横濱怪獣哀歌




自我海峡




 どうもこうもあるか、それでも男か。
 内心で己を叱咤し、狭間は歯を食い縛る。一条御名斗の死を待つなど、須藤が愛する者を殺すことを望むなど、頭に 思い浮かべたこと自体が誤りだ。となれば、狭間と悲で怪獣弾頭を処理するしかない。だが、狭間の知能と発想など たかが知れている。前回、エ・テメン・アン・キを呼び起こした時も羽生と鮫淵の協力を得ていたから成功したわけ であり、彼らの高度な知性と深い知識なくしては、あの結果は得られなかった。これほど大きな軍艦だ、帝国 海軍の怪獣兵器の整備兵はいるかもしれないが、脅し付けて言うことを聞かせられるような度胸もないし、何より そんな時間はない。どうする、どうする、どうする。

「――――そうだ」

 ウハウハザブーンを通じて他の怪獣達の脳に意識を飛ばし、横浜の地中に埋められた化石怪獣達を眠らせた際に 用いた方法を使えば、上手くいくかもしれない。メーを用いて狭間の怪獣電波を狗奴国に注ぎ込み、狗奴国を通じて 怪獣弾頭に語り掛けるのだ。だが、生半可な言葉ではダメだ。怪獣弾頭の意識の根幹に突き刺さり、衰弱した心身を 思い切り揺さぶれる、強く確かな言霊でなければ。

「地球の緑の丘!」

 あの歌を使えば、きっと。狭間はその歌詞を思い出そうとしたが、焦り過ぎたせいか、思うように出てこなかった。 覚えているはずなのだが、全人類の血肉に刻み込まれている歌は忘れられるわけがないのだが。

「その歌を歌えば、怪獣弾頭がどうにか出来るのね?」

「どうにか、というか、どうにかするための取っ掛かりが作れるかもしれないってことですけど」

「いいわ、歌ってあげる」

「え、でも」

 狭間が戸惑うと、悲は怪獣弾頭の先端を仰ぎ見た。

「方角から考えて、このミサイルの照準は横浜には合わせられていないわ。むしろ、東京に向いている。一条御名斗の 短絡的な思考を顧みると、恐らく、宮様か政府に一矢報いるつもりでいたんでしょうね。その動機が何にせよ、宮様に 危害を加えられると困るわ。だって、宮様は護国怪獣なんだもの」

「恐竜みたいなやつと亀みたいなやつ、どっちかが宮様ってことですか」

「どっちもよ。あっちが本体で、東京の御所にいるのは分身というか……精神の器ね。まあ、後者には御目に掛かった ことはないんだけど。何にせよ、止めなきゃいけないことに代わりはないわ。けれど、私の歌は決定打にはならない。 荒魂を呼び起こすことが出来ても、和魂を目覚めさせて鎮めることは出来ないから。だから、私は怪獣使いになれな かったのよ。けれど、狭間君にはそれが出来る。そうでしょ、ソロモン王」

 悲はかすかに悔しさを滲ませながらも、狭間と対峙した。

「いい歌、聞かせて下さいね?」

「気に入ったら、御捻りをちょうだい」

 悲は軽口を叩いてから、怪獣弾頭の前に立った。ざわついていた海兵達は水を打ったように静まり返り、闇の繭も また黙している。海兵達の中に見覚えのある顔がいたような気がしたが、今はそれどころではない。狭間は熱を帯びた メーの柄を握り、心の平静を保とうとした。悲は吸う必要のない息を深く吸った後、歌った。
 地球の緑の丘。望郷の思い、虚空を越え。深く切なく、我が胸に迫りくる。見渡す遠き宇宙の彼方、地球の岸辺は 緑に溢れて。見よ、わだつみは紺青に照り映える。悲の声に、男の太い声が重なる。狭間が辺りを見回すと、悲の かつての上司であった男、高盛信弘が軍帽を外して胸に当て、静かに歌っていた。悲もそれに気付いたが、歌を中断 することはなく、旧く懐かしい詩を連ねていった。

