ランスは、天井を見つめていた。 まだ覚醒し切っていない思考は、どこか心地良かった。すぐ隣の窓からは、鋭い日差しが感じられる。 昼も近いのか、太陽は空高く上り詰めていた。机と椅子から伸びている影の長さで、それが解った。 机の上には、昨日の夜中まで続けていた勉強の名残があった。帳面と本が、広げられたままになっている。 明け方近くなって眠気に負けてしまい、片付けるのを忘れたのだ。それを思い出し、軽い自己嫌悪になる。 睡魔に負けた自分を情けなく思いながら、ランスは寝返りを打つ。そして、ふとあることに気付いた。 何か、足にまとわりついている。服の感触がいつもとは違っていて、長めの髪も結われているようだ。 不思議に思いながら体を起こし、掛け布団をめくる。ランスは途端に覚醒し、呆然と呟いた。 「…何だよこれ」 いつのまにか、淡い紫のエプロンドレスを着ていた。恐る恐る、ランスは白いエプロンをつまんでみる。 片足を挙げてみると、スカートの下にはちゃんとドロワーズまで着ていた。徹底的に着せられたらしい。 誰か別の人間の部屋なのか、と思い、見回してみるも、やはりここは自分の部屋だ。壁に、杖も立て掛けてある。 ますます混乱しながら、立ち上がってみた。多少シワの寄ったスカートを伸ばし、両端を掴んで持ち上げてみる。 よく見ると、丁寧なことに裾上げがしてあった。ランスの体格に合わせた長さで、丁度良い丈になっていた。 あまりにも周到過ぎて、却って気色悪くなってきた。ベッドから降りてブーツに足を突っ込み、顔を上げた。 壁に掛かった鏡には、自分の姿が映り込んでいる。明るい部屋を映した鏡面に、妙な髪型にされた少年がいた。 肩より少し長い黒髪は、二つに分けた三つ編みにされていた。ランスは後頭部に手を回し、ぐしゃりとそれを掴む。 「うひゃあ」 あまりのことに、他に言うべき言葉が見当たらなかった。ここまでされて気付かない自分も自分だ、と思った。 部屋には、いつもの服はなかった。魔導師の衣装もマントもない上に、部屋着すらも見当たらなかった。 ランスは窓の下、庭を見下ろした。すると、自分の部屋着が物干し竿に掛けられており、風にはためいている。 洗濯を一通り終えたらしい母親、洗濯桶を抱えたメアリーが、ランスの方を見上げた。太陽を指し、声を上げる。 「ランス、やっと起きたかー。もう昼だよ!」 窓を開け、ランスは身を乗り出した。三つ編みを握り、母に問う。 「あのさあ母さん、これ、何なの?」 「ああ、それかい?」 メアリーは洗濯桶を置いてエプロンで手を拭きながら、複雑極まりない顔をしているランスに言った。 「パトリシアちゃんが、朝に来てたんだけどね。たぶん、その時にされたんだよ」 「…やっぱり」 ランスは脱力してしまい、窓枠にへたり込んだ。薄々、予想は付いていた。 「パティのせいじゃないかと思ってたんだよねぇ、これ」 「しっかしよく似合うねー、ランス。結構可愛いじゃないか」 可笑しげに、メアリーは口元を押さえる。ランスは窓枠から起き上がり、母親から顔を逸らす。 「女装を褒められても嬉しくないんだけど。で、僕の服、どこ?」 「あんたとあたしの部屋着の類は、全部洗濯しちゃったからねぇー」 天気があんまりいいからさ、と、メアリーは空を仰ぐ。雲一つなく、清々しく晴れ渡った空が広がっている。 強くなってきた日差しによって空気も暖まり、家々の屋根からも雪が消えている。春の訪れも、近いようだ。 土と若草の匂いが混じった風を感じ、ランスは精霊の声も聞いた。はながさくわ、みずもぬるむわ、うれしいわ。 浮かれている精霊達の声を聞き流しながら、ランスは更に身を乗り出した。真下に、母親が見える。 「んで、僕の魔導服は? それもないみたいなんだけど」 「それなら、パトリシアちゃんが持っていっちまったよ」 「マジで?」 「マジさ。なんでも、魔物の返り血の染み抜きをするとかで」 頷いたメアリーから、ランスは目を外した。確かに、数日前の戦闘でマントが汚れた気がする。 「でも、そんなにひどい汚れじゃないんだけどなぁ。