横濱怪獣哀歌




風船事変



 奥の間には、横浜の裏社会の重鎮がいた。
 九頭竜総司郎とジンフーは、どちらも切り裂かれたはずの部位が綺麗に繋ぎ合わされていた。黒い糸によって。 それがカムロの髪の毛であり、彼らがカムロに屈した証でもあった。九頭竜は娘婿にして仇敵であるジンフーを 忌々しげに睨んでおり、ジンフーも隙あらば九頭竜をやり込めてやりたいらしく、落ち着きがなかった。麻里子は 円座を囲んでいる父親と夫を一瞥した後、上座に腰を下ろした。以前は九頭竜が座っていた位置だ。ということは、 そういうことなのだろう。狭間はおのずとその意図を察し、麻里子に促された場所に腰を下ろした。

「どさくさに紛れてえげつないことをしましたね、麻里子さん」

 狭間が苦笑すると、麻里子は得意げに微笑んだ。

「好機でしたので」

「油断も隙もありゃせんわい」

 ジンフーは手首を繋がれた左手でタバコを出し、吸おうとしたが、麻里子が髪の毛でその手を叩いた。

「繋げはしましたが結合しきってはおりません、もうしばらくは吸わないで下さい。腐り落ちてしまっては、いくら私と カムロであっても二度と繋げられないのですからね」

「……すっかりこいつの女房になりやがって」

 こんちくしょうめ、とぼやいた九頭竜も手持無沙汰なのかタバコを吸おうとしたが、やはり麻里子に阻まれた。

「お父さんもです。内臓を縫い合わせるのは苦労したんですから、一時の欲望に負けて台無しにしないで下さい」

 こうもすんなりと九頭竜会の懐に入り込めたのは、九頭竜会が狭間を利用しようと企んでいるからだ。それ自体は いつものことではあるのだが、今回ばかりは訳が違う。枢は愛歌の親族で諸事情で預かっているのだと紹介したが、 全てを知っているカムロと繋がっている麻里子が、枢の素性について知らないわけがない。麻里子もまた怪獣 使いの血族の端くれではあるが、麻里子のことだ、それを最大限に利用しようと考えるだろう。枢がその計画の 一部に組み込まれていたとしても、なんらおかしくはない。むしろ、その方が自然かもしれない。

〈この方々は、誰が勝とうとも負けようとも損をいたしませんね〉

 微弱な怪獣電波を使い、枢が話しかけてきた。狭間は九頭竜とジンフーと当たり障りのない世間話をしつつ、枢と 怪獣電波で会話するというややこしいことをしながら、枢に怪獣電波を返した。印部島では暇潰しを兼ねて複数の 怪獣達と同時に怪獣電波を交わして情報交換を行った末に身に着けた、普段は全く役に立たない技術である。

〈ヤクザってのはそんなもんだよ。今度の戦いで怪獣使いが勝ち、魔法使いが負けたら、魔法使いの恩恵を受けて いた人々が困る。ヲルドビスの常連客が途絶えない理由も、きっとそこにあったんだ。ジンフーが経営していた店、 虎牢関ほど露骨じゃないにせよ、大なり小なり魔法を使っていたから客足が続いていたんだ。もちろん、マスターの 料理の腕が抜群に良かったからでもあるんだろうが。マスターが魔法使いの座から失墜したら、魔法使いの力ありきで 暮らしていた人々がどこに向かうと思う? 魔法とは程遠いが怪獣を商品として扱っている、裏社会の組織だ。 以前、九頭竜麻里子が固執していた怪獣ブローカーは、両者を上手いこと取り持ってくれるが、その辺の稼ぎを 中抜きしちまうんだろうな〉

〈ならば、魔法使いが勝ち、怪獣使いが負けた場合はこうなりますね。国を支える大黒柱であった怪獣使いの威光 が消え去って地に堕ち、横浜を守り切れなかったばかりか市民に多大な被害を及ぼした怪獣使いに対し、世論は 批判を浴びせるでしょう。それだけならどうにでもなるでしょうが、怪獣使いを廃止すべきだという持論を持つ政治家 が世論の追い風を受け、怪獣使いが操っていた怪獣達に魔法的な――というよりも科学的な施術を行い、電力など のエネルギーを安定して供給させると公約を交わし、怪獣使いのみに限定されている発電を民間でも行えるように 法改正をするでしょう。大規模な事業を展開するとなれば、それに関する厄介事も起きますから、九頭竜会や渾沌 といった裏の方々に大金を流して露払いをさせるのでしょうね。どちらにせよ、彼らは儲かるのですよ〉

