ドラゴンは滅びない




不死鳥




 フィフィリアンヌは、微睡んでいた。


 窓から差し込む日差しはすっかり温度を増し、昼ともなれば肌を焦がさんばかりの熱を帯びて降り注いでくる。
広大な平原に伸びた青い草が揺れ、草の海と化していた。乾いた空気に、水気を含んだ青臭さが入り交じった。
頬に当たる冷たい石壁が、火照った肌を冷ましてくれる。まばらに建つ民家の煙突から、煙が立ち上っている。
そろそろ昼の時間らしい。何もせずにぼんやりしていると時間の感覚すらも鈍るので、空腹も覚えていなかった。
家々の並ぶ敷地の外側には、ぐるりと円形に切れ目が走っていた。あれから大分埋めたのだが、たまにずれる。
たまに起きる地震やゼレイブに満ちた人ならざる者達の魔力が、黒竜が掛けた魔法の残滓に反応するためだ。
 ゼレイブを空中に浮かび上がらせて海峡へと転送させた魔法は、フィフィリアンヌが思った以上に強力だった。
ギルディオスが最期の力でファイドを倒した直後にゼレイブは大きく傾き、荒れ狂う海峡へと落下しそうになった。
ピーターの念動力を始めとした皆の能力や魔法で支えたが、魔法を保っていた主軸を失った影響は大きかった。
最終的にはフィフィリアンヌが竜へと変化して支えたが、その衝撃でゼレイブの敷地の外周が崩れ落ちてしまった。
その後は空間転移魔法を用いて元の場所へと転送させ、戻した。だが、それで事が終わったわけではなかった。
 目の前で妻を殺されたラミアンは、死を望んだ。妻を理解出来なかった己を責め、押し潰されそうになっていた。
冷え切った死体と化した妻を抱き締めながら、フィフィリアンヌに懇願した。どうか私の魂を砕いてくれまいか、と。
だが、フィフィリアンヌはそれを聞き入れなかった。全員で帰ることが、ギルディオスの最期の願いだったからだ。
また、ここで死ぬのは逃避だとも言い聞かせた。この現実を受け入れがたいのは貴様だけではないのだ、とも。
フィフィリアンヌは項垂れるラミアンの目の前に、命をも焼き尽くして戦い抜いたギルディオスの兜を差し出した。
ギルディオスの遺品である兜には、無数のヒビが走っていた。そして、首から下の鎧は全て粉々に砕けていた。
魂の器であった魔導鉱石も破裂して跡形もなく、真っ二つに折れたバスタードソードが墓標のようにそびえていた。
ラミアンは言葉少なにフィフィリアンヌとギルディオスへの謝罪を述べ、硬くなった妻の死体を抱いて立ち上がった。
 誰もが皆、折れてしまいそうだった。フィフィリアンヌですらも、ギルディオスを喪った悲しみに潰されそうだった。
それでも、踏ん張って生き続けた。ここで折れてしまっては、命を散らしていった者達に対して申し訳ないからだ。
 ゼレイブを元に戻してから一番最初に行ったのは、死んだ者達の墓の設立と葬儀であり、ファイドも葬られた。
ファイドの死体は竜に戻っていた上に海峡に落下したので、回収出来なかったが、折れたツノが残されていた。
ファイドの棺には、二本のツノとブラドール家の屋敷に残されていた身の回りのものを納められ、埋葬された。
 一つの体に二つの人格を宿していた不遇の予知能力者、ジョセフィーヌとジョーの亡骸も丁重に埋葬された。
ラミアンの望みで、滅多に着ることのなかった一番上等な服を着せ、傷口を清めて塞いでやってから棺に納めた。
その棺を守る墓石には、ジョー・ブラドールの名の下に、ジョセフィーヌ・ブラドールというもう一つの名も印した。
それは、ジョーの副人格であった彼女の存在も、ブラドール家とゼレイブの一員であることを認めた証だった。
 そして、ギルディオスの棺は一際大きかった。生前の彼の体格に合わせた棺を作り、甲冑の破片を全て入れた。
彼の魂を魔導鉱石に固定させる際に使用した遺骨も中に入れ、長年連れ添ってきたバスタードソードも納めた。
ヴァトラス家の家紋であると同時にギルディオスが好んでいた白スイセンの花も棺に詰め込んでから、埋葬した。
三人の葬儀は同時に行われた。首謀者であったとはいえ慕われていたので、ファイドの死も人並みに悲しまれた。
ラミアンとゼレイブに対しての裏切り者であり、最期の犠牲者でもあったジョセフィーヌとジョーの死も同様だった。
最も悲しまれたのは、当然ながらギルディオスであった。彼の存在はとても大きく、また欠かせないものだった。
ギルディオスの墓石の前で、皆は口々に彼の思い出を語った。フィフィリアンヌも、忘れ得ぬ記憶を言葉にした。
それで何が埋まるというわけではないが、ギルディオスが生きていたことを確かめるための作業にも似ていた。
 皆が皆、ギルディオスのいない日々が来るとは思っていなかった。彼は、ずっとこの世にいると思い込んでいた。
だが、死は誰に対しても等しく訪れる。肉体的な死を乗り越えて五百年以上長らえた戦士にも、死は与えられた。
一連の出来事が終息して再び日常が戻ってきても、ギルディオスのいないという現実になかなか馴染めなかった。
 それでも、時間は確実に過ぎていく。ギルディオスのいない日々が始まってから、もう二ヶ月は過ぎてしまった。
いつのまにか春が終わり、初夏が訪れた。ギルディオスの好いた白スイセンも枯れ、雪は水に変わってしまった。

