ロザリアは、微睡んでいた。


上質な枕に顔を埋め、浅い眠りを味わっていた。枕の下に仕込んである銃の硬さを感じ、内心で悦に浸る。
生暖かい体温が染み付いた布団を引き上げようとすると、背後から腕が伸びてきた。細い手首を、掴まれる。
考えなくとも、その手の主は解っていた。彼は、彼女の腕を引き寄せながら腰に腕を巻き付け、胸に納める。
互いの素肌が触れ合い、鼓動が僅かに伝わってくる。ロザリアの滑らかな肩に、グレイスは顔を寄せてきた。

「起きちまうのか？」

身を捩ろうとしても、グレイスの腕は緩まない。それどころか、ロザリアの肉の薄い腰に手を這わせてくる。

「ちったぁ付き合ってくれよ。昨日今日とアルっちの試運転で外に出ずっぱりだったんだから」

手の位置は下げられ、太股の内側を指先がなぞっていく。

「なぁ、ロザリア？」

「昨日の夜中に散々やったじゃないの。よく枯れないわね、あんた」

ロザリアはグレイスの手を引き剥がしてから、眉を曲げた。グレイスは妻を解放し、仰向けになる。

「だって、楽しいじゃんか。オレはな、楽しくて面白けりゃいくらだって出来るのさ」

「だからってねぇ…」

続きを言おうとして、ロザリアはため息を漏らした。毎度のことながら、彼の調子に合わせ続けられない。
そもそもの体力が違う。グレイスは七百年以上長らえているのに少しも衰えておらず、身も心も若いままだ。
その上、過剰なまでに漲っている魔力のおかげで、常人以上の精神力と持久力を持ち合わせているのだ。
人間を越えた存在であるグレイスに、体は普通の人間であるロザリアが、付き合いきれるはずがない。
少しは考えてよ、と思いながら起き上がったロザリアは、ベッド脇に放り投げてあった上着を拾い、羽織った。
すると、背中に温かな重量がやってきた。体重を掛けられて前のめりになり、ロザリアは背後の夫を見上げる。

「ちょっと」

「三つ編み、してくんないのかー？」

グレイスは自分の長い黒髪を、一束つまんで持ち上げた。ロザリアは、顔を逸らす。

「私より、レベッカの方が上手でしょうが」

「解ってねぇなぁ。お前にやってもらうことにまず意義があって、結果がどうこうとかじゃねぇの」

してくれよぅ、とグレイスは子供のように拗ねた。ロザリアは上着の前を掻き合わせ、衣装棚を指した。

「解ったわよ。でも、その前に着替えさせてちょうだい」

「久々に警官服とか出してみるかー？　でもって、その格好でオレを足蹴にしてみたりとかしない？」

「誰もしないわよそんなこと。ていうか、されたいの？」

「ちょっとはね」

と、グレイスはけらけらと楽しげに笑った。全く、とロザリアは背中に貼り付いている夫を押し退けた。

「ほら、離れて。着替えなきゃどうしようもないでしょうが」

ロザリアはベッドから下りると、部屋履きを履いた。大きな衣装棚まで歩いていくと、扉を開いて服を出した。
乱暴に服を取り出しては、放り投げている。彼女は着るものにあまり頓着しないので、選ぶというより出すだけだ。
一通り出してから、上着を脱ぎに掛かった。前を遠慮なく開いて肩を下げ、するりと袖を腕から抜いて落とす。
朝日の輪郭を纏った、均整の取れた影が浮かび上がる。しなやかで無駄のない肢体を、グレイスは眺めていた。
その肢体が、服によって隠されていく。下着を身に付け、スカートを履き、上着を羽織り、靴を履き込む。
襟元から長く艶やかな黒髪を引き出すと、背中に流した。櫛を取って鏡台の前に立ち、慣れた手つきで整える。
寝癖の付いた前髪を直してから、ベッドの方へと向いた。グレイスの服をいくつか引っ張り出すと、放り投げる。

「さっさと着なさい。だらしないんだから」

「オレが自堕落なのは今に始まったことじゃないんだがなぁ」

ベッド脇に散らばった服を引き寄せたグレイスは、仕方なしに着始めた。あまり着ないでいると、彼女がうるさい。
シャツに袖を通してスラックスを履き、ベルトを締める。襟元に入った長い髪を出し、枕元から丸メガネを取る。
度の入っていないメガネを掛けていると、ロザリアが戻ってきた。櫛と縛り紐を持ってくると、ベッドに腰掛ける。

