ロイズは、耳を塞いでしまいたかった。 母親を殺した者の言葉など、一言も聞きたくない。しかし、全身が鉛のように重く、指先すらも動かせなかった。 魂を切り離してヴェイパーと精神同調し、激しい戦闘を行ったために、魂と魔力が限界まで疲弊したせいだった。 本物の自分の体だというのに、ヴェイズと化していた際よりも遥かに重たく感じる。まるで、他人のもののようだ。 息をするのも苦しくて、涙が滲んでくる。ロイズは精一杯の怒りを込めてラオフーを睨むも、目線は交わらない。 先程の攻撃で腹部装甲に巨大な穴が開いているラオフーは、光の薄らいだ赤い瞳を高い空へと向けていた。 魔導兵器は呼吸をしないので息は荒げていないが、その代わりに彼の赤い瞳は弱々しい点滅を繰り返していた。 ヴェイパーは、まだ気を失っている。ロイズが強引に合体したためと、全身を激しく破損してしまったからだった。 ようやく頭の冷えてきたロイズは、自分が何をしたのか自覚した。ヴェイパーに、とてもひどいことをしてしまった。 あれでは、ヴェイパーはただの道具ではないか。確かに彼は魔導兵器だが、ロイズにとっては兄であり友人だ。 謝るべきは彼ではなく、自分だ。ロイズは力の入らない顎を食い縛ったが、土に汚れた頬を伝う涙は止まらない。 「そうじゃのう…」 ラオフーの口調はいつになく穏やかで、遠い過去を懐かしんでいるかのようだった。 「どこから、話してやろうかのう」 およそ三年前。ラオフーは、目覚めた。 見たこともない場所で、見たこともない人間達に囲まれ、見たこともない恰好で、見たこともない者達と共にいた。 長方形の箱のような形状の部屋はだだっ広く、天井も高く、巨大な滑車に太い鎖が掛けられてぶら下がっていた。 溶鉱炉と思しき赤々と燃える炉から熱が発せられていて、至る所におかしな形をした部品や機械が転がっていた。 機械油と煤に汚れた顔をした作業着姿の男達に混じり、明らかに場違いな位の高い軍服を着た男が立っていた。 彼らは口々に何か言葉を交わしていたが、頭がひどく重たく思考が鈍っていたせいで上手く聞き取れなかった。 ぎ、と首を動かすと、両脇に見知らぬ者達が立っていた。右側には、両腕に砲を備えた機械仕掛けの女がいた。 左側には、てかてかと光る銀色の翼を持つ、やはり機械仕掛けの鳥人がいた。どちらも、胸には魔導鉱石がある。 ラオフーも、自分の胸元を見下ろした。分厚い金色の装甲の上には、五角形の台座に載った魔導鉱石があった。 三体とも、魔導鉱石の色は紫だった。ラオフーは意識が次第に晴れていったが、違和感が背筋を駆け上ってきた。 なんだ、この体は。なんだ、ここは。なんだ、この石は。キースに襲い掛かろうとして、首を落とされたはずでは。 だが、首が動く。体がある。しかし別物だ。ラオフーはひどく混乱して身動いだが、両腕も両足もまるで動かせない。 じゃらり、と耳障りな音がして、鎖が伸び切った。天井から下げられている鎖と同じくらいに太い鎖が、付いている。 よく見ると、他の二人も同じ状態だった。ラオフーが鎖を振り解こうと身を捩ると、男達は一斉にこちらに反応した。 「覚醒が早すぎる! まだ意識制御の魔法を施していないぞ!」 軍服姿の男が叫ぶと、慌ただしく作業服姿の男達が走り出した。 「三号機の停止措置を直ちに開始せよ! 魔導師を掻き集めろ!」 どこからか警報が鳴り響き、箱の中に共鳴する。作業服姿の者達に代わるように、兵士達が雪崩れ込んできた。 彼らは手にしていた小銃を構えてラオフーに向けたが、軍服姿の男が立ちはだかって制止し、撃つな、と叫んだ。 「…う」 声を発したのは、機械の女だった。銀色の髪を光らせながら顔を上げ、かすかに呟いた。 「ここは、どこだ」 「一号機も覚醒した! 魔導師部隊はまだか!」 また、軍服姿の男が喚いた。女は目の部分に赤い光を灯すと、虚ろな眼差しで辺りを見渡した。 