ドラゴンは笑わない




異形の歌声



セイラは、太陽を見ていた。


長い間暗がりにいたせいもあり、直接見る日差しは目に痛いほどだった。単眼を、ぎゅうと細める。
乾き気味の厚い肌を、ほんのりと温かさを持った風が滑っていった。春の息吹が、感じられた。
鉄格子の填った洞窟の傍らに座り、周囲に広がる森へ目線を下ろす。ちゃんと眺めたのは、初めてだ。
洞窟の檻へ連行されたときは夜であったし、何より状況を把握出来なかったので、周囲を見回す余裕もなかった。
さらさらと擦れ合う枝と葉の声に、セイラは嬉しくなる。太く長い尾を振り下ろすと、ばん、と地面が揺れた。
体中に刻み込まれた傷の一つ一つに薬が塗られており、布が巻かれている。そこだけ、風の感触がない。
木々が並ぶ深い森を眺め、セイラは不格好な笑みを浮かべた。そして、己を好いてくれた少女の名を呟いた。

「フィリィ」

「フィルとエドが竜王城から戻ってくるのは、もう少し後だろ。金額の交渉もあるだろうし、手間が掛かるのさ」

セイラの足元に座る甲冑は、すらりとバスタードソードを持ち上げた。手首を曲げると、光が跳ねた。
ぎらりとした強い眩しさに、セイラは目を逸らした。悪ぃ、とギルディオスは肩を竦める。

「しかしよ、セイラ」

「何、ギリィ」

「お前ってさ、ル、が言えないのか? フィルはフィリィだし、オレもギルなのにギリィだし」

がちゃり、とバスタードソードが足元に置かれた。ギルディオスは油の染みた布を取り、刃に滑らせる。

「なのに、エドワードはエド、でちゃんと言えてるんだよなぁ。濁音は平気なのかな?」

「エド、平気。フィリィ、ギリィ、言エナイ」

「あー、やっぱりそうなのか。んじゃあよ、伯爵はどうなるんだ?」

ギルディオスは上体を逸らし、背後のセイラを見上げる。近くに転がしておいたフラスコを、軽く叩いた。
球体に沿った形状になっている伯爵は、こぽん、と小さな気泡を浮かばせては弾かせた。眠っているのだ。
セイラはそのフラスコを、鋭い爪先でちょんと突く。ごろり、とフラスコは容易く転げ、中身も揺れた。

「…ハクシャ? 違ウ、スライム、名前、ゲリィ」

「伯爵もそうなっちまうのかぁ。ま、オレらの名前にゃルが多いからなー」

ル、を強調しながら、ギルディオスは納得したように頷いた。セイラは顔を上げ、快晴の空を仰ぐ。
三本の長いツノを持った影が、岩肌を覆っている。セイラが背を曲げて縮まると、その影も縮こまる。

「リィ、リゥウェ、リャイ…。アンマリ、綺麗、言エナイ」

「無理に言わなくてもいいさ。オレもフィルも伯爵も、呼び名に頓着してねぇから。気にすんなよ」

片手を挙げ、ギルディオスは左右に振る。セイラは肩を竦め、ぐるぅ、と情けなさそうに喉を鳴らした。

「ココ、西。言葉、違ウ。セイラ、苦手」

「歌はちゃんと、東方の言葉で歌えてるもんな。セイラ、お前は東の生まれなのか?」

「違ウ。生マレタ、場所、覚エテ、ナイ。デモ、言葉、東、好キ」

口を広げて目を細め、セイラは笑ってみせる。これは、先日ギルディオスが教えてくれた表情だった。
太い牙の埋まる歯茎が露わになり、ずらりと並んだ鋭い歯が出る。一見しただけでは、威嚇にしか見えない。
ギルディオスは、なんとなくそれが愛嬌だと思えるようになってきた。まだ数日だが、付き合えば慣れる。
それどころか、彼といい友人になれそうな気がしてきた。異形は、見た目に反して根が優しく大人しい。
言葉はぶつ切りだが、会話も出来ないことはない。その中身も至って普通だし、荒い言葉は滅多に使わない。
優しい、ということは他者への配慮が出来ると言うことである。そして、思慮深い証拠でもあるのだ。
ギルディオスは、にやりと笑っているセイラを見上げた。逆光で、大きな金色の単眼が陰っている。

「セイラ。お前さ、子守歌以外の歌って知らねぇのか?」

「知ラナイ。アノ歌、東デ、聞イタ。ソレダケ」

「戦士の凱歌とか、王国の軍歌とか、遊び歌の類もか?」

「知ラナイ」

「そいつぁ勿体ねぇな。あんなに歌が上手いのに、知らないなんて」

「ダッタラ、ギリィ、教エテ」

「そう言われるとなー…。歌はオレより、メアリーの方が知ってるからなぁ」

メアリーってのはオレの女房なんだけどな、と付け加えてから、ギルディオスはがりがりとヘルムを掻いた。
セイラは拍子抜けした様子で、ぱちりと大きく瞬きをした。残念そうに、口元を僅かに曲げた。

