ヴィクトリアは、待っていた。 灰色の城の城門は開かれ、跳ね橋が下ろされている。まだ夜も明けきらない早朝の風は、じっとりと重たい。 ヴィクトリアは、跳ね橋を下ろした先に立っていた。跳ね橋を吊している太く屈強な鎖が、鈍い光沢を放っている。 本来は父親のものである革製のトランクの上に腰を下ろすと、ぎし、と尻の下で古びた蝶番が抗議の声を上げた。 懐に入れた懐中時計を取り出して、時間を確かめる。二人が向かえに来ると言った時間は、もう少し先のようだ。 ヴィクトリアの住まう城は旧王都を見下ろず高台に造られているので、十年前の戦争の痕跡がとても良く解った。 かつての工場街であった郊外には、砲撃で破壊された長方形の箱の底板だけが残り、川は暗く淀んでいる。 以前は稼働していた下水道の機能も停止し、川底には今も大量の死体が沈んでいるので、水が澄むことはない。 灰色の城の手前にある平原に流れている小川も水が濁っており、雑草の間には錆びた小銃が横たわっている。 ヴィクトリアはクマのぬいぐるみを、両手で抱き締めた。その腹の中に仕込んだ、拳銃の硬さが腕に感じられた。 背後から、石畳を踏み締める硬い足音が聞こえてきた。振り返ると、黒い服に身を包んだ母親が立っていた。 すらりと背が高く、ヴィクトリアのそれに良く似た長い黒髪と気の強そうな吊り上がった目が印象的な女だった。 彼女はヴィクトリアの背後にやってくると、少し冷たい手で娘の頬に触れてきた。長く白い指が、丸い顎をなぞる。 「ヴィクトリア」 「お母様」 ヴィクトリアが、母親、ロザリアの手に頬を委ねると、ロザリアは目を細めた。 「いってらっしゃい、ヴィクトリア」 「いってきますわ、お母様。私、とても退屈なのだわ」 ヴィクトリアは母親に背中を預け、上目に見上げた。ロザリアは膝を曲げ、娘を背後から抱き締める。 「グレイスもそうなのかしらね。あの人が何も言わないで出ていくのは珍しくないけど、今回は少し長いわね」 「お父様とレベッカ姉様がお外へ行ってしまわれてから、もうすぐ一年半になるのだわ」 ヴィクトリアは、少し寂しげに遠くを見つめた。 「時間が過ぎるのは、とても早くってよ」 「あの人のことだから、面倒事に首突っ込んで遊び回ってんのよ」 ロザリアは娘の寂しげな表情を見下ろし、切なくなった。灰色の城の主が姿を消してから、随分時間が経った。 ヴィクトリアの父親でありロザリアの夫であるグレイス・ルーは、中世時代から生き長らえている呪術師である。 性格は明るく飄々としているのだが、暗躍と陰謀を娯楽として好む男で、昔から様々な厄介事を掻き回してきた。 レベッカとは、グレイスが生み出した幼女の姿の人造魔導兵器であり、液体魔導鉱石で体内を満たしている。 肉弾戦を好まないグレイスに替わって直接的な攻撃を行うのが本来の役割だが、灰色の城のメイドでもあった。 グレイスとレベッカは、名実共に一心同体だ。レベッカの人造魂の核は、グレイスの魂から切り取ったものだ。 だから、グレイスが呪術や暗殺の仕事などを請け負う時には、必ずと言っていいほどレベッカを同行させている。 レベッカを使わなくてもいい仕事の場合は、グレイスを狙う暗殺者などから妻子を守らせるために城に残していく。 主と共に五百数十年を長らえているレベッカは、兄弟のいないヴィクトリアにとっては、姉と言うべき存在である。 その二人がいないためにヴィクトリアは寂しくてたまらなかったがが、母親の手前顔には出さないようにしている。 ロザリアもロザリアで、充分寂しいのだ。だが、娘を下手に寂しがらせてはいけないという思いから寂しがらない。 ロザリアがそれを口にしたことはなかったが、彼女の纏っている雰囲気や漂う魔力の気配から感じ取れてしまう。 