ジンフーの邸宅は帝国陸軍によって速やかに包囲され、封鎖された。 雪崩れ込んできた兵士達によって来客だけでなく使用人達も一人残らず確保され、銃や刃物だけでなく武器扱い されている怪獣も一つ残らず回収された。九頭竜とジンフーは軍人達が担架に載せて運び出していったが、まとも に手当されるかどうかは怪しかった。止血はされていたようだが、応急処置は施されていなかったからだ。 狭間が知っているのはそこまでだった。披露宴会場である大広間から別室の客間に連行され、椅子に座らされ、 手足を縛り付けられた。ツブラ入りの麻袋も傍らに転がされ、抵抗出来ないようにするためか、麻袋の上から幾重 にも縄を巻き付けられた。虎の皮の敷物に煌びやかなシャンデリア、皮張りのソファーに動物の毛皮が掛けられて おり、豪華というよりも悪趣味だった。テーブルとソファーは藪木の手で壁際まで押しやられ、ジャガード織りの ラグも剥がされた部屋の中央に狭間とツブラは置かれた。目の前には、左手の付け根に染み込んだ血が生々しく匂う 中佐が立っていた。ヴィチローク、もとい、ライキリを携えて。 「陸軍中佐、玉璽近衛隊特務小隊隊長、田室正大である」 軍服の下には骨太で筋肉質の肢体が詰まっており、眼光は研ぎ澄まされ、立ち姿には隙はない。 〈真日奔帝国陸軍玉璽近衛隊所属、田室正大中佐専属近接戦闘兵器改造済恩寵怪獣、タヂカラオ!〉 〈同じく! 真日奔帝国陸軍玉璽近衛隊所属、田室正大中佐専属近接戦闘兵器改造済恩寵怪獣、ライキリ!〉 シニスター、もとい、タヂカラオが指を動かすと、その手中に収まっているライキリも鍔をがたつかせる。 「陸軍上等兵、玉璽近衛隊特務小隊隊員、田室秋奈」 田室の背後に控えていた秋奈は敬礼し、名乗る。 「陸軍伍長、玉璽近衛隊特務小隊隊員、藪木丈治っす」 同じく背後に立っていた藪木もまた、敬礼する。 「陸軍技術少尉、玉璽近衛隊特務小隊隊員、羽生鏡護である」 そして――――ドアを背にしている羽生も敬礼した。 「羽生さんは……帝国陸軍に引き抜かれたんですか?」 狭間は田室の尖った視線から逃れるように、羽生に目をやるが、羽生は軍帽の鍔で目を隠した。 「その質問に答えることは出来ない。中佐から許しを得ていないからね」 「まず、こちらから質問させてもらおうか」 田室は狭間に歩み寄ると、威圧的に見下ろしてきた。 「狭間真人。貴様は何の権限があって、怪獣を使役している?」 「使役……って、俺はそんな」 狭間はもぞもぞと動くツブラ入りの麻袋を窺うが、ライキリの冷たい刃が狭間の顎に添えられた。静かに、だが、 躊躇いのない動作だった。狭間は頬に触れる金属の滑らかさに怖気立ち、背中に嫌な汗が滲んだ。肌が粟立ち、喉が 乾涸びてくる。縄で後ろ手に縛られた手を握り締め、言葉を探り、嘘ではないことを述べた。 「俺は、何もしていません」 「シャンブロウは神話級の希少な怪獣だ、その存在を知りながらも政府に通達しなかった。そればかりか、貴様は シャンブロウを私物化していた。人間の真似事をさせ、人間の服を着せ、人間の子供であるかように取り繕って生活 を共にしていた。その全てが違法であり、重罪である。年端もいかない子供ならまだしも、成人した大の男がそれを 知らないはずがなかろう」 「……だけど、愛歌さんは俺にはそんなの」 「己の罪を認めないばかりか、他人のせいにするのか。腑抜けた男だ」 「ツブラがいなきゃ、俺がツブラに力を貸してやらなきゃ、横浜も箱根も光の巨人に消されていたんだ!」 「箱根で怪獣と光の巨人が接触、戦闘したという事実は政府に報告されているが、その怪獣がシャンブロウである という事実はない。仮にそうであったとしても、貴様がシャンブロウに助力出来るはずがない」 「俺はツブラに命を喰わせている! ツブラは俺の命を喰って巨大化して、光の巨人を退けてくれる!」 「シャンブロウの自発的な自己犠牲行動は、貴様がいなければ成立しないとでも?」 「そおだぁっ!」 狭間は椅子をがたつかせ、叫ぶ。これまで、ツブラと共に何度窮地を切り抜けてきたことか。 「エレシュキガルに対抗出来るのもツブラだけだ、他の怪獣共は役に立たないからだ! 神話怪獣と敵対出来る のは、神話怪獣の末裔であるツブラしかいないんだ! 光の巨人を発生させているのもエレシュキガルで、光の 巨人を生み出す仕掛けは火星にある! 