二日後。リリは、勤務先の学校がある街へ戻った。 ロイズらの住まう街よりも規模の小さい田舎町だが、子供の数はそれなりに多く、学校も一つだけではなかった。 子供達は主に経済成長と共に増えた移民の子で、混血児が多く、中には共和国から逃げ延びた人間の子もいた。 リリが勤める学校は街の中心部にある学校で、最も生徒数が多く、それに伴って教師の数も多かった。 リリが受け持っているのは二学年の学級だが、問題が起きない日の方が珍しいほど騒々しく、厄介な学級だった。 騒々しいのはどの学級でも同じなのだが、リリの学級には有力者の子がおり、取り巻きを引き連れて暴れていた。 子供だからこそ、やることは大人より残酷だ。有力者の子と取り巻きの子は、労働者階級の子を常に虐げていた。 虐げられるのはいつも同じというわけではなかったが、虐げられた子は傷を負うばかりか持ち物も壊されていた。 リリが注意しても事態は改善せず、却ってリリを舐めて掛かってくるようになり、近頃ではリリ自身も狙われていた。 廊下で擦れ違い様に罵倒されるのは日常茶飯事で、水を掛けられたり、騒ぎ立てて授業を邪魔することもあった。 正直、彼らには手を焼いている。けれど、ブリガドーンの戦いに比べれば、と思うと微笑ましい悪戯でしかない。 機関車の煙が立ち込める駅から自宅である共同住宅に向かっていると、件の子供達が騒いで遊んでいた。 恐らくは野良イヌであろう痩せたイヌを追い回し、石を投げている。当たるたびに、体を仰け反らせて大笑いした。 「それ、何が楽しいのかな?」 リリが声を掛けると、少年達は振り返った。有力者の子、ジェフリーはリリを指して喚いた。 「なんだ、逃げたんじゃなかったのか! よく帰ってこられたな、弱虫先生!」 「お友達のところに行っていただけ、って先週話したでしょ。先生は、自分の生徒から逃げるほど弱くないの」 リリは少年達を見下ろし、にっこりと微笑んだ。 「いつも言っているでしょう、弱いものいじめをしちゃダメだって。どうしてそれを解ってくれないの?」 「オレ達は強いんだ、強いから何してもいいんだよ! なあ!」 ジェフリーが少年達に同意を求めると、彼らは口を揃えて同意した。リリは、首を横に振る。 「そんなのは、強さとは言わないわ」 「そんなわけねぇじゃん、馬鹿じゃねぇの!」 「あらそう。じゃあ先生は、あなた達をそのイヌから守らなければならないわね」 リリは微笑みを崩さぬまま、尾を丸めて怯え切っている野良イヌを見据えると、途端に野良イヌは震え出した。 常人には絶対に感じ取れず、魔力測定器にも引っ掛からないほど弱い魔力を視線に込めて注ぎ込んだのだ。 厳密に言えば、これは魔法でもなければ異能力でもない。血に宿る竜としての力を、僅かに外に出しただけだ。 彼らはリリを指してげたげたと笑い転げていたが、背後から聞こえた唸り声に振り向くと、野良イヌが吼えていた。 「あら、怖い」 そう言いながら、リリは薄く思念を送った。野良イヌの心中に燻っていた憎悪と恐怖をそっと煽ってやった。 但し、噛み付かないようにさせた。かなり弱っている野良イヌとはいえ、全力で喰い千切れば子供の腕など容易い。 先程とは打って変わって、暴力的に吼える野良イヌは子供達を追い回し始めた。途端に、皆、散り散りになった。 蜘蛛の子を散らすように逃げ出すも、野良イヌは追い続ける。転ぶ子供、泣き出す子供、リリに縋る子供もいた。 ほとんどの子供が泣き出していたが、ジェフリーだけは意地があるのか必死に逃げるも、何度も追い付かれた。 野良イヌを蹴り飛ばしたり、石を投げたりして応戦するが、子供の足ではイヌが駆ける速さに敵うわけがない。 そして、狭い路地に追い込まれた。リリは泣いている子供達を一人一人慰めてから、その路地の中に向かった。 路地の奥では、壁に貼り付いたジェフリーが震えていた。