浄化魔法も色々と掛けたし」 「それでも気になるんだってさ。パトリシアちゃん、良い奥さんになりそうじゃないか」 けらけらと笑うメアリーに、ランスはむくれながら言い返す。 「だーから、僕とパティはなんでもないんだってば。父さんも母さんも、なんでそう乗り気なんだよ」 全く、と部屋の中に戻ろうとした息子を、メアリーは呼び止めた。 「あ、そうそう。朝ご飯は下にあるから、さっさと食べちまってくれよ。片付かないからね。んでさ」 「用事なら後にしてくれる? 早いとこパティを探して、服を取り返さないとなんだから」 部屋の中に引っ込むと、ランスは窓を閉めた。つい力が入ってしまい、ばしゃん、と窓枠とガラスが鳴る。 パトリシアに対する腹立たしさと、自分の鈍さに対する苛立ちを強く覚えながら、ランスは壁から杖を取った。 机の上から財布を取り、念のために懐へ突っ込んだ。数枚の金貨と銀貨が、ちゃりっと袋の中で擦れる。 扉を開けて階段を下りながら、パトリシアの行きそうな場所を思い出して、ある程度の目星を付けていった。 一刻も早く、彼女を見つけなければ。スカートを広げて歩きながら、ランスは切に思っていた。 裏通りから出たことを、ランスは強烈に後悔した。 四方八方から集まる視線を堪えるため、顔を伏せながら歩く。エプロンドレスに杖は、目立って当たり前だ。 せめて、三つ編みはほどくべきだったかもしれない。ランスは杖を引き摺りながら、商店街を進んでいた。 昼間ということもあり、人通りも多い。おまけに知った顔も多く、そのたびに、一言二言何かを言われる。 可愛いだとかよく似合うだとか、母親似だからだとか、様々な言葉を。ランスは、変な笑いを浮かべた。 彼らに曖昧な返事を返しながら、ランスはパトリシアを恨んだ。心の底から、本気で幼馴染みを恨んだ。 探し出したらまず最初に、文句を言ってやろうと思った。なぜ女装させたのか、その理由も聞かなくては。 どうせ大した理由じゃないんだろうけどさ、と口の中で呟いた。目的の店に到着したので、ランスは足を止めた。 看板を見上げると、何の店であるかすぐに解った。木で出来た鉄槌と店名が、軒先にぶら下がっている。 鍛冶屋ガロルド。パトリシアの実家でもある店だ。なかなか腕の良い鍛冶屋だと、父親が良く言っていた。 ランスは一歩二歩、身を引いた。ギルディオスが死んでからというもの、訪れることは少なくなった。 メアリーも重剣士だが、彼女は剣の手入れを別の店に任せている。なんでも、ガロルドはクセがあるんだそうだ。 そのクセがギルディオスには合うのだが、メアリーには合わないらしい。ランスには、よく解らない世界だった。 しばらく突っ立っていると、鉄の精霊と炎の精霊がやってきた。金属の匂いと熱が、ふわりとまとわりつく。 あらあら、あのひとのむすこね。めずらしいわ、そうおもわない? ええ、おもうわ、とてもめずらしいわ。 彼女らを振り払い、ランスは扉に手を掛けた。重たい扉を押し開いて、慎重に店内へ踏み入った。 店の中には、鉄臭さと熱気が立ち込めている。奧の工房からは、金属を叩く規則正しい音が響いてきた。 ランスは、後ろ手に扉を閉めた。カウンターで帳面を捲っていた女性は顔を上げ、ランスに声を掛ける。 「あ、いらっしゃい!」 「あの、クリスティーナさん。パティ、います?」 ランスは、カウンターに寄り掛かる女性を見上げた。顔立ちも雰囲気もパトリシアと良く似た、彼女の姉だ。 クリスティーナは一括りにした長い金髪を、ばさりと肩から背に放った。腕を組み、首を横に振る。 「いや、帰ってきてないね。それで、ランスはまたパティに何をされたんだ?」 「えーと、僕にもよく解りません」 笑顔を作ろうとしたが、ランスの顔は引きつっていた。クリスティーナは、カウンターから身を乗り出す。 「そのエプロンドレス、パティのじゃないか。ちゃーんと裾上げして、丁寧なこったねぇ」 「変なところが器用ですからね、パティ」 そう呟きながら、ランスはスカートの裾を見下ろす。丁寧で整った縫い目が、裾に続いていた。 