横濱怪獣哀歌




火星ノ赤キ丘



 事を起こす前に、狭間はアトランティスの住民達に自分の存在を知らしめた。
 マリナー一族の一件である程度顔が知れてしまったが、それだけでは不充分だからだ。ムラクモの力を借りて 水を供給していたことで、住民達から慕われていた千代の助力もあり、狭間真人という人間とその体質について は受け入れられた。だが、ツブラはそうもいかず、シャンブロウを恐れている人々からは疎まれた。地球に帰る ためには全住民の力が必要だ、と説明したが、こちらもすんなりとは納得してもらえなかった。それは無理からぬ ことなので強制はせずに、まずはアトランティスを目覚めさせる作業を手伝ってほしいと申し出た。居住臓器の 拡張は現時点でも充分な利益となるので、それについての賛同は多く得られ、野々村を始めとした肉体労働者が 相棒のサンダーチャイルドと共に志願してくれた。
 最初に、火星のあちこちに散らばったアトランティスの切れ端を発掘した。サンダーチャイルドとその中に入って いる人々の力を借りて、アトランティスの破片を覆っている泥や岩を砕いてやると、自力で浮上して本体まで戻って くれた。地球までの旅路は長い、五千人もの人間の生命活動を維持するために必要な物資を運ぶためには、これ までのものの数倍もの規模の居住臓器が必要となる。水にせよ空気にせよ何にせよ、循環させるためには元となる ものが必要だからだ。また、居住臓器に備え付けられている循環機能も長い眠りによって完全に停止しているので、 それがきちんと動くのかどうかも調べる必要があった。臓器と言えども構造は機械に近いので、佐々本のような 技術者達が大いに役立ち、いずれの臓器も機能が万全であることが解った。
 狭間の役割は、サンダーチャイルド達の統率とアトランティスの意思から切り離されているために自我が希薄な 破片を無事に本体まで導くことと、人々を鼓舞することだった。地球での出来事を途切れなく話してやって、人々が 確かな望郷の念を抱くようにさせていった。ツブラはシャンブロウへの偏見と恐怖を溶かすため、千代と共に人々と 触れ合い、地球の緑の丘を歌って聞かせた。狭間は怪獣達に聞かせてやるため、ツブラの神話時代の歌に地球の 緑の丘の歌詞を載せた歌、火星の赤き丘をしきりに歌ってやった。
 いつしか、アトランティスの中と外は歌で満たされていた。地球を懐かしんではいけない、それは苦しいだけだ、 という風潮があったのだが、狭間が地球に帰れると明言したことで感情が解き放たれたからだ。地球の緑の丘は、 その感情を高めるには打って付けだったからだ。
 だが、誰も彼も地球に帰りたいわけではないだろう。人間の数だけ世界があり、価値観があり、信念があることは 身を持って知っている。だから、狭間は今や居住区のリーダー格となった千代にそれとなく尋ねてみると、千代は 居たたまれなさそうに俯いた。ふざけた巫女の衣装ではなく、若者らしいシャツとジーンズ姿だった。

「あれから、色んなことを考えたの」

 手狭な家の居間で、千代は狭間と向かい合って座っていた。

「私はどうすればいいんだろう、ムラクモ様とどうなることが幸せなんだろう、って」

「ああ、俺も考えた。うんざりするほど考えて、俺は自分なりの答えを出した」

「私もそうなの。だけど、考えれば考えるほど、どうすればいいのか解らなくなってきちゃって」

 ほんの少しの茶葉から煮出した薄い茶を啜り、千代はその水面を見つめる。

「ムラクモ様は人を殺してしまった。その原因は私で、それがムラクモ様なりの優しさの表れだと知っているけど、 事実は変えられない。だから、地球に帰ったとしたら、ムラクモ様は今度こそ御自分を罰してしまう。火山の中に 身を投じて、卵に戻ってしまう。そうなったら、私は二度とムラクモ様にお会い出来ない。そんなの、嫌」

 眼帯に覆われた左目を手で覆い、千代は顔を歪める。

「ムラクモ様と、ずっと一緒にいたい。あの御方と一緒にいるとどんなことも辛くないの。まーくんほどじゃないけど、 ムラクモ様と通じ合えると心が満たされていくの。はっきりとした言葉は聞こえてこないけど、だからこそムラクモ様が 私を大事にしてくれているのが解るの。地球には帰れない、火星でムラクモ様と生きていたい」