ヴィクトリアは顔立ちこそ母親に似ているが、父親の才を多く受け継いだ。魔力も高く、あらゆる魔法を扱える。 魔力が高いということは、それだけ感覚も鋭敏だということでもある。最も得意なのは、魔力の流れを読むことだ。 呪術とは、魔力の流れを乱して被術者の魂と魔力中枢を操作して影響を与えることなので、打って付けの才能だ。 魔力というものは生命の持つ力のようなものなので、魂と直結している。なので、魔力の流れから感情も読める。 もっとも、経験が足りないので読めるものはタカが知れているのだが、相手を良く知っていると読むのは容易い。 それが肉親であれば、尚更だ。といっても、計り知れない魔力と才能を持つ父親の内面だけは読めなかったが。 「ねえ、ヴィクトリア」 ロザリアは、ヴィクトリアの黒髪に頬を寄せた。 「なんで、急に外へ行こうなんて思ったの?」 「お母様」 ヴィクトリアは、少々態度を強めた。 「退屈なのだわ。それに、私は経験がないのだわ。それでは、いけなくってよ」 「何が、どういけないの?」 「私は、お父様のような人間になりたいのだわ。けれど、今の私には足りないものが多すぎるのだわ」 「そうね。あなたは、今年で十二歳になったばかりだものね」 「本もまだ読み足りないのだわ。この城にある魔導書は、全て読み終えてしまったのだわ」 「じゃ、あの女の城に行けばいいじゃないの。ついでにいくつか盗んできたらいいじゃないのよ」 「それも、やり終えてしまったのだわ。あの竜の女の城にあった魔導書も、ほとんど読み尽くしてしまったのだわ」 「あらまあ」 「だから、他の魔導書を捜しに行くの。そのために、あの二人を利用するのだわ」 「なるほどね。あなたは、共和国中に散らばっている禁書が欲しいのね?」 「そう。禁書なのだわ」 ヴィクトリアは笑んだ。禁書とは、共和国戦争中に魔導師協会から流出した、封印されていた魔導書のことだ。 魔導師協会は、かつては共和国の魔導師を総括し魔導技術を研究している組織だったが、戦時中に崩壊した。 政治のみならず軍事にも浅からぬ関わりがあったため、魔導師達と役員達の間で分裂が起きていたという話だ。 その歪みが戦火によって更に歪み、魔導師協会本部が破壊された際に魔導師達は謀反を起こしたのだそうだ。 魔導師協会役員だけでなく協会員にも一切姿を現さない会長、ステファン・ヴォルグへの不信感も根底にあった。 連合軍の猛攻には魔法に守られた魔導師協会本部も耐えきれずに崩壊し、地下深くに隠された書庫が現れた。 巨大な地下書庫の中には、近代の魔導師達が見たこともないような魔導書が大量に保管されていたのである。 その魔導書には全て封印が施されていたのだが、魔導師協会本部崩壊の衝撃によって封印が若干緩んでいた。 なので、開くはずのない表紙が開いてしまい、禁書を手にした魔導師達は封じられた魔法を読み、得てしまった。 魔法を愛し魔法を尊ぶ彼らにとって、古き時代の魔法は魅力以外の何者でもなく、彼らは禁書に魅了された。 魔導師協会会長の判断で禁忌とされた魔導書に記された魔法は危険ではあったが、蠱惑的でもあったのだ。 そして、何人もの魔導師達が禁書を盗み、争乱に紛れて運び出された結果、禁書はほとんど流出してしまった。 純粋な探求心から来る興味だけでなく、魔法を良からぬことに利用しようという邪念を持っている者達もいた。 そうした魔導師達は魔導師協会本部の書庫だけでなく、共和国内に点在していた支部からも禁書を盗み出した。 魔導師達に奪われた禁書が、どこへ行ったのか解らない。行方が割れているものなど、片手で数えられる数だ。 ヴィクトリアは、その禁書が読みたかった。