「フィフィリアンヌよ」

 フィフィリアンヌの傍らでごとりとワイングラスが動き、その中の粘液が震えた。

「活字は追わぬのかね」

「気が向かん」

「では、酒は喰らわんのかね」

「貴様と飲んでも、面白味など欠片もない」

 フィフィリアンヌが素っ気なく返すと、伯爵はにゅるりと細長い触手を伸ばした。

「カインの死と、どちらが辛いのであろうか」

「解るものか」

 フィフィリアンヌは向かいの壁に掛けられた、古い絵画を見上げた。夫が画家に描かせた緑竜の絵だった。

「久し振りだ、こんな思いをするのは。のう、カイン」

「弱った貴君など、攻め立てたところで歯応えの欠片もないのであるからして」

「そういう貴様も、大概に弱っておるだろうに」

 フィフィリアンヌは、唇の端を歪ませる。

「また、最初に戻っただけだ。元々、貴様と私だけだったのだ。そこにあの男が入り込み、引っ掻き回した末に戦い抜いて死んでしまった。ただ、それだけのことなのだ」

「そう、それだけのことなのである」

「だが、まだ慣れん。あれと過ごした時間が、長すぎたからやもしれん」

 フィフィリアンヌは額を押さえ、顔を伏せる。

「結局、また私だけ死ねず終いか。グレイスの馬鹿が死んで、ファイドが死んで、あのニワトリ頭が死んだというのに、私だけは長らえている。だが、私の寿命は単純計算で千四百年ほど余っておる。切って売るほどあるが、こればかりはさすがに売り物にも出来ん」

「だが、生きねばならぬと言ったのは貴君であるからして」

「貴様如きに言われずとも解っておる」

 フィフィリアンヌは伯爵に毒突いたが、勢いは弱かった。ふと、気配を感じ、顔を上げた。

「…ん」

 書斎の扉が、数回叩かれた。二人がそちらに注意を向けると、古びた蝶番が軽く軋みながら厚い扉が開いた。
石造りの廊下には、二股の尾を持つ白ネコが座っていた。ヒゲをしおらしく下げながら、白ネコは頭を深く下げた。
ヴィンセントは弔いの意志を表しているらしく、いつになく長々と頭を下げていたが、ゆっくりと二人を見上げた。
 交錯した視線には、敵意は込められていなかった。