「あっち向いて」

ロザリアに肩を押され、グレイスは彼女に背を向けた。櫛が髪に通され、時折引っかかりながらも梳いていく。
乱れていた部分が整えられると、グレイスの髪は三つの髪束に分けられた。首の後ろを、彼女の指がまさぐる。
そのむず痒さでグレイスが首を縮めると、ロザリアは心外そうにした。むっとしながら、量の多い髪を編んでいく。

「だから言ったでしょうが。分けるのが下手なのよ」

どこか気恥ずかしげなロザリアの声に、グレイスはにやけていた。得意でないことをやらせることが、楽しいのだ。
料理にせよ髪の編み方にせよ何にせよ、不得意なことに懸命に取り組むロザリアの姿は、愛らしくてならない。
普段は変わらない表情にも変化が起きて、澄ました雰囲気が消える。それは、竜の少女に通ずるものがあった。
ロザリアとフィフィリアンヌは、存在も性格も似ても似つかない女だが、その言動だけは多少近しいものがある。
あまり丁寧とは言い難いが形にはなっている三つ編みを編み上げたロザリアは、その先を紐で縛り、身を下げる。

「はい、出来た。なら、もういいでしょ」

「うん。いい感じ」

ありがとなー、とグレイスは三つ編みを肩に乗せると、ベッドから下りた。革靴を履き、灰色の上着を羽織る。

「なぁ、ロザリア。オレの仕事、手伝ってくれるか？」

グレイスは普段と変わらぬ笑顔で、ロザリアに手を差し伸べた。ロザリアは、その手に手を伸ばす。

「今度はどこへ行くの？」

「ウェルロギア山脈の魔導鉱石鉱山の街、ロギルさ」

グレイスは妻の手を引いて、ベッドから立ち上がらせる。

「そこの鉱山を実質的に支配している、共和国議会議員の暗殺依頼だよ。鉱山商業組合からのな。呪詛の準備と発動までに三日ぐらい掛かっちまいそうな仕事だが、割と面白そうだとは思わねぇか？」

「私向きじゃないわね。石だらけの場所だったら、私よりもレベッカが適任よ。石と土はあの子の眷属でしょう？」

ロザリアはグレイスの顔を両手で挟むと、引き寄せる。

「だから、この仕事は遠慮しておくわ。議員相手にぶっ放しても、あんまり面白くないもの」

「そっか。んじゃ、また今度な」

グレイスは身を屈めると、ロザリアに深く口付けた。開き掛けている唇を舌で割り、下唇を軽く噛んでやる。
鼻に掛かった吐息が漏れ、彼女はかかとを上げた。慣れた仕草で互いの舌を絡め合い、抱く腕に力を込める。
ひとしきり愛し合ってから、離れた。グレイスはロザリアの髪を乱し、顔を上向けさせてから笑いかける。

