誰が敵で、誰が味方で、どれが嘘で、どれが真実なのか。 混乱に次ぐ混乱で、狭間は息もろくに吸えなくなってしまった。愛歌を疑いたくはない。だが、後から考えてみると 不可解な言動も多かった。その時は何も知らなかったから、怪獣Gメンはそんなものなのか、とやり過ごしていた。 怪獣Gメンである愛歌がシャンブロウの卵を持ち出すと足が付くから、無関係な狭間を選んで運ばせ、横浜に来る ように指示したのか。だとしたら、なぜ横浜なのだ。東京でもなく、横浜である理由が見えない。 自分が今までしてきたことは、ただの茶番だったのか。誰かを助けられると思って、これまで守れなかったものを 今度こそ守れると信じて、大事なものを手放さずに済むようになると考えていたから、戦い続けてきた。しかし、その 全てはイナンナの末裔とエレシュキガルの末裔を争わせるための前振りでしかなく、狭間は両者の間に挟まれていたもの だとばかり思っていたが、挟まれてすらいなかったのか。 「決断しろ」 田室は項垂れている狭間に、強く言う。 「貴様が怪獣を違法に所持し、違法に使用していたという証拠は山ほど集まっている。それを元に貴様を逮捕し、事件 として立件し、刑罰を科して刑務所に収監されたいというのであれば、この場で貴様の手を後ろに回そう。刑期 が縮むか否かは、弁護士の腕前と模範囚になるかどうかに掛かっている。どう見積もっても、五十年は娑婆に出て こられない。塀の中に入れば、怪獣達も貴様をおいそれと顎で使えなくなるだろう。エレシュキガルとも関わらず に済むようになり、九頭竜会と渾沌との因縁は切れないかもしれないが、連中から接触される機会は格段に減る。 その間、貴様は堅気ではないかもしれないが、それなりに真っ当には生きられる。シャンブロウのことを忘れ、 先程の妄言も忘れ、血族からは疎まれるかもしれないが、塀の外に出れば生きたいように生きられる」 田室の声は力強く、狭間の弱った心を揺さぶってくる。 「或いは、従軍せよ。我ら特務小隊は怪獣使いからの君命を受け、狭間真人、及びツブラと呼称されるシャンブロウ の回収を行うべく馳せ参じた。ライキリ、タヂカラオ、毛髪怪獣の回収に次ぐ重要な任務だ。怪獣使いの玉璽による 特例にてあらゆる試験を免除し、特務小隊への入隊を許可する」 「犯罪者になるか、軍人になるか、選べっていうのか……?」 憤りとも落胆ともつかない感情で、狭間は肩を怒らせる。 「それ以外に、貴様を守る術はない」 田室の口角が僅かに曲がる。 「誰が、俺を」 「怪獣使いだ」 「綾繁枢?」 「そうだ」 田室は即答した。狭間は更なる混乱に見舞われ、奥歯を噛み締めた。懸命に頭を回し、考える、ひたすら考える。 犯罪者になって収監されてしまえば、厄介事からは向こう五十年は関わらずに済む。怪獣にこき使われずに済む ようになれば、当たり前の人間として生きられる。ツブラと別れるのは身を切るほど辛いが、狭間から離れた方が ツブラのためにもなる。怪獣なのだから、人間と同じようには生きられない。愛し、愛されるほど、互いを隔てる溝の 深さを思い知るだけだ。だから、今日の戦いで別れようと決めていた。これ以上ツブラを好きになってしまったら、 どう足掻いても添い遂げられない事実に苦しむだけだからだ。 けれど、従軍したら、怪獣使いに求められるがままに怪獣使いに道具の成り下がったら、ツブラと別れる必要は なくなるのではないだろうか。玉璽近衛隊はツブラを無下には扱わないだろうし、帝国陸軍に守れられるのであれば、 これまでのような無茶な戦いをせずに済むようになる。光の巨人が現れたとしても、玉璽近衛隊を始めとした軍隊 がツブラの援護をしてくれるかもしれない。ともすれば、ツブラが頑張ってきたことが国からは認められるかも しれない。何もかも、可能性に過ぎないのだが。 「ツブラのことは、本当に守ってくれるんだろうな?」 「無論だ。希少な怪獣だ、丁重に保護する」 そこで、狭間は田室と初めて目を合わせた。