ドラゴンは笑わない




竜神祭の夜 後



ギルディオスは、激しく怒っていた。


胸の奥がじりじりと痛み、魔導鉱石が焼けているような感覚があった。実際、腹の辺りが熱い。
竜王城の門を背にして立つ四人の男達は、いずれも腰が引けている。構えが甘いし、士気も低い。
見たところ、実戦経験も浅そうだ。どの冒険者も、戦いを始めてまだ数年、といったところなのだろう。
それも、魔導師頼りの戦いばかりだったに違いない。手前の騎士の剣は傷が少なく、使い込まれていない。
武装はどれもいいものを持っているが、それだけなのだ。中身が伴わないのに、武器だけを高めている。
こんな連中が、セイラを痛め付けていた。こんな連中が、あのフィフィリアンヌを怒り狂わせた。
無性に、腹が立ってくる。ギルディオスはバスタードソードの柄をぎちりと握り締め、力を込めて叫んだ。

「まず最初に聞こうか! お前ら、何のために竜王都に来やがったんだ!」

ギルディオスは、後方を見た。少女は竜族の回復能力で傷は癒えてきていたが、傷だらけなのは変わらない。
背後から、フィフィリアンヌの詰まった声が聞こえていた。痛みとやるせなさと、泣き声を堪えている。
薄緑色の巫女の衣装と金の腕輪は血に汚れ、整えられた髪は乱れている。噛み締めた唇は、切れていた。
普段の偉そうな態度や愛想のない表情が、影も見えない。だからこそ、余計に怒りが湧いてきた。
理不尽だ。ついさっきまで続いてた彼女とその友人の平穏を、勝手に乱す権利など、他人にあるわけがない。
若い戦士達に問い掛けてから、間が空いていた。ギルディオスは、じりっと地面を踏みにじる。

「答えやがれ! それともなんだ、理由もねぇ襲撃なのか!」




竜王城の西の塔まで、彼の声は届いていた。
開け放たれた窓の下にしゃがみ込み、アンジェリーナは肩を抱いていた。強く掴み過ぎて、爪が食い込んでいる。
だが、娘はこんな痛みではない。翼を切り落としたときも、今も、これよりずっと強い痛みを受けているはずだ。
月明かりの届かない部屋の中は、ひっそりと暗かった。正面の扉は、二人の魔導師によって守られていた。
竜王は、ここから出るなと言っている。今も昔も、娘を助けるな、人を助けるなと言い続けているのだ。
それが竜族にとって、正しいことは解っている。人と関わることは、閉ざされた竜の世界に綻びを作るからだ。
綻びは擦れ違いを生み、擦れ違いは摩擦を起こし、いずれ戦いとなる。そうなるのだと、竜王は言っている。
アンジェリーナは、膝に顔を埋めた。歌の失せた竜神祭の、戦いの起こりそうな危うい雰囲気が肌で感じられる。
皆、戦いたいのだ。だが、戦えないのだ。同族のために、未来のために、血を流してはいけないのだ。
閉じた瞼の裏に、誰よりも愛した人の姿が浮かぶ。あの人であれば、彼ならば、こんな時はどうしていただろう。
アンジェリーナは背中の翼を折り畳み、壁に寄り掛かる。少し首をかしげて、窓から夜空を見上げた。
あの人なら、ロバートなら。きっと、迷うことなくあの人間達と戦っているはずだ。彼は、そういう人だ。
ギルディオス・ヴァトラスも、そのようだ。ヴァトラス、には聞き覚えがある。腕の良い魔導師一族の名だ。
しかし、今までアンジェリーナが知っていたヴァトラス姓の者とはかなり違う。そもそも、彼は魔導師ではない。
魔力を欠片も生まれ持たない、傭兵の重剣士だという。あまり関わりのない人種だ、と、アンジェリーナは