ドラゴンは滅びない




焦燥の矛先



 ヴィクトリアは、腹が立っていた。


 二日前の出来事を、未だに引き摺っていたからだ。探し求めていた禁書を、目の前で他人に攫われたのだ。
それも、後少しで自分の手に入るというところで。禁書を封じ込めている地下洞窟の位置も、割り出していた。
後は魔法で石畳を消し、地下洞窟を成し上げている魔導結界を丁寧に解除してそこから禁書を奪う手筈だった。
手順も計画も完璧だった。後は魔導結界を解除して地下洞窟に突入するだけ、という段階で敵に襲撃された。
 その襲撃者の名は、ルージュ・ヴァンピロッソという。両腕に魔力砲を備えた、女性型の人造魔導兵器だった。
彼女の目的がいかなるものか、ヴィクトリアだけでなく誰も知り得ていない。ただ、唐突に現れて奪っていった。
それが、腹立たしくないわけがない。思い出したくもないが、思い出してしまうたびに苛立ちばかりが募っていく。
 ヴィクトリアは、荒れた道を進む蒸気自動車の後部座席に座っていたが、靴底で運転席の背を蹴り飛ばした。
どがん、と乱暴な震動が起き、蒸気自動車を運転していたギルディオスが前のめりになって変な悲鳴を上げた。

「うおっ!?」

 ギルディオスは蒸気自動車を止めると、運転席の背もたれに腕を載せて後部座席を見下ろした。

「何すんだよ、いきなり」

「苛々するのだわ」

 不機嫌極まりないヴィクトリアに、ギルディオスは、またか、と嘆息した。

「そりゃ、禁書を取られちまったのは悔しいだろうが、もう終わったことなんだからいい加減に諦めてくれよ」

「理不尽だわ。非常識だわ。無礼だわ」

「魔導師協会が封印した禁書を次から次へと奪ってるお前の方が、余程理不尽で非常識で無礼じゃねぇの?」

「やかましいのだわ」

 どん、とヴィクトリアはもう一度運転席の背もたれを蹴り飛ばした。

「ねえ、あなた。私に殺されなさい」

「だからなんでそうなるんだよ」

「苛々するからなのだわ」

「むかついたからって安易に殺意を持つな」

「他人の命よりも私の心の平穏の方が崇高なのだわ」

「ヴィクトリア、いっぺん死んでみろ。ちったぁ人生観が変わるぞ?」

 困り果てたギルディオスは、投げやりな言葉を吐いた。二日前のルージュとの戦闘後から、ずっとこの調子だ。
一日経てば少しは機嫌が直るかと思ったが、二日経っても直るどころか輪を掛けて悪くなっていく始末だった。
最初の頃はヴィクトリアの機嫌を窺っていたが、さすがにここまで来ると機嫌を窺う方もうんざりしてきてしまう。
だから、放っておいた。そのうち怒るのにも飽きるだろう、と思っていたが、予想以上に怒りは根深かったようだ。

「それと、オレのことはちゃんと名前で呼べ」

 ギルディオスは、ため息混じりに忠告した。名も呼ばれないのは、呼び捨てよりもタチが悪いからだ。

「私が名を呼ぶほどの価値があなたにあって?」

「そういう問題じゃねぇだろ。色々と躾がなってねぇんだなぁ、こりゃ。まぁ、グレイスの野郎だもんな」

 ギルディオスはうんざりして、頭を振った。それに合わせ、ニワトリのトサカに似た赤い頭飾りが左右に揺れた。
助手席に転がしてあったヒビの入ったフラスコが、ごとりと起き上がった。その中で、伯爵がぶるぶると波打つ。

「はっはっはっはっはっはっは。所詮、貴君はその程度なのであるぞ、ヴィクトリア。貴君がどれだけ思い上がろうと、子供は子供に過ぎないのである。貴君の両親は腕が立ったかもしれんが、親は親であり子は子なのであるからして全くの別物なのであるからして、貴君がルージュ・ヴァンピロッソなる魔導兵器に勝てる余地などないのである。貴君の技が通用したのは、単なる偶然に過ぎないのである。敗北は敗北として、真正面から受け止めておくべきなのである。もっとも、我が輩であれば敗北など有り得ないのである。なぜなら我が輩はこの世で最も高貴なる存在であるからして、全ての者が我が輩の元にひれ伏すのが当然であり、戦わずして勝てるである」