「わたしは、やっとしねたのか?」 「あの世にしては、ちぃと騒々しいのう」 ラオフーが呟くと、女はラオフーに気付き、目を向けてきた。 「おまえは…?」 「儂もそれをおぬしが誰か聞きたいが、今はそういう場合ではなさそうじゃな」 ラオフーは両手両足に絡んでいる鎖を、ぐっと引っ張った。すると、太い鎖は根本から千切れて壁から外れた。 あまり力を入れた覚えはないので、ラオフー自身も驚いた。試しに鎖を握ると、くちゃっと小さく丸まってしまった。 「ほう」 握力だけでも、生前の数十倍はあった。ラオフーがその力に感心していると、兵士達が分かれて後退した。 次に現れたのは、軍服を着ているが先程の男とは雰囲気のまるで違う者達で、男もいれば女も混じっていた。 彼らは魔導師の使う杖を手にしており、強張った顔でこちらを睨んでいる。どうやら、この者達は魔導師らしい。 魔法を撃って、こちらの動きを制するつもりのようだ。ラオフーが内心で舌打ちしていると、女は右腕を上げた。 女の腕はラオフーのそれよりも遥かに細かったが、腕力は劣らぬらしく、やはり簡単に拘束の鎖を引き千切った。 女の右腕の先で、それぞれに長さの違う砲身が回転する。一番長い砲身が上になると、女の表情が一変した。 「私に近付くな!」 女は突然怒声を上げ、砲身から光を放った。魔導師達は応戦するべく杖を掲げたが、それすらも焼かれた。 太く白い閃光は一直線に抜け、魔導師達だけでなくその後ろに控えていた兵士達をも焼き、正面の壁が溶けた。 女は右腕を下げると、肩を大きく上下させた。足の鎖も切りながら踏み出したが、がちがちと奥歯を鳴らしていた。 閃光が走った部分の床は黒ずみ、その周囲にいた兵士や魔導師は黒く焼け焦げ、嫌な匂いの煙を上げていた。 あっという間に、多数の人間が死んでしまった。最初の一撃で死を免れた者達は、震える手で小銃を構えている。 部隊長と思しき者の声が上がると、女へ向かって銃弾の雨が降り注いだが、装甲がそれを全て弾き飛ばした。 女は全身を強張らせながら、再度砲身から閃光を放った。腕全体を振ったので、まんべんなく人間が焼かれた。 彼女を中心にして、円形に煙が上がっていた。今度は生き残った者もおらず、じゅうじゅうと脂が沸騰している。 直前まで動いていた人間の残骸からは、焼け落ちた皮膚と崩れた脂肪が溶け出し、着ていた服が燃えていた。 女の放つ光線は、余程の高温だったのだろう。ラオフーは背筋に冷たいものを感じながらも、女に目を向けた。 「気を静めんか。もっとも、儂も落ち着いとるわけでもないがのう」 女はずり下がると、自分が殺した人間の死体を踏み散らかしながら、錯乱した叫びを上げた。 「来るな、来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな、来るなぁああああ!」 女の右腕の砲の三つの砲口全てから、閃光が迸る。ラオフーは避けようと思ったが、女の砲撃が早かった。 まともに直撃を受けたラオフーは吹き飛ばされてしまい、左側の鳥人の真上に落下したが、意識は失わなかった。 溶けたか、と不安になって装甲に触れるも、傷一つ付いていない。この機械の体は、恐ろしく頑丈なようだった。 すると、尻の下で何かが動いた。ラオフーが腰を上げると、ぐちゃぐちゃに潰れた鎖に絡まった鳥人が目覚めた。 「くけけけけけけけけけけけけけけけけっ」 鳥人は二人を見上げると、ぎちっぎちっ、と忙しなく首を動かした。 「なんだ、なんだ、なんだ? ここどこだ、どこだ、どこだ、どこだ、どこだ、どこだ?」 「なんじゃい、こりゃ」 ラオフーが戸惑っていると、鳥人は鎖を振り解いてびょんと跳ね、両腕の翼を大きく広げた。 「クァアアアアアアアッ!」 鳥人も混乱しているらしく、ラオフーと女を威嚇してきた。女は相当錯乱していて、視線も泳いでいる。 