炎の、夢を見る。 真紅の世界。高熱の世界。業火の世界。めらめらと揺れる朱色の舌が、全てを舐め尽くして焼け焦がしている。 灰と化しつつある地面を踏み締めて、ただ一人、立っている。銀色の体に反射した炎の明るさが、眩しかった。 がしゅり、と拳を握る。灰がこぼれ落ちる。涙は出ない。生きているのか死んでいるのか、生きているのだ。 空は見えない。煙が空を隠している。何もいない。在るのは、炎と、己と、焦がされた地面のみ。 熱い。熱い。あつい。 あつい。熱さが、胸の奥底から沸き上がっていた。 魔導鉱石から発せられる熱が全身に回っていて、関節が熱で重たい。ギルディオスは、ぎちり、と顔を上げた。 水を掛けたら弾きそうだ。前にフィリオラが耐火魔法を掛けてくれたおかげで、マントと頭飾りは焦げていない。 いつのまにか荒げていた呼吸を整えて、体を起こした。こんな夢を見るのは、どれくらいぶりのことだろうか。 壁に当てていた背を外して起き上がり、立ち上がった。魔導拳銃を固く握り締めていた手から、力を緩めた。 それを指の間でくるりと回してから、腰に提げているホルスターに差し込んだ。出窓に向き、窓を開け放った。 冷えた朝の空気が滑り込み、熱の籠もった空気を一掃した。出窓に両手を付いて外を見下ろし、夢を思い出した。 あれは、戦場の夢だ。いつの時代のものともしれない、鋼鉄の体と魂に染み付いた、壮絶な戦いの記憶だ。 参ったな、と呟きながら、ギルディオスは出窓に背を向けた。窓枠に腰掛けると、二人の部屋の扉に目をやった。 フィリオラもブラッドも起きないのは、寝るのが遅かったせいだ。その原因は、フィフィリアンヌの話だった。 復讐の矛先が解らなくなったブラッドは気が立っていて、苛々していた。フィリオラは、それをしきりに宥めていた。 口喧嘩にも発展しそうだったのだが、二人の声を聞きつけたレオナルドが激しく文句を言い、立ち消えとなった。 それで良かったのかどうか、解らない。感情をぶつけ合わなければ、本当に互いを理解し合うことは出来ない。 ギルディオスは思い悩もうとしたが思考がまとまらず、がりがりとヘルムを掻いていると、扉が叩かれた。 「あー、おう」 腑抜けた返事をしてから、ギルディオスは廊下へ通じる扉を開けた。新聞を持ったサラが、軽く会釈する。 「おはようございます、ギルディオスさん。昨日は、フィフィリアンヌさんがお見えになったようですけど」 ギルディオスの背後を覗いたサラは、居間を見回す。 「フィリオラさんも、ブラッド君も、まだ起きていないようですね。ブラッド君は子供ですから仕方ないにしても、彼女がこんなに遅くまで眠っているなんて、珍しいですわ。何か、あったんですか?」 「まぁ、色々とな」 サラから新聞を受け取ったギルディオスは、その場で株価の面を広げた。前と同じく、数字が塗り潰されている。 印刷が粗くインクの匂いが残る新聞を折り畳むと、テーブルの上に放った。ギルディオスは、壁から剣を取る。 「ちょっと出掛けてくらぁ」 「どこへですか?」 サラは、バスタードソードを背負ったギルディオスに尋ねた。ギルディオスは、胸の前でベルトの位置を整える。 「行きたくねぇ場所だよ」 サラが聞き返す前に、ギルディオスはサラを押し退けて部屋から出た。重たい金属音が、階段に向かっていく。 赤い頭飾りを付けた頭が下がっていき、どかどかと乱暴な足音も遠のいていった。サラは、それを見送った。 そして居間に入り、テーブルに投げられた新聞を手にした。共和国新聞の一面には、一際大きな見出しがある。 殺人狂、再び現る。血を啜り、蔵物を食み、肉を貪る獣のような悪魔が旧王都の市民を殺した、とあった。 これで九件目。被害者の関連性はまるで見当たらず、幼い子供から警察官、魔導師から医者まで様々だった。 