横濱怪獣哀歌




火星ノ赤キ丘



 それから、狭間はマリナー一族の現当主たる少年を捕らえた。
 先代当主の直系の血縁者は彼しかおらず、それ以外の家人達は後釜を狙って集まってきた者達で、縁もゆかり もない者ばかりだった。千代を片目の巫女として祭り上げていたのもその者達で、女性達を虐げていたこともまた 少年の意思とは無関係であると解った。だが、少年が火星らしからぬ潤沢な生活に耽溺しきっていたことも確かで あり、水の供給を制限していたことは彼の指示によるものだった。背が高いので、最初に見た時は真琴と変わらぬ 年頃かと思ったが、地球の暦で十五歳になったばかりなのだそうだ。
 野々村の住まう家にて、狭間は少年から一通り話を聞いていた。といっても、口頭ではない。驚くことに、少年 は怪獣電波を送受信出来る体質を持ち合わせていた。そういえばアトランティスは少年と話すことは何もないと 言ったのであって会話出来ないとは言わなかったな、と狭間が内心で考えると、少年は目を上げた。澄んだ青い瞳 ではあるが、眼差しは不安と敵意で淀んでいた。

〈あんたは一体なんなんだ?〉

 少年の感情に応じて、怪獣電波は尖っていた。

「怪獣共は俺を人の子と呼ぶ。またの名をソロモン王。しかしてその実態は怪獣を嫁にもらう男、狭間真人だ」

 狭間は口で喋りながら、同じ内容を怪獣電波に込めて送った。

「お前は親からなんて呼ばれていた?」

〈解らない。覚えていない。僕は自分がなんなのか、よく解らないんだ〉

「お前は人間だ。俺と似たような体質を持ってはいるが、だからって特別なわけじゃない」

〈人間って、どうしてそうやって口吻を動かして音を出すんだ?〉

「はあ?」

〈べちゃべちゃと変な音をやり取りしては顔を動かしているけど、あれはなんなんだ?〉

「そりゃ、喋っているからだ。今の俺みたいに」

〈どうしてそんなことをしなきゃならないんだ?〉

「言葉で情報を交換しないと意思の疎通が出来ないし、それが出来なければ何事も上手くいかないからだ」

〈どうしてそんなものに頼っているんだ?〉

「怪獣電波みたいなものが使えないからだ。というか、そんなものは使えないに越したことはないんだがな」

〈あんたは僕みたいなことが出来るのに、なんでわざわざ音を出しているんだ?〉

「俺が喋っていないと、野々村さんと佐々本さんはまるで意味が解らんだろ」

 狭間は事の次第を窺っている家主とその友人に一礼してから、改めて少年に向き直る。服の裾からはみ出した 手足はひょろ長く、二次性徴の真っ只中だ。白い肌と色素の薄い茶色の髪の西洋人で、顔形は整っていて、幼少 のみぎりはさぞや麗しい子供だったのだろう。

「んー……」

 少年が垂れ流している怪獣電波を拾い、その中の記憶を目にし、狭間は言い切った。

「ガキの頃、お前が会ったのはシャンブロウじゃない。ありゃ、エレシュキガルだ。だが、そのエレシュキガルは もうクル・ヌ・ギアの向こうに行っちまったから会うに会えないし、あいつがお前を可愛がってくれる保証なんて どこにもないし、むしろその逆だ。骨の髄までしゃぶられて喰われちまうだけだぞ」

〈シャンブロウはシャンブロウだ! シャンブロウは僕を迎えに来てくれるんだ!〉

 少年は怪獣電波を荒立たせて腰を浮かせると、狭間の背後に隠れていたツブラが目を据わらせる。

「違ウ。ツブラ、マヒト、オ嫁サン。オ前、知ラナイ」

「だとさ」

 狭間がにたつくと、少年は呆然として座り込んだ。とりとめの付かない思考と言葉が混じった怪獣電波がだらだら と流れてきて、初恋の相手にやっと出会えたのに当人には既に恋人がいた、というショックを受け止めきれずにいる ようだった。狭間はそれに引き摺られそうになったので、怪獣電波を感じ過ぎないように感覚を閉ざした。それから、 二本目のゴールデンバットを吸って気分を紛らわす。

「お前からすれば、人間は家畜みたいなもんなんだろうな」

 かつて、綾繁哀がそう思っていたように。狭間の言葉に、少年は丸めた背を強張らせる。 

「だが、そうじゃないんだ。お前と同じ生き物なんだ。無論、全員と解り合えるわけじゃないし、気が合うわけでもない し、色々とやらかしちまったお前を許さない連中も山ほどいるだろう。実際、俺もお前を許す気は更々ない。千代が いなかったら、今の俺はないからな。千代が真っ当な友達として接してくれて、怪獣の声が聞こえるとのたまう俺を 馬鹿にしないで話を聞いてくれたから、一緒に遊んでくれたから、俺は自分が他の人間とはちょっとだけ違うという ことを知ることが出来たんだ。それを知らずにいたら、俺はお前みたいになっていただろうさ。ぞっとしねぇ」

