横濱怪獣哀歌




闇ト共ニ在リヌ



 あの男を伴い、かの山へ向かった。
 印部島との連絡が途絶えたことが気になるが、むやみに通信を行っては玉璽近衛隊の他の部隊から怪しまれる かもしれないので、苛立ちと焦りをぐっと押し殺した。軍用車のハンドルを回しながら、氏家武陸軍大尉は後部座席 に座る老紳士をバックミラー越しに窺った。魔法使い、海老塚甲治。
 玉璽近衛隊特務小隊が彼の目論見を知ったのは、十年前のことである。怪獣使いを守るために組織され、訓練と 教育を受けた玉璽近衛隊たるもの、本来であれば魔法使いの反逆を許すはずがない。怪獣使いに対する侮辱である というだけでなく、玉璽近衛隊を愚弄する行為だ。だから、誰もそんなことを許すはずがないと思っていたが、 特務小隊隊長である田室正大中佐は海老塚の意思を汲んだ。そればかりか、海老塚の謀反に助力しようとまで 言い出した。耳を疑ったどころか、田室の正気も疑った。
 氏家が知る田室正大という帝国軍人は、あの硫黄島の戦いの生き残りであり、誉れ高き帝国海軍の戦闘機乗り であり、左腕を失っても尚軍人で居続けることを望んで復員して間もなく帝国陸軍に入隊した、猛者の中の猛者で ある。それが、こうも簡単に懐柔されるとは信じがたかったので、氏家は密やかに魔法使いの裏を探った。すると、 両者の繋がりが見えてきた。田室の三番目の娘である秋奈は、生まれ付き病弱で明日をも知れぬ身だったが、怪獣 の体液を投与されたことによって回復したばかりか驚異的な身体能力を得ていた。怪獣の体液の出所は魔法使いで あり、魔法使いは先んじて田室に恩を売っていたということになる。田室自身も硫黄島で水の代わりに怪獣の体液 を飲まざるを得ず、その結果、怪獣人間と化していたので、娘を怪獣人間と化すことに際して抵抗が少なかった のだろう。だとしても、こうもあっさりと施しを受けるものなのだろうか、と不信感に駆られ、氏家はまた別の 方面から魔法使いと田室に関する事柄を探ってみた。
 魔法使いと接触する前に、田室は何度も怪獣使いに掛け合っていた。娘を助けてくれ、怪獣人間にすればまだ 生き延びられるはずだ、と海軍時代の伝手を使って幾度となく接触を試みていた。しかし、怪獣使いはその申し出 を受けるどころか、けんもほろろに断った。だが、それにはきちんと理由がある。怪獣人間を作るのは違法である のは今更言うまでもないことだが、怪獣使いは従属させた怪獣を放逐してはならないという決まり事があるからだ。 戦時中においては、他国の怪獣使いに奪還されるぐらいなら自爆させろ、という意味としても取られていたが、厳密 には怪獣使いの尊厳と怪獣そのものの尊厳を守るための法律である。増して、怪獣と人間の間を取り持つための役割 を果たしている怪獣使いが、怪獣と人間の本質を歪めてしまう怪獣人間を良しとするはずがない。だから、田室は ただの逆恨みなのだ。娘を愛するのは結構だが、だからといって怪獣使いを憎むのは筋違いだ。

「氏家大尉」

 後部座席から話し掛けられ、氏家は交差点でブレーキを掛けてから振り返った。

「なんでしょう」

「別荘に到着しましたら、コーヒーでもお淹れいたしましょう」

「お気遣い、ありがとうございます。ですが」

「横須賀でしたら、もう大丈夫ですよ。彼が来ましたからね」

 手中の化石を弄びながら、魔法使いはにこやかに言う。

「ですが、あの狭間という男は印部島から脱する術を持ち合わせてはおりませんよ? 逃げ出せたとしても、 本土に無事に辿り付ける保証もありません。それに、まだ誰からも報告は受けておりません」