国家警察は捜査に行き詰まったままだ、職務怠慢だ、といった警察に対する文句も記事の中に書いてある。 旧王都は、以前からそれほど治安の良い場所ではなかった。軍備の行き届いた首都に比べれば、抑制が緩い。 国家警察の署もあり、警察官もそれなりにいるのだが、やはり共和国の有する軍と比較すれば力が弱いのだ。 旧王都は、共和国の広大な領土の南東部に位置する地方都市だ。かつての王国の、名残が多く残る街である。 住民の大部分は、基本的には王国と帝国の血筋である民族なのだが、近隣諸国からの移民も入ってきていた。 軍によって成り立っている共和国では、軍に貢献するための産業が盛んで、旧王都には軍需工場がある。 移民達は、そういった工場への働き口を求めてやってくる。そんな中には、不法に入国した者も少なくない。 だが、共和国はそれを黙認している状態だ。彼らのような下働きがいなければ、工場の回転が悪くなるからだ。 しかし、こうして様々な民族が入り混じれば、価値観の違いで自然と諍いが起き、犯罪となってしまうのだ。 この街は、決して安全とは言い難い。工場の多さに比例して空気も悪ければ、水も綺麗であるとは思えない。 だが、そんな街であっても、人は離れるどころか集まってくる。恐らく、彼らは、他に行くところがないのだろう。 新聞をめくって、二面の記事を見た。そこには、旧王都の惨状ではなく、共和国の繁栄を讃える記事があった。 サラは、しばらくの間、新聞記事を読み耽っていた。 ギルディオスは、旧王都を囲んでいる城壁の外に出ていた。 煙と蒸気が朝靄を濃くさせ、排気の匂いも広げていた。草のない地面に、無機質な長方形の箱が並んでいる。 くすんだ色合いの壁で作られた工場は、どの煙突からも煙を吐き出している。ギルディオスは、それを見上げた。 がこん、がこん、と重たい鉄が噛み合う音が響き、川には、工場の排水溝から出る汚水が垂れ流されていた。 どろりと重たい水に満たされている川は遅い流れで、水面に浮かんだ黒い泡はのろのろと下流へと下っていく。 ギルディオスはその汚れた川の脇を歩き、工場街へと向かっていった。白い空間を、銀色の影が歩いていく。 同じ系列会社の工場を五つ通り過ぎた先に、有刺鉄線で門を塞がれた工場があった。閉鎖、と看板がある。 ギルディオスは錆び付いた門の鉄格子を掴み、がしゃがしゃと揺すってみた。有刺鉄線と鍵は、緩みそうにない。 「どういう手筈だったかなぁ」 ギルディオスは数歩後退し、工場を取り囲む高い塀を見回した。左手の塀をよく見ると、薄く魔法陣がある。 白墨で書いて、その上で擦って消したようだった。途切れて掠れた魔法陣の前にやってくると、小石を拾う。 小石をがりがりと塀に擦って魔法陣を繋ぎ、中心の六芒星に手を当てた。久しく使っていなかった、言葉を使う。 「虹の果ての天上で」 どぉん、と発射音にも似た音と共に、魔法陣は壁を貫いた。ギルディオスは手を下げると、塀に開いた穴を覗く。 人一人が抜けられる程度の大きさの穴の奧には、薄汚れた壁の廃工場があった。扉も、鍵で固く閉ざされている。 その扉には、塀と同じく、魔法陣があった。ギルディオスは身を屈めて穴を通り抜け、廃工場の敷地内に入った。 立ち上がって姿勢を戻してから、塀に開いた穴にガントレットの手を翳した。また、久方ぶりの言葉を使った。 「戦女神の加護の元に」 すぐさま、穴は復元された。穴の内側からじわじわと滲み出した壁が穴を埋め尽くし、再び壁に姿を戻した。 ギルディオスはその場から数歩下がり、周囲をぐるりと見渡した。人影も気配もないことを、確認しておく。 慎重に工場へと向き直ると、腰から魔導拳銃を抜いた。ぎちり、とハンマーを起こしてグリップを握り締める。 工場の正面扉の前に出ると、その魔法陣に手を当てた。氷にも似た冷たさが、厚い金属の扉から伝わってくる。 