ギルディオスは、駆けていた。 足元の屋上を踏み切って、高々と跳躍する。腰までの長さしかない赤いマントを翻しながら、姿勢を傾ける。 目の前に見えている高層建築の屋上に足を向け、真っ直ぐに落下する。勢いのままその上を走り、また跳ねた。 血の匂いが、頼りだった。風に乗って運ばれてくる、生々しく温度のある鉄の臭気に向かって走っていた。 視点の先には、銀を捉えている。同じようにマントをなびかせながら飛ぶように駆ける、身軽な骸骨の姿を。 がしゃっ、とつま先で屋上の端を蹴り上げて上昇した。大分、アルゼンタムから間隔を離れされてしまった。 ギルディオスは小さく舌打ちしてから、目線を上げた。左手には背の高い時計塔が見え、その下には広場がある。 落とすしかない。そう直感したギルディオスは、目測でアルゼンタムとの距離と進行方向の角度を測った。 少しばかり、アルゼンタムは直線上より左側に逸れていた。ギルディオスは左に体をずらし、方向を修正する。 小さく見えているアルゼンタムは、鋭く尖った大きな両手から血を滴らせている。銀の仮面が、振り向いた。 ギルディオスはその仮面を真正面に捉えると、高々と跳ね上がり、腰から魔導拳銃を抜いて、逆方向に放った。 「風撃三種、轟竜!」 途端に、強烈な疾風が放出された。甲冑の体を易々と滑らせ、あっという間に銀色の骸骨との距離を詰める。 眼下の建物が一気に後ろに流れ、背後にヘルムを向けると時計塔が近付いた。手前に、銀色の骸骨がいる。 少し背の高い高層建築の上で立ち止まったアルゼンタムは、真っ直ぐにこちらに飛んでくる甲冑に振り向いた。 笑い声を上げる間もなく、赤いマントを背負った背が回って肩が向いた。直後、胸部装甲に強い衝撃がやってくる。 全身を揺さぶられたアルゼンタムは、簡単に跳ね飛ばされた。血の残る手を宙に浮かばせ、背中から落ちた。 屋上に足を擦って速度を殺したギルディオスは、下を見下ろした。アイヤァアアアア、と銀色の骸骨が落ちていく。 けたたましい金属音と共に、アルゼンタムは石畳に叩き付けられた。何事かと、人々の目線が向けられている。 ギルディオスは、背中に乗せたバスタードソードを鞘から抜いた。魔導拳銃をホルスターに戻し、飛び出した。 「だっ!」 落ちるに連れて冷たく硬い石畳が近付き、集まり始めていた人々が散っていく。がしゃっ、と甲冑は着地する。 曲げていた膝を伸ばして、背筋も伸ばす。巨大なバスタードソードを下ろし、アルゼンタムに歩み寄った。 銀色の骸骨は、両手両足を変に広げて倒れていた。ギルディオスは、その胸元の魔導鉱石に剣先を向ける。 「起きやがれ、このイカレポンチ」 「シィーツケェーンダァヨォオオオオオオオオッ!」 身を下げたアルゼンタムは、弾かれるように起き上がった。剣先を払い除け、踏み込んで間合いを詰める。 刃物で出来た指先が、甲冑の胸に向かってきた。ギルディオスは剣を曲げ、がきっ、とその手首の間に挟む。 骨のような細い手首の噛み合わせの隙間に、刃が押し込まれる。魔導金属の神経糸が押され、ぎしぎしと軋む。 動かそうとすると、余計に軋みは増した。アルゼンタムは空いていたもう一方の手を突き出したが、掴まれる。 「単調なんだよ、てめぇの動きは!」 ギルディオスは、アルゼンタムの腕を捻ってから足を払い、背中を地面に叩き付けると同時に膝を曲げた。 ごしゃっ、と膝が仮面の顔にめり込む。ぎちぎちと金属を擦れ合わせながら、ギルディオスは体重を掛ける。 頼りない首は反れていき、根元の繋ぎ目が軋んでいる。ギルディオスは魔導拳銃を抜くと、弾倉を回す。 「オレの勝ちだな」 「ゥウルセェエエエエエエエエエエ!」 急に足を曲げたアルゼンタムは、腹部を反らすように上げた。膝で甲冑の腰を挟んでから、右足で締める。 細くとも強靱な、骨に似た外見の足が、次第にギルディオスを締め付けてくる。苦しくはないが、動けない。 