横濱怪獣哀歌




印部島電撃作戦



 それから、更に一ヶ月が過ぎた。
 狭間と怪獣達による印部島脱出計画は、決して失敗が許されない。見つかれば最後、狭間の命と綾繁枢の命は ない。印部島からなんとか逃げ出しても、玉璽近衛隊と印部島を護衛している帝国海軍からも逃げ切り、更には 本土に辿り着かなければ。そして、上陸して安全なところに身を隠さなければならないのだが、本土の誰かと 連絡を取ろうにも、電話も使わせてもらえないし、手紙も出させてもらえない。だから、使えるのは怪獣電波 だけなのだが、狭間が発する怪獣電波の周波数では怪獣人間である特務小隊の面々に傍受されかねない。特に、 一度狭間と怪獣電波で交信したことのある辰沼京滋技術少尉には警戒しなければならないので、怪獣電波の 周波数を何度も変え、場合によっては言葉は控えて映像だけでやり取りした。
 なので、細心の注意を払いながら、狭間はヒツギの目を通じて印部島と収容されている建物の全容を把握した。 怪獣電波で思念もやり取り出来るのだから、目に映ったものも直接受信出来るのではないのか、と考えて実行に 移してみたのだが、最初の頃は思うようにいかなかった。怪獣であるヒツギの視界は人間のそれとは違っていて、 色も違えば捉えられるものも違う。人間の眼球では視認出来ない温度が色として見えるので、そのせいで日なたは 真っ赤に染まり、薄暗い影は真っ青に染まっていた。なので、それに慣れるまでにまず時間が掛かったが、苦労 の甲斐あって印部島の地形と建物の内訳が理解出来た。
 印部島は小笠原諸島の火山列島の南端に位置しており、戦時中に激戦地となった硫黄島からはそれほど離れて いない。面積は二〇平方キロ弱で、小型のプロペラ機が離発着出来る滑走路を備えた航空基地があり、船着き場 には若竹型駆逐艦・芙蓉が停泊している。例によって怪獣動力器官を搭載しているが、芙蓉は狭間が何度話し掛け ても答えようとしなかったので、戦力には加えられなかった。マニラ湾でアメリカの潜水艦から雷撃を受けて 沈没したはずなのだが、と狭間が不思議がっていると、これもまたヒツギが説明してくれた。沈没から数年後に 芙蓉は自力で浮上し、日本近海を彷徨っているところを玉璽近衛隊に鹵獲されて改修されたらしい。

「玉璽近衛隊って、そんなに裕福じゃないのか?」

 怪獣使いの護衛という誉れ高い職務を務めているのに、使っている軍艦は一度沈没した船なのだから。狭間は 廊下の窓から見える芙蓉の船尾を見、独り言を漏らした。近頃は部屋からは出させてもらうようになったが、外には まだ出させてもらえないので、窓から外を窺うのが精一杯だった。

「それは聞き捨てならんが、誤りではない。予算の大半は怪獣使いに持っていかれるからな」

 突如返事が返ってきて、狭間は心臓が跳ねた。軍靴を鳴らしながら歩み寄ってきたのは、ライキリを帯刀して いる田室正大中佐だった。狭間はどう取り繕おうかと考えていたが、上手く言葉が出てこず、結局黙って しまった。狭間よりも頭一つ背の高い田室は、鉄格子の填まった窓越しに港を見やる。

「以前、私は海軍に所属していた」

「で、では、玉璽近衛隊に引き抜かれたんですか」

 狭間はどう接したものかと困惑しつつも、話を振った。

「復員した後にな」

 田室は滑走路のある方角を見、眩しげに瞼を狭めた。

「貴様、身内に海軍に志願した者はいるか?」

「父方の親戚と母方の親戚が帝国海軍に従軍しましたが、皆、五体満足で帰ってきました」

「そうか、それは何よりだ。私は艦上機に乗っていた」

「零戦ですか?」

「いや、流星だ」

 田室は左腕のタヂカラオを軽く握り、爪で叩く。外骨格の硬い音が跳ね返る。 

「一介の飛行機乗りとして一生を終えるはずだった私に転機が訪れたのは、硫黄島でのことだった。マリアナ諸島 の戦闘を終えた後、硫黄島の敵艦隊に空襲を行ったんだが、敵機にケツを取られて銃撃されてしまった。右腕一本 で着陸をこなしたが、その後が地獄だった。思い出したくもない」

