結論から言えば、移送は成功した。 赤木が乗っていた車を貸してもらって横浜に向かい、指定された駐車場に車を止めてから、女物の服を着た奇妙 な生き物の手を引いて寿町を目指した。そうしていれば、兄妹のように見えなくもないからだ。握り締めた手は 冷たく、温かみはなかったが、脆弱ささえ感じるほど柔らかかった。薄い皮膚の下にある肉と細すぎる骨の感触 だけでも、須藤は怖気立つほど興奮し、下半身は今までになくいきり立っていた。こうなることが解っていたから 裾の長い上着を羽織っていたが、それでも隠し通せているとは思い難かった。 猥雑という言葉がこの上なく当て嵌まる寿町には、小奇麗な格好をした奇妙な生き物は浮いていたが、酒浸り の男達と大差のない眼差しで辺りを窺った。老紳士に対する媚びた表情とは打って変わって、ひどく冷淡な面差し になった。余程荒んだ人生を送ってきたのだろう、と須藤は同情に駆られた。 アンモニアの臭気にまみれたビルの隙間を抜け、バラック小屋の群れを過ぎ、ビルというよりも二階建ての民家 と言った方が正しい建物に行き着いた。そこが目的地だったが、ドアをノックするのは少し躊躇した。須藤の迷い を察してか、奇妙な生き物がドアを荒っぽくノックすると、間を置いてから開かれた。 「んあ」 眠たげな顔をしたスキンヘッドの男が現れ、奇妙な生き物と須藤を見比べてから、禿頭を掻いた。 「あー。あれか。さっさと来い、でねぇと御嬢様が死んじまう」 ほれ、とスキンヘッドの男に建物の中に引っ張り込まれた須藤は、異様な光景を目の当たりにした。見るからに ヤクザだと解る男達が、揃いも揃ってひっくり返って呻いていた。彼らはいずれも右腕にガーゼを押し当てていて、 顔色がひどく悪い。中には失神している者さえいる。その人数は十や二十では足りず、狭い部屋に男達の汗と血の 匂いが分厚く籠っていた。思わず、須藤は顔をしかめる。 「お前、御嬢様に血を寄越しに来たんだろ? で、そっちのはなんだよ」 スキンヘッドの男が奇妙な生物を見下ろすと、奇妙な生物は毛髪怪獣をいじる。 「辰沼先生に御届け物しにきたんだよ」 「誰から何を」 「マホーツカイからマッポが」 「はぁ?」 スキンヘッドの男は声を裏返したが、まあいいか、こっちに来い、と本棚をずらしてその裏に隠されていた階段を 下りていった。事情を全て知っているわけではないようだが、まるで把握していないわけではないらしい。男の背に 刻み付けられた千手観音の刺青を見つつ、薄暗い階段を下りていくと、またも地下室に至った。 天井の四隅に付けられた照明が、血みどろの手術台を煌々と照らしていた。幅広のベルトが、小振りな人間の体を 手術台に縛り付けている。幼い四肢に付けられた点滴からは湯水のように血が注がれているが、注がれた分の血は、 首の切断面から溢れ出して床を濡らしていた。電気で刺激を送って心臓を脈動させているのか、平べったい胸には 電極が繋がれていて、一拍ごとにびくんびくんと痙攣していた。鉄錆と蛋白質を混ぜた臭気に粘膜を侵された 須藤は生理的な嫌悪感に負け、その場で吐き戻してしまった。だが、奇妙な生き物はしれっとしていて、手術室と いうよりも屠殺室と言った方が相応しい部屋に入っていった。 「辰沼先生、いるぅー?」 奇妙な生き物がべしゃべしゃと血溜まりを踏み散らかしながら進んでいくと、手術台の隣にある作業台に向かって いた男が、振り返った。青緑色の髪と赤い瞳と白い肌と、西洋人のような顔付きが目を引く青年だった。彼の手元に あるのは、手術台に縛り付けられている人間に付いていたであろう、少女の生首だった。