顔に落としていた膝を上げると、口元に付いた血を拭っていない仮面が現れ、ぐいっと顔を突き出した。 「うけけけけけけけっ! コォーノマンマ、上と下にぶった切ッチマエルンダァーゼェー?」 「いい気に、なるなよ」 ギルディオスは魔導拳銃の弾倉を回転させ、三番目の鉱石弾に合わせると、銃口を石畳に押し当てる。 「変形一種、自在波!」 かちり、と引き金が押し込まれた。一瞬、光の波紋が生まれたかと思うと、ぐにゃりと石畳が歪んでへこんだ。 硬かったはずの石畳が粘土のように柔らかくなって、ずぶずぶと、アルゼンタムの背が容易く埋まっていく。 マントを付けた背が埋もれ、肘と腰が没し、関節を柔らかなものが詰める。ギルディオスは、腰を締める足を外す。 そして、アルゼンタムの胸を蹴って跳ね、柔らかな石畳の中から脱すると、がしゃっ、と硬い石畳に足を落とした。 「変形解除」 ギルディオスは、引き金を逆に押した。アルゼンタムが埋まっていった石畳は迫り上がり、平らな石に戻った。 そこには、異様な物体が没していた。仮面の顔と大きな手と足の先だけを出して、アルゼンタムが埋まっている。 どう見ても、身動きは取れなくなっている。ウーアーオー、と力の抜けた甲高い声が足元から漏らされている。 ギルディオスは軽く息を吐いてから、時計塔の下へ目をやった。そこには、二人の男が戦闘を傍観していた。 時計塔に寄り掛かり、得意げににやついているリチャードとは対照的に、レオナルドはかなり渋い顔をしていた。 ぱちん、とリチャードは指を弾いた。石畳に埋まっていたアルゼンタムはさらさらと崩壊し、砂鉄に戻った。 魔導鉱石も色を失って崩れ、ただの砂と化した。ギルディオスはバスタードソードを背中の鞘に戻し、頬を掻く。 「んー、まー、こんなもんかな?」 「やっぱ、経験と実績が違うよなぁ。無駄ってものが一切ないし、力だけに見えてちゃんと技もある」 リチャードは感心したように頷いていたが、レオナルドは不愉快げだった。 「それはオレも認めるしギルディオスさんの実力は素晴らしいと思うが、何も街中で訓練をやることはないだろう」 「レオの上司からはちゃんと許可をもらっているから、問題も心配もないけど?」 リチャードがにんまりすると、レオナルドは顔をしかめる。 「相変わらずだな、兄貴は。何もなきゃそれでいいと思っているのか」 「うん、僕はそう思うね。物事ってのは、多少無理矢理に進めても結果が良ければ誰も文句は言わないから」 悪気なく答えたリチャードに、レオナルドは呆れたようにため息を漏らす。 「良くないと思うがなぁ…」 「レオには言われたくないなぁ、そういうこと」 レオナルドが言い返す前に、リチャードは歩き出した。少し離れた位置にいたフィリオラらを、手招く。 「ほら、後片付けをするよ。あのまま散らかしていたら、そこの刑事さんがうるさいからね」 「はぁい、先生」 普段よりも表情の緩いフィリオラは、小走りにリチャードの元へ駆け寄った。レオナルドの前を、通り過ぎていく。 それに続いて、赤毛の少女と少年、キャロルとブラッドが過ぎていった。レオナルドは、フィリオラの背を見送る。 黒に近い緑髪を二つに結び、それが深緑のマントの上で揺れている。その背から目を外すまで、間が合った。 フィリオラはブラッドとキャロルを砂鉄が散らばる前に立たせると、杖の先を砂鉄に滑らせて魔法陣を描いている。 こん、と魔法陣の脇が小突かれると、砂鉄は生き物のように蠢きながら一塊に集まり、綺麗な鉄球と変化した。 キャロルとブラッドは順番にフィリオラの杖を借りて、同じようにやってみるが、砂鉄は簡単に球にはならなかった。 歪んだ楕円になってしまったり、球になったと思っても崩壊してしまったり、なかなか上手く行かないようだった。 レオナルドがそれを眺めていると、リチャードは弟の脇に立った。細めていた目を開き、薄茶の瞳を弟に向ける。 「それで、どんな感じだい?」 「何がだ」 レオナルドが乱暴に返すと、リチャードは腕を組む。 