ドラゴンは眠らない




紅い食卓



フィリオラは、喰われていた。


首筋に牙の埋まる感覚があり、体液を吸い出される不快感が続く。水を啜る音と共に、鉄錆の匂いがする。
痛みと喪失感が頭の芯を鈍らせていたが、肌の薄い部分に押し付けられている唇の感覚に、戸惑ってもいた。
すぐ傍で、白い喉が動いた。少年は思い切り眉間をしかめながら血を飲み下したが、飲みきれなかった。
フィリオラの首に押し付けた唇の端から、ついっと血が溢れた。赤い筋が華奢な首を伝い落ち、鎖骨に溜まる。
彼女の首から顔を放したブラッドは、かなり不愉快げだった。新しい血にべっとりと汚れた口元を、手の甲で拭う。
椅子に腰掛けているフィリオラは、ずるりと腰を落とした。貧血で薄らいだ視界を強め、目の前を見上げる。
テーブルの上に膝立ちになっているブラッドは、今にも吐き戻しそうだった。口を押さえ、青ざめている。

「おぇ」

「うぁ…」

頭を前に傾けたフィリオラは、出来たばかりの傷口から流れる血を手で拭った。ぬるりと生暖かい感触がある。
その生々しい感触に、余計に気が遠くなり、仰け反った。重心が徐々に倒れていき、椅子ごと後ろに傾いていく。
そしてフィリオラは、どごっ、と壁に後頭部をぶつけた。首だけでなく、後頭部もずきずきとした痛みを発した。

「死ー、ぬぅー…」

脱力したフィリオラの声に、暖炉の前に座っていたギルディオスは振り向いた。足に載せていた剣を、床に置く。
真っ白い顔色で項垂れているフィリオラは、だらしなかった。相当血を吸われたらしく、呻き声も漏らさない。
半開きになった唇と赤く血濡れた首筋は、異様な色気があった。だが、元々が貧弱なので大したことはない。
短めのスカートから伸びた太股も細く、胸も同年代の少女に比べて膨らみが小さいので、体形に丸みがない。
それでも、無遠慮に開かれている太股の内側は柔らかく滑らかだった。ブラッドは、必死に目を逸らしている。
太股の奧の下履きを見るまいと顔を背けた少年は、ぐいぐいと口元を擦った。手の甲は、赤黒く染まっている。
ギルディオスは錆止め油を塗ったバスタードソードを持ち上げ、しゃりっと鞘に納めた。がちん、と鍔が鳴る。

「喰い終わったんなら、さっさとテーブルから降りろよ。行儀悪いから」

ブラッドはギルディオスに向いたが答えずに、小さく頷いた。テーブルを這って下がり、床に両足を下ろす。
どだっ、と床に落ちてから壁際まで移動し、背を預けた。ブラッドは足を投げ出し、虚ろな目をしていた。

「腹ん中が気持ち悪ぃよぉ…」

「仕方ねぇだろ、ラッド。手近な女はフィオしかいねぇんだから」

ギルディオスが言うと、ブラッドは壁伝いにずるずるとずれていき、肩から床に倒れ込んだ。

「解ってるけど、解ってるんだけど、まずいもんはまずい…」

ブラッドは床にぺったりと頬を押し付け、覇気のない声を漏らす。

「苦くて渋いだけならまだいいんだけど、半端にコクがある上に妙な甘さがあって、おまけに喉越しが最悪で…」

「そりゃ、確かにまずそうだな」

その味を想像したギルディオスは、ブラッドに同情した。物を食べる感覚は忘れてしまったが、想像なら出来る。
えぐみのある味の中に濃厚な甘さが混じった液体が、喉に引っかかる。すげぇ胃もたれしそうだな、と思った。
フィリオラはなんとか気力を取り戻し、テーブルに載せておいたタオルをつまんだ。引き寄せて、首筋に当てる。
鎖骨に溜まった血を拭って肌に開いた穴を押さえ、ぐっと奥歯を締めた。腹に力を込め、竜の力を呼び起こす。
肌が張り、肉が埋まる。フィリオラはタオルを外して首筋を撫で、ブラッドの噛み痕がなくなっていることを確認した。
ふう、と息を吐き、体をずり上げて座り直した。間近から漂う血の匂いに辟易しながら、汚れたタオルを畳んだ。