足元まで近付いた野良イヌは、容赦なく吼え立てる。 ジェフリーの服の裾に喰らい付いて荒々しく引っ張り、涎を撒き散らす野良イヌの姿に、さすがの彼も怯えていた。 野良イヌの咆哮とジェフリーの嗚咽が路地に響くが、リリは眉一つ動かさずに、事の次第を傍観するだけだった。 「お前、こいつに何したんだよ!」 涙混じりで上擦った叫びを上げるジェフリーに、リリは淡々と返した。 「いいえ、私は何もしていないわ。この子に意地悪をしたのは、あなた達の方でしょう?」 「こっ、こいつが汚いのが悪いんだ!」 ジェフリーはぼろぼろと涙を落としながらも、必死に野良イヌを蹴り飛ばした。だが、野良イヌは怯まない。 「他には?」 リリの問いに、ジェフリーは引きつった叫びを上げる。 「なんだっていいだろ、そんなもん!」 「だったら、私はあなたにも何もしないわ」 「え…」 リリの言葉に、ジェフリーは目を丸くした。リリはくるりと身を翻し、少年に背を向ける。 「これから私は、自分の家に帰って荷物を解かなければならないの。それに、明日の授業の準備もあるし、 夕食の支度だってしなければいけないわ。一人暮らしだから、結構忙しいのよ」 「お前、それでも教師かよ! 父さんに言い付けてやる! お前なんか、すぐにクビになるんだからな!」 「けれど、私はあなたのお父様からはこう言付けられているわ」 リリはジェフリーに横顔を向け、目を細めた。 「愚息の素行は目に余る。容赦なく手を下してくれ、ってね」 「嘘だ、そんなこと言うわけない!」 「だったら、おうちに帰ってお父様に確認してみるといいわ。きちんとお答えして下さるはずよ」 「嘘吐き女!」 「あなた、強いんじゃなかったの? 強かったら、イヌ一匹ぐらいで泣いたりしないはずよ?」 「うるせぇ、黙れ黙れ黙れ!」 虚勢を張って喚いたが、ジェフリーはがたがたと震えていた。野良イヌだけではなく、リリにも怯えている。 馬鹿にしているが心のどこかでは助けてくれると思っていた大人が、手を差し伸べることもなく傍観しているのだから。 それが、一番の恐怖なのだ。大人は子供を助けるものだ、という常識に似た思い込みが崩れ落ち、畏怖へと変わった。 リリはそれを思念で感じ取りつつ、歩き出した。幼い心に恐怖を刻み付けるため、わざとゆっくりと離れていった。 野良イヌの咆哮に混じって、硬い靴音が遠のいていく。狭い路地裏から光の差す表に出た瞬間、悲鳴が聞こえた。 「助けてくれよ、お願いだから!」 振り返ると、ジェフリーは泣きじゃくっていた。だが、リリはまたもや歩き出した。 「頼むよ、なあ!」 けれど、リリは立ち止まらなかった。事の次第を見守っていた子供達は、不安げな眼差しでリリを見上げてきた。 リリは小声で、大丈夫よ、と言ってからトランクを持ち上げて、本当に自宅のある道へ向かって再度歩き出した。 「先生!」 ジェフリーの声は、最早懇願だった。ようやくリリは立ち止まると、にっこり笑って振り向いた。 「はい、なんでしょう?」 「お…おねがいします…」 恐怖のあまりに足元に生温い水溜まりを作りながら、ジェフリーは懇願した。 「せんせい、たすけて」 「他には?」 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」 哀れみすら覚えるほど必死に叫ぶジェフリーの声は、涙と畏怖で嗄れていた。 「そこまで言われたら、仕方ないわね」 リリは内心で嬉しく思いながら路地の行き止まりに戻ると、途端に、ジェフリーが泣きながら駆け寄ってきた。 涙や様々なもので汚れていたが、気にせずに抱き締めた。多少罪悪感も湧いたが、これは必要なことだったのだ。 他者を虐げることで快楽を感じる者には、それ以上の苦痛を味わわせなければ、己の所業の罪を思い知らない。 それは、少女時代のヴィクトリアに言えることだ。