「……何が起きているのか、私などでは掴み切れん」

 高盛は肉が盛り上がった首に顎を埋め、俯く。

「だが、青年よ。君の話は、政府の人間からある程度は教えられている。怪獣使いではなく、魔法使いでもないが、 怪獣を鎮められる力を持つ者だと。光の巨人に対抗出来る怪獣と通じ合えていた、唯一無二の人間だと。私は、 帝国軍人にもなれず、怪獣を監督する者にもなりきれず、役人として長らえる覚悟すらなく、今日この日まで生きて きてしまった。だが、怪獣弾頭を本土に撃ち込むことが間違っているということは、考えずとも解る。言い訳にしか 聞こえんだろうが、魔法使いの弟子である一条御名斗が狗奴国に乗っている限り、私と海兵達は作業を止めることすら 出来なかった。本土が消し飛ぶ様を見ていることしか出来ないと、諦観するしかないのだと。しかし、狭間君と 光永さん……いや、悲様が現れた。ならば、止められるはずだ。我らの声は俗人の言霊、宮様にも怪獣使いにも 遠く及ばぬものだとは知っている。それでも、歌わせてはくれないだろうか」

「飛び入りはいつでも歓迎しますわ、課長」

 悲は高盛に笑みを向けると、高盛は安堵を滲ませたが、すぐに表情を引き締めた。高盛の覚悟の強さに感銘を 受けた海兵達もまた、旧い歌を口にした。貴様らそれでも海兵かっ、と怒鳴る熟練兵もいたが、若い海兵達がすぐ に取り押さえた。こうも簡単に協力を得られていいものか、と狭間は違和感すら覚えたが、ふと気付いた。ベルト に差している儀礼用の短剣、メーがほのかに熱を帯びている。いつしか、狗奴国のエンジンの震えが悲と海兵達の 歌声と同調し、調和し、潮騒を掻き消していた。
 ということは、狭間は無意識にバベルの塔の破片の力を拝借してしまい、狗奴国の海兵達の深層意識に何らか の刺激を与えてしまったのかもしれない。まさかそんな、と思いかけたが、考えてみれば、メーを成しているのは エ・テメン・アン・キのマガタマとツブラの神話怪獣としての力だから、有り得ない話ではない。便利なものかも しれないが、それ以上に恐ろしく、狭間はメーを引き抜いて放り捨てようとした。が、状況を顧みるとそんなこと は出来るはずもないので、狭間の右手は虚空を握り締めただけで終わった。
 今後は、迂闊に神に近付き過ぎないように努めねば。




 狭い檻、暗い部屋、命を吸う闇。
 どちらにとっても極めて不利な空間の中、須藤は仮初めの左腕に命を吸われながらも、意地で踏ん張っていた。 光源は赤い鞭の放つほのかな光だけで、その光がなければ自分の鼻の先さえも見えない。それなのに、御名斗の 居所は手に取るように解った。肌が、いや、左腕となった闇が感じ取ってくれているからだ。影と闇は混じり、 絡み、繋がり合い、須藤にほんの一時ながら人ならざる力を授けてくれた。怪獣義肢の左腕を付けていた時より も心身が冴え渡っていて、シニスター、否、タヂカラオに対して少し後ろめたくなる。

「好き好き好きぃっ、大好きぃっ!」

 距離感を失わせる闇の奥から赤い光線が乱射され、繭の内側で跳ね返って踊り狂う。吸い取り切れなかった熱の 残滓が散弾となり、四方八方から降り注いでくる。須藤は己の左腕を広げて膜にし、赤い光弾の残骸を避けながら、 駆け出した。光の発生源に至るが、既にそこに御名斗の姿はなかった。

「すーちゃん、俺を否定して楽しい?」

「ぎっ!?」

 ひどく過熱した鉄の固まりが頬に押し当てられ、じゅっ、と肉が焼ける音と匂いが立ち上る。すぐさま須藤が 飛び退くと、頬の皮がべろりと剥がれてしまい、肉が露出した。当然ながら盛大に出血し、新鮮な鉄臭さが 散らばった。これでは、自分から居場所を曝しているようなものだ。しかし、止血している術もなければ時間も ない。今度は背後から熱線が放たれ、須藤は身を翻して素早く闇の膜を広げ、防いだ。

