印部島の大まかな地図はこうである。 島は噴火した火山と一体化している怪獣によって成り立っており、やや歪な楕円形で、火山ガスや噴煙によって 島の東側は草の一本も生えなくなってしまったが、逆に西側は森が茂っていて水場もある。帝国陸軍の施設や港 があるのは西側だが、滑走路が作られているのは東側である。砂浜があるのも西側だけで、東側には切り立った崖 ばかりあり、海底もまた西側は遠浅だが東側は岩礁だらけで船はまず通れない。なので、芙蓉も西側だ。 物資の補給を行うために本土から定期連絡船がやってくるのは週に一度で、金曜日の午後に到着し、土曜日の 朝に出発する。航空基地には、帝国海軍が戦争末期に開発したはいいが諸事情で実戦配備されずじまいだった 艦上爆撃機、彗星五四型改め電影が配備されており、三時間ごとに飛び立っては周辺海域を哨戒している。海中 に控えている波七型潜水艦は不審な怪獣や船がいないかどうかを海底から見張っているが、基本的に無人艦と して運用されており、整備点検を行う時以外は誰も乗っていない。二本だけ装備されている45センチ魚雷を 発射する権限は田室正大中佐が持っていて、波号の独断では発射出来ないようになっている。 そして、狭間と綾繁枢と九頭竜麻里子の首が監禁されている建物は、戦時中に帝国海軍の基地として使用されて いたものを改修したのだが、基地だというわりには兵舎はなく、構造がかなり妙だった。航空基地と基地本体 がくっついていないことからして変なのだが、狭間が住まわされている部屋はロの字型に建てられた建物の中央に あり、要は中庭に置かれた離れだった。本来は貴賓室として使うはずだった部屋だ、とヒツギは説明してくれた のだが、それで納得が行った。外からは見えづらく中からは出づらく、基地の本棟に入るには渡り廊下を通るしか ないのだが、渡り廊下を通る様はどの方向からでも見張れるし、本棟ではいつも誰かしらが見張りに立っている ので人目を盗んで逃げるのはまず不可能である。 枢が閉じ込められている部屋は狭間の部屋からは離れていて、ロの字型の本棟の東側の角部屋で、外の景色は 見えるが窓の真下は崖で、その下は波の荒い海だ。治療の甲斐あって枢の体調は比較的安定してきたが、長距離 を走らせるのはまず無理なので、脱出計画を実行する際には弱い睡眠薬を盛って眠らせておく、とヒツギは言って いた。そのための薬は背中に担いだ棺の中に用意してあるそうで、用意周到である。 最も厄介な場所にあるのが、九頭竜麻里子の生首が保管されている部屋だ。彼女とカムロは二人と違って人間 扱いされていないので、地下倉庫という名目の地下牢に収められている。そこに入るための階段は一つしか ない上、その階段があるのは玉璽近衛隊の隊員達の詰所となっている部屋があるので、何事もなく通れるはずが ない。となれば、やはり。 〈ぶち壊すしかなさそうだ〉 狭間は地下牢のカムロから送られてきた怪獣電波に、半笑い気味に返した。 〈言うのは簡単だが、どうやるんだよ〉 印部島脱出計画の発足から一ヶ月以上過ぎたので焦れているのか、カムロの語気は苛立っていた。 〈伊号に手伝ってもらう〉 貴賓室の名に相応しい内装の部屋の中から、伊号が留まっている方角を窺う。 〈そりゃ、あいつは魚雷を積んでいるが、魚雷を空中に発射出来るわけがないだろ。機関銃も当てにならん〉 〈いや、そうじゃない。もっと簡単な方法で攻めてもらう〉 そう言いつつ、狭間は思念だけでカムロに伝えると、カムロの発する怪獣電波が波打った。 〈おいおいおい、デタラメだな!〉 〈その作戦は大胆ではあるが、成功させるには伊号自身の推進力が高くなければ難しいのでは?〉 すかさず、ヒツギが割り込んでくる。怪獣電波を発してきた方角から察するに、枢の部屋にいるようだった。 〈あと、なんだ。えーと、射出機がないと無理だろ〉 ステイツの航空母艦の甲板にあるやつみたいな、とカムロが言うと、彼が過去に目にしたであろう連合国のミッド ウェイ級航空母艦の映像が狭間の瞼の裏に飛び込んできた。超高電圧の発電怪獣を搭載した正規空母ともなれば 蒸気式カタパルトを装備しているが、それを使っても潜水艦を発射出来るわけがない、とカムロは否定的な感情 まで伝えてきた。実際、そうではあるのだが、それはあくまでも有人の場合である。 〈伊号は戦時中は馬力が制限されていたが、沈没した時に怪獣能力を制御するための真空管式電圧整流装置が水圧 やら何やらで壊れたらしくて、推力が倍以上に跳ね上がっているんだよ。