力と才を持て余していた彼女は加虐を遊びだと思っていたが、 目の前で両親が殺されて声と魔力を失ったことでようやく痛みを知り、人間的に大きく成長することが出来た。 ジェフリーも、程度は違えど似たようなものだ。実業家で多忙な両親とは生活が合わず、擦れ違っていた。 家に帰ってもメイドや使用人しかおらず、寂しかった。溜まりに溜まった感情の矛先が、弱者に向いてしまった。 元々、頭の悪い子供ではない。これからじっくりと言い聞かせてやれば、礼節も分別も弁えた人間になるだろう。 リリはジェフリーを抱き締めながら、指を弾いた。すると、野良イヌは吼えるのをぴたりと止め、走り去った。 僅かに注ぎ込んだ魔力を抜いたので精神の高揚が収まり、我に返ったのだ。リリは、思念を野良イヌに送った。 もう近くに来ないでね、と竜の力を込めながら伝えると、野良イヌは火が付いたように物凄い速度で逃げていった。 動物を恐れさせることが竜の力の使い方として正しいとは思えないが、他に思い当たらないのだから仕方ない。 「ほら、もう大丈夫よ」 リリはハンカチを取り出して、べとべとに汚れたジェフリーの顔を拭ってやった。 「これに懲りたら、もう弱いものいじめをしちゃダメよ。それと、物事は見た目で判断しちゃいけないわ」 「はい」 涙で詰まった声で答え、ジェフリーはぎこちなく頷いた。 「これ、貸してあげるわ。そんなに汚れた格好で帰ったら、メイドさん達が心配しちゃうもの」 リリは上着を脱いでジェフリーに掛け、前を留めた。少年の体はすっぽり収まり、汚れたズボンも全て隠れた。 「今日はもう、おうちに帰りなさい。この季節は、すぐに暗くなっちゃうからね」 リリは立ち上がると、ジェフリーの乱れた髪をそっと撫で付けた。 「また明日、学校でね」 「…はい」 感謝と羞恥の混じった声で漏らし、ジェフリーは頷いた。リリはトランクを持ち直し、子供達に手を振った。 「じゃあ、また明日ね」 一部始終を見ていたためか、反抗的だった子供達は素直になっていた。だが、それがいつまで続くだろうか。 今回の出来事が、良い方向に転んでくれればいいのだが。リリは若干の肌寒さを感じながら、家路を辿った。 良かれと思って取った行動が、予想と反した結果になることはよくある。特に、子供達が絡むとそうなりやすい。 どの子供でも、リリの予想を遙かに飛び越えた行動を起こすことが多い。かつては、自分も子供だったというのに。 大人になるに連れて、子供の頃の突飛な行動力は消えてしまった。同時に、でたらめな発想も出来なくなった。 子供のままだったら生徒達と付き合いやすいのに、とは思うが、それでは授業が成り立たないので無理だろう。 リリの住む四階建ての共同住宅は、通りから少し引っ込んだ場所に建っている。まだ新しいので、壁も綺麗だ。 赤茶けたレンガ造りの建物で、割と洒落ている。街の中心部に近いので家賃は高めだが、利便性もまた高い。 リリの部屋は四階の角部屋で、日当たりが一番悪い。夏もそれほど日が差さないが、その方が却ってありがたい。 ただでさえ熱が籠りやすい念力発火能力者なのだから、日当たりの良い部屋に住んでいたら自分の熱で煮える。 フリューゲルに魔力を注いで発散しても、限度がある。その部屋に決めた時に、大家には怪訝な顔をされたが。 共同住宅の正面玄関に、人影が立っていた。輝くような金髪と青い瞳を持つ白人青年は、リリに笑いかけた。 それは、同僚の教師、ボリス・フランクリンだった。同じ共同住宅に住んでいるので、顔を合わせても不思議はない。 「お帰り、カーター先生」 「ただいま戻りました、フランクリン先生」 リリは丁寧に頭を下げてから、ボリスの傍を通り過ぎようとした。だが、腕を掴まれ、引き留められた。 「先に報告すべきことがあるんじゃないのか、蛮族」 笑顔を全く崩さぬまま、ボリスはリリに囁いた。