「ギリィ、何モ、知ラナイ?」

「はっきり言うなよ。まぁ、事実だけどよ」

あまり面白くなさそうに、ギルディオスはむくれた。バスタードソードを裏返し、布を当てて擦っていった。
錆止めの油を刃に染み込ませていくと、ぎゅっ、と布が金属と擦れた。光の反射が増し、セイラは目を細める。
戦闘をしなくとも、剣は汚れてしまうものだ。ギルディオスは戦いの相棒をさすりながら、セイラに返す。

「確かにオレは、剣術以外の何も知らねぇよ。魔法も歌も、文字も計算も、なーんにもな」

「ギリィ。開キ、直リ?」

「…まぁな」

「ジャア、ギリィ。他、何、知ッテル?」

「オレの知ってることか」

布を握り締め、ギルディオスは体重を後ろへ掛けた。セイラの太い足に、赤いマントを付けた背がもたれた。
不意の冷たい感触に、セイラは少し驚いたが、足を動かさずにいた。下手に動いては、彼が倒れてしまう。
赤い頭飾りが、風にひらひらと動いていた。背中の赤いマントが、間に挟まれてぐしゃりと歪んでいる。
ギルディオスのヘルムに、空の青さが映り込んだ。セイラは何の気なしに、その色を見つめていた。
しばらく黙っていたが、ギルディオスは呟いた。頭を反らして空を仰ぎ、どこか悲しげな口調になる。

「オレは、やっぱ何も知らねぇ。忘れちゃいけないはずのことも、忘れちまうくらいの馬鹿なんだからよ」

「馬鹿?」

「そうだ。馬鹿だ」

地面に横たえていたバスタードソードを取り、ギルディオスは掲げた。ぎちり、と重みに手首が軋む。
鏡面のように滑らかな刃に、中身のない甲冑と異形の姿が映った。それを、ギルディオスは睨んだ。

「戦友の名前も思い出せなかったし、そいつの顔も忘れちまった。他にもまだ、大事なことを忘れたと思うぜ」

ひゅお、と、柔らかな土の匂いが隙間から入ってきた。日差しに温まった金属の体が、心地良い。
生前とは違い、季節の移り変わりが直に感じられた。気温の変化が、気温の上下が面白いほど伝わってくる。
無機質なヘルムを見つめているはずの、自分の目は見えない。ならば、どこで世界を視ているのだろうか。
こういった瞬間、ギルディオスは、改めて己が死者であることを感じる。肉体がない上に、記憶も半端だ。
だが、肉体を得れば生者になれる、というわけでもない。死んでいるものは、やはり、死んでいるのだ。
バスタードソードを下ろし、ギルディオスは目線を落とす。足元の野草は小さな花を咲かせ、揺れていた。

「ヴァルハラの女神さんに嫌われちまったのかねぇ、オレは」

「ヴァリハ?」

「死んだ戦士の行く場所だ。たぶん、天国みたいな場所だ」

「ギリィ、ヴァリハ、行ケナイ?」

「ああ、行けなかったのさ」

「ギリィ、死ニタク、ナカッタ?」

「たぶんな。メアリーとちっこいランス、残したまんまだったんだから。未練も残るさ」

「デモ、ギリィ。魂、違ウ。ココ、確カニ、イル」

「フィルがな。オレの魂を捕まえて、魔導鉱石に押し込んでくれたのさ。借金も出来たけどな」

こん、とギルディオスは胸を突いた。セイラの単眼に、甲冑が映る。

「フィリィ、ギリィ、助ケタ?」

「いや、違うぜ。フィルは実験だっつってたから、別に助けたわけじゃないだろ」

頬杖を付いたギルディオスは、ざあざあと揺さぶられる森を見つめる。生が、脈動している姿だ。

「死人を助ける奴ぁいねぇよ。それに、オレは助けられなくていい。助ける方でいいんだ」

「ナンデ?」

「オレは馬鹿だからな」

「ギリィ。ソレ、理由、ナッテ、ナイ」

訝しげに言いながら、セイラは身を曲げた。ギルディオスの上に、異形の影が覆い被さってくる。
ギルディオスは薄暗い影の中、少し笑った。まさか、セイラに指摘されるとは思ってもみなかった。
だがギルディオスは、それ以上続けなかった。続けることが、出来なかったのかもしれない。
何に対して、誰かに対して負い目がある。だから自分は、そう簡単に助けられてはいけないのだ。
そう強く感じてはいたのだが、その対象が思い当たらない。思い出そうとすればするほど、何かが遠ざかる。
自然と、ギルディオスは無言になってしまった。己の記憶への旅を、始めてしまったからだ。
それを察したセイラは、何も言わず、竜王都の方を見た。背の高い木々の向こうに、巨大な城がある。
高い塔で四方を囲み、分厚い城壁に兵士達を置き、上空をドラゴンが飛ぶ。純白の翼を広げ、ぐるりと巡った。
都を守る山々を背負っている竜王城はずしりとした威厳を放ち、竜王都を見下ろしていた。