「解り切ったことじゃないか。フィオちゃんとの仲だよ。ちょっとは仲良くなった?」 「あいつは仲良くなりたいみたいだが、オレにその気がないんでな。進歩どころか後退していると思うぞ」 「そうかなぁ。かなり進歩したと思うけど」 「馬鹿を言うな」 レオナルドが毒づくと、リチャードは笑む。 「フィオちゃんから色々と聞いたんだよね、最近のレオのこと。夕食に付き合ってあげたり、お菓子の感想も言ってあげたりしたそうじゃない。前のレオだったら何が何でもやらなかったよね、そんなこと」 「あれは、あいつが強引にだな」 あらぬ方向を睨み、レオナルドは苦々しげにする。リチャードは体を傾げて、弟の顔を覗く。 「へえ。でも、そんなに嫌じゃないんだろう? 逃げたり攻撃したりしないってことはさ」 「そんなはずはない。オレはあいつが嫌いだ。嫌いな女がしてくることが嫌でないはずがないだろうが!」 語気を強めたレオナルドに、リチャードは面白そうにする。 「あー、そう。嫌なの。んじゃ、僕が手を出しても構わないってわけだ?」 「は?」 声を裏返したレオナルドは、兄に振り向いた。リチャードはくすくす笑いながら、実はね、と声を潜める。 「フィオちゃん、まだ僕のことが好きみたいでさぁ。僕も彼女のことは嫌いじゃないし、むしろ、ああいいなぁって思うんだよね。可愛いし頭も良いし、なにより良い子じゃない。きっと、いいお嫁さんになると思うよ」 唐突な話に、レオナルドは眉間を歪めていた。理由は解らないが無性に面白くなく、苛立ちが起きていた。 兄の飄々とした口調に含められた意地の悪さを感じていたというのもあるが、何か、やたらと気に食わない。 フィリオラもそうだが、兄も気に食わなかった。具体的に何が、と言い表せないが、苛立ちばかりが増してくる。 レオナルドが奥歯を噛み締めている横顔を見、リチャードは笑った。なんだかんだで、弟は変化しているようだ。 弟を屋敷から放り出したのは、間違いではなかった。屋敷に住んでいた頃は、感情をあまり外に出さなかった。 元々気難しいところがあった上に友人が少ない彼は、兄であるリチャードに対しても頑なで、表情を変えなかった。 仕事に情熱を注いでいたということもあるが、無闇に怒ったりすることもなく、念力発火能力の扱いも上々だった。 不安定な部分もあったが、それでも制御はなかなか上手く行っていた。だが、共同住宅に越してからは違った。 鍵穴を溶かしてしまうほどの暴発をしたり、魔力鎮静剤を服用するほど魔力が高ぶったり、制御が乱れている。 リチャードは、それを良い傾向だと思っていた。レオナルド自身の精神力を、鍛えるためにも有効だと考えている。 彼は、魔力も力も押さえ込めばどうにかなると思っている節があるのだが、それではいつか限界が訪れてしまう。 その限界を越えてしまったら、彼自身が己の力に焼かれるのは目に見えている。炎の力の暴走は、恐ろしいのだ。 だから、レオナルドにその限界を体で覚えてもらい、押さえ込む以外の制御方法を手にして欲しいと思っていた。 リチャードなりの思い遣りなのだが、レオナルドはそうは思っていないらしく、まだ不愉快げな顔をしている。 言ったら白々しくなるから言わないけどね、と内心で呟きながら、リチャードはギルディオスに目線を投げた。 甲冑は、三人の少年少女達が砂鉄と格闘する様を眺めているようだったが、ヘルムは違う場所に向いていた。 時計塔を見上げたり、近隣の建物の屋根の上を見たり、まるで、本物のアルゼンタムを探しているようだった。 鋼鉄の戦士の、表情は窺えなかった。 数日後の深夜。ギルディオスは、レオナルドと共に路地にいた。 バスタードソードを担いで魔導拳銃を腰に提げ、路地の奧に座り込んでいる。その傍らに、青年が立っている。 彼の足元には白墨で描かれた魔法陣があり、弱い風が茶色のコートの裾を翻しながら立ち上っては消えている。 