こちらにも輸血がたっぷりと 行われていたが、やはり首の切断面から血が噴出していた。特に激しく迸っているのは頸動脈で、床の血溜まりの 水位は増す一方だった。この大量の血の出所は、地上階で寝込んでいる男達なのだろう。 「あ、君かあ。先生が人と材料を寄越してやるって電話で言っていたから、誰かと思ったら」 辰沼と呼ばれた青年は、非日常極まりない光景でありながらも平然と会話した。 「んで、これを使ってくれって。大丈夫?」 奇妙な生き物は頭に被っていた毛髪怪獣を外して闇医者に渡すと、辰沼はメガネの奥で目を輝かせた。 「うわぁ凄い! 毛髪怪獣にも色々いるけど、この大きさでありながらもちゃんと成長している! こんなに出来の いい個体を見つけられるだなんて、さすがは先生だ! よおし、早速結合手術を始めよう! 面白くなってきたあ!」 だらしなくにやけた辰沼は、毛髪怪獣と少女の生首を抱えて手術台に向かった。大量の薬品と医療器具を満載 したワゴンを手術台に横付けしてから、辰沼は毛髪怪獣から引き抜いた数本の髪を少女の胴体に差し込むと、首の 切断面からの出血量が徐々に減ってきた。心拍も戻ってきた、体温も上がってきた、これならイケそう、と独り言を 連ねながら、辰沼は少女の頭部に剃刀を当てて黒髪を綺麗に剃り上げてしまうと、メスを頭皮に当てて薄い切れ目を 作り始めた。中には頭蓋骨が露出するほど深い傷もあり、須藤は吐き気が蘇ってきた。 須藤はなんとかして外に逃げ出したかったが、外に出てもつまんないや、と奇妙な生き物が渋ったので、少女と 毛髪怪獣の結合手術を最後まで見守る羽目になった。その間、須藤は何度も吐き気に見舞われた。奇妙な生き物は 興味津々で、世にもおぞましい手術風景に見入っていた。頭皮を剥ぎ、血管を割き、神経を解き、頭蓋骨に穴を 開け、毛髪怪獣が少女の頭部に入り込めるように仕立て上げられていく。辰沼の動作には無駄はなく、的確にメス を動かしていく。あの手術を遠からず受けるのだ、と須藤は無意識に左腕を押さえていた。 それから小一時間後、少女と毛髪怪獣の結合手術は無事に終わったが、その頃合いには手術室の床に出来た 血の池の水位は上がり、水深三センチ程度になっていた。頭皮を裂かれて毛髪怪獣を移植された少女は、辰沼の手で 首と胴体の切断面をくっつけられると、毛髪怪獣が細く長い黒髪を伸ばして皮膚に差し込み、上下させ、切断面 を縫い付けた。すると、徐々に少女の頬に赤みが差してきて、弱い吐息も戻ってきた。 「後は御嬢様とこの怪獣の経過観察をしなきゃだけど、君、他にも用事を言いつけられているの?」 辰沼は濡れタオルで少女の体にこびり付いた血を拭い取っていると、奇妙な生き物は須藤を示す。 「うん。こいつ、俺が欲しいんだって。でね、俺を買う代金に自分の体を差し出すんだって。ほら、辰沼先生、実験台 を欲しがっていたでしょ? 人間の腕に擬態している怪獣を買い付けたから、誰かにくっつけてみたいって」 「そりゃあ、まあね。でも、ヤク中で酒浸りだったら切るだけ無駄だよ」 「それはたぶん大丈夫。こいつ、マッポだから」 「確かに。肌の色艶も悪くないし、タバコ臭いけど酒の匂いはしないし、うん、まあ、そこそこだね」 辰沼は、須藤をじっくりと観察した。 「じゃ、後でまた来てよ。御嬢様をなんとかしてから施術してあげるから」 「俺は?」 「身請けされるほど惚れられたんだから、一発抜いてあげれば? 死ぬ前の思い出作りに」 「思い出かぁ。そっか、あれって作るものなんだっけ」 奇妙な生き物は立ち上がると、須藤の手を取り、軽く握り締めてきた。 