ばさり、と窓の上を影が巡った。
廊下に出たフィフィリアンヌは、室内へ一礼してから後退する。両脇から出てきた守衛達は、扉を固く閉ざした。
どん、と重たい音が廊下に響く。一息吐いてから、フィフィリアンヌは装飾の多い扉に背を向けた。
窓から上空を見ると白竜の騎士が警備をしており、城の上を守っていた。手前の窓を、一瞬、影が覆う。
それを、近くの窓からエドワードが見上げていた。フィフィリアンヌに気付くと、彼は表情を綻ばせる。

「フィフィリアンヌ。どうだった」

「金貨一千枚。それで、セイラを買い付けてきた。宰相共め、調子に乗って値段を引き上げおった」

今し方出てきた扉を睨み、フィフィリアンヌは不満げに眉根を歪める。悔しげな舌打ちが、小さく聞こえた。
守衛に挟まれている扉は、竜王朝の宰相とその側近がいる部屋だった。扉には、竜の彫刻が施されている。
フィフィリアンヌは深く息を吐き、肩を落とした。エドワードの傍にやってくると、眉間を押さえる。

「下らん誘いも持ちかけられたぞ」

「どんな誘いを?」

身を屈めて、エドワードは小さく言った。フィフィリアンヌは、とん、と背を壁に預ける。

「王家付きの調薬師になれ、と言われた。報酬は一月に金貨百枚だそうだ」

「悪くない話じゃないか」

「どこがだ。毒と薬の違いも解らぬような輩の下で働くなど、つまらんだけだ」

「ということは、蹴って来たんだな?」

「当然だ。月に金貨百枚など、安くて敵わんからな」

「そうかな」

エドワードは、首をかしげた。普通の尺度で考えれば、一月に金貨百枚など破格の給料だ。
だがフィフィリアンヌはそう思っていないようで、顔を背けた。窓から差し込む光で、白い横顔が浮かぶ。

「そうだ。一人でいた方が、余程稼ぎがいい。百など、やろうと思えば二日で稼げる金だ」

「なぁ、フィフィリアンヌ。君は本当に、真っ当な仕事をしているのか?」

エドワードに訝しまれたフィフィリアンヌは、表情を変えずに返した。

「さあてな。時と場合によるぞ」

「強か、というか、なんというか…」

複雑そうに呟き、エドワードは壁から背を外した。白いマントが広がり、ふわりと揺らいで影を作った。
縦長の大きな窓からは、空を映した青い湖面が見下ろせた。その上を、小さなドラゴンの子が滑っている。
深青のウロコを煌めかせながら、するりと水面に近付き、とぽん、と容易く没した。小さな影が、水中を行く。
竜王城に近付いてくると、鼻先を出し、ばしゃりと体を跳ね上げた。守衛の竜が、上から声を上げる。
小さな青竜は、ばさりと翼を広げた。何度か羽ばたいて浮かび上がり、竜王城の傍から遠ざかっていった。
エドワードは、青竜族の子を目で追いながら、弟の姿を重ねていた。背格好が、丁度同じくらいだった。
そのまま目線を上げ、空を流れる雲に合わせた。白く柔らかな雲を追いかけることが、コルグの趣味だった。
幼いが故に高度を上げられず、いつも途中で戻ってくる。時には怒り、時には泣いて、こう言ってきた。
エド兄様、どうして僕は高く飛べないの。エド兄様、ねぇどうして。どうして僕は、兄様みたいに大きくないの。
コルグと最後に会ったのは、吹雪の夜だった。竜王都が深い吹雪に覆われたその日、コルグは言った。
エド兄様、雪は僕の味方だよね。僕ら白竜の味方だよね。だから、僕を空に連れていってくれると思うんだ。
止めるのも聞かずに飛び出して、そのまま、コルグは戻ってこなかった。エドワードは、雲を睨む。
数日して、人界に暮らす竜族から知らせが入ってきた。白竜の幼子が人間に殺された、と。
無論、エドワードは仇を討ちに行きたかった。だが、身内や竜王に止められ、竜王都から出られなかった。
争いを増長してはいけない。人を殺してはいけない。憎しみを増やしてはいけない。いけないんだ。
何度もそう言われて、結局、少しも身動きが取れなかった。そしてある日、コルグの遺体は剥製になったと聞いた。
だがそれでも、竜王は言った。エドワード、行ってはいけない、戦ってはいけない。それがあの子のためだ。
焦燥と悔恨の日々が、幾ばくも続いた。そしてまた真冬のある日、騎士仲間から彼女の話を聞いたのだ。
薬学に長け、戦術にも通じた、幼子のような緑竜族の女魔導師。金さえ積めば動く相手だ、ということだった。
事実、フィフィリアンヌは動いてくれた。竜王都から出ているために何の縛りもなく、身軽だったのだ。
そして、フィフィリアンヌはコルグの剥製と魂を奪取してくれた。現在、弟の亡骸と魂は、墓石の下にある。
エドワードは、彼女を羨ましいと思った。竜族にしては珍しく、しがらみのない世界に生きている。
しがらみがないからこそ、今回も行動が取れたのだ。哀れな異形の者を殺さずに、逆に解放してみせた。
エドワードがしたくても出来なかったことを、易々とやってのけたのだ。金に物を言わせて、だったが。
それでも、フィフィリアンヌがセイラを救ったことには代わりはない。エドワードは、フィフィリアンヌへ笑う。