目を閉じているレオナルドは、右手を下に向けて突き出していた。唇を固く締め、感覚を研ぎ澄まさせていた。 それは、一種の感覚強化の魔法だった。旧王都全てとまでは行かなくとも、近辺の出来事を感じるためだった。 ギルディオスはレオナルドの姿を見ていたが、路地の先に顔を向けた。魔法捜査が、ようやく開始されたのだ。 魔導師協会役員であるリチャードの後ろ盾を嫌々ながら受けたレオナルドは、念願だった魔法捜査を進言した。 国家警察旧王都署の幹部達は、当初は渋っていたが、リチャードに言いくるめられる形だったが了承してくれた。 それによって、旧王都連続殺人事件の事件名も変更された。旧王都魔導兵器連続殺人事件、とされたのである。 アルゼンタムの存在は認知されたわけではないが、容疑者の一人として上げられ、ギルディオスもその一人だ。 犯人が魔導兵器の可能性が高い、となっただけで、犯人がアルゼンタムという魔導兵器だ、というわけではない。 だから、魔導兵器として共和国政府に登録されているギルディオスも、必然的に容疑者の中の一人とされた。 ギルディオスは、それを仕方ないと思っていた。昨今の人間からしてみれば、中身のない甲冑など化け物だ。 人を喰う機械人形と同じように、訳は解らないが空恐ろしい存在、という認識になってしまっているのだろう。 不愉快だったし納得も出来ないが、意見したところで認識が変わるはずもない。恐怖は、簡単に排除出来ない。 それでも、人造魔導兵器の稼働原則のおかげで、レオナルドの傍であれば捜査協力が出来る権限が与えられた。 要するに、アルゼンタムと戦える機会がやってきたということだ。形はどうあれ、接触しなくては始まらない。 路地に立てられた街灯からは、弱い光が流れてくる。月も夜空の頂点に上り詰め、煌々と青い光を下ろしている。 レオナルドは、不意に目を開いた。しかめていた眉間を緩めることもないまま、胸元から拳銃を引き抜いた。 「ここから北に三本目の路地に、着地音。重さと音からして、あれでしょう」 「周囲に人間は?」 ギルディオスは立ち上がり、バスタードソードを抜いた。しゃりっ、と硬い金属音が響く。レオナルドは答える。 「囮の婦警が二人。北に三本目の路地に、一人がそろそろ差し掛かりそうです」 「じゃ、喰われる前に行かねぇとな。囮が餌になっちまう」 ギルディオスが歩き出していくと、レオナルドは赤いマントを付けた背に向いた。 「あなたのことですから心配はしませんが、まともに手を貸せないってのは悔しいですね」 「だろうな。お前は血の気が多いから」 少し笑い気味に返してから、ギルディオスは路地から通りに出た。月明かりと街灯に照らされ、刃が白く光る。 緊張した面持ちで歩いていた私服の婦人警官は、ギルディオスの姿を認めると、途端に表情を強張らせた。 彼女は歩調を次第に早めて駆け出し、ギルディオスの脇を通り過ぎた。体重の軽い足音が、背後を遠ざかる。 それが充分に離れた頃、三本先の路地から銀色が姿を現した。ゆらり、と骨で出来た体を揺らしながら出てきた。 「うけけけけけけけけけ」 がちん、とアルゼンタムは路地から通りに踏み出し、マントの下から巨大な両手を出す。 「お出迎えたぁアーリガテェーナァアアアアア! マータ会えてウレスィーゼェー、ギルディオス・ヴァトラスゥー!」 「てめぇ。解ってて、ここに来たのか」 ギルディオスが剣先を上げると、それに睨まれたアルゼンタムはずいっと仮面を突き出した。 「オウヨオウサネオゥイエー! オイラをただのイカレポンチだと思ってヤガルンダァーナー? ダァーガ違ウ、オイラは馬鹿だが馬鹿ジャネェエエエエエ! サツが人払いしたッツウ場所にィ、女ァなんざわざわざ歩かせてんだから、超見え見えの罠に決まってンダカラァヨォオオオオオオオオ!」 「なるほどな。確かに、マジな馬鹿じゃねぇみてぇだな」 ギルディオスはバスタードソードを構え、ちゃきり、と刃を正面に向けた。