ドラゴンは滅びない




娘心



 ヴィクトリアは、酔っていた。


 移動中に、本を読むべきではなかった。必死に気力を張って堪えていたが、徐々に限界が迫りつつあった。
膝の上に広げた禁書を脇に放ると、目を閉じた。目元を押さえていると少し楽になるが、胃はむかついている。
空腹も相まって、込み上げてくるのは胃酸の味だけだ。それがまた気色悪くて、吐き気が増長されてしまった。

「おい、大丈夫か?」

 蒸気自動車の速度を緩めながら、ギルディオスは運転席から後部座席に振り返った。

「今ひとつ」

 ヴィクトリアは、青ざめた顔で呟いた。助手席に転がるフラスコの中で、赤紫の粘液がごぼごぼと泡立った。

「はっはっはっはっはっはっはっはっは、貴君はなんと脆弱であろうか、ヴィクトリアよ! これであのフィフィリアンヌであったなら、ニワトリ頭の運転がどれだけ粗雑で乱暴で愚鈍で未熟であったとしても酔うことはあるまい!」

 はっはっはっはっはっはっはっは、と伯爵の嘲笑が響いたが、ヴィクトリアは唇を引き締めて言い返さなかった。
言い返す余裕すらないのだろう。ギルディオスは伯爵のフラスコを蹴って黙らせてから、後部座席を再度窺った。
ヴィクトリアは長い髪を風に乱されながら、虚空を見つめている。車酔いもさることながら、疲労の色が濃かった。
 無理もない。ルージュを始めとした三体の魔導兵器、魔導兵器三人衆と禁書の追いかけっこをしているからだ。
機動力も攻撃力も行動力も、全て敵の方が上だ。いくらギルディオスらが頑張ったところで、追いつけやしない。
だが、ヴィクトリアは負けず嫌いだった。特にルージュが気に食わず、彼女が現れると一際ムキになって戦った。
最近では、ギルディオスには任せておけないとヴィクトリアも前線に出てくるようになったが、戦闘はまだ不得手だ。
確かに魔法の腕は良く、一撃一撃の威力も目を見張るものがあるが、戦闘の間合いというものをまるで知らない。
だから、相手が近付いてきた時に溜めの必要な高威力の魔法を放とうとしたり、腕力がないのに斧を使いたがる。
その度に補助に回るギルディオスは気が気ではなく、何度も引っ込めと言ったが、それでも彼女は前に出てきた。
 ヴィクトリアなりに自尊心があるのも、努力しているのも解るが、経験が足りない。最前線で戦うのはまだ無理だ。
ギルディオスがどうするべきか思案していると、後部座席から力の抜けた呻きと液体が床に落ちる音が聞こえた。
 戻したようだ。




 情けなくて、涙が出てしまいそうだ。
 ヴィクトリアは己の吐瀉物で汚れた服を着替え、額に濡らした布を載せ、地面にぼんやりと横たわっていた。
空っぽの胃は締め付けられるように痛み、口の中には嫌な味がする。頭もがんがんと痛み、目は潤んでいた。
 ギルディオスは、例の水の出る洗面器に水を満たして、その中に洗濯板を突っ込んでざばざばと洗っている。
洗濯板は、道中で拾ってきたものである。洗濯をする手つきは荒っぽいが手慣れていて、汚れはすぐに取れた。
仕立ての良い黒のワンピースは、三回も濯がれた。水を丁寧に絞ってから振って広げ、シワをぴんと伸ばした。
ギルディオスは洗った服を助手席の背もたれに掛けてから、身動き一つしないヴィクトリアの傍にやってきた。