光の巨人は神話怪獣が生贄を得るための装置で、元々はツブラの始祖で あるイナンナの力によるものだったんだが、それをエレシュキガルに奪われた! エレシュキガルが人間に危害 を加えた怪獣を欲しがるのは、怪獣が生み出す熱と火星の新たな住人が欲しいからなんだ! だから、今まで 光の巨人に奪われたものや人は火星にある!」 だから、ツブラは火星に帰すべきなんだ。そこまでは言おうとしても言えず、狭間は息を荒げた。田室は 狭間の言葉を最後まで聞き届けた後、おもむろに右手を掲げ、狭間の顔を殴り付けた。 「妄言を吐くな」 歯で舌を切ったのか、鉄錆の味が口中を侵す。程なくして頬が腫れで火照り、舌が鋭く痛み出した。 「そうだろうさ、誰も信じない、こんなこと」 だから、自分だけはツブラを信じてやってきた。狭間が自嘲すると、芋虫の如き麻袋がのたうち回ったが、田室は ライキリを振り下ろして麻袋の端を床に繋ぎ止めた。引きつった悲鳴が聞こえ、麻袋は大人しくなった。 「改めて問おう。シャンブロウをどこで手に入れた」 「誉れ高い帝国陸軍なんだ、情報部かどこかがとっくにそんなのは調べ上げているはずだろ?」 余裕など欠片もないが、少しでも強がらなければ心が揺らぐ。狭間が言い返すと、田室は眉根を寄せる。 「では情報部の調査通り、新潟県一ヶ谷市の温泉の採掘場から発掘された後に一ヶ谷市内の怪獣監督省分署にて保管 されていたシャンブロウの卵を盗み出した、ということでいいのだな?」 「盗んだんじゃない。頼まれたんだ」 「鍵をこじ開けた形跡は見受けられなかったが、あれは盗み以外の何物でもない」 「――――愛歌さんが、俺に鍵を寄越してくれたんだ」 出来れば言いたくなかったが、言うしかなかった。狭間はあの日の記憶を呼び起こし、重たく述べる。 「あの日、ツブラと初めて会った日、怪獣共はどいつもこいつも騒がしかった。我らが兄弟を救え、赤き卵を遠き地 へと誘え、そう言われたんだ。ムラクモに。俺の田舎の船島集落が消える原因を作った、水脈怪獣だよ。それから 俺は、愛歌さんから分署の鍵を渡されてツブラの卵を運び出して、横浜に来た。怪獣共が俺を招き寄せたんだよ、 この街に。そうしたら、光の巨人が現れて造船所ごとイカヅチが消された。その後だよ、ツブラが孵化したのは。 ツブラは俺の命を欲しがって、俺の喉の奥に触手を突っ込んで血を吸い上げて、超大型怪獣並みに巨大化して、 光の巨人を倒してくれた。それからだよ、俺とツブラが光の巨人を倒すために戦うようになったのは。だけど、 肝心の船島集落を守り切れなかった。ムラクモの人殺しを止められなかった。箱根の時だって、鳳凰仮面―― 野々村さんを助けられなかった。だから、今度こそ俺はツブラと一緒に誰かを助ける、守る。こうしている間にも エレシュキガルが近付いているってのに、あんたらは何もしないのかよ! あいつらはどうしようもない屑共 かもしれないが、死なせるのは論外だ! 俺はともかく、ツブラだけは自由にしてやれ!」 叫ぶだけ叫ぶと、束の間、静寂が訪れた。 「エレシュキガルは回収する。シャンブロウに接触させる理由もなければ、意味もない」 田室は狭間の首筋にライキリを寄せ、鏡面の如し刃に青ざめた男の顔を写す。 「回収出来るわけがないだろ、あれは」 「回収、可能」 秋奈はそう言ってから、羽生を見やった。羽生は小さく肩を竦めた後、軍帽の鍔を上げる。 「発言の許可を願います、中佐」 「許可する」 田室の許しを得てから、羽生はドアからは背を離さずに説明した。 「光の巨人とエレシュキガルの関連性については、狭間君が認識している通りだよ。ツブラとエレシュキガルが邂逅 した翌日に聞いた話の裏付けはある程度なら取れたしね。光の巨人が消し去ったものが火星に転送されていると いうのは全く新しい切り口の仮説だから、この僕の頭の片隅に留めておくよ。それはそれとして、狭間君はアレが 本当に神話怪獣だと思っていたのかい? 神話時代の名残は世界各地に残っているが、いずれの遺跡も本来の機能 を失っている理由を考えてみたことがあるかい? 古墳型怪獣が二度と動かないように、現代の人間は高天原へと 辿り着けないように、アマテラスオオミカミこと怪獣聖母ティアマトとは対話出来ないように、神話時代と現代 では物理法則が根本的に違うんだよ。だから、あれはエレシュキガルの一部を用いて造り出された怪獣なんだよ。 人工と言えるほど人の手は加わっていないが、天然ものと言えるほど純粋じゃない。クル・ヌ・ギアの入り口を開く ためにだけ作られたんだけど、色々あって逃げ出してしまった。