「感謝するよ、フィフィリアンヌ。コルグもそうだが、セイラも救ってくれて」

「あまり感謝をするな、気色悪い。コルグの件は報酬分働いただけだし、セイラは気に入ったから買っただけだ」

壁から背を外したフィフィリアンヌは、くるりとエドワードに背を向けた。数歩進んだが、立ち止まった。
フィフィリアンヌを追ったエドワードは、その背後で足を止めた。廊下の奥に、女性の姿があった。
色鮮やかな新緑のマントを広げ、するりと長い緑髪を肩に乗せている。首や胸元の装飾具が、ちかりと輝く。
吊り上がり気味の、鋭く赤い瞳。細い鼻筋の下には、赤く塗られた形の良い薄い唇があり、端が少し上向いていた。
ローブの胸から腰が締められ、豊満な胸が強調されていた。襟ぐりも広く、華奢な首筋が露わになっている。
こつん、とかかとの高いブーツが鳴った。フィフィリアンヌは女性を見、呟いた。


「母上」


緑竜族の女性は、軽やかな足取りで近付いてきた。エドワードへ優しく微笑んでから、少女の前に立つ。
長い髪をさらりと掻き上げて、尖った耳へ乗せた。作り物じみた顔から、穏やかな笑みが消える。

「久しいわね、フィフィーナリリアンヌ。何年振りかしら」

「五年近くだ。物覚えが悪いな、母上」

つんけんとした口調で、フィフィリアンヌは返した。普段から態度は硬いが、更に硬さを増している。
エドワードは、彼女の母を見下ろした。細身ながらも色気を漂わせている緑竜の魔導師には、見覚えがあった。
竜王都の西を守る守護魔導師、アンジェリーナ・ドラグーンだ。まさか、彼女らが親子だとは思わなかった。
フィフィリアンヌのミドルネームの、アンジェリーナ、に引っかかるものはあったが、同じ名だとだけ思った。
よく見てみれば、フィフィリアンヌと顔も雰囲気も似ている。フィフィリアンヌが成長したら、恐らくこうなるのだろう。
濃い紅を塗った唇が開き、牙が覗いた。アンジェリーナはエドワードを視界に入れつつ、薄く笑う。

「フィフィーナリリアンヌ。こんな若くて可愛い白騎士に取り入って、何をしていたのかしらねぇ?」

「仕事だ。私にも色々とあるのでな」

感情を含めない声で、フィフィリアンヌは母に言い放つ。アンジェリーナは、にやりと目を細めた。

「へぇえ。あんな異形の魔物を買い付けることが、仕事だっての? 変な仕事をするのね、薬学者は」

「セイラを買ったのは私の趣味だ、仕事ではない。いちいち、貴様に口出しされる謂われはない」

「おかしな趣味だこと。あんたって、昔っからそうよねぇ」

あからさまに馬鹿にしながら、アンジェリーナは口元に手を添えた。嫌味の混じった、笑い声を上げる。
とてもじゃないが、どちらも肉親に対する態度ではない。相当に仲の悪い、女同士の会話にしか聞こえない。
手袋に包まれた指先で唇を押さえ、アンジェリーナはくすくす笑う。エドワードは、呆気に取られてしまう。
西の守護魔導師といえば、麗しくたおやかな女性として評判だった。だが、その本性は、これだったのだ。
大方、アンジェリーナは恐ろしく外面がいいのだろう。エドワードは内心で幻滅したが、なぜか安心した。
これで確かに、彼女がフィフィリアンヌの母親であると確信が出来たのだ。下手に優しければ、むしろ気色悪い。
親が親なら、子も子である。アンジェリーナとフィフィリアンヌの親子は、それを地で行っているようだった。
アンジェリーナは笑うのを止め、大きな瞳を見開いた。口元にだけは笑みが残るが、目からは消えていた。