厳しくも真摯な、帝国軍人の名に恥じぬ面差しだった。 「マヒト……」 麻袋の中から名を呼ばれ、狭間は声だけでも明るくしてみせた。 「大丈夫だ。俺は平気だ。だから、心配するな」 「チガウ! エレシュキガル!」 ツブラの叫びと共に麻袋が膨れ上がり、裂ける。触手が解き放たれて幼い肢体が露わになると、秋奈は拳銃を 抜いたが、田室がそれを制した。程なくして応接間のドアが叩かれ、羽生が開けると兵士が駆け込んできた。 「御報告いたします! エレシュキガルと思しき怪獣が出現し、大広間を!」 「了解した。羽生技術少尉」 田室が命じると、羽生は懐から刃物怪獣ヒゴノカミを出し、ぱちんと刃を出してみせた。 「任務了解」 「もしかして、羽生さんはアレを」 「それ以外に何がある。ねえ、満月?」 たじろいだ狭間に、羽生は少しだけ笑ってみせた。否、狭間の肩越しに見えた愛妻の幻影に笑顔を向けた。ドアを 通ろうとしたが、先程の兵士が行く手を阻んでいた。羽生がその兵士を押しやろうと手を掛けた、が、秋奈が 発砲してその兵士の頭部を撃ち抜いた。狭間がぎょっとすると、額の穴から血を流す兵士の死体が蹴り倒され、 応接間に転がり込んできた。と、同時に二丁の怪銃が投げ込まれ、独りでに宙を舞う。 〈げはははははははははははははははは!〉 クライド、そしてボニー。 〈きゃははははははははははははははは!〉 二丁の怪銃は見えない糸で操られているかのように踊り狂い、でたらめに熱線を発射する。田室はライキリを 秋奈に投げ渡すと、秋奈は慣れた仕草でライキリを翻して熱線を弾きながら怪銃を斬り付けようとするが、使い手の いない銃は素早過ぎて捉えきれなかった。秋奈は縦横無尽に部屋を駆け巡り、壁を蹴り、天井に手を突き、ライキリ を投げるが、それでも怪銃は掴まらない。狭間とツブラを守っているのは藪木で、頑強な肉体に熱線が激突しては 黒く焦げていた。田室は秋奈の奮闘を横目に、左腕の怪獣義肢――タヂカラオを掲げて赤い鞭を繰り出す。 「そこか」 ドアの左脇の壁に赤い鞭が叩き込まれ、鮮やかに切り裂かれた。その出力は須藤の時よりも遥かに強く、光量も 多く、熱線で成された赤い鞭の幅も格段に太かった。ず、と壁が崩れて穴が開くと、ボニー&クライドはその穴 から廊下に逃げ出していき、廊下の一角に控えていた人物の両手に収まった。それが誰なのかは考えるまでもない、 一条御名斗だった。怒り過ぎて無表情になっている御名斗は、二丁の怪銃を握った途端に引き金を引いた。 的確に撃ち抜かれたのは、羽生の手中のヒゴノカミだった。硝煙ではなく高温の蒸気を発する銃口を下げた 御名斗は、田室に照準を合わせる。田室はタヂカラオを掲げ、赤い鞭を挑発的にうねらせる。 「勘違いするな。タヂカラオは、貴様のイロに預けていたわけではない」 「知ってるよ、そいつもカムロもライキリも本来は御嬢様のお守りのために遣わされたんだ。俺だってそうだよ、 本当はそうなんだよ。魔法使いの爺さんが、怪獣使いの出来損ないから生まれた人間の出来損ないの俺を拾って くれたのも、御嬢様を守るためだったんだよ。だけど、俺はあんた達とは違う。あんた達みたいにはなれない。 だから、あんた達から徴集が掛かっても応えなかったんだ。ボニーとクライドだって、俺の武器だ。俺の友達 なんだ。あんた達みたいにはならない、すーちゃんが俺に付けてくれた名前の通りにする!」 御名玉璽を斗わせるもの。激情を迸らせる御名斗に、藪木はちょっと肩を竦める。 「あの警官崩れのヤクザがそんなに良いんすかねぇ」 「そうだよ、すーちゃんは俺に惚れてくれたんだ! だから、俺もすーちゃんに惚れたんだよ! 自分の役割 なんかどうでもよくなっちゃうぐらい! なのに、俺はすーちゃんを助けてやれなかったんだ!」 藪木に何発も熱線を撃ち込み、御名斗は叫ぶ。 「今ならまだ間に合う、中佐のタヂカラオをすーちゃんに戻す! もう一度引き抜いてやる!」 「それは」 〈無理な相談だ〉 田室が左腕を上げると、タヂカラオはいくらか切なげに呟いた。