「あ、ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だあ!」 訳が解らないが、この場に長居するのは良くなさそうだ。そう判断したラオフーは、二人との距離を開け始めた。 女は早口で何者かを罵倒しつつも、怯えていた。鳥人は獣そのものの仕草で、首を捻ったり、鳴いたりしていた。 とりあえず、外へ出てここがどこかを確かめよう。ラオフーは女の放った光線で壁が貫かれた部屋を見回した。 左手に、出口と思しき鉄扉がある。だが、そのかんぬきは、女の光線をもろに浴びたために無惨に溶けていた。 太く長い鉄製のかんぬきは、同じように溶けてしまった鉄扉と癒着してしまっており、簡単に剥がせない状態だ。 それ以外の出口は見当たらないので、面倒だがここから脱するためにはあの扉を破らなければいけないようだ。 起きた傍から面倒が続く、とラオフーが内心でぼやいていると、鉄扉の外側から人間達のざわめきが聞こえた。 発砲音も何発か聞こえてきたが、長くは続かなかった。外の異変に気付いたのか、鳥人も鉄扉へと顔を向けた。 二人が注視しているので、女も怯えながらも鉄扉に向いた。すると、鉄扉の溶けたかんぬきが、急に弾け飛んだ。 遠目に見ても太くてかなり丈夫そうだったかんぬきは、一瞬で無数の鉄片に変化して、鉄扉の前に散らばった。 鉄扉が外側から押されて隙間が開き、細い光の筋が差し込む。鈍い悲鳴を上げながら、蝶番が動いていった。 逆光に中に立っていたのは、少女だった。闇色のローブに闇色のマントを羽織り、先の尖った帽子を被っている。 その姿は、魔女と表現するのが相応しかった。幼いながらも、纏っている雰囲気は常人のそれではなかった。 片手で握り潰せそうなほどに小柄で幼い魔女は鍔の広い帽子の下から、目を上げると、その瞳は深い赤だった。 彼女の背後には、先程女が焼き殺した者達と似たような恰好をした者達が倒れており、皆が皆、絶命していた。 魔女の腰のベルトにはなぜかフラスコが下がっていて、その中には赤紫の粘液が詰めてあり、軽く揺れていた。 ラオフーは、魂が縮み上がる思いがした。姿形こそ幼いが、あの瞳といい、気配といい、竜族に違いなかった。 女も竜族だということに気付いたのか、硬直して魔女を見据えている。鳥人もまた、竜の出現に戸惑っていた。 魔女はかんぬきの破片が散らばる床に踏み入ると、焼け焦げた死体も全く気にせずにずかずかと歩いてきた。 そのまま、真っ直ぐに三人の元へとやってきた。魔女は三人の前で立ち止まると、細い指先で帽子の鍔を上げた。 「面白い」 声質は外見と釣り合って高かったが、口調は軍人のそれに似ていた。 「連合軍の仕事にしては、なかなかだ。だが、意識固定と自我認識の魔法が甘いようだな」 「うむ。その辺りは、貴君が調整しなければならぬようである」 今度は、低い男の声がし、魔女の腰のフラスコの中でごぼごぼと粘液が泡立った。 「ん」 魔女の眼差しが女を捉えると、女の怯え切った瞳が僅かに和らいだ。 「あ…」 「覚えていたか」 魔女は少しばかり声色を綻ばせたが、平べったい鍔の下に見えている口元は硬いままだった。 「おぬし、竜か」 竜族とあっては、さすがに分が悪かった。戦って勝てる相手ではないと言うことを、生前に身を持って知っている。 ラオフーは早々に、戦闘態勢を解いた。警戒心は欠片も緩めなかったが、無駄に敵意を示して煽りたくなかった。 「貴様はあの虎か。なるほど、相応しい姿に造り替えられたものだな」 魔女の視線が、ラオフーの頭部からつま先までを丹念に舐めた。ラオフーは声色を作り、平静を装う。 「おぬしが、儂をこの姿にしたっちゅうことか?」 「貴様ら三人を人造魔導兵器へと改造したのは連合軍だ、私は一切手を出していない。