ドラゴンは滅びない




恋、煩いし



 ラミアンは、訝っていた。


 魔導師の仕事から帰ってきてからというもの、息子の様子は妙だった。右手の火傷は、完治したというのに。
居間のソファーにだらしなく腰掛けて、憂いのある眼差しで外を見つめている。いつもとは、まるで表情が違う。
二十歳になっても未だに子供っぽい部分が多いブラッドにしては落ち着いていて、静かすぎると思うほどだった。
先程の朝食の際も、普段であればブラッドは率先して会話をするのだが、口数が少なく目線も下に向けていた。
ラミアンとジョセフィーヌが話題を振っても生返事をする始末で、上の空だった。それも、今日が初めてではない。
ここ数日間、ブラッドはずっとそんな状態だ。ラミアンは、ブラッドの態度のおかしさがいい加減に鼻に付いていた。
反抗期か、とも思ったがそんな時期はとうに過ぎ去っている。それに、ブラッドの反抗期は比較的穏やかだった。
 二十歳にもなって、反抗期もないだろう。ラミアンは居間の扉に手を掛け、ぼんやりしている息子を見つめた。
ラミアンの肩越しに、妻のジョセフィーヌがブラッドを眺めていたが、洗濯物の詰まったカゴをごとっと床に置いた。

「ぶらっどー」

 ジョセフィーヌに呼び掛けられ、ブラッドは目を上げた。

「何、母ちゃん」

「そのおんなのこ、すっごくきれいだね! かみのけはぎんいろできらきらしてるし、あかいめもきれいだね!」

 ジョセフィーヌは居間に入ると、息子の両肩を掴んでずいっと顔を寄せた。ブラッドは、目を丸める。

「う、え!?」

「だって、ジョー、みたんだもん。きらきらぴかぴかしたきれいなおんなのこが、おうちにくるんだ!」

 たのしみたのしみだー、とジョセフィーヌは妙な鼻歌を歌いながら洗濯物のカゴを抱え直し、庭へと出ていった。
彼女は今年で四十二歳になるはずだが、魔力が高いために老化が遅く、二十代後半のような若さを保っている。
そして、生まれつき知性が成長しないので精神年齢は五歳前後で止まっており、その言動は幼女そのものである。
だが、ジョセフィーヌが特異なのはそれだけではない。未来を視ることが出来る予知能力を有している異能者だ。
先程の突拍子もない言葉は、恐らく予知だろう。ジョセフィーヌの未来予知は唐突なので、そういうことはよくある。

「ブラッディ」

 ラミアンは居間に入ると、狂気の笑みを浮かべた仮面を付けた顔を息子に近寄せた。

「仕事を失敗しただけでなく、他にも何かあったのかね?」

「なんでもねぇよ、父ちゃん」

 ブラッドは、銀色の骸骨そのものであるラミアンと向き合った。その仮面には、自分の狼狽した顔が映っていた。
鋭角に吊り上がった目と口元、金属で出来た骨のような手足、刃は落としてあるが鋭く長い爪を持った両手足。
日常的に見慣れているが、真正面から向き合うと身内であってもそれなりに威圧感を感じるほど奇妙な外見だ。
ブラッドが口籠もっていると、ラミアンはおぞましい外見に見合わない優雅な手付きで、銀色の胸に手を当てた。