リリもまた表情を崩さずに返す。 「特にありませんよ、フランクリン先生。ロイもヴィクトリア姉様もその御子息も、至って平和でしたわ」 「仲間から、先程の出来事の報告は受けている。魔法を使ったのか?」 「いいえ、何も」 リリはきょとんと目を丸め、ボリスを見上げた。ボリスは、かすかに眉根を歪める。 「嘘を吐くな、トカゲ。お前が何かしなければ、野犬が子供を襲うわけがないだろう」 「私は何もしていませんよ」 「野犬を煽って子供を襲うのが教師の仕事か?」 「いつまでも古典的な手段に頼らない方がいいですよ、フランクリン先生。そんなことを言われても、 私は痛くも痒くもありません。そりゃ、この国に来たばかりの頃は子供でしたから、文句を言われれば 気が高ぶって力も出たでしょうけど、私ももう大人です。あまり困らせないで下さい。諜報機関内で確固たる 地位を得るために、私を暴走させて殺処分にしたいのは解りますけど、あまりあからさまな手段に出ないで下さい。 正直、鬱陶しいんですよ。それと、私の部屋にも二度と入らないで下さいね。物が動いていることぐらい、見れば解ります。 誉れ高い秘密諜報員の仕事が単なる女の荒探しなんて、地に落ちましたね」 「いずれお前は殺される身だ」 「御心配なく。あなた方に殺されるほど、私は柔じゃありませんから」 「その減らず口は誰に似たんだろうな」 「ご想像の通り、フィフィリアンヌ大御婆様ですよ。あの人以外には有り得ませんから」 リリはボリスの手を振り払うと、共同住宅の扉を開けた。 「では、また学校で」 リリは後ろ手に扉を閉め、足早に階段を上った。振り返ってボリスが追ってこないことを確かめ、安堵した。 四階の自室に向かって階段を上りながら、呼吸を整えていた。ボリス・フランクリンは教師だが、諜報員でもある。 顔付きは整っていて、態度は穏和で授業が解りやすく、分け隔てなく優しいので、生徒はもとい教師にも人気だ。 だが、その実体は合衆国の諜報機関から派遣された秘密諜報員で、仲間と共にリリを四六時中監視している。 近頃ではリリと接触するようになり、事ある事に煽ってくる。彼の妙な態度から、合衆国の焦りが伝わってきた。 国際政府連盟に媚を売るためにリリらを受け入れてから二十年以上が過ぎ、さすがに合衆国も持て余してきた。 連合軍と国際政府連盟が立ち上げた共和国新政府は過去を教訓に、人外達に歩み寄る姿勢を見せ始めた。 それは、フィフィリアンヌの隙のない弁舌と理論によって果たされたものであり、大きな進歩には違いなかった。 共和国新政府は敗戦国であるために力と資金こそないものの、国際政府連盟に支えられて復興しつつあった。 同時に、フィフィリアンヌが新政府を利用して成し上げつつある、人外を受け入れる世相が広がり始めている。 といっても、すぐに全ての人外が人間と同様に扱われるわけではなく、これまでよりマシという程度でしかない。 だが、進歩は進歩だ。結果、三人を受け入れたことで、合衆国が握ったと思っていた共和国の弱みが薄れた。 共和国新政府は国外退去処分を解除する意志を示しつつあるが、合衆国は聞き入れず、帰国を認めなかった。 誰か一人でも不祥事を起こせば、即座に共和国と国際政府連盟に抗議して、賠償金を巻き上げるつもりだった。 しかし、当初の予想に反して三人と一体は一般社会に順応してそれなりの人生を歩み、ついに子供まで設けた。 だが、合衆国は賠償金を巻き上げる計画を諦めていないらしく、ボリスを始めとした諜報員を派遣し続けている。 国外退去処分解除の姿勢を示したとはいえ、共和国新政府は及び腰だ。だから、今のうちに攻めるつもりなのだ。 いつのまにか、リリらは国家同士の根比べに挟まれていた。こうなってしまっては、最早個人では何も出来ない。 これが落ち着くまでは、行動を起こすことは無理だろう。