「なんだかんだ言って、好きなんじゃねぇか」

「嫌いじゃないもの。グレイスが相手なら」

ロザリアが少し気恥ずかしげに笑うと、グレイスは妻の頭を胸に押し当てた。

「あーもう、可愛い！」

「早いところ、行かなくていいの？　ロギルは大分遠いから、機関車に乗り遅れたら後が面倒よ」

ロザリアはグレイスを見上げ、置き時計を指した。グレイスは名残惜しげに、妻を抱き締めていた腕を緩めた。

「本当なら、このまんま連れてっちゃいたいんだがなぁ」

「帰ってきたら、またいくらでも付き合ってあげるわよ」

グレイスの腕から脱したロザリアは、彼に背を向けた。グレイスは渋々妻から離れ、コートを肩に担ぐ。

「その帰ってくるまでが、結構しんどいんだぜー？　寂しくってさぁ」

「それくらい我慢しなさい。子供みたいなこと言うんじゃないの」

ロザリアが強く言うと、グレイスはのろついた足取りで寝室の扉に向かい、扉を開けてから彼女に振り返る。

「それじゃ、お前は寂しくないのかー？」

「そりゃあ、まぁ」

ロザリアが小さく呟くと、グレイスは満足げに笑った。片手を挙げ、振ってみせる。

「んじゃ、三日ぐらいしたら帰ってくるから。ヴィクトリアと一緒に留守番しててくれよな」

「ええ」

答え終わらないうちに、グレイスは扉を閉めていた。足音はすぐに聞こえなくなり、弱い風音が抜けていった。
大方、魔法でも使ったのだろう。それが彼の常套だ。ロザリアの知らない魔法を、容易く使ってみせる。
時折この城にやってくる竜の少女や重剣士の甲冑は、それを物臭だと言うが、ロザリアはそうは思わなかった。
以前に、二人で戯れている際にグレイスが説明したのだ。何事に置いても気を抜かないために使うのだ、と。
せっかく磨いた魔法の腕を錆び付かせてしまっては勿体ないし、いつも使っていれば忘れやしない、のだそうだ。
同じだ、と思った。ロザリアはベッドに近寄ると、枕を上げてその下に隠しておいた回転弾倉式の拳銃を取った。
乱射の快楽に溺れるために、拳銃を撃ち続けているが、鍛え上げた射撃の腕を落とさないためでもあるのだ。
手に伝わる鉄の冷たさと、手首に掛かる重みが心地良い。弾倉を開き、弾が装填されていることを確かめる。
じゃきり、と弾倉を中に戻した。ベルトにホルスターを付けて、そこに銃を差し込むと、扉へと歩き出した。
幼い娘の様子を、見に行かなくてはならない。


ロザリアが子供部屋に行くと、娘は大人しくしていた。
夫婦の寝室とほぼ同等の広さの部屋の中央に、娘がちょこんと座っている。その傍らに、妙なものがあった。
変な方向に首を折り曲げられた、銀色の骸骨だった。アルゼンタムは、アーウーオー、と脱力した声を漏らした。
頭から真っ逆さまに床に叩き付けられ、その拍子に首が曲がってしまったようで、仮面がずれ落ちかけている。
上下逆さまのアルゼンタムの隣に、幼児は無表情で座っていた。新品のぬいぐるみに、寄り掛かっている。
父親譲りの灰色の瞳が、真っ直ぐに天井を見上げた。直後、アルゼンタムは跳ね上がり、ぐきりと腰が折れた。

「ウギャオォウ！」

「なーに遊んでるの、ヴィクトリア」

扉を閉めてから、ロザリアが苦笑すると、娘、ヴィクトリアは母に目を向けた。表情が緩み、目元が笑った。
すると、アルゼンタムの腰は元に戻った。銀色の骸骨は倒れるように座り込み、捻られた首を指先で押さえる。

「イィーテェー…」

「あなたも馬鹿ね、アルゼンタム。何度もやられてるくせに、まだこの子に立ち向かう気？」

ロザリアが娘を抱き上げると、アルゼンタムは立ち上がり、喚いた。

「当然当然当然ダゼィイイイイ！　オイラはナァー、そいつに負けてばっかでツゥマンネェンダヨォオオオオオオ！」

途端に、アルゼンタムの肩が独りでに捻られた。アゥオ、と銀色の骸骨は半身を下げ、よろけてしまう。
ヴィクトリアの目は、また無表情に戻っていた。その視線が動いた先のアルゼンタムの肘が、逆に曲がる。
また、甲高い悲鳴が上がった。痛ェ痛ェゼ痛過ぎるゥウウウウ、と彼はぎちぎちと軋んでいる肘を押さえた。
ロザリアは、ヴィクトリアの柔らかい黒髪を撫でた。幼児は丸っこい目を母に向け、言葉にならない声を出す。
幼児の目線が外れると、アルゼンタムの肘も肩も元に戻った。だが、体中の痛みのせいで膝を付いてしまった。
先程から痛め付けられた腰や膝が、自重に耐えられなくなりそうだった。それほどまでに、この幼児は凄まじい。
うー、あー、としがみ付いてくるヴィクトリアを軽く揺らしてやりながら、ロザリアは無性に可笑しくなって笑った。

「いくら魔法が通じないっていったって、中の力そのものを曲げられちゃ、形無しね」

「ウゥルセェエエエエエ！　ンーナ攻撃、ドォッテコトネェんだヨォオオオオオオ！」

がち、とアルゼンタムが立ち上がろうとしたが、右膝の繋ぎ目が緩んだ。腿と脛を繋げている部品が、抜けた。
強引に曲げて伸ばそうとしたが、ネジが回って抜け、バネが飛び、がしゃっ、と膝から下が外れてしまった。
あら、とロザリアが面白そうにした。外れてしまった右足を掴んだアルゼンタムは、左足だけで立ち上がる。