アルゼンタムは、じりじりと近寄る。 「サツの女ァ喰ってもイケてネェーカァーラナァー。ドォセナラ、テメェと遊んだ方がタァノシィゼェエエエエエエ!」 だん、と跳ねるように飛び出したアルゼンタムは、両手の指を大きく広げた。一直線に、甲冑に向かってくる。 ギルディオスが剣を振るより先に、アルゼンタムは間合いに踏み込んでいた。腕の間に滑り込み、指先を振る。 目の前を切り裂かれ、ギルディオスは身を下げた。後退していくに連れ、銀色の骸骨の斬撃は速度が上がった。 鋭利な爪先が、残像を残すより前に左右に動く。空気が切られる乾いた音が続き、ギルディオスは下がった。 「うかかかかかかかかかかっ!」 右に抜けたアルゼンタムの腕が曲がり、ごしゃっ、とギルディオスの首にめり込む。仮面が、突き出される。 「気ぃ抜いてンジャネェゾォオオオオオオ! ヤァル気アンノカヨォオオオオオオ!」 「一撃で吹っ飛ばしちゃ、面白くねぇからだよ!」 首を押していた腕を取ったギルディオスは、アルゼンタムの頭を薙ぎ払った。回転しながら、銀色は倒れる。 が、転がる前に手を付いて姿勢を戻したので、ギルディオスは踏み出した。巨大な剣を横たえ、振り回す。 「ふっ!」 吐息と同時に、銀が銀を吹き飛ばした。アルゼンタムは脇腹に受けた強烈な衝撃で浮き、宙を滑っていった。 直後、背に硬い衝撃があったかと思うと崩壊した。砂埃を立てながら、砕けたレンガががらがらと足元に落ちる。 銀色の骸骨は、壁に埋まっていた。吹き飛ばされた時の体勢で壁に填っている骸骨に、ギルディオスは言った。 「体の使い方が下手だぜ。慣れてねぇ証拠だな」 アルゼンタムに歩み寄ったギルディオスは、おかしな方向に曲がっている首を掴み、壁から引き摺り出した。 頸椎だけの首を、ガントレットの手が握り締める。高々と持ち上げながら、ギルディオスは内心で目を細めた。 「オレらの利点って知ってるか? 生半可なことじゃ体がくたびれねぇから、いくらでも無理が出来ることだ」 だから、とギルディオスはアルゼンタムを持っていた手首を回した。そのまま、石畳に叩き落とす。 「いくらだって、力が出せるっつうことなんだよ!」 石が砕け、細かな破片が飛び散った。アルゼンタムは仮面を石畳に叩き付けられ、ヒビの中に顔を埋めていた。 上下逆さになっている銀色の骸骨を、ギルディオスは押し込んだ。石畳のヒビが広がり、仮面は更に埋まる。 アルゼンタムの甲高い悲鳴が上がるよりも先に、バスタードソードを持ち上げ、無防備な腹に、剣を叩き込む。 叩き込まれる寸前に跳ねたアルゼンタムは、ヒビの中から脱した。足を擦って勢いを止めると、仮面を直す。 「超エグイコトシィーヤガルゼェエエエエエ…」 「オレと遊ぼうってんなら、もうちょい気合い入れて来やがれ」 ギルディオスは、にやりとした声を出した。アルゼンタムは上半身を倒して中腰になり、高く跳ね上がる。 「御指導アァリガトナァアアアッ!」 甲冑の頭上に躍り出た銀色の影は、真っ直ぐに降ってくる。だがギルディオスは、それを避けようとはしない。 バスタードソードを逆に持つと、柄を上にして差し出した。アルゼンタムはそれにぎょっとしたが、遅かった。 がっ、と笑った口元に柄が刺さった。太くも硬い柄を吐き出そうとしても、喉の奥まで入ってしまっている。 アルゼンタムは、宙に浮いていた。ギルディオスは剣を持っていない方の手の指を立てると、左右に振る。 「甘いぜ。奇襲ってのは、一度しか通用しねぇんだ」 がつっ、がつっ、と柄から衝撃が伝わってくる。見上げると、アルゼンタムは仮面の下の歯で柄を噛んでいる。 柄を外そうと鍔を握ってみるも、手の大きさのせいで上手く握れていないかった。何度も、手を滑らせている。 その拍子に体が前後に揺れ、柄はもっと奧へと入ってくる。アルゼンタムは、精一杯の力で柄を噛み締めた。 「コォーノヤァーロォオオオオオオ…」 「おいおい、そんなに噛むなよ。