ドラゴンは滅びない




家庭内小戦争



 予知能力は万能ではない。
 自分の意図した未来が予知出来ることは極めて希で、予知に現れた未来も無数の未来の内の一つでしかない。
だから、今目の当たりにしている未来はその中の内の一つなのだろうが、こうなる前に予知しておきたかった。
そうすれば、この未来を回避する方法も見つけ出せただろう。役に立つようで立たない能力だと、我ながら思う。
 ジョセフィーヌは、顔を伏せていた。隣に座らされているルージュも似たようなもので、先程から押し黙っている。
二人の向かい側ではギルディオスが足を組んで座っており、隣ではブラッドがやりづらそうに肩を縮めていた。
この四人を囲むようにして、他の者達が広い食卓に座らされているのだが、夕食自体は大分前に終わっていた。
夕食を終えてすぐに、ギルディオスが皆に話があると言って全員を引き留めたのだが、話の予想は付いていた。
お互いに外面は取り繕っていたのでどこから漏れたのかは解らないが、戦い合っていることが知れたのだろう。
そうでもなければ、ギルディオスが皆を集めることなどしない。こんなことをするのは、ブリガドーン戦前以来だ。
 食堂全体にたれ込めている重苦しい空気に耐えかねて、ジョセフィーヌは目線を泳がせ、乾いた唇を舐めた。
この未来を視た記憶はないが、こうなることは予想出来たはずだ。以前の自分ならまだしも、今の自分ならば。
なのに、なぜこうなることを予想出来なかったのだろう。予知能力以前の問題だ、とジョセフィーヌは自虐した。

「ヴィクトリア」

 ギルディオスが最初に口にしたのは、二人のどちらでもない名だった。名を呼ばれた少女が、顔を上げた。
ジョセフィーヌの入れた紅茶と共にジャムを付けたスコーンを食べていたが、その手を止めて石盤に書いた。

『何』

「お前、石盤の裏って拭いたか?」

 ギルディオスの言葉に、ジョセフィーヌは狼狽えそうになった。ヴィクトリアは、彼に言われるがままに裏返した。
そこには、机と擦れていたためにかなり薄らいでいたが、石盤を埋め尽くしそうなほどの大量の字が残っていた。
あ、と言いたげな顔で口に手を当てたヴィクトリアに、ギルディオスは小さく肩を竦めてから二人の女を見回した。

「ヴィクトリアの机に白墨の粉がべっとり付いていてな、じっくり見てみたらそいつは字だったのさ。残っていた文字の濃さがまちまちだったもんだから内容は読み取れなかったが、誰かがヴィクトリアと話をしたのは確かだってことだ。それも、喋るんじゃなくてわざわざ筆談にしたんだから、余程後ろめたいことに違ぇねぇと思って、気分は良くねぇが屋敷に張ってみたら案の定良くねぇことになっていやがった」

 ギルディオスは嘆息しつつ、太い腕を組んだ。

「ついこの間まで敵対していたから、いきなり仲良くなれって方が無理なのは解っちゃいるが、それにしたってお前らはやりすぎだろう。しかもなんだ、お前らが直接殴り合うんじゃなくて、他の連中まで巻き込もうとしていたみてぇじゃねぇか。いや、もう巻き込んであるか。ヴィクトリアの石盤に、ヴィクトリアのものじゃない文字があったのが何よりの証拠だ。先に吹っ掛けたのがどっちなのかは知らないが、どっちにしたってオレは悲しいぜ。馬鹿みたいにでかい戦いを乗り越えた者同士なのに、馬鹿みたいに小さいことで争ってんだからよ」

 決して小さいことではない。ジョセフィーヌが唇を噛んでいると、溜まりかねたルージュが腰を上げた。

「それはお前の基準であって、私の基準ではない」

「おう、ルージュの方が素直だな。じゃ、次はジョーだ。何があったか、話せるな?」

 ギルディオスは口調こそ優しかったが、抗いがたい威圧感を含んでいた。ジョセフィーヌは、首を横に振る。

「大したことじゃありませんわ」

「大したことじゃないのに、あんなに言い合うのか?」

「だって、それは」

「別にオレは、お前らを怒るつもりでいるんじゃねぇ。何があったのかはっきりさせておかねぇと、これから先もずっと残っちまうだろうが。このままにしておいたら、お前らのやり合う場所は屋敷の中だけじゃなくなるだろうからな。そうなっちまったら、せっかくまともになってきた空気がまたダメになっちまうだろうし、ギスギスしているところを見るのは息苦しいんだよ」