 草原を通り抜けてきた風が、全身に吹き付ける。
 魔法を用いて旧王都からゼレイブに移転した竜の城は、最初からそこにあったかのような存在感を持っていた。
ゼレイブ全体を見下ろせる小高い山の斜面の中でも一際岩盤の硬い斜面を選び、その上に古びた城を乗せた。
元から古かった城だが、旧王都での年月も染み込んだために以前よりも貫禄を帯び、堂々とした品格があった。
城としては割と小さい部類に入るのだが、それでもブラドール家の屋敷を遙かに越える大きさと高さを誇っていた。
苔と土が付着した分厚い石造りの壁には新たなツタが這い始め、爽やかな初夏の風を受けて葉が揺れていた。
 フィフィリアンヌと伯爵、そしてヴィンセントは城の正面玄関に座っていた。外は、部屋よりも若干気温が高い。
ヴィンセントは燦々と降り注ぐ日差しで、目を細めていた。艶のある滑らかな白い毛並みが、風で僅かに乱れる。

「事後報告を、と思いやしてね」

 石の階段に座るフィフィリアンヌは、細い足を組んでいる。その傍らに、フラスコに移された伯爵が鎮座している。

「貴様、なぜ生きている?」

「そこから突っ込むんですかい、竜の姉御? まあ、ええんですがね」

 ヴィンセントは、小さく苦笑いする。

「あっしは魔力値は大したことはありやせんが、短距離の空間転移魔法程度でごぜぇやしたら扱えるんでやんすよ。丁度、スライムの旦那と同じようなもんなんでやんす。ですからあっしは、黒竜の旦那が竜に変化しちまう前に大陸側へと降りやして、ずうっと見とったんでさぁ」

「貴様も大概に薄情だな。奴は貴様の主ではなかったのか?」

「へえ。あっしも黒竜の旦那には色々と世話になりやしたから、最後まで付き合いたい気持ちもなかったわけじゃあねぇんですが、あっしにはあっしの仕事がありやして、そいつを放り出しちまうわけにはいかなかったんでさぁ」

「となれば、貴君の主は我が輩達とは全く関係のない輩なのであるな?」

 伯爵はフラスコの中から触手を伸ばし、ヴィンセントを指した。白ネコは、へえ、と頷く。

「あっしは極東の島国からやってきたんでやんすが、大陸の西の果てに来るまでの間に本当に色々なことがありやしてねぇ。島国から大陸に渡る船に乗り、そこからずうっと西へ向かっていたんでやんすが、その途中でお恥ずかしながら行き倒れたことがあるんでやんすよ。その時にあっしを助けて下さった御方がおりやして、こいつぁ恩返しをせなにゃならんと思って、その御方にこの小さな小さな身を捧げたんでやんすよ。ですから、あっしの立場は、こちらで言うところの契約獣でしてねぇ。御主人に忠義を尽くすのが仕事なんでやんすよ」

「貴様、それでもネコか?」

「ああ、黒竜の旦那にも似たようなことを言われやしたねぇ。ネコなのに人に従うのか、とかなんとか。ですが、あっしは御主人のことを心底気に入っておりやして、この御方になら命を預けられるとすら思ったからこそ契りを交わしたんでやんすよ。御主人は魔導の心得があるんでやんすが、魔導師とかじゃあございやせん。昔々にちょいと囓ったことがある程度でごぜぇやして、竜の姉御や他の皆のような凄まじい魔法を扱えるわけじゃございやせん。けれど、他の人間よりもずうっと理解があるのは確かなんでやんす。ただ、魔法を扱えることも、あっしを従えていることも、誰にも教えられないんでやんすよ。なんせ御主人は、国際政府連盟の関係者でごぜぇやすからねぇ」

「そんなところだろうと思っておったわ」

 フィフィリアンヌは、横目にヴィンセントを見下ろした。

「ただの魔物に過ぎないのであれば、貴様が私達と関わることで利益が生まれるとは思えん。むしろ、危険に身を曝した末に命を落としてしまうだけだ。だが、貴様に強固な後ろ盾があり、その後ろ盾が求めるであろう情報を運ぶのであれば別だ。ファイドの密偵という一際面倒な役割を担っていたのも、それ相応の理由があるからに決まっておる。増して、貴様はその矮小な獣の姿をしておる。間諜には打って付けだ」