「あら。卑しい魔物に過ぎないあなたに戦えるほどの力があって?」

 ヴィクトリアは後部座席から腰を上げ、伯爵のフラスコを見下ろした。伯爵は、にゅるりと蠢いた。

「はっはっはっはっはっはっはっは。そのような手緩い罵倒では、我が輩を痛め付けることなど出来ぬのである」

「何か悔しいのだわ」

 ヴィクトリアは伯爵を指し、ギルディオスに向いた。ギルディオスは、生温く笑う。

「気持ちは解るけどさあ」

 ヴィクトリアは助手席の背もたれに腕を載せて、前傾姿勢になっている。唇を尖らせて眉を吊り、拗ねている。
普段はそれほど表情は変わらないのだが、こういった顔をすると途端に子供らしくなる。やはり、まだ十二歳だ。
いつも入念に手入れをしている艶やかな黒髪は砂っぽい風に流されて輝き、白く柔らかな頬を膨らませている。
 ヴィクトリアが苛立っている原因は、何もルージュの一件だけでもないだろう。長旅をするのは、初めてのことだ。
だから、心身に負担が掛かっているに違いない。昼間は走り通しで、夜は後部座席に小さく丸まって眠る日々だ。
屋根のある部屋で、増してベッドのある部屋で眠れたことはない。このご時世なので、宿屋など見つからないのだ。
風呂に入る代わりに、あの水の湧く洗面器の水で体を拭いたりはしているが、温かな湯船には浸かれていない。
食事も、ヴィクトリアが持ってきた保存食は底を突きかけ、最近では闇市から手に入れたものばかりになっている。
これでギルディオスに料理の心得でもあれば、それで何かを拵えてやるだろうが、そんなに器用な男ではない。
ヴィクトリアも、自分で料理をしたことは一度もないので要領が全く解らないので、いつもそのまま食べているのだ。
 長い間、灰色の城で大事に育てられてお嬢様暮らしをしていたヴィクトリアにとって、これが辛くないわけがない。
自分から言い出して同行したので、文句も我慢しているのだろう。そう思うと、少しばかり彼女に同情してしまった。
 ギルディオスの視線に気付き、ヴィクトリアは怪訝そうにした。ギルディオスは彼女から目を外し、周囲を見回す。
道に残っている車輪の跡はいずれも細く、一番太く深いものは、自分達の乗っている蒸気自動車の車輪の跡だ。
この様子だと、ここは連合軍の通り道ではないらしい。街も近くにはないのか、先程から誰とも擦れ違っていない。
ならば、しばらくここに止まっていても問題はないだろう。ギルディオスはヴィクトリアに顔を寄せ、にいっと笑った。

「ヴィクトリア、気晴らしになんかして遊ぶか?」

「何よ、いきなり」

 ヴィクトリアは一瞬表情を緩めたが、すぐに不愉快げな声を出した。ギルディオスは、彼女の頭に手を置く。

「ある程度だったら付き合ってあげるぜ」

「別に、私はそんな気はないのだわ」

 ヴィクトリアは顔を逸らしたが、目線はギルディオスに戻した。そういえば、最近は一人遊びばかりをしていた。
ヴィクトリアにとっては姉も同然であり灰色の城のメイドであったレベッカが姿を消してからは、ずっとそうだった。
母親のロザリアが遊んでくれることもあるが、彼女はレベッカほど付き合いが良くないので思い切り遊べなかった。
だが、ギルディオスは違うだろう。レベッカと同じように無機物の肉体を持つ彼は、人間以上の体力を持っている。
そういう相手なら、思い切り遊べるのではないか。ヴィクトリアはそこまで考えたが、なんだか照れくさくなってきた。
 散々邪険にしたのに、都合の良い時だけ甘えるのはいかがなものか。だが、溜まっていた欲求は膨れ上がる。
少しぐらいなら、付き合ってやろう。ヴィクトリアは自分自身に言い訳をしてから、銀色の手越しに甲冑を見上げた。

「そんなに言うなら、遊んであげてもよくってよ」

「はいはい」

 ギルディオスはヴィクトリアの内心を見透かしているのか、頭をぽんと軽く叩いてきた。仕草も態度も慣れている。
ヴィクトリアは言い返したくなったが、なんとなく言葉を飲み込んだ。今だけは、子供扱いされてやってもいいだろう。
 ギルディオスは、頼りない部分は多いが人間的には嫌いではない。人が良く明るいが、それが鼻に付かない。
子供扱いされるは嫌だが、少し遊びたい。ヴィクトリアは照れ隠しに俯きながら、どんな遊びをしようかと考えた。
 一番楽しい遊びと言えば、あれに限る。


