横濱怪獣哀歌




月面天女



 火星を発ってから、地球時間で三年一ヶ月が経過した。
 その間、大陸怪獣アトランティスの中では様々な出来事が起きていたが、狭間は居住臓器に住まう人々と怪獣に 干渉せずに済むように努めていた。地球では怪獣達にソロモン王として祭り上げられてしまったのが、思いの外 堪えていたからだ。自分の意思とは関係なく物事を進められたり、過度に期待されたり、やたらと信奉されたりする のは途方もなく疲れる。それに伴い、狭間真人という人間とは懸け離れたイメージが構築されてしまうばかりか、その イメージの枠組みから少しでも逸脱すれば好意が裏返って敵意となる。一方的な感情を押し付けられることは暴力 でしかなく、受け流すにも限界がある。アプスーの身の安全を図るためにも、狭間は皆から距離を置いた。
 そのために何をしたのかというと、アトランティスの調査である。ツブラに動力源になってもらい、シビックに 乗ってアトランティスの隅から隅まで調べてみた。知り合いに頼んで筆記用具やノートを調達してもらってから、アプスーと 宇宙服代わりの共生怪獣サンダーチャイルドを二体連れて至るところを走り回った。
 大陸怪獣アトランティスは菱形の怪獣で、全長は一〇〇キロ前後もあり、中心部 の全高は三キロ近くある。翼膜を張るための骨の全長は四〇キロ弱、青い光線を発する推進器官の直径も五〇〇 メートル以上もあり、調べれば調べるほど距離感がおかしくなりそうだった。アトランティスには顔というものは なく、先端部分の角に沿って目が一列に並んでいて、右に二十五、左に二十五、腹部に二十、末端に四十、と相当な数 だった。死角を作らないために進化した結果だろう。怪獣電波の発信器官も多く、受信器官となるアンテナ状のツノ はそれ以上の数があり、常に全方位へと怪獣電波を放っては跳ね返させて障害物がないかどうかを調べていた。体内 の居住臓器も一つではなかったが、五千人の住民達が住んでいる居住臓器とは役割が異なり、人間の生命維持に 不可欠な空気と水を濾過して消毒して循環させていた。人工重力を発生させる器官、青い光線を生み出すための 器官、それを発射するための眼球に似た器官、などがあったがいずれも恐ろしく巨大だった。
 それぞれの臓器から排出される排泄物や余熱を摂取して共存している小型の怪獣達もおり、彼らは地球に行く ことに対して不安を覚えていた。なので、狭間はその怪獣達ともじっくりと話し合ってやった。アプスーもまた、 彼なりに自分が出来ることを見つけ出していた。暇を見てはアトランティスの細部を緻密にスケッチした。

「すこぶる上手い」

 シビックの中、狭間はアプスーが描いた絵を見て呟いた。

「ン」

 ちょっと照れ臭そうに、少年は声を漏らした。後部座席には、彼とその相棒のサンダーチャイルドがみっちり と詰まっている。運転席には狭間が、助手席にはツブラが収まっている。

「怪獣電波云々とは関係なしに記憶力と観察力がずば抜けて高いんだな、これは」

 写真と見紛うほど細かく描き込まれていて、アトランティスの体温さえも伝わってきそうだ。脈打つ血管と臓器 と分厚い皮膚と逞しい神経、そして巨体を支える骨格。画材は鉛筆だけだが、絵の具を渡したら、どれほど生々しい 絵になるだろうか。惜しむらくは、その絵の具を調達する術がないということだ。怪獣の体液を加工して作る方法も ないわけではないが、そんなものを使うと絵に塗り込められた怪獣の体液が意思を持って動き出してしまいかねない。 かといって、草花を潰すわけにもいかない。この環境では、雑草一本であろうとも貴重なのだから。