「俺に名前を付けてくれたのに、名前と一緒に役割を与えてくれたのに、俺を俺という存在にしてくれたのに、 どうしてすーちゃんは俺を否定するの? すーちゃんに生きていてほしいから、すーちゃんだけは死なないでほしいから、 やりたくもないことをしてきたのに! すーちゃんの馬鹿馬鹿馬鹿っ、でも大好きいっ!」

 そんなこと、言われなくても解っている。十年前の雨の日を境に、須藤の人生は御名斗のためだけに存在し、 御名斗を生かすためであればどんなことでもしてきたのだから。御名斗も同じ気持ちでいてくれたことが嬉しく、 頬に付いた真新しい傷さえも愛おしい。だが、だからこそだ。今、ここで御名斗を殺さなければ、いずれどこかの 誰かが御名斗を殺してしまう。こんなにも美しい生き物が、ただの死体と化してしまう。そうなる前に、須藤が 殺してしまわなければならない。二人の蜜月を永遠のものにするために。だから。

「――――すーちゃ」

 闇の繭に左腕を突っ込み、同化させ、意識を繋げる。須藤は体温と血圧が急激に低下して目眩に襲われたが、 須藤は息を詰め、クル・ヌ・ギアを操った。少しでも気を抜けば、引き摺り込まれて呑まれてしまいそうになったが、 御名斗が目の前にいてくれるから、辛うじて意識を保てていた。ああ抱きたい、今すぐに押し倒して堅苦しい軍服を 切り裂いて足を開かせて、それから。

「す、うちゃ」

 闇の繭から伸びた触手が御名斗の手足を絡め取り、怪銃を呆気なく奪い、体温と共に気力も抜き去っていった。 顔色を失い、御名斗は座り込む。更なる触手を繰り出して御名斗を戒めてから、須藤は左手の拳を固める。

「女にならなくてもいい。男にもならなくてもいい。魔法使いになんて、させてたまるか」

 右手で御名斗の顎を掴み、柔らかな頬を指先でなぞる。少しやせたのか、肉付きが薄くなっている。御名斗が 物欲しげに口を開けたので、すぐさま塞いでやり、粘膜と粘膜を重ね合わせた。須藤の血と御名斗の涙が混在した 熱い滴が、互いの頬に落ちる。その雫は、火傷しそうなほど熱い。

「印部島に島流しされてから、どういうふうに死ぬかをずっと考えてきた」

 御名斗の軍服の襟を開き、肌を探り、その体温を求める。

「俺はお前の上でしか死ねない。死にたくない」

「たまには俺が上になってもいいんだよ?」

「そいつはまた今度な」

「……ん」

 御名斗は少し物足りなさそうだったが、須藤に頬を摺り寄せた。汗と潮と、かすかな鉄の匂い。須藤の頬の 火傷をねっとりと舐めてから、御名斗は目を細めた。陶酔しきった表情に、須藤は下半身にじわりと熱が疼いた。 ああ、このまま一息に貫いてしまえれば、どんなにか幸せか。

「すーちゃんの左腕、どうなったのか知ってる?」

 御名斗は須藤の左胸に頬を寄せ、甘ったるく囁いた。

「俺がね、食べちゃったんだ」

 ちょっと照れくさそうに告白した御名斗は、須藤の脂汗が滲んだ首筋に唇を添え、真珠の粒のような前歯を肌に 添えた。がり、と力一杯噛まれて皮膚が食い千切られ、粘ついた血が御名斗の唇を鮮やかに彩った。ごり、ごき、 と骨と筋を容赦なく噛み締めた御名斗は、えづきながらも血を啜る。

「すーちゃんが俺を買ってくれたのが嬉しくて、嬉しすぎて、それからもう、どうしたらいいのか解らなくなっちゃって、 だから、マスターにお願いして、すーちゃんの左腕を料理してもらったの。時間は掛かったけど、骨を食べるのは大変 だったけど、でも、頑張ったんだよ? 硬くて筋っぽくて苦かったけど、すーちゃんの体なんだと思うと食べずには いられなくて、全部食べちゃったんだ」