 鉱石をくりぬいた器にタバコの灰を落とし、狭間は渋い煙を緩く吐き出す。

「そうなっちまっていたら、俺は火星にまで来られなかっただろう。ツブラを助けることも出来なかっただろうし、真琴 と仲良くなれなかっただろうし、何より怪獣共が俺を人の子として認識してくれなかっただろう。怪獣共にとっては、 人間なんざどれも同じなんだ。個体差なんて解るはずもないし、そもそも俺の名前を覚える気すらないんだ。だから、 いつまでたっても人の子呼ばわりなんだ。色々あって人間の娘に寄生しているカムロや、怪獣使いに従属して いるヒツギやらは例外だが、それはその怪獣と人間が強く結び付いているからだ。人間だって同じだ。だから、俺は お前の名前なんざ知りたくもないし、もっと言えばお前自身にも興味がない。それはなぜかなんて、考える必要 すらないだろ? お前が浅い考えでやらかしてきたことで、千代もムラクモも他の連中も多大な迷惑を被ったんだよ。 だが、お前は罪の自覚もなければ、それを自覚しようとする心構えさえない。それはなぜか? そう、お前は自分が 凡俗な人間であることを認めていないからだ。俺か? 俺は俗な野郎だ、そんなのは自分が一番よく解っている。 さっきだって、ストームブリンガーが力を貸してくれたからどうにか出来たのであって、俺自身の力なんて大した ことはない。怪獣の声が聞こえるのは才能でも能力でも幸運でもなんでもない。――――ただの体質だ」

 狭間は側頭部に指を添え、軽く小突く。

「知っての通り、千代のようにはっきりと怪獣電波が捉えられなくても感じ取れる人間はいるんだ。怪獣使いの ように、道具の力を借りて怪獣の声が聞こえるようにする人間もいる。ともすれば、魔法使いのように怪獣の意思を 全て無視して道具として行使する技術を会得した人間もいる。戦争やら事故で体の一部を失い、怪獣義肢で補った ことでその怪獣と神経で通じ合えるようになる人間も大勢いる。怪獣の体液を血液代わりに輸液したことで、怪獣 の特性を得て怪獣人間となる人間も山ほどいる。生き残っているのは少数だがな。世の中を知れば知るほど、俺は 特別でもなんでもないんだと思い知らされた。だけど、それは悪いことじゃない。むしろ、俺は怪獣ありきの世界に 順応した体で生まれてきたんだと開き直れたんだ。お前もそうなんだよ、少年。つまり、人間は生まれながらにして 怪獣と通じ合える性質を持っているが、それが表に出るか出ないかという些細な違いがあるだけなんだ。怪獣と人間 の肉体を繋ぎ合わせてくっつくってことは、元を正せば似たような生き物だってことだろ?」

 狭間は安いタバコをじっくりと味わい、ニコチンを血中に巡らせる。

「俺はこういう人間だ。お前の過ちを正して導けるほど立派じゃないし、二十二になろうかという男なんてケツの青い クソガキだから、自分のことだけで手一杯なんだ。俺はツブラと出会って、自分が何をすべきか、何者なのか、どこに 向かうべきかをほんの少しだけ見出せるようになった。お前はどうしたい?」

 少年の眼差しが上がり、彷徨う。

〈わからない。なにも。あんたがなにをいいたいのかも、わからない〉

「そりゃいい、俺だって自分が何を言っているのかよく解らねぇよ。この一年、色んなことがありすぎてさ」

 狭間は肩を揺すって笑ってから、背後のツブラを一瞥する。そして、少年を正視する。

「地球に行ってみたいか?」

〈ちきゅう〉

「そうだ。少し前まで俺が住んでいた場所だ」

 狭間がブリガドーンから見下ろした地球の光景を思い浮かべると、少年は怪獣電波を通じてそれを見た。 

〈水がある〉

「あと、映画もある。細切れじゃなくて、ちゃんとしたやつだ」

〈それは観たい。この街の映画館で上映されている映画は、どれもこれもぶつ切りで意味が解らないんだ。結末が 知りたくても、どうやって探せばいいのか解らないんだ。自分の頭の中で思い描いてみるけど、そんなものはただ の紛い物なんだ。――――地球に、行ってみたい〉

 少年は僅かに身を乗り出し、口を動かそうとしたが、やはりまともな言葉は出てこなかった。

「だそうだが、アトランティスはどう思う?」

 狭間が大陸怪獣に訊ねると、アトランティスはかすかな地鳴りと共に応じた。

〈ううん……。私もあの映画の結末は物凄く気になるが、地球に向かうためには離陸しなければならないだろ?  輝水鉛鉱を掻き集めたとしても、体を少し浮き上がらせるだけで精一杯で、火星の重力圏から脱するほどの熱量は 得られないんだ。光の扉が使えたとしても、私のように膨大な質量を持つ怪獣を転送するためには恐ろしく大量の 熱量を消費してしまうし、熱量を集める手立てがない。大気圏外に出てしまえば、太陽光と太陽風から熱量を吸収 出来るようになるからどうにでもなるんだが……〉