「ブラッディ。私で良ければ、力になろう」

「別に…」

 ブラッドは、昨日になってやっと包帯の取れた右手を見下ろした。思っていた以上に、あの火傷は深かった。
吸血鬼の再生能力でも、一週間も時間が掛かった。普通の人間なら、手が使い物にならなくなっていただろう。
それは、ルージュの主砲が発していた熱に多量の魔力が含まれており、魔力自体が体組織を焼いたからである。
半吸血鬼と言えど、ブラッドも吸血鬼の端くれには変わりない。吸血鬼は魔力で肉体を構成しているようなものだ。
竜族ほどとは言わないが肉体を自在に伸び縮みさせることが出来、巨体の獣からコウモリにも変化出来るのだ。
そのためには相当な量の魔力で肉体を支えておかなければならず、魔力を大量に消耗すれば命に関わってくる。
なので、魔力を生み出している魔力中枢と魂そのものを破壊されてしまえば、一気に体組織が崩壊してしまう。
魔力を失って急速に劣化した肉体は、さながら灰のようになってしまう。吸血鬼族は強い種族だが、脆い面もある。
ブラッドの火傷が深かったのも、その脆さをやられたからだ。ただの焼けた鉄に触れたのであれば、一日で治る。
だが、魔力を含んだ熱ならば別だ。ルージュの魔力があまりにも高すぎたため、体が耐えられなかったのである。
これで、喉に押し当てられた副砲を撃たれていたらどうなっていたことか。死を認識する前に死んでいただろう。
ブラッドの注意は、最早ラミアンから逸れていた。ラミアンは軽くため息を零して、目を伏せた息子に声を掛けた。

「それはそれとして、外へ行く時間ではないかね?」

「あ、やべ」

 ブラッドは言われて気付いたのか慌てて立ち上がり、居間を出ていった。

「いってきます!」

「きっちり働いてくるのだよ、ブラッディ」

 ラミアンは息子の背を見送ってから、庭で洗濯物を干す妻を見やった。天気が良いので、妻の機嫌は上々だ。
幼い頃に覚えたのであろう共和国軍の軍歌を鼻歌で歌いながら、ブラッドの服や自分の服を紐に掛けている。
ラミアンは鋭い爪先で窓の錠を開け、上に押し上げた。古い屋敷なので、窓はがたがたと鳴りながら動いた。
広くはないが狭くもない庭の隅には、ラミアンとフィリオラが植えた魔法薬の材料になる魔法植物が生えている。
だが、まだ摘み取るには早い。もう少し葉が大きく広がらなければ、魔法薬に加工しても効力は薄くなってしまう。
 ラミアンは窓枠にもたれ、上空を仰いだ。遥か遠くの空に浮かんでいるブリガドーンは、ぼんやりと霞んでいた。
こちらは晴れているが、ブリガドーン周辺の空は白く曇っている。雨が降るのかもしれないな、とラミアンは思った。
ブリガドーンが現れたのは、いつ頃だったか。空に異様な山が浮かぶようになったのは、戦後からだったと思う。
何分、遠くにあるので正体は掴めないが、あまり良い雰囲気ではない。空を飛ぶ山というのは、まず不自然だ。
これで、姿が銀色の骸骨ではなく人間に酷似した外見の吸血鬼であったなら、一人でも調査に赴いていただろう。
魔導の研究をしていた身として、非常に興味がある。どこからどう見ても、ブリガドーンは魔法に関する物体だ。
どういう構造で浮いているのか、なぜ出現したのか、内部はどうなっているのか。様々なことを、確かめてみたい。
だが、今のラミアンはゼレイブから動けない。肉体の問題もあるが、ここを離れれば魔法が緩んでしまうからだ。
 ゼレイブが連合軍に見つからないようにするために施した幻惑の魔法は、ラミアンの魔力を根源にしている。
魔法陣は巨大で、街の敷地を囲むほどの大きさだ。魔法陣そのものにも、目視出来ないように魔法を掛けてある。
だから、ラミアンがゼレイブを出てしまえば、この街に住まう人外の者達が連合軍に発見される危険があるのだ。
 中でも一番危険なのが、竜族の末裔であり竜への変化能力を持つ魔導師、フィリオラ・ヴァトラスとその家族だ。
彼女は性格こそ気弱で愛らしいが、ひとたび竜へと変化してしまえばその力は強大で、あらゆる面で脅威となる。
フィリオラの夫であり念力発火能力者であるレオナルド・ヴァトラスも、一時異能部隊に身を置いた経験がある。
だから、レオナルドは連合軍に名が割れている。連合軍に捕まれば、二人とも兵器とされるか処刑されるかだ。
二人の一人娘であるリリ・ヴァトラスも、幼いながらも炎を主体とした異能力を有しており、不安は尽きないのだ。
 ヴァトラス一家は、様々な紆余曲折の末に平穏を手にした。それまでは、フィリオラもレオナルドも不幸だった。
ようやく人並みの幸せを手にした彼らを、不幸にしたくはない。だが、最大の理由はやはり自分自身の家族だ。
キース・ドラグーンの策略によって一度は離散したブラドール一家は、やっと家族らしい形に戻ることが出来た。
ラミアンが異形と化している以上、当たり前の家庭とは言えないが、それでも妻と息子は幸せにしてやりたい。
 十年前、キース・ドラグーンに操られたラミアンは、狂気の殺人機械人形アルゼンタムとして旧王都で暴れた。
派手に殺戮を繰り返し、罪もない人々を捌いて生き血を啜って飢えを満たしていた。決して、許されない罪だ。
家族を守ることはその罪を償うことにはならないかもしれないが、独り善がりでしかないが、何かはしていたい。
 妻の鼻歌は、同じ小節を何度も繰り返していた。