 血交じりの唾液を垂らしながら、御名斗は恥じらう。

「すーちゃんが死んじゃったら全部食べなきゃ気が済まないから、適当な人間を殺して食べる練習もしたんだ。だけど、 ちっともおいしくなかった。そのせいで、吸血鬼だなんだのって噂が立って女学生達に懐かれたりもしたけど、それは まあどうにかしたからどうでもいいんだけどね。すーちゃんも、俺の体は骨まで全部食べてくれるでしょ?  すーちゃん、俺のこと一杯齧ったり舐めたりするじゃない? だから、食べたいんでしょ? 食べてよ、食べて くれないと、俺、今の今まで生きてきた甲斐がないよ」

 それが、お前の見出した愛の在り方か。稚拙で乱暴で、それ故に解りやすい。愛する相手と一つになりたいと願うのは必然で あり、性欲と食欲は直結している。身震いするほどの情欲に襲われた須藤は、御名斗の汚れた口元を拭ってやってから、その 口中にぬるりと舌を差し込み、己の血を味わった、
 甘く愛おしい、肉を噛み千切った。




 歌が終わる頃、闇の繭が綻んだ。
 そこにいたのは、口から血を流す御名斗を横抱きにした須藤だったが、顔色は土気色を通り越していた。彼の口 からはみ出していたのは小さな肉片で、御名斗の口から零れている舌は――半分ほど千切られていた。切り口は荒く、 歯形が付いている。闇の繭の中で何が起きたのかを悟り、狭間は血の気が引いた。

「あ……」

「これでいいんだろう、ソロモン王!」

 肉片を飲み下した須藤は、血交じりの唾液を飛ばして叫ぶ。舌を損なえば発音が狂い、肉声では祝詞をあげられなく なる。魔法も使えない。だが、口からの出血が止まらないらしく、軍服の襟から胸元に鮮血の染みが広がっていく。舌を 食い千切られた御名斗は激痛に苛まれているはずなのに、異様に晴れやかな顔をしていて、無邪気な笑顔を浮かべてすら いた。その気持ちは決して理解出来ないようでいて、手に取るように感じ取れてしまう。今、二人は死の淵に立っている からこそ、繋がり合っているのだ。それがどうしようもなく羨ましくなるのは、愚かさ故だ。

「後は、どうにでもしろ」

 須藤は左腕と成っていた闇を放り出し、甲板にぶちまけると、その上に立った。狭間は彼の蛮行を止めようと手を 伸ばしかけたが、躊躇った。須藤は血みどろの唇を舐めてから、一笑する。

「礼を言うぞ、狭間。おかげで、俺と御名斗に良い死に場所が見つかった。粗悪品のチャカでドタマをぶち抜かれて 山奥に埋められちまうよりも、コンクリを抱かせられて横浜湾に沈められるよりも、ヤク漬けで前後不覚になっちまう よりも、よっぽど上等な終わり方じゃないか」

 お幸せに、御愁傷様、お疲れ様とでも言うべきだったかもしれないし、あんた達は狡い、と妬むべきだったかも しれない。けれど、狭間の拙い語彙ではつまらない言葉しか送れなかった。

「……どうか、悔いのないように」

 御名斗は須藤に何か言おうとしたが、血と唾液が口に溜まっているせいで、言葉にすらならなかった。だが、須藤 はその意味が解っているのか、なんだか照れ臭そうに笑った。須藤の左腕の根元に喰らい付いていた闇がずるりと 剥がれ、闇が深度を増す。途端に、クル・ヌ・ギアは牙を剥いた。朽ち果てかけた命を拾いに来たのだ。ぎゅばりと 深海魚の如き口を開き、男とその伴侶に喰らい付き、そして――――浅い渦を巻いて闇は消えた。