「イイ加減にしやがれッテンダヨォオオオオ！」

体を傾げて勢いを付け、飛び出そうとした。だが、片手をロザリアの胸元へ伸ばしたところで動きが止まった。
アルゼンタムの胸元に、ロザリアの銃口が当てられていた。緑色の魔導鉱石が、硬い銃口に押さえられている。
彼女は、アルゼンタムが飛び掛かるより速く、銃を抜いていた。彼はそっと目線を下げ、仮面の下で顎を閉じる。

「ウー、オー…」

「撃っちゃおうかしらねぇ。今ならあの人もいないし、不幸な事故だーって言えば許してくれると思うわ」

引き金を絞る人差し指に力を込めながら、ロザリアは涼しく笑む。アルゼンタムは、左足で跳ねて後退する。

「エーゲツネェーゾォーオイー」

「あら、指が」

ロザリアは澄まし、銃口を少し上げた。躊躇なく引き金が押し込まれた途端、発射された弾丸が装甲に当たる。
かん、と鉛玉は弾かれ、壁に当たった。銀色の胸装甲に黒ずんだ弾痕が付いた位置は、魔導鉱石の真横だった。
びりびりと響く衝撃と痛みに、アルゼンタムは仰け反っていた。徐々に姿勢を戻してから、赤子を指差す。

「ガキの鼓膜ゥー、ヤァーブレルゼェー…」

「大丈夫よ。その辺は抜かりないから」

ほら、とロザリアはヴィクトリアの耳元の髪を掻き上げた。小さな耳の穴を、丸められた綿が埋めている。

「耳栓させてあるから」

「ソーイウ問題ジャネェダロォオオオオオ！」

「じゃあ、どういう問題なのよ」

ロザリアがしれっと返すと、アルゼンタムはぴょんぴょんと跳ねて後退した。

「オイラに聞ィークナァー…」

「じゃあ尋ねないでよ」

馬鹿馬鹿しげに、ロザリアは顔を背けた。ヤッカマシィイイイ、と叫びながら、アルゼンタムは仰向けに倒れた。
がっしゃん、とけたたましい金属音が轟き、アルゼンタムは動かなくなった。というより、動けなくなった。
右膝どころか、両肘と左膝の関節までもが外れてしまった。今頃になって関節が緩み、抜け落ちてしまったのだ。
外れた両手両足が、空しく床に転げる。無惨な姿のアルゼンタムに、ロザリアは再び銃口を向け、薄く笑う。

「じゃ、お休み」

「ウワォウォワオウォオオオオゥ！」

アルゼンタムが絶叫したのと同時に、ロザリアのしなやかな人差し指は、黒光りする引き金を絞り切った。
空気を震わす破裂音の後、狂った笑みを浮かべる仮面がずれた。丁度、眉間の位置で、鉛玉が潰れている。
頭部全体が痺れてしまったことと破壊されてしまう恐怖で、アルゼンタムは声を漏らすことなく、昏倒した。
ごとっ、と後頭部を床に打ち付けてから、銀色の骸骨は首を傾けた。どうやら、完全に気を失ったようだった。
硝煙を立ち上らせる銃口を吹き、ロザリアは微笑んだ。こんなに愉快なおもちゃを、簡単に壊すわけがない。
容易く破壊してしまっては、面白みがないではないか。やかましくて鬱陶しいが、丈夫であるから楽しめる。
人間と違って急所を撃っても死にはしないし、どれだけやられても修理すれば復活するのだ。最高ではないか。
だが、この続きはアルゼンタムが目覚めてからだ。手足も付けて動けるようにしてやらないと、いたぶれない。
揺らしているうちに眠ってしまったヴィクトリアを抱き締めながら、ロザリアは拳銃をホルスターに戻した。
子供部屋には、濃厚な硝煙の匂いが漂っていた。