「虹の果ての天上で」 途端に、ぎゅるりと錠前が蠢いた。身を捩り、繋ぎ止めていた取っ手から抜け出ると、ぼたりと地面に転がった。 ギルディオスはその錠前を蹴ってから、扉を押した。錆び付いて固まった蝶番が軋みながら動き、徐々に開く。 細い光が暗闇を切り裂き、扉の開く幅が広がるに連れて光の領域が増えていく。そして、扉を開き切った。 どばん、と壁の両脇に叩き付けられた扉は、ぎぃ、と軋んだ。淡い朝日が照らし出した工場内には、何もなかった。 以前はあったであろう機械はなく、真っ平らな床が広がるのみだった。外からの光は、その奧に続いている。 ギルディオスが光の行く末を辿ると、何かが反射していた。磨かれた鏡のように、眩しい光沢を放っている。 それは、赤黒く濡れていた。滑り込んできた風で空気が動くに連れて、工場に籠もっていた鉄臭さが流れ出す。 生々しく真新しい、体温の残った匂いだった。ギルディオスが一瞬身動ぐと、光を跳ねたものは、起き上がった。 がしゃり、と関節が擦れる。金属糸で作られたであろう銀色のマントは滑らかに光り、赤い飛沫に濡れていた。 それの手は、やけに大きかった。鋭く尖った指先からは粘り気のある液体が滴り落ち、ぱたり、と床を叩いた。 「うくくくくくくくくくくく」 甲高い、笑い声がした。銀色の者はだらりと両腕を垂らしていたが、その腕には肉がなく、骨そのものだった。 振り返った顔は、笑っていた。吊り上がった目と吊り上がった口元は空洞で、不気味な笑顔を浮かべている。 その口元には、べっとりと血が貼り付いている。行儀の悪い子供の食後のように、顔の下半分が汚れていた。 仮面を被った、銀色の骸骨。そう形容するのが一番妥当だ。厚みのない胸に内臓のない腰、肉のない体付き。 胸元には、緑の丸い魔導鉱石が光り輝いていたが、血飛沫で汚れていた。銀色の骸骨は、じゅるりと口元を拭う。 「おっそっい、ンダァーヨォーゥウウウウウウウ」 うけけけけけけけけ、と銀色の骸骨はがくがくと肩を上下させた。震動に合わせて、口元から血が飛び散る。 「楽しい楽しい楽しいゼェー、ずばずばずばずば殺せてェー、がばがばがばがば血ぃ飲めてヨォー」 ぎちり、と銀色の骸骨は首を動かし、ギルディオスに仮面を向ける。 「ダッガッヨー、ツゥマンナーイゼェー! すっげつまんね、超つまんネェ、超超超イカしてネェエエエエッ!」 「…てめぇは」 魔導拳銃を構えたギルディオスに、うかかかかか、と銀色の骸骨は笑う。 「アルちゃんアルっちアルゼンタムさぁー! お初ダナァーギルディオス・ヴァトラスゥー、元気元気元気ィイイ?」 ギルディオスは、目線を下げた。アルゼンタムと名乗った骸骨の足元に転がる肉塊は、布に包まれていた。 それには、見覚えがあった。共和国軍の一般兵士とは違う、赤い軍服。腕章には、魔法陣の刺繍がされている。 腕をへし折られ首を砕かれ腹を引き裂かれ、内臓を散らかされている者の顔にも、やはり見覚えがあった。 半身を引き裂かれた肉塊にも、骨を覗かせている胴体の主にも、腕を千切られて足を喰われている者にも。 舌を引き抜かれた者にも、腹を抉られて黄色っぽい脂肪を光らせている者にも、頭蓋骨を粉砕された者にも。 それは。ほんの数年前まで、同じ部屋で同じ服を着て同じ任務に就き同じ訓練をこなしてきた、人間達だった。 彼らは、かつて。ギルディオスは魔導拳銃の引き金を徐々に絞りながら、激情のままに声を張り上げた。 「オレの」 がちり、と引き金が押し込まれ、雷撃が放たれた。 「部下を殺しやがったなぁあああっ!」 目の覚めるような強烈な閃光が、うねりながら直線に走り抜けた。銀色の骸骨の影を消し、奧の壁に着弾する。 衝撃波と震動と共に、埃が舞い上がった。帯電した空気はぴりぴりと金属の体に染み入り、背筋を逆立てる。 雷撃は、確かにアルゼンタムに直撃したはずだった。