「マヒト、これ、どうするの」

 アプスーはツブラに似た口調で喋り、書き込み過ぎてページがよれているノートの束を指した。

「地球に持っていってもらう。怪獣の研究をしている科学者がいるから、その人が有効活用してくれる」

 螢ちゃんのお父さんだ、と狭間が説明すると、アプスーは少し考えた後に思い出した。

「あの、かみしばい、みにくる、おんなのこ」

「野々村さんのところに顔を出すたびに大きくなっているんだから、子供の成長は本当に早いな」

「おとうさん、どんな、ひと」

「強烈」

「キョーレツ」

 狭間が言うと、ツブラが助手席から顔を出して同じ言葉を繰り返した。

「きょうれつ」

 アプスーも同じ音を口にしたが、意味までは理解していないようだった。

「アプスーが地球に行くのはいいが、地球の生活に慣れるまではどこかに身を寄せなきゃならんなぁ。マスターに 預ける、というのは確実なようでいて猛烈な不安に見舞われるし、綾繁家だとまた厄介なことになりそうだし、だから といって玉璽近衛隊に任せると政府が手を出してきそうだし、九頭竜会と渾沌は論外の中の論外。佐々本モータース は……さすがに荷が重すぎるだろう。佐々本さんもコジも仕事があるしな。野々村さんは二つ返事で引き受けてくれる だろうが、あの人は自分の家庭を顧みない節があるから奥さんと息子さんに悪いしな……。ううん……」

 狭間は運転席の背もたれを倒して腕を組み、狭い天井を仰いだ。

「マヒト、ソレ、何度目?」

 ツブラに案じられ、狭間はその頭をわしゃわしゃと撫でる。

「俺の判断一つでアプスーの人生がダメになるかどうかの瀬戸際なんだ、悩まないわけにはいかない」

「俺んちの養子……いやさすがに無理だ、うちの親もそこまで能天気じゃねぇし。ツブラを嫁にすると言ったら 一週間は呆然としていたし、それが当然の反応なんだ。時間を置いたら納得してくれたというか、諦めたというか、 なんというかだったが」

「デモ、ツブラ、オ嫁サン!」

「ああそうだよそうだとも、ツブラは俺の嫁だ!」

「マヒト、大好キ!」

 ツブラは触手を伸ばして身を持ち上げ、シフトレバーを乗り越えて乗っかってきた。胸に頭を摺り寄せてくるツブラ を撫でてやりつつ、狭間はアプスーを見やった。気まずそうだったが、今、シビックの外に出るわけにはいかないので 目を逸らしていた。それもそのはず、ここはアトランティスの外側だからだ。
 正確に言えば、アトランティスの底部、腹部の後方、推進器官の傍である。数キロ先では青い光線が真っ直ぐ 放たれているので光源には事欠かないが、少しでも近付けば衝撃波で吹っ飛ばされかねない。だったら離れれば いいのでは、と思われるかもしれないが、アトランティスの内部に通じる器官が瞬膜で塞がっているので内部に戻る に戻れない状態なのだ。その上、移動しようにもタイヤが外皮に埋まっている。ツブラかサンダーチャイルドに 車外に出てもらって、タイヤを引き剥がしてもらえばいいのでは、とも思うだろう。だが、現在、アトランティス は地球の周回軌道に入るために細心の注意を払いながら加速と減速を繰り返しているので、変な刺激を与えると どうなるか解ったものではない。というわけで、一行は身動きが取れなくなったという次第だ。上下逆さまではあるが、アトランティス は体表面に人工重力を纏っているので、狭間達は天井ではなく座席に身を収めていた。