 ゼレイブは、街というよりも村だ。
 中世時代から細々と長らえてきたが、共和国戦争に男達が出征してしまったために人口は大幅に減少した。
残された女達も、発展もしなければ物流もないゼレイブを見限って、子供を連れて出ていった者も少なくなかった。
そして最後に残ったのは、どこへも行く当てのない者達だった。緩やかに、だが確実に死へと向かっている街だ。
だが、だからこそ、ブラドール一家やヴァトラス一家のような人外の者達が隠れ住むには打って付けの場所だ。
人の行き来が少ないので情報が流出する危険も少なく、大きな街から離れているので連合軍の目も届かない。
 ブラッドは、朝から始めた野良仕事を中断していた。ゼレイブで言うところの仕事の、ほとんどはこれである。
山を切り開いて作った畑には、春先に植えた作物が伸び始めていた。土地が痩せているが、育ってくれている。
魔法で成長を促進させる、という手もあるのだが、それではあまり真っ当ではない気がするのでやったことはない。
水筒に入れて持ってきた水を呷り、息を吐く。倒木に腰掛けてぼんやりしていると、背後に足音が近付いてきた。

「よう、ブラッド」

 ブラッドが振り返ると、背が高く体格の良い男が立っていた。ブラッドは、水筒を下ろす。

「やあ、レオさん」

「右手、もう大丈夫そうだな」

 レオナルドはブラッドの隣に座り、にやりとした。若い頃に比べれば目付きは柔らかいが、表情は変わらない。
薄茶の髪を短く切り、袖を捲り上げて筋肉の張った腕を曝している。元から体格が良かったが、更に良くなった。
今年で三十六歳になるが、年齢は感じさせない。以前の荒い態度や乱暴な物言いは引っ込み、大分丸くなった。