相手が逃げる動作もなかったし、逃げたなら動きで解る。 足元の血溜まりを見ても、身動き一つしていない。なのにアルゼンタムは、帯電するどころか平然としている。 相手は金属製だ。雷撃だったから、すぐに放電してしまったのかもしれない。ならば、別の魔法を使うまでだ。 ギルディオスは魔導拳銃の弾倉を回し、水流に合わせた。がちり、とハンマーを戻すと、銀色の骸骨に向ける。 黒光りする銃口に睨まれたアルゼンタムは、笑い転げていた。急に上体を逸らすと、両腕を広げてみせる。 「そうよそうだよそうなのサァアアアアア! オイラが、みぃんな切って喰ってバラしたんダァアヨォオー!」 ギルディオスが小さく息を飲むと、アルゼンタムは、うかかかかかかかかか、と高笑いする。 「イッヤァー、弱い弱すぎ弱っちいんだよ。超イケてネェーンダヨォこいつら、超最悪超最低超ダメダメェー!」 「う」 嘘だ、とギルディオスが叫ぼうとした。すると、別の笑い声が聞こえてきた。背後の逆光に、人影が歩み出た。 こつん、こつん、と確かな足取りで靴音が近付いてくる。至極楽しげな笑みを零しながら、その影は工場に入った。 砂埃でざらついた床に来ると、足音が少し変わった。じゃりっ、と砂を踏む音が止まると、甲冑は振り向いた。 見覚えのある体格と、知った気配の持ち主。灰色のコートを着た男は三つ編みを垂らし、丸メガネを掛けていた。 「嘘じゃねぇんだなー、これが」 「…グレイス」 ギルディオスが呟くと、よう久し振りぃ、と灰色のコートの男、グレイスは親しげに手を振り回した。 「いやーどれくらいぶりかなぁ、ギルディオス・ヴァトラス。相変わらず愛してるぜ、もう大好きぃー」 「このイカレポンチはてめぇの仕業かぁ!」 ギルディオスが声を荒げると、グレイスはへらへらと笑う。 「まぁな。いい出来だろう?」 「この下衆野郎、オレの部下を殺しやがって! 何をしようとしてやがる!」 「言えるはずがないだろう、そんなの。言っちゃったら、先のことが読めちゃって面白くねぇじゃん」 オレもあんたも、とグレイスはギルディオスを指した。 「しかし、軍部も腑抜けてきたもんだぜ。オレがちょいと暗号ばらまいただけで、のこのこ来ちまうんだもんなぁ」 グレイスは服の胸元に手を差し込み、シワの寄った紙を引っ張り出した。それは、共和国新聞だった。 「これはあんたの元部下に出したやつ。で」 グレイスはもう一部の新聞を出し、ぴらぴらと振ってみせる。 「こっちが愛しのギルディオス・ヴァトラスにあげた方さ。いやー簡単簡単、呪い掛けなくて済むって楽すぎぃ」 「ツゥマリはコォダァアアアアア、おっまっえっらっハァアアアアアアア!」 ばちん、とアルゼンタムは鋭く尖った指先を弾いた。乾き始めた血と共に、火花が散る。 「超絶激烈馬鹿だってことなんだヨォオオオオオオオオオ!」 「えー、と」 ばさばさと新聞をめくったグレイスは、経済面を出し、株価の数字と文字を塗り潰した部分を広げる。 「部長から事務員へ。過去の書類整理を行う。全員で手を貸せ。これが元部下共に渡したやつな」 もう一つの新聞をめくり、グレイスは一見すれば同じような暗号を読み上げる。 「会計係から部長へ。書類を取りに行った者がいる。いつもの店で落ち合え。が、あんたに出したやつだな」 二つの新聞を握り潰し、グレイスは少し面倒そうな顔をする。 「こういう隠語って、回りくどくて嫌だな。要するに、あれだ。元部下共は、ギルディオス・ヴァトラスがあの任務を遂行してくれたと思ってここに来た。でもって、ギルディオス・ヴァトラスは、あの任務を勝手に遂行しようとする部下を殴り飛ばすためにここに来た。だが、そのどちらも真っ赤どころかどす黒ーい嘘であり、この廃工場で待っていたのは、銀色は銀色でもイカレポンチの人喰い野郎だったってわけさ」 ギルディオスが魔導拳銃の引き金を軽く絞ると、グレイスは両手を上げてみせる。 