そして。ヴィンセントとヴェイパーを新たに加え、再びスモウが始まった。 取り組みは、一番手にリチャードとレオナルド、二番手はブラッドとピーター、三番手はアンソニーとギルディオス。 四番手は数合わせのヴェイパーとフリューゲル、五番手、要するに大将戦はラミアンとヴィンセントになっていた。 ラミアンが大将である西軍の構成員は、リチャード、ブラッド、アンソニー、ヴェイパーといった面々に変更された。 ギルディオスが大将である東軍の構成員は、レオナルド、ピーター、フリューゲル、ヴィンセント、に変更された。 本来ならば、大将であるギルディオスが大将戦を行うのだが、ラミアンの願いでヴィンセントと位置を交代させた。 ここまで来たら、ラミアンの我が侭に付き合ってやるしかない。というか、こうなってしまっては誰も逃げられない。 一旦はドヒョウから出てスモウから解放されたと思っていたヴァトラス兄弟は、互いに力なく励まし合っていた。 これさえ終われば、などと愚痴をこぼしながら二人は向かい合った。リチャードは、悲しい顔をして愛妻に向いた。 「あのさあ、キャロル」 「はい、なんですか?」 身重のため一人だけ椅子に座っていたキャロルは、身を乗り出した。リチャードは、乾いた笑いを浮かべた。 「フィオちゃんと一緒に、黄色い声援を送ってみてくれない? 少しはやる気が出るかもしれないからさ」 「では、レオさんと先生のために頑張ってみます」 フィリオラは急に立ち上がると、かなりわざとらしい高い声を上げた。 「レオさぁーん、頑張って下さいねぇー! 見方によってはその恰好もほんの少しは素敵かもしれませんよぉー!」 「リチャードさん、どうか勝って下さい! 正気に戻ったらお終いだと思うので、私も精一杯頑張りますねー!」 フィリオラに負けじと、キャロルも少女時代のような高い声を作り、声援とは言い難い声援を送った。 「…言われない方が良かったかも」 リチャードは目頭を押さえ、俯いた。レオナルドは、兄の肩を叩いた。 「ああ、やっぱり格好悪いんだな、オレ達は…」 「なんでもいいから、さっさと始めてくれたまえ。私も焦れているのだが」 肩に白ネコを載せているファイドに急かされて、二人は向かい合って拳を地面に付け、しゃがんだ。 「はっけよーい」 ファイドはヴィンセントから正された掛け声を思い出しながら、右手を振り上げた。 「のこったぁ!」 その声と同時に飛び出したが、一瞬レオナルドの方が早かった。リチャードのマワシを力任せに掴み、押した。 体格は似ているが、体重は違う。筋肉の薄いリチャードよりも、筋肉の多いレオナルドの方が重量が多かった。 その体重差のせいで、出鼻を挫かれて足元を崩したリチャードは容易く胸や腹を押され、ドヒョウから出された。 「ヴィンセント、判定は?」 ファイドは、肩にぶら下がるように捕まっているヴィンセントに尋ねた。 「押し出しでやんすね」 ヴィンセントは二本の尾をゆらりと振り、答えた。ファイドは、ドヒョウの東側に控えている東軍を示した。 「東軍の勝ち!」 「まあ、いいか。勝つつもりじゃなかったし」 リチャードは、簡単に負けられたのでむしろほっとした。 「早く着替えてこよう。レオ、僕は一足先に現実に戻らせてもらうよ」 「あ、おい、兄貴!」 レオナルドが止めるよりも先に、リチャードは自分の家へと向かった。だが、兄を止められるはずもなかった。 その気持ちは痛いほど解るからだ。早く終わってくれよ、とレオナルドは思いながら、兄の疲れた背を見送った。 二番目の勝負は、歳の近いブラッドとピーターである。ピーターは今年で二十七歳になるので、若手と言える。 ブラッド以外とは歳が離れすぎているので、あまり公平ではないのでは、という考えの末の組み合わせであった。 