一時間そうしていた。古代喫茶・ヲルドビスの仕事に復帰した狭間は、三人 のコップに冷水が入っていることを確かめてから、出来上がった料理を別のテーブルへと運んだ。 「集団ヒステリーの原因が何なのか、って言われても解らないんだからどうしようもないよ。しかもそれを作文に して提出しろだなんて、無茶苦茶だよ」 「ないわねぇ」 「つーか、何があったのか思い出せねーし」 困り顔の繭香に、作文を書くことを早々に諦めている桐代、面倒臭そうな音々。三人の前にはダージリンティーが 入ったカップが並んでいたが、いずれも冷め切っていた。 「でもさ、一番の問題は学校に帰ってきた後にもらった薬だよね。あれ、なんだったんだろう」 「よく解らない錠剤を飲んだら、ハリガネムシのようなものが出てきたのよね。私は下から」 「あたしと繭香は上からだったな」 「ますます解らないね」 「解らないから、適当に創作でもすべきかしらね」 「そしたら再提出させられるじゃん」 はてどうしたものか、と三人娘は深刻に考え込んでいた。 「そういえば、あれって本当だったのかなぁ?」 「A組の九頭竜さんの生首が宙を舞って、首から下がメッタ刺しにされていて、怖い顔の小父様と戦っていたという、 あの白昼夢の話?」 「じゃなきゃ、聖ジャクリーン像が独りでに動いていた挙げ句にバイクに乗った男を追いかけ回して、触手が生えた ちっちゃい子を細切れにしていたっつー話?」 「桐代ちゃん、音々ちゃん、その話って信じられると思う?」 「信じてみたら面白いけど、信じられないわよね。色々な意味で。あれから九頭竜さんはお休みしっぱなしだけど、 あの人、前から登校したりしなかったりだから、別に今に始まったことじゃないのよね」 「まーな。で、結局、作文には何書けばいいんだよ」 「振り出しに戻さないでよぉ」 すっかり冷めちゃってるし、とぼやきながら繭香は紅茶を啜った。この分では、三人の宿題は今日中に終わらない だろう。全部現実ではあるのだが、現実だと認めてしまうと現実に対する認識が覆ってしまいかねないので、防衛 本能のようなもので信じないことにしているのだろう。狭間も信じたくないことばかりなのだが、当事者である自分 があの出来事を疑うわけにはいかないし、何より喉の奥には傷跡が残っている。 「麻里子ちゃん、どうなったのかしらね」 御冷ちょうだい、と声を掛けてきたのは、カウンター席に座っている愛歌だった。 「あれから音沙汰ないし、九頭竜会の人達も店に来ないんで、無事なのかそうでないのかすらもはっきりしない んですよ。何もないならそのままでいいんじゃないかなぁ、と」 愛歌のコップに水を注いでやり、狭間は肩を竦める。 「それはそれとして、ヴィチロークの出所が気になるのよ。ストームブリンガーってあれでしょ、神話時代の」 「それを俺に突き留めさせようとは思わないで下さいよ、愛歌さん。それどころじゃないでしょうが、お隣さん のこともあるんですから」 「んー? お隣に誰が引っ越してこようと別にいいじゃないの。元々、あのアパートって九頭竜会関係者の社宅みたい なもんだったし。狭間君が来る前は、もっと凄い輩が住んでいたんだから」 「そんなんでいいんですか」 「下手に引っ掻き回すよりは余程いいわよ」 「それはまあ……そうかもしれませんけど。ナポリタン、冷めちゃいますよ」 愛歌をあしらってから、狭間は仕事に戻った。汚れた食器を洗い終えてからバックヤードを覗いてみると、ツブラ はかぐや姫の絵本を読んでいたが、狭間の視線に気付いて絵本で顔を隠してしまった。これまでは、狭間と目が合うと 笑い返してくれたのだが。なんだか意識されているようで、こっちも意識してしまいそうになる。 馬鹿言え、相手は怪獣だ、しかもちっこい、と狭間は自戒しつつ目を逸らした。そもそも、ツブラとキスをするのは ツブラに体力を与えてやるためであって、捕食されているのであって、妙な感情を抱くべき行為ではない。喉の奥が くすぐったいのは傷が治り切っていないからであって、落ち着かないのは九頭竜会の闇の深さを知ってしまったから であって、決してツブラが原因ではない。 そう、思いたいのだが。 14 7/31 |