「まぁまぁそう怒るなよ。軍部の情報なんざ昔からこっちの世界の人間にはだだ漏れだし、オレがお前ら異能部隊の暗号やら集合場所やらを知っていても、今更不思議じゃないだろ?」 引き金を絞る指を緩めずに、ギルディオスは銃口を下ろした。 「どうして殺した。異能部隊を潰したところで、てめぇにとっちゃ何の利益もないはずだ」 「うん、まぁね。ぶっちゃけ、オレには何の利益もない。だが、アルゼンタムが喰いたがってんのさ」 グレイスは握り潰した新聞を掲げ、ぱちんと指を弾いた。どこからともなく火が現れ、新聞の端を焦がす。 あっという間に火は紙を舐め尽くし、めらめらと燃やしていく。グレイスは火が手に届く前に、手前に投げ捨てた。 「異能者のはらわたと血をね」 薄い煙が広がり、ただでさえ暗い工場内の視界が余計に悪くなった。灰色の呪術師は、楽しげに笑う。 「退役して久しい異能部隊の元隊長、ギルディオス・ヴァトラスを未だに使おうと画策している軍部を見て、こりゃあ使えるって思ってさ。あんたらしか知らないはずの暗号なんて使ってやったら、一発で出てきてくれたぜ、そこの死体共は。まぁ、異能部隊の暗号は、法則が結構簡単だから解読表を盗む前に書き方を覚えちまったんだけどな」 「旧王都の殺人も、全部そのイカレポンチの仕業か」 苛立ちを抑えているギルディオスに、アルゼンタムは顔を突き出して喚く。 「正解正解大正解ィイイイイイ! あっれっはァー、みぃんなオイラのお仕事なのサァアアア!」 「アルっちを魔法で倒そうとしても、無駄だぜ。さっき、ギルディオス・ヴァトラスの雷撃が抜けたのは偶然じゃない」 グレイスは、嫌味ったらしい笑顔を作る。 「そこのイカレポンチは特製でね。機械式だからレベッカちゃんと違って整備も面倒だが、液体魔導鉱石を使わない分、魔力を一点集中させて機動力として使うことが出来る。おまけに面白い仕掛けをしてやったから、アルっちにはどんな魔法も通用しねぇんだ。魔導拳銃なんて論外さ」 「だったら斬り倒すまでだ」 背中に手を回したギルディオスは、がちり、とバスタードソードを少し抜いた。グレイスは、首を横に振る。 「そいつもあんまり賢い選択じゃないぜぇ、ギルディオス・ヴァトラス。アルっちの体に使ってる金属は質の良い魔導金属でね、デイブの兄貴の技術をこれでもかと使ってあるのさ。だから、鋼鉄の剣なんかじゃ切り傷も付かないし、鉛玉をぶち当ててもへこみすら作れないんだぜ?」 「グレイス。てめぇ、呪術師から魔導技師に鞍替えしろよ」 「やだね。そいつはもう、随分昔にデイブの兄貴が似たようなことをやっちゃったから。二番煎じは嫌いなの」 グレイスは、にやにやしながらギルディオスを見据えた。 「さぁてどうする、ギルディオス・ヴァトラス。アルっちを壊さないと、旧王都は血まみれになってくぞー?」 うかかかかかかっ、と唐突にアルゼンタムは笑った。ばちゃっ、と血溜まりを蹴り上げて跳ね、宙に躍り出る。 前傾姿勢になると、真っ直ぐにギルディオスの頭上に振ってきた。ネコのようなしなやかな動きで、着地する。 両手両足を床に付けたかと思うと、バネ仕掛けにも似た勢いで飛び出た。その勢いのまま、ギルディオスを掴む。 大きな両手で甲冑の両肩を掴み、ずざりと砂っぽい床に押し倒した。勢い余って、グレイスの隣まで滑った。 真上に、口が赤黒く染まった銀色の仮面がいる。ギルディオスは蹴るために足を上げようとしたが、踏まれる。 靴底の硬い感触が、膝にあった。見上げると、グレイスが甲冑の足を封じるように膝を踏み、体重を掛けている。 「おおぅ、良い眺め。そそるねぇ」 ぎち、とギルディオスは魔導拳銃の引き金を絞った。が、絞り切る前に、アルゼンタムの手が上腕を握り締めた。 鋭い刃のような指が甲冑の左上腕にめり込み、締め付けていく。