横濱怪獣哀歌




魔ノ法ノ使イ手



 どうしたらいい、どうしなければならない。
 海老塚が去った後、狭間は悶々と考え込んだ。どう考えても、怪獣使いを陥れる手助けをするのはよくない。 成功する保証はないし、万が一成功したとしても、その後が問題である。国家転覆を招きかねない事態を引き起こして 正真正銘の犯罪者になってしまったら、自分の将来だけでなく真琴の将来にも差支えが出る。怪獣使いに代わって 国内の電力供給を掌握出来る立場になったとしても、一日だって保てるはずがない。怪獣使いは、怪獣を操る能力 を引き出す訓練だけでなく、一億もの国民の生殺与奪を握る者が持つべき自覚と知識を叩き込まれている、との ことなのだから。だから、魔法使いとその一派の傀儡にされるのがオチだろうが、当然ながらそれも嫌だ。
 それ以前に、海老塚と敵対したくはない。何度も世話になったのだから、恩を仇で返すような真似はするべき ではない海老塚の命令に従ってもいいことはないが、海老塚の背後には玉璽近衛隊と帝国陸軍があるから、それら を敵に回したら今度こそ命はない。けれど、自分の意思に反した生き方はしたくない。光の巨人によって火星に 連れ去られて果てたであろう両親と皆と、ツブラに恥じないように進んでいきたい。

〈おい、人の子〉

 夜も更け、まんじりともせずにいた狭間の脳内に、突如怪獣電波が突き刺さってきた。

〈その声、カムロか?〉

 では、麻里子共々無事なのか。狭間は徐々に目を見開き、ベッドから跳ね起きた。

〈そうだ、俺だ。畜生、帝国軍人共め。俺だけならまだしも、寄ってたかって麻里子をいじくり回しやがって〉

〈どこにいる?〉

〈俺と麻里子がいる部屋の場所がどこなのか、教えてやりたいもんだが、外にいる怪獣共が何も喋ってくれない もんだからちっとも解らん。余力があれば、ドアの隙間から髪を一本放って飛び回らせるんだが、今は麻里子を 生かしておくだけで精一杯なんだ。額をナイフで貫かれた時の傷がひどくてな、それを治してやらなきゃならない んだ。俺が頭蓋骨の内側に張り巡らせておいた髪が刃を跳ね返したから、脳に損傷はなかったんだが、頭蓋骨に 空いた穴はまだ塞ぎ切れていないんだ。だから、麻里子の意識もまだ戻していない。起こそうと思えばいつでも 起こせるんだが、体がないと動きようがないし、さすがに可哀想だからな〉

〈麻里子さんの体はどうなったんだ?〉

〈帝国陸軍は麻里子の首以外には価値を見出していなかったらしくて、ジンフーの屋敷に放り出されたままに なったってことまでは覚えている。九頭竜会の連中に仁義があれば、麻里子の体は無事かもしれないが……〉

〈まだ生娘でいる保証まではないよな〉

〈九頭竜会と渾沌の抗争に終止符を打つどころか、火に油を注いじまったからな。ジンフーが腹いせに麻里子の体 を滅茶苦茶にしたとしても、なんら不思議はない。総司郎が元気なら力づくで奪い返しただろうが、あいつも腹を 裂かれちまったからなぁ。これまでは何度も怪獣の体液を輸液していたし、辰沼の腕があったから生き延びてきた んだが、その辰沼も帝国陸軍に戻っちまった。こりゃ、いよいよダメだな〉

〈須藤さんも左腕が外されちまったし、御名斗さんも両腕切られちまったしなぁ……〉

〈当てになりそうなのは寺崎だけだが、あいつも無傷でいるとは思い難いしなぁ〉

〈前途多難だな〉

〈お互いにな〉

 いつになく気弱なカムロは、怪獣電波の出力を緩めた。

〈ところで、この怪獣電波って……〉

 怪獣人間にも怪獣電波は通じるのだから、藪木と秋奈に傍受されていない可能性は否めない。狭間が内心で びくつくと、カムロの声色が変わった。狭間の懸念を察知し、怪獣電波の周波数を変えてくれたようだ。