だが、貴様らの魂の入った魔導鉱石を連合軍にそれとなく入手させ、現在では入手困難な高純度の魔導金属の調達経路を作って売り渡し、生き残った魔導技師の中でも特に腕のいい者達を死刑から免れさせてこの基地に送り込み、魔導兵器開発と製造の任務に就かせたのは私だ。種を蒔いて畑を耕してやったのだ、収穫に訪れるのが当然だ」 「なぜ、そのようなことを」 ラオフーが問うと、魔女は平坦に答えた。 「貴様らに仕事を頼みたいからだ」 「しごと…?」 女は口を開き、かすかに言葉を漏らした。魔女は頷く。 「そうだ。貴様らは死したが、まだ黄泉へと旅立つ時ではない。現世でまどろむことを、私が許そう」 鳥人は魔女へと顔をぐいっと寄せると、首を曲げた。 「けけけけけけけ?」 「申し遅れた」 魔女は帽子を外し、下げた。その背には一つに括られた長い髪が流れていたが、針葉樹のような深緑だった。 肌は抜けるように白く、腺病質にも思えるほどだ。目はきつく吊り上がっていたが、顔立ちは綺麗に整っていた。 髪の隙間から突き出ている耳は、尖っている。そして、頭の両脇からは、二本のすらりとしたツノが伸びていた。 「私の名はフィフィリアンヌ・ドラグーン。これから、貴様らを統べる者だ」 「なんじゃと?」 これまで誰かに統べられたことがないラオフーは、それが癪に障り、すぐさま言い返した。 「儂を誰だと思うとるんじゃ。おぬしが竜族と言えど、儂は屈さぬ。我が牙は、未だ折れておらぬわ」 「スベル、スベル、スベル? 何をだ、何を、何を?」 鳥人は全く意味が理解出来ないのか、妙な調子で繰り返している。 「詳しいことは、ブリガドーンに到着してから話してやろう。私の目的と、貴様らを生かした意味もな」 フィフィリアンヌは、すっと右手を挙げた。ラオフーは、聞き慣れない単語に訝しむ。 「ブリガドーン、とな?」 「ここから西へ向かった先の空に浮いている、この世の異物だ」 フィフィリアンヌは魔力を高めているのか、彼女の足元の空気が巡り、長いマントの裾が翻った。 「目的を果たし次第、貴様らを解放し、自由を与えることを約束しよう」 「その言葉、誠か?」 ラオフーが呟くと、フィフィリアンヌは目を上げてラオフーを見やった。 「竜女神に誓って」 「お前は、私を自由にしてくれるのか?」 ようやく理性を取り戻した女が尋ねると、フィフィリアンヌは女に目を向けた。 「私に二言はない」 その言葉に、女は安堵するように口元を緩めた。フィフィリアンヌの目は、鳥人に向く。 「して、貴様はどうする。フリューゲル」 「け?」 フリューゲルという名らしい鳥人は、名を呼ばれたことに驚いたのかきょとんとしていたが、羽ばたいた。 「くけけけけけけけけけけけけけっ!」 「同意、と見て良いのである」 フラスコの中で、粘液が再び泡立った。どうやらこの粘液はスライムらしく、人語を操れる奇怪なもののようだ。 魔女は軽く頷くと、右手を掲げた。呪文と思しき古めかしい言葉が紡がれると、周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。 空間を飛び越えた先では、巨大な岩石の固まりが浮かんでいた。空と海の狭間にあるものとしては、異質だった。 それがブリガドーンなのだと説明されても、ぴんと来なかった。三人が果たすべきことを説明されても、同じだった。 他の二人も多少疑問を抱いていたようだったが、竜族であるフィフィリアンヌを問い詰められる者はいなかった。 フィフィリアンヌはブリガドーンに満ちている魔力を使い、調整の甘かった三人の体を緻密に調整し、安定させた。 怯え怒り狂っていた女の名はルージュ・ヴァンピロッソといい、鳥人の名はフリューゲルというのだと教えられた。 三人は皆初対面だったので、慣れるまで時間が掛かった。そして三人は、竜の配下の者としての名を授けられた。 魔導兵器三人衆、と。 07 9/6 |