徐々に押し込まれた親指が、装甲を貫く。 「うぐぁっ」 骨まで斬られたような激痛が迸り、ギルディオスは仰け反った。魂と感覚が染み入った甲冑は、己の体と同じだ。 左上腕から走った痛みは左手のガントレットを緩めてしまい、魔導拳銃が滑り落ちた。ごとり、と重い音がする。 魂が痺れるほど強烈な痛みが、もう一度訪れた。アルゼンタムの人差し指が、左上腕にずぶりと差し込まれる。 声を上げてしまわないために、ギルディオスは思い切り頭を反らした。かはっ、と苦しげな吐息だけが漏れる。 うけけけけけけ、とアルゼンタムは甲高い声を放った。ギルディオスのヘルムに、血生臭い仮面を近寄せる。 「イーィイ根性シィテンナァー、ギルちゃんギルっちギルディオスゥー。叫べよ喚けよ泣くんだヨォオオオ!」 激痛で霞んだ視界を強め、ギルディオスは頭を起こした。剣の柄を握っている右手を、離す。 「生憎だけどな…オレは泣かせる方が好きでね!」 力強く振られた右手の甲が、べきり、とアルゼンタムの首にめり込む。太さのない首は、あっけなく曲がった。 ギルディオスはアルゼンタムの後頭部を掴み、乱暴に捻った。繊細に繋げられた魔導金属糸が、中で千切れる。 そのまま反対側に向けさせてから、ギルディオスは空いている方の膝を、アルゼンタムの腹に叩き付けた。 歯車と何かが壊れる音が内側からしたかと思うと、アルゼンタムの背が折れるように曲がり、空間が開いた。 銀色の骸骨の下腹部を蹴り上げ、後方に飛ばした。やかましい金属音を立てながら、機械人形は滑っていく。 大きく足を広げて背中から倒れたアルゼンタムは、ウーアーオー、と力の抜けた声を発し、起き上がらない。 ギルディオスはグレイスの足を持ち上げてから体を起こし、その足を引いた。簡単に、呪術師は背から倒れた。 灰色のスラックスを着た足から手を放したギルディオスは、痛みを堪えながら立ち、右手で魔導拳銃を拾う。 その銃口を向けると、グレイスは上半身を起こした。後頭部をさすりながら座ると、にっと笑いかけてくる。 「いやぁ、さすがだぜ」 「うるせぇ。黙れ、この馬鹿野郎。その腐った脳天、吹っ飛ばしてやろうか」 「あ、それはダメ。早く帰らないと奥さんが拗ねちゃうし、ヴィクトリアが誕生日迎えたばっかりなんだよね」 立ち上がったグレイスは背中と尻を払うと、ふにゃりとだらしなく表情を緩めた。 「この間一歳になったばっかりなんだけどさーあ、かぁわいいの」 「自分の子供に欲情すんなよ」 ギルディオスは、がちり、とハンマーを離して弾倉を回転させ、炎に合わせた。グレイスは、平然と笑う。 「それはさすがにしないよ。ヴィクトリアの成長振り、見に来る? 城ん中、えらいことになってるけどさ」 「また今度な」 ギルディオスが素っ気なく返すと、グレイスはギルディオスの脇を通り過ぎ、倒れたアルゼンタムに歩み寄った。 頭を逆向きにされ、へこんだ首筋や膝を叩き込まれて歪んだ腹部装甲を見、あーあー、と残念そうにする。 「何も力一杯殴るこたぁねぇだろー。こいつの部品、造るのが面倒くさいんだぜ」 「知るかそんなこと。鉄屑にしちまえ」 ギルディオスは、苛立ち紛れに吐き捨てた。 「出来るかそんなこと。アルっちは手間と時間と金を掛けて造ったオレの傑作だぞ、鋳つぶせるかってんだ」 持って帰る、とグレイスはアルゼンタムの両腕を掴んだ。背負って立とうとしたが、なかなか持ち上がらない。 苦労しながらアルゼンタムを背負ったグレイスは、ずるずると重たげに引き摺り、開け放たれた扉に向かう。 その後ろ姿を眺めていたが、ギルディオスは呟いた。また、久しく思い出していなかったことを思い出した。 「ああ、そうか。この中、異能部隊じゃなきゃ魔法を発動させられないようにしてあったんだっけか」 「ああそういうこと。