 氏家が訝ると、海老塚は古代怪獣の化石を眺め回す。

「怪獣達が教えてくれましたよ。波七型潜水艦に乗って横須賀沖に到着し、猿島に上陸してガニガニを鎮静化 させた後に本土へ移動した、と」

「それからはどうなるのですか」

「さすがにその先は掴み取れませんね。私が解るのは、怪獣達の放つ電波の揺らめきと、その電波に含まれて いる怪獣達の感情の変動程度ですからね。ですが、彼は怪獣達の感情だけでなく言葉までもを理解しているの ですから、とんでもない逸材なのです。しかし、彼は己を恐ろしく過小評価している」

「己を過大評価できる人間に、ろくな輩はおりませんよ」

「ええ、そうですとも。だから、私は狭間君が好きなのです」

 海老塚は再び発進した軍用車の揺れに身を委ね、古代怪獣を箱に戻した。

「ですから、出来れば巻き込みたくはなかったのですが」

 嘘を吐け。そのつもりであれば、最初から狭間真人に接触しなかっただろうに。

「麻里子さんの御結婚式では、ひどい目に遭わせてしまいました」

 口ではそう言うが、その割に気を病んでいる様子はない。それどころか、なんだか楽しそうだった。 

「愛歌さん、いえ、悲様もです。恨み辛みを忘れ、お幸せになって頂きたかったのですが」

 なんと白々しい。光永愛歌を怪獣監督省横浜分署に配属させ、横浜に引き止めたのは海老塚ではないか。

「ままならぬものですね」

 優しいふりをして騙す悪人は山ほどいるが、彼は本当に善意で行動しているのだ。それが海老塚甲治という 魔法使いなのだ。この男を裏切るべきか否かを未だに迷っているのは、玉璽近衛隊でありながらも末席で 腐っていた氏家を拾い上げてくれたからだ。ホームレスの真似事をして横浜の裏社会の情報を探り、九頭竜会と 渾沌の抗争に種火を付けて燃え広がったところで油を注いでいたのは、他でもない氏家だった。
 だが、氏家が仕向けるまでもなく、古代喫茶・ヲルドビスは両者の中立地帯となった。九頭竜総司郎には 妻となる女と金を与え、ジンフーには横浜で成り上がるための情報をそれとなく流した。気長に、そして盤石 に作った地盤はそう簡単には揺らがない。裏社会の者達は何よりも義理を重んじる。海老塚が彼らにこれでもか と売りつけた恩と信頼があるから、尚更だ。
 だが、海老塚の思った通りに作戦が果たされ、国家の根幹を支える怪獣使いを消し去ってしまった後はどうする のだろうか。きっと、欧米諸国で怪獣発電を行っている企業を誘致し、国家に認められた魔法使いとしての立場を 惜しみなく使い切って金と地位を得るのだろう。真日奔は未だに軍国主義から脱却出来ずにいるが、時代は資本 主義へと傾きつつある。時流に乗らなければ、取り残されるばかりか沈没してしまう。
 このまま軍人でいるべきか、或いは。氏家は逡巡しながらもハンドルを切り、荒れた山道を通り、目的地で ある倉庫へと辿り着いた。ゴウモンという名を付けられた怪獣が埋まっている山、御門岳の中腹にぽつんと一軒 だけある建物だった。以前は、九頭竜会が怪獣義肢の手術を行うために頻繁に利用していたが、近頃はそれどころ ではなくなったので近付きもしていない。なので、倉庫の周囲は荒れ放題で雑草が伸び切っていた。
 海老塚から鍵を渡されたので、氏家が錠を開けて中に入った。電気は通じていて、スイッチを入れると蛍光灯 が瞬いた。蛇口からはきちんと水も出た。建物の後ろに置かれたガス玉怪獣はやや萎んでいたが、海老塚が魔法を 用いると程なくしてガスが復活し、コンロに青い火が灯った。

「先に仕事を終えてしまいましょう」

 そう言いつつ、海老塚は部屋を一瞥した。辰沼が持ち込んだ私物が丸々残っているので、薬品棚には使いかけ の薬瓶が溢れんばかりに詰め込まれていて、埃を被った机には書きかけのノートが放置されている。