二つの短い三つ編みも、眠っていたのに少しもばらけていなかった。余程、きっちり編んだのだろう。 上から下までランスを眺めたクリスティーナは、いきなり吹き出した。笑いながら、目元を擦る。 「しっかしよく似合うねー、ランス。これであのギルさんの息子だってんだから、不思議だよ」 「僕もそう思います」 笑いを堪えるクリスティーナに、ランスは苦笑した。父親に似ていたら、もっと笑われていただろうが。 「布でも丸めて胸に詰めて紅なんか引いたら、かぁわいい女の子になれるよ」 にんまりと笑み、クリスティーナはランスの顔を指す。その表情は、擦り寄るパトリシアと一緒だった。 思わず、ランスは後退ってしまった。カウンターから徐々に距離を開け、どん、と背中を扉にぶつけた。 「遠慮しときます」 「おや残念。せっかくやる気になってきたのに」 「何考えてんですか」 パトリシアと似たような思考を持つクリスティーナに、ランスは少し呆れた。やはり、姉妹だからだろう。 扉を引いて開け、ため息を吐きながら出ようとした。クリスティーナは片手を挙げ、ランスの背に声を掛けた。 「あ、ちょい待ち、ランス。パティが他に行きそうなところって行ったら、教会ぐらいじゃないのか?」 「教会なんかに、信心浅いパティが行きますか?」 「そりゃ行くさ、あの子も修道士だからね。それに今日は、芽吹きの祈りがある日だし」 クリスティーナは、さも自信ありげに大きめの胸を張った。ランスは間を置いてから思い出し、ああ、と頷いた。 パトリシアが一応信仰する神教では、季節の折り目で神に感謝する風習がある。今日は、それが行われる日だ。 神教では、季節は神が作るものとされている。春の芽吹き、夏の日差し、秋の木枯らし、冬の雪など。 他にも色々とあるのだが、パトリシアが祈りをすっぽかしてしまうことが多いので、ランスはあまり多く知らない。 だがそれでも、春夏秋冬の祈りには行っていた。修道士の最低限の義務だ、とパトリシアは言っていた。 ランスは扉の隙間を広げ、教会のある方を向いた。祈りを終えて、家路に向かう人々の姿が見える。 「もうすぐ春だもんなぁ」 「だからさ、行ってみたらどうだ? いるかもしれないだろ?」 クリスティーナの提案に、ランスは同意する。多少なりとも、確実な線だ。 「まぁ、最初から行くつもりでしたしね。行ってみます」 「おう、頑張って来いよー!」 クリスティーナの応援を背に受けながら、ランスは外に出た。何を頑張ればいいのか、よく解らない。 杖を抱え直し、考えてみたが、思い当たらない。なので、答えを出すことを諦め、教会に行くことにした。 ランスは三つ編みをほどき、いつものように後頭部で高く括った。この方が、三つ編みよりも大分落ち着く。 首の裏に軽く触れる毛先を感じつつ、足早に教会へ向かっていった。 この街で一番大きな神教会に到着すると、既に人はまばらだった。 祈りを終えた神教信者達は帰り、残っているのは修道女や司祭ぐらいなものだ。ランスは、門から顔を出す。 降り積もった雪が両端に除けられた石畳を、若い修道女が丁寧に掃いていた。すると、ざっ、と箒が止まった。 あら、と修道女はきょとんと目を丸め、ランスに向いた。ランスは、仕方なしに門の後ろから出て挨拶する。 「こんにちは」 「あら、あら、あらーぁ?」 不思議そうに、修道女は片手を頬に添えた。ランスは恥ずかしさをぐっと堪え、彼女の元へ進む。 上から下までランスを眺め回した修道女は、くすっと笑った。ランスは目線を反らしながら、尋ねた。 「パティ、パトリシア・ガロルドは、ここに来ませんでしたか?」 「ええ、来たわよ。でも、それは朝の祈りの時よ。今はもうお昼だわ」 ランスに合わせて身を屈めていた修道女は、体を起こして教会の鐘を見上げた。ランスも、鐘を見上げる。 司祭の手により、大きな鐘が揺らされていた。少しの間の後、ごぉん、と腹に響く重たい音色が広がった。 昼を知らせる鐘の音に、ランスは思わず聞き入ってしまった。間近に聞くのは、何年ぶりだろうか。 