禁じられた魔法がどれほど危険か、想像しただけでぞくぞくする。 どういった手段で手に入れたのかは解らないが、禁書目録の写本は父親の部屋にあったのでそれを借りてきた。 禁書目録とは、その名の通り、禁書の題名を記した帳簿のことである。目録自体も、それなりの厚さがあった。 禁書目録に並ぶ題名を流し読みしたが、想像が掻き立てられる題名ばかりで居ても立っても居られなくなった。 どこにあるのだろう。どうやって手に入れよう。ヴィクトリアが考えを巡らせていると、ロザリアがふと顔を上げた。 「来たみたいね」 ロザリアはヴィクトリアを離し、立ち上がった。ヴィクトリアも、トランクの上から下りる。 「ええ、そのようだわ」 灰色の城の前の坂を、黒塗りの蒸気自動車が登ってくる。鉄の車輪で砂利を砕く荒々しい音が、近付いてくる。 煙突から吐き出される熱い蒸気が、朝靄に混じり冷え切った風を僅かに温める。黒い車体は、坂を登り切った。 ごとん、と車輪が石に乗り上げ、停車した。運転席には、朝露を浴びて表面がしっとりと輝いた甲冑が座っていた。 「おう、珍しいな。ロザリアが出迎えてくれるとはな」 「別にあんたに会いたいわけじゃないわ。ヴィクトリアの見送りよ」 ロザリアは腰に手を回して黒光りする拳銃を抜き、銃口をギルディオスの額に合わせる。 「この子に傷一つでも付けてみてごらんなさい。あんたの魂ごと、撃ち抜いてやるわよ」 「解ってるさ、それぐれぇ。まぁ、ロザリアに撃たれるよりも先にグレイスの野郎に半殺しにされるだろうけどな」 蒸気自動車から降りたギルディオスが肩を竦めると、ロザリアは片方の眉を吊り上げた。 「あら、心外ね。私の銃はあの人の呪いより速いわよ。鉛玉に打ち砕かれる快感を味わわせてあげる」 「相変わらずだなー、お前も…」 ギルディオスはロザリアの態度に辟易し、がりがりとヘルムを掻いた。グレイスの妻のロザリアも、強烈な女だ。 以前は国家警察に所属し、女だてらに警部補になるほど優秀な警察官だったが、グレイスに出会ってしまった。 グレイスは彼女の内に隠れていた殺戮への欲望と、遠い昔に恋をした少女の魂の存在を感じ、惚れてしまった。 ロザリアもまた、グレイスが犯罪者であると知りながら心を寄せていき、ついには結婚してヴィクトリアを設けた。 ロザリアは拳銃を愛する女で、乱射と殺戮を快楽とし、それを味わうためにグレイスと添ったようなものである。 希にグレイスの仕事に同行して、狂気のままに人を殺すこともあるそうだ。父親も、母親も、どちらもいかれている。 その二人の娘であるヴィクトリアは、知性と教養を兼ね備えた大人びた少女だが、価値観が狂ってしまっている。 原因が両親であることは、火を見るよりも明らかである。家庭環境がおかしければ、子供がおかしくなって当然だ。 今回の旅行で少しでもその価値観を正してやりたい、とギルディオスは思っていたが、即座に無理だと確信した。 ヴィクトリアは母親の言動を諫めるどころか、楽しげに笑いながら窺っている。子供っぽい、あどけない笑顔だ。 ギルディオスがいつ撃たれるのか、楽しみにしているようだ。ギルディオスは心底呆れてしまい、首を横に振った。 「人んちの子だ、責任持って預かるさ。だが、銃はやめろ。撃たれるのは、さすがに痛ぇんだ」 「あら。だったら、尚のこと撃ってやりたいわ。あんたが苦痛に苛まれる様は、なかなか素敵なのよね」 ロザリアは、恍惚とした眼差しがギルディオスを舐めた。彼女は今年で三十九歳になるが、外見は未だに若い。 それは、夫であるグレイスから並々ならぬ愛情と魔力を注がれ続けた結果、ロザリアの老化が止まったからだ。 魔法や呪いを用いて若さを保つことも出来るのだが、彼女の場合は夫の魔力だけで保っているので特殊な例だ。 