「ジョー」

 ラミアンは不安げな眼差しで、妻を見つめていた。ジョセフィーヌは、膝の上で両手を握り締める。

「言ったって、きっと解ってくれないわ」

「だが、言葉にしないと何も始まらないんだぜ。精神感応で頭の中を引っ掻き回されるよりも、自分の口で言った方が楽に決まっている。ジョーが言えないんだったら、ルージュが言え。お前も当事者なんだから」

 ん、とギルディオスに顎で示され、ルージュは躊躇いながらも口を開いた。

「何のためにここにいるのか、と…」

「それで?」

「私自身もそう思わないわけではなかったんだが、自分で思うのと言葉にされるのとでは訳が違う。多人数での生活はおろか、人間との生活を経験したことがないのは事実だ。だから、解らないことの方が多い。フィフィリアンヌから教えられたことだけでは不充分で、身の振り方が掴めなかったんだ。だから、私は何をするべきかをジョセフィーヌに尋ねたんだが、返ってきた言葉がそれだったんだ」

「だから、噛み付いたと?」

 ギルディオスが返すと、ルージュは銀色の唇を歪めて鋭利な牙を覗かせた。

「私とて、自尊心は持ち合わせている」

「そりゃジョーが悪い」

 すぐさまギルディオスが答えを出したので、ジョセフィーヌはかっとなって立ち上がった。

「少佐までこの女の肩を持つんですか! だって、それは本当のことじゃありませんか!」

「まぁな。だが、言っていいことじゃねぇよ。いくら兵器だっつっても、ルージュは人形じゃねぇんだ」

 やれやれ、とギルディオスは首を横に振ってから、左隣に座るブラッドに向いた。

「大方オレの予想通りの展開だが、ラッドはどう思う」

 ブラッドは慎重に目を上げ、苛立ちを露わにしている母親と表情を強張らせている恋人を何度となく見比べた。
母親は、今まで見たこともない顔をしていた。穏やかで愛情に満ち溢れている表情しか、知らなかったからだ。
柔らかな眼差しを浮かべていた目は苛立ちの範疇を越えた激情が漲り、ルージュへの敵対心を露わにしていた。
対するルージュも、怯むどころか対抗している。ジョセフィーヌに負けぬように、牙を剥いて威圧感を放っている。
悲しくなるのと同時に、やるせなくなった。ブラッドにとって掛け替えのない二人が、互いへ憎悪を向け合っている。
だが、一番悲しいのは母親が恋人を認めていなかったことだった。ブラッドはぐっと拳を固めると、立ち上がった。

「オレもおっちゃんと同じだ。どう考えても、母ちゃんが悪い」

「ブラッド…」

 ジョセフィーヌは信じられない思いで、息子を見上げた。ギルディオスは上体を反らし、背もたれを軋ませる。

「本当にどうしちまったんだよ。素直で優しい良い子のジョーは、どこに行っちまったんだろうなぁ」

 どうもしていない。ただ、受け入れたくないのだ。いつのまにか手を離れた息子と、この間まで敵であった女を。
こちらが正しいんだ。正しくないわけがない。そう主張しようと思っても、喉の奥が詰まってしまって言葉が出ない。
ここで泣いたら負けだ、と思っても視界は勝手に歪む。テーブルを水滴が軽く叩き、生温い水が頬を伝い落ちた。