だから、このオレが力仕事なんかしなきゃいけねぇんだよ」 グレイスはぜいぜいと息を荒げ、顔を紅潮させている。あーもうっ、と悔しげに唸る。 「誰だよこんなクソ重てぇガラクタ造ったの! ああオレか!」 「さっき、傑作って言ってなかったか? てめぇの場合、魔法に頼りすぎてんだよ。ちったぁ筋肉付けろよ」 「運動なんて大っ嫌いだ!」 子供のように喚きながら、グレイスはアルゼンタムを引き摺っていった。地面が抉れ、二本の線が伸びていく。 ギルディオスが眺めていると、グレイスは文句を吐き出しながら有刺鉄線の巻かれた門に向かっていった。 銀色の骸骨を背から放り投げて回転式弾倉の拳銃を取り出し、鍵と一緒に有刺鉄線も吹っ飛ばすと、蹴った。 ぎちぎちと軋みながら開いていく門からアルゼンタムを引き摺り出したグレイスは、すぐに魔法を唱えた。 ぶわりと彼の周囲の砂埃が舞い上がり、銀色の骸骨と共に消え失せた。空間移動魔法で、帰ったようだった。 ギルディオスは魔導拳銃をホルスターに戻すと、振り返る。日の当たらない冷たい床の上で、皆、死んでいた。 冷えつつある血と崩れた肉塊に埋もれた床を見下ろしていたが、すらりと剣を引き抜き、胸の前で横に構えた。 「天上のヴァルハラに向かいし者に、どうか、戦女神の加護を」 自分でも多少、古臭いな、とは思った。死した戦士を悼む言葉は、中世の時代のままで固まってしまっていた。 だが、今更、どうにも出来るものでもない。どれだけ長い時間を生きていても、何も変わりはしないのだ。 バスタードソードを下ろしたギルディオスは、剣を背中の鞘に戻した。手を放すと、肩に剣の重みがやってくる。 時代が変わって、人が変わって、戦いはなくなると思っていた。王国と帝国が崩壊すれば、戦争も終わるのだと。 だが結局のところ、両国の利権のほとんどが共和国に奪われただけで内情は変わらず、むしろ悪化している。 開け放たれた扉に振り向き、高い塀の向こうに見える旧王都を望んだ。あの都も、その犠牲となっている。 強大な軍事力の維持のために産業に力を入れ、経済力を付けた。だがその弊害で、空も水も汚れてしまった。 旧王都は工場に囲まれているせいで常に汚れた空気で満ちているが、一方の旧帝都は、そうでもなかった。 以前、異能部隊の隊長でいた頃、任務で訪れた旧帝都は、軍隊基地を増強していたが工場は並んでいなかった。 恐らく、軍需工場の大半を別の街に押し付けたのだろう。そして、軍に協力することで軍を味方に付けたのだ。 大戦が始まるのは時間の問題だ。共和国がどの国と戦い、どの国を滅ぼそうとしているのかは解らないが。 思い出してみれば、異能部隊も当初は戦時の秘密兵器として、魔法で戦う兵隊として増強された部隊だ。 その彼らが、こうもあっさりやられるはずがない。高魔力を有し特殊能力を備え、戦法を覚えているはずだ。 アルゼンタムに魔法が通用しないのなら、体術や剣術で戦えばいいはずなのに。なぜ、全員無抵抗なのだろう。 工場の内壁を見回してみても、魔法が着弾した痕跡は先程の雷撃だけだし、硝煙の匂いはまるで残っていない。 それどころか。ギルディオスは腹を引き裂かれた兵士の腰のベルトを見下ろし、そのホルスターの中を睨んだ。 銃がない。異能部隊は、誰一人として拳銃を持っていない。強烈な違和感を覚えたが、その理由は解らなかった。 グレイスが奪ったのかもしれないが、奪ったのであればあの男は自慢する。だが、グレイスは何も言わなかった。 となれば、別の者の仕業かもしれない。ギルディオスは憤りと不可解さを感じていたが、彼らの屍に背を向けた。 悔しさと怒りを噛み締めながら、工場から出た。アルゼンタムの口から零れたのか、血が点々と続いている。 それを辿るように歩いて工場の門から出ると、工場に向き直る。魔導拳銃を構え、古びた建物に銃口を向けた。 