横濱怪獣哀歌




自我海峡



 太平洋沖に、恐ろしく巨大な戦艦が浮かんでいた。
 大和型114号戦艦、狗奴国である。第三次大戦中に目覚ましい戦果を挙げた大和型戦艦の後継である、超大和型 戦艦に更なる改良を加えた代物である。全長324.5メートル、全幅43.4メートルという規模と速度30ノット という性能を誇る、海を制する化け物だ。50口径三連砲塔を備え、火力はずば抜けて高いが、それ故に冷却に砲身の 時間が掛かってしまうばかりか、船足が致命的に遅く、小回りが利かないので、艦戦に持ち込まれれば良い的にされてしまい、 すぐに撃沈されるのが目に見えている。しかし、移動出来る砲台としては極めて優秀で、戦後も更なる改良と研究が 重ねられた結果、怪獣弾頭を搭載した大型の対空ミサイルを発射出来る仕様となった。
 ユニオン・ステイツから買い上げた地対空ミサイルの先端に据え付けられた弾頭には、皮膚も骨格も筋肉も切除 されて脳と内臓と神経だけとなった怪獣が収められている。それこそが真日奔帝国が保有する怪獣弾頭であり、上手く 作動すれば、着弾地点は半径三〇キロ圏内が綺麗に消し飛んでしまう。怪獣弾頭が発する不穏な気配を感じ取り ながら、一条御名斗海軍少佐は軍服の襟を掻き合わせた。降りしきる雪がレーダーの精度を下げているらしく、工兵 達は難しい顔をしながら最終調整を行っている。

「ミサイルサイロもなしにでかい花火をぶち上げようだなんて、正気の沙汰じゃないや」

 御名斗が呆れると、高盛信克海軍少尉は太い首に巻いた襟巻を緩めた。

「狗奴国は沈むでしょう、間違いなく。一段目のロケットエンジンから噴出する熱を浴びたら、甲板が溶けるだけ では済みません。爆発は起こさないように燃料は抜くだけ抜いてきたが……動力怪獣が大人しくしてくれるかどうか までは解りません。下手に爆発が起きたら、発射した段階で光の巨人が現れて狗奴国ごと消されてしまう」

「それじゃ、海兵達を避難させてから遠隔操作で発射するの?」

「いや……それはどうでしょう。海兵達を乗せられるような船は、どこにも見当たりませんでした」

 太い眉根を寄せた矮躯の男に、御名斗はけたけたと笑った。

「むっちゃくちゃー」

「兵隊が消耗品だった時代は終わったと思っていたが、そうではないようですね」

 高盛は雪が積もった軍帽を払い、白いため息を吐く。

「御上から声を掛けられた時、喜んでしまった自分が情けない。戦時中にはろくな戦果を挙げられなかった私を帝国 海軍に復帰させる、という時点でまず怪しむべきだったのです。それなのに、私は星の付いた階級章と狗奴国に目が 眩んでしまった。……だから、まさかこんな任務を押し付けられるとは思ってもみませんでした」

「近衛玉璽隊も退役軍人を復帰させて引っ張ってきた軍人が多いからねぇ。田室中佐なんて傷痍軍人だし」

「それだけ、人員不足だったということでしょう。狗奴国に乗っている海兵には、見知った顔も多い。生き延びて国の 土を踏み、それぞれの人生に戻っていたというのに。惨いことをするものです」

「人生ねぇ」

「私は少佐どのを存じております。確か、九頭竜会の」

「うん、すーちゃんのイロ」

「生きて戻れるといいですね、お互いに」

「ううん、どうだろ。高盛さんは家族も親類もいるけど、俺はそうじゃないし」

 御名斗は苦笑を返してから、寒いから中に戻るぅ、と言って足早に船室に戻った。高盛は作業の監督を続けると 言い、その場に留まった。高盛を始めとした再招集軍人は、政府から与えられた役割のおぞましさと知っていながら も、帝国軍人の名に恥じない務めを果たそうとしているのだから、なんとも歪だ。それが正しいのかどうかは歴史が 決めてくれる、と言って己の行為を正当化しようとしている海兵もいた。
 けれど、御名斗でさえもこんなことは正しいとは思わない。士官用の一等船室に戻った御名斗は雪に濡れた軍帽 を外し、外套も脱ぎ、サラシを巻いて潰した乳房を解した。冷えも相まって痛くて仕方ないので、顔をしかめながら 軍服を緩め、蒸気式暖房器で体を暖めた。丸い窓の結露を拭い、鉛色の海面を見つめる。光の巨人に見つからない ようにするために蒸気機関式動力機関の火は必要最低限まで落とされ、狗奴国の動力怪獣も静まっている。それなの に、胸の奥にじんと熱が疼く。この水平線の向こうには横浜があり、横浜には彼がいるからだ。
 波七型潜水艦が印部島を出発したとの連絡を受けたのは、一週間前のことだ。空中庭園怪獣ブリガドーンが着水した のも印部島近海だったので、恐らくはブリガドーンから脱した狭間真人とその弟が横浜に帰るための足として波号を 利用したのだろう。光の巨人が乱発している影響で印部島との連絡は途絶したままだが、彼は印部島に留まってくれ いることを願わずにはいられない。須藤の身を守るために、須藤を連行させたのだから。