修道女は鳴らされ続けている鐘を見上げながら、言った。細身の箒を抱え、胸の前で手を組む。 「パトリシアさん、困った人ね。本来なら、朝昼晩の三回と、前日後日にも祈りを捧げなくてはならないのに」 「全くですよ」 揺れ続ける鐘を見つめながら、ランスは怠慢な修道士の言い分を思い出す。 「パティによれば、心構えの問題なんだそうで。回数は少なくてもしっかり祈ってるらしいですよ、あれでも」 「我々の父は、神は常に私達を見ていらっしゃるわ。だからこそ、日々の祈りは欠かしてはいけないのよ」 修道女は、腹立たしげにする。ぎゅっと箒を握り、語気を強めた。 「魔物の教化を行う修道士なら、尚のことなのに。全く、不真面目すぎるわ!」 「ですよねぇ」 「あら、ランスさんもそう思う?」 嬉しそうに、修道女は微笑む。ランスへ身を屈め、視線を合わせた。 「だから今度、あなたから言い聞かせて! ちゃんと祈りを行わないと、神は力を与えて下さらないわって!」 「はぁ…」 目の前の修道女から目を外し、ランスは生返事をした。それでは、全てに平等なはずの神が平等ではない。 妙な理屈に困惑しつつ、ランスは身を引いた。ここに彼女がいないのであれば、もう用はない。 「あの、パティがどこに行ったか解ります?」 「んー、そうねぇ…」 修道女は片手を上げ、先程とは違う方向の商店街を指し示した。魔法道具商店の、多い通りだった。 「魔法通りの方に行ったわ。ランスさんの魔導服って、色々と魔法が掛けられてるでしょ?」 「ええ、まぁ」 頷いてから、ランスは何を掛けたか思い出した。簡単な呪い返しに、初歩的な魔法弾きを掛けていた。 ランスは、パトリシアの考えが容易に読めた。それなりに、気を遣ってくれているらしい。 「普通に洗ったんじゃ、取れない汚れも多いしなぁ。それに、下手に洗ったら魔法も弱まるし」 「だから、魔法道具屋にでもいるんじゃないかしら」 「当たってみます」 修道女に軽く礼をし、ランスは歩き出した。門を出た辺りで、修道女が声を上げる。 「可愛いんだから、変な男に引っかけられないでねー!」 「…えー、そんなに僕、可愛いんですか?」 気力を大量に削がれながら、ランスは振り返った。ええ、と、満面の笑みで修道女は頷いた。 改めて自分の格好を見下ろしてみたが、可愛いとは思えない。それどころか、異様さが身に染みてくる。 ランスには嫌悪感ばかり起こるのだが、端から見たらそうではないようだ。その落差が、更に嫌悪感を生む。 普段であれば多少なりとも誇らしく思っている、母親似の顔が、次第に恨めしくなってきてしまった。 ランスはもう歩きたくはなかったが、行くしかなかった。魔法通りに体を向け、半ば義務感で足を動かした。 春の温かさを体に満たした風の精霊が、ふわりとランスの足元を巡る。小さな笑い声が、耳元に聞こえた。 うふふ、とってもかわいいわ。まるで、ほんとうのおんなのこみたいよ。うふふふふふ。 魔法通りは、独特の空気がじっとりと漂っていた。 様々な魔法薬や魔術の気配が、力を帯びて渦巻いている。ランスにとって、少し落ち着く場所だ。 魔力がひしめていると、それだけで精霊は動きを静めて声も潜める。なので、うるささも少し消えてくれる。 マントや長いローブを着た人間が多いため、エプロンドレスは前以上に目立った。ランスは、もう諦めた。 どうにでもなれ、と思いながら顔を上げて胸を張った。軒を連ねる魔法道具店を見回し、彼女の姿を探す。 魔導師だらけの場所では、修道士の姿は一際目立つ。だが、十字を付けた紺色の衣装は目に入ってこない。 ここにもいないか、とランスは察した。いるのであればすぐさまこちらに気付き、飛び掛かってくるはずだ。 ならば、この場所にも用はない。ランスは体を反転させて歩き出そうとしたが、足を止めてしまった。 振り返った先に、見覚えのある青年が居た。荷物を抱えている彼は、きょとんと不思議そうな顔をしている。 「ランス君じゃないですか!」 ランスは無視したかったが、相手は真正面にいるので出来なかった。