「あれでよかったんですよね、きっと」

 闇から弾き出された二丁の怪銃を手にし、狭間は弱く呟いた。ボニー&クライドは事態に付いていけていないのか、 呆然としていて、怪獣電波も途絶えていた。彼らをベルトに押し込んでも、銃身は熱を帯びなかった。

「当人同士が幸せなら、それでいいのよ」

 きっとね、と付け加えてから、悲は怪獣弾頭を仰ぎ見た。狭間は込み上がってくる感情を持て余しながらも、怪獣 弾頭と向き合った。悲と海兵達の歌が届いたことにより、怪獣弾頭は朧気ながらも意識を取り戻していた。狭間は その絹糸のように細い怪獣電波を辿り、捉えると、ミサイルがぎしりと軋んだ。
 途端に、堰を切ったように怪獣の記憶と感情と苦痛が流れ込んできて、狭間は喉の奥に胃酸の味を覚えた。が、 意地と根性で堪え、凌いだ。怪獣弾頭にされた怪獣は、以前は軍艦の動力怪獣として運用されていたのだが、戦後 に多くの戦艦が解体されたことで、シャフトやギアを外されて海中へと沈められるはずだった。しかし、怪獣弾頭 の開発が再開されたため、体に埋め込まれる部品は日に日に増えていき、改造される個所も増えていき、最終的 には脳と神経と内臓を摘出されてしまった。骨がなければ怪獣電波も発せないため、他の怪獣に窮地を伝えること すら出来ず、苦痛による悲鳴も上げられず、終わりのない絶望に没していた。だから、今、人の子を通じて他の怪獣 達に伝えることが出来て、とても嬉しい。滅びを知れた幸福を。
 ぎぎぎぎぎ、と一際激しく震えた後、怪獣弾頭はひび割れた。円錐型の先端が内側から爆ぜ、熱い肉片が四方 八方に飛び散った。推進装置の動力怪獣達もまた気力を失い、でろりと崩れたのか、金属製の筒が内側から溶けて いった。程なくしてミサイルは完全に黙し、冷え切った。

〈……人の子〉

 怪銃、クライドがぎちぎちと震えた。

〈……どうしてあの子を止めてくれなかったの〉

 怪銃、ボニーが銃身を火照らせる。

「無粋なこと言ってんじゃねぇ、それでもお前らは一条御名斗の愛銃かよ」

 人の恋路を邪魔出来るような権利もなければ、立場もない。狭間は舌打ちし、服が焦げたら大事だと二丁を引き 抜き、投げ捨てると、ボニー&クライドは独りでに宙を舞った。銃身から熱を噴出させ、蒸気を含んだ排気で周囲を 白ませながら浮遊している。器用なことをするものだと感心したのも束の間、狭間はすかさずライキリに手を掛け、 ぱちんと鯉口を切った。戦うつもりではなかった。だが、他に取るべき術もなかった。
 敵意と絶望と害意とある種の陶酔感を帯びた怪獣電波が狭間の脳を貫いたのと、ライキリが二丁の怪銃を両断 したのは、ほぼ同時だった。一陣の風が吹き抜け、二丁の体液が甲板に飛び散り、ライキリの刀身を赤く濡らした。 ごとん、と甲板に転げ落ちた四つの鉄塊は、鈍色の筒に収まっていた肉塊が露出し、うっすらと蒸気を上げていた。 余熱が体液を煮やしていたのはほんの一瞬で、すぐさま外気が熱を奪っていった。