「だって、だって、だって!」

 涙と共に溢れ出した声は、惨めに引きつっていた。

「ここは、私の全てなのよ!」

 ラミアンと作り上げてきた平和な場所。永遠に続くものだと思っていた時間。一度は壊され、失ってしまった世界。
あの頃は知能こそ幼かったが、物事はちゃんと解っていた。ラミアンと通じ合わせたからこそ、子供が出来たのだ。
苦しい思いをして産み落とした我が子は、何物にも代え難かった。とても柔らかく、温かく、素晴らしいものだった。
だが、我が子とはすぐに引き離された。恐怖のあまりに受け入れた他者の魂が目覚め、体を乗っ取られたからだ。
何度も会いたいと思ったが意識を表に出すことは出来ずに押し込められたままで、過ぎゆく時間をただ見ていた。
ラミアンに見つけ出されることを願いながら、好きでもない男に抱かれて、欲しくもない地位を手に入れていった。
ようやくラミアンに再会出来たと思ったら、自分の手で愛する夫を殺し、その魂を引き摺り出して魔導兵器にした。
沢山の人間を殺し、償えぬ罪を犯し、家族に手を掛け、肉の傀儡と化して生き続ける日々には絶望しかなかった。
 そんな中で、体を乗っ取った者、キース・ドラグーンの陰謀の中で道具にされた末に息子らしき少年に出会った。
フィリオラに取り憑いた状態では意識は甘く、記憶も希薄だったが、牙の生えた少年を初めて見る気がしなかった。
生意気そうな顔で軽口を叩く様はラミアンとは掛け離れていたが、細かな身振りに父親の面影が垣間見えていた。
幽霊も同然の状態だったが、ブラッドと会えたからこそ生きる希望が出来た。死んではいけないと、踏ん張れた。
ここで死んだらあの子に会えなくなる。ラミアンにも謝れなくなる。そう思ったからこそ、最後の最後まで頑張れた。
 大きな事件を終えて、この屋敷に三人で帰ってきた日を忘れない。息子の幸せな笑顔は、瞼に焼き付いている。
ぎこちないながらもジョセフィーヌに甘えてきてくれて、慣れないながらも母ちゃんと呼んでくれる姿が愛おしかった。
ジョセフィーヌのせいで機械の体と化してもそれを責めることもなく、以前のように優しいままの夫も愛おしかった。
長い孤独と絶望から這い上がり、やっと取り戻した家族だ。それを、この女は壊そうとする。息子を奪おうとする。

「お願い…この家から出ていって…」

 ジョセフィーヌは、その場に泣き崩れた。

「ジョー」

 立ち上がったのは、ラミアンだった。仮面の顔が、泣き伏せる妻に向く。

「私も、この屋敷とゼレイブこそが私の全てだと思う。だが、ジョー。守ることと拒むことは違うのだよ」

「そんなもの、解りたくない!」

 ジョセフィーヌが頭を抱えてうずくまると、ラミアンは妻の傍に屈み、その震える背に手を添えた。

「私とて、全てを容認しているわけではないよ。同族といえど、つい先日まで我々に牙を剥いていた女性だ。私達の愛する息子を危険に曝し、その身を傷付け、命を奪おうとした者だ。しかし、それでもブラッディが愛しているというのなら、私はそれを認めるしかなかろう。私に刃向かったばかりではなく、ギルディオスどのに否定されても揺るがなかったのだから、最早私達の言葉が彼の心を動かすことはないだろう。少しばかり寂しいがね」

 幼子を宥めるように、ラミアンは妻の背を優しく撫で下ろす。

「私達は、そのことを喜んでやらなければならない。あんなにも小さく、危なっかしく、生意気だった我が子がここまで大きくなり、一人の女性を愛するようになったのだから。ブラッディは、もう私達の手を離れたのだよ。ブリガドーンでの戦いがもたらしたものは、破壊と損失だけではなかったのだ」

「でも、でも…」

 ジョセフィーヌは頭を左右に振り、涙を散らばらせた。ラミアンは、いつになく怖い顔をしている息子を見上げる。

「ブラッディ。確かに、ジョーは行き過ぎてしまった。今度ばかりは、私も彼女を庇い切ることは出来ない。だが、少しばかりでいいから解ってやってくれ。ジョーはお前を愛している。だからこそ、道を違えてしまったのだよ」

「そんなこと、最初から解ってるよ」

 ブラッドは弱々しく泣き伏せる母親の姿から目を逸らしてしまいたかったが、両の拳を固めて辛うじて据えていた。
解っているからこそ、許し難いこともあった。自分が愛しているからと言って、彼女が愛されるとは限らないことも。
こんなにも好きなのに、あんなにも素晴らしい女性なのに、両親に解ってもらえないことが無性に歯痒かったのだ。
母親の気持ちも解らないでもないし、父親の心遣いも理解出来る。しかし、子供染みた悔しさが沸き上がってきた。
両親への反骨心と自分への不甲斐なさの末に、母親にきつい言葉をぶつけてしまった。この間と全く変わらない。
前回は、ルージュの自分への思いの重さとルージュに対する気持ちが噛み合わず、少しだが背き合ってしまった。
状況は違うが、自分のしたことはなんら変わらない。どうでもいいことなら上手く喋れるのに、肝心な部分がダメだ。