「具合、どうだ」

「良くなくってよ」

 ヴィクトリアが弱々しく言い返すと、ギルディオスは彼女の隣で胡座を掻いた。

「ここんとこ、連中とやり合ってばっかりだったからな。無理もねぇよ、ゆっくり休め」

「なぜ」

「何がだよ」

 ギルディオスが聞き返すと、ヴィクトリアは額に載せた布を押さえた。

「前は、こんなことはなかったのだわ。具合なんて悪くならなかったわ。なのに、いきなりこうなるなんて」

「お前はまだ十二歳だ。体力もねぇんだから、無理したら調子悪くなるのが当たり前なんだよ」

 な、とギルディオスはヴィクトリアの顔を覗き込んだ。頬の色は白くなっており、灰色の瞳の輝きも鈍っている。
ヴィクトリアはギルディオスのヘルムを見上げたが、目を逸らした。自分では、それほど無理をしたつもりはない。
魔導兵器三人衆を打ち倒して禁書を手にするために、その禁書で更なる高みへ進むために頑張っていただけだ。
父親、グレイス・ルーには追い付けないにしても、自分なりに魔導を極めて呪術師としての実力を上げたかった。
それがルーの娘としての役割であると同時に、ヴィクトリアの自尊心や人格を根底から支えている基盤だった。
子供の体には有り余るほどの魔力と、生まれた時から魔法に囲まれていたため、呪術師になるのが当然だった。
 幼い頃に、呪術師を志すと両親に言ったら大層喜んでくれた。それが嬉しくて、また誇らしいことだと思っていた。
もっと喜ばせたい、両親を誇らしいと思うように自分のことも誇らしく思ってもらいたい、そう考えるようになった。
殺戮の快楽を知ったことや魔法の奥深さに魅入られたから、というのもあるが、最も大きい動機はそれであった。
 旧王都の灰色の城に奪い取った禁書を大量に持ち帰り、グレイスやロザリアに立派になったと褒められたい。
心から愛する両親だからこそ、喜ばせたい。呪術師として独り立ちしているのだと示して、力を見せつけたい。
そのためにも、一刻も早く魔導兵器三人衆を倒し、全ての禁書を集めて強力な魔法を手にして力を高めたい。
なのに、体力が続かなかった。いつもなら蒸気自動車には絶対に酔わないのに、今日に限って酔ってしまった。
早く起き上がって前に進みたいが、今動いたらまた吐き戻してしまいそうだ。それほどまでに、具合が悪かった。

「ヴィクトリア」

 ギルディオスはヴィクトリアの血の気の失せた頬に、慎重な手つきで触れた。

「お前の性格はちょいと頂けないが、ちゃんと頑張ってるところは好きだ。けどな、お前はまだ十二だ」

「気安く触らないでほしいのだわ」

「ん、ああ、悪ぃ」

 ギルディオスは、即座に手を引っ込めた。

「頑張るのはいいことさ。別に悪いことじゃねぇし、むしろいいことだ。オレから見ても立派な魔法の才能を持ってるのに、その才能に胡座を掻かないでやることをきっちりやってるんだから、お前は偉いよ。けどな、急ぎすぎている感じがしねぇでもねぇ。禁書集めだけにしときゃいいものを、あの連中とやり合おうなんざ、どだい無理な話なんだ。どれだけお前の魔法の威力が強くても、戦闘に慣れてなきゃ勝てるわけがない。そりゃ、戦闘の腕を上げるためには実戦で鍛えるのが手っ取り早いが、訓練もろくにしないうちにそんなことをするのは危険なんだ。オレはロザリアに、お前を守ってやると約束した。だから、オレはお前の保護者ってわけだ。精一杯お前を守ってやるつもりだが、お前が無茶をしたら守るものも守れなくなっちまう」

 ギルディオスは背を丸め、頬杖を付く。

「背伸びしたい気持ちも解るが、そんなに焦るなよ、ヴィクトリア。時間は、まだいくらでもあるんだからよ」

「あなたになんか、何も解らなくってよ」

「そうだな、全部は解らねぇ。でも、大体のことは解らぁな。お前はグレイスみてぇな呪術師になりてぇんだろ?」

「ええ、そうよ。私は、お父様に少しでも近付きたいのだわ」

「あいつはえげつなくて幼女趣味で男好きで人の不幸が大好きな変態の中の変態だが、腕だけは認めるよ。生身のくせして七百年以上生きているから、人間だか魔物だか何がなんだかよく解らねぇシロモノになっちまってるけど、凄いことは凄い。つっても、あの馬鹿野郎の使う魔法とか呪いは人殺しのためのもんだから、手放しで褒めたくねぇけどな。でも、お前の立場からしてみりゃ、尊敬出来る親父なんだよな」