「フィフィーナリリアンヌ。あんな化け物を生かすなんて、あんた、あれが正しいことだとでも思ってるの?」

「正しいも正しくないもなかろう。セイラを殺すのが気が失せたのだ、それだけだ」

母を睨み付けながら、フィフィリアンヌは平坦に返した。ふぅん、と母親は頬に手を当てる。

「金に意地汚いわりに、綺麗事が好きなのね。ていうかその名前、何よ、女名前じゃないの」

「セイラはセイラだ」

「捕獲の時にちょっとだけ見たけど、単眼のおかしな魔物じゃない。可愛い名前で不気味だわ」

「いい歳のくせに若い格好をする貴様よりは、まともだと思うぞ」

「年相応と言いなさいよ、私はまだ百二十なんだから。せっかくの美貌と肢体を、晒さない方が罪なのよ」

「無意味に露出を高めるのは、愚かな魔導師のすることだ。弱点を晒して戦うつもりのようだな、母上は」

「私に弱点なんてないわよ。あんたこそ、その変で地味臭い格好はどうにかならないの? 変よ」

「表現が重複したぞ。無駄に布と装飾が多いよりは、余程実用的な服装だと思うがな」

「言葉尻に突っ掛からないでよ、神経質ね」

「細やか、と言って頂きたいな」

「口の減らない子ね」

「貴様に似たのだ。他に誰がいるというのだ」

不機嫌そうな表情になり、フィフィリアンヌは顔を逸らした。自分の母親を、あまり見ていたくなかった。
年甲斐もない若作りの格好もそうだが、表情が好かない。自分にかなり似た顔で、媚びた笑顔を作るからだ。
これは、フィフィリアンヌが笑うことを嫌う理由の一つでもあった。この母親と、同じ顔になりたくないのだ。
どうしても、アンジェリーナの笑顔だけは生理的に受け付けない。何年経とうが、それは変わらない。
フィフィリアンヌは、また作った笑顔になった母親を横目に見た。アンジェリーナは、笑っている。

「それで。何の用事なのだ、母上」

「話す気も失せそうだったけど、仕方ないから話すわ。もう二週間くらいしたら、竜神祭があるわよね?」

アンジェリーナも、娘から目を逸らした。長い髪を指に絡め、弄ぶ。

「なぁーんでか知らないけど、今度の西の竜巫女があんたなのよね、フィフィーナリリアンヌ。面白くないけど」

「母上は八十三年前に一度、竜巫女をしたではないか。それに、既婚者は竜巫女にはなれんぞ」

淡々と切り返したフィフィリアンヌに、解ってるわよ、とアンジェリーナはむくれる。

「で、そいつを受けるのか受けないのかーってのを聞きに来たのよ。面倒なんだけどね」

「私も面倒だ。そんな話、受けるつもりもない。断る」

「そう言うと思ったわよ。でもね、それが無理だってことも伝えに来たの」

「どういうことだ?」

フィフィリアンヌは、眉を曲げる。それがねぇ、とアンジェリーナは口元をひん曲げた。

「あんた、そこの兄ちゃんの弟を助けてきたでしょ? 死体だったけど」

アンジェリーナの目が、不意にエドワードに向いた。思わぬことに、エドワードは反応が出来なかった。
動揺気味の若い騎士をじろりと眺めてから、アンジェリーナは大げさにため息を吐いた。

「そーれを竜王様が認めちゃってさぁ、あんたを見たいとか言いやがられたのよ。まぁ、この私の娘だしぃ?」

「ならば、玉座へ招けばいいだけではないか」

「どうせなら着飾ったところを見たいんだってさー。竜王様のご趣味、本気で疑っちゃうけどね」

アンジェリーナは、嫌そうに唇を尖らせた。フィフィリアンヌは困り果て、眉を下げる。

「…それだけは同意だ」

「でっしょお? 私だったら、愛想のない竜巫女なんて壇上から蹴り落とすわよ。可愛くない祭りの主役なんて嫌」

くるりと背を向けたアンジェリーナは、数歩、廊下を歩いていった。つかつかと、高い足音が響く。
が、途中で振り返った。長い髪とマントが広がり、ふわり、と扇形の影が足元に出来る。

「あ、そうそう。フィフィーナリリアンヌ、あんたの連れてきた甲冑の奴、あれ何なのよ?」

「馬鹿だ」

「はぁあ?」

即答したフィフィリアンヌに、アンジェリーナは声を裏返した。エドワードは否定も肯定も出来ず、苦笑いする。
アンジェリーナはしばらく悩んでいたが、それ以上聞くことはなく、つかつかと階段へ向かっていく。
鮮やかな緑色の翼が、ひらりとめくれるマントの下に見えた。その背が遠ざかり、階下へと消えていった。
エドワードは、はあ、と息を吐く。矢継ぎ早な嫌味の言い合いを聞いていたら、いやに疲れてしまった。
フィフィリアンヌはちらりとエドワードを見たが、母親の進んだ方向に背を向けた。足早に、歩き出す。

