横濱怪獣哀歌




自我海峡




 狗奴国という名の軍艦の存在は、朧気に知っていた。
 戦勝国の象徴として、太平洋上に浮かべるためだけに造り上げられた、強固な鉄の城だ。それがどこでどんな任務に 就いているのかは、今の今まで知らなかった。知れるはずもなかったのだから。
 鮫淵仁平から聞かされた話はにわかには信じ難いが、信じるべきだと思い直して、狭間は彼の話に聞き入った。 本当は機密だから話すべきではないし、僕が知っていること自体が拙いんだけど、としどろもどろに前置きしながらも、 鮫淵は言った。狗奴国には、ステイツから買い上げたミサイルに怪獣弾頭を搭載したものが積まれていて、有事の際には それを発射することになっていたのだそうだ。大勢の民間人を人質にして怪獣使いを脅すためだけに作ったものではあるが、 張りぼてではなく、れっきとした本物なのだと。どうしてそんなことを知っているのか、と狭間が訝ると、鮫淵は言葉を 濁しながらも答えてくれた。横須賀の帝国海軍基地に囚われていた頃、搬入される資材やら搬出される物資の内容を 知る機会があり、そこから推測し、確証を得ようと調査をしたのだそうだ。帝国海軍の情報機関の統制が緩いのか、 はたまた鮫淵が諜報員並みの腕前を持ち合わせていたのかは定かではないが、それが事実だとすれば、 ぼんやりしているわけにはいかない。

「かといって、具体的にはどうすりゃいいんだか」

 そもそも、海に出る手段がない。ウハウハザブーンは当てになどならないし、怪獣行列は枢の統制下でなければ 上手く動かないし、横浜界隈には戦闘機の類いも見当たらない。間借りしている民家の居間にて、狭間は鮫淵と膝を 突き合わせていた。ちなみに羽生はまだ帰ってきておらず、弟と悲も同席している。

「ちなみに、その怪獣弾頭の威力って何ジュールですか?」

 真琴が尋ねると、鮫淵は目線を彷徨わせた。

「え、ええと、僕の推察に過ぎないというか、帝国海軍が買い上げたステイツ製の地対空ミサイルに乗せられる 大きさの怪獣弾頭は、超小型のW60だから、どちらかというと戦術弾頭に近いけど、でも、威力は充分すぎると いうかで。ええと……弾頭出力は400キロトンだから、ジュールに換算すると……」

「いえ、その必要はないです。充分解りました。そんなものが発射されたら、横浜だけじゃなくて関東一円 がどうにかなっちまいます」

 真琴は青ざめ、鮫淵を制した。理系の男達は事の重大さに臆しているのか、どちらも押し黙ってしまった。 狭間は乏しい数学の知識を総動員して計算し、理解し、絶句した。どうして、そんなものを真日奔帝国海軍は 装備していたのか。他国への牽制のためだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいい。

「どうにかしなきゃなりませんね、こればっかりは」

「あ、はい、こればっかりは」

「だけど、そんなモノを兄貴の力でどうにか出来るのか……?」

 怖すぎて逆に現実味がない、と真琴は半笑いになる。自国の領土と国民を傷付けようだなんて、政府は一体何を 考えているのか。そこまでして怪獣使いを追い詰めたいのか。なぜ、そこまで怪獣使いを憎むのか。動機を知りたいような 気がしたが、知ったところで事態が解決するとは思えない。

「狭間君、狗奴国の位置は解る?」

 悲は下半身の闇をしゅるりと渦巻かせ、ゆったりと腰掛けた。

「いや……これは難しいかもしれません。狗奴国の動力怪獣が大人しすぎるみたいで、ちっとも感じ取れません。 怪獣弾頭にしてもそうです。怪獣電波の切れ端はあるんですけど、ぶつ切りで、これじゃまるで」

 肉も骨もないみたいだ、と言いかけて、狭間は硬直した。鮫淵を窺うと、何か言いたげではあったが目を伏せた。 つまり、怪獣弾頭とは、怪獣を解体して熱量の発生源となる内臓と脳を摘出し、金属の器に収めてミサイルの弾頭 に据え付け、着弾の衝撃で刺激を送り、怪獣の内臓を爆発させる兵器なのだ。脳と内臓を繋いでいるのはケーブル であって生の神経ではないんだよ、と鮫淵は苦々しく呟いた。そんな状態では、怪獣電波を用いて怪獣を黙らせようにも 難しい。怪獣電波を怪獣が受け取るためには、骨格が不可欠だからだ。