「当たり前なのだわ。この世に生きる人間は、神なんかよりもお父様を敬うべきなのだわ」

「そりゃちょっとどころかとんでもなく言い過ぎだと思うが、まぁ、それも解らないでもない。理解は出来ねぇけどな」

「あなたなんかに理解してほしくなくってよ」

「今度はそう来たか」

 ギルディオスは、軽く肩を竦めた。ヴィクトリアは灰色の瞳を動かし、ギルディオスを見据える。

「そもそも、なぜ、あなたのような下らない人間が偉大なるお父様の寵愛を受けているのか解らないのだわ。お母様のように美しくもなければ、この私のように愛らしくもなければ、レベッカ姉様のように素晴らしくもなければ、あの竜の女のように強烈でもないわ。あなたに向けられているお父様の寵愛は、私やお母様が受けるべきものなのだわ。返しなさい」

「無茶苦茶言うなよ」

 ギルディオスはなんだか可笑しくなってきたが、ヴィクトリアは至極真剣だった。

「大体、なぜあなたは私達家族やあの竜の女の近くにいるの? あなたにあるのは、その安物の甲冑と大きいだけの剣と過剰な腕力と古びた魂だけだわ。私達やあの竜の女の傍にいるべき理由も、利点も、意味も、何一つとして見当たらなくってよ」

 ヴィクトリアは上体を起こし、更にまくし立てた。

「私があなたを傍に付けたのは、あなたに利用価値があったからに過ぎないのだわ。私がもう少し成長していたら、あなたなんかに目を掛けなかったわ。あなたは運が良かっただけだわ。その幸運を至上の幸福として認めなさい、それがあなたに与えられた最大にして最高の使命なのだわ」

「お前さぁ。もしかして、オレに妬いてんのか?」

「そんなこと、空が地面になったとしても有り得ることではなくってよ」

 ヴィクトリアは妙に腹が立って、ギルディオスに迫った。車酔いとは別の、むかつきが起きた。

「あなたみたいな身分も程度も低い人間に私がそんなものを抱くはずがないわ。思い上がりも良いところだわ。立場を弁えた発言をなさい」

「そうかねぇ」

 ギルディオスがにやにやしていると、ごとっ、とヴィクトリアの背後にフラスコが落下してきた。

「はっはっはっはっはっはっはっは! 何やらやかましくなってきたので来てみたのであるが、実に乳臭い言い草であるな、ヴィクトリアよ! 所詮、貴君は生後十二年の幼子であり、それ以上でもそれ以下でもないのである。確かに、このニワトリ頭とあの冷血トカゲ女は変態呪術師のお気に入りではあるが、それは丁度良い遊び道具として気に入っているだけに過ぎないのである。あの男が退屈であれば構いに来るが、そうでない時は、我が輩達の前には何年も現れぬ時もあるのである。その点、貴君はあの男の娘として生まれたのである。この世に生まれ落ちた瞬間からあの男の関心を集め、多少どころか大いに歪んだ愛情を溢れるほど注がれ、近代の人間では知り得るはずのない魔法の知識や教育を施され、その上暗殺技術や近接戦闘の心得まで教え込まれた貴君ほど、あの男のねじ曲がった価値観と愛情を受けた者はいないのである。であるからして、貴君がニワトリ頭に対してどうこう思う理由もなければ意味もなく、そもそもニワトリ頭に対して嫉妬など覚える方が余程愚かなのであり、ということは貴君は貴君自身が思っているほど優れてるというわけではなく、結局のところはその辺りにいる幼子と同様に愚かなのだということなのであるぞヴィクトリア!」