「母ちゃん」

 だが、言葉にしなければ気持ちは通じない。ブラッドは深く息を吸ってから、言った。

「すぐにじゃなくていいし、急にじゃなくてもいいから、ルージュのことを解ってほしいんだ。魔導兵器だし、この間まで敵だったけど、元から悪いことをしていたわけじゃないんだ。危なっかしいところもあるし、態度はちょっときついかもしれないけど、中身は人並みに弱くてすっげぇ可愛い女なんだよ。母ちゃんが家を守りたいのと同じように、オレもルージュを守ってやりたいんだ」

 ジョセフィーヌが涙に濡れた顔を上げると、ブラッドは母親を強い眼差しで見据えた。

「母ちゃんには父ちゃんとオレがいるけど、ルージュには誰もいないんだ。オレもさ、ほんの少しだけだったけど一人になったことあるじゃん? だから、そういうのが解っちゃってどうしようもねぇんだ。一人でいるのって、すっげぇ辛くて悲しくて寂しいんだよ。オレはフィオさんとかおっちゃんに会えたから良かったんだけど、ルージュにはそんなことは一度もなかったみたいなんだ。なのに、いつも強がってばかりで見ていられないんだよ。殺してもらいたかっただの、死にたかっただの、そんなことしか言わなくてさ。でも、やっとそれ以外のことも言ってくれるようになって、笑顔もかなり自然になってきたんだ。それがもう、すっげぇ綺麗なのに可愛いんだ。また前みたいな怖い顔をさせるのが勿体ないって思えるくらいに」

 ブラッドは、力強く言い切った。

「だから、これ以上母ちゃんがルージュを傷付けたり悲しませたりするんだったら、オレが母ちゃんの相手になってやる。戦う気があるのなら、オレが戦ってやる。ルージュに屋敷を出ていけって言うんなら、オレも一緒に出ていく」

 ブラッドの表情に、迷いは欠片も見えなかった。ジョセフィーヌは目を見開いて息子を凝視していたが、脱力した。
とても敵いそうにない。いつまでも子供だとばかり思っていたのに、いつのまにかこんなにも立派に成長していた。
ここまで辛辣に言われて、ようやくジョセフィーヌは諦めが付いた。いや、諦めるしかないのだという現実を悟った。
可愛らしい程度でしかないと思っていた息子の恋は、本物になっていた。それを突き崩すことは、誰にも出来ない。
ブラッドの愚直なまでに真摯な愛を注がれているルージュに羨望と共に嫉妬が起きたが、もう胸を焦がさなかった。
一度諦めが付いてしまうと、憑き物が落ちたかのように受け入れられた。胸の奥のしこりが、すとんと嚥下される。
子供のような我が侭と嫉妬で取り乱していた自分が恥ずかしくなってきて、ジョセフィーヌは頬を伝う涙を拭った。