「んー、まぁな」

 ブラッドは右手を開き、火傷の跡を確かめた。手のひらの皮はうっすらと色が変わっているが、それぐらいだ。

「ギルディオスさんと会ったんだってな。ほれ、やるぞ」

 レオナルドは作業着の胸元から紙巻き煙草を取り出すと、その一本をブラッドの口元に押し込んだ。

「あ、ありがと。おっちゃん、相変わらずだったぜ」

 ブラッドが紙巻き煙草を銜えて笑うと、レオナルドは自分も紙巻き煙草を銜えてその先端を強く見据えた。

「あの人は、何がどうなろうとも変わらないからな」

 視線に込められた力が熱を生み、先端に火が点いた。レオナルドはブラッドの紙巻き煙草の先端も、睨んだ。
程なくして、ブラッドのものにも火が点いた。レオナルドの念力発火能力の使い道は、もっぱらこういうことである。
他にも、家庭内で暖炉やカマドに火を入れたり、風呂を沸かしたり、焚き火を起こしたりと、平和的に使っている。
 幼少時に異能部隊に入れられていた頃や、旧王都で刑事として働いていた頃には、戦闘に用いてばかりだった。
レオナルドの念力発火能力は、異能力の中でも特に攻撃的な能力だが、戦いのためだけにあるわけではない。
若い頃は、若さの衝動も相まって発散させなければならないほど炎の力が有り余っていたが、今はそうでもない。
家庭を持ったからということもあり、炎の力も落ち着いている。そして、レオナルド自身の人格も穏やかになった。
レオナルドが荒くれていた時代を知るブラッドにとっては、今のレオナルドは少し物足りないが、とてもいい友人だ。
ブラッドはレオナルドらしい素っ気ない気遣いをありがたく思いながら、紙巻き煙草の渋い煙を肺に吸い込んだ。

「ぐふぇっ」

 だが、思い切りむせた。レオナルドは、息苦しげに咳き込むブラッドを見て笑う。

「下手くそ。貴重品なんだ、もっと大事に味わえ。お前の全快祝いなんだから、こんな時ぐらいむせるな」

「無理っ」

 ブラッドはげほがほと盛大に咳き込み、涙目になった。レオナルドは、それすらも可笑しいようだった。

「ちったぁ大人になったかと思ったが、まだまだガキだな。いい加減、女の一人でも抱きに行け」

「それも、無理」

 ブラッドは涙を拭い、呼吸を落ち着けた。レオナルドは慣れた仕草で煙を吸い、緩く吐き出す。

「今となっちゃなんだが、オレもお前ぐらいの歳の頃には色々とやってたぞ。言えないことも多いが」

「刑事だったくせに?」

「刑事だったからだ。ああいう系統の仕事は、どうしても裏の世界に関わっちまうんだよ。証言を取るために、娼館の女を買ったことも一度や二度じゃない。まぁ、仕事以外でも買ったことはあるが。だが、女を買っていたのは本当に若い頃だけだったがな。ああいう連中は慣れちゃいるが、化粧臭くて敵わないんだ」

「それ、フィオさんに話したことある?」

 ブラッドが渋い顔をすると、レオナルドは顔を引きつらせた。

「言えるか、こんなこと。あの女の性格を考えてみろ」

「怒りはしないけど泣くかもなぁ、フィオさんだから」

 未だに純情だし、とブラッドが半笑いになると、レオナルドは足を組んだ。

「まぁ、そういうことだ。だが、本当に女の一人も喰っちゃいないのか?」

「んー、全然。なんか、その気になれねぇんだ」

 ブラッドは紙巻き煙草を軽く噛み、ふかした。独特の匂いが、鋭く鼻を突く。

「父ちゃんはああいう真面目な人だから、好きな女以外に手ぇ出すなっていつも言ってくるけど、その肝心の好きな女ってのがいないんじゃどうしようもねぇんだよな。それに、体がでかくなったから、そんなに人の血を喰いてぇとか思わなくなったし」

「成長期は終わったが、発情はまだしていないってことか」

「たぶん、そうなんじゃね?」

 他人事のように言い、ブラッドは苦みに顔をしかめた。レオナルドは煙草が好きだが、ブラッドは好きではない。
レオナルドに勧められて付き合いで吸い始めたのだが、何度やってもむせてしまって、上手く吸えた試しがない。
ゆるりと曲がった紫煙が風に弄ばれ、掻き消された。好きな女はいない。だが、忘れられない女なら存在する。
あの日の夜に出会った、美しい魔導兵器。印象が強烈だったからかもしれないが、彼女の姿が頭から離れない。
 鮮烈な赤の瞳。艶やかな銀色の唇。冷淡な物言い。肌を焼け焦がし、心までも焼け付かせた、彼女の温度。
喉を砲口で押さえ付けられながらも、間近で囁かれた声の色気が忘れられない。心どころか、魂も震えてしまった。
思い出せば思い出すほど、美しさばかりが目に付く。ルージュの圧倒的な破壊力と残虐性が、目に入ってこない。
ブラッドも、連合軍は憎たらしいと思う。戦争が終わって十年が過ぎても、共和国から引き上げずに駐留している。
だが、だからといって皆殺しにしていいはずがない。しかし、ルージュはいとも簡単に大量の人間を焼き尽くした。
彼女の両腕から放たれる魔力砲に焼かれた連合軍の兵士達は、ほとんどの者が原形を止めない死体と化した。
皮が焼け焦げて肉が爛れ、骨が縮れて目玉が溶け落ちていた。思い出すだけで吐き気が込み上がりそうだった。
そんなことをした女だ。それが、美しいはずがない。けれど、ルージュの顔が、声が、姿が、頭にこびり付いている。
 煙の味が、やけに苦かった。