「御主人もそう仰っておりやしたよ。だから、あっしを皆様方の元へ送り込んだんでやんすよ」

 ヴィンセントは腹這いになると、前足に顎を乗せて二本の尾を下ろした。

「御主人の目的は色々とありやすが、最も大きいのは二つでやんした。共和国戦争中に事実上の解散となった魔導師協会に関わっていた人外や魔導師の現状把握と、彼らの持つ危険性の調査でごぜぇやした。前者は兵隊でも動かせばどうとでもなりやすが、後者はあっしのような魔物か異能者、或いは魔導師でなけりゃ解りやせん。ですが、連合軍は過激すぎて当てに出来ない、かといって自分の配下には魔導師経験者はいない、っちゅうことであっしに調査任務が命じられたんでやんす。そのうちに黒竜の旦那が不穏な動きを始めたんで、こりゃあいかんっちゅうことで御主人は方向転換して黒竜の旦那の目論見を調べ上げるように命じてきたんでやんすよ。調べるうちに黒竜の旦那の目的が解ってきたんでやんすが、あっしや御主人の腕じゃどうにも手の付けようがなかったんでやんす。これは事の成り行きを見守るしかない、と思って見ちょったら竜の姉御や呪術師の旦那が現れたんでさぁ。こいつぁまた拙いことになっちまったもんだ、ってなもんで、離れた場所からずうっと見ちょったんでやんすが、途中で黒竜の旦那に見つかっちまいましてねぇ。ここで殺されてはいかんっちゅうことで、黒竜の旦那に取り入って二重三重の密偵になり、今に至るっちゅうことなんでやんす」

 ヴィンセントは目を上げ、フィフィリアンヌの人形じみた横顔を見つめる。

「あっしは逐一御主人の下へ赴き、報告をしやした。魔導師協会の現会長であったステファン・ヴォルグことフィフィリアンヌ・ドラグーンの消息、その友人方の現状、魔導師協会から放逐された挙げ句に犯罪者同然の立場になってしまった魔導師の行方、などなどを。ですが、魔導師の消息を掴もうとするたびに変なものが現れて魔導書を奪い、魔導師を殺していっちまうんで、ちっとも調査が進まなくなっちまいやしてねぇ。そこであっしはこの便利な口を使いやして、魔導兵器三人衆に近付き、竜の姉御の寄越した新たな仲間であるかのように振る舞ったんでごぜぇやす。もっとも、全面的に信用してくれたのは鳥の兄貴ぐらいなもんでしたがね。ブリガドーンに行けたおかげで、本当に色々なことが解りやした。黒竜の旦那の目的だけでなく、竜の姉御の腹積もりも、呪術師の旦那の願望も、今まで表沙汰にならなかった際どい事情も、えげつない事実も。連合軍や他の政府の放った密偵でも調べ切れなかった事実がざくざく出てくるんで、あっしはもうほとほと困っちまいやしたよ。あっしは何せ手がコレですから、御主人への報告は口頭でしてねぇ。定期報告のたびに、長話をする羽目になりやしたよ」

 おかげで随分と能弁になりやしたよ、と、ヴィンセントは薄い舌を出して口の周りを舐めた。

「あっしが運んできた情報を元にして、御主人は、皆様方に手を出すべきではないという判断を下しやした。ですが、国際政府連盟の会議で魔導師の根絶と異能者の排除と魔法の廃止が決定されてしまった後だったもんで、御主人の意見は採用されるどころか爪弾きにされ、あまつさえ議会では浮いちまいましてねぇ。今は活動を起こして各方面に働きかけて理解を訴えかけているんでやんすが、これがなかなか進みが悪いんでやんすよ。それに、先月に処刑されたリチャード・ヴァトラスがあることないことを連合軍の裁判で吹聴しちまったもんで、魔法に対する見解がますます悪くなっちまったんでやんす。リチャード・ヴァトラスは当初の目的通りに、皆様方の罪の大部分を背負わされて世紀の大罪人として死にやしたから、目論見通りって言やあ目論見通りなんでしょうが、ちょいとやりすぎたっちゅう感もありやすよ。最後の戦いの時、リチャード・ヴァトラスは連合軍本部の地下牢に収監されちょりやしたから、物理的に有り得ない黒竜の旦那も死も自分の仕業だって言い張っちまいやしたからねぇ。連合軍は何から何まで魔導師の旦那の罪に仕立て上げたいようで、絶対に嘘だと解っているはずなのに罪状に加えちまいやしたよ。何十年かしたら、色んな方面から叩かれそうでやんすが」

