横濱怪獣哀歌




荒波ヲ乗リコナセ



 海開きして久しいというのに、湘南鵠沼海岸は閑散としていた。
 それもそのはず、遊泳禁止になっているからだ。燦々と照りつける太陽と絶え間なく打ち寄せる波と強めの潮風 はいかにも夏らしく、ぱあっと遊びたい気分になるのだが、泳げないのであればどうしようもない。もっとも俺は 海で泳いだ経験なんて片手で足りるんだけどな、そもそも泳ぐのは下手くそなんだよな、と思いつつ、狭間真人は 客のいない海の家でぼんやりしていた。
 トタン屋根にベニヤ板で作られた店舗は強度が弱そうだが、ばらすことを前提にして作られているのであれば、 造りが簡単な方がいいのだろう。板張りの床にゴザを敷いた座敷席とテーブル席があり、五分一〇〇円のコイン式 シャワールームとコインロッカーの付いた更衣室も併設されている。店で出すメニューは簡単に作れるものばかり で、一品当たりの原価は安いのに値段はやたらと高かったが、それでも売れるのが海の家なのだろう。

「海で遊んじゃダメなんですか。何もやることがないんですけど」

 退屈凌ぎに付けっぱなしにしているラジオを聞きつつ、狭間はぼやいた。

「ウミ!」

 他に誰もいないので変装を解いているツブラは、赤い触手を波打たせながら輝く海面を見つめている。

「ダメに決まってんでしょ、遊泳禁止なんだから」

 双眼鏡を目に当てて水平線を眺めている愛歌は、片手で器用にコーラの瓶の栓を抜き、ラッパ飲みした。

「あ、その、それ、さすがに行儀が悪いですよ?」

 愛歌の背後で呟いたのは、海に来ていても作業着姿の鮫淵仁平だった。狭間はTシャツにハーフパンツに、鵠沼 海岸駅の駅前の商店街で買ってきたビーチサンダルを履いている。愛歌は水着の上にワンサイズ大きいTシャツ を着ていて、鍔の広い麦藁帽子を被っている。

「あ、えと、夏の風物詩ですね」

 鮫淵が相模湾の沖合を指すと、超大型怪獣同士が光線技の応酬をしていた。カメに似た外見の超大型怪獣が口から 赤い火球を吐き付けると、恐竜に似た超大型怪獣が青い熱線を放ってぶつけ合うと、両者が生み出した膨大な熱量に よって海面が盛大に爆発した。その余波の熱風が押し寄せ、びりびりとトタン屋根が震える。

「おー、凄い。光線技を出す怪獣は夏場によく出てくるって聞いていたけど、本当だったんだなぁ」

 初めて見た光線技に狭間が感嘆すると、鮫淵は取っ組み合う怪獣達と狭間を交互に窺う。

「えと、その、狭間君は光線技を出す怪獣の話って聞こえていますか?」

「聞こえちゃいますけど、どっちも大したことは喋ってないですよ。去年の決着がまだ付いていない、今日という日の ために海底で鍛えてきたんだ、とかなんとか。要するにただのじゃれ合いなんですね、あれ」

「ジャレアーイ」

 狭間の足元で、ツブラがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「その昔は、あの怪獣達のどっちが勝つかで豊作になるか豊漁になるかを占ったんだそうよ」

 光線は目に痛いわ、と愛歌は双眼鏡を外して目元を押さえた。

「あ、えと、三つ首の怪獣のどの首が最後まで残るか、とかも、占いに使われましたね」

 鮫淵はすかさず喰い付き、話し始めた。

「あの怪獣達は毎年のように現れるので同一の個体に思えるんですけど、その実は違うんです。カメに似た怪獣は 海底に何百何千もの個体が休眠状態で現存しているのが確認されていて、そのうちの一体が目覚めて夏場に戦う んです。恐竜に似た怪獣はカメに似た怪獣よりも絶対数は少ないんですけど、進化する速度が異常に速いので、 古い個体が活動停止すると、古い個体に蓄積した情報を元に弱点を補った新しい個体が産まれてくるんですよ。 だから、微妙に外見も変わってくるんです。照和初期に観測された恐竜に似た怪獣は頭が大きめでずんぐりして いましたけど、最近の個体は尻尾が長くなって下半身がどっしりしているんです。で、その、この二種の怪獣に はっきりとした名称が付けられていないのは、えと、その、なんていうのかな、怪獣使いの決めたことで」