エレシュキガルと光の巨人に何らかの関連がある のではないかとは考えられていたし、この僕も星の数ほど仮説を立てていたけど、火星に通じているとは考えた ことはなかったね。次は火星を絡めて考えてみることとしよう。エレシュキガルを回収する方法はそう難しいもの ではないんだけど、あれは容易に空間転移を行えるから掴まえようにも掴まえられなかったのさ。だから」 「エレシュキガルを誘き寄せるために、イナンナの末裔であるツブラを掘り出した……?」 狭間が声を震わせながら結論を口にすると、藪木は大きすぎる手を叩き合わせた。 「御明察っすー」 「当初の予定だと、被害は一ヶ谷市の一角だけで済むはずだった。エレシュキガルが現れる前に適当な理由で 人払いをして封鎖して、長年の苦労の末に見つけ出したシャンブロウの卵を人里離れた場所に放置し、それを 狙ってやってきたエレシュキガルを怪獣使いに封じてもらう、という作戦だった」 田室が忌々しげに眉根を寄せると、秋奈が続ける。 「けれど、シャンブロウの卵は盗み出され、横浜に移動した」 「それにより、引き寄せられる相手を見失ったエレシュキガルはあちこちを右往左往し、その影響で各地の怪獣 が異変を起こして数多の災害を引き起こした。船島集落でムラクモが暴走した原因もそこにある。狭間君が耳に したという怪獣達の言葉は、シャンブロウと力を合わせて光の巨人と戦え、という意味ではなくて」 羽生は照準を定めるように瞼を狭め、狭間に視線を突き立てる。 「シャンブロウを遠くに捨ててくれ、巻き込まないでくれ、という意味だったんじゃないのか?」 「…………ぇ」 だとしたら、今までのことは。狭間が絶句すると、田室が問うてきた。 「シャンブロウの卵を持って横浜に行け、と言ったのは誰だ」 「愛歌さんが、俺に、横浜に」 狭間は目を剥き、両手を握り締めようとするが、上手く力が入らない。 「光の巨人を退けるために戦ってきた、とでも言いたげな口振りだったが、光の巨人はシャンブロウを神話時代の 世界に連れ戻すためにやってきていたのではないのか? 貴様は正義の味方にでもなったつもりで、世界を守る 役割を担ったのだと思い込んで、真実を見逃したのではないのか? 怪獣が何を言っているのかは私には解らんが、 こいつらは決して正しいわけではない。人間が人間にとって都合の良いように動いているように、こいつらもまた 怪獣にとって都合の良いように動いている。だから、貴様を怪獣にとって都合の良いように動かしていただけに 過ぎなかったんだろう。――――光永愛歌もだ」 田室は羽生を一瞥した後、続けた。 「氏家武大尉、及び、赤木進太郎軍曹からも光永愛歌についての報告は受けている」 「氏家大尉に寄れば、髪、瞳孔、皮膚の著しい色素欠乏と色素変質、身体能力の異常発達から、光永愛歌は重度の 怪獣中毒症状に陥っているものだと判断する、とのことっす」 「再三再四、専門の医療機関の受診と出勤停止命令が下されていたが、光永愛歌は怪獣Gメンの業務を続行し 続けた。それにより、怪獣中毒症状は収まるどころか進行し、現状では末期症状というべき状態」 「通常、あそこまで症状が進行すれば免疫不全や何やらで身動き一つ取れなくなるはずなんだけど、彼女は未だに ぴんぴんしている。怪獣由来の病原体であるゴリラ風邪に感染すると怪獣中毒が中和されるから、一時的に病状が 収まるはずだから、故意にゴリラ風邪の罹患者を横浜に解き放って光永愛歌に感染させたが、治癒しても全く病状が 変わらなかった。その理由をこの僕と辰沼技術少尉と氏家大尉とで考え、議論した末、こう結論付けたんだよ。 光永愛歌は最早怪獣中毒に陥っているという段階を通り越して、彼女が体内に取り込んでいる怪獣――――エレシュキガルと 融合していたのではないのか、と」 藪木が述べた後に秋奈が続け、羽生が締めた。 「……融合? いつから、どうして」 狭間が徐々に顔を上げると、羽生は片目を閉じた。 「それは軍事機密だよ、狭間君」 そんなのは全部嘘だ、デタラメでハッタリで口から出任せだ。そう言い返そうとしても、舌が痺れたかのように 動かなくなった。今までの出来事を思い返し、愛歌との日々を思い起こそうとするも、上手くいかない。ツブラも 動かなくなっていて、麻袋は穀物の袋のように固まっている。どこからが真実でどこまでが嘘なのか、それとも、 怪獣の声が聞こえると思っていることすら嘘だったのか。混乱と動揺と後悔に、心臓を抉られる。 全て、悪い冗談であればいいのに。 15 1/25 |