「すーちゃん……」

 彼は、何物にもなれないモノに名を授けて人間にしてくれた。

「だいすき」

 好きだ。好きで好きでどうしようもないから、須藤の傍にいるためには最大限の努力をしてきた。痛いのを我慢して 背中に刺青も入れたし、人の殺し方も覚えたし、少しでも悦んでくれるように娼婦の真似事もしたし、女の格好もしたし、 思い切り甘えた。須藤と出会うまでは、御名斗はモノでしかなかった。須藤と出会ってから、御名斗はようやく人間 としての人生を始められた。だから、須藤を生かし、守るためにはなんだってしてやる。
 どんなことでも。




 三十数年前、綾繁家に男女の双子が生まれた。
 産み落としたのは、三代前の当主だった。女系である綾繁家には極めて珍しいことであったが、女尊男卑が強く 根付いている綾繁家においては、男の子供は無下に扱われる。というのが定例だったのだが、その双子はどちらも 怪獣使いの力を持って生まれていた。故に、もしかすると男の怪獣使いになれるのではないのか、と当主が言った ため、双子は生きながらに死ぬために毒を揃って与えられた。
 兄の名は綾繁みつぐ、妹の名は綾繁ささげといった。怪獣と通じる力に優れているのは貢だったが、祝詞を上げるため に不可欠な声を出せるのは捧だった。だから、二人は常に行動を共にしていた。二人を引き離すと、力が綻ぶかも しれないと思われたからだ。幼い頃は、それでよかった。子供故にどちらの世界も狭かったし、二人だけの世界に 収まっていることで落ち着きを得ていた。怪獣使いはその力が高ければ高いほど脆く、長年与えられた毒によって 十歳にならないうちに命を落とすか、力を失うかのどちらかだった。だが、貢と捧はそうではなかった。十歳を過ぎ、 捧に月のものが訪れるようになっても、どちらも怪獣を操る力を失いはしなかった。
 だから、貢と捧は自分達がいつまでも子供のままでいられるように、おまじないを掛けた。世間というものを一切 知らず、知るべきことを教えられずに育ってきた二人が知っているのは、互いの体には違うものが付いているという ことと、怪獣使いは世継ぎを作るべきだということだった。
 故に、二人は子を成した。




 最も古い記憶は、母と呼ぶべき女の後ろ姿だ。
 こんなはずじゃなかった、にいさまがいけない、にいさまさえ、にいさまなんて、にいさまがわたくしを、と長い髪を 振り乱して嘆いてばかりだった。女は産後の肥立ちが良くなかったせいで寝込んでいて、たまに起き上がったかと 思えば、恨み言を叫んでいる。そのせいで、生まれ持った声はひどく掠れている。ろくに飲み食いしないので、手足 は骨に皮が貼り付いたような有様で、引き摺るほど長い黒髪も脂っ気がない。使用人達は女を甲斐甲斐しく世話をするが、 女は誰かに体に触られるのが嫌なのか、使用人が清拭しようとしても金切り声を上げて追い払ってしまう。だから、 着ている寝間着は小奇麗なのに、体は汚らしかった。悪夢にうなされては跳ね起き、叫ぶのだ。
 にいさま、いや、いや、いや、と。




 その次の記憶は、父と呼ぶべき男の死に様だ。
 綾繁家の離れの鴨居に煌びやかな帯を結び付け、首を括っていた。足元には、頸椎が外れたせいで緩んだ肛門から 零れた汚物が畳に散らばっていた。遺書と呼ぶべきものがあったような気もしたが、何分、幼い頃なので読めなかったし、 読めたとしても使用人達が隠してしまっただろう。
 だが、そんなものを読まなくても男が死んだ理由は解っていた。男が鴨居に帯を掛けている最中、男は延々と同じ ことを喋り続けていたからだ。女に産ませた子を前にして、呪詛を吐き付けるかのように。ぼくがいけないんじゃない、 ささげがいけない、ささげがぼくをそのきにさせたから、ささげがぼくをうけいれたから、ささげがいやだといって くれなかったから、ささげがささげがささげがささげが。
 男が鴨居に首を掛け、踏み台にした椅子を蹴り飛ばした様もよく覚えている。ごぎ、と首の骨が外れ、顎が歪んで 舌が飛び出し、目も飛び出し、小奇麗だった顔は醜く膨れ上がった。しばらくして、着物の股間の辺りが濡れ、汚物 をべちゃべちゃと無様に漏らした。きっとぼくはささげのところにいける、と男は言っていたが、そんなわけがあるか と思っていた。なぜなら、三日前に死んだ女は、最期の瞬間まで男への恨み言を叫び続けていたからだ。
 そして兄妹は死に、子が残された。