仕方なく、彼を見上げる。 「…カインさん」 「うわあどうしたんですか、その格好!」 か、の形になったカインの口を、ランスは飛び掛かって塞いだ。どん、と地面を蹴って速度を付ける。 そのまま後方へ体重を掛け、軽く足を払って倒す。ランスは地面に膝を落とすと、同時にカインも倒れた。 勢い良く、カインの後頭部は地面に打ち付けられた。ランスの手の下で、ごっ、と固く鈍い音がする。 がしゃがしゃん、と彼の荷物が転げ、魔導鉱石の装飾具が散らばった。ランスは屈み込み、声を低くした。 「それ以上、絶対に言わないで下さい」 仰向けに倒れたまま、カインはとりあえず頷いた。口を覆っていた少年の手が、やっと外される。 強かに打ち付けた後頭部を押さえながら、起き上がる。カインは、目を吊り上げるランスに顔を向けた。 「解りましたよ。でも、いきなり倒すことはないじゃないですか」 「これ以上言われたくないんです。何が何でも」 「そんなに、嫌なことがあったんですか…」 睨み付けてくるランスに、カインは苦笑した。立ち上がったランスは、苛立ちながら叫ぶ。 「ええ、ありましたとも! それもこれもパティのせいなんですけどね!」 「…でしょうね」 エプロンドレスで怒るランスを見上げ、カインは少し可笑しくなった。衣装と表情が、まるで合わない。 ずきずきと痛む後頭部をさすりつつ、彼に何があったか想像してみる。大方、可愛いと連呼されたのだろう。 だが確かに、ランスは可愛らしい。浅黒い肌と黒髪に、薄紫のエプロンドレスはよく似合っているのだ。 肩幅が狭くて体格がない上に、細めの顎に吊り上がり気味の大きめな目。顔立ちも、中性的で整っている。 見ようによっては男にも女にも取れるのだが、衣装が似合っているせいで、一見すると少女にしか見えなかった。 ここまでぴったり似合う服を着せたパトリシアに、カインは感心してしまう。彼女の趣味は、意外に鋭いようだ。 散らばってしまった魔導鉱石の装飾具を集め、カインはそれらの傷を確かめた。幸い、どれも無傷だ。 「だけど、格闘術も使えるなんて知りませんでした。強いんだなぁ、ランス君は」 「まぁ、護身程度だけど、母さんに教えてもらったんで。でも、身長差で倒せないと思ってたのになぁ」 簡単に倒れちゃうんだもん、と意外そうにランスは首を捻った。カインは、諦めたように苦笑する。 「僕は何もかも弱いからなぁ…」 「それで、なんでカインさんがここにいるんですか?」 ランスは膝を払い、カインに尋ねた。袋をしっかりと抱きかかえたカインは、とん、と軽く袋を叩く。 「これの値段を調べに。フィフィリアンヌさんから、仮面舞踏会の衣装の代金としてこれを頂いたんです」 「で、いくらぐらいなんです?」 「魔法道具商の方にざっと値踏みしてもらったら、金貨十二枚程度にはなりそうなんだけど」 「けど?」 語尾が引っかかり、ランスは片方の眉を上げる。カインは気恥ずかしげに、表情を綻ばせる。 大事そうに袋を抱き締め、へにゃりと口元を緩ませる。色白の頬を染めながら、ランスから目線を外した。 「売るに売れませんよ、これは」 「あー、そうでしたね…」 あらぬ方向を見つめるカインに、ランスは力なく返した。嬉しくて仕方ないのか、カインは目を細めている。 無愛想で可愛げのないハーフドラゴンのどこがいいのか、何度考えても、ランスには理解出来ない。 至極幸せそうなカインに、ランスは何も言えなかった。というより、言うことがまるで思い当たらない。 その量で金貨十二枚って安物じゃないですか、と言いたくなったが、堪えた。きっと、反論されるだろう。 ランスは、杖を固く握り締めていた。どうやってこの場を立ち去ろうか、必死に考えていた。 これ以上、カインと一緒にいる意味は欠片もない。それどころか、今は時間の無駄でしかないと思えた。 しばらく、そうしてカインを睨み付けていた。視線を感じたカインは、苛立った表情のランスを見下ろす。 「なんですか?」 「いえ、別に」 カインから顔を逸らしたが、ランスは視線だけ戻す。一応、尋ねておくべきだと思った。 