柔らかな日向の中で、アルゼンタムは目を覚ました。
仮面の下にある魔導鉱石の瞳を、ぐりっと動かしてみた。子供部屋の窓際に放り投げられ、仰向けに寝ていた。
離れた場所から、ロザリアの穏やかな声がする。目線をベッドに向けると、彼女はそこで娘に絵本を読んでいた。
普段は冷たいほどに取り澄ましている声が優しく、愛情が滲んでいた。本を読んでいる彼女の表情も、柔らかい。
アルゼンタムは、両肘の先と両膝から下に意識を送ってみた。期待していなかった感触があり、肘が曲がった。

「アーオー？」

かくっと肘が折れ曲がり、目の前に大きな手が現れた。鋭い刃物を備え付けた指先を蠢かせ、軽く擦り合わせる。
硬質な音がし、指の根元まで意思のままに曲がる。アルゼンタムは膝を曲げて起き上がり、両腕を動かしてみた。
修理されていた。グレイスよりも若干きつめにネジが締められていたが、それでも、動作には支障がなかった。
装甲がずれてしまいそうなほど魔力をぶつけられた腰も、何度も曲げられた首も、肩も、元に戻っていた。
傍らには、アルゼンタムの設計図が散らばっている。写しのようで、印刷が粗かった。工具箱も、置いてある。
設計図には、グレイスの下手な字で書き込みがされていた。どこをどう直せば元に戻るか、的確に書いてある。
そして、工具箱からは、工具が放り出されたままだった。状況からして、ロザリアが修理したに違いないだろう。
アルゼンタムはほんの少し嬉しくなりながら、銃撃の衝撃でずれていた仮面を元に戻し、威勢良く立った。

「うかかかかかかかかっ！」

「あら、起きたの」

ロザリアは膝の上に座らせていたヴィクトリアを下ろすと、おもむろに拳銃を抜き、引き金を引いた。

「じゃ、目覚めの一発」

「アゥオ！」

発射された弾丸は、かいん、とアルゼンタムが逸らしていた顎に当たって跳弾した。跳ねた鉛玉は、壁に飛んだ。
外壁と同じく灰色の石で出来ている壁には、弾痕とヒビが作られた。アルゼンタムは顎をさすり、身構える。

「ナァーンノツゥモリだーァー？」

「調教よ」

さらりと答えたロザリアは、拳銃の弾倉を開いた。六つの薬莢を抜くと、ポケットから取り出した弾丸を差し込む。

「どんな獣だって、何度も痛め付ければ誰が主人か解るって言うじゃない」

「ハッハッハァーン？　オイラを従わせることが出来ンノハァ、グレイスの野郎と黒幕の野郎ダァーケサァー！」

両手を広げて踏み出そうとしたアルゼンタムに、ロザリアは銃口を向ける。

「じゃ、私が三人目でヴィクトリアが四人目ね」

「ウギョッ！」

股関節に鉛玉が食い込み、アルゼンタムは身を捩った。間髪入れずに、口の中、目の間際、首筋に当たる。
少しでも身動きしようとすると、すかさず銃声が轟いた。アルゼンタムの指先が動いただけで、発射される。
それが、しばらく続いた。ロザリアはにまりと笑みながら、急所を寸分違わない位置で狙い撃ち、当ててきた。
合計、十二発の弾丸が銀色の骸骨を抉っていた。中には何度も同じ箇所を撃ったせいで、へこんだ部分もある。
アルゼンタムは、全身に残滓する着弾の余韻の中、固まっていた。どこかが動けば、また撃たれてしまうからだ。
ロザリアは銃を下ろし、じゃらじゃらと薬莢を抜いた。また新しい弾丸を取り出すと、弾倉に差し込んでいく。
装填を終えた銃をベッドの布団に置くと、どこか楽しげにしているヴィクトリアを抱き上げて、膝の上に座らせた。
白い服を着せられた人形のような幼児の前に、母の手によって絵本が開かれた。母は、その中身を読み上げる。

「遠い遠い、昔のことでした。あるところに、見た目は怖いけれど、心の優しい魔物の子がいました」

穏やかな声を聞き流しながら、アルゼンタムは動きたいのを堪えていた。少しでも動けば、また撃たれてしまう。
ロザリアは横目にアルゼンタムを一瞥してから、また絵本に戻した。手製の絵本には、柔らかな絵が描いてある。
色鉛筆によって描かれている絵は、青々と茂った野原だった。そこに、背中に八本の足を生やした魔物がいる。