 子は男でも女でもなかった。
 濃すぎる血のせいか、どちらの親も生きながらにして死ぬための薬を含まされていたからか、男のものと女のもの が備わっていた。怪獣の気配を感じることは出来るが、通じ合うことは叶わず、祝詞をあげられるような声も持って いなかった。この子は潰してしまいましょう、と言ったのは綾繁哀と悲の母親であった。
 確か、その名は綾繁つづきといった。続は多産の女で、鎬、哀と悲を産んでいた。悲を 除けば、皆、怪獣使いとしての才能に恵まれていた。だから、続は己の腹に何よりも誇りを持っていて、怪獣使いにも 真っ当な人間にもなれない子を心底疎んでいたのだ。続は枢となる子を孕んだのを機に、子は綾繁家から放り出された。
 文字通り、身一つで。




 居住臓器の外の世界は眩しく、騒がしく、色々な匂いがした。
 放り出されてから数日間は横浜駅の構内をうろつき、駅構内に住み着いている浮浪者と顔見知りになった。とても 汚れていて饐えた匂いがしたが、服を貸してくれたばかりか、小銭の集め方、安全な寝床、身の守り方、更には残飯の 漁り方までもを教えてくれた。浮浪者は傷痍軍人で、戦地から命からがら生きて戻ったら妻が新しい男と結婚していた ので、地元にはいられなくなり、這う這うの体で逃げ出した末に横浜に辿り着いたのだそうだ。子も、自分も家のもの に追い出されてしまった、と言うと浮浪者は涙を流して憐れんでくれた。その時、初めて、自分の境遇は悲しくて 辛いものだと知った。知ってしまったせいで、急に悲しくなって声を上げて泣いた。
 子の朧気な記憶の端には、浮浪者が肌身離さず持っていた手帳の文字が焼き付いている。その当時は読み書き なんて出来なかったが、後になってその意味を理解した。光永アヤメという女の名と住所だった。その隣の ページには擦り切れた白黒写真が貼り付けられ、軍服を身に着けた男と大人しげな面差しの女が映っていた。
 浮浪者が働き口を見つけるために寿町に出入りするようになると、子もそれに付き合った。けれど、十四歳の身では 仕事がないので、浮浪者が職安に行っている間は、寿町の住人達と話すようになった。彼らはいつどんな時でも 粗悪な安酒を飲んで酔っ払っていて、至る所で立小便をしていて、赤黒い顔をしていて、長年の深酒でだぶついた 腹を穴の開いた服で覆っていた。彼らは与太話ばかりしていたが、たまにひどく寂しい目をしては家族の名を口にして 嘆いている。地べたを這いずる暮らしは自由だが、それ故にやるせなくなる。そんな時、彼らは酒に縋ってしまう のだと気付くまでには、それほど長い時間は掛からなかった。
 ある夜、魔法使いが現われ、子の手を取った。




 そして、あの雨の夜、須藤に買われた。
 子を手に入れたいがために左腕を捨てた男は、警察官だった男は、高熱を出して唸りながら寝込んでいる。汗が 次から次へと噴き出してきて、枕だけでなく布団にも染み込んでいる。切断された左腕に代わり、赤く尖った外骨格 を備えた怪獣義肢が接合されていた。どちらの体も拒否反応を示しているのか、血に混じってどろりとした黄色い膿 が垂れていた。狭苦しい四畳半の部屋には、汗と血の匂いと共に死臭に似たものが立ち込めていた。

「おまえ」

 喉が乾き切っているからだろう、須藤は掠れた声を発した。

「うん」

 須藤の枕元に座り、子は頷いた。何もない部屋にいるのは退屈だったが、外に出ると須藤が嫌がるので、ずっと 座っていた。たまに水を飲ませてやりなよ、と胡散臭い闇医者が言っていたので、子は盆に入った水差しを手に すると、須藤は強引に起き上って子の腕を掴んできた。ぬるついていて力の抜け切った手ではあったが、抗いがたい ものがあった。子がぽかんとしていると、須藤は顔を歪めた。苦痛からではなく、歓喜によるものだった。
 ぎち、と外骨格が軋んだ。左肩と怪獣義肢の繋ぎ目からぶちゅりと膿が飛び、血が滴ったが、それでも構わずに 怪獣義肢を動かそうとしている。須藤は子の腕から手首を取り、手首から指を掴み、手を繋がせた。須藤が力むたび にその手は子の指を戒め、汗の雫が子の肌にも滴った。深呼吸した後、須藤が喉の奥で低く呻くと、怪獣義肢の手の甲 の外骨格に切れ目が走り、ぎゅばりと目が現れた。赤い目は不安げにぎょろつき、須藤と子を認めた。