「誰がお前を責めるもんか」

 狭間は千代の顔を上げさせ、肩を叩いてやる。

「ソロモン王たる人の子が認めてやる。火星にいてもいい。アトランティスの居住臓器はまだまだ予備があるんだ、 そいつをムラクモや他の怪獣達と一緒に開拓していけばいい。そうすれば、ずっと一緒にいられる」

「だけど」

「そうと決めたら、迷うんじゃねぇ。せっかく生き延びたんだ、やりたいようにしねぇと勿体ねぇぞ」

「――――ありがとう、まーくん」

 千代は右目を拭ってから、笑った。

「うん、そうだね。そうだよね。明日、皆に聞いてみるよ。地球に帰りたくない人がいたら申し出てほしい、って。 生きやすい場所と生きられる場所って違うもんね。私の場合は、それがムラクモ様の傍だったってだけなんだ」

 その一部始終を、ツブラは狭間の背後からじっと睨んでいた。決して千代が嫌いではないし、むしろ好きな方では あるのだが、嫉妬を処理しきれないからだ。千代もそれを解っているので、ツブラを放っておいた。下手に慰めたり、 ちょっかいを出したりすると、お互いに良くない感情が生まれてしまいかねないからだ。狭間もまた、幼馴染と未来の 伴侶の関係の行方を見守っていた。微笑ましいような、やりづらいような、それでいてくすぐったいような。
 その後、千代が火星残留希望者を募ると、百人前後が申し出てきた。




 シュヴェルト・ヴォルケンシュタインもその一人だった。
 元枢軸国軍魔術中尉である男は、年齢と苦労を重ねた容姿となっていた。従軍する以前に得た医師としての資格 と知識を活用し、居住区の一角に診療所を開業していた。彼の患者の中には、羽生鏡護の妻である羽生満月もおり、 彼女が無事に我が子を出産していたと知った。彼を慕う者は多いが、その過去に付いて知る者はおらず、彼もまた 人々に尽くす一方で頑なに心を閉ざしていた。故に、彼の人となりに付いて知る人間はいなかった。
 しかし、怪獣はそうではない。光の扉と同等の性質を持つ護国怪獣の光線を受け、シュヴェルトと共に火星へと 飛ばされてきた怪獣達に対してはシュヴェルトは苦しい心情を吐露していた。診療所の周囲を守っている海洋怪獣 達は、どれほど人に尽くしても償い切れない罪を抱えている男に同情する一方で、人間の不可解さについてしきりに 語り合っていた。そんな彼らから得た話の中で、狭間は驚くべきことを知った。かつて、シュヴェルトは枢軸国軍 の新兵器開発実験で羽生の故郷である集落に光の巨人を出現させ、消滅させてしまったと。そして、羽生の故郷の 土着の怪獣である地脈怪獣ウワバミと、ウワバミと通じ合える性質を持つ女性、砂井久美がレムリアに移り住んだ のはシュヴェルトが現れたからであり、ウワバミと久美が住んでいたレムリアがクル・ヌ・ギアに飲み込まれる遠因 を作ったのは自分であると自責していた。そして、その罪悪感から、久美の弟の妻である満月とその我が子を守る べく尽力していることも。だが、それが償いになると信じ切れないということも。

「俺は、あなたを慕って止まなかった女性を知っています」

 シュヴェルトの診療所にて、狭間は魔法使いたる男と対峙した。

「そして、あなたの一族を守ろうとして道を誤った男も知っています」

「カナとコウジか?」

 流暢な日本語で応じたシュヴェルトは、灰色の瞳を真っ直ぐ向けてきた。

「そうです。綾繁悲さんと海老塚甲治さんです。カナさんは生きながらにして死んだ末、クル・ヌ・ギアとエレシュキガル と共に在るようになり、光の巨人を産み出すミンガ遺跡を道連れにしてクル・ヌ・ギアとこちらの世界の繋がりを 断ち切ってくれました。……やっとのことで、本当に死ねたんですよ。海老塚さんは、俺がバイトしていた喫茶店 のマスターであり、ヴォルケンシュタイン家の魔法を継ぐマスターでした。マスターはあなたの御爺様を慕うあまりに 愛し、長らくその苦しみに囚われ、ヴォルケンシュタイン家を復興させたい一心で怪獣使いを滅ぼそうとさえしました。 今は、落ち着いておられますが」