「行くぞ、エドワード」

「どこへ?」

遠ざかっていく背に、エドワードは尋ねた。フィフィリアンヌは途中で立ち止まり、横顔だけ向ける。

「決まっている、セイラの元へだ。あの馬鹿に留守を任せたままでは、少々不安なのでな」

それだけ言うと、フィフィリアンヌは急ぐように歩いていった。慌てて、エドワードは彼女を追いかけた。
長い緑髪の揺られる背は、どんどん離れていく。エドワードには、それがなんだか可笑しく思えてしまう。
その姿は、近所の友人の元へ急ぐ子供と同じだ。実際、彼女の心境はそのようなものなのだろう。
見た目通り、まだまだ子供なのだ。そう感じながら、エドワードはフィフィリアンヌを追いかけていった。




薄暗い森を抜け、二人は洞窟のある斜面までやってきた。
フィフィリアンヌは足を止めると、膝を曲げて乱れた息を繰り返す。その背後に、エドワードも立ち止まる。
近くの木に手を付き、フィフィリアンヌは項垂れて荒く呼吸していた。久々に走ったせいで、かなり苦しい。
体力がないんだなぁ、と少し笑いながら、エドワードは洞窟の方を見た。日差しの下で、異形は眠っていた。
斜面に背を預けているセイラは、かくんと首を落としていた。胸と腹がゆっくり上下していて、目も閉じている。
その足元で、銀色の甲冑が寝転がっていた。左半身を下にして、バスタードソードの鞘を抱えている。
呼吸がないのでよく解らないが、ギルディオスも眠っているようだった。少しも、動く気配がない。
彼らの近くに置かれたフラスコは、コルク栓が抜かれていた。伯爵はにゅるりと体を伸ばし、声を上げる。

「おお、ようやく戻ってきたのかね! 遅いではないか、暇であったぞ、何をしていたのであるか!」

「…母上が」

多少掠れた声で、フィフィリアンヌは伯爵に返した。だが、また背を丸めてしまい、肩を上下させている。
エドワードが続きを言おうか迷っていると、フィフィリアンヌは軽く手を振った。続きを頼む、ということらしい。
それに従い、エドワードは彼女の話の続きを言った。要点だけを、ごく簡潔にまとめた。

「セイラの代金は払ってきたんだがね、途中でフィフィリアンヌのお母上に会ったんだよ。それで」

「アンジェリーナどのであるな。そういえばあの女も、竜王都にいたのであったな」

するりと掲げた先端を、伯爵は左右に振った。日光を受け、スライムの表面がつやりと輝く。

「母上どのは、嫌味と自尊心が皮を被って高笑いしているような女であるからな。足止めを喰って当然である」

何度か深呼吸をしたフィフィリアンヌは、やっと落ち着いたようだった。薄く汗の滲んだ額を拭い、顔を上げた。
斜面で眠るセイラを見、少しだけ表情を和らがせた。だが、眠りこけるギルディオスを見た途端、眉を吊り上げる。
足元の木の根を跨いで草むらを蹴り上げて、日差しの下に出、フィフィリアンヌはずかずかと歩いていった。
ギルディオスの頭の前に立つと、足を上げる。力の込められたつま先が、どがん、とヘルムを蹴り飛ばした。

「起きんかぁ、このニワトリ頭め!」

すっぽん、と軽く外れた兜は、少しの間空中を舞った。赤い頭飾りをなびかせ、くるくると宙を回る。
弧を描きながら、ごん、と兜は落下してきた。エドワードは、目の前の草むらに落ちた頭を慎重に見下ろした。
エドワードは、一応それを拾った。中身のない兜と、ゆっくり起き上がった首のない甲冑を見比べてしまう。
ギルディオスは首のあった場所に手を置いたが、がぼっと中に突っ込んでしまった。途端に、悲鳴が上がる。

「うひょわあおう!」

弾かれるように、ギルディオスはバスタードソードを抜き、立ち上がった。条件反射で、構えてしまう。
ぎちり、と柄を握り締めて、辺りを伺おうと首を動かしてみた。だが、その首がないので何も動かなかった。
もう一度、首根っこへ手を当ててみる。そこには何もなく、首のあった位置にはぽっかりと穴があるだけだ。
それでも不思議なことに、視界はあった。本体がなくても、どこかでちゃんと外を見ているらしい。
視界の感覚を動かして周囲を探ると、森の出口に首があった。困惑しきったエドワードが、両手で抱えている。
首が割と近くにあったことで妙に安心し、ギルディオスはほっとした。後で、彼から取り戻せばいいことだ。
傍らを見ると、不機嫌そうに目を吊り上げるフィフィリアンヌが立っていた。彼女が、首を蹴り飛ばしたようだ。
フィフィリアンヌを見た、つもりで胴体を向けた。ギルディオスは剣を鞘に戻し、少女を見下ろす。

「お帰りー、フィル」

「あれだけ驚いたわりに冷静なのだな、ギルディオス」

意外そうに、フィフィリアンヌはギルディオスを見上げる。首がないだけで、恐ろしく変な物体になっている。
ギルディオスは、頭のあった位置に手をやった。ガントレットが、所在なさげに宙を掴む。