「でも、愛歌さん。今日はあの二体を観測するために来たんじゃないんですよね?」

「デスヨネ?」

「ウハウハザブーンよ」

「なんですかそれ?」

「えと、その、簡単に言えばサーフボードによく似た外見の小型怪獣で、本来は沖縄とかハワイ辺りに分布している 小型怪獣なんですけど、その、それがどうも湘南海岸に流れ着いちゃったみたいで」

 それがウハウハザブーンなんです、と鮫淵は説明してくれたが、狭間は解せずに聞き返す。

「それが何か問題があるんですか? サメが出たわけじゃあるまいし」

「大有りなのよ、これが。狭間君、しばらく前に縫製怪獣グルムにいいようにされたことがあったわよね?」

 愛歌はコーラ瓶で狭間を指したので、狭間はやや身を引く。

「ええ、まあ。ひどい目に遭いましたけど」

「えと、その、要するにその手の怪獣なんです。ウハウハザブーンって」

 童話で有名なアカイクツもその手の怪獣です、と鮫淵は捕捉してから、再び水平線を見据えた。超大型怪獣同士の 毎年恒例の戦いは佳境を迎えていて、光線技を出し尽くしたからか、今度は取っ組み合っている。傍から見れば 地味なプロレス技を掛け合っているようにしか見えないのだが、両者とも質量が大きいので、どうってことのない逆 水平チョップでも猛烈なダメージが加わり、猛烈な衝撃波が生じていた。マウントポジションからエビ固め、かと 思いきやひっくり返されてジャイアントスイング、かと思いきや外してセントーン、と次第に大技も増えてきた。
 ウハウハザブーンという珍妙な名を付けられた怪獣がどんな代物なのかは気にならないでもないが、本家本元の 怪獣プロレスの迫力の凄まじさに見入ってしまった。ツブラも面白がっていて、大技が決まった瞬間には歓声を 上げている。いつのまにか、ラジオから聞こえる番組も内容が切り替わり、怪獣プロレスの実況になった。
 そして、恐竜に似た怪獣の投げっ放しジャーマンで勝負は決した。




 昼を過ぎても、ウハウハザブーンは出現しなかった。
 怪獣プロレスが終わって波が落ち着いたので、狭間はツブラを連れて波打ち際で遊ぶことにした。波が荒れて いるので泳ぐのは危険だが、浅瀬の砂浜に近い場所でなら問題はないと判断したからだ。狭間自身がどうしても 海で遊びたかったからでもある。山奥の田舎町で育った人間にとって、海は非日常だからだ。
 誰もいなくても、どこかに誰かの目はある。なので、ツブラに頭からすっぽりと大人用のパーカーを着せてやって、 赤い触手は隠してやった。ツブラも初めて訪れた海が楽しいらしく、はしゃいで熱した砂浜を駆け回っている。狭間は ツブラの少し後を歩き、転んだりしないように、海に落ちないように、と見守りながらも、波に足を浸して心地良さ を味わっていた。件のサーフボード怪獣が出現しないままで終わればいいのに、とつい思ってしまう。

「マヒト、マーヒト!」

 砂浜に打ち寄せた薄い波を蹴散らしながら駆けてきたツブラは、赤い瞳を輝かせて小さな手を掲げた。

「コレ、ナニ! カセキ?」

「ん、ああ、貝殻だ」

 青白い肌の手に握り締められていたのは、巻貝の貝殻だった。

「ガラ?」

 ツブラが首をかしげたので、狭間は巻貝の穴を指す。

「これは海の中に住む生き物の残骸だ。貝の中に入っていた本体が死んだから、貝殻だけが打ち上げられたんだ」

「カイガラ、カラッポ? カセキ、チガウ?」

「ヲルドビスに置いてある貝の化石は、何万年も前に地層に埋もれた貝だから、違うな」

「カセキ、ナイ?」

「砂浜には落ちていないと思うぞ、あれは地面の中から発掘するものだから」

「ムゥ」

「そう拗ねるなよ。化石の掘り方に関して言えば、俺よりもマスターに聞いた方が早いし、確実だ」

「ソシタラ、カセキ、サガス?」

「そりゃどうだか」

 狭間は肩を竦める。海老塚があそこまで入れ込むのだから化石探しは面白いのだろうが、見つけるまでが大変 そうだ。化石がありそうな地層や場所を見つけ、石を一つ一つ吟味して探すのか。化石がありそうな土地の地面を 延々と掘り返し、丁寧に土を払いながら探すのか。どちらにせよ、かなり根気のいる趣味ではあるが、その分だけ 達成感はありそうだ。もっとも、狭間の性には合わないだろうが。