 なぜ、こういうことになるのだろう。
 ギルディオスはヴィクトリアと対峙し、バスタードソードを握っていた。対する彼女も、立派な得物を持っている。
少女の華奢な指が持つには相応しくない、良く使い込まれた斧を持っている。トランクの中に、入れていたのだ。
 ヴィクトリアは斧の柄を両手で握り締め、持ち上げた。筋肉も肉もない細い腕なのに、実に軽々と扱っている。

「うふふふふふふ」

 ヴィクトリアの目は、光を失っていた。灰色の瞳は、何も映していない。

「おい、こら」

「あはははははははは」

「いきなりぶっ飛ぶんじゃねぇ!」

 ギルディオスは彼女を制したが、ヴィクトリアは奇妙な笑い声を発しながら斧を振り上げた。

「あははははははははは!」

 少女とは思えないほど俊敏な動きで、ヴィクトリアは土を蹴った。一瞬にして、ギルディオスとの間を詰める。
ギルディオスが応戦するかどうか迷った僅かな隙に、ヴィクトリアは分厚い斧の刃を躊躇いもなく振り下ろした。
まずい、とギルディオスが身を引くと、今し方まで立っていた場所の地面が切られた。鈍い音がし、土が割れる。
 斧の刃を地面に叩き込んだヴィクトリアは、乱れた髪をそのままに振り返った。薄い唇が、にたりと歪んでいる。
目は全く笑っていないが、口だけが機嫌良さそうに笑っている。その異様な表情には、それなりに迫力があった。
恐らくヴィクトリアは、レベッカを相手に殺し合っていたに違いない。そうでなければ、こんな遊びなど思い付かない。
もちろん、本当に殺しはしないまでも、あの斧でレベッカの腕や足を断ち切ったことぐらいはあるのではないか。
魔力で体力や腕力を補いながら動いているのだろうが、一通りの訓練を受けていなければあの動きは出来ない。
ギルディオスは、つくづくグレイスが嫌いになった。自分の娘に殺人の技術を教え込む心境が、理解出来ない。

「あははははははははははははは」

 ヴィクトリアは斧を抜くと、肩に担いだ。見開かれた灰色の瞳が、不気味だ。

「頭? 腹? それとも手足がよろしくて?」

「どれも嫌だ」

 ギルディオスがずり下がりながら返すと、ヴィクトリアは駆け出した。

「じゃあ、頭にしてあげるのだわ!」

 ギルディオスがバスタードソードを構えるよりも先に、ヴィクトリアは跳ね上がっていた。黒いスカートが、翻る。
その下の白いドロワーズが見えたかと思うと、目の前に刃が降ってきた。ギルディオスは舌打ちし、剣を下げた。
子供相手に剣を振るうわけにはいかない。空いている左手で斧の柄を掴むと、がくん、と少女の勢いが止まった。
舞い上がっていたスカートが落ち着き、衣擦れの音がする。乱れた黒髪がふわりと下り、彼女の肩に乗った。
斧の柄の先にいるヴィクトリアは、腕で自重を支えていた。忌々しげに、刃の真下のギルディオスを睨んでくる。