 狭間が一連の出来事の一端を述べると、シュヴェルトは顔を歪め、肩を怒らせる。

「そうか……」

「あなたがお帰りになれば、マスターはどうお思いになるか、俺なんかでは想像も付けられません。当たり前に生還 を喜ぶのか、執念を燃やした日々は無駄だったのだと落胆するか、それとも」

「ああ、俺にも解らない。解る気がしない」

 シュヴェルトは嗚咽交じりに漏らし、広い背を丸める。

「ブリューメは、もういない。俺の婚約者だ。俺が従軍している間に、連合国軍がな……。俺が海に出ている時に、 襲われて、それで……。いつもそうなんだよ。俺は何も出来ず、守れず、無様に生き延びることしか出来ないんだ。 カナもそうなってしまった。だから、コウジに会えるはずがない。ヴォルケンシュタイン家なんて忘れて、好きに 生きてくれればよかったんだ。義理立てせずに、魔法使いにもならずに、生きていてほしかった。だが、それも俺に エゴに過ぎないんだ」

 太い指の間からぼたぼたと涙を落とし、男は慟哭する。狭間は手を差し伸べることも出来ず、ただただその激情 を受け止めていた。彼が答えを見つけるまでには、どれほどの時間が掛かるだろうか。海老塚と同じか、それ以上 かもしれない。彼自身が己を許せる日が来ることを願うしかない。戦争の狂気に負けたのはシュヴェルトだけでは ないが、戦争の大義名分に基づいて手を下したのは彼自身だ。ケツの青い若造が綺麗事をほざいたところで、彼の 苦しみを深めてしまうだけだ。だから、シュヴェルトが落ち着くまでは傍にいた。
 診療所を後にすると、生まれて間もない赤子を抱えた女性が立っていた。彼女の傍には、秋田あかねとその恋人 である鬼塚八尋が寄り添っていた。狭間は気後れしたがツブラはそうでもないらしく、あかねに駆け寄っていった。 船島集落の面々が住まう地区には何度か顔を出し、狭間は両親と再会して互いの無事を確認して真琴が元気だと伝え たのだが、それからすっかり御無沙汰だった。

「狭間君」

 シュヴェルトの異変を察知してか、あかねは不安気に診療所を窺った。

「シュヴェルト先生、大丈夫なの?」

「それは俺からはなんとも言えん。あの人自身がどうにかしなきゃならないことだ」

 狭間は羽生の妻に一礼すると、羽生満月もまた礼を返した。

「初めまして、羽生さんの奥さん。横浜では、羽生さんに随分と御世話になりました。何度も助けて頂いて、知恵を 貸して頂きました。羽生さんは、いつもあなたを案じておられました」

 狭間はポケットから羽生の手紙を出し、丁寧にシワを広げてから、満月に差し出した。

「ありがとうございます、本当にありがとうございます」

 満月は手紙を受け取ると、体を折り曲げんばかりに頭を下げる。手近な場所に腰を下ろしてから、満月は手紙を 食い入るように読み始めた。頬を緩ませているが目は潤んでいて、赤子は母親を案じて小さな手を伸ばしている。 きっと、羽生なりの愛の言葉が綴られているのだろう。

「鏡護さん、相変わらずなんだから。……でも、よかった。元気そうで。ちゃんとご飯食べてるかな」

 満月は鼻を啜ってから、娘の産毛が生え始めた頭を撫でてやる。

「あなたの名前をどうしようって考えていたけど、いくら考えてもしっくりくる名前が思い付かなかったんだ。だから、 お父さんが付けてくれた名前を付けるね。けい。あなたは螢!」

 螢、螢、と何度も娘の名を呼びながら、満月は娘に頬を寄せる。

「一緒に地球に帰ろうね。それから、お父さんに会おうね。頑張ろうね!」

「失礼ですが、満月さんっておいくつなんですか?」

 人妻にしてはいやに若い口調だ。狭間が問い掛けると、満月ははにかむ。

「今年で二十一です。鏡護さんとは一回り離れているんですけど、まあ、お見合い結婚ですから」

「そりゃ羽生さんが大事にするわけだ」

 羽生の妻への愛の深さを思い出し、狭間はちょっと笑った。

「え? 具体的にどんな感じだったんですか? 教えて下さい!」

 すると、満月が喰らい付いてきた。その勢いに気圧され、狭間はちょっと身を引く。

「へ? あ?」

「鏡護さん、理屈っぽくて面倒臭いくせにいやに純情だっていう変な性格じゃないですか。だから、私のことも 遠回しに構ってくるだけで、螢が出来たばかりの頃もそうで、目を合わせようとすると逃げるし、面と向かって 話そうとすると訳の分からないことを捲し立てるし……。手紙もやっぱりそんな感じで、でも、それが鏡護さん なんだなぁって思うとなんだか安心しちゃって」