 その夜。ラミアンは、眠らずにいた。
 吸血鬼という種族は、元来夜行性である。夜の闇に紛れて人を惑わし、首根に牙を突き立てて血を啜る魔物だ。
生身の肉体を失ってから十年以上経つが、魂の根底に染み付いている吸血鬼の習性が失われることはなかった。
 地下の自室を出て向かったのは、妻の部屋だった。階段を昇り、二階の東側にある部屋の扉を慎重に開けた。
扉の隙間からそっと中を覗くと、ジョセフィーヌはあどけない寝顔で眠りこけていたが、掛け布団を蹴り上げていた。
やれやれ、と思いながらもラミアンは微笑ましく思った。歳を重ねても、妻の魂は五歳の幼女のまま成長しない。
布団を掛け直してやり、爪の側面で頬を撫でる。ジョセフィーヌは一瞬眉をひそめたが、起きることはなかった。
頬と唇に仮面の口元を当て、口付けた。ラミアンは妻への愛おしさを噛み締めつつ、足音を立てずに部屋を出た。
整備を欠かしていない関節は滑らかに動き、耳障りな摩擦音はしない。向かい側の、息子の部屋の前に立った。
扉に手を掛けようとして、手を止めた。内側から、息子の気配が感じられない。だが、屋敷の中にはいるようだ。
 ラミアンは心持ち息を詰め、感覚を尖らせた。成長して魔力も成長した息子の気配は大きく、すぐに感じ取れる。
息子の気配は、居間に在った。しかし、珍しい。息子は昼型の生活を好むので、夜は深く寝入っているはずだ。
だから、夜中に起きていることはあまりない。どうかしたのだろうか、と思いつつ、ラミアンは一階に下りていった。
 居間の扉は開け放たれていた。青白く冷ややかな月明かりが窓から差し込み、憂い気な青年を照らしていた。
窓枠に腰掛けたブラッドは、複雑な表情をしていた。ラミアンが居間に入っても反応せず、虚ろに外を眺めていた。

「ブラッディ」

 名を呼んでも、ブラッドは返事すらしなかった。ラミアンは、息子の傍で立ち止まる。

「やはり、何か思い悩んでいるようだな」

 ブラッドは軽く歪めていた唇を開き、ため息混じりに呟いた。

「深刻っつーか、よく解んね」

「具体的に説明してくれたまえ、ブラッディ。前提が解らなければ、私と言えども助言は出来ない」

「この前の仕事ん時に、おっちゃんと伯爵とヴィクトリアに会って、三人が禁書を集めてるって話はしたっけか」

「ああ、聞いているよ」

「んで、その禁書を変な奴に奪われたーってのも、そいつのせいで手ぇ火傷したってのも、したよな?」

「忘れることなどない」

「で、そいつが父ちゃんみたいな魔導兵器だってことも話したよな?」

「ああ」

 ラミアンはブラッドとの間を詰め、目線を上げた。息子の銀色の瞳は、ラミアンの生前のそれに良く似ている。

「非常に珍しい女性型であるということも、彼女の両腕に備え付けられている魔力砲の威力が並外れたものだということも、その名も聞いている。彼女の名には覚えはないが、ヴァンピロッソの方には少々覚えがある」