「アプスーはどうしたい」

 狭間はツブラをあしらいつつ、アプスーに問う。

「よく、わからない」
 
 アプスーは視界を塞ぐ前髪を掻き上げ、眉根を寄せた。顔付きは大人びてきて、手足も伸び切ったが、表情からは 幼さが抜け切っていない。十七歳なんてまだまだ子供だ。

「それでいいんだ。そんなもんがはっきり見えている奴なんて、滅多にいるもんじゃない」

 狭間はタバコを銜えたが、火は灯さなかった。ただでさえ、車内は酸素が乏しいのだから。

「だが、悩みすぎてどうしようもなくなっちまったら、その時は外に出てみればいい」

「そと」

「俺の場合、それが横浜であり火星だった」

「じゃあ、おれは」

「アプスーの場合は地球だ。ツブラにとっての外は俺だ」

「もっと、わからない」

「だろうぜ」

「ムゥ」

 狭間が茶化すと、ツブラがむくれる。

「ひま」

「アトランティスのお許しが出るまで我慢しろ」

「せまい」

「だから、我慢しろ」

「おなかすいた」

「俺も減ったが、それも堪えるしかない。というかまだか、アトランティス!」

 アプスーの文句に耐えかねて狭間が喚くと、すぐさま怪獣電波が返ってきた。

〈ええい黙っていろ! 今、私は生まれて初めて演算能力を最大限に駆使しているんだ! 集中力を乱すと軌道が 大幅に変わってしまうんだ! 人の子、みだりに話し掛けないでくれ! アプスーもだ! 私には演算能力を 追加してくれる怪獣がいそうでいないんだよ! ああっもうっ忙しいったらありゃしない!〉

 アトランティスは苛立ち紛れに捲し立ててから、荒っぽく怪獣電波を切断した。その際に電流じみた刺激が生じ、 狭間とアプスーは揃って首を竦めた。ツブラはそうでもなかったらしく、少し眉根を寄せた程度だった。結局、それ から更に三時間ほどは身動きが取れず、狭間もアプスーも不貞寝している頃合いにアトランティスからお許しが出た。 居住臓器に戻るべく移動を始めると、アトランティスの進行方向に目的地が見えてきた。
 ビー玉のような地球だった。



 
 月に到着する前に、やるべきことをしておいた。
 狭間は紋付き袴を、ツブラは裾を詰めに詰めた文金高島田を着付けてもらった。月の裏側に身を潜めている 大陸怪獣レムリアと合流したら何かと忙しくなるから、今のうちにやるべきことを済ませたかったのだ。紋付き 袴と文金高島田の出所は船島集落ごと火星に転送された温泉旅館で、瓦礫の中から発掘したものだ。アトランティスの 住民の中に和裁職人がおり、サイズ直しをしてもらったばかりか狭間家の家紋も刺繍し直してもらった。地球に 帰る日が来るとは思ってもいなかった、せめてもの御礼です、と申し出てくれたので、せっかくだからとその好意に 甘えさせてもらった。写真撮影用の機材と印画紙と現像液とカメラマンの出所も同様である。
 それから、狭間とツブラは結婚式を挙げさせてもらった。披露宴も何もなく、参列者は身内だけで、指輪の交換も ない、必要最低限の式だった。野々村に立会人になってもらい、婚姻届けは手元にないし作ったところで受理される はずもなく、誓いを立てるための神も既に死んでしまったので、アトランティスに対して誓いを立てた。怪獣達が 一際荒々しく騒ぎ立ててきたが、今度ばかりは一切合財無視した。ここまで来ると文句を付ける気力もなくなった のだろう、両親は息子とその伴侶にお祝いの言葉を掛けてくれた。それから、結婚記念の写真を撮った。
 金屏風はさすがに見つからなかったので、朱色の布を背景に撮影した。印画紙が一枚しかないから一発勝負だ、 とカメラマンに散々言い聞かせられていたので、狭間とツブラは精一杯それらしい顔をした。フラッシュが焚かれて シャッターが切られると、カメラマンは早々に現像しに行った。

「えー? 狭間君、その頭のままで撮影したの? 式に出ようと思ったのに、もう終わっちゃったなんて」

 秋田あかねが部屋に入ってきたので、狭間は言い返す。

「仕方ないでしょう、俺の髪はレムリアに喰わせる約束をしちゃったんですから。まさか、あっちからアトランティス に電話を掛けてくるとは思ってもみなかったし、俺の味を知りたいと言い出したのは意外でしたけど」

 狭間は背中の中程まで伸びた髪を払い、苦笑する。自分でも鬱陶しくてたまらないのだが、それが月に住むための 交換条件だったのだから逆らえるはずもない。

「狭間君の味、ねぇ……」

 あかねがげんなりしたので、狭間は再度言い返す。

「シモの意味ではないですから」

「この三年の間に色々あったから、狭間君の体質と怪獣達との関係性はそれなりに理解したけど、その辺は今でも よく解らないなぁ。どうして食べなきゃいけないの? そもそも、怪獣は人間を捕食しないでしょ? それなのに、 なんで狭間君の味を知りたいの? 怪獣電波で通じ合えるなら、知る必要なんてないんじゃない?」