「つまり、火星から飛び立てれば地球に帰れるんだな?」

 狭間が念を押すと、アトランティスの怪獣電波が撥ねた。

〈私を帰してくれるのかい!? 地球に!?〉

「俺はツブラと一緒に途中下車するけどな。……そうだな、月にでも放り出してくれ。後は自力でどうにかする。月にも 怪獣はいないわけじゃないからな」

〈ああ、そうだな。光の巨人がいなくなったことで怪獣電波が思う存分送受信出来るようになったし、中継してくれる 衛星怪獣が戻ってきたから、月とも連絡が付くようになったんだ。以前、クル・ヌ・ギアに引き摺り込まれて行方不明に なった大陸怪獣レムリアは、月にいたんだよ。あまりの質量の大きさに、クル・ヌ・ギアから弾き出されて しまったようなんだ。レムリアは地球よりも外の星にいる方が心地良い、と火星にいた頃からよく言っていたから、 人の子と天の子の申し出を受け入れてくれるだろう。して、私を飛び立たせてくれる熱源はなんなんだい?〉

「望郷ノ念」

 狭間の背後からするりと現れたツブラは、狭間の膝の上に収まった。

「光ノ巨人、ソノ熱量、燃料、シテイタ。エレシュキガル、ミンガ遺跡、改造シタカラ。ミンガ遺跡、エレシュキガル、 一緒ニ、クル・ヌ・ギア、消エタケド、ツブラ、イルカラ。イナンナ、ダカラ」

 ツブラは両手で虚空を掴むような格好をすると、その手中に光が現れ、爆ぜて消えた。

「ツブラ、歌ウ。ソウスレバ、熱量、変換、出来ル」

「こんな時に聞くのもなんだけど、ツブラはどうやって巨大化しているんだ? 質量があるようでないのが不思議だ、 みたいなことを鮫淵さんが言っていたから、なんか気になっちゃってさ」

 狭間が問うと、ツブラは触手を束ねて顔を覆う。

「アレ、ズットズットズットズットズット未来ノ、ツブラ。光ノ扉、作ル方法、チョット応用シテ、ソレデ……」

 ツブラは狭間の胸に顔を埋め、もじもじする。

「ズットズットズットズットズット未来ノツブラ、マヒト、会イタイ、ッテ、イツモ思ッテイルカラ、ダカラ……」

「じゃあ、さっきのツブラもそうだったのか? 具体的に何年後なんだ?」

 狭間が詰め寄ると、ツブラは触手を丸めて繭と化す。 

「百年、一千年、一万年、十万年、百万年、一千万年。ズットズットズットズットズット、ツブラ、マヒト、好キ」

「それじゃ、一千万年過ぎても惚れてもらえるように頑張らねぇとな」

 狭間はにやけながら赤い繭を撫でると、ツブラは更に縮こまってしまった。照れているのだ。

「で、その、なんだね。アトランティスを地球に帰すという話はどうなったのだ?」

 いちゃついているところにすまんが、と断りながら野々村が問い掛けてきたので、狭間は態度を改めた。

「要するに、人間と怪獣の望郷の念を熱量に変換してアトランティスに与えるんです。形のない感情を具体的な力に 変換するための方法は、俺が知っています。地球の緑の丘を歌うんです」

「音声が熱量を生むのか? ……いや、物理的に考えるべきではないな。そうだな、怪獣使いの祝詞も歌なんだ。 先程狭間君が言っていたように、全ての人間が大なり小なり怪獣と通じ合える性質を生まれながらにして持っていて、 アトランティスに住まう人間の地球への望郷の念を込め、それを彼女が増幅したならば可能なのだろう」

 野々村の肩越しに、佐々本がツブラを見据える。 

「望郷の念なら、誰にも負けない自信がある。手伝おう。俺にやれることがあれば、なんでもしてやる」

「だとさ。アトランティス、俺は何をすればいい? ついでに、こいつに何をさせればいい?」

 狭間は少年を指しながら、アトランティスに問い掛けた。大陸怪獣は難色を示し、少年は戸惑ったが、狭間が念を 押すとアトランティスは少しずつ語り出した。長い間、火星の地表に埋まっているので体を掘り出さなければならない こと、水脈を居住臓器まで繋げている管を断ち切らなけらばならないこと、居住臓器に住まう五千人弱の住民達の生命 維持に不可欠な物資を溜め込むための臓器を目覚めさせなければならないこと、などなど。
 どれもこれも大仕事だが、やりがいがある。





 


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