「マジ?」

 ブラッドが急に身を乗り出してきたので、ラミアンは手を上げて息子を制した。

「ヴァンピロッソというのは、吸血鬼族の名なのだよ。ブラッディはあまり知らないだろうがね。吸血鬼族というものは単体で行動することを好む種族であるから、己の血族と共に家族として生活することはごく希なのだよ。それゆえ、一族の血統を記した書物が極めて少なく、魔導師協会本部の書庫にもほんの数冊しかなかったくらいだ。家や家族を持ちたがらないように、過去も持ちたがらないと言っていいだろう。私は違うがね。魔導師協会の一般的な役員として仕事をしていた時、己の起源への好奇心が湧いた時期があったのだよ。膨大な資料を漁って吸血鬼族の歴史を調べてみたのだが、魔導書や歴史書を含めた書物に名が残っている吸血鬼族は十にも満たなかったことを良く覚えているよ。何か、物悲しくなってしまったからね。ヴァンピロッソは、その時に見つけた名なのだ」

「それ、本当なのか?」

 いやに真剣な目で、ブラッドはラミアンを見つめた。ラミアンは、静かに頷く。

「ああ、私はお前に対して嘘など吐かない。それが父親たるものだ。私が見つけた吸血鬼族の名は、我が血族ブラドールと、ヴァンピロッソ、ヴリコラカース、ムヴトゥーズ、ウプイリオ、それぐらいだ。もっとも、これとてかなり大雑把なものだ。吸血鬼族は、そこからかなり細かく分岐をしているはずなのだが、何分資料が足りなくてね。会長に側近として引き抜かれることがなければ、もう少しばかり吸血鬼族についての研究を重ねていたのだろうが、それは最早無理な話だな。少々心残りではあるが、長い人生では妥協を必要とする場面は少なくはない。時として、諦めることも重要なのだから」

「そっか、あいつ、吸血鬼なんだ…」

 道理で、感覚がざわめくわけだ。ブラッドは、針で刺されるように鋭くも存在感のある彼女の気配を思い出した。
同族なら、惹かれる理由も解る。この世界に人間は山ほどいるが、魔物族は近代になってほとんどが滅んだ。
だから、魔物族を見つけることすら珍しく、そして数の少ない吸血鬼族を見つけることはかなり希なことである。
しかし、疑問も湧く。なぜ、ルージュは魔導兵器と化したのだ。彼女もまたラミアンと同じ目に遭ったのだろうか。
ブラッドがその疑問をラミアンにぶつけるより先に、ラミアンは滑らかな爪先で仮面の顎をなぞりながら話した。

「彼女が魔導兵器であるならば、大なり小なりキース・ドラグーンとの関わりがあるかもしれんな。私が知り得ている彼の情報は一握りに過ぎず、また彼という存在の側面しか目にしていないのだから、私達の知らないところで何かをしていたとしてもなんら不思議ではない。だが、ルージュ・ヴァンピロッソなる令嬢を魔導兵器と化したのがキース・ドラグーンではないことを願わずにはいられないよ。彼の禍々しき手で運命を掻き乱された者は、私達だけで充分なのだから。十年前のあの出来事に深く関わった者としては、ルージュ・ヴァンピロッソ嬢にもキース・ドラグーンが関わっていたのかどうかを確かめ、事実を明らかにしておきたいが、キース・ドラグーンの被害者の一人としての立場から見るとあまり突き詰めたいとは思わんよ。彼の業はどこまでも深く、そしてどこまでも暗い。それを今更光の下に引き摺り出したところで、苦しむ者はいても喜ぶ者はいないことだろう。もっとも、アルゼンタムとして人を喰っていた私が言えた義理ではないがね。私もまた、彼の闇の内に引き摺り込まれた者だ。そしてその闇からは、永久に抜け出せない。彼の道具であった私は、彼が浴びなかった血や泥を全て身に浴びているのだ。その穢れを拭う布はこの世にはあらず、穢れた身を照らす光が天上から注ぐことはない。それが、私に対する罰なのかもしれんな」