艦体に空いた魚雷の穴は自力で塞いでは いるんだが、排水装置は上手く作動しないらしくて浮上するのは難しいそうだ〉 〈だったら、尚更伊号は使えねぇじゃねぇか〉 不満げなカムロに、その伊号が反論してきた。荒っぽいモールス信号と共に。 〈馬鹿言うんじゃねーし! あたしの腹ん中にはな、海水だけじゃなくて炭酸ガス発生怪獣が入ってんだよ!〉 〈あー、三ツ星サイダー製造機の〉 〈そりゃそうだけど、あれは副産物であって本来は消火設備だし!〉 〈潜水艦乗りってのは随分と汚かったんだろ? なあ伊号、当時はどんな気分だった?〉 〈あー……思い出させるんじゃねーし……。実戦配備されたばっかりの頃は奴らの不潔さに慣れなくて、あたし は何度あいつらを腹から放り出そうかと考えたか解んねーよ……。配給される真水が一日一リットルだけだから、ろく すっぽ風呂に入らないし、歯も磨かないし、顔すら洗わないっつーか洗えないし、便所の後は布で手を拭くだけ だし……。その便所ってのは潜航中は諸々の都合でただのバケツになるんだけど、あたしが波に揺られちまうと もちろんそれがひっくり返って……うああああああああああ!〉 伊号が暴れたのだろう、沖合いで鈍い振動が起きた。 〈それじゃ、呂号はどうだった? 潜水艦乗りは総じて不潔なのか、うん?〉 〈だとしたらどうする。僕があいつらに対して未だに感じている憤りをぶつけさせてくれるのか〉 〈そうだそうだ、是非とも俺に聞かせてくれよ〉 興味津々で呂号を問い詰めるカムロに、狭間はげんなりした。 〈なんでそんなことを聞きたがるんだ〉 〈生意気盛りの小娘みたいな性分の怪獣の腹の中に、むさ苦しくて汚い男共が詰め込まれていたと想像してみろ、 なんだかムラムラしてくるじゃないか!〉 〈しない〉 〈せんぞ〉 妙なことに興奮しているカムロに、狭間とヒツギは冷ややかな思念をぶつけた。 〈えー、そうなんだー。イッチーもロッキーも、色んな男の人にぐちゃぐちゃに汚されたんだあ〉 唯一実戦配備されなかった波号は、二隻の過去を単純に面白がっている。 〈はーちゃん、その言い方はちょっとやめてくんね。なんか泣けてきそうになるから〉 〈文字通り水面下で帝国海軍を支えていた僕の過去は穢れている。物理的にも。だが誇りにも思っている。だから あまりそういうことは言わないでくれないか。……自尊心までが穢されてしまいそうになる〉 〈なんかよく解らないけど、はーい〉 意気消沈した伊号と呂号に、波号は明るく返事をした。 〈で、伊号。その炭酸ガス発生怪獣は使い物になるんだな? それを漏らさない程度の気密性はあるんだな?〉 狭間が本題に話を戻すと、伊号は答えた。 〈おー。隔壁とか配線は治し切れなかったけど、ハッチは開閉出来るまでには回復させたし、排水は全部じゃねーけど 出来ないこともねー。自力浮上は無理くせーけどな〉 〈呂号。魚雷は使えるか?〉 狭間は呂号に訊ねると、呂号も答えた。 〈使える。但し材料は僕が掻き集めた資材で作ったもので正規の魚雷ではない。よって射程距離は短く推進力も大した ことはないが爆発力はある。良い音の出るバブルパルスを作り出せる〉 〈ねー、はーちゃんは? はーちゃんは何をすればいいの? 人の子、教えて教えてぇ〉 波号の怪獣電波がまとわりついてきたが、狭間は再び伊号に訊ねる。 〈伊号、お前は電算機を積んでいたんだったよな?〉 〈ん、まーな。怪獣式電算機っつーか、要はあたしの脳に電極繋いで電線繋いでばちばち数字打ち込んで、あたしが そいつを計算して、紙テープにべちべち穴を開けてやったんだよ。んで、その紙テープを他の艦船やら電算機やらで 暗号解読に役立てていたってわけ。電算機はまだ使えるけど、紙テープは入らねーし。錆びちゃってよ〉 〈無線も使えるか?〉 〈は? 無理だし。つか、怪獣電波式無線で精一杯だし、ソナーは治せなかったからロッキー頼りだし〉 〈呂号、無線は?〉 〈同上。無理だ〉 〈はーちゃんは無線は使えるけどー、でも、自力で使えるのは超長波だけだなぁ〉 〈あの〉 控えめに割り込んできた怪獣電波に、狭間と怪獣達は会話を中断した。電波の発信源はカムロのいる地下牢の辺り からで、狭間は少し考えて思い出した。真琴に擬態していたダイリセキも印部島に連行されてきた、ということを 今の今まですっかり忘れていた。当獣が狭間に話しかけてこなかったから、というのも存在を忘却していた理由の 一つでもあるのだが。ダイリセキの怪獣電波は弱めで、気後れしていた。 〈俺が話に割り込んじゃっていいのかどうか……とは思うけど、その、俺も人の子の味方だから〉 〈あ、おう。で、お前は何をしてくれるんだ?〉 