「……なってやる」

 須藤は息を荒げながら、子の華奢な肩に寄り掛かってきた。

「俺は、怪獣人間にでもヤクザにでもなんでもなってやる。どうせ、俺の人生なんだ」

「あんた、変だよ」

 子は須藤の体重を受けつつ、何の気なしに彼のべとついた髪を撫で付けた。あの浮浪者も、寿町の住人達も、よく そうしてくれたからだ。須藤は弱々しい笑みを零し、右腕を伸ばして子を抱き寄せた。

「みなと」

「うん?」

「お前、名前、ないんだろ」

「うん」

「寝ている間、ずっと考えていた。お前に合う名前、お前を守ってくれる名前」

「なんで」

「名前はそういうものなんだ。だから、みなとだ」

「みなと」

 みなと。須藤が付けてくれた名前を復唱し、子は何度となくその言葉を口の中で転がした。今の今まで、あんた、 おまえ、それ、こいつ、おい、と呼ばれていたので、なんだか落ち着かない。須藤は子の肩越しに腕を伸ばし、新聞 を掴んで引き寄せると、震える手で鉛筆を走らせた。ひどく歪んだ字で、御名斗、との三文字を書いた。

「御名玉璽をたたかわせるもの」

 須藤は鉛筆を放り出し、子の背中に手を添える。汗ばんだ筋肉質の胸と、少し膨らんだ胸が接する。

「ギョメーギョクジ?」

「そうだ、御名玉璽だ。この怪獣義肢の野郎、前の持ち主の記憶を俺の中に流し込んできやがった。前の持ち主は、 お前によく似た顔の人間を守っていたらしい。だが、その人間は何度も言う。御名玉璽さえなければ、と怪獣にだけ 聞こえる言葉で言うんだ。持ち主は聞いていなかったようだが、この怪獣義肢は聞いていたんだ。俺は、この左腕 にそいつを聞かされたんだ。お前も、きっと、御名玉璽があるからひどい目に遭ったんだ。そうだろう」

 子は今の今まで御名玉璽の存在すら知らなかったので否定しようとしたが、否定する意味もない、と思い直した。 きっと、須藤が目にしたのは綾繁家の血縁者だ。となれば、この怪獣義肢の以前の使い手は、怪獣使いを守るため だけに組織された戦闘部隊、玉璽近衛隊の一員だったのだろう。その御名玉璽と何を戦わせればいいのか、そもそも 何のために戦えばいいのかも解らなかったが、須藤はなんだか得意げだった。だから、無下には出来ない。

「みなと」

 子は須藤の腕から脱すると鉛筆を拾い、彼の真似をして字を書いてみたが、上手く書けなかった。今までまともに 読み書きをしたことがなかったからだ。寿町の住人達のおかげで喋る言葉は沢山覚えられたのが、彼らは書く方は すこぶる苦手だったので、誰も教えてくれなかったのだ。

「そう、御名斗だ」

 それからというもの、子、もとい、御名斗は自分の名前を書けるように練習した。須藤の名前も書けるようになる ために、これでもかと書いた。本も読んだ。計算も教えてもらった。名字がなければ変だ、ということで、退屈凌ぎに 聞いていたラジオから流れてきた歌謡曲を歌っていた歌手の名前をもらい、一条御名斗になった。
 裏社会の人間になるために、色々なことを覚えた。魔法使いや、例の闇医者からも教えてもらい、それらしく 振舞えるようになった。須藤が喜んでくれるなら、なんでもしてやりたかった。須藤から捨てられたら、今度こそ 行くところがなくなってしまうからだ。だから、頑張って頑張って頑張って、ここまで来た。魔法使いを通じて政府 と帝国海軍に引き合わせられ、訓練を受けさせられ、魔法使いがやられた時に出撃する予備の魔法使いとなった。 言うことを聞いておけば須藤には手を出さない、と政府の人間が言ったからである。だが、そんな戯言を信じるほど 幼くもないし馬鹿でもない。消し飛ばすのは怪獣使いではない、帝国陸軍の総本山だ。
 魔法を用いて、怪獣弾頭の照準を横浜から東京に変えてやる。





 


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