 ラミアンの口調が、沈んだ。ブラッドは父親に言葉を掛けようとしたが、上手く言葉に出来ずに飲み込んだ。
ラミアンがアルゼンタムと化して犯した残虐非道な殺人の罪は、決して消えない。十年で、償えるわけがない。
その一方で、ラミアンがキースの行いによって人生を狂わされ、運命をねじ曲げられたのも確かな事実だった。
父親の苦悩を知っているからこそ、何も言えなかった。ブラッドが表情を曇らせたのを察し、ラミアンは呟いた。

「ブラッディ。私が察するに、どうやらお前の心は、その鋼の貴婦人に捕らわれているようだ」

「え」

 戸惑ったブラッドに、ラミアンは月明かりを撥ねた仮面を息子に向けた。

「忠告しておこう、彼女に深入りするべきではない。ブラッディ、お前は優しいがそれは無知故の優しさだ。客観的な判断をして、状況を弁えるべきだと言っておこう。彼女の存在や目的は私も気に掛かっているが、その背後が判明しないうちに接近するのは危険極まりない。ブラッディ、お前の立場は、幼子の頃とは変わっていることを忘れてはならない。たとえ繁栄はしなくとも、お前はブラドール家の長子であり、跡継ぎであることには変わりないのだから。そして、ゼレイブに住まう皆を守るのが、一人前の魔導師となったお前の役割ではないのかね?」

 答えに詰まっているブラッドに、ラミアンは続けた。

「ブラッディ。彼女は、それほど美しかったのか?」

「…うん」

 ブラッドは無性に情けなくなったが、頷いた。

「すっげぇ、綺麗だった」

「美しい女性は、その身の内に強烈な毒を隠しているということを忘れてはならんよ」

「解ってる。解ってんだけど」

 ブラッドは、右手をきつく握り締めた。火傷が治ったばかりの手のひらに爪を食い込ませると、痛みが走った。
忘れろ。忘れろ。忘れてしまえ。そう強く念じても、瞼の裏に焼き付いたルージュの姿は薄らぐことすらなかった。

「恋は魔物だ」

 ラミアンはかすかに笑った。

「その魔性に取り憑かれる前に、忘れてしまうがいい。私のように、魔に魅入られた末に過ちを犯してはならんよ」

「恋…なのかなぁ」

「手の届かない者ほど麗しく、叶わぬものほど素晴らしく、禁忌であるほど甘美なるものが恋心なのだ」

「そんなんじゃ、ねぇよ」

 ブラッドはラミアンの言葉を否定したかったが、強く言い返せなかった。ただの一時、出会っただけの女なのに。

「そろそろ眠るがいい、ブラッディ。明日の朝も、また早いのだから」

 ラミアンが言うと、ブラッドは仕方なさそうに頷いた。

「ん」

 重たい足取りで居間を出た息子の背を、ラミアンは見送った。その足音は階段を昇り、二階の部屋へと入った。
 ブラッドは、間違いなくルージュ・ヴァンピロッソなる女に心を奪われている。ラミアンは、不安でたまらなかった。
その反面、嬉しいという気持ちもあった。まだまだ子供だと思っていた息子が、大人への階段を昇っているのだと。
だが、その足元はとても危なっかしい。手を差し伸べてやりたい気もするが、息子の成長を妨げてはいけない。
 ラミアンは複雑な心境になりつつ、窓枠に腰を下ろした。胸に填め込まれた緑の魔導鉱石が、少し熱している。
無機物に内包された魂が、脈打っている。それはブラッドに対する心配からか、それとも不安要素への懸念か。
どちらにせよ、先が見えない。ラミアンは、月から注ぐ青白い光に照らされている世界の異物に視線を注いだ。
 ブリガドーンもまた、こちらを無言で見下ろしていた。




 父親の懸念を余所に、息子の心は逸れていく。
 鋼鉄で成された彼女の存在は、日に日に膨らんでいくばかり。
 それはどんな病よりも根深く、どんな傷よりも大きく、どんな毒よりも強い。

 半吸血鬼の青年は、恋の病に犯されつつあるのである。






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