左手の甲に見開かれた赤い瞳から伸びる赤い鞭は 鮮やかに翻り、御名斗の両手ごと怪銃を――――削ぎ落とした。両手首を切断され、御名斗は息を呑むが、出血も 厭わずに駆け出してくる。何がなんでも田室に一太刀与えなければ気が済まないのだろう。 「ぬぇあああああああああっ!」 行く手を阻んできた秋奈を蹴り付け、羽生の射撃を避け、藪木の拳も摺り抜け、御名斗は田室に迫る。それでも、 田室は表情を変えなかった。左手ではなく右腕で御名斗の突進を受け、捌き、足を払ってうつ伏せに倒す。手首 のない両手を後ろ手にさせ、膝で御名斗の背を押さえつけ、田室は静かに述べた。 「これも回収する」 「りょお、かい」 頭部に鈍痛、と呻きながら起き上がったのは、壁際のソファーに突っ込んでいた秋奈だった。 「んで、エレシュキガルが出現したってのは……」 嘘じゃないっぽいすね、と半笑いになった藪木は焼け焦げた外骨格を擦った。九月の生温くべとつく空気が真冬の 如き冷たさに変貌し、屋敷が不気味に軋んでいる。田室はカーテンを開いて窓の外を窺ったが、横浜の夜景は 見えず、闇だけがずっしりと横たわっている。中華街での一件と同じ、いや、それ以上の規模だ。天井の明かりが ちらついて光が弱まるたびに、不安に駆られる。光を失ってしまえば、その次の瞬間にはエレシュキガルが引き摺る 底知れぬ闇――クル・ヌ・ギアに飲み込まれてしまうかもしれない。 これが愛歌から生まれていたものだとは、考えたこともなかった。だが、愛歌はエレシュキガルに襲われても命を 吸われるどころか、生き延びていた。あの時は、エレシュキガルがどういった性質の怪獣なのかを理解していなかった からだ。後にして思えば、あれはエレシュキガルに敢えて襲われることで、愛歌とエレシュキガルの関係性を 誤魔化すための行動だったのだ。最初に出会った時も、それからも、あの時も、愛歌は狭間を騙していたのだ。 おかしなものだ。光の巨人は正ではなく恐怖と死の権化なのに、光の対極に位置するはずのエレシュキガルの闇は それ以上に即物的な死の領域だ。光も闇も恐れていなければならないとは、そのどちらにも希望すら見い出せない とは。人間も怪獣も、光もなければ闇もない灰色の世界に生きろというのか。狭間は愛歌に対する複雑な感情と 神話怪獣達に対する腹立たしさを力に変え、背筋を伸ばした。 「……右手が痺れてろくに力が入らないね、これは」 ああ困った困った、とぼやきながら起き上がった羽生は、左手でヒゴノカミを拾った。怪銃の銃弾が直撃したにも 関わらず、刃には傷一つ付いていなかった。薄っぺらい銀色の板に赤い目が見開くと、羽生は口の中でぶつぶつと 言葉を繰り返しつつ立ち上がった。計算終わり、と言い切り、羽生はヒゴノカミを右手の親指の腹に添えた。 「作戦行動、開始」 薄く研ぎ済まれた刃が男の指先の皮膚に食い込み、うっすらと裂ける。一センチにも満たない切れ目から鮮血の雫が 膨れ上がり、ヒゴノカミに伝うと、怪獣の赤い目がぎょろついた。やはり言葉を発さず、ヒゴノカミの怪獣電波から 僅かに感じ取れるのは感情の高揚だけだった。羽生の血を数滴分ばかり吸い込んだ刃物怪獣は、満足げに目を瞬かせた 後に独りでにグリップに刃を納めた。 「光の巨人が現れる際には異変が起きる。局地的な気温の低下、前触れもなく吹き付けてくる冷風、体温の著しい低下、 怪獣の動きが急激に鈍くなる、といったものだ。だが、それは厳密に言えば光の巨人が現れた後に起きる現象なので あり、光の巨人が出現する前兆ではない。けれど、この僕はその前兆を発見した。それは」 羽生は左手で軍帽を押さえ、右手の親指の真新しい傷口を舐めた。 「物質の化学式が瞬時に変化し、粒子化することだよ」 音もなく、ドアの外の廊下が消える。レンガ造りの頑丈な壁や長年使いこまれた床板が光に濯がれ、綻び、崩れた後、 無数の羽根を帯びた光の天使が降臨した。頭部の輪は小さく、背中の翼も幼いが、威力は巨大なものと同等だ。 