 あかねの疑問に、角隠しを外して触手を解放したツブラが答える。

「好キナヒト、食ベルコト、繋ガルコト。怪獣ト、違ウッテコト、知ルタメ、デモアル」

「違いを知ると、何が解るの?」

「自分、何ナノカ、チョットダケ、解ルヨウニナル。ダカラ、ソノ人、好キッテコト、解ルヨウニナル」

「そう言われると解るような、でもやっぱり解らないような……」

 あかねは思い悩んでいたが、ハンカチを取り出し、ツブラの小さな唇に塗られた口紅を拭った。

「怪獣に御化粧なんてナンセンスだよー。ツブラちゃんはそのまんまが一番可愛いのになぁ」

「俺もそう言ったんだが、どうしても化粧してほしいって言って聞かなかったんだ」

 狭間が肩を竦めると、ツブラは色が拭われた唇を押さえる。

「……ダッテ、御化粧、スルト、大人ッポクナル」

「実年齢ならツブラは俺の何百倍も年上だろうが」

「ソレ、言ワナイ!」

「そうだよ、姉さん女房のどこが悪い!」

 ツブラだけでなくあかねも喰って掛かってきたので、狭間はやや身を引く。

「あかね先輩までむきにならなくても。というか、いつのまにか随分仲良くなったんですね」

「そりゃそうだよ、ツブラちゃんとお話ししたからね。必然的に仲良くなっちゃうって」

「具体的に何の話ですか」

「狭間君がうちの食堂でアルバイトしていた頃の話」

 物覚えが悪いわ要領が悪いわ給仕を間違うわ、とあかねが遠い目をしたので、狭間は居たたまれなくなる。

「ムラクモやら何やらがうるさかったんですよ。言い訳にしか聞こえないでしょうけど」

「それで、月のレムリアに行ったらどうやって食べていくの? 仕事先、あるの?」

 あかねが至極尤もな質問をぶつけてきたが、狭間は答えに詰まった。そんなもの、当てがあるわけがない。第一、 レムリアの居住臓器がどんな状況なのかも把握していないのだから。今までも大変な目に遭ってきたが、なんとか なったのだから、今後もどうにかなるだろう。いや、どうにかしてみせる。それが夫というものではないか。
 狭間が決意を据えていると、ベルの音が聞こえた。はいはいちょっとお待ちを、とあかねは急ぎ足で部屋を出て いった。壊れていない黒電話と赤い公衆電話がいくつか見つかったので、怪獣電波を送受信して通話出来るように 手を加えてから居住区のあちこちに配置したのである。この家もその一つだ。

「狭間君、狭間君」

 あかねに呼び出されたので、狭間が廊下に顔を出すと、あかねは受話器を手で覆いつつ言った。

「この電話、そのレムリアから掛かってきたんだけど、スナイクミって人と知り合い?」

「スナイ? ……ああ、羽生さんのお姉さんだ」

 狭間は受話器を受け取り、御電話代わりました、狭間です、と話し掛けると数十秒の間を置いてから返事があった。 ノイズ混じりでざらついていたが、聞き取れないことはない。砂井久美と思しき女性の語気は、平坦かつ冷静 ではあったが言葉の端々が少し訛っていた。それは羽生鏡護の語気によく似ていて、ああ、あの人のお姉さんだ、 と痛感した。久美は地脈怪獣ウワバミと通じ合っており、ウワバミから狭間の存在を知らされ、アトランティスの 現状についても知らされたため、レムリアの状況について報告すべきだと判断して電話をお掛けしました、と言った。 淡々と語られた事実に、狭間は曖昧な返事を返した後に受話器を置き、あかねに伝えた。
 レムリアの居住臓器ではゾンビ風邪が蔓延している、と。





 


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