「その魔物の名前は、スパイドと言いました。クモの魔物と人間の合いの子で、人によって造られた魔物でした」

ロザリアは、ページをめくる。

「スパイドはとっても泣き虫で怖がりな男の子でしたが、優しい子でした。ですが、スパイドには十の目と十の手足が付いているせいで、人間達から怖がられていました。その日も、スパイドは人間の街から追いやられてしまい、一人になっていました」

次のページでは、人型のクモの魔物、スパイドは野原の川べりにしゃがんでいた。

「スパイドは、体は立派な大人でしたが、本当は小さな子供です。だから、誰かと一緒に遊びたくて仕方ありません。ですが、街に行けば、また追い出されてしまう。だからいつも、一人でいました。いつも、自分だけが友達でした」

その隣のページでは、スパイドは小川を覗き込みながら泣いていた。背中の八本の足も、へたれている。

「どうして、僕に友達は出来ないんだろう。どうして、僕だけが一人でいなきゃならないんだろう」

ロザリアはページをめくり、次の絵を出した。スパイドは、自分の口から出した糸であやとりをしている。

「僕は魔物だけど、僕には人間の血が流れているのに。言葉だって知っているし、色んな遊びだって出来るし、お兄ちゃんやお姉ちゃんよりも弱いけど戦うことだって出来る。なのに、どうして、誰も友達になってくれないんだろう」

その隣のページでは、スパイドはクモ糸のあやとりを広げ、チョウやカマキリなどを捕まえて食べていた。

「好きなものが悪いのかな？　僕は虫を食べるのが大好きだけど、それがいけないのかな？」

次のページでは、スパイドは首をへし折られた魔物の死体を見下ろしている。彼の両手は、血に汚れていた。

「戦えるのが悪いのかな？　体の中に毒を持っていることが、いけないのかな？」

その隣のページのスパイドは、夜空を見上げていた。

「魔物なのに、喋るのが悪いのかな。背中に八つも足が生えているのがいけないのかな。目が十個もあるのがいけないのかな。そうして、スパイドは夜になるまで考え続けましたが、結局答えは出ませんでした。夜空にぽっかり浮かんだ満月を見上げながら、スパイドはじっと座っていました」

ロザリアは絵本に見入るヴィクトリアを抱きながら、更にページをめくった。

「すると、どこからか女の子がやってきました。桃色の髪をくるんくるんに巻いた女の子が、スパイドに言いました」

その少女はメイド服姿で、レベッカだった。ロザリアは、固まったままのアルゼンタムをちらりと見た。

「あなたは悪くないですー。悪いのは人間ですー。見た目ばかりで怖がって、中を見ようとしない方が悪いんですー」

ロザリアは声を裏返し、レベッカの声真似をしていた。また次のページをめくろうとしたが、その手を止めた。
彼女の鋭い瞳が、微動だにしない銀色の骸骨を捉えた。アルゼンタムは内心でびくりとしたが、動かなかった。

「ンーダヨォー…」

「いつまでそうしてるつもりなのよ。ちょっとは動きなさいよ」

「動いチマッタラ撃たレンダロウガヨォオオオオ！」

苛立ちながら叫んだ拍子に、アルゼンタムは首を前に突き出した。ロザリアはすかさず銃を上げ、微笑む。

「あら。解ってきたじゃない」

「イヤァオ！」

胸の魔導鉱石を狙われたので、アルゼンタムは飛び退いた。ロザリアは銃を上向け、人差し指を立てている。

「まだ引き金に指も掛けてないのに。焦り過ぎじゃない？」

「…ウゥルセェエエエエエエエ！」

アルゼンタムはなるべく声色を変えず、甲高く張り上げた。怯えを殺し、両手の指を思い切り広げる。

「撃たれる前に切っちまえばイイッテコトダロォガァアアアアア！」

「出来るかしらねぇ、それが」

婉然と、ロザリアは唇を舐める。ルッセェエエエ、とアルゼンタムは床を蹴って跳ね上がり、姿勢を曲げる。
銀色のマントを揺らめかせ、ロザリアのいるベッドへ頭を突き出す。鋭い切っ先を持つ指が、彼女へと向かう。
そのまま、落下の勢いで飛び掛かろうとした。が、ぐきりと手首がねじ曲がって体が捩られ、背中から床に落ちた。