「したいんなら、してもいいよ」 「……どこで」 理性が振り切れそうになった須藤は、抑揚を押し潰して一言返すだけで精一杯だった。盛るんならせめて余所で やってね、と辰沼は面倒そうにぼやいてから、少女を寝かせたストレッチャーを押して別室に消えた。上の階には あの男達がいる、この部屋は手術室だ、人間十数人分の血が溜まっている、そんな場所で盛れるほど見境がないと 思うのか。須藤はそう言い返すつもりだったが、口は動かず、代わりに彼、或いは彼女の口を塞いでいた。 それからの十年。彼、或いは彼女と生きるために、須藤は悪事を働き続けた。 空になったウィスキーのボトルが、カウンターに横たわっている。 昔話をするのは度胸がいるのか、須藤はウィスキーを何杯も開けていた。その肩にしなだれかかっている御名斗 は眠り込んでいて、酒混じりの涎が須藤のスーツをべっとりと濡らしていた。狭間は出してもらったビールを数口 飲んだだけで手は付けず、代わりにツブラに出された水を飲んでいた。膝の上に載せているツブラは、須藤の昔話 の気色悪さに辟易したのか、狭間の懐に顔を埋めてじっとしていた。 「――――んで、まあ、それから色々あったわけだ」 ウォッカを呷って喉から胃に流し込んでから、寺崎は酒精を含んだ熱いため息を吐いた。 「要するに、須藤さんが身を持ち崩す切っ掛けが御名斗さんであり、御名斗さんは元々は魔法使いとやらの所有物 であり、赤木さんはその魔法使いの手先だと」 狭間が話の要点を掻い摘むと、タバコをひたすら吸っていた赤木が頷く。 「そういうことにしておいてくれ」 「それで、赤木さんは怪獣Gメンで魔法使い側の人間だから、九頭竜会と表立って関わっていることを知られると 何かと動きづらくなるから、敢えて九頭竜会に不利益な行動を取っていた。けれど、それは渾沌にとっても不利益 なことである……となると、誰が利益を得るんですか。魔法使いですか、それとも怪獣使いですか」 狭間が質問をぶつけると、赤木は吸殻が山盛りになった灰皿に熱い灰を落とす。 「どうしてそう思う」 「怪獣の肉片を横流しして利鞘を受け取るにしても、商売する相手を九頭竜会と渾沌だけに限る意味はないから です。他の地域のヤクザにも売り渡した方が稼げるし、怪獣の力を得たヤクザ共が抗争を繰り広げてくれたら、悪人 同士が潰し合ってくれて掃除の手間が省けます。その分危険も大きいですけどね。でも、それをせずに九頭竜会と 渾沌だけに怪獣の肉片をばらまいて、シャンブロウの肉片までばらまいて、火に油を注いでいる。むしろ、双方を 戦わせて血を流させている。どちらも潰れてしまったら商売は上がったりだし、怪獣人間と化したヤクザ達からは 元の体に戻せと逆恨みされるかもしれないんです。余程、己の身の安全を守れる自信がなければ、こんなことはまず 出来ません。だから、赤木さんとその魔法使いは双方を焚き付けるのが目的なんでしょう?」 「そうしたところで、誰が潤う」 「エレシュキガルですよ」 人間の血を啜って喜ぶのは、あの神話怪獣ぐらいなものだ。狭間が言い切ると、赤木は眉根を寄せる。 「俺も先生も、アレを手懐けるつもりはない」 「そもそも手懐けられませんよ、神話時代の怪獣なんてものは」 赤木から目を逸らさずに、狭間は彼の横顔を見据える。 「どうにも、横浜に出現する光の巨人の頻度が高すぎるんですよ。怪獣共が俺とツブラを横浜に差し向けるほどに。 