「あの、カインさん。パティ、どこに行ったか知りません?」 「ええ、知っているけど」 「ホントですか!」 やっと、パトリシアに近付くことが出来た。ランスはそれが妙に嬉しくなり、カインに寄る。 カインはランスの勢いに少し戸惑いながら、頷いた。袋を片手に抱え、西の方を指す。 「さっき、魔法薬問屋で会ったんですけど、魔物用の染み抜きが売り切れていたんです。で、店主に言われて」 「…フィフィリアンヌ・ドラグーンのところですか?」 「よく解りましたね」 「魔導書の時も、行き着いた先はあそこだったもんで。なんか予想が付いちゃって」 ランスは、カインの指した先に目をやった。うっすらと薄い雪を乗せた、鬱蒼とした森が広がっている。 声を潜めた精霊達は、そっと感覚に囁いてきた。りゅうのこよ、りゅうのこがいるわ。そうね、りゅうがいるわ。 精霊達は楽しみなような不安なような、そんな感じだった。ランスは、諦めと絶望を含めた声を漏らす。 「父さんにも、可愛いって言われちゃいそうだなぁ…。あの軟体生物にも、間違いなく」 「言われますねぇ、きっと。あのお二人は、口が悪いというか、なんというか、遠慮を知りませんから」 カインはランスに返したが、落胆しきったランスを励ますことが出来なかった。何を言うべきか、解らないのだ。 竜族が苦手な彼にとっては、フィフィリアンヌは苦手な相手だ。性格も合わないし、何より彼が嫌っている。 その上必然的に、女装した姿を父親に見られてしまうことになる。これが、嫌でないはずがない。 そしてそれを、あの伯爵が囃し立てないわけがない。あのスライムは、いつでも暇を持て余しているのだから。 ランスは、泣けるものなら泣いてしまいたい、といった様子でがっくりと肩を落とした。背を丸め、唸っている。 よろよろと歩き出したランスの後ろ姿に、カインは心から同情してしまう。そして、内心で励ました。 きっといつかいいことがあるよ、ランス君、と。 足を引き摺るように歩いたランスは、フィフィリアンヌの森に辿り着いた。 歩くうちにどんどん気が重くなり、最後の方はもう、義務感で歩いていた。木々の影の下、深く息を吐く。 木々の間に伸びた細い道を進んでいくと、正面がぽっかりと開ける。顔を上げると、温かな日光が頬に触れた。 石造りの家の周囲は、雪がもうほとんど残っていなかった。日当たりがいいせいか、溶けが早いようだ。 ふと、針葉樹の間に、何かが揺れていることに気付いた。弱い風に、見慣れた紫がはためいている。 「僕のだ」 綺麗に染みが抜かれた、薄紫のマントが揺れている。張られた紐には、他の服も掛けられていた。 柔らかな、野菜を煮る匂いもしている。見上げると、湯気が混じった煙が、台所の煙突から高く昇っていた。 およそこの家に似つかわしくない光景に、ランスは変な気分になる。家庭的すぎて、なんだか恐ろしい。 そう感じた途端、目の前の家が末恐ろしくなった。中で何が起きているか、まるで想像が付かなかった。 行くべきか、行かざるべきか。ランスが突っ立ったまま迷っていると、がちゃりと扉が開かれた。 その音に反応して玄関に目をやると、現れたのはパトリシアだった。清々しげに、彼女はランスに笑う。 「ランス君! おっそーい!」 「遅いって、何が?」 訳も解らずにランスが言うと、パトリシアはとんとんと軽い足取りでやってきた。よっ、と階段を飛び降りる。 また人影が見えたので、ランスは玄関を見上げた。すると意外なことに、そこには母親がいた。 先程まで料理をしていたのか、メアリーの両袖はまくられている。彼女は息子を見、変な顔をする。 「なんだい、やっと来たのかい」 「え?」 ランスがきょとんとしていると、メアリーは呆れたように首を振る。 「人の話は最後まで聞くもんだよ、ランス」 「母さん、パティがどこにいるか知ってたの?」 「知ってたともさ。パトリシアちゃんは、あたしと一緒にこの家に来ることになってたんだから。それをあたしが言おうとしたら、さっさと出ちまうんだもん。