てめぇの歯形が残っちまうじゃねぇか」 真下で、ギルディオスは片手を上向ける。アルゼンタムは無性に苛立ち、嘔吐感を堪えながら叫ぶ。 「だったらオイラを下ろしゃイイコトジャネェカァアアアアアッ!」 「下りればいいじゃねぇか」 「無茶苦茶言うンジャネェエエエエエエ!」 「やかましいなぁ、もう」 ギルディオスはちょっと嫌そうにしてから、剣を下げた。ずるり、とアルゼンタムの口から剣の柄が抜けていった。 砕けた石畳に足を付けた直後、アルゼンタムは飛び退いた。異物感が残っていたが、がちがちと歯を打ち鳴らす。 「テンメェー…モーォ手加減シネェゾォオオオオ!」 「してたのか?」 「ウゥルセェエエエエエエッ!」 駆け出したアルゼンタムは、ギルディオスに掴み掛かろうとした。甲冑は身を下げて翻し、簡単に背後を取った。 「動きが直線だな。そんなんじゃ、フィオに負けて当たり前だぁ!」 ギルディオスは、アルゼンタムの後頭部を掴んだ。足を払って押し倒すと、石畳に仮面を押し付け、走り出した。 石と金属の摩擦で火花を散らし、銀色の骸骨は引き摺られていく。しばらく引き摺られたが、放り投げられた。 街灯の支柱に向けて投げられたアルゼンタムは、背を強くぶつけ、力なくずり落ちた。がしゃり、と両手が落ちる。 摩擦で傷の付いた仮面を押さえたアルゼンタムは、肩を上下させた。足音がしたので見上げると、甲冑がいる。 「ンダァーヨォオオオオオ…」 ギルディオスはアルゼンタムの前にしゃがみ、膝を付いた。 「アルゼンタム。てめぇは、これでいいのか」 「アァーアァアアアアン?」 アルゼンタムが訝しげにすると、ギルディオスは二人にしか聞こえない程度の声量で話す。 「今のお前は、お前が、本当に望んだことなのか」 押さえていながらも力のある言葉に、アルゼンタムは僅かに動揺した。だがすぐにそれを打ち消し、笑う。 「うかかかかかかかかっ。オイラはヨォ、人ォ喰えてリャそれでイインダァヨォオオオオオオオ!」 「一度だって、自分の存在に疑問を持ったことはねぇのか!」 身を乗り出し、ギルディオスは歪んだ仮面にヘルムを寄せた。仮面の吊り上がった目元の隙間から、目が見えた。 魂を納めている魔導鉱石と同じ、澄んだ緑色の魔導鉱石の目だった。その瞳には光は宿っておらず、暗かった。 アルゼンタムは、度重なる攻撃で損傷を受けた体を起こすと、ごっ、とギルディオスを殴り付けて退かした。 立ち上がったアルゼンタムは、無抵抗に殴られて倒れた甲冑を見下ろした。いきなりのことに、訳が解らない。 「テーメェエエエ、オイラにナァーニ言いテェンダァヨォオオオオオ」 「…さぁな。オレも血迷ったとしか思えねぇ」 起き上がったギルディオスは、口元でも拭うようにマスクを手の甲で擦った。 「だがな、アルゼンタム。オレは、お前を」 「ジャカァシィンダァヨォオオオオオオッ!」 アルゼンタムは、ギルディオスを蹴り上げた。胸倉を膝で押し上げて浮かばせると、腹部に足をめり込ませる。 またもや、容易く甲冑は吹き飛ばされた。受け身を取って石畳に着地したが、追撃をする様子はなかった。 アルゼンタムは、急に興味が失せた。戦う気のない相手を、しかも喰えない甲冑とこれ以上戦っても面白くない。 「ンーダヨモー、ツゥマンネェーナァー」 くるりと背を向けたアルゼンタムは、ギルディオスを一瞥した。 「遊ぶ気ネェナラ、オイラァ帰るゼェー」 待て、と背中に声が聞こえた気がしたが、無視して石畳を蹴った。夜風の吹く空中へ跳躍し、屋根を蹴って走る。 灰色の城に向けて駆けていたが、マントを固めて翼にすると高く跳ねた。上昇気流を掴み、一気に浮かび上がる。 風を孕ませた翼で宙を滑りながら、時計塔を見据える。曲がって掠れた視界の中で、一際目立つものだった。 気流に掴んで高みへと近付きつつ、アルゼンタムは思考していた。なぜ、あそこで戦う気が失せてしまったのか。 話し掛けられたからだろうか。いや、問われたからだ。