箱根での出来事が脳裏を過ぎり、狭間は息を詰める。ツブラは素早く狭間の前に立ちはだかったが、光の天使は ツブラではなく大広間へと身を翻した。 「そして、光の巨人は熱量によって物体を認識しているようでね。だから、人間に危害を加えた怪獣ではなく、より 熱量が多い方へと惹かれる傾向にある。つまり、光の巨人が出現した場合に人的被害を避けるためにすべきこと は、怪獣使いに救いを求めることでもなければシャンブロウに頼ることでもなく、市街地に火を放つことだとこの 僕は結論付けた。ということは、江戸時代に幾度も起きていた大火事は失火でもなければ幕府の陰謀でもなく、 光の巨人に対抗するための手段だったんだろうねぇ。その辺も研究したくなってきたよ」 科学者に戻った羽生は饒舌に語り、一瞬、目を逸らす。その隙を狙い、狭間はツブラの触手の力を借りて両手足の 拘束を外させた。すかさず藪木と田室が取り押さえに掛かってきたが、瞬時にツブラと触手を全身に纏って怪人 エディアカリアと化した。これにはさすがの田室も驚いた様子だったが、彼は訓練の行き届いた軍人なので 触手に臆することなく掴み掛ってきたが、怪獣使いからツブラを傷付けてはならないと厳命されているからか、 ライキリもタヂカラオも使ってこなかった。それをいいことに、エディアカリアは二人を突き飛ばして振り払い、 応接間から脱する。その間にも、光の天使は大広間へと向かって飛んでいく。障害物があればそれを消し、ドアや 壁があれば消失させて摺り抜け、文字通り一直線に進んでいく。 エディアカリアもまた、追いかけた。浸水するかのように床に沿って広がっていく闇に触れないために、触手を 用いて天井に貼り付き、壁を蹴り、柱を蹴り、大広間に迫った。悲鳴と銃声、絶叫と銃火、死に瀕した人間が発する 生命力という名の熱気が膨張している。壁に当たって跳ね返った闇の飛沫を回避し、部屋の隅や角といったところに 溜まった闇から逃れ、大広間の天井の梁を掴んで逆さまに這っていき、つい先程までは祝宴が催されていた部屋を 一望する。泥よりも重く冷たい闇に足を取られ、溺れているのは、ヤクザとマフィアだけではなかった。兵士達も 成す術もなく闇に捕らわれ、不意に出現する触手に引き摺り込まれては絶命していく。震える手から放たれた弾丸 は何も貫かず、天井に穴を開けるばかりだった。 ず、ず、ずるろぉっ。闇が渦を巻き、立ち上がり、人に似た形を作る。エレシュキガルは前回よりも一回り大きく なっており、胸の大きさも尻の肉付きも年増じみた重みがあった。ざわめく赤い触手が二つに分かれ、褐色の肌が 露わになり、緑色の瞳が開く。それはエディアカリアを見据えると、落胆と歓喜を含んだ表情を浮かべた。 〈人の子、その姿は〉 「俺の名は怪人エディアカリア! 鳳凰仮面の意志を継ぐ正義の味方にして、闇を背負う悪の代理人!」 勢いに任せていい加減な口上を述べた後、エディアカリアはエレシュキガルと対峙する。エレシュキガルはツブラ と一体化した狭間を見つめ、物憂げに視線を揺らす。神話怪獣の紛い物から好かれても、嬉しくもなんともない。 羽生が血と引き換えに呼び出した光の天使は光量が低すぎたのか、エレシュキガルが伴っているクル・ヌ・ギアに 近付いただけで弾け飛んでしまった。となれば、やはり、ああするしかない。 〈カーレン、聞こえるかあっ!〉 ありったけの力を込めて怪獣電波を放射すると、闇に打ち寄せられて壁際に追いやられたテーブルが揺れ、その 上に座り込んでいるリーマオの足が動いた。彼女は辛うじてジンフーを助け出し、止血を行ったのか、ジンフーの 左手首には布がきつく縛り付けられている。恐怖に呑まれかけているリーマオは顔面蒼白だったが、エディアカリア の存在に気付くと少しだけ覇気を取り戻した。それに応じて、彼女の両足であるカーレンも僅かに動いた。 〈私に何をさせたいの、人の子?〉 〈俺を撃て!〉 〈今の私じゃ、手加減なんて出来ないわよ? ――――そういうことなのね〉 がしゃん、とカーレンの外骨格の側面が開いて棘が現れる。