「んじゃ、私が行くわ。闇を通じて移動すれば、レーダーに引っ掛からずに狗奴国に近付けるもの。怪獣弾頭だって、 最悪、クル・ヌ・ギアに引っ張り込めばどうにかなるかもしれないし」

 悲が挙手すると、真琴は腰を浮かせた。

「だけど、カナさん」

「いいのよ、まこちゃん。私にぴったりな汚れ仕事だわ」

 悲は切なげな微笑みを浮かべ、真琴をたしなめようとした。が、突如表情を一変させ、掃き出し窓を開けて下半身 の闇を外にぶちまけた。雪が黒く染まり、なけなしの熱を奪われて凍り付いていく。白と黒が混在した空間には、 隻腕の男がいた。九頭竜会の幹部、須藤邦彦だった。

「話は聞いた。――俺も連れていけ」

「あら、それはまたどうして」

 闇を引っ込めた悲が不思議がると、須藤は右の拳を固める。

「解るんだ」

「何がよ」

「二度も死に掛けたからかもしれんが、解るんだ。御名斗がいるんだ、その怪獣弾頭の傍に。解りたくないが、見えるんだ。 いてもたってもいられないんだ」

「もしかして、怪獣同士が共振しているのかしら」

 悲が鉛色の空を見上げたので、狭間は窓から身を乗り出して元横浜駅を見上げた。

「或いは、エ・テメン・アン・キの影響でしょう。仮にもバベルの塔の破片である以上、外界に現れたことで、怪獣と人間の 隔たりを薄くしたのかもしれません。怪獣達が目にしたものや感じたものが怪獣電波に乗って流布され、須藤さんの体内に蓄積 した怪獣の体液がそれを受信した、ということかも」

「理屈はどうだっていい、俺を連れていくのか、いかないのか!」

 須藤に詰め寄られ、悲は困惑する。

「死にに行くようなものよ? 私は一度死んでいるし、見ての通りの体だから、怪獣弾頭の爆発を至近距離で受けても どうにか出来るけど、須藤さんはタヂカラオがないから普通の人間と変わりがないわ。タヂカラオがあったとしても、 難しいと思うけど……」

「だったら、俺に新しい左腕を寄越せ」

「死ぬわよ、確実に」

 悲の下半身を見据えた須藤に、悲は声を落とした。

「御名斗にもう一度会えるまで持てばいい。いや、持たせろ!」

「無茶な注文、してくれるわね」

 引き受けるつもりなのか、その申し出を。狭間は悲に意見しようとしたが、彼女の肩越しに須藤と目が合い、何も 言えなくなった。須藤の面差しは、死地に赴く男のそれだった。着古したスーツを羽織り、ネクタイの結び目は緩く、 ワイシャツの襟元が黄ばんでいたが、彼の目には勇ましささえあった。狭間が言ったことを真に受けているのか、 いや、そうなってくれと願ったのは自分ではないか。

「俺も行きます、カナさん」

 ほのかな温もりを宿すメーを握り締め、狭間は腰を上げる。多少なりとも罪悪感を覚えたからでもある。

「怪獣弾頭だけじゃなく、怪獣弾頭を発射した衝撃で狗奴国が暴走したら、誰かが止めなきゃなりませんからね」

「それじゃ、生きて出られることだけを願っていなさい」

 狭間と須藤と向き合い、悲はどぷりと下半身を波打たせた。兄貴、と真琴は声を上げ、金色のスカーフを投げ渡してきた。 縫製怪獣グルムを受け取った直後、足場が失せた。次の瞬間には雪景色と民家と弟と鮫淵の姿は見えなくなり、 底のない黒に没した。お手柔らかに頼む、とでも言っておくべきだったと気付いたが、既に手遅れだ。
 縫製怪獣グルムを纏い、久し振りに鳳凰仮面二号と化した狭間は、クル・ヌ・ギアを一望した。死後の世界、 あの世、常世、エレシュキガルの住まう都。布地を伸ばし、頭上を漂っている須藤を絡め取り、確保してから、体温をごっそり 奪われて息も絶え絶えの須藤を金色の布地で包んでやると、須藤の呼吸が落ち着いた。