〈両者が共倒れしたとしたら、怪獣使いと魔法使いの戦場と化した横浜は戦後さながらの焼け野原になる。そんな時 に躍起になるのが、言うまでもなくヤクザだ。闇市でもなんでも開いて、濡れ手に粟で儲けるだろうさ〉

〈それは不愉快極まりないですね〉

〈裏社会の連中は潤うだろうが、堅気は割を食うばかりだ。俺も面白くはない〉

〈私としましては、彼らも狭間さんも怪獣使いが滅びるのを前提に考えておられるのが面白くないのです。怪獣使いの歴史 が古いことは御存知ですね、授業で習われているでしょうから。怪獣使いの存在とその活躍が文献に記されたのは 平安時代初期、かの有名な竹取物語です。なよ竹のかぐや姫と呼ばれている天人の姫君は、人間ではなく神話怪獣の 一種であり、月からの使者もまた同様です。誰も彼もかぐや姫に魅了されていたのは、彼女が発する蠱惑的な輝きと 悩ましい香りが原因だったのだ、とも近年の研究では明らかにされております〉

〈かぐや姫の正体が神話怪獣だってのはさすがに俺も知っている。だが、かぐや姫の話には妖術使いも陰陽師も出てこない じゃないか。帝は出てくるけど。古代中国の妲己や平安時代の玉藻御前を始めとした妖狐怪獣だったら、まだ話は解る んだが。そうだとしたら、一体どの辺に怪獣使いが出てくるんだ?〉

〈竹取物語の作者であるとされている平安の歌人、紀貫之です。人心を惑わす人ならざる娘の美しさに魅了されない ばかりか、その娘を軸として巻き起こる異変を仔細に書き記しているからです。当人は怪獣使いとしての能力を自覚 しておられなかったわけではないのでしょうが、その事実を誰にも告げずに歌人としての生涯を全うしたかったの でしょうね。怪獣使いとは、何も怪獣を思念で操ることだけが仕事ではないのです。怪獣の良からぬ力を浴びせられても 屈せず、物事を冷静に見定めることもまた怪獣使いの仕事なのです。ですから、両者が倒れずに戦いを終えた後についても 考えないとなりません〉

〈いや、だが、それはいくらなんでも飛躍しすぎじゃ……と言える立場でもないか。俺の場合。怪獣使いと魔法使い がぶつかり合うのは表向きでしかなく、散々大騒ぎした後にあっさり和睦する、というのも有り得るってことか?〉

〈そうですね。それもあるかもしれませんが、私が思うに〉

 と、返しかけたところで枢は怪獣電波を引っ込め、人の言葉で話した。

「はい、なんでしょう」

「枢さん。あなたは彼にどんな恩を受けたのですか?」

 麻里子は枢と向き合い、目を細める。笑みではない。

「危ないところを助けて頂いたのです」

 枢は子供らしさが乏しい笑顔を顔に貼り付ける。麻里子は少し冷めた緑茶を口にし、涼やかな目を上げる。

「でしたら、その恩を私に売って頂けませんでしょうか?」

「恩とは売り買い出来るものなのですか?」

 きょとんとした枢に、狭間は首を竦める。

「普通は出来ないが、あちらの業界はそうでもないんだ」

「私は、狭間さんには返し切れないほどの恩を頂きました。身を挺して私とジンフーの祝宴を守って頂いたこと、 私とカムロを助けて頂いたこと、そのどちらも私の人生を左右するほどのことです。ですので、その恩に少しでも 報いるべく、私達は狭間さんの弟さんである真琴さんを守っておりました。若衆達が貼り付いていなければ、彼は 川崎を縄張りにしている極道の一派に攫われ、私達を脅す材料にされていたことでしょう」

 麻里子は首筋に触れ、父親と夫を窺う。

「そして、あの時、狭間さんが奮戦して下さなければ父も夫も長らえられなかったことでしょう。ですので、 寺崎さんをサバンナごと呼び出して使い走りにしたことに関しては不問にいたします」