全く、慌てすぎだよ」 「ていうか、なんで母さんがここにいるの?」 ぽかんとしながら、ランスは母親を杖で指してしまった。その背後から、ギルディオスが顔を出した。 ギルディオスは妻の肩にガントレットの手を乗せ、息子を見下ろす。後ろ手に、薄暗い家の中を指した。 「いやな、フィルの食生活があんまりにも悪いんで来てもらったのさ。知らなかったのか?」 「だって母さん、僕になんにも」 狼狽えるランスに、メアリーはむっとする。ランスを見下ろし、不満げに口元を曲げた。 「そいつも、あたしは言おうとしたよ。ランスが聞かなかっただけじゃないか」 「えーとつまり、今度のことは、僕が全部悪いの?」 はたはたと揺れるマントを横目に見、ランスは呟いた。力が抜けてしまい、徐々に肩が落ちていった。 恥ずかしい思いをして歩き回らなければならなかったのも、パトリシアを捜さなくてはならなくなったのも。 それは全て、自分の早とちりがもたらした結果だということだ。それも、至極初歩的な失敗のせいで。 ランスはがっくりと項垂れ、額を押さえて前髪を握った。うぁー、と声にならない声が洩れる。 「なんてぇこったい…」 「まぁとにかく、中に入りましょうよ」 ランスの背に回ったパトリシアは、彼を玄関に押していった。つんのめったランスは、仕方なく進む。 全くねぇ、とぼやきながら両親は家の中に戻った。自業自得だったんだ、とランスは内心で苦笑していた。 パトリシアに押され、フィフィリアンヌの家に入った。本棚に挟まれた暖炉に、少女が座っていた。 暖炉の前のテーブルには、メアリーとパトリシアが作ったと思しき料理が並び、良い匂いを昇らせている。 フィフィリアンヌはそれらを前にして、無表情に本を読んでいた。ランスに気付くと、顔を上げる。 「ランス。金貨二枚だ」 「なんで?」 なぜ唐突に、金を請求されるのか解らない。呆気に取られているランスに、フィフィリアンヌは本を向ける。 「パトリシアが私から染み抜きを買ったのだが、手持ちがないと言われてな。貴様が立て替えろ」 「それを買ったのパティで、僕には関係ないだろ? そんなの、パティが付けとけばいいじゃないか!」 「ツケは嫌いだ。信用がならんのでな」 「でも、だからって…」 反論しようと、ランスはフィフィリアンヌを睨んだ。だが逆に、赤い瞳に射竦められてしまった。 恐る恐る彼女を見ると、パトリシアは懇願するように両手を組んでいる。彼女を、フィフィリアンヌと見比べた。 仕方なく、ランスは懐の財布を探った。出掛ける際に、懐へ財布を入れてきたことを後悔した。 「解ったよ、払うよ。でも、たかが染み抜きに金貨二枚って高過ぎない?」 「格安だぞ」 不服そうなランスに、フィフィリアンヌは鋭い目を細めた。ランスは、金貨二枚を取り出す。 「あなたにとっちゃね。僕にとっちゃあ、一枚だって結構な大金なんだけど」 「ごめーんランスくぅん、後でちゃんと払うからぁ」 ランスに腕を回して抱き竦め、パトリシアは頬を寄せる。ランスは、彼女の体を押し退けた。 「絶対に払ってよ、パティ。絶対だからね!」 パトリシアを引き剥がし、ランスはフィフィリアンヌに歩み寄った。どん、とテーブルに金貨を叩き付ける。 その震動で、軽く料理の皿が上下した。フィフィリアンヌは金貨二枚を取り、かちん、と叩き合わせて頷いた。 金貨二枚を小さな手に握り締め、フィフィリアンヌは本を閉じた。そして、眉根を歪ませる。 「しかしなんだ、その素っ頓狂で気色の悪い格好は」 「はっはっはっはっは。ランスよ、貴君は実に可愛らしいではないか! うむ、素敵であるぞ!」 料理の皿に挟まれたワイングラスの中で、伯爵が揺れた。ランスは、そのワイングラスを叩きたくなった。 だが、そんなことをしたら料理が台無しになってしまう。衝動を堪えるために、ぐっと拳を握り締める。 うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、と妙な笑い声が聞こえたので振り返ると、ギルディオスが盛大に笑い転げていた。 