「思いっ切り驚いちまうと、却って冷静になれるもんさ。でもなんで、いきなりオレの頭を蹴っ飛ばしたんだ?」

「決まっている。貴様が眠りこけていたからだ」

フィフィリアンヌは腕を組み、腹立たしげにギルディオスを睨んだ。

「私がいない間に、セイラに何かあったらどうしてくれるのだ」

「心配し過ぎだぜ」

呆れながら、ギルディオスは笑った。セイラに対してあまりにも過保護なフィフィリアンヌが、変に思えてしまった。
ふん、と息を吐いたフィフィリアンヌは、ギルディオスから目を外した。すると、セイラが少し身動きした。
ゆっくりと大きな瞼が動き、単眼が開いた。フィフィリアンヌは巨体の下に入り、金色の瞳を見上げる。

「起きたか、セイラ」

何度か瞬きしてから、セイラは頷いた。体を起こし、フィフィリアンヌを見下ろす。

「フィリィ、オ帰リ。セイラ、イクラ、買ッタ?」

「金貨一千枚だ。お前に相応しい、いい値段だったぞ」

伸ばされたセイラの手に、フィフィリアンヌは腕を乗せた。硬い皮膚の下に、太い骨があるのが解る。
セイラは親指を伸ばしてフィフィリアンヌへ触れながら、目を細めた。口の端を上向け、笑う。

「ソウ。セイラ、コレカラ、フィリィ、持チ物?」

「違うぞ。セイラは私の友人だ、所有物ではない。お前を解放する手段として、金を使っただけだ」

セイラのぎこちない笑顔に、フィフィリアンヌは目元を緩ませた。それを見、セイラは更に笑う。

「セイラ、フィリィ、友達」

「ついでに言えばだな。オレもエドもたぶん伯爵も、友達だぜ、セイラ」

ギルディオスは、ぽんぽんと太い足を叩いた。セイラは首を動かし、足元に立つ甲冑に目を向ける。
途端にぎょっとして目を見開き、ぎゅんと瞳孔を縮める。セイラは、おずおずと首のない甲冑を指さした。

「ギリィ…。首、ドコ?」

「あー、そうだった。エドー、オレの首、返してくれる?」

森の出口で突っ立っているエドワードを、ギルディオスは手招きする。彼は、変な笑いを浮かべていた。
エドワードは草むらを掻き分けて、森から出た。白いマントを広げてその下から翼を出し、ばん、と皮を張る。
ギルディオスに近付いたエドワードは、兜をギルディオスに渡した。首のない甲冑は、頭を首の穴に填め込む。
元の姿に戻ったギルディオスを見ていたが、エドワードはフィフィリアンヌに向いた。あまりのことに、苦笑する。

「しかし、フィフィリアンヌ。君はなんて無茶苦茶なんだ」

「全くだよ。ま、いつものことだけどな。もう慣れちまったよ」

と、ギルディオスは平気そうに笑った。ヘルムの側頭部には、フィフィリアンヌの靴跡が残っている。
セイラは首が元通りになったギルディオスを見、へたりと大きな肩を落とした。元に戻って、安心したのだ。
自分の手に縋るフィフィリアンヌに、セイラは尋ねた。ずっと、聞いてみたかったことがあった。

「フィリィ。歌、何カ、知ッテル?」

「子守歌以外の歌か? 王国の軍歌なら知っているが、それでもいいか?」

「イイ。教エテ」

身を乗り出し、セイラはフィフィリアンヌに迫る。他の歌を、知りたくて仕方ないのだ。
フィフィリアンヌは顎に手を添え、目線を落とした。しばらく考えてから、セイラを見上げる。

「東方の言葉にしてやろう。その方が、セイラも歌いやすかろう」

「あ」

と、伯爵が何か言いかけた。ギルディオスはそれが気になったが、ごぼりとスライムは黙ってしまう。
ギルディオスがエドワードと顔を見合わせると、彼も怪訝そうにしている。一体何が、あ、なのだろうか。
口の中で歌詞を呟いていたフィフィリアンヌは、軍歌の訳を終え、頷いた。そして、歌い始めた。
フィフィリアンヌは、東方の言葉に訳した軍歌を歌い始めた。途端にギルディオスは、あ、の意味を理解した。
軍歌、であるはずの歌は、めちゃくちゃな音程だった。有り得ない部分が上がり、有り得ない部分が下がる。
おまけに変な部分で歌詞を切るので、元々崩れた音程が更に乱れ、歌とはとてみ言い難い旋律が続いた。
ギルディオスは力が抜けそうになり、ヘルムを押さえる。エドワードは、かなり渋い顔をしている。
フラスコの中で、伯爵はでろでろと崩れて液体と化していった。フィフィリアンヌの音痴に、脱力したのだ。