〈これで良し。怪獣人間に通じる怪獣電波はチャンネルが限られているが、人の子はそうじゃないからな。 どうだ、こっちの電波でも良く聞こえるだろ?〉

〈ああ、はっきりと〉

〈んじゃ、話を続けよう。人の子、俺と麻里子を連れて逃げてくれないか〉

〈そう来ると思ったよ〉

〈はははは、解ってんなら話は早ぇ〉

〈無茶苦茶言うなよ。ここがどこだか解らないんじゃ、逃げ出せるわけがないだろうが。増して、この屋敷を護衛して いるのは天下の玉璽近衛隊だ。カムロが万全であっても勝ち目は薄いのに、普段の三割以下程度の力しかないんじゃ、 逃げ切れるわけがない。他の怪獣共も当てにならないし、何より俺の体が鈍りまくっている。走ったところで、 すぐに息切れしちまうよ。手詰まりなんだよ〉

〈他に俺らの話に乗ってくれそうな奴がいれば、そいつを利用してやるんだが〉

〈怪獣か、人間か?〉

〈この際、どっちでもいい。口説き落とせればこっちのもんだ〉

 だが、それが一番の問題なのだ。狭間は渋面を作り、嘆息した。

〈ところでカムロ、お前は帝国陸軍の所有物だったんだな〉

〈俺は一度だってそう思ったことはねぇよ。他の連中は魔法使いと玉璽近衛隊に染まっていきやがったが、俺から してみりゃ、そんなのは下らねぇ与太話だ。大体、人間が作った枠組みに怪獣が填まる義理はねぇんだよ。だが、 麻里子は違う。こいつだけは別格だ〉

〈あーはいはい〉

 カムロの惚気をあしらったが、狭間はカムロに釣られてツブラへの恋しさが蘇ってきた。一度会いたいと思って しまうと、そのことしか考えられなくなってしまう。無事に火星に帰れたのだろうか。ツブラが生まれた場所は火星の どこにあるのだろうか。火星怪獣達はツブラを除け者にはしないだろうか。エレシュキガルはどうなってしまった のだろうか。光の巨人が入口だとすれば、出口もやはり光の巨人なのだろうか。光の巨人の発生源も火星にあるの だろうか。それとも、イナンナの故郷の金星にあるだろうか。

〈おい〉

 火星。遥かなる赤き星。かつては文明が栄えていたが、今は荒れ果ててしまった惑星。

〈おい!〉

 ツブラの赤い触手は、火星の赤い大地に映える色味だ。幼い肢体を包む滑らかな肌の青白さは眩しく、最近少し ばかり大人びた表情を浮かべるようになった赤い瞳は煌めくように輝き、他の怪獣とは比べ物にならないほどの 色香を含んでいる。人間のそれとは造りが違う口から発せられる言葉はいつまでたっても片言だが、語気の端々 には感情の機微が織り込まれている。白く小さな手はひんやりしているが柔らかく、少女と幼女の境目辺りの 体形のままの体を抱き締めると、まろやかな子供特有の匂いがかすかに鼻腔をくすぐる。薄い唇を開かせると、 体液でぬるついた細い触手が舌の位置に収まっていて、その触手を舌に絡められながら喉の奥に触れられると、 異物感と共に訪れる得も言われぬ感覚に欲情を煽られる。いずれは成人女性のように肉厚になるであろう尻と 華奢な太股と、その奥に隠されている――――