震えながらも左足を上げたリーマオが目を閉じると、 その足が躍動し、棘が発射された。エディアカリアに気を取られていたエレシュキガルの触手を摺り抜けていき、 シャンデリアの端を砕いた赤い棘は、エディアカリアの下腹部に突き刺さる。何本もの触手がぶちぶちと千切れ、 背中でツブラが痛みを堪えて呻く。猛烈な衝撃と同時に訪れた異物が皮を破り、肉を裂き、腰から背中に掛けて貫通 する。程なくして全身に広がった激痛が胃液の固まりを逆流させ、生温く鉄臭い液体が股間から内股を濡らす。 「マヒト!」 「だ、あ、い、じょうぶだああああああっ!」 現れろ、現れろ、現れろ。お前達が殺したがっていた人の子が、今、正に血を流しているのだから。狭間は触手を 用いて棘を強引に引き抜き、出血量を増やした。血の量に応じて出てくるというのであれば、こんな血はもっともっと 流してやる。さあ来い、光の巨人。その力を見せてみろ。 突如、エレシュキガルの闇が拭い去られて空気が凍り付く。狭間が流した血の一滴が闇に滴ったが、波紋が広がる 前に光が溢れ出した。狭間の血を受け止めたのは、大広間には到底収まりきらない大きさの光の巨人であり、 頭部の大きさから察するに全長五〇メートルもの超大型だった。背部の光輪は二重、背中の翼は八枚、眷属の 光の天使の数は無数。背中の光輪が天井から屋根を両断するように消失させ、闇を飲み込みながら、頭部から肩、 肩から上半身を浮き上がらせる。両腕が出現すると、屋敷の敷地が真っ二つに消え、庭に待機していた兵士が ごっそりと失われた。庭木と塀を粒子化した後、巨大な両手はエディアカリアを抱擁しようとしてきた。冷たい腕が 丸められ、慈母を思わせる仕草で背を曲げてきたところで――――エディアカリアは分離する。 「い、けええええええええっ!」 下腹部に空いた穴から血を零しながら、狭間は声を嗄らす。ツブラの触手によって消失しきっていないベランダに 転がされた狭間は、彼女の戦いを見届ける。ツブラは狭間を一瞥したが、唇を引き締め、エレシュキガルを全ての 触手で包み込む。やはり触手を用いて抗うエレシュキガルを力任せに絡め取り、クル・ヌ・ギアから引き摺り出し、 光の巨人へと投じる。エレシュキガルは赤い繭の内から手を伸ばしたが、その手は誰にも届かず、光の巨人の内へと 吸い込まれた。エレシュキガルを追い縋り、クル・ヌ・ギアも吸い込まれていく。大波が引いていくかのように、 闇が光に喰われていく。そして、闇の濃さに応じて光の巨人も崩れ、光の天使も弾け、闇が光を相殺する。 「ツブラ」 狭間は星の散らばる夜空を仰ぎながら、頬に触れてきた触手に指を絡める。 「火星に行っても、達者でな」 触手は名残惜しげに狭間の唇を求めたが、敢えて触れさせなかった。ツブラはエレシュキガルに絡めていた触手 を解かず、光の巨人に抱き締められた。神々しくも禍々しい抱擁が終わると、光の巨人は薄らぎ、消えた。粒子化 されかかっていた物体が次々に転げ落ち、半端に千切れた手足や頭部や拳銃やナイフや臓物や皿やテーブルや 料理が祝宴を彩った。狭間は破れたジャケットの内ポケットを探り、血を吸い込んだタバコを出し、銜えた。 火星への旅路は一瞬なのか否か。いずれにせよ、生まれ故郷へ無事に辿り着ければいいのだが。狭間の考えた 作戦は成功し、ツブラとの別れも果たし、成すべきことはやり遂げられた。多少の傷は負ったが、名誉の負傷だ とでも思えばいい。ツブラがこれまで受けてきた傷に比べれば、掠り傷に過ぎない。 「俺の女には誰にも触らせねぇ……誰にもだ」 たとえ、相手が帝国陸軍であろうとも。どうせ結ばれないのなら、生きる世界を変えるしかない。真琴には、感謝 してもしきれない。退路という名の活路を見い出してくれたのだから。怪獣と人間は寿命が違うから、いずれは別れ の時が来る。その時を早めただけだ。安物のライターで火を付け、渋い煙で肺を満たし、宇宙を望んだ。 火星は見えなかった。 15 1/27 |