自分でも解らない疑問を、彼が問い掛けてきたからだ。 疑問を持ったことはある。なぜ、自分は人を喰うのか、なぜ、戦う必要があるのか、未だにその理由を知らない。 彼は、その理由を知っているのかもしれない。ギルディオスは、自分が知らない自分を知っているのかもしれない。 だとすれば、問いの続きを聞きたい。また、彼の元に行かなくては。そう思って上体を起こし、翼を風に乗せる。 時計塔の周囲を巡ってから上昇していたが、体を水平にして、ふと気付いた。時計塔の頂上に、人の姿がある。 細長い塔の頂上、屋根の頂点にある金属柱に、彼が背を預けていた。アルゼンタムは、それを不思議に思った。 ここに来るとは聞いてなかった。そういう手筈なら、説明されているはずだ。だが、事前に何も言われていない。 アルゼンタムはくるりと回ってから、時計塔の屋根に飛び降りた。レンガ造りの屋根を昇り、彼に歩み寄っていく。 「ナァーニシテンダァーヨォー?」 「あの人に、何か、言われたのかい?」 彼に問われ、アルゼンタムは一瞬躊躇ったが、すぐに笑う。 「ナァーンデソウ思ウゥー? オイラがあの野郎と話すようなことがアァルと思うのカァアアアアアア?」 「そうかい。だけどね、アルゼンタム。君は、僕に隠し事は出来ないんだよ」 彼は自分の側頭部を、とんとん、と指先で小突いてみせた。アルゼンタムは、びくりと肩を跳ねる。 「黒幕ゥ、テーメェー…」 「そう。僕の感覚と君の感覚は繋げてあってね。君が見たこと、知ったことなら全てお見通しなのさ」 彼はメガネを直し、にやりとする。アルゼンタムは、仮面を逸らした。 「オイラの記憶ゥ消スンナァラァー、さっさと消シチマェーヨォー」 「おやおや、君らしくもないね。そんなに、あの人の言葉が引っかかるのかい?」 「マァー、ナァー…」 言葉を濁したアルゼンタムに、彼は片手を挙げた。その手に握られていた魔導拳銃の引き金に、指が掛かる。 「僕は全てを知っている。君が己の存在に疑問を持ったことも、何もかもね。だけど、それも計算の上のことさ。僕とグレイス・ルーが君に施した束縛は簡単なものだったから、君が己を取り戻すのは、時間の問題なんだよ。そして、僕は、それによってもたらされる結果を待っているんだ」 「…結果ァアー?」 半歩ずり下がったアルゼンタムに、そう、と彼は頷いた。 「だから、僕は君を壊さない。壊しはしないけど」 かちり、と引き金が押し込まれ、力が放たれた。体の内側から迫り上がる衝撃で、アルゼンタムは仰け反る。 強烈な魔力の奔流が魂を揺さぶり、中から攻めてくる。抗おうとしても、強すぎる力が自由を奪っていた。 よろけたアルゼンタムは、前のめりになった。がしゃり、と屋根に膝を付き、胸の魔導鉱石を押さえていた。 「狂わせてあげるんだ」 冷酷に、彼は笑う。屋根の上に這いつくばってレンガに顔を押し付けているアルゼンタムは、息を荒げている。 鼓動が駆け巡る。魂が叫ぶ。飢餓感が喉を渇かせ、衝動が沸き起こる。柄の違和感が残っていた口を、開いた。 アルゼンタムが起き上がろうとすると、その額に彼の手が当てられた。月明かりの下、彼は口元を広げた。 「だけど、今は休んでいてくれないかな。また、君を修理しなくちゃならないから」 おやすみ、と囁かれ、アルゼンタムは動けなくなった。腹の中の歯車が動きを止め、関節が固まり、倒れた。 本能と捕食の衝動で高揚する魂に、体が呼応しない。どれだけ意識を高めても、他人のもののように動かない。 飢えによる苦しさで呼吸を繰り返す機械人形を見下ろし、彼は笑っていた。恐怖と同じく、飢餓も束縛となる。 苦しみに喘ぐアルゼンタムに手を添えて、打撃で損傷を受けた骨の腕を撫でた。冷たく硬い、金属の感触だ。 こうして、支配してやればいい。力を与え、溺れるほど注ぎ、飢えさせて狂わせてしまえば手の上で操れる。 一度、僅かでも理性を取り戻せば、再び理性を失うほどの狂気に堕とすのは難しいが、出来ないことはない。 