潜水艦娘達ほど力強い戦力にはならないだろうが。狭間が訊ねると、ダイリセキは言った。 〈俺は擬態するしか能がない。だから……〉 そう言いつつ、ダイリセキは自分なりに考えた作戦を思念で伝えてきた。それを上手く使えば、より効率良く 脱出計画が進められるはずだ。 〈となると、作戦は決まったな〉 狭間もカムロも動けない以上、ヒツギには働き倒してもらわなければ。我ながらろくでもない考えだ、とは思った が、背に腹は代えられない。確実に損害を与えて玉璽近衛隊の足を奪わなければ、まず勝ち目はない。気が咎めない ことはないのだが、こればかりは割り切るしかない。今までもろくでもないことをしてきたのだから、今更殊勝な 気持ちになったところで意味はない。狭間は怪獣達との会話を止め、頭痛と目眩でベッドに倒れ込んだ。 複数の怪獣と一度に交信すると、脳がひどく疲弊するからだ。 その夜。 珍しいことに、狭間は夕食の席に招かれた。考えるまでもなく、同じ食卓を囲むのは玉璽近衛隊の面々である。 洋風の内装の食堂には長テーブルが置かれ、背の高い椅子がそれを囲み、上座に田室中佐が座っていた。その次 の席には前回の連絡船に乗ってやってきた羽生鏡護技術少尉と赤木進太郎軍曹、藪木丈治伍長、田室秋奈上等兵 と続いた。玉璽近衛隊に入った順番ではなく、階級順である。メニューは洋食だった。 前菜のサラダにコンソメスープ、パン、サケのムニエル、ビーフシチュー、と続いていったが、狭間以外は何度も お代わりしていた。怪獣人間は、その身体能力の高さ故に燃費が悪いからだ。赤木は外見こそ常人だが、怪獣人間だと 自称していたので、彼もやはり存分に食べていた。考えるに、怪獣の体液を血中に注ぎ込んで身体能力を 引き上げているのだろうが、秋奈と違って髪と目の色が変わっていないのは個体差のようなものか。 こうして呼び出されたのは、きっと脱出計画が感付かれたからに違いない。実行する前に終わっちまったなぁ、と 残念がりながらも狭間はデザートとして出されたマスクメロンを食べた。滅多に食べられないからだ。きっとこれが 最後の晩餐なのだ、と諦観しながらもメロンを存分に味わっていると、田室が話しかけてきた。 「狭間君」 「はい?」 メロンの皮が透けかねないほど果実を削ぎ取っていた狭間は、甘くもなんともないどころか瓜らしい青臭さが 濃い果実を口に入れ、嚥下した。 「羽生技術少尉からの報告により、個体識別名称・光永愛歌の所在が明らかとなった」 「なんですか、その呼び方」 まるで、愛歌が人間ではないような。狭間はスプーンを下ろし、田室と対峙する。 「新しく発見された怪獣に名を授けた場合、そのように呼称するということは貴様も知っているだろう。あれは最早 人間ではない。怪獣Gメンの資格は剥奪済み、戸籍は抹消、その他諸々の処理も済んでいる。よって、光永愛歌は 怪獣使いによる洗礼を受けなければ、未登録の怪獣として分類され、人間に危害を及ぼす場合は鹵獲した後に火山 に投棄して怪獣供養を行う」 「……はい?」 田室が言っていることを理解したくない。狭間が青ざめると、田室は畳みかける。 「元怪獣使いの血族、現野良怪獣である光永愛歌を放逐すべきではないが、怪獣使いは光永愛歌に関わる気はない。 綾繁定が動こうともしないのがその証拠だ。しかし、怪獣監督省も元職員である光永愛歌に関与するつもりはないと 無視を決め込んでいる。故に、我らが動くしかない。国民の安全を保ち、かつ確実に光永愛歌を捕獲するため、協力 しろ。これは要望ではない、命令だ」 握り締めたスプーンが曲がりかねないほど、手に力が入っていた。狭間は反論しようとしたが、思うように言葉 が出てこずに奥歯を食い縛った。どう足掻いても、愛歌を処分するつもりでいる。それは怪獣使いに対する挑発でも あり、魔法使いと玉璽近衛隊の繋がりの強さを示す行為でもある。愛歌を支えていたエレシュキガルを失わせたのは 狭間ではあるが、それは愛歌とエレシュキガルの関係性を知らなかったからだ。しかし、そんなものは免罪符にする のもおこがましい。戦い合うよりも先に、愛歌に会い、その姉にも会い、向き合わなければならない。 だから、この命令は聞けるわけがない。だが、他の軍人達は既に食事の手を止めていて、フォークの代わりに武器 を手にしていた。逆らえば殺す、と脅すつもりなのだ。軍国主義者共め、と狭間は毒吐きたくなったが、言えるはずも なかった。その異変を察知してか、ヒツギの放った怪獣電波が狭間の感覚に突き刺さってきた。 作戦を決行するなら、今だ。 15 2/13 |