 ヴィンセントは、二本の尾の先をぱたぱたと振る。

「御主人は国際政府連盟内では立場は低い方でごぜぇやすが、十年、いや、五年ぐらいでのし上がることでしょうや。やり口は少々手荒な部分もありやすが、やり手なんでやんすよ。本国でも敵は多いんでやんすが、それ以上に支持されちょりやすからねぇ。きっと、なんとかしてくれるでしょうや」

「具体的に言わんか。私達はどのような評価を受けるのだ」

「ブリガドーンの一件で、竜の姉御とスライムの旦那も含めたゼレイブに住まう皆様方はグレイス・ルーとほぼ同等の特一級危険指定人物の指定を受けちょったんでやんすよ。グレイス・ルーとの相違点は、犯罪者として周辺諸国に指名手配をされない程度で、後はなんら変わりやせん。微罪でも罪をやらかしたらその場でしょっ引かれても文句は言えず、弁護士も間に挟めず、弁解の余地も与えられやせん。待ち受けるのは裁判と名の付いた処刑台だけでやんす。御主人はそいつを解除させようと躍起になっちょるんでやんすが、これがなかなか。どいつもこいつも向こうずねに傷がありやすから、即解除っちゅうわけにはいかねぇんでやんすよ。入念な調査と研究を行って、一般社会に放り込んでも全く危険ではないという証拠を掻き集める必要があるんでさぁ。ですから、当分の間はゼレイブ近辺をおかしなのがうろちょろしやすが、間違っても手出しをしちゃなりやせんぜ。一人でも殺しちまえば、それこそ一貫の終わりでやんすよ」

「気に留めておこう」

「他にもごちゃごちゃとありやすが、今度、一通り書き記したものを送付いたしやしょう。その方が、あっしの口から話すよりも遙かに解りやすいでごぜぇやしょうからねぇ」

「確かにな。貴様の東方訛りが極めて強い上に言い回しが妙な口調では、解るところも解らなくなってしまう。いっそのこと、印字機でも使ってくれた方がマシだ」

「相変わらず手厳しい物言いで。一連の出来事に関わる書類は重要機密でやんすから書き写すことは固く禁じられちょりやすが、そいつはあくまでも人の世界の話。あっしは見ての通りのしがないネコマタでごぜぇやすから、まず罪には問われやせん。ですから、どうぞご安心を」

「貴様の身の上など誰が案じるものか。思い上がるな」

 フィフィリアンヌの辛辣な言い草に、ヴィンセントはやや不満げな顔をした。

「ちょいとは気に掛けて下せぇな」

 ヴィンセントは何の気なしに、彼女の視線の先を辿った。立木があり、その根元に枯れた花が集められている。
その傍では、大量の球根が天日干しされていた。花も葉もかさかさに乾いているので、何の花なのかは解らない。