「血の匂いって、嫌いです」

「いいもんじゃねぇよな」

時間が経つと腐るし、とギルディオスは返した。フィリオラはまだらに赤いタオルを、テーブルに投げた。

「生々しいこと言わないで下さいよ、小父様。もっと気分が悪くなっちゃいます」

フィリオラは鋭い痛みの残る首を回し、床に倒れ伏しているブラッドを見下ろした。少年の顔色は良くない。

「お腹、一杯になりました?」

「…別の意味で」

絞り出すように呟いたブラッドは、ぎゅっと目を閉じた。吐き気を堪えるためか唇も固く締め、ブラッドは押し黙った。
フィリオラはぼんやりとした目を瞬きさせていたが、同じように閉ざした。そのうち、穏やかな寝息が聞こえてきた。
ギルディオスは手入れを終えたバスタードソードを、肩に担いだ。立ち上がると、寝入った二人を見回した。
こうなった理由は、至って簡単だ。長旅で魔力も体力も消耗したブラッドに、フィリオラが血を与えると言い出した。
ブラッドは彼女の血の味が悪いことを知っているので拒否したが、フィリオラはやけに熱心に迫り、押し切った。
そして、フィリオラはブラッドの夕食となったのである。その結果は、今更言うまでもないことであるのだが。
ギルディオスは、太陽が沈みゆく窓の外を見下ろした。レンガ造りの建物が、東側から藍色の闇に包まれていく。
まばらに立っている街灯が、そこだけ淡く暖かな光を広げていた。気付いたら、すっかり夜になっていた。
ブラッドを見つけた朝から、時間は慌ただしく過ぎた。倉庫と化していたもう一つの部屋を、片付けていたからだ。
埃にまみれて積まれていた本や魔法の道具を片付けて、ブラッドの寝床を簡単に作り、少年の居場所を確保した。
物音と声の多さが気になって尋ねてきた管理人、サラにも説明をした。あのコウモリの正体と、少年の正体を。
ブラッドが旧王都へやってきた目的が、フィフィリアンヌへの復讐だというのは、さすがに説明しなかったが。
サラは少し困ったような顔をしていたが、最終的には構わないと言ってくれた。彼女の度量の広さは、ありがたい。
二人がサラに説明をしている間、ブラッドはずっとサラを見つめていた。驚いたような、困惑したような顔だった。
ギルディオスはバスタードソードを本棚に立て掛けると、フィリオラの肩と膝の裏を掴んで、抱え上げた。

「よっ」

少女の重みのない体重が、腕に来た。ぎち、と肘の関節が軋んだが、フィリオラが起きる気配はなかった。
ギルディオスは少し開いている寝室の扉を、蹴り開けて、中に進んだ。寝室の中は、寝起きのままだった。
ベッドは寝乱れているし、もう一枚のローブも椅子に放られたままだ。ずっと、片付ける暇がなかったせいだ。
ギルディオスは、ベッドにフィリオラを横たわらせた。少女の体の下から布団を引っ張り出し、掛けてやる。
掛け布団を整えてやってから、頬に落ちた黒髪を払い除けた。触れてみると温度も低く、顔色もまだ白かった。
穏やかとは言い難く、苦しげな寝顔をしている。あれだけ血を吸われれば、いくら竜族でもたまらないだろう。
ベッドに面した窓のカーテンを閉め、ベッドに背を向けた。ギルディオスが歩き出そうとすると、か細い声がした。

「小父様ぁ」

「起きてたのか」

ギルディオスが振り向くと、フィリオラは小さく頷いた。布団を顔まで引っ張り上げ、目から上だけを覗かせた。
幼さの残る青い瞳が、二三度左右に動いた。間を置いてから、フィリオラはギルディオスを見上げてきた。