「それで、つまりは何を言いたいんです?」

 あれはサバンナの意志で、と狭間は言いかけたが飲み下した。麻里子は、白い頬になまめかしく手を添える。

「怪獣使いと魔法使いの争いの後、私達が何をしようとも手を出さないで頂けますか?」

 それは、簡単なようでいて難しい注文である。九頭竜会と渾沌が今後も怪獣を悪用するのは火を見るより明らか であり、その度に怪獣達がなんとかしてくれと狭間に矢継ぎ早に喚き散らすので、無視したら無視したでまた騒ぎ 立てるので蔑ろに出来ない。したくてもさせてくれない。枢を見やると、彼女もまた渋い顔をしていた。しかし、 九頭竜会にこれ以上は恩の貸し借りをすべきではない。でなければ、いつまでたっても関係が切れない。

「……善処しますよ」

 だから、こう言うしかなかった。狭間としては、時と場合による、という意味合いで言ったが、麻里子とその 親族は全肯定であると捉えたようだった。枢は不満そうに眉を下げていたが、狭間さんと真琴さんの今後のため にはそう言うしかないのですね、と納得はしてくれた。これで、ようやく本題に入れる。
 不本意だが、今は九頭竜会の戦力を当てにするしかない。差し当たり、麻里子の他に利用価値の高い能力を持って いるのは、両足に怪獣義肢を備えたリーマオと、寺崎の高度な運転技術に応じられる性能があるサバンナぐらいな ものである。出来れば、二丁の怪銃を振り回す一条御名斗も戦力に加えたかったのだが、あの結婚式の際、両腕を 斬り落とされてしまったのでまず無理だ。せめて、ボニー&クライドが狭間の手に入ればいいのだが。

「いやっほーい!」

 突如、歓声と共に襖が全開にされた。

「ひ、さ、しぶりぃっ!」

 一歩、ボニーが喉に、二歩、クライドが心臓に、三歩、完全に押し倒された。呆気なく仰向けに倒された狭間 は、逆光の中でにやつく人物の顔を見、息が止まった。一条御名斗その人だったからである。両手首は綺麗なもので、 傷跡もなければ縫い合わせた痕もなく、本人も至って元気だった。そして、二丁の怪銃も。

〈あらぁん人の子、ちょっと見ない間に随分と窶れちゃってぇ〉

 ボニーが笑うと、銃口の奥で赤い光がちかちかと瞬いた。

〈ひゃははははははははは、俺達の御名斗が御陀仏になったとでも思ったか? バーカ!〉

 クライドが哄笑すると、ショットガンの銃身がかたかたと鳴った。

「えー、と。どういうカラクリですか?」

 狭間は両手を上げながら率直な質問をぶつけると、御名斗は狭間の上から退き、胡坐を掻いた。

「俺ね、魔法使いの出来損ないなの。怪獣使いの出来損ないでもあるんだけどね」

「となると、あの時、両腕をぶった切られたのはトリクラディーダですか」

「そういうこと。玉璽近衛隊は俺を欲しがっていたから、ああすれば確実に回収されると思ってさ。そしたら、案の定 ってわけ。俺はマスターから色々と魔法を教えてもらったんだけどさぁ、どうにも不器用で、上手く扱えるのはなーんにも 考えていないトリクラディーダだけだったんだよ。で、入れ替わってもらったってわけ」

「須藤さんのシニスターが引き剥がされるのも計算のうちですか?」

「そりゃあね。すーちゃんとシニスター……じゃなくてタヂカラオは相性が良かったんだけど、あのままだとすーちゃん はいずれ怪獣中毒を起こしちゃっていただろうし、そうなるとヤク中よりもタチが悪いから、すーちゃんが人間で いるうちになんとかしてあげようって思ってさ。すーちゃんは意地っ張りだから、ああでもしないとタヂカラオを 切り離せなかっただろうしね。辰沼先生は帝国軍人だし、金取るからね」

 というわけで、と御名斗はにんまりした。

「俺の作戦が上手いこといったのは、バイト君が俺とトリクラディーダに騙されてくれたおかげだよ。だから、その恩を ここで返してあげちゃおう。わざわざ訪ねてきたってことは、殺してもらいたい相手がいるってことなんでしょ?  んじゃ、何すればいい? 何人殺せばいい?」

 無造作に怪銃を振り回す御名斗に、さすがの枢も若干怯えた。いやそこまでは、と狭間は言いかけたが、ここで 遠慮するべきではない。怪獣達がやりたくても出来ないことを狭間に頼んでくるように、狭間も自分が出来ないこと を他人に頼まなければ。なので、狭間は自分なりに考え抜いた作戦の概要を話した。
 恩を売られたら、その分だけ報いなければ。





 


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