エレシュキガルが最初に目撃されたのと、俺が横浜に来たのは同時期なんじゃないですか? ツブラは元を正せば エレシュキガルと対を成す神話怪獣だと知っているのは、俺と愛歌さんと怪生研の二人と怪獣使いの綾繁枢だけ とは限らないでしょう。光の巨人が狙っているのは、俺でもツブラでもなくてエレシュキガルだったんじゃない んですか? 普通の人間や怪獣の力ではエレシュキガルに立ち向かえないし、追い払えもしないから、エレシュキガル に抗わずにやり過ごそうとしていたんですか? いや……違うな、そうじゃない」 赤木の横顔とツブラの赤い目の間で視線を彷徨わせてから、狭間は考えをまとめた。 「神話時代を再現したいんですね、魔法使いは」 赤木は新しいタバコを銜えて黙り込み、否定も肯定もしなかった。それが答えだった。しかし、魔法使いの考えが どれほど崇高であろうとも、数多の怪獣達にも怪獣使いにも人々にも害となる行動であることに変わりなく、誰かが 止めなければならない。九頭竜会と渾沌が抗争を繰り返すたびに人が死に、血が流れ、その血を啜ったエレシュキガル が膨張し、成長し続けていったら、いずれは―――― きっと、羽生は赤木とその背後にいる魔法使いの考えを察していたのだろう。だから、光の巨人を武器として扱う 手段を考え出して姿をくらました。今更ながら、羽生の情報をべらべら喋るべきじゃなかったな、と思ったが時既に 遅しだ。ここにきて、誰が誰の敵なのかが見えてきた。力関係が解らないと、狭間もその間に挟まり切れない。 「ところで、御名斗さんの名前って」 須藤の昔話の中では、お前、こいつ、としか呼ばれていなかった。狭間が疑問を口にすると、答えたのはすっかり 酔いが回っている寺崎だった。 「ああ、そりゃ須藤だよ。こいつ、捨て子だったから名前なんてないんだよ。意味はなんだっけなぁー、えぇーと、 あー……ギョメイギョクジを闘わせるもの、だったかな……。なんだっけ、ギョメイギョクジ」 「御名玉璽?」 その音に合う漢字を思い出し、狭間は虚空に指を走らせた。やたらと難しい字で、意味は確か。 「怪獣使いが公文書に押印する時に使う、宝玉で出来た印章のことですよね?」 「そうそう、そうだった。な、とんでもねぇだろ?」 明るく笑う寺崎に、怪獣使いにケンカを売り過ぎです、と狭間は言いかけたが飲み込んだ。 「それで、どうする。ここまで知ったからには、俺達と一戦交えるか? それとも、先生にケンカを売るか?」 赤木は懐に手を差し入れ、拳銃のグリップを覗かせた。 「遠慮しておきます。勝ち目はないし、そんなことでツブラを戦わせたくはないので」 狭間は財布から有り金を全て出してカウンターに置くと、丸椅子から下りた。 「一番厄介なのは怪獣使いでも魔法使いでも九頭竜会でも渾沌でもありません、エレシュキガルです。ツブラの敵は エレシュキガルであって、人間じゃありません。だから、俺の敵はエレシュキガルだけです」 「だから、誰の味方にもならねぇってか? ひゅー、かっくいー」 寺崎は拳銃を弄びながら、けらけらと笑う。 「でも、エレシュキガルを増長させないための手は打ちますよ。俺が出来ることをして」 そう言い切って、地下室を出た途端に狭間は全力で駆け出した。怪獣ブローカーが誰なのかは解ったが、それを 九頭竜会に知らせたところでどうなる。内ゲバを起こすだけだ。そんなことになったら、狭間は必ず被害を被るだろう。 もう嫌だ、今度こそ関わりたくない、魔法使いってなんだ、もう訳が解らん、と叫びたい気持ちを堪えるために、狭間 はひたすら走り続けた。内心では泣き喚いていたが、男と大人の意地で堪えていた。 路地裏になんて、二度と行きたくない。 14 12/29 |