〈人の子……!〉

 高揚を隠し切れないのか、ライキリはかちかちと鍔を鳴らしている。

〈ようやく俺達の時代が来やがった。神話時代でも黄金時代でも鉄の時代でもない、新時代よ!〉

「そうだな、そうなっちまったな」

 間違ったことをしたのかもしれない、と狭間はちらりと思ったが、もう手遅れだ。怪獣同士で傷付け合ったこと を目敏く感じ取ったのか、外気温が更に冷え込んだ。ずしりとした鉛色の雲の間からは、日光ではない禍々しい光 が差し込んでくる。この時を待ち侘びていたのだろう、上空を埋め尽くすほどの光の巨人の軍勢が出現し、狗奴国 を包囲した。彼らが海面に降りた途端に波は凍り付き、雪は消され、寒風だけが吹き付ける。
 あまりのことに、悲でさえも焦っている。狭間は心臓がひどく痛んだが、メーを抜き、刃のない刀身を銜える。粘膜と メーを接触させ、神経を繋げるためだ。先程は無意識だったが、今度は意識的にエ・テメン・アン・キに接触して 能力を引き出した。狭間が発した怪獣電波をほんの少し注いだだけで、神話怪獣は脈動する。
 波が肌を擦り、風が神経を削ぎ、内なる熱が魂を燻らせる。大気の厚みと水の重み、大陸の質量とマグマの 熱量、無数の生命体が放つ生命の灯火、そして無数の意識が奏でる無数の言語と無数の感情と無数の知性と無数の 記憶。無論、狭間にそれを束ねる力はないが、エ・テメン・アン・キにはある。狭間はライキリを握り締めて意識を 研ぎ澄まし、怪獣電波が届く限り、エ・テメン・アン・キの肉体の在り処を探し求めた。横浜にあるものだけでは なく、世界各地に眠っている肉片を感じ取り、分断されてはいるが並列化している意識を絡め取り、意識の隙間に熱を 流し込んだ。膨大な熱は、予期せぬ肉体の変動に混乱するエ・テメン・アン・キの意識を混濁させ、そして。
 ――――遥か沖合いに、光の柱が立った。狗奴国の船体に触れようとしていた光の巨人の手が止まり、触手が 止まり、光の天使達は硬直し、光の巨人達は一斉に身を反転させた。次々に新たな光の柱に向かっていき、狂おしく 抱擁を求めては消失する。その方角から吹き付ける風はほのかに生温く、春の香りさえした。

「……無茶苦茶するわね。だけど、どうして」

 悲の問いに、狭間はメーを口から外す。

「そうすべきだと気付いたんですよ、今し方。海底深くに埋まっていたバベルの塔の破片の破片、というか、 エ・テメン・アン・キの破片を叩き起こして意識を混濁させて、吹っ飛ばしてやったんです。つまり、死んで もらったんです。光の巨人は、その熱を追いかけていってくれたんです」

「だけど、そんな方法で光の巨人を退けたことなんて、今までに一度もなかった。……いえ、違うわ。怪獣同士が それを拒んでいたから、怪獣を熱させて光の巨人を誘き寄せることだけで精一杯だったのよ」

「そりゃそうですよ。世に出ている怪獣は、穏健派――というかティアマトの思想に染まり切った怪獣ばかり なんですから。でも、ボニー&クライドとライキリは強硬派なんです。強硬派については以前説明したと思う んですが、彼らの本質は戦い合うことじゃなく、停滞しきった怪獣の世界に刺激を与えることにあるんです。 だから、死は最高の刺激になるんです」

「でもって、死んだ瞬間に発する過剰な熱は光の巨人を相殺してしまう、と。最初からそうしておけば、地球の あちこちに大穴を開けられずに済んだはずなのに……。いえ、それは言っちゃいけないわね」

「神話怪獣が暇を持て余してイカレたように、他の怪獣達も長らえすぎて退屈しているんですよ。だから、彼らに とっては死の瞬間は解放であり幸福でもあるんです。怪獣弾頭と話してみて、よく解りましたよ。やっぱり、怪獣は 人間とは価値観が根底から違うんです。それでこそ怪獣ってやつですよ」

 打開策は見い出せたが、あまりにも過激だった。今まで疎んじられてきたこと、遠ざけられてきたことには 確固たる理由があるが、別の理由もあったのだ。狭間は、今、それを身を持って知った。長らく怪獣同士の争いが 避けられてきたのは、どこぞの怪獣が怪獣同士の争いで生まれる熱を疎んだからだ。それが誰なのか、考えるまで もない。怪獣聖母ティアマトだ。光の巨人をこれ以上出現させないためにも、直接会って話さなければなるまい。
 そのためには、南極に行かなければ。





 


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