「では、準備を」

 海老塚に命じられ、氏家は軍用車のトランクから平べったいゴムのような物体を出した。折り畳むと座布団のように 小さくなるが、広げると綺麗な円形になる、袋状の怪獣だ。ガス玉怪獣と似通った種族だが、中身が空っぽなので なんでも詰め込める。戦時中は風船爆弾怪獣として奮戦していたのだが、戦後は帝国陸軍の倉庫の肥やしとなって いた。それに目を付けたのが、海老塚だったというわけだ。
 防毒マスクを付けた海老塚と氏家は、ゴウモンが吐き出す毒性の濃いガスを風船怪獣に溜め込み、膨らませていく。 満タンにすると数十倍にも膨張する上に浮力を得るので、その昔は飛行船のガス袋としても活用され、文明の発展に 大いに貢献したのだが、飛行船が廃れた今となっては過去の遺物である。
 一つ、二つ、三つ、と風船が出来上がっていく。詰め込んだガスをどういうふうに使うのかは、氏家は出来る限り 考えないようにした。ミサイルを作る技師は標的はどうなるかなんて思い悩んだりするはずがない、と己を律して、 風船怪獣の外側に垂れている紐状の尻尾で、下部に空いている穴をきつく縛った。
 風船怪獣を解き放った後、先述通り、海老塚はコーヒーを淹れてくれた。丁寧に焙煎したコーヒーをその場で手回し式 のコーヒーミルで挽き、じっくりと蒸らして淹れてくれた。辰沼らが使っていたマグカップに注いだコーヒーを 傾けつつ、海老塚は薬品棚の裏に隠されていた無線機を操っていた。但し、発信しているのは音声でもなければ モールス信号でもなかった。チューニングを操作し、周波数を僅かに上下させているだけだった。それでは、受信 する側が何も受け取れないではないか、と氏家は訝ったが、少し考えた後に気付いた。

「怪獣に発信しているのですか?」

「ええ。私は彼らとは違って怪獣電波を聞き取れませんし、発せませんからね」

 続きをよろしくお願いいたしますね、と海老塚は古代怪獣の化石を無線機に添えると、石化した巻貝の表面がみしみし と軋んで赤い目が現れた。白目のない目は左右に蠢き、海老塚を捉えると瞬きした。すると、電波の周波数 カウンターの針が微妙に揺れ動いた。海老塚は古代怪獣を指先で軽く小突いてやると、測定器の電圧を示す針が 振り切れ、一気に電波の出力が上がった。傍から見れば大したことはしていないように見えるが、その実は緻密な 計算に基づいて行使された魔法だ。
 その電波をどこに向けて放ったのか、氏家には知る術はない。もし、知れたとしてもどうにもならない。無謀としか 思えない戦いの結末を見届けることしか出来ることはなさそうだ、と腹を括り、氏家は苦いコーヒーを啜った。海老塚と いい田室といい光永愛歌といい、感情に突き動かされて理性を失う者が多すぎる。いや、そうではないのかも しれない。彼らからしてみれば、その禍々しい感情こそが正義なのだ。己を投げ打ってまでも貫き通したいものがある ならば、少しは生きやすいのかもしれない。氏家は幾許かの羨望を抱きながら、魔法使いの横顔を見上げた。
 帝国軍人と第三帝国の女の混血児に相応しく、彫りが深かった。




 なんだか騒がしい。
 耳障り、というか脳がくすぐられているような感覚がある。サバンナの後部座席でひっくり返っていた狭間は、呻き ながら寝返りを打とうとしたが、座席から落ちかけたので仰向けになった。瞼の裏には、どこぞの怪獣が目にして いる景色が朧気に映っている。横浜の景色だった。上からは見たことはないな、そういえば、と鈍い頭痛がする頭の 片隅で考えながら、狭間は怪獣の視界を通した景色を眺めた。その中心にあるのは、何本もの線路が集まっている 一際大きな建造物だった。それは、きっと――――