「カセキ、チガウ。デモ、カイガラ、スキ」

 ツブラは砂浜に屈むと、触手を伸ばして掘り返し、もう一つ巻貝の貝殻を見つけた。

「ダカラ、マヒト、アゲル」

 棘の付いた巻貝の貝殻を差し出し、ツブラはにんまりする。

「あ……おう」

 狭間は妙に照れ臭くなりながら、貝殻を受け取った。ツブラは受け取ってもらえたのが嬉しいらしく、背を向けて くすくす笑っている。なんだよもう面倒臭いな、と思いつつも狭間は貝殻の砂を払い落としてから、ポケットに入れた。 視線に気付いて振り返ると、一部始終を見ていた愛歌がアイスキャンディーを齧ってから毒吐いた。

「ベッタベタなイチャイチャしてんじゃないわよ」

 溶ける前に食べなさいよ、と愛歌は狭間にアイスキャンディーを突き出してきたので、それも受け取った。

「あ、どうも。鮫淵さんは?」

「さっきの怪獣達の光線技の火力を計算するって言い出して、ノート広げてソロバン弾いているわ。どうしてそれが 解るのかって聞いてみたら、距離と爆発の大きさと爆風の強さで割り出せるんだそうよ。ノートをちらっと覗いてみた けど、ややこしい計算式ばっかりで何がなんだか」

 ソーダ味のアイスキャンディーを舐めつつ、愛歌は麦藁帽子の鍔を押さえる。

「羽生さんは来なかったんですね、今回は。赤木さんもですけど」

 狭間はパイン味のアイスキャンディーの包装を剥がし、舐めた。良く冷えていて甘酸っぱい。

「赤木君は別件の捜査から抜けられなかったからで、羽生さんは奥さんがおめでただからよ」

「えぇ!?」

「あの人、変人の科学者だとばかり思っていたけど、その辺はしっかりしていたのねー」

「そりゃ意外ですね。いや、いいことなんですけど」

「んで、羽生さんの奥さんってね、佐々本モータースの小次郎君の御姉さんなのよ」

「そうだったんですか!?」

「小次郎君の御実家は川崎にあって、小暮製作所っていう機械部品を作る会社で。佐々本モータースの社長さんと 小暮重機の社長さんは学生時代からの友達だそうよ。そういう繋がりがあったから、小次郎君は佐々本モータース に就職したみたいね。で、四人兄弟で、跡継ぎで長男で二十五歳の鈴道れいどうさん、羽生さんの奥さんで長女で二十歳の 満月さん、次男坊で十九歳の小次郎君、末っ子で十八歳の岩辰いわたつ君。男ばっかりね」

「で、十年もしないうちにつぐみちゃんがその一族に加わる、と」

「間違いないわね。となると、羽生さんとつぐみちゃんが親戚になるってことね」

「人間って思いもよらないところで繋がっているものなんですねぇ……。まあ、とにかく、おめでたいことですね」

「無事に産まれてくれるといいわね」

「ですね」

「オメデタ?」

 狭間と愛歌の間に割り込んできたツブラは、聞き慣れない単語を問い返した。

「子供が出来たってこと。人間はね、繁殖するのよ。怪獣は地球の分身だけど、人間はそうじゃないのよ」

 愛歌はツブラと目線を合わせ、赤い触手の生えた頭を軽く撫でた。

「コドモ、イイコト?」

「いいことだ」

 狭間が同調してやると、ツブラは少し考えた後、顔を上げた。

「イイコト!」

「あ、えと、朗らかな世間話をしているところで悪いんですけど、その」

 砂に足を取られながら歩いてきた鮫淵は、潮風で捲れ上がるノートで沖合を示した。

「ウハウハザブーンが、出ました」

 鮫淵が示した先で、一際大きく立ち上がった荒波が真っ二つに割れた。その割れ目から飛び出したのは、楕円形の板状の 物体だった。確かに、それはサーフボード以外の何物でもなかった。だが、大きさはサーフボードというよりもボートと いう方が正しく、底面には海藻とフジツボがびっしりとこびり付いていた。割れた波の内側に滑り込んだサーフボード型 怪獣は軽やかに波に乗った、かと思いきや盛大にひっくり返った。
 それが、ウハウハザブーンだった。





 


14 8/20