過剰なまでに高ぶった本能は、おのずと狂気を呼ぶ。だから、飢えさせて飢えさせて狂わせてしまえばいいのだ。 彼は、声を殺して笑った。 明け方。捜査一課の仮眠室で、レオナルドは不機嫌そうにしていた。 というより、眠気を堪えるのに必死だった。一度でも眠ってしまったら、夕方まで眠ってしまいそうだったからだ。 それを見、バスケットを膝に載せたフィリオラが心配げにする。彼女の持ってきた朝食が、テーブルに並んでいる。 フィリオラは心配そうな顔をして、苦しげにも見えるレオナルドを覗き込んだ。そして、まだ温かい朝食を指した。 「冷めちゃいますよ」 「オレはお前に、持ってこいと頼んだ覚えはないんだがな」 レオナルドが突き放した口調で言うと、フィリオラは少し困ったように眉を下げる。 「ですけど、何も食べないと辛いですよ?」 「喰ったら眠くなるだろうが! 眠ってしまったら、報告書と始末書が書けないだろうが!」 あぁもう、とレオナルドは腹立たしげに吐き捨てた。フィリオラは泣きそうになったが、それを堪え、俯く。 「…すみません」 子供っぽい青い目が潤んだのを見て、レオナルドは歪めていた口元を直した。泣かせない、と決めたはずなのに。 だが、まだどうやれば泣かせずに済むのかが解らなかった。彼女の限度がどれくらいか、知らなかったのだ。 レオナルドは多少後悔しながら、言葉を選んだ。眠気と苛立ちで鈍っていた思考を働かせてから、呟いた。 「誰も、喰わんとは言っていない。後で喰うから、冷めないようにしておけ」 「あ、はい」 その言葉に、フィリオラは嬉しそうに頷いた。スープを入れた器に蓋をして、綿の入っている布で包んでいる。 まだ温かそうなパンもバスケットに戻し、紅茶が入っているであろうポットも保温用の厚い布でくるんでいた。 レオナルドはそれを横目に見ていたが、目を逸らした。彼女の行動は、お節介だし余計なお世話だと思った。 だが、それほど嫌悪感は湧いてこなかった。そっと彼女を窺うと、食べてもらえる安堵感からか笑顔になっている。 単純な女だ、とは思ったが、その表情から目を離せなくなった。あの不愉快な感覚と同じく、理由は解らなかった。 だが不思議と、悪い気はしなかった。泣かせた時の罪悪感とは真逆とも言える柔らかな感覚が、心地良かった。 ふと、フィリオラがこちらを向いたので、レオナルドは顔を逸らした。なぜか、無性にやりづらくなってしまった。 フィリオラは壁を睨むレオナルドの横顔を見ていたが、残念な気分になった。やっぱり機嫌が悪いんだ、と思った。 食べてくれるとは言ってくれたが、それでもあまり乗り気ではないのだろう。少し、悪いことをしたような気がした。 徹夜の魔法捜査で魔力も体力も消耗しているに、その上で嫌いな相手が来たのでは、さすがの彼も堪えるだろう。 あんまり喋らないようにしよう、と思い、フィリオラは料理を中に戻したバスケットを、慎重にテーブルに載せた。 ギルディオスは仮眠室の壁に寄り掛かって胡座を掻き、二人の姿を眺めていた。だが、意識は外れていた。 昨夜の戦闘で、アルゼンタムは一瞬だけ反応した。望んだことなのか、という問い掛けに、僅かに動きを止めた。 思った通りだ。アルゼンタムは、故意に狂わされている。だから、理性が完全に消えてしまったわけではないのだ。 望みがないわけではない。どうにかして、彼の理性を取り戻すことが出来れば、彼を解放出来るかもしれない。 ふつふつと沸き起こる意欲に、ギルディオスは内心でにやりとした。希望さえ見えれば、後はそれに向かうだけだ。 躊躇いなど切り捨てて、ただ、一点に向けて戦い抜くだけだ。 狂気の機械人形は、重剣士の言葉によって、己に対する疑問と悩みを得た。 だがそれすらも、彼の手中の出来事であり、計算の内のことだった。 人形に自由はない。あるのは過剰なまでの力と欲望と、そして。 本能に押し潰された、僅かな理性だけである。 05 11/30 |