「ウアォッ」

「馬鹿ねぇ」

ロザリアは、呆れたようにため息を零した。母の膝の上に座っている幼子の目線は、床に向かっている。
その先で、銀色の骸骨は仰向けに倒れていた。がちがちと顎を震わせながら、逆に捻られた手首を見下ろした。
一瞬、気を逸らしただけなのに。ロザリアに飛び掛かる瞬間、ヴィクトリアへの注意が逸れてしまったのだ。
その隙を確実に狙われ、また、体内の魔力を操られてしまった。それも、一歳になったばかりの赤子によって。
おかしな方向に曲がった手首から、じわじわと痛みが広がる。散々撃たれた装甲には、熱と弾痕が残っている。
天井を見上げていると、次第に視界がぼやけてきた。体内の魔力をいじられ過ぎて、感覚が乱れてきたのだ。
次第に気が遠くなりながら、アルゼンタムはロザリアが娘に絵本を読み聞かせる声を、漠然と聞き流していた。
徐々に、確実に、彼女達に対する恐怖が湧き出してきた。アルゼンタムは逃げ出したかったが、出来なかった。
動いてしまえば、また撃たれてしまうからだ。




三日後。グレイスは、灰色の城に帰ってきた。
レベッカの操る蒸気自動車が、下ろされている跳ね橋の前に止まった。白く熱い空気が、蒸気機関から漏れる。
後部座席にひっくり返っていたグレイスは、起き上がった。報酬の札束が詰まったトランクを、外へ投げる。
先に降りていたレベッカはそのトランクを掴み、後部座席の扉を開けた。眠たげなグレイスは、車から降りた。

「さすがに三日もぶっ飛ばして魔法使いまくりだと、ちょっとしんどいな」

「でもー、御主人様はー、そのままロザリアさんを押し倒しちゃうんですよねー？」

レベッカがにっこり笑うと、まぁな、とグレイスは照れくさそうにした。

「溜まるんだもんよ」

グレイスは片手を挙げて、ぱちん、と指を弾いた。跳ね橋を吊り上げている鎖と歯車が、独りでに動き出した。
ぎちぎちと太い鎖が軋みながら、跳ね橋が下りてきた。灰色の城を守る門が現れ、その奧の前庭が見えてくる。
跳ね橋が三分の一ほど下りた頃、その上を何かが駆けてきた。銀色の影は跳ね橋を蹴ると、堀を飛び越えた。
銀色のマントをなびかせ、一直線にグレイスの元へ降ってきた。レベッカはトランクを放り、両腕を前に出す。

「はいっ」

小さな手の指先から伸びた爪が、銀色の影を捉えた。長く鋭利な爪が細い首を挟み、関節の隙間に食い込む。
空中で動きを止められたものは、ぶらりと両腕を垂らした。レベッカは、銀色の骸骨をぞんざいに地面に投げた。
けたたましい金属音を立てながら転んだアルゼンタムは、体を起こした。レベッカは、彼の仮面に爪先を向ける。

「アルゼンタムー。あなたー、御主人様に楯突こうなんてー、いい度胸じゃないですかー」

「違う違うぜ違うんだヨォ御主人様ァ…」

ふるふると震えながら、アルゼンタムは跳ね橋の向こう岸を指した。そこには、主の妻子が待っている。

「オイラー、アイツラー、コワイヨー」

「裏声になるほど怖いのか」

「オゥイエー！」

親指を立てたアルゼンタムは、勢い良くグレイスに振り向いた。グレイスは、アルゼンタムを眺め回してみた。
銀色の骸骨の装甲は、至るところが黒ずんでいて汚れていた。歪んでいる部分もあるし、へこんでいたりもする。
特に、弱い部分である関節を重点的に攻められていた。弾痕と思しき傷も、首や肩の関節に集中している。
傷の量やへこみの具合から察して、一日だけのことではないだろう。恐らく、三日間に渡って攻められたのだ。
しかも、本能のままに動くアルゼンタムに恐怖を覚えさせるほどに。余程、壮絶な三日間だったのだろう。
グレイスは少しばかりアルゼンタムに同情したが、すぐにそれは消えた。橋の向こうの妻は、幸せそうだった。
幼いヴィクトリアを胸に抱き、満ち足りた微笑みを浮かべている。ロザリアはグレイスを見つめ、目を細めた。