この二人もさっさと終わらせてしまいたいのか、無表情で向かい合った。そしてまた、ファイドが掛け声を上げた。 「はっけよーい、のこったぁ!」 ファイドの声が終わると同時に、どちらも飛び出した。ブラッドがピーターのマワシを掴むと、ブラッドも掴まれた。 足を力一杯踏ん張り、押し合う。その気ではなかったが、取っ組み合っていると気合いが入るのだから不思議だ。 ブラッドはこのままピーターを持ち上げてしまおう、と体を反らしたが、ピーターは片足を軸にして体重を移動した。 そのまま回転して、ぐるっと立ち位置が逆転してしまい、ブラッドはいつのまにかドヒョウの外へ出てしまっていた。 「決まり手は寄り切りでやんすね」 ヴィンセントの判定に、ファイドは西軍を示した。 「西軍の勝ち!」 「え、ええ?」 納得が行かず、ブラッドは足元とピーターを見比べた。ピーターは、得意げに笑う。 「押すだけじゃダメなんだよ、押すだけじゃ。やっぱり経験少ないなぁ、ラッドは」 「せめて魔力が使えればなぁー…」 あーくそー、と悔しげに唸りながらブラッドは東軍の元へ戻っていた。ピーターも、西軍へと戻った。 「次、頑張れよ」 ピーターは擦れ違い様に、アンソニーの背を叩いた。アンソニーは、東軍の大将を横目に見た。 「少佐とオレとじゃ、まず戦いにならないだろうが」 「さーてどうだかなー。まあ、頑張ってこいよ。必要とあらば黄色い声援でも何でも送ってやるぞ?」 自分は勝ったので少々浮かれながら、ピーターはドヒョウへ向かうアンソニーを見送った。 「遠慮しておく。お前の声援なんて受けると、気が削げるだけだ」 アンソニーはすっかり相棒と化している念動能力者を睨み付けてから、戦いの場であるドヒョウに向き直った。 そこには、共和国軍時代の直属の上官であり異能部隊最強と恐れ敬われていた男、ギルディオスが待っていた。 「おう」 ギルディオスは親しげに手を挙げ、挨拶してきた。アンソニーは、深々と頭を下げた。 「すいません、少佐。手加減して下さい」 「魔力が使えねぇ場なんだから、オレの力も大したことなくなってるって。だから、そんなにビビるなよ」 ギルディオスは明るく笑ったが、アンソニーは笑えなかった。 「素手で石を握り潰せる人からそう言われても、信用出来ませんよ」 「とにかくおっ始めようや。ファイド、頼むぜ」 ギルディオスが腰を落として構えたので、アンソニーも仕方なしに腰を落として構え、大柄な甲冑と向き合った。 見慣れている相手だが、間近に接すると迫力が違う。年季の入った甲冑に付いた細かな傷も、威圧感を生む。 光が差し込まないために奥が暗いヘルムの隙間からは、いつものものとは明らかに違う眼差しが放たれていた。 遊びとはいえ、この人にとっては戦いには違いない。そう思った途端、アンソニーはますます腰が引けてしまった。 「はっけよーい、のこったぁ!」 ファイドが右手を振り上げたが、ギルディオスは突っ込んでこず、アンソニーは一瞬戸惑ってしまった。 「どうした、掛かってこねぇのか?」 ギルディオスは腰を落とすと、力強く足元を踏み切った。 「だったらこっちから行くぜ!」 アンソニーは無駄な抵抗と知りつつも構えたが、無駄だった。マワシを掴まれると同時に、足を引っ掛けられた。 外側から足を払われてよろけると胸を押され、背中から地面に叩き付けられてしまった。一瞬の出来事だった。 「外掛けでやんすね」 ヴィンセントが決まり手を述べると、ファイドは東軍に手を向けた。 「東軍の勝ち!」 ギルディオスはアンソニーを立ち上がらせると、満足げに笑った。 「これで一勝一敗だな」 「元々、勝てる勝負じゃなかったですからね」 アンソニーはあまり表情もなく、背に付いた土を払った。ギルディオスは、肩を竦める。 