「死後の世界ってのは、殺風景なもんだな」

 走馬灯も見えず、先にあの世に行ったであろう人々が出迎えてくれることもなく、浅ましい人間を極楽浄土へ導く 神話怪獣もおらず、かといって地獄の底に叩き落とそうとする鬼もいない。ただただ、のっぺりとした闇が横たわって いるだけだ。鳳凰仮面二号が己の姿と須藤の居場所を視認出来るのは、グルムが成したサングラスのおかげではあるが、 その力を持ってしても何も見えない。虚無という言葉を形にしたら、正にこうなるのだろう。

〈そうなの。だから、死に救いなんて求めないことね。私を見ていれば解るでしょ、そんなこと〉

 狭間の意識に、悲の声が流れ込んでくる。

「そりゃあまあ。それで、クル・ヌ・ギアの中に入れたものはどこに行ったんです?」

〈それについては、火星でエレシュキガルに訊いてくれる? 私も不思議に思っているのよね〉

「訊ける機会があればいいんですがね」

 入り口は塞がれ、出口は見えない。ここにあるのは、果てのない深淵だけだ。手を伸ばしても、絹のような手触りの虚空 しかない。腰のベルトに差してあるメーが発する熱と、須藤の荒い吐息しか感じられなかった。火星に通じる出口は、 どこにあるのだろうか。いや、あったとしても狭間の力では抜け出せないだろう。クル・ヌ・ギアから脱するためには、 自分の命と引き換えに誰かの命を奪う必要があるのだから。――ということは。
 安易な行動で最悪の事態を引き起こしてしまったのだろうか、と狭間は焦った。外に引きずり出された途端、自分と須藤の 命を喰らう代わりに命を喰らわれた者の死体が転がされていたとしても、なんらおかしくはない。鳳凰仮面二号は覆面の中で 青ざめていたが、不意に光が目の端に入り、強烈な引力で引き摺り出された。
 鉛色の空と凍える潮風、そして――二匹の生魚が降ってきた。べち、びち、と鳳凰仮面二号のサングラスに命中した生魚は 当の昔に息絶えていて、瞳が白濁している。あ、これが身代わりにされたのか、と狭間は内心で安堵しながら覆面を外し、 須藤を包んでいた金色の布地を解いて立ち上がった。そこは、海水を帯びて薄く湿った甲板だった。巨大な砲塔を備えた 主砲、天守閣の如き艦橋、対空砲、機銃、海兵達。天を突く白い凶器。傍らには、帝国海軍の軍服姿の一条御名斗が 控えていた。その階級章は少佐。
 悲は闇を収めて下半身を整え、狭間と須藤の無事を確かめてから、狗奴国とその乗組員達を一望した。狭間は グルムを脱いで金色のスカーフに変え、右腕に巻き付けさせてから、腰に差した鞘にメーを戻した。武器を携帯している とみなされて撃たれては困るからだ。

「あ」

 御名斗はぽかんとしていながらも、二丁の怪銃を手にした。須藤は己の腰に手を回そうとして、目を丸めた。左腕が 生えていたからだ。だが、それは赤い外骨格に覆われた怪獣義肢でもなければ、生身の腕でもない。――――闇の 凝固物が、彼の肉と骨に喰らい付いていた。須藤邦彦の命を糧として、クル・ヌ・ギアの闇を現世に引き摺り出して成した、 紛い物の腕だった。

「すーちゃん……!」

 また会えて嬉しい、生きていて嬉しい、会いに来てくれて嬉しい、と言いたげな顔ではあったが、御名斗はボニー& クライドのグリップを震えるほど強く握り締めていた。持ち主の高揚を察してか、ボニー&クライドの熱量も次第に 高まっていく。ちらほらと舞っていた雪の粒は、二つの銃に近付いただけで溶けてしまった。