「割らせなさい」

「だから、そういうことをしちゃいけねぇんだって」

 ギルディオスは首を横に振る。ヴィクトリアは斧を手放すと、飛び降りてすぐに姿勢を正した。

「返しなさい。それは私のものだわ」

「…どうするよ、おい?」

 ギルディオスはヴィクトリアの得物の斧を手にしたまま、道の脇の草むらに駐めてある蒸気自動車に向いた。

「はっはっはっはっはっはっはっは。そのニワトリ頭は頑丈であるからして、壊し甲斐があるのであるぞ!」

 蒸気自動車のボンネットの上で、伯爵が高笑いした。ギルディオスは、全力で反論する。

「他人事だからって煽るんじゃねぇよ!」

「あはははははははははは」

 ヴィクトリアは袖の下から、細身のナイフを抜いた。ギルディオスは、がっくりと項垂れた。

「いい加減にしてくれよ…」

 こんなことになるんだったら、彼女と遊ばない方が良かったかもしれない。手の中の斧は、結構重たかった。
ナイフも嫌だが、斧はもっと嫌だ。全身鎧の魂の器とはいえ、肉体は肉体なので全身には五感が備わっている。
だから、切られれば痛いし砕かれれば物凄く痛い。ギルディオスはヴィクトリアの斬撃を避けつつ、思っていた。
 きっと、ヴィクトリアにはレベッカ以外の友人がいないのだ。だから、こういう変な遊びしか知らないのだろう。
それはそれで同情してしまいそうになるが、今はそんな場合ではない。ギルディオスは、斧を手放すことにした。
ナイフに比べれば斧は威力が大きいから、こちらの方がヴィクトリアの気が晴れるのが早くなるかもしれない。
早く、終わらせてしまいたい。再び斧を手にして、けたけたと壊れた笑いを放つヴィクトリアはかなり異様だった。
 不機嫌でいてくれた方が、まだマシだった。




 後部座席では、ヴィクトリアが眠っている。
 ギルディオスは運転席に座り、ぐったりしていた。あれから、ヴィクトリアに長時間に渡って追い回されたのだ。
子供だからと侮っていた節がないわけではない。彼女は予想以上に斧の扱いに慣れていて、使いこなしていた。
あの様子では、本物の人間も手に掛けたことがあるように思える。そうでなければ、的確に急所を狙えはしない。
 ギルディオスは緊張で強張った首を曲げ、肩を回した。後部座席を窺うと、ヴィクトリアはぐっすり眠っている。
ギルディオスを追いかけ回して斧を振り回したから疲れたのと、気分が晴れたのとで、寝顔は幸せそうだった。
あんなことで幸せになられても、困る。ギルディオスが頬杖を付いて息を零すと、助手席にいる伯爵が泡立った。

「どうしてこう、貴君という男はろくでもない女とばかり連む羽目になるのであろうな」

「オレに聞くな」

「フィフィリアンヌといい、フィリオラといい、ヴィクトリアといい、どれもこれも妙なのである」

「フィオはまだまとも、いや、そうでもねぇな。変身すると性格が変わっちまうし、男の趣味はちょいとずれてるし」

「だが、そんな連中に関わる利点もないこともないのである。当分の間、退屈だけはせずに済むのであるからな」

 伯爵の言葉に、ギルディオスは少し笑った。

「違いねぇや」

 雑草の上を走り抜けてきた弱い夜風が、体の表面を舐める。体内に内蔵した魔導鉱石の熱を、冷ましていく。
ヴィクトリアの気が晴れたことはありがたいが、ギルディオスの気は晴れていなかった。無論、ルージュの件だ。
あれほど精巧な人型魔導兵器、それも女性型となればかなり珍しい。ギルディオスが知る中には、いなかった。
彼女の作り手は誰なのか、彼女の正体は何なのか、そして、目的は何なのか。禁書の収集だけではないだろう。
ヴィクトリアの目的とルージュの目的が一致している以上、これから先も、ルージュと再会することがあるだろう。
なるべく音便に物事を運びたいものだが、ヴィクトリアの性格からすれば無理だ。あれで、結構負けず嫌いだ。
現に今日の殺戮ごっこと言うべき遊びでも、ギルディオスを完全に追い詰めるまで彼女は満足してくれなかった。
 朧な不安と、微かな焦れを感じる。だが、何一つとしてはっきりしていない現状では、何を出来るはずもない。
ギルディオスはハンドルの両脇に足を投げ出して、座席に身を沈めた。背中の下で、短い赤いマントが乱れた。
頭の後ろで手を組んで、上体を逸らす。夜へと移り変わり始めた空をぼんやりと眺めることで、思考を中断した。
 どうせ、今はどうにもならない。何かが起きるとしても、その何かが何であるか解らなければ動きようがない。
だから、この焦燥感も無駄だ。向ける先のない感情を持て余したギルディオスは、がしゃりと太い足を組んだ。
 背後からは、小さな寝息が聞こえていた。




 苛立ちを狂気に変え、斧を振るう悪しき少女。
 重剣士を相手にした殺戮の真似事で、胸に燻る焦燥を紛らわした。
 その斧の矛先が、手近な人物に定められている限りは。

 世界は、ほんの少し平和なのである。






07 3/8