「つまらねぇことを言うようになっちまいやがって」 二人がドヒョウから出た後、マワシを締めたヴェイパーは浮かれ切った足取りでドヒョウの傍までやってきた。 その反対側には、ラミアンと似たような奇怪な体型になってしまっているマワシ姿のフリューゲルが立っていた。 フリューゲルも、遊び同然とはいえ勝負事なので次第に気分が高まってきたらしく、甲高い笑い声を放っている。 そんな二人の姿に、ロイズとリリは何も言えなかった。リリに至っては、目を逸らして正視しようとしない始末だ。 ロイズでもヴェイパーのマワシ姿はちょっと嫌だと思うのだから、リリはフリューゲルのマワシ姿が物凄く嫌なのだ。 フリューゲルはいつものようにリリが喜んでくれるものだと思っているので浮かれているが、実際は正反対である。 その事実をフリューゲルに伝えてやりたい気もするが、不機嫌になられて暴れられては困る、と思わないでもない。 しかし、ヴェイパーにはむしろ言ってやらなければいけない。やたらと上機嫌になったヴェイパーも、少し危険だ。 ただでさえ大きな体をしているのだから、浮かれて飛び回られたりしたらたまったものではなく、何より格好悪い。 ずんぐりとした体型のヴェイパーがマワシを締めた姿は、他の者達よりはまともだが、ほんの少しという程度だ。 決して格好良いとは言い難く、むしろ敬遠したくなる。ヴェイパーには悪いが、今度ばかりは付き合いきれない。 ロイズも、ヴェイパーにスモウに参加しないかと誘われたが全力で断った。あんな格好だけは、絶対にしたくない。 ロイズはひっそりとため息を零してから、皆から離れた場所に座っているヴィクトリアに視線を向け、逸らした。 艶々としていた長い髪は脂っ気が抜けてばさばさになり、頬は薄くなり、肌の色も青白く、灰色の瞳は虚ろだった。 一応髪は梳かれて整えられているが、ギルディオスがしているのか、どこかぞんざいであまり整っていなかった。 毛先も撥ねていて、前髪も伸びすぎて目に掛かっている。これなら、意地悪でも美しかった前の方が余程良い。 同じような目に遭ったのに、どうしてこんなに違うのだろうか。ロイズは少し悲しくなりながらも、ドヒョウに向いた。 すると、ドヒョウに踏み込んだ二体の魔導兵器が、よろけた。そのまま、二人は悲鳴も何も出さずに倒れ伏した。 どぅん、と重たい震動がほぼ同時に響いた。ドヒョウの中に入りきらなかった二人の手足が、投げ出されている。 「あ、あら?」 フィリオラはドヒョウの惨状に、目を丸くした。レオナルドはフリューゲルを蹴って、反応がないことを確かめた。 「完全に気を失っているようだが。フィリオラ、お前のせいだな?」 「お母さん、何をしたの?」 リリはちょっと不安げな目で、母親を見上げた。フィリオラは、首をかしげながら二人の元に近付く。 「大したことはしていないはずなんですけど。私の仕掛けた魔力封じと魔法封じ、そんなに強かったでしょうか?」 「フィリオラ、お前はどんな基準で魔力封じと魔法封じをしたんだ」 レオナルドに怪訝な顔をされ、フィリオラはむっとしながらも屈んでドヒョウに手を添えた。 「スモウを取る皆さんが皆さんですからちょっときついのにしようと思って、大分前に大御婆様から教えて頂いた魔力封じと魔法封じに少し手を加えたものにしたんですよ。魔力は魂と魔力中枢から生成される力ですから、魔力中枢に負荷を掛けて生成される魔力を打ち消し、根本的な部分から魔力を封じようと…」 そこまで言って、フィリオラは飛び上がった。 「だったら、このお二人はダメじゃないですかー! ああ、ちょっとやりすぎちゃいましたーごめんなさいぃー!」 「魔導兵器の原動力は人造魔力中枢だからなぁ…」 心臓を止められたようなものか、と呆れ半分に笑い、レオナルドはフリューゲルの足を掴んで引きずった。 