「あれはあの馬鹿が好いていた花だ。球根を植えれば、また次の春に咲く」

 フィフィリアンヌは白スイセンの球根を見、小さく呟いた。

「花は枯れやす。人も死にやす」

 ヴィンセントは、しみじみと頷く。フィフィリアンヌは、冷淡に返す。

「死なぬ者などない」

「お二人は、甲冑の旦那を愛しておりやしたか?」

 ヴィンセントが問い掛けても、二人は答えなかった。その様に、ヴィンセントは少し笑う。

「ですが、言えねぇんでやんすよねぇ、そういうことは。なんか、こう、背中の辺りがぞわぞわしちまって」

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは。全知全能であり才色兼備である我が輩も好意を率直に示すことだけはあまり得意ではないが、このトカゲ女は更にそれが顕著であり、ある意味では病的とも思えるのである。おかげで、我が輩達は随分と苦労させられたのである。あのニワトリ頭はその辺りの恥じらいを持たぬ蛮族であるからして、あれの放つ無遠慮極まりない態度と時として暑苦しささえ感じるほどの好意が鬱陶しくてたまらなかったのである。しかし、もうそれがなくなったかと思うと、さすがの我が輩とて寂寥を感じずにはおれぬのである」

 伯爵は心中に渦巻く様々な思いを振り払うかのように、哄笑する。

「下らんことを聞くな。答える価値もない」

 フィフィリアンヌは言葉こそきつかったが、語気は少々弱っていた。ヴィンセントは、二本の尾を一振りする。

「こんな話を知っちょりやすか?」

 二人の視線を集めてから、ヴィンセントは語った。

「あっしが大陸を渡り歩いている時に耳に入れた伝承なんでやんすが、どこぞの地には死なぬ鳥っちゅうのがおるんだそうです。ですが、その鳥は絶対に死なないっちゅうわけじゃあございやせん。蘇ることが出来るから、死なねぇんでやんす。その鳥は五百年に一度、香木を積み上げて火を付け、炎の中に飛び込んで身を焼くんだそうでさぁ。そいで、燃やし尽きた己の体と香木の灰の中から幼鳥の姿で蘇り、また新たな生涯を送るんだそうですぜ。なんとも夢のある話じゃございやせんか。ですから、きっと、あの旦那も」

「世迷い言を。死者は死者であり、それ以上でもそれ以下でもない。蘇るわけがなかろうて」

 フィフィリアンヌは眉根を歪めたが、ヴィンセントはにんまりと目を細める。

「あっしとしては、旦那と姉御方のえにしを信じておりやすがねぇ。この世界はえらく広いようでいて、その実は狭く出来ちょりやす。ですから、会えねぇわけがございやせんよ。あっしも、また甲冑の旦那にはお会いしとうございやす」

「会えるならば、次こそは足腰が立たぬほど罵倒し、華麗なる言葉で自尊心を粉々に打ち砕いてみせるのである」

 伯爵は、ごぼりと大きな泡を噴く。フィフィリアンヌは伯爵のフラスコを弾き、揺らした。

「貴様まで何を言うか。とうとう魂まで腐り果てたか」

「フィフィリアンヌよ」

「くどいぞ」

「貴君の意地は筋金入りであるからして、今更どこをどう切ろうとも引っこ抜くことは出来ぬのである。だが、それを見抜き、受け止め、緩めることが出来た男は、この世にたった二人しか生まれ出なかったのであるが、そのどちらも死して黄泉へと旅立ったのである。生憎、我が輩は貴君の血を受けて生を受けた存在であるからして、貴君の理解を超える言動を取ることが出来ぬのであり、すなわち、貴君の思考や感情を凌駕することは有り得ないのである。故に我が輩は貴君と同調した考えに至れるやもしれぬが、貴君の分厚くも頑強な意地を解くための考えに至ることは出来ぬのである。我が輩は貴君の同志と成りうるが貴君の友人には成りえぬのであるからして」

「…くどい」

「フィフィリアンヌよ。貴君は物理的にも精神的にも強い女ではある。だが、一人では生きてゆけぬ」

「貴様、何が言いたい。私に何を言わせたいのだ」

「あのニワトリ頭は、貴君が父親以外で初めて心を許し、受け入れた人間なのである。だが、またもや貴君を残して逝ってしまったのである。それを悲しむ気持ちも、恨む気持ちも、解らぬでもない。しかし」