引き金を引くと同時に、紅蓮が放出される。炎の固まりは一直線に工場へと進み、壁に命中して空気を震わせる。 炎の衝撃と熱で砕かれた扉の奧には、回り始めた火に炙られる彼らがいた。じっ、と油の焼ける音がする。 しばらく燃え盛る様を眺めていたが、背を向けた。熱風と火の粉にマントを揺さぶられながら、吐き捨てた。 「下らねぇこと聞きやがって」 ギルディオスは、先程のグレイスの言葉を思い出した。なぜ軍を退役したのか、など、その理由は簡単だ。 「オレはなぁ、生きるために戦ってんだ。戦うために生きてるわけじゃねぇんだよ」 兵士には向いていないだけだ。そう思いながら、ギルディオスは旧王都へと繋がる道へと歩き出していった。 早く帰らないと、フィリオラが心配する。ブラッドも気にしてしまう。帰る場所があるのだから、帰らなくては。 じりじりと熱を持ち始めた魂と魔導鉱石が、熱かった。夢で浴びた炎よりもずっと、明確な痛みを持っていた。 腕の傷よりも、余程強い痛みだった。 フィリオラの部屋に戻ると、フィリオラは既に起きていた。 ギルディオスが扉を開けると、すぐさま彼女は台所から顔を出す。二つに括られた髪が、跳ねるように揺れた。 白いエプロンで両手を拭ってから、小走りにやってきた。嬉しそうに笑ってギルディオスの前に立ち、背伸びする。 「お帰りなさい、小父様!」 邪心のない青い瞳に、武装した甲冑が映っていた。返り血こそ浴びていないものの、左上腕は損傷していた。 あ、とフィリオラはギルディオスの左上腕に気付いた。血痕の付いた傷痕に手を伸ばし、そっと指先で触れる。 「すぐに直しますね」 「普通さ」 左上腕に当てられたフィリオラの手から滲む体温を感じながら、ギルディオスは漏らした。 「何があったとか、聞くもんじゃねぇの?」 「聞きませんよぉ。何があったとしても、帰ってきて下さったんだからそれでいいんです」 フィリオラはギルディオスにぺたぺたと触りながら、笑った。ギルディオスは少し肩を竦めた。 「気楽だなぁおい。それが本当にやばいことだったらどうすんだよ」 「その時はその時です」 エプロンのポケットから白墨を取り出したフィリオラは、ギルディオスの足元の床にしゃがみ、魔法陣を描く。 こつこつと白墨が床板に当たる軽快な音が、フィリオラの調子外れな鼻歌に混じる。それは、流行りの歌だった。 それには、ギルディオスも聞き覚えがあった。旧王都の中でも数少ない娯楽である、歌劇場から流れてくる歌だ。 深く愛し合うも運命の悪戯で離れ離れになってしまった男女が再び出会うまでを描いた大衆劇の、主題歌だった。 だが、フィリオラの歌は、上がるところが下がり下がるところが上がっているので、同じ歌とは思えなかった。 着々と出来る魔法陣の中に突っ立ったまま、ギルディオスは窓へ顔を向けた。明るい日光が、差し込んでいる。 台所からは野菜の煮える匂いと小麦の焼ける匂いがし、暖炉には火が入れられ、室内の空気は暖まっていった。 足元には、膝を付いて白墨を滑らせるツノの生えた頭がある。ここにいるだけで、焼け爛れた魂は安らいだ。 同じ火のある場所でも、戦場とは違う。かつての部下達を焼いた炎を放った手も、暖かな室温が染み渡っている。 それでいいのか、と疑念も湧いたが、それでいいんだ、と思った。帰る場所があるなら、帰るべきなのだ。 たとえ体が鋼鉄であろうとも、魂を包むものは無機物であろうとも、自分は間違いなく人間であり生きている。 そして、兵士ではなく戦士だ。戦うために生きているのではない、生きていくために戦っているに過ぎない。 戦う理由は、今も昔もそれだけだ。 深き業と重き罪を背負い、炎の中で剣を振るい続ける。 どれだけ時を長らえても、戦いから逃れることは出来ない。 それは宿命であり、定めであり、そして。 重剣士の、日常なのである。 05 10/22 |