「横浜駅?」

 狭間が無意識に呟くと、怪獣電波の主が語り掛けてきた。

〈そうだ。私はそこに行かなければならない。抗おうとしても、導かれてしまう〉

 電車の揺れに身を委ねながら、狭間は隣に座っている枢の様子を確かめた。それまでは枢は舟を漕いでいたが、 怪獣電波を感じ取ったのかはっと目を覚ました。それから、居眠りをしていた自分に恥じ入って赤面し、更には 着物姿ではないことに照れて余計に赤面した。狭間が衣料品店で買った花柄のワンピースと鍔の広い帽子を被った 枢は、洋服には合わない上質な草履を履いていた。靴も買ってやれればよかったのだが、二人分の食事代と電車賃 を捻出するには、そうするしかなかった。
 横須賀駅発横浜方面行の電車に乗ったが、場合によっては途中下車しなければならなくなりそうだ。狭間はそれ となく周囲に気を配りながら、怪獣の声がどこから来たものなのか自分なりに調べた。感覚を広げ、遥か彼方の上空に 浮かぶ怪獣から発せられたものだと知ると、怪獣電波を用いて問い返した。

〈誰に〉

〈魔法使いにだ〉

〈なんでだ。そんなの無視すればいいだろうが、相手は怪獣使いじゃない〉

〈そうだ。怪獣使いではない。だから、魔法使いは怪獣を招くためならば、いかなる手段も取る〉

 怪獣の視界に、膨れ上がった風船怪獣が割り込んでくる。

〈彼らの中に詰め込まれているのは、ゴウモンの毒ガスだ。風船怪獣はどれもこれも感情が希薄だから、怪獣使い から電波を受けたら、躊躇いもなくガスをばらまくだろう〉

〈誰がそんなこと〉

〈それは先に言った。魔法使いだ。風船怪獣から漏れたガスで人間が負傷すれば、風船怪獣を狙って光の巨人が 現れるだろう。風船怪獣の数と同等の個体がな。同時に複数の超大型が出現すれば、我らではどうにも出来ない。 天の子がいたとしても危ういかもしれん。人の子、無理は承知でお願いする、どうか風船怪獣を追いやってくれ。 私は逆らいたい、魔法使いに〉

〈そうか、解った。で、その風船怪獣はどこにいる〉

〈風船怪獣の総数は三十。御門岳上空から浮上して横浜へと緩やかに飛んでいるが、今は南風が吹いていることも あり、ほとんど動いていないと言ってもいい。だが、明日になればソビエト側から低気圧怪獣がやってくる。それ が北風を吹かせてしまえば……〉

〈ゴウモンのガスを詰め込んだ風船怪獣共が一気に横浜に到着しちまうってわけか。低気圧怪獣にも都合があるから 風向きを変えろとは言えないし、そもそも変えられるものじゃないからな。となると、一日の猶予の間に出来ることを しなきゃならんのか。畜生、やっとのことで本土に戻ってきたってのに早速これかよ〉

〈すまん、人の子。だが、我らは人の子に頼る他はないんだ。怪獣同士で争っても、光の巨人を招いてしまうから〉

〈ああ解っている、解っちゃいるんだがな。……もう諦めたよ。それで、お前の名前は?〉

〈かつて、空中庭園怪獣ブリガドーンと呼ばれていた〉

 その名を聞いて、狭間は電車の天井を仰ぎ見た。枢も意識の片隅で怪獣電波を拾っていたのか、ブリガドーンが 名乗った途端に瞼を開けた。辺りをきょろきょろと見回した後、狭間の袖を引っ張ってきた。その意図を察し、狭間 は怪獣電波の発信源を辿り、狭間が放つ怪獣電波を伸ばし、伸ばし、伸ばし――――届いた。
 空と海の間を、いや、それよりも遥かに高い位置に巨大な物体が浮かんでいる。庭園というよりも島、いや、島と いうよりも一つの山だった。重力を自在に操る能力を用いているため、ブリガドーンの周囲には衛星軌道から降って きた異物や大気圏から脱出し損ねた鉄屑などが、ブリガドーン周辺の重力が緩んだ空域に捉えられて漂っていた。 彼の目を通じて見た空中庭園は荒れ果てていて、かつて怪獣使いが住んでいた屋敷は廃墟と化している。瓦屋根は 崩れ、庭は木々が伸び放題で池の水も乾涸びていた。それなのに、いやに愛おしくなった。
 歌が聞こえてきたからだ。





 


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