「御名斗」

 須藤は久し振りに手に入れた左腕を上げ、拳を固め、ぐびゅりと闇を飛び散らせた。甲板に滴った黒い礫は、白い煙を 放った。極度の低温によって生じたものだ。

「殺しに来てやった」

 左手の尖った指でネクタイを解き、投げ捨てると、瞬く間に凍り付いたネクタイは軽やかに砕け散った。

「俺を? すーちゃんが? うひひひひ、ふへへへへ」

 御名斗は笑い出すと、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「どして? なんで? ねえ?」

「お前なんかじゃ、御名玉璽とは戦えない。戦わせない。そんなものを潰すためだけの命であってたまるものか。俺の、 俺だけの、俺のためだけの命であってくれ」

「んふうふふっ、それってもしかしてプロポーズ? んひひひひ、でも無理、無理なんだよね。だって、俺は歌わなきゃ いけないの。マスターがいないから、俺が魔法使いにならなきゃいけないの。だから、すーちゃんのお願いは聞けないんだ。 ごめんね、後で色んなことしてあげるから。すーちゃんがしてほしいこと、一杯一杯してあげるから。だから、今だけは 魔法使いにならせて」

 淡く潤った瞳で、男でも女でもないモノは男を見据える。

「俺はすーちゃんのお嫁さんになれないけど、でも」

 すーちゃんを守ってあげたいの。そう言って、御名斗はボニー&クライドの引き金を引いた。赤い熱線が迸るが、 照準の先に立っていた須藤は躱そうともしなかった。その代わりに左腕を振り上げて闇の膜を張り、熱線を吸い取ると、 左手の甲にぎゅばりと偽物の瞳を作った。そればかりか、その眼球から赤い熱線を伸ばして鞭のような形にした。今し方 得た怪獣の熱で、タヂカラオと同じ能力を得ようというのだ。

「そんなもの、願い下げだ!」

 クル・ヌ・ギアに容赦なく体力を奪われている須藤は早々に息を上げていたが、戦う姿勢は緩めなかった。

「すーちゃんってば、我が侭だなーもう! かわいいっ!」

 にいっと笑った御名斗は怪銃を派手に振り上げ、引き金を絞る。須藤もまた、赤い熱の鞭をしならせて冷えた空気を 切り裂いた。両者が放った熱がぶつかり合う、かと思いきや、闇が広がって半球状に膨らみ、両者をすっぽりと包み込んだ。

「こうでもしないと、この二人のせいで狗奴国がさっさと沈んじゃうでしょ。その間に、私達は仕事をしましょ」

 悲は御名斗と須藤を覆った闇の繭を横目に、地対空ミサイルを指した。狭間は、戦々恐々としている海兵達を気に しつつ、怪獣弾頭の怪獣電波を感じ取ろうとしたが、怪獣弾頭は余程弱っているのか、掴み取れない。

「……狭間君?」

 悲に訝られたが、狭間は答えられなかった。冷や汗が滲み、首筋を伝う。風邪がぶり返してきたわけではない、体力は まだ少し足りないが、ソロモン王と称された力が鈍るはずがない。ない、のだが。

「聞こえない」

「へ?」

「怪獣弾頭がうんともすんとも言わないんですよ! ああもうっ! 切り刻まれて脳をいじられすぎて、意識があるか どうかも怪しいぐらいで! どこの誰だよ、こんなに下手な施術をしたのは! 藪医者め、じゃなくて藪科学者め!  最低限、俺と話が通じるぐらいにしておいてくれよ! 狗奴国、お前もなんとか言ってやれ! なあおい!」

 狭間は甲板を踏み鳴らして喚き散らすと、狗奴国は煙突から蒸気を噴き出した。

〈人の子が私の上に!? 今気付いた! あ、ああ、その、それを私に言われても困るんだが〉

「で、何分後に発射する予定だ?」

〈それも私が決められることでもなんでもないが……。ええと、そうだな。確か、魔法使いの弟子が歌ったら飛び出していく ようにと教え込まれている、と他の怪獣共が言っていたような〉

「つまり……」

 狭間は闇の繭を見やり、悟った。一条御名斗が存在している限り、怪獣弾頭の発射は阻止出来ない。須藤が手を 下すのを待つべきか、それとも悲にクル・ヌ・ギアに引き摺り込ませるべきか、怪獣弾頭の意識を呼び起こして息を 吹き返させて自壊させるべきか。光の巨人を呼び出して飲み込ませるべきか。いや、転送先の火星で爆発したら火星で 被害が出てしまう。ダメだ、どれも成功するとは思い難い。馬鹿を言うな、弱音を吐いている場合か。
 どうする、ソロモン王。




 


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