「とりあえず、これを退かそう。邪魔だ」 「あ、あの、ファイド先生とヴィンセントさんは大丈夫ですか?」 フィリオラはヴェイパーに魔力を注いでやりながら、怯えつつ尋ねた。ファイドは、顎をさする。 「いや、これといって不調は見当たらんなぁ。たまに忘れそうになるが、私も純血の竜族だからな」 「そうでやんすねぇ。あっしらみてぇな生き物は、魔力をちょいと押さえて暮らしちょるのが普通でやんすから、それを外からどうこうされても今更気にならねぇんでやんすよ」 ヴィンセントは、にやりとするように口元を広げた。 「この二人は不戦敗、っちゅうことになりやしたねぇ。ちゅうことは、引き分けってことになりやすかねぇ」 「ここ最近はやらかさなくなったと思っていたが、久々にやってくれたなぁ」 のびたままのフリューゲルをドヒョウの外へ引き摺り出したレオナルドに茶化され、フィリオラは俯いた。 「ああ、本当にどうしましょう、私ってばもう…」 「ところで、おっちゃんは大丈夫だったん?」 ブラッドがドヒョウを指しながらギルディオスに問うと、ギルディオスはがつんと胸元を叩いた。 「ああ。オレの動力は魂一つだけだからな。魔力中枢自体がねぇから、封じられようがねぇんだ」 「あれ、手伝いますね。あそこに入りさえしなきゃ、オレの力も使えるんで」 ピーターは倒れたままのヴェイパーを必死になって引き摺り出そうとしているフィリオラを見かね、手を広げた。 ピーターが念動力を放つと、フィリオラがどれだけ引っ張っても動かなかったヴェイパーの巨体が浮き上がった。 地面から少しだけ浮いた状態で動かされたヴェイパーは、そっと地面に下ろされたが、俯せに転んだままだった。 フィリオラの施した魔力封じと魔法封じが余程強かったのか、ヴェイパーもフリューゲルも目を覚ましそうにない。 フィリオラはヴェイパーとフリューゲルに何度となく謝りながら、ドヒョウに施した魔力封じと魔法封じを弱めた。 ロイズがリリと顔を見合わせると、不可解な顔をしていた。喜ぶべきなのか残念がるべきか、迷っているようだ。 ロイズもそんな気持ちだったので、似たような顔をしていた。ヴィクトリアはと言うと、またもや笑い転げていた。 魔導兵器二人がどちらも不戦敗となり、実質引き分けとなってしまったので、両軍とも一勝一敗一引き分けだ。 なので、決着は大将戦に持ち込まれた。ラミアンは魔力封じと魔法封じの弱められたドヒョウに入ると、笑った。 「ああ、なんと素晴らしいことか! これまではただ書物の上にしか広がっていなかった異世界にも等しい価値観を持つ東方の異国の文化を、この身で味わうことが出来るのだから! さあ、私とスモウを取ろうではないか、ヴィンセントよ! いや、シライシ・マタキチよ!」 「それじゃ姓と名が逆ですぜ、旦那」 ヴィンセントはラミアンの浮かれ具合に辟易しながらも、ファイドの肩から降りてドヒョウに着地した。 「こっちの呼び方じゃ、あっしの名前はマタキチ・ヴィンセント・シライシになりやす。覚えといて下せぇ」 「おや、そんな呼び方をする国もあるのですか。私の知識不足です。では、シライシ卿。一時ばかり、この吸血鬼めと踊って下さいませんか」 「マワシ姿で気取られたって、ちぃとも格好良くありやせんぜ」 ヴィンセントは仕方なく、変化することにした。巨体の獣人に変化すると、消耗が激しいので好きではないのだ。 普段は必要最低限に押さえ込んでいる魔力を解放し、全身の隅々まで行き渡らせ、肉体を活性化させていく。 べきべきと鳴りながら急激に成長する骨と関節の音が耳障りで、体を膨らませながら少しばかり顔をしかめた。 ほっそりとしていた二本の尾も大人の腕ほどの太さになり、身長はラミアンを超え、肩幅はギルディオスを超えた。 