〈ぅおいっ!〉

 カムロに力一杯怒鳴られ、狭間はようやく我に返った。

〈あ、お、俺……〉

〈人の子が天の子にムラムラしてんのはよーく解ったが、それを俺にまで流し込むなよ〉

〈その、なんか、申し訳ない……〉

 恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。狭間は赤面し、ベッドに潜り込んだ。カムロも狭間の情欲の固まりを 見せつけられて戸惑っているらしく、遠慮がちに話しかけてくるようになった。その気遣いが却ってやりづらく、狭間は ちょっと泣きたい気分になりながらも話し合いを続けた。しかし、どちらも打開策は浮かばず、そうこうしている うちに朝になった。東側の窓が白み、薄い雲が散らばる空が藍から紫、紫から青に変わっていった。
 一睡もしなかったから、今頃になって眠気がやってきた。半端に開いたままのカーテンを閉めてしまおうと、狭間は 怠惰な動作でベッドから降りて窓に近付いたが、突然朝日が遮られた。何事かと仰け反ると、窓がこつんと弱めに 小突かれた。淡い輪郭を纏った巨体を見上げ、目を凝らしてみると、その姿には見覚えがあった。棺を担いだ従属 怪獣、ヒツギである。窓に顔を近寄せてきたヒツギは、怪獣電波で話しかけてきた。

〈失礼ながら、御二方の会話を聞かせてもらった〉

〈お、おう〉

 狭間が気圧されつつも頷くと、カムロが言い返した。

〈怪獣使いの愛玩動物が、強硬派の中の強硬派たるカムロ様に何の用だ!〉

〈枢様を一時でも長らえさせることが出来るのであれば、私はいかなる任務も成し遂げると胸に誓った。だが、カムロを 用いて枢様を長らえさせるという手段だけは頂けない。枢様の美しい御髪を剃り落されるばかりか、カムロのような 下品で下劣で外道な怪獣と結合させられると思うと気が狂いそうになるのだ。しかし、現状では枢様の御体を治せる薬 や治療法など存在していない。枢様は、限界を迎えておられる〉

 ヒツギは項垂れて前のめりになり、みしり、とガラスを軋ませる。

〈枢様は、ウハウハザブーンに乗って海で遊んだことを幾度となくお話になる。生まれて初めて海に入って、水着を 着てサーフィンをしたことがとても楽しかったと話す時だけ、笑顔を取り戻しになられる。悲様……御姉様に会えた ことも嬉しかったのだとも。怪獣使い同士の感覚で、光永愛歌は悲様なのだと存じておられたのだ。もう一度、いや、 ほんの一時でもいい。枢様を外に連れ出してはくれまいか、人の子よ。枢様のためならば、力は惜しまぬ〉

〈本気か?〉

 そんなことをすれば、枢もヒツギもただでは済まされない。躊躇う狭間とは裏腹に、ヒツギは強く言い切る。

〈無論だ〉

〈どうする?〉

 狭間がカムロに問うと、しばしの間の後、カムロは応えた。

〈他に当てもないことだしなぁ。背に腹は代えられん〉

〈解った。ここから脱出する時には、お前の力を借りる。枢さんも連れていく〉

〈我が意を汲んでくれたことに感謝する、人の子。して、脱出を決行する日取りだが〉

〈とりあえず、ここがどこでこの建物がなんなのかを教えてくれないか? でないと、作戦の立てようがない〉

 狭間が長きにわたる疑問をぶつけると、ヒツギは四本指の一本を立てて円を描いた。

〈ここは帝国陸軍の基地であり、怪獣使いが孵化したての怪獣に洗礼を与える地であり、島自体が怪獣そのもの でもある印部島だ。小笠原諸島の南端に位置していて、人の子が自力で脱出するのはまず不可能だ〉

〈島ぁ!?〉

 てっきり、どこぞの山奥にある旧華族の屋敷を改修した収容所だとばかり。狭間が面食らっていると、ヒツギは 背中に担いでいる棺を開けて真日奔の地図を取り出すと、広げてみせた。伊豆半島から連なる島々を辿っていき、 辿り、更に辿ったところで、ようやく印部島が現れた。地図の縮尺を元に、親指と人差し指を使ってざっと距離 を測ってみたが、横浜からは一三〇〇キロ近く離れている。移動手段がなければ、本土に帰ることはまず不可能だ。
 だが、また新たな問題が浮上した。それほどの長距離を移動すれば、どうしても人目に付く。海を哨戒する 軍艦に見つかれば、最悪、撃ち落とされる。となれば、どうするべきか。綿密な計画を立てなければ命取りだが、 枢への施術が始まる前に動かなければ意味がない。
 さて、どうしたものか。





 


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