ごとり、と蒸気自動車のボンネットから硬い音が聞こえた。ギルディオスが振り返ると、フラスコが載っていた。 「これこれ、我が輩を無視するでないぞギルディオス! 故に貴君はニワトリ頭なのである!」 「寝てたから起こさなかっただけじゃねぇか」 ギルディオスが言い返すと、フラスコの中で、赤紫の粘液、伯爵が喚いた。 「いいかね、我が輩こそ肝心なのだ! 我が輩の存在の大きさと、貴君らの矮小さは比べることすら無駄である! 故に、我が輩を話の中心にして進行するのが神の意志でありこの世の必然であり世界の常識なのである!」 「あれ、撃ってもいいわよね?」 ロザリアの銃口が、ギルディオスから外れて伯爵に向いた。ギルディオスは、くるっとロザリアに背を向けた。 「あれだけはいいと思うぜ」 直後。耳を劈く銃声が轟き、硝煙がつんと匂った。ギルディオスの肩越しに鉛玉が放たれ、伯爵に向かった。 うおう、と鈍い悲鳴を上げた伯爵は慌ててフラスコを後退させたが間合いが一瞬遅く、フラスコの端を掠めた。 命中こそしなかったものの、びしり、と薄いものが軋んだ。よく見ると、フラスコの左側に放射状のヒビが出来た。 「なんということをするのであるか、貴君らは!」 伯爵はフラスコの中で流動し、この世の終わりでも見たかのような絶望的な叫び声を上げた。 「我が輩の一張羅がっ! ええい、なんという愚弄、なんという侮辱、なんという恥辱であろうかあっ!」 「…一張羅?」 フラスコが服なのか。ギルディオスは内心で変な顔をしていたが、伯爵は盛大に嘆きながら暴れ回っている。 あんまり動くとフラスコが落ちて割れるぜ、と伯爵に言ってやりたい気もしたが、それはそれでいいかと思った。 割れたら割れたでうるさいだろうが、落ち込んでくれれば少し黙る。伯爵は、ごろごろと転がりながら喚いている。 罵倒の中身は、主にギルディオスを扱き下ろすものだったが、これもまたいつものことなので気にしなかった。 ヴィクトリアを窺うと、伯爵の痴態を真冬の空気のような冷ややかな眼差しで見据えていた。呆れているのだ。 ギルディオスはその気持ちが痛いほど解ったが、自分では伯爵を黙らせることが出来ないので、少々歯痒かった。 このおかしなスライムに太刀打ち出来るのは、竜の城の主であり伯爵の創造主である、フィフィリアンヌだけだ。 彼女がいれば、一刀両断どころか一撃粉砕の勢いで伯爵を黙らせるのだろうが、ギルディオスには出来ない。 伯爵との付き合いは長いものの、ギルディオスは伯爵に頭から舐められているので何を言っても受け流される。 焦れてきたのか、ヴィクトリアは懐中時計を開いている。ギルディオスも、いい加減に出発してしまいたかった。 だが、伯爵が落ち着くまで、蒸気自動車を動かすことは出来そうにない。立場が弱いと、こういう時に不便である。 結局、出発出来たのはそれから一時間程度過ぎた後だった。 廃墟の都が、遠ざかっていく。 荒れ果てた街道を、黒塗りの蒸気自動車が驀進する。この蒸気自動車の動力は石炭ではなく、魔力である。 だが、魔力が動力源であっても駆動機関の廃熱は必要なので、蒸気機関式よりは少ないが蒸気を出している。 灰色の城を出る時にはまだ昇っていなかった朝日が、東の空を藍色から朱色へ変えながら昇り始めていた。 平坦な地平線と藍色の空に挟まれて浮かぶブリガドーンも、東側の斜面からほんのりと淡い光を帯びている。 心なしか、頬を切る風も温くなってきていた。ヴィクトリアは後部座席から身を乗り出して、朝の光景を見つめた。 灰色の城の中から見る景色とは、比べものにならないほど大きい。城壁にも窓にも、囲まれていないからだ。 得も言われぬ開放感と清々しさで、無意識に声が零れた。