原型が獣なので首は前に突き出し、背は丸まり、膝も前に出ている。白い毛に包まれた怪物が、出来上がった。 ぴんと伸びた耳を揺らして、深呼吸して魔力を整える。すると、変化の様子を見ていたリリが突然声を上げた。 「ヴィンちゃんが可愛くなくなっちゃったー!」 「…え、ええ?」 ロイズはリリの価値観がまるで解らず、声を裏返した。あのフリューゲルは良いのに、これは可愛くないのか。 ロイズにしてみれば、いくら巨大でもネコらしい外見を残しているヴィンセントの方がまだ可愛いと思えるのだが。 リリはなぜか拗ねてしまい、むくれた。ロイズは彼女にどんな言葉を掛けるべきか考えたが、思い付かなかった。 ヴィンセントはリリの反応が予想と逆だったので少し衝撃を受けたが、マワシを受け取り、きっちり締め上げた。 マワシを整えてからラミアンに向き直ると、彼は既に構えていた。前傾姿勢になり、腰を後ろに突き出している。 スモウを取る前の姿勢としては正しいのだが、ラミアンなので変だった。だが、ここで笑っては力が抜けてしまう。 ヴィンセントも同じ姿勢を取り、構えた。まともにスモウを取るのはどれくらいぶりだろう、と頭の隅で考えていた。 島国では自分と同じような異形の者達とよくやり合ったものだが、一番強かったのは、やはりあの水棲種族だ。 頭に皿を持ち、背中に甲羅を載せ、緑色の肌をした種族はスモウが得意なので、何度戦っても負けてしまった。 だが、まさか異国の吸血鬼と、それも魔導兵器と化した者とスモウを取ることになるとは予想もしていなかった。 しかし、勝負をするなら勝ちに行こう。暗殺には長けた吸血鬼だが、スモウを取ることに関しては全くの素人だ。 だから、圧倒的にこちらが有利だ。ヴィンセントはにやけ、変化して五本指になった手を握ってドヒョウに付けた。 「はっけよーい、のこった!」 ファイドの掛け声と共に、両腕を突っ張ったラミアンが、ヴィンセントの胸元へ突っ込んできた。 「どすこい!」 しかも、妙な掛け声も一緒だった。確かにそれはスモウに関係のある言葉だが、使い方は大いに間違っている。 「どすこい!」 ヴィンセントはラミアンの張り手を受けながらも、笑ってしまわないようにぎゅっと口を締めていた。 「どすこぉいっ!」 張り手を出すうちに力が入るのか、ラミアンの声も力んでくる。 「どぉすこぉういっ!」 張り手では効果がないと悟ったラミアンにマワシを取られたので、ヴィンセントもマワシを掴んで四つに組んだ。 「どーすこーいっ!」 「だ、旦那ぁ、そいつもまた間違っちょりやすぜ?」 見た目の割に力のあるラミアンと踏ん張り合いながら、ヴィンセントが半笑いになると、彼は聞き返してきた。 「どすこい?」 どうやらラミアンは、スモウを取る際にはどすこいとしか喋ってはいけないと思い込んでしまっているようだった。 ヴィンセントは堪えきれなくなって吹き出してしまい、腰が落ちた。途端に、ラミアンの張り手に腹を攻められる。 見た目も言動も巫山戯ているが、力量は本物だった。ヴィンセントは最早勝つ気は失って、ただただ笑っていた。 気付いた頃には、ラミアンの張り手によってドヒョウの外に転がされていた。最後の決まり手は、突き倒しであった。 ヴィンセントに勝利したラミアンは、やはりどすこいを連呼して喜びを表現していたので、それがまた可笑しかった。 間違いを修正してやりたいような、このまま放置しておいた方が面白いような、そんな気持ちで彼を眺めていた。 二勝一敗一引き分けで東軍の勝利となり、このおかしなスモウは幕を閉じた。 夜も更けた頃、ヴィンセントは足音を忍ばせて歩いていた。 ラミアンが暴走した末に行われた狂乱のスモウの後はごく普通の収穫祭となり、ゼレイブの者達は宴を広げた。 