「黙りやがれってんだよ」

 ギルディオスは足を伸ばし、つま先でフラスコを倒した。おおおう、と伯爵は呻きながらフラスコの中で転げた。

「やっと出てきたと思ったら、何をしょうもねぇことをごちゃごちゃ言ってやがんだ」

「はっはっはっはっはっはっはっは。この地上で真に優れたる者は、誉れ高き我が輩ただ一人なのであるからして」

「いい加減にしやがれ、伯爵。暇なのは解るが、いちいち鬱陶しいんだよ」

 ギルディオスは足の裏を使って、フラスコを更に蹴り飛ばした。激しい罵倒が返ってきたが、二人は無視した。
ヴィクトリアは伯爵の妙な言い回しの罵倒を聞き流しながら、ギルディオスを窺った。甲冑なので表情は読めない。
だが、雰囲気や魔力の気配で掴めないこともない。伯爵に苛立っているが、その実はなんだか楽しそうだった。
何が楽しいのだ。それに、こんな男に妬くはずがない。ヴィクトリアは余計に腹立たしくなってきて、顔を背けた。
 戦い始めたのは、ルージュ・ヴァンピロッソが気に食わないからだ。実戦を経験し、より高みを目指すためだ。
強くなって呪術師としての腕を上げ、父親と母親に褒めてもらえるような人間になる。この男は、一切関係ない。
 幼い頃に、ギルディオスがグレイスの関心を受けているのが面白くないと思ったことはあるが、それは昔の話だ。
今は違う。高みを目指すのは自立した呪術師になるためであって、ギルディオスに対する対抗心などではない。
そのはずだ。だが、そう言われるとそのような気もしてきて、ヴィクトリアは少しばかり情けない気持ちになった。
そんなに幼い子供じゃない。もう十二歳なのだから大人だ。だが、嫉妬などしていないと言い切れるのだろうか。
 守られるのは楽だ。魔力を消耗せずに済むし、危険な目にもあわないで済むが、無性に面白くなかったのだ。
ギルディオス・ヴァトラスは強い。頼り甲斐のある戦士だが、父親が惚れているのはその強さなのでは、と思った。
途端に、不快になった。自分や母親に向けられるべき父親の愛情を得ている相手に守られても、嫌なだけだ。
 この男に守られるのは楽だが、面白くない。守られること自体も面白くないが、この男の存在が面白くないのだ。
学もなければ礼儀もなく、いいのは性格と剣の腕だけで取り柄もないのに、父親に好かれているなど理不尽だ。
だから、お前の世話になどなりたくないと示すために戦った。だが、その度に手助けされ、余計に面白くなかった。
 そこまで考えて、ヴィクトリアは顔を伏せた。それらの暗い感情を一括りする言葉が、嫉妬ではなかっただろうか。
子供っぽい。馬鹿馬鹿しい。情けない。器が小さい。下らない。弱い。そんな単語が、頭の中を一気に駆け巡った。
ヴィクトリアはギルディオスを精一杯睨み付けてやったが、逆に頭を撫でられ、優しい言葉で宥められてしまった。
 本当に情けない。




 それから、二日後。
 充分に休養を取ったヴィクトリアは体力も魔力も回復したので、もう車酔いをすることもなく、本を読んでいた。
無論、それは禁書だ。ページの中には糊で貼り付けられていて開かないものがあり、ばりばりに固まっていた。
それも、どの本にも同じようなことがされている。ページの場所はまちまちだが、数枚のページが接着されている。
ヴィクトリアはその明らかに手触りの違うページを開こうとしたが、びくともしなかった。糊を水で溶かすべきか。
その方が、本を傷めずに済みそうだ。ヴィクトリアは固まったページではなく、別のページを開いて読み始めた。

「また酔うぞ」

 隣の運転席から、ギルディオスが話し掛けてきた。ヴィクトリアは、目も上げずに返す。

「酔わないのだわ」

「酔いそうになったら言えよ」

「平気なのだわ」

 平然としているヴィクトリアを横目に見つつ、ギルディオスは運転に戻った。彼女は、助手席に座るようになった。
以前は後部座席を陣取っていたのだが、助手席にやってきた。その代わり、伯爵が後部座席に転がされている。
別に咎めることもないしどうということもないのだが、今まではギルディオスと距離を置いていたので気になった。
だが、別に仲良くするわけでもない。話し掛けても反応は相変わらずで、素っ気ない返事が返ってくるだけだった。
彼女の心中で、何かあったのだろうか。ギルディオスが内心で訝っていると、ヴィクトリアは黒髪を掻き上げた。

「ねえ」

「ん?」

 ギルディオスが問い返すと、ヴィクトリアは妙齢の貴婦人のように涼やかな視線を投げてきた。

「嫉妬、してあげてもよくってよ」

「…はあ?」

 ギルディオスが声を裏返すと、ヴィクトリアは薄い唇の端を持ち上げた。

「私があなたに対して嫉妬しているのではないわ、してあげているのだわ」

「どういう根性してんだよ、お前は」

「光栄に思うがよくってよ」

「あー、もう、いいよ、なんだって…」

 とてもじゃないが、付いていけない。ギルディオスはげんなりしたが、ヴィクトリアは機嫌が良かった。

「あなたは見下されるべき存在なのだわ」

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは! うむ、それだけは我が輩にも解るのであるぞ!」

 後部座席で荷物に挟まれているフラスコが車体の振動に合わせて揺れ、その中で伯爵が震えている。

「高貴なる者は高貴なる立場を保たねばならぬのである! よって、凡人の代表であり愚民の底辺にいるニワトリ頭のような者を足蹴にするのはごく当たり前の思考であり、むしろそうならぬ方が不自然なのである!」