扉に縋りながら、がたがたとヘルムを震わせている。赤いマントを乗せた大きな背が、震えている。 ひとしきり笑ってから、ギルディオスは振り向いた。気恥ずかしげな顔の息子を見下ろし、可笑しげに叫ぶ。 「うん、よぉく似合うぜランス! 似合いすぎて笑えてくらぁ!」 「…そりゃどうも」 二人から顔を逸らし、ランスは口元を引きつらせる。意外そうに、フィフィリアンヌは目を丸めた。 「珍しいな。皮肉屋の貴様が、この二人の馬鹿げた評価に反論もしないとは」 「反論する気力もないんだよ。あーもう、疲れた…」 ぐらりとよろけ、ランスはソファーの背もたれに腰を下ろした。深く、体の芯からため息を吐く。 影が出来たので顔を上げると、パトリシアが申し訳なさそうに眉を下げている。両手を、胸の前で組む。 「ごめぇんランス君、まさかそんなに似合うと思ってなかったのよぉ」 「パティのせいだからね、これ全部」 消え入りそうな声で、ランスは言い返す。しゃがみ込んだパトリシアは、ランスの後ろ髪を指で梳いた。 「ああん、せっかく綺麗に編んだのに。ほどいちゃうなんて、残念」 「あのさあパティ、なんで僕にこんな服を着せたの? 嫌がらせ?」 「違うわよ。一度やってみたかったの」 あっけらかんと、悪気なさそうにパトリシアは答えた。少し身を引き、まじまじとランスを眺める。 両手を頬に添えて、ふにゃりと表情を綻ばせる。うっとりと目を細めるパトリシアに、ランスはげんなりした。 「僕に、女装を?」 「そう。ランス君を起こしに行ったら、寝てたじゃない? そしたら、なんだか急に着せてみたくなっちゃって」 「だからって普通、いきなりする? せめて起こしてよ。非常識も甚だしいよ、パティ」 「だあってぇ、あんまりランス君が気持ち良さそうに寝てるから、起こすのが可哀想だったんだもん」 きゃっ、とパトリシアは気恥ずかしげに顔を逸らしてしまった。ランスは、もう一度ため息を吐いた。 やはり、女装の理由はあるようでなかった。理由を求めた自分が間違っていたのだ、とランスは痛切に感じた。 がしがしと前髪をいじってから、ランスは窓の外を見た。まだ、マントも魔導師の衣装も乾きそうにない。 「もうしばらく、このまんまかな…」 「いいじゃねぇかランス、よく似合ってるんだから。そのまま着とけよ」 他人事だからか、ギルディオスは笑っていた。父親らしからぬ無神経さに、ランスは言い返す気も起きない。 ギルディオスの傍らから、メアリーはランスを見下ろす。母親も、父親と同様に笑っていた。 「そうそう。せっかく裾上げしてもらったんだ、いっそのこと、そのエプロンドレスはもらっちゃいなよ」 「そうよそうよ! どうせ、もう私は着られないんだもの、もらってもらってぇん!」 うんうん、と頷きながらパトリシアはランスに迫る。ランスは身を引きながら、顔を背けた。 「遠慮するよ。ていうか、二度と着るもんか」 ずりずりと仰け反りつつ、ランスはちらりとフィフィリアンヌを窺ってみた。彼女は、読書を再開していた。 他人のことなど、本当にどうでもいいらしい。テーブルの上では、未だに伯爵が馬鹿笑いを続けている。 フィフィリアンヌのあまりの無関心さに、ランスはちょっと呆れたが、それが少しだけ羨ましくなった。 こういうときに、自分の世界を作ってしまえればどんなに楽か。そう思って目を伏せると、下半身が視界に入る。 寸法の合う薄紫のエプロンドレスを、ランスは一刻も早く、脱いでしまいたくて仕方なかった。 だがそれは、自分の服が乾かないことには、叶わない夢だった。 年上の彼女の、乙女心といらぬ気遣い。それはすなわち、彼の災難。 しかしその災難は、もう少し続くことになる。むやみに街中を歩き回ったせいで、話に余計な尾鰭が付いたのだ。 ランスに女装癖があるだの、実は女だの、メアリーの親戚だの、ヴァトラス一家の隠し子疑惑だの。 後日、ランスはそれらを片っ端から弁解して周った。おかげで彼は、更に消耗することになってしまった。 人の話は、きちんと最後まで聞くべきなのである。 05 2/12 |