「おおおーう…」

「…うわらば」

妙な言葉を発したギルディオスは、両側頭部を押さえた。気分だけでも、耳を押さえてしまいたい。
四人を見下ろし、セイラはきょとんとしていた。元の歌を知らないので、どこがおかしいのか解らないのだ。
エドワードは顔を歪めながら目を逸らし、小さく呟く。ここまでひどい歌を聴いたのは、初めてだった。

「なまじ言葉が解ると、余計に来るなぁ…」

歌い終えたフィフィリアンヌは、一息吐いた。そして、揃ってぐったりしている、三人の男共に気付いた。
フィフィリアンヌは面白くなさそうに口元を曲げ、腕を組む。項垂れている甲冑を、見据える。

「確かに私の歌はあまり上手くないが、なんだその反応は」

「いや、上手くないとかそういう問題じゃなくてよ…」

頭を抱えたまま、ギルディオスはがしゃりとへたり込んだ。体に、力が入らない。

「しっかし、気ぃ抜ける音の外し方だなぁー…」

「…全くで」

眉間を押さえたエドワードは、困り果てたように笑った。ギルディオスも、なんとなく笑ってしまう。
他人の音痴に対して、どのような反応をしていいか解らないのだ。なので、二人は変な笑い声を上げていた。
伯爵は彼らに合わせて、ひとしきり笑った。高らかに笑い声を響かせつつ、ぐにゅりとセイラへ先端を向けた。
セイラは、機嫌を損ねてきたフィフィリアンヌと、彼らを見比べた。不思議そうに、ぐいっと首をかしげている。
どうしたらいいのか、やはり解らないのだ。仕方がないので、先端を左右に揺らしているスライムを見つめていた。
伯爵は動きを止めたが、しばらくセイラと見つめ合ってしまった。金色の単眼が、じいっと赤紫を映している。
懇願されているのだ、と、伯爵が気付くまで時間は掛からなかった。正しい歌を、きちんと教えて欲しいらしい。
とぽん、と伯爵はフラスコに戻る。体に波紋を広げつつ、彼女の訳通りに、東方の言葉で軍歌を始めた。
決して上手いものではなかったが、それでも、フィフィリアンヌよりは大分まともな歌が始まった。
ギルディオスは抱えていた頭を上げ、地面に置かれたフラスコを見た。歌声と共に、表面が波打つ。
フィフィリアンヌは、かなり面白くなさそうにしていたが黙っていた。良く響く低い声で、軍歌は続く。


戦火に集え、勇みの申し子。強き心、鎧に秘めて。

戦女神の加護の元に。王家に勝利を、そして栄光を。

猛りと誇り、御旗を掲げ。いざ、戦地へ赴かん。


軍歌を歌い終えた伯爵は、表面の波紋を止めた。セイラは伯爵を見つめていたが、目を閉じる。
セイラはがばりと口を開いて、喉を動かした。以前よりも、晴れやかな声が伸ばされた。
最初は伯爵が歌っていた通りに旋律を紡いでいたが、次第に、高低差や強弱を強くしていった。
戦士達を奮い立たせるための歌が、岩肌に反響する。ざわめく森に負けないよう、セイラは声を上げる。
新しい歌を得た異形のセイレーンは、その喜びと幸福感に、精一杯喉を震わせ続けた。




聞き覚えのある旋律に、ふと、彼女は足を止めた。
湖へ迫り出たベランダから、身を乗り出した。六十数年振りに聞いた軍歌は、懐かしく、そして物悲しかった。
髪を掻き上げ、目を伏せる。何年経とうが、娘の態度は少しも緩まない。つい、自虐的に笑ってしまう。
自分のせいだ、とは解っている。だが、何度決意しても、意地を張り、結果として嫌味を並べてしまう。
高飛車で遠慮のない自分の性格を恨みながら、アンジェリーナは澄み切った青空を見上げた。

「全くねぇ」

頬杖を付いて、掻き上げた髪を耳に乗せる。尖った耳の片方だけに、銀色のピアスがあった。
これだけが、フィフィリアンヌとの繋がりを作っている。愛してやりたいはずなのに、愛せない娘との絆だ。
先程繰り広げた言い合いを思い返してしまい、軽い自己嫌悪に陥った。紅い唇を、きゅっと締める。

「フィフィーナリリアンヌ、いっつもこうなっちゃうわねぇ。あんたと私の、性格が悪いからよね」

しかしそれは、自分への言い訳だ。自分の血と彼の血を受け継いだ娘を、愛しく思わないわけがない。
だが、愛する資格はないのだ。愛してはならないのだ。アンジェリーナは過去を思い出し、胸に痛みを覚えた。
どこからともなく流れてきた王国の軍歌が、胸中の鈍痛を強めていった。




現在という名の日常は、積み重なった過去の上に成り立っている。
だからこそ彼らは、過去を睨み、過去を追い、過去を忘れられずにいる。
しかし、それは当然のことなのだ。

彼らは人ではないが、確かな人格を持った一個の存在なのである。






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