 死傷者が極めて多かった戦闘だということは、狭間も知っている。だが、それはあくまでも新聞や本を通じて のものでしかない。田室はライキリの柄を握り、喉の奥で低く呻いた。

「硫黄島は、とにかく水がなかった。辛くも勝利して敵艦隊を本土へは行かせなかったが、犠牲が多すぎた」

「撃墜された戦闘機を解体して、その怪獣の体液を飲んだんですね」

 狭間はやや目を伏せ、呟いた。子供の頃、父親が読んでいた雑誌をめくってみたところ、硫黄島での戦いから 生きて戻ってきた兵士の壮絶な体験談が書き記されていた。それを読んだ日の夜は寝付きが悪く、うなされたことも 今でもよく覚えている。

「そうだ。私のように怪獣人間になれた者は幸運だった。そうなれなかった奴らは、何にもなれなかった」

 まだ硫黄島には英霊達の遺骨がある、と田室が呟くと、彼の左腕となったシニスター――もとい、タヂカラオが 手の甲で目を見開いた。赤い眼球がぎろりと動き、狭間に視線を突き刺してくる。

〈あの戦いの功労者は怪獣使いなんかじゃない、魔法使いだ。友軍のシュヴェルト・ヴォルケンシュタイン魔術少尉が いなければ、火山列島近海で眠りこけていた、夏場の風物詩に成り下がっちまった護国怪獣達を呼び起こして 敵艦隊を後ろから潰してくれなければ、東京が空爆されていただろうさ。その勝利があったから、三度目の大戦 は勝てたんだ。それなのに、怪獣使い共はそれを認めないどころか、護国怪獣共を動かしたのは自分達だと公文書 に記録しやがった。海老塚も怒るわけだぜ〉

「ヴォルケンシュタイン魔術少尉の名前なんて、俺が知る限りはどの新聞にも本にもなかったぞ。それじゃ、怪獣使い は魔法使いの栄誉を認めるどころか、横取りしたってことか?」

 憤慨しているタヂカラオに狭間が返すと、田室は左腕の意思を感じ取ったのか、指を開閉させる。

「私が言いたいことを先に言ったのか、貴様は。まあいい、要はそういうことだ。玉璽近衛隊がマスターの下に付く までは、あの人は実に孤独に戦い続けていたよ。怪獣使いに慕われるよう、好かれるよう、乞われるよう、怨敵 にひれ伏していた。懐に潜り込んで心臓を貫くためなら、己の誇りを蔑ろにすることすら厭わない男だ」

〈んで、耐えて耐えて耐え抜いていたところに人の子が現れた。マスターは俺達怪獣の言葉は解らんが、表面温度と 硫黄の匂いである程度の意思は感じ取れるから、人の子が怪獣に近付いた時に怪獣の体温変動が激しくなることを 知って、人の子が怪獣に対して何かしらの影響を及ぼせる力があるのだと感付いたんだろう。斥候として船島 集落に送り込んだ丹波元は浅はかだったから、目的を見失って蛮行に及んじまったんだけどな〉

 つまり、海老塚の反逆は復讐であると同時にヴォルケンシュタイン家の復権を果たすための戦いでもあるのだ。 彼の戦争はまだ終わっていない、いや、これからが本番なのだ。穏やかな面差しで喫茶店を経営していた老紳士の 素顔を知れば知るほど、その業の深さに打ちのめされる。

「でしたら、秋奈さんは……どうして怪獣人間になられたんですか?」

 田室はともかく、秋奈は怪獣人間となる理由が見当たらない。狭間は躊躇いつつも疑問を口にすると、帝国軍人は 双眸に並々ならぬ怒りを宿したが、すぐにそれを収めた。 

「私は娘が四人いるんだが、秋奈は特に体が弱かった。二人の姉と末の妹は元気に育っているのに、秋奈だけは いつまでたっても小さいままで、いつも寝込んでいた。方々手を尽くして医者を探したんだが、体質的なものだから 根本的な治療が出来ないのだという。些細なことで高熱を出して、少しでも腹を壊せば血を吐くほど吐き返し、日に 長く当たり過ぎれば肌に火膨れが出来て、一時間と起き上がっていられないのが、体質で済まされるというのか?  秋奈が苦しめば苦しむほど、妻も三人の娘達も苦しんでしまう。医者に掛かる金も馬鹿にならないが、秋奈の命は 常に風前の灯火だ。しかし、妻が苦労して生んだ四つ子の一人であり、私の掛け替えのない娘だ。秋奈はいつも 言っていた、死にたくない、外に出たい、元気になりたい、と。その時、私は思い出したのだ。今、己のうちに 流れている血潮に混じる、人ならざる力を」