 やだ、何言ってんだろ、と満月は照れ笑いする。

「で、改めてお尋ねしますけど、鏡護さんはどうしていたんですか?」

「えーと……羽生さんは色々あって帝国陸軍の玉璽近衛隊特務小隊に入隊して、技術少尉として従軍されていた んですけど、その頃から空を見上げては満月さんの御名前を呼んでいたんです。恐らく、火星の方角を見上げて いたんじゃないかなぁ、と」

 狭間が答えると、満月は徐々に目を見開いて赤面した。

「そんなこと、するんだ……。あの人……」

 ちょっと気持ちを整理させて下さい、何が何でも地球に帰らなきゃ、と満月は零しながら、怪獣の骨を加工して 造られたベンチに腰を下ろした。羽生の行為はストレートとは言い難い愛情表現ではあるが、満月からすれば 余程の大事だったのだろう。それも羽生らしいと言えばらしいのだが。

「ヤンマはどうする? 地球に帰る? 私は別にどっちでもいいような気がしてきたけど」

 ツブラの相手をしつつあかねが言うと、八尋は困惑する。

「何を言い出しやがる」

「私だって色々と考えるんだよ、馬鹿にしないでくれる? 船島集落の暮らしも嫌いじゃなかったし、食堂の跡継ぎ になってもいいかなぁって漠然と考えていたけど、狭間君が上京したのを知ってからは、地元から出てもいいんだ って思うようになってさ。で、火星に来てからは大変なこともあったけど、他の国の人とも出会えたし、怪獣達とも なんとかやれているし、何よりヤンマがまともに仕事をしてくれる。ヤンマをそそのかすような暴走族も、ヤクザに なった先輩もいないからね!」

「論点はそこかよ」

「そりゃそうだよ。でも、それ自体には随分前から気付いていたんだ。だから、一人前の板前になって悪い連中とは 付き合わないようにさせようとしたんだけど、ヤンマは未だに寺崎さんに憧れているみたいだし、狭間君が戻って きたら出会い頭に殴っちゃうしさ……。私はヤンマが好きだよ。だけど、それはちゃんとしている時のヤンマで あって、馬鹿なことをして大騒ぎしている時のヤンマじゃないんだ。それなのに、ヤンマは悪いことをするのが 格好いいって信じていて、そればっかりは私じゃどうにも出来なくて……」

 あかねは声を上擦らせ、両手をきつく握り締める。

「あかね、俺は」

 八尋はあかねに掴み掛かろうとしたが、躊躇い、深呼吸した。それから、狭間に向き直る。

「狭間。教えてくれねぇか。本当に格好いいことってのは、なんなんだ?」

「これは俺の持論というか経験則でしかないんですが、暴力と実力ってのは似て非なるものなんですよ。俺はこれまで に日本刀の怪獣を振るったり、超人的な力が得られる怪獣を身に纏って暴れたり、ツブラの触手で体を覆って 怪人ごっこをしてみたり、ソロモン王だのなんだのと名乗ってみたりしてみましたけど、結局は俺自身が成長しない とどうにもならない事態ばっかりでした。そりゃ、暴力は目に見えるから解りやすいものですけど、安易なんですよ。 詰まるところ、鬼塚先輩はあかね先輩とどうなりたいんです? 御自身がそれを解っていれば、俺が教えること なんて何もありませんよ」

 行くぞツブラ、挨拶行脚しねぇと、と狭間がツブラを手招くとすぐにやってきた。鬼塚は思い詰めた顔をしていた が、何らかの決意が漲っていた。あかねはぽかんとしながら狭間の演説を聞いていたが、我に返ると、鬼塚の手を 引いて居住区へと戻っていった。満月は狭間に再度礼をしてから、帰路を辿っていった。柄にもないことを言って しまった、と狭間は羞恥心に駆られながらも、ツブラと繋いだ手は緩めなかった。
 二度と離すものか。





 


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