「あ、の」

「言いてぇことがあるなら、頭がはっきりしてるときにしてくれや」

無理すんなよ、とギルディオスは笑った声を出す。フィリオラは何か言いたげにしていたが、こくりと頷いた。

「…はい」

じゃな、と後ろ手に手を振って寝室を出た。扉が閉められると、甲冑の姿は見えなくなり、足音が遠ざかっていく。
フィリオラはギルディオスの足音が離れていくのを感じながら、布団を握った。手に、あまり力は入らなかった。
枕に埋めた頭を動かし、横に向けた。居間に繋がる飴色の扉を見上げるが、そこまで歩ける気力はなかった。
頭を起こしたら、すぐにでも卒倒してしまいそうだった。月経の一番重たい日に良く似た、貧血の不快感がある。
フィリオラは天井を見上げたが、目を閉じた。ギルディオスの真意がさっぱりと読めず、不安が溜まる一方だ。
なぜ。どうして。疑問符ばかりが浮かび、そこから先が出てこない。思考を逸らそうとしても、出来なかった。
なぜ、ギルディオスはブラッドの復讐を請け負ったのか。なぜ、ギルディオスはフィフィリアンヌと戦おうとするのか。
脳裏には、快活で大らかなギルディオスの姿と、辛辣ながらも心優しいフィフィリアンヌの姿が浮かんでくる。
フィフィリアンヌは、竜の血をストレインに流した女性だ。性格は難があるが、その才能と魔力は尊敬に値する。
昔から強い力を持っているとは思っていたが、魔導師になってからは、改めて竜族の強大さを思い知っていた。
底の知れない知識と力を持つフィフィリアンヌと、死してから人外の力を持ったギルディオスが、戦うのだろうか。
戦ったとしたら、どちらが勝つのだろう。どちらも勝つかもしれないし、どちらも負けてしまうかもしれない。
フィリオラは途端に悲しくなり、枕に顔を押し付けた。沸き起こってくる声を押し止め、布団を固く握り締める。
そのまま泣き出したフィリオラは、いつしか泣き疲れ、眠った。


ギルディオスは、もう一つの部屋の扉を閉めた。
ブラッドを寝かせてから居間に戻り、冷え込んできたので暖炉に火を入れていた。マッチを擦り、火を放つ。
新聞紙の焚き付けはすぐに燃え、めらめらと小枝に燃え移った。朱色の光が揺れ動き、甲冑を赤く照らす。
暖炉の前で胡座を掻いたギルディオスは、ブラッドの服から抜き取ってきた例の手紙を、炎の前に翳してみた。
ずっと持ち歩いていたようで、くたびれている。割に古いものらしく、白かったであろう封筒は黄ばんでいる。
折れ曲がった封筒を開けて便箋を出し、広げた。その中身を見た途端にギルディオスは、げっ、と声を潰した。

「めんどっちいことになりそうだなぁ…」

上質な紙の便箋は、何も書かれていなかった。暖炉の火に透かしてみても、折れ曲がった影しか映らない。
何度見ても、便箋のどこにも一文字もなかった。だがブラッドは、この白紙を根拠にして旧王都へやってきた。
何かの意図があるのは間違いない。しかも、手が込んでいて悪意が感じられる。ギルディオスは、げんなりした。
行く末は想像出来なくとも、いいことは起きないだろう。うぁー、と力なく唸り、手紙を折り畳んで封筒に入れた。