 だが、と田室は口角を下げた。

「怪獣使いに何度掛け合っても、秋奈を怪獣人間と化す施術を許してはくれなかった。怪獣の体液どころか肉片の 一つでさえも寄越してくれなかった。戦時中はあれほど安易に怪獣人間を作り、前線に送っていたというのにだ。 怪獣使いが当てにならないのであれば、他を当たるしかない。そこで、私は魔法使いに接触した。横浜の裏社会に 紛れ込んでいた闇医者は、怪獣人間である藪木丈治を匿っていた。藪木は戦中末期に作られた陸戦型怪獣人間で、 ソロモン諸島の上陸作戦ではかなりの戦果を挙げたんだが、外見が怪獣に成り果ててしまったために復員しても 日常生活を送れなくなっていた。だから、魔法使いの弟子である辰沼京滋に治療してもらっていたが、働いて金を 稼げないから治療費が払えない、ということで藪木は辰沼の用心棒をしていた。そこでようやく、秋奈は怪獣の 体液を投与してもらったが、余程相性が良かったんだろう、目に見えて体調が回復した。そればかりか身体能力が急激 に上昇し、軽業紛いのことも出来るようになった。但し、その弊害として髪と目が赤く染まり、逆に肌は紙のよう に真っ白くなり、定期的に一定量の怪獣の体液を投与しなければ免疫不全を起こし、最悪死に至る。だが、怪獣の 体液を入手するためには真っ当な手段では手に入らない。秋奈のために裏社会に身を窶すべきかと考えていた時、 玉璽近衛隊から声が掛かった。海軍を退役した私だけでなく、秋奈にも、藪木にも、そして辰沼にも」

 現金なもんだよ、と吐き捨てた田室は、帝国軍人としての外面が少し剥がれていた。

「その理由は、怪獣使いの綾繁枢の護衛を強化するためだ。綾繁定の一存で決められたことであり、私達の意思 などあるわけがない。玉璽近衛隊であれば怪獣の体液も手に入り、私の左腕に代わる怪獣義肢も与えられ、藪木の 怪獣義肢と脳の融合を阻むための治療も行えるようになり、有能な部下も得られたが、それはそれだ」

 だから、田室は内側から怪獣使いを突き崩すために動いている。憎むべき相手の味方として動き、大義と忠義を 抱いているように見せかけながら任務をこなし、その時が来るまで耐え抜いていた。海老塚といい田室といい、愛情 を糧とした復讐心は恐ろしく濃い。だが、それは決して他人事ではないのだ。狭間もツブラを殺されていたら、 彼らのように戦う道を選んでいたかもしれない。

「従軍すると進言してくれれば、貴様を玉璽近衛隊に引き入れよう。今の私には、それだけのことが出来る」

「前にも言いましたけど、俺はあなた方には味方しませんよ」

「それは、野々村が執心していた正義の味方というやつか。奴は優れた軍人になれたものを、そんな絵空事に 耽溺した挙げ句にあの最後とはな。その野々村に心酔している貴様も大概だ」

 刺々しい言葉で、狭間の頭に血が上る。が、ここで怒ってもどうしようもない、と怒気を収める。 

「外に出たければ、怪獣使いに忠誠を誓うふりをして魔法使いに忠誠を誓え。貴様が生き延びる道は、それしか 残されていない。弟を大学に入れてやりたいんだろう? 玉璽近衛隊となれば、それぐらいの金は工面出来る」

 そう言い残し、田室は去っていった。その足音が遠ざかっていくと張り詰めていた緊張が緩み、狭間は嘆息した。 いつのまにか息も詰めていたらしく、深呼吸を繰り返す。それから、建物の外にいるヒツギに手を振った。怪獣電波 を送ってくれ、という合図だ。窓からは死角の位置に潜んでいたヒツギは、狭間が手を振った時に生じる怪獣電波の 僅かな変化を感じ取り、怪獣なりに暗号化した怪獣電波を発してきた。