正義の味方になりたくても、今ばかりは我慢するしかない。 自室の鍵を開けて部屋に入ると、ほっとした。リリはトランクを床に置いてから、窓際のソファーに座り込んだ。 ロイズとヴィクトリアと話し込めて楽しかったし、サミュエルもダンも可愛かったが、長旅を終えると疲れてしまう。 機関車の座席で縮こまっていた手足を目一杯伸ばしていると、影がぐにゃりと歪み、フリューゲルが頭を出した。 「ボリスの野郎、マジウザいんだぞこの野郎」 「でも、手を出しちゃダメだからね」 リリは背もたれに身を預け、背骨を伸ばした。フリューゲルは、少し不満げに呟く。 「それぐらい解ってる。でも、ウザいのは本当なんだぞこの野郎」 「うん。でも、今はどうでもいいや。そういうことを考える気分じゃないから」 リリはカーテンを引いて窓を開け、埃の舞う室内を暖める日差しを浴びた。 「サム、可愛かったね」 「うん。オレ様もそう思うんだぞこの野郎」 「ロイとヴィクトリア姉ちゃん、本当に幸せそうだった。ううん、幸せで当たり前なんだ。二人とも、凄く辛い思いを してきたんだもん。幸せになれなきゃおかしいよ」 「じゃあ、リリはどうなんだ?」 「私? もちろん幸せだよ。フリューゲルと一緒にいられて、先生にもなれたんだから」 リリは上体を起こし、フリューゲルに笑みを向けた。フリューゲルも、にたりと赤い瞳を細める。 「オレ様もだぞこの野郎。リリと一緒にいられれば、それでいいんだ」 「ウィータに、ギルバートに、サミュエル。それと、ローガンもね」 傾き始めた太陽から伸びている強い日光が、カーテンに遮られて糸のように細くなり、リリの頭上を抜けていた。 「こうやって、命が繋がっていくんだね」 リリは手を伸ばし、光の糸を受け止めた。手の甲に、眩しい光の点が落ちる。 「まるで、糸を寄り合わせていくみたい。私達も少し前まではそうだったんだよね。そう思うと、なんだか不思議だな」 「くけけけけけけけけけけけけけ! 何がどうだって、生きてんだからそれでいいんだぞこの野郎!」 「うん、そうだね」 リリは光の糸を握り締めてから、ソファーから下りてフリューゲルに近付いた。 「明日から、また一緒に頑張ろう。フリューゲル」 「おう! リリが頑張るんだ、オレ様も頑張る!」 大きく頷いたフリューゲルを、リリは抱き締めた。 「大好きだよ、フリューゲル」 「オレ様も、リリが大好きだ」 フリューゲルの細く長い腕が回され、リリの体は銀色の翼に包まれる。リリは彼のマスクに口付けると、 フリューゲルの指の少ない手がリリの頭を支えて口付けは深まり、溢れ出しそうな魔力を鋼鉄の鳥人に注いだ。 無性に胸が詰まって、訳もなく涙が溢れてきた。リリは目元を拭おうとしたが、フリューゲルの手の方が早かった。 表情が出ないはずなのに笑っているように見えるフリューゲルと見つめ合い、リリは頬を緩めて、再度口付けた。 命を繋ぐ糸。心を結ぶ糸。正しい未来を手繰り寄せる糸。だが、それは脆弱で、気を抜けばすぐ切れてしまう。 リリもロイズもヴィクトリアも、そしてフリューゲルも、現実と必死に戦って求める糸を掴み取り、懸命に歩いてきた。 今度は、その糸を次の世代に渡す番だ。それはウィータであり、ギルバートであり、ローガンであり、サミュエルだ。 だがそれは、自分達の戦いまでもを彼らに引き継がせることになる。そうさせないためにも、現実と向き合おう。 一瞬でも逃げたら、全ては終わりだ。ギルディオスが勝ち取った未来を、フィフィリアンヌが守ってきたのだから。 弛まず、拒まず、生き抜こう。 時は過ぎ、かつての子供達は大人になり、己の道を歩んでいく。 幼き日の夢は叶うも、訪れるのは甘き幸福ではなく、辛き現実ばかりだった。 同胞との絆を握り締め、鋼の恋人に支えられ、故郷の土を踏む時を望みながら。 竜の娘は、生き続けるのである。 08 1/24 |