「ごめんなさい。私が馬鹿だったわ」

 ジョセフィーヌは情けなく思いながら、立ち上がり、スカートを払って整えた。

「そこまで言うなら、私も諦めるしかないわね。これ以上ごねても、無様なだけだわ」

「落ち着いたかい、ジョー」

 ラミアンも立ち上がり、ジョセフィーヌの肩に手を回す。ジョセフィーヌは、小さく頷いた。

「あの子にここまで言われちゃ、頭も冷えるわ。ごめんなさい、ラミアン、ブラッド。それと」

 ジョセフィーヌは、ルージュへ目を向けた。

「ごめんなさい、ルージュ。考えてみたら、あなたと戦うなんて分が悪すぎるもの。最初から、勝ち目なんてないわ」

「私の方こそ、やりすぎたと思わないでもない。融和すべき相手に敵意を向けても、何も始まらないというのに」

 ルージュが苦々しげに呟くと、事の次第を見守っていたギルディオスが立ち上がった。

「じゃ、ジョーもルージュも明日から仲良くするって約束してくれるな? どっちも大人なんだからよ」

「二度とごめんだ。砲撃と刃を交えるだけの戦闘よりも、遥かに面倒で神経を削る戦いだったからな」

 ルージュが肩を竦めると、ジョセフィーヌも眉を下げる。

「それは私も同じよ。少佐だけでなく、皆にも色々とご迷惑をお掛けしましたわ」

「ああ、やれやれ。やっと終わってくれたか」

 口を挟む間もなかったな、となぜか残念そうにしながら、ファイドは食堂を後にした。それに、ピーターも続く。
仕事疲れのためか余程眠たかったらしく、ピーターは半目でふらつきながら薄暗い廊下を歩き、自室に向かった。
ヴィクトリアも途中から退屈してしまったようで、終わったと知るや否や席から立ち上がり、足早に自室へと戻った。
ギルディオスも、早々に食堂から退出することにした。ここから先は、身内同士の話になるのは間違いないだろう。
だから、それを邪魔してはいけない。少々気掛かりではあったが、ヴィクトリアの小さな背を追いかけることにした。
 他の者達がいなくなると、食堂はがらんとしてしまった。暖炉の火もすっかり小さくなり、熱も弱々しくなっていた。
足元から、冷気が這い上がってきている。ジョセフィーヌがどうしようかと思っていると、ラミアンが口火を切った。

「それでは、私達は居間に移って話し込むとしよう。無論、ルージュも来てくれたまえ」

「いいのか、ラミアン?」

 躊躇うルージュに、ブラッドが笑った。

「当たり前じゃん。解り合うためには、まず話さないと始まらねぇし?」

「紅茶にする? それとも、ワインの方がいいかしら?」

 ジョセフィーヌが息子に尋ねると、ブラッドは答えた。

「ちっとも酔えねぇけど、こういう時はやっぱり酒なんじゃね?」

「まあ、紅茶では締まりがないな」

 ルージュは、少しばかり表情を緩める。ラミアンは舞台役者のように、両手を大きく広げる。

「夜こそが我らの時間だ。深き闇の静けさを味わいながら、幾万もの言葉を紡ぎ、飽くまで語り尽くそうではないか。愛すべき新たな家族、ルージュよ」

「そうねぇ。まずは、何から話そうかしら。ブラッドの子供の頃の話がいいかしら」

 ジョセフィーヌがにんまりしながら息子に目をやると、ブラッドは妙に慌てた。

「ハズいこととかは言わないでくれよ、お願いだからさ!」

「是非聞かせてくれないか。ブラッドがどんな子供だったのか、非常に興味がある」

 ルージュがにやりとしたため、ブラッドはますます狼狽えた。

「オレは聞きたくねぇ、ていうか思い出したくもねぇし!」

「話さねば始まらない、と述べたのはどこの誰であったかな?」

 茶化すように笑いながら、ラミアンは一足先に居間へと向かった。ブラッドは文句を垂れつつ、それに続いた。
ルージュも居間へと向かおうとしたが、一度足を止めた。台所へ向かおうとしているジョセフィーヌと、目が合った。

「良かったら、手伝って下さる?」

 ジョセフィーヌが台所を指すと、ルージュはやや躊躇いながらも返した。

「喜んで」

 ジョセフィーヌは食堂のテーブルの上から鉱石ランプを取って台所に向かうと、ルージュもその後に続いてきた。
あれほど嫌悪感があったのに、開き直ってしまうとなんとも思わない。感情を存分に吐き出したから、なのだろう。
ルージュもまた戦場の兵士のように強張らせていた態度をすっかり緩めていて、鋭利に尖った敵意も消えていた。
 ジョセフィーヌはルージュに頼んで、棚の高い位置に載せていたワイングラスと年代物のボトルを取ってもらった。
ワインを飲める者は二人だけだが、ワイングラスは四つ用意した。こうするだけでも、大分気分が違うものである。
準備を整える間、二人は少しずつ言葉を交わした。腹の探り合いではなく、互いに軽く触れ合うような会話だった。
敵意と嫉妬が失せると、口調も自然と柔らかくなり話題も優しくなる。いつしか二人は、声を合わせて笑っていた。
 女同士の小さくも苛烈な戦争は、緩やかに終わった。




 守りたいと思うからこそ、受け入れがたくなる。
 大切であればあるほどに、新たな存在を阻みたくなり、また憎らしくなる。
 外から見れば狭き世界であろうとも、内から見れば広大なる世界なのだ。

 解り合うためには、互いに歩み寄らねば始まらないのである。







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