〈外はどうだ〉

〈芙蓉は当てにはならんが、使えそうな船と連絡が取れた〉

〈そうか、やっと見つけたか!〉

 この一ヶ月、ヒツギがどれほど探しても、狭間らを乗せてくれる船は見つからなかったのだ。狭間は内心で歓喜 してから、壁に寄り掛かって目を閉じると、ヒツギが見ている景色が見えた。温度を視認出来る怪獣の視界は色とり どりで、特に赤いのが芙蓉が停泊している港とこの建物と、その背後にある火山怪獣だった。印部島の中心には 熱量が下がった怪獣達をマグマの中に戻せる河口があり、硫黄島に次いで高頻度で怪獣供養が行われる。そこから 海面に目線をやると、印部島から五キロ圏内の海中に赤く熱した巨大なものが三つ沈んでいた。

〈まさか……潜水艦か?〉

〈最も大きい個体が伊四〇八型潜水艦、中くらいの個体が呂三九型潜水艦、小さい個体が波七型潜水艦だ〉

〈いやいやいや。でも、そいつらって沈没したか解体されたんじゃ〉

〈芙蓉と同様、玉璽近衛隊が改修したのだ。波七型だけはな〉

〈じゃ、伊四〇八型と呂三九型は〉

〈敵艦の魚雷を喰らって沈没したが、自力で再浮上して印部島近海まで泳いできたのだ〉

〈そりゃまたどうして〉

〈あたしらがすっげー暇だからに決まってんだろ!〉

 と、唐突に狭間とヒツギの会話に割り込んできたのは、少女じみた甲高い声だった。無論、怪獣である。

〈そうだ。僕は退屈している。イッチーと同様に沈没した後に浮上したはいいが戦争は終わっていた。僕達の ように自力で動ける艦船は多い。だがどれもこれも大鑑巨砲主義を引き摺っている。だから話が合わない。音楽 の趣味もクソッ垂れだ。軍艦マーチは聞き飽きた。本土から流れてくるラジオにはメタルがない。クソッ垂れな 流行歌ばかりだ。メタルが足りない。メタルをくれ〉

 平坦で抑揚は抑えめだが、その内に激情を秘めた怪獣の声もまた聞こえてきた。こちらは先程よりもやや 声色が幼く、人間に例えるならば十五歳程度の少女といったところか。

〈わあーい、人の子だぁー。初めてだあー。あれだよね、えっと、ええと、うーん……なんだっけ?〉

 また別の怪獣の声が聞こえてきたが、こちらはもっと幼く、少女というよりも幼女と言っても差支えない ほどだった。ヒツギによると、最初の蓮っ葉な口調の怪獣が伊四〇八型潜水艦、通称・伊号。二番目の平坦では ありながらも饒舌で音楽へのこだわりが強い怪獣が呂三九型潜水艦、通称・呂号。最後の幼女のような口調で 忘れっぽい性分の怪獣が、波七型潜水艦、通称・波号。

〈他の怪獣共は暇なくせして人の子に構おうとしねーからさー、あたしらが構ってやろうってわけ〉

 ヒツギ越しの視界の中、海中にて赤く火照った伊号の巨大な艦体が艦尾を揺する。

〈その理由は簡単だ。あの結婚式の際に人の子がぶちまけた言葉を真に受けている連中も少なくないからだ。 人の子に関わったら神話怪獣同士の戦いに駆り出されると思っているからだ。神話怪獣に楯突くのは最高に ロックじゃないか。なぜそれを怖れる。腰抜け共めが〉

 伊号の後方にて、呂号が艦首を上向かせる。

〈はーちゃんはねー、イッチーとロッキーと一緒に遊ぶのが好きなんだあ。だから、人の子がやろうとして いることとかは良く解らないけど、面白そうだから一緒にやるぅー。ずっと印部島の見張りをやらされて いて、つまんなかったんだもーん〉

 二つの潜水艦の後方にて、一際小さい潜水艦、波号がくるりとターンした。

〈だ、そうだが〉

 判断は人の子に任せる、とヒツギは付け加えた。狭間はカムロにも意見を求めたが、潜水艦は味方に付けて おいて無駄にはならんだろう、と返ってきたので、彼女達の協力を受け入れることにした。だが、一度沈没した 潜水艦が果たして使い物になるだろうか。波号はともかく、伊号と呂号は海水やら砲弾やらが艦内にたっぷりと 入っているはずだ。となれば、本土へ移動するために使えるのは波号だけで、伊号と呂号には別の目的で動いて もらうことになるだろう。だとすれば、思い切り派手なことが出来そうだ。
 相手は帝国陸軍だ、手加減すべきではない。





 


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