「あら。解っているじゃない」

 ヴィクトリアは目を細め、後部座席を見やった。伯爵は、ぐにゅりと粘液を歪める。

「貴君の趣味とひねくれ加減は癪に障るのであるが、その辺だけは気に入ったのである、ヴィクトリア」

「うふふふふ」

 満足げなヴィクトリアは、しなやかな動きで足を組んだ。ギルディオスは二人を見比べたが、前に向いた。

「全く…」

 妙な展開になったものだ。ギルディオスは、二人から視線を外す。

「お前らって連中は、なんでそんなに偉そうなんだよ。この間、車酔いして戻しちまってたのはどこの誰だよ」

「それを口外したら、今度こそあなたの脳天を鉛玉で貫いて差し上げるのだわ」

 ヴィクトリアは脇に座らせていたクマのぬいぐるみを取り、その背から拳銃を引き抜いた。

「へいへい」

 これ以上付き合いきれない。ギルディオスはやる気なくヴィクトリアをあしらい、真っ直ぐ続いている道を見た。
考えようによっては、嫉妬をするのではなくしてあげる、というのは、ヴィクトリアなりの照れ隠しなのかもしれない。
 生まれが生まれだけに気位がやたらと高い彼女は、フィフィリアンヌまでとはいかなくともあまり素直ではない。
だから、ギルディオスに妬いたことを認めたくないだろうが、それにしては随分と回りくどくてややこしい認め方だ。
フィフィリアンヌもそうだが、意地っ張りの女はどうしてこうなのだろう。正直言って、それが面倒だと思うことも多い。
だが、それは愛嬌でもあるのだ。ギルディオスは、クマのぬいぐるみの手足を振って遊ぶヴィクトリアを見下ろした。
すると、ヴィクトリアもこちらを見上げていた。ヴィクトリアはなぜか優越感に満ちた眼差しを向けたが、逸らした。
彼女は、ギルディオスを見下すことで優位に立ったと思っているのだ。その理屈は、ギルディオスには解らない。
 ヴィクトリアは膝の上に載せたクマのぬいぐるみの両手をぱたぱたと振っていたが、背中に拳銃を埋め戻した。
重量の増えたぬいぐるみを抱き締めて、硝煙の匂いを味わった。やはり、ギルディオスの存在は面白くなかった。
けれど、魔法も使わずにこちらの本心を見抜いたのだから、少しぐらいは彼のことを認めてやってもいいだろう。

「私は偉いから偉いのだわ。偉そう、なのではなく、本当にそうなのだからそうしているだけなのだわ」

 ヴィクトリアは、にたりと微笑んだ。

「いいこと、ギルディオス。それも弁えておくがよくってよ」

「やーっと名前で呼んでくれたか、ヴィクトリア」

 ギルディオスは嬉しくなりつつも、その前の言い草があまりにも尊大なので内心で苦笑いした。

「けど、お前が言うほどお前は偉いもんでもないと思うぜ?」

「失礼なのだわ」

 むっとしたヴィクトリアは、顔を背けた。ギルディオスはそれに言い返すこともせず、運転に集中することにした。
出来ればもう少し仲良くなりたいが、ヴィクトリアにその気がないのであれば、あまり深入りは出来ないだろう。
それは、仕方ないことだ。ギルディオスとヴィクトリア、ヴァトラスとルーでは価値観そのものが大きく違っている。
 旅を始めて時間が経ったとはいえ、まだ日は浅い。それぞれのずれた価値観が、簡単に噛み合うはずがない。
下手に急がない方が良い。禁書集めも、ヴィクトリアの修練も、三人の仲も、時間を掛けて進展させる他はない。
 それが、最も確実で簡単な方法だ。




 呪術師の父親の背を追う娘と、その呪術師の寵愛を受ける重剣士。
 二人の距離は近くとも、価値観の溝は海底よりも深く、心が近付くことはない。
 道を共にしながらも相容れない二人を、スライムはただ傍観するのみ。

 未だ、彼らの関係は平行線なのである。






07 4/7