ヴィクトリアの反応に気付いたギルディオスは、笑う。 「綺麗だろ。オレは、一日の中で朝ってのが一番好きだ」 「ええ。嫌いじゃなくってよ」 ヴィクトリアは後部座席に背を沈め、風に乱された髪を直した。運転席に座るギルディオスは、前を向いた。 広大な野原は至るところが焼け焦げていて、壊れた砲台やひっくり返った戦車があり、赤い錆に覆われている。 世界を温かく包み込む朝日は荒涼とした光景に不似合いなほど清浄で、朽ちた者達を白く照らし出していた。 「しかし、禁書なあ」 ギルディオスはハンドルを片手で操作しながら、もう一方の腕は運転席の脇の扉にだらしなく載せていた。 先程、ヴィクトリアが旧王都を出る目的を話してくれたのである。といっても、一言二言の簡単なものだったが。 「オレもちったぁ知ってるが、詳しくは知らねぇな。まぁ、目的はないに等しいし、付き合ってやってもいいぜ」 「誰も、あなたのことなんか頼りにしていないわ。それに、私はあなたを頼る気なんて毛頭ないわ。あなた達が外へ行くと言ったから、私はそれを利用しているだけだわ。だから、あなたに気を掛けられても鬱陶しいだけだわ」 「利用か。お前らしいぜ」 ギルディオスは、ヴィクトリアを横目に見下ろした。 「だが、オレはロザリアからお前の保護を仰せ付かったんでな。その役割は、全うさせてもらうぜ。こういう仕事は、嫌いじゃねぇからよ」 「だったら、十二分に利用させて頂くわ」 ヴィクトリアは無表情に、ギルディオスを見上げ返した。ギルディオスは、へっ、と笑いを零した。 「上等だ。それぐらいで来てもらわねぇと、張り合いってもんがねぇ」 「はっはっはっはっはっはっはっはっは。我が輩は類い希なる才能と賢明なる知性を備えているのであるからして、ニワトリ頭の手など借りずとも平気なのである」 助手席に転がされたヒビの走ったフラスコ、伯爵が機嫌良く笑った。ギルディオスは、振り向きもしない。 「安心しろ。何があっても、お前だけは助けねぇ」 「それがよくってよ」 ヴィクトリアは飴玉を取り出し、口に含んだ。舌の上で弄んでいると溶け、とろりとした甘みが口中を満たした。 伯爵の激しい文句が聞こえてきたが、二人はそれに一切反応することもなく、ただ進行方向にだけ向いていた。 ヴィクトリアは風で冷え切った耳朶に触れたが、指先もそれと同じくらいに冷えていたので温まりそうにない。 世界は広い。在り来たりな語彙だが、素直にそう思った。禁書を手に入れて魔法の腕を上げたら、何をしよう。 まず最初に、父親の背を目指そう。グレイス・ルーこそ、呪術師である自分が追い求めるのに相応しい存在だ。 父親は偉大だ。かつての王国や帝国を始めとした周辺諸国に影響を及ぼし、人間の歴史を大いに狂わせてきた。 人でありながら人でなく、人であるが故に人を越えている。単純計算で、七百年以上は長らえているのだそうだ。 そんな男の血が体に流れている自分という人間が、このままで終わるはずがない。ただの子供では、いたくない。 グレイス・ルーを越えることは、一生掛かっても出来ないだろう。呪術師として、一人の人間として、実感している。 だが、追い掛けることは出来る。グレイス・ルーとは、空に在りながら、決して手の届かない太陽のようなものだ。 闇の中に生き、人の闇を喰らって長らえてきた灰色の太陽。ヴィクトリアは白む空を仰ぎ見ながら、目を細めた。 父親は、今、どこで何をしているのだろう。 夜は終わり、朝が訪れ、新たなる日々が始まる。 悪しき呪術師の少女は人ならざる二人と連れ立ち、未知へと旅立った。 手元に在るようでいて、遥かな高みに在る父親へと近付くために。 少女は、禁じられし書を求めるのである。 07 3/2 |