話題の中心はもちろんスモウで、酒が回っているせいもあり、皆は口々にどこかどう可笑しかったか騒ぎ立てた。 そのたびに騒がれた本人は怒ったり弱ったりしていたが、笑い声が絶えることはなく、にぎやかな夜になった。 宴が行われていたのは、当然ながらゼレイブで一番広いブラドール家の屋敷の広間で、皆は深夜まで騒いだ。 スモウでは喜ばなかったが宴ではしゃいだ子供達が眠り、大人達も騒ぎを静めた頃、ヴィンセントは抜け出した。 ギルディオスや異能部隊の面々には嫌がられたが、ラミアンの計らいでヴィンセントも宴に招かれたのである。 そこで住民達と同じ御馳走を振る舞われ、少しばかり酒も舐めさせてもらったが、警戒心だけは緩めなかった。 そして、宴が終わって皆が疲れた頃を見計らい、ゼレイブから出ていくためにブラドール家の屋敷を後にした。 ルージュが砲撃で抉った地面の大穴を避け、まだ瓦礫の残っている家々の影を抜けると、道の先に影が立った。 音もなく着地したそれは銀色のマントに薄く冷ややかな月光を浴び、狂気の笑みを貼り付けた仮面を煌めかせた。 「これはこれは、ヨコヅナじゃありやせんか」 ヴィンセントはひたひたと歩いて、銀色の骸骨の足元までやってきた。 「あっしに何か御用で?」 「ヴィンセント。君には感謝している。礼を述べておかねばならない」 ラミアンは胸に手を当て、礼をする。 「君の主が君の首を縛り付けている鎖を解き、奔放なる日々を取り戻したその時には、また訪れてくれないか」 「そいつぁまた、どうしてでやんすか?」 「私は君という存在に、大変な興味を持ってしまってね。是非とも、話し込んでみたいのだよ」 「あっしの国のことですかい? それとも、あっしのことでですかい?」 「どちらも、と言ってはいけないか?」 ラミアンが声色を和らげたので、ヴィンセントはぶるりと身震いした。気を抜けば、口説かれてしまいそうだ。 「うっへぇ」 ヴィンセントは、彼の足元をするりと抜けた。 「まっことに申し訳ねぇでやんすが、あっしは吸血鬼の旦那に口説かれちょる暇はねぇんでさぁ。あっしにはあっしの仕事っちゅうもんがありやすからねぇ」 「それは残念だな」 ラミアンは振り返らずに、ゼレイブと外界を仕切る魔力の蜃気楼に向かう白ネコに返した。 「ですが、今日は久々に楽しませてもらいやしたぜ。その辺は、あっしも旦那方に感謝しちょりやすぜ」 ヴィンセントは蜃気楼に入る手前で振り向き、銀色の骸骨の背に呟いた。 「そのお礼と言っちゃあなんですが、吸血鬼の旦那にはちょいといいことを教えてやりやしょう」 ヴィンセントは、声を低めた。 「この平和は、冬が明けるまででごぜぇやしょう」 ラミアンが振り返った気もしたが、ヴィンセントは振り向かずに魔力の蜃気楼へ入り、ゼレイブから出ていった。 しばらく歩いてゼレイブからかなり離れると、魔力の蜃気楼が夜の深さと共に厚みを増していくのが目視出来た。 少々名残惜しく感じながら、ヴィンセントは真っ直ぐ続いている細い道を歩いた。冷え切った地面が肉球に冷たい。 やるべきことをやっているだけであり、与えられた役割を果たしているだけなのだから、何も感じる必要はない。 彼らに思い入れがないわけではないが、それほどではない。いたらいたで楽しいが、死んだらその時はその時だ。 誰に対しても、罪悪感を感じる余地はない。ここにいる誰の敵ではないが、誰の味方になるつもりはないからだ。 だから、何がどうなろうと、現状を楽しむだけだ。 日常から離れ、現実を忘れるための宴。 遠き異国に憧れる吸血鬼に強要され、男達は無用な戦いをした。 図らずもその馬鹿馬鹿しき戦いに巻き込まれた、二本の尾を持つ白きネコは。 限りある平和を謳歌する人ならざる者達を眺め、笑うのである。 07 8/23 |