「奴が死んだことを恨んでなどおらん。増して、残されたことを悲しむほど幼くはない」

「ならば、尚更である。死んだ相手に意地を張ったところで、何にもならぬのであるぞ」

「そういう貴様はどうなのだ、伯爵。人のことを言えぬぞ」

 フィフィリアンヌが言い返すが、伯爵は笑うだけだった。

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは。我が輩は低脳な貴君とは違って、無用な意地を張ることなどないのであり、元より我が輩には気高くも美しい魂が備わっているのであるからして、下らぬ意地なぞ張ってはその魂が霞んでしまうのである」

「そのまま掻き消えてしまえ」

 フィフィリアンヌはつま先で伯爵のフラスコを蹴り、転がした。

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは」

「過ぎた真似を」

 フィフィリアンヌは高笑いを放つ伯爵を一瞥し、木々に視線を投げた。昔住んでいた森には、特に似ていない。
空気の匂いも違えば木々の種類も違い、景色も違う。それでも、彼と出会ったばかりの頃が思い出されてくる。
ギルディオスのいた日々は、フィフィリアンヌの生涯の大部分を占めている。切り捨てたとしても、まだ残るほどだ。
彼が与えてくれたものが多すぎて、返すことは出来なかった。返す前に、ギルディオスは戦い抜いて逝ったからだ。
 ヴィンセントの言うように、再会出来たら嬉しい。だが、再会したとしても、顔を合わせれば文句しか出てこない。
意地を張ることに慣れすぎて、素直になるのが怖いからだ。本音を言うより前に、皮肉や罵倒が出てしまうのだ。
夫のカインの前では、素直になれた。だが、ギルディオスの前では、意地を張っている方がむしろ心地良かった。
良い友人だったからこそ、いつも距離を置いていた。馴れ合うことは好きではなかったし、それが楽だったからだ。
愛していたかと問われれば、愛しているとしか答えられない。だが、それを認めてしまうのがなんだか悔しかった。
やはり、どう足掻いても意地は緩められない。どうしようもないほどねじ曲がった根性は、そう簡単には直らない。
けれど、そんな自分にいつも苛立った。今もまた、素直になろうとすらしない自分が情けなくて、腹立たしかった。

「フィフィリアンヌよ」

 伯爵の低い声が掛けられたが、フィフィリアンヌは目も向けなかった。

「寂しいか?」

 気取った言い回しも驕り高ぶった口調も失せた伯爵の言葉は、痛みすら生じるほど真っ直ぐだった。

「いちいち、下らんことを聞くな」

 フィフィリアンヌはいつもの調子で言い返したが、喉の奥に異物が詰まった感覚に襲われ、何も言えなくなった。
下らないのはどっちだ。つまらない意地をいつまでも張り続けるせいで、友人の死すら真っ当に悲しんでやれない。
喉の奥に詰まっていた異物が膨らみ、目の奥を痛ませる。ここ数十年出ていなかった体液が、目元から溢れた。

「…会いたい」

 一瞬、それが誰の声なのか解らなかった。

「ギルディオスに、会いたいに決まっているではないか」

 視界が滲み、顎が震える。頬を伝って顎から落ちた涙の粒が、きつく握り締めた手の甲を叩いた。

「馬鹿なことを、聞くな」

 明日、墓参りに行こう。上等のワインと偏屈な友人を携え、一番見晴らしのいい場所に建てられた戦士の墓に。
積もる話はいくらでもある。言えず終いに終わってしまったことは山ほどある。どれから話せばいいか迷うほどに。
友人の死を悲しむ涙を流せたことが、とても嬉しかった。だが、泣くんじゃねぇ、笑いやがれ、とでも言われそうだ。
 ギルディオスは二人目の父親であると同時に、フィフィリアンヌの最大の友人であり、最高の理解者でもあった。
泣くだけ泣いたら、今度は笑ってやろう。未だに上手く笑えた試しがないが、意地を張るよりは余程いいはずだ。
 この笑顔も、彼が遺したものなのだから。




 終焉のその先にも、時は続いていく。
 生ある者達は死した者達の残滓を握り締め、明日へと歩いていく。
 それこそが死した者達の何よりの望みであり、そして。

 命懸けで、勝ち得た未来なのである。






07 11/15