「お帰りなさい」

彼女の声は、ぞくりとするほど色を含んでいた。グレイスは地面からトランクを拾うと、笑い返す。

「おう。ただいまぁ」

グレイスは橋を渡り、妻の元へとやってきた。ロザリアは快感に浸り切った顔をして、恍惚に目を潤ませている。
トランクを足元に置いたグレイスは、妻の頬に手を当てた。ロザリアは夫の手に頭を預け、声に悦楽を滲ませた。

「グレイス。最高よ、あれ」

「どれだけ撃った？」

グレイスは、妻の顎を上向けさせた。ロザリアは、にっこりと笑う。

「五十くらいかしら」

「肩も耳も平気か？　いかれてたら治してやるぞ」

「平気よ。私がそんなに下手なわけないでしょ」

ロザリアは夫の胸に頭を預け、口元を綻ばせる。そうかそうか、とグレイスはにやけながら彼女を抱き締めた。
甘えるように額を押し付けてくるロザリアが、愛らしくてたまらない。快楽に浸る表情が、扇情的で仕方ない。
二人の間に挟まれているヴィクトリアを撫でてやりながら、グレイスが後方を窺うと、銀色の骸骨が叫んだ。

「ナァオイナァナァ御主人様ヨォオオオ！　オイラを痛めてくれやがったソイツラ、喰わせてクレヨォオオオ！」

「喰う前に、鉄屑にされるのがオチだろ？　無理すんなよ、アルっち」

グレイスがやる気なく返すと、アルゼンタムは力なく座り込んだ。アーウー、と項垂れていく。

「ジャ、ジャア、せめて撃たないデェーって言ってクーレヨォー…」

「やだね。んなことしたら、ロザリアが欲求不満で人を狙い撃ちしちゃうじゃんか。そっちの方がいけないじゃん」

大事になるから、と彼は首を横に振る。アルゼンタムはその背に手を伸ばすが、呪術師の姿は遠のいていた。
ぱたりと手を下ろしたアルゼンタムの横を、レベッカが歩いていった。片手で、蒸気自動車を引き摺っている。

「それではー、わたしも行かなきゃなのでー」

ごとごとと四つの車輪を鳴らしながら、重々しい蒸気自動車は、幼女に引き摺られて跳ね橋を渡っていった。
蒸気自動車が遠くなった頃、アルゼンタムはやっと我に返った。絶望感と空しさが、魂の底から込み上げてきた。
立ち上がり、顔を上げた。目の前のそびえる灰色の城を仰いでいたが、目線を下げ、両手を広げてみた。
銀色の手。刃物ばかりが付いている指。散々痛め付けられたせいで歪んでしまった関節。そして、胸の魔導鉱石。
魔導鉱石に触れてみると、冷ややかな感触しか伝わってこなかった。温かみのない、無機と無機が触れている。

「オイラァ…」

ぎち、と首を回した。なだらかな坂から細い道が下りていて、城壁に囲まれた旧王都に繋がっている。

「ナンナンダァーヨォーウ…」

少なくとも、この城に住まう存在ではないようだ。そもそも、自分はどこからやってきて、なぜここにいるのだろうか。
思い出してみようとするが、思い出せない。というより、何もない。空虚な暗闇しか、思い浮かんでこなかった。
激しく打ち寄せてくる絶望の波が、その闇を深めていた。春の匂いを運んできた風が、金属の体を舐めていく。
次々に、疑問が湧いては消え、消えては浮かんできていた。だが、思考が巡るより先に、衝動が迫り上がってくる。
喉が渇き、腹が空き、飢餓感に襲われ始めた。彼女らへの恐怖が、それを更に相乗させて強烈なものとなった。
今まで恐怖に押さえ付けられていた衝動が、噴き出してくる。アルゼンタムは土を蹴り、坂を駆け下りていった。
甲高い叫声を放ちながら、本能が示すままに、力を喰らうための狩りに向かう。いつしか、疑問は消えていた。
思考を失わせるほどの食欲と衝動が、機械人形を走らせる。銀色のマントをなびかせ、彼は、無心となっていた。
ただ、欲望だけが漲っていた。




灰色の城には、灰色の呪術師とその家族が在る。
だが、それは機械人形の家族ではなく、主であるに過ぎない。
彼らは決して、銀色の機械人形を愛してはいない。しかし、それでも。

機械人形の帰る場所は、灰色の城しかないのである。






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