「参ったな…」

ギルディオスは上体を逸らし、ごっ、とテーブルの脚に背を当てた。出窓は暖炉の炎が反射し、夜を隠している。
だが、その奧にあったのは夜ではなかった。光を全く受け付けないどす黒いものが、じっと、中を見つめていた。
そ反射的にギルディオスが身構えると、小柄な闇はふわりと上体を傾げて後ろに倒れ、夜に溶け消えてしまった。
その闇の形に、ギルディオスはちょっと拍子抜けした。近頃は、彼女は随分とものぐさになっているようだ。
付けたばかりだった暖炉の火に、汲んでおいた水を掬い、放り込んだ。じゅっ、とあっけなく炎は消え、煙が昇る。
近いうちに行ってやるか、と思いながら窓に背を向けた。定位置である暖炉の前に座ると、胡座を掻いた。
そのまま、甲冑は眠りに沈んでいった。



翌朝。がくっ、と首が落ち、目を覚ました。
ギルディオスは項垂れてしまった頭を起こし、左右を見回した。窓の外からは、柔らかな朝日が差し込んでいる。
結局、座ったままで朝まで眠っていたようだった。膝が痛くなっちまったな、と思いながら立ち上がった。
ギルディオスが背筋を伸ばしていると、台所からフィリオラが顔を出した。不安そうに、細い眉を下げている。
甲冑が振り向くと、フィリオラは顔を伏せた。フリルの付いたエプロンを握り、いじっていたが、顔を上げる。

「あの」

「フィオ。体、どうだ?」

「はい。一晩眠ったら、血も戻ってきました。ですけど、その、小父様」

フィリオラは一度唇を舐めてから、ぎゅっとエプロンを握り締めた。

「私、小父様の考えてること、ちっとも解りません。ですけど、私、小父様のこと、信じていますから」

「そういうことはな、本気でやばい時に言え」

「あ、すいません」

「別に謝る必要もねぇけどさ」

ギルディオスはフィリオラに向き直ると、ぽんとその頭に手を置いた。寝癖の残る髪を、ぐしゃりと乱す。

「ま、そのうち説明してやるよ。だから、そんなに心配すんな」

「…はい」

「よぉし良い子だ!」

ギルディオスは身を屈め、フィリオラを引き寄せた。強引に腕の中に納めると、ひゃう、と高い声が上がる。

「小父様、朝っぱらだから冷たいですー!」

そう言いながらも、フィリオラはギルディオスに体重を預けた。甲冑の腰に腕を回すと、金属に体を押し付ける。
鉄臭くひんやりとした胸に頬を押し当て、んー、とその固さを味わう。頭を撫でる手が大きく、優しかった。
頬を当てていると、内側からじわりと暖かさが感じられる。彼の魂が入っている魔導鉱石が、熱しているのだ。
フィリオラは、動物にするように頬を擦らせる。あれだけ不安であれだけ恐ろしかったのに、安心している。
昨夜、泣いている間は、ギルディオスを信じないとすら思った。だが、その不信感は容易く消え失せてしまった。
こうして愛情を示されると、どうでも良くなってしまう。大きな手で可愛がられると、内側からとろけてしまう。
フィフィリアンヌを裏切ろうとしているギルディオスを嫌おうと思っていたが、とてもじゃないが嫌えなかった。
抱き付いていると、ああ好きなんだな、と実感する。その好きが大きすぎて、不信感など簡単に潰えてしまった。
現金だなぁ、などと思いながらも、フィリオラは上目になる。頭上にあるヘルムの脇に、赤い頭飾りが垂れている。
両腕を伸ばしたフィリオラは、ギルディオスの首に飛び付いた。うぉわ、と声が上がり、甲冑は前のめりになる。

「なにしてんだよ」

いつのまにか、ブラッドがフィリオラの背後に立っていた。眠気が残っているらしく、目が開ききっていない。
フィリオラはギルディオスの首から手を放し、かかとを下ろした。ギルディオスは姿勢を戻し、首を捻る。

「や、別に」

「昨日から気になってんだけどさぁ…。あんたら、どういう関係なわけ?」

満足げなフィリオラと、首をしきりに動かすギルディオスを見上げ、ブラッドは訝しむ。

「絶対に親子じゃないし、でも兄弟にも見えないし、だけど恋人ってわけでもなさそうだしさぁ」

「そのどれでもねぇよ。オレはもう五百年ぐらいこの世にいるんだが、フィオの先祖と付き合いがあってな」

ギルディオスはフィリオラの頭を押さえて背を曲げ、ブラッドと目線を合わせる。

「関係っていえばそれだけだ。まぁ、遠い遠ーい親戚みてぇなもんさ」

「にしちゃあべったべたしてない?」

「そりゃフィオの趣味だ」

「わっけわかんね」

寝癖の付いた髪を掻きむしりながら、ブラッドは変な顔をする。フィリオラは、だらしなく目元を緩める。

「だってー、小父様って素敵じゃないですかぁ」

ブラッドはフィリオラに背を向けると、片手に引き摺っていたマントをばさりと羽織った。

「オレ、出てく。魔力も戻ったし、これで当分の間は平気だから。ギルのおっちゃん、一緒に来てくれよ」

「朝ご飯、一杯作ったんですよ。出ていくんでしたら、せめて食べた後にして下さい」

フィリオラが台所を指すと、ブラッドは少し目線をうろつかせたが、やけにぶっきらぼうに答えた。

「…喰うだけだぞ」

「じゃ、準備しますね!」

フィリオラは張り切った様子で、小走りに台所に入っていった。ブラッドはマントの前を止め、襟を立てる。
食器を出す音や鍋の蓋を開ける音がし、料理の匂いが漂ってきた。ギルディオスは、ブラッドを見下ろした。
寂しげながらも懐かしげな目で、台所を動き回るフィリオラを見上げている。それは、見覚えのある表情だった。
母のいない子供が、母の姿を思い浮かべる表情だ。かつて、親友の養子が己の妻を見上げていた時と同じだ。
そういえば、ブラッドから母親の話は出ていない。父親である吸血鬼の話は少ししたが、それだけだった。
その理由は、そのうち聞けばいいだろう。そう思いながら、ギルディオスは食卓の椅子を引いて腰掛けた。
台所からは、フィリオラの調子外れな鼻歌が流れていた。


食卓に並べられる料理に、ブラッドは呆気に取られた。
スープも、サラダも、パンも、卵料理も、不気味な色をしている。染料で染めたような、鮮やかすぎる赤だった。
血の匂いはしないし、血であれば色はもう少し重たいはずだ。恐ろしい気分になりながら、テーブルを凝視した。
最後に真っ赤なケーキを運んできたフィリオラは、テーブルの端に置いた。細長いナイフで、それを切り分ける。

「あ、どうぞどうぞ。先に食べちゃっていいですよ、ブラッドさん」

「ていうか、喰い物なのかこれ?」

ブラッドは、皿に並々と注がれた赤いスープを指した。立ち上る湯気と匂いは普通なのだが、色がおぞましい。
少年の前に取り分けるための皿と食器を置いたフィリオラは、真向かいに座った。得意げに、彼女は笑う。

「食べ物ですよー」

恐る恐る、ブラッドは血の池のようなスープにスプーンを浸した。掬い上げてから口に運び、銜えてみた。
ごきゅりと強引に飲み下してから、目を丸くした。辛いかと思っていたがそうでもなく、程良い味だった。
様々な野菜が煮詰められたであろう甘みがあり、塩気も丁度良かった。ブラッドは、もう一口飲んでから言う。

「まずかぁないけど、にしちゃあ色が凄くね?」

「メダマカズラの実の色ですよ。魔力安定剤に使う魔法植物で、それだけでも充分に効能はあるんです」

真っ赤なパンを手にしたフィリオラは、半分ほどに千切った。中身は更に赤く、強烈な色合いだった。

「今朝、起きる前に考えてみたんですけどね、ブラッドさんが私の血をまずいと感じる原因は、魔力の大きさと質の違いのせいだと思うんですよね。元々の流れや出力がずれているのに飲み込んで摂取したら、ずれがあるせいで気持ち悪くなっちゃうのも当然なんですよ。ですから、私、こう思ったんです」

「何を?」

ギルディオスが相槌を打つと、フィリオラは自信ありげにする。

「私とブラッドさんの両方の魔力を安定させれば、そのずれの幅が小さくなって味が良くなるんじゃないかなって」

「ああ、なるほどな。理屈は解るぜ」

「良い考えだと思いません、小父様?」

にこにこしながら、フィリオラはパンを囓った。ブラッドは半信半疑に思いながら、黙々と赤い料理を食べ続けた。
その効能は差し引いても、味は悪くなかった。むしろ、家庭的で丸みのある味が、寝起きの腹には優しかった。
ブラッドは温かいサラダを取り分け、柔らかく茹でられた野菜を食べた。真っ赤なソースの酸味が合っている。
途中で追加された紅茶を飲んでから、ブラッドは椅子に深く腰掛けた。彼女の血は不味いが、料理は美味しい。
ケーキを見ていると、その味が知りたくなった。深紅の菓子は、昨日食べたものとは違う味がするのだろう。
中腰に立ってケーキに手を伸ばしたが、届かなかった。ギルディオスはケーキの皿を取り、ブラッドの前に置く。

「ほいよ」

「あ、うん」

ブラッドはケーキの中央付近から取ると、かぶりついた。甘さだけでなく、僅かに香辛料と思しき刺激もある。
だが、その香辛料は嫌味ではない。それどころか味の冴えとなっていて、気付いたらケーキを食べ終えていた。
ブラッドは、口の中の物を飲み下した。このままここを離れるべきか、どうするべきか、迷い始めてしまった。
しかし、先程出て行くと言った手前、すぐに意見を変えるのは格好が悪い。だが、食欲には勝てない。
ブラッドは目の前の料理を見、結論を出した。フィリオラとギルディオスから目線を逸らし、控えめに呟いた。

「まぁ…もうちょっとは、いてやってもいいかな」

「それがいいぜ。フィルとやり合おうってのに、何も策を考えないで突っ掛かるのは賢くねぇからな」

ギルディオスは頷き、がしゃりと足を組んだ。フィリオラは皿の下敷きになっていた新聞を出し、甲冑に渡す。

「はいどうぞ、小父様」

「おう」

ばさりと新聞を広げたギルディオスは、記事を読んだ。数日前に起きた、旧王都での猟奇事件のものがある。
それから目を外し、大量の朝食を食べ続けるブラッドを窺った。昨夜の血だけでは、足りていなかったようだ。
吸血鬼とはいえ、半分は人間で成長期の子供だ。食欲に勝てるはずがないよな、とギルディオスは内心で笑った。
新聞を数枚めくり、経済面を開いた。共和国内の企業の株価が書き記されていたが、その一部が潰れていた。
いくつかの企業名と数字が、黒く塗り潰されている。ギルディオスはそれらを見つめていたが、顔を背けた。
しきりに料理の感想を求めてくるフィリオラを鬱陶しそうにしながらも、ブラッドは律義に一つ一つ答えている。
その会話を聞き流しながら、ギルディオスは出窓へ向いた。薄いカーテン越しに、淡い朝日が差し込んでいる。
蒸気と朝靄に覆われた街を眺め、思考を巡らせた。この新聞がどういう意味であるかなど、知り尽くしている。
条件反射で経済面の内容を読み取ったので、何を示すのかは理解出来ていた。だが、それを考えたくはない。
甲冑は、胸中の真紅の石に思考を押し込めた。今は、何も説明するわけにはいかない。してはいけないのだ。
真っ赤な食卓を囲んでいる二人は、言葉を交わし続けている。これに水を差してはいけない。そう、痛切に思った。
食事を邪魔することほど、無粋なことはないのだから。




赤き魔導鉱石で命を繋ぐ彼と、赤きもので心を繋がんとする少女と少年。
彼らの思いは未だ重ならず、互いが隠した思いを放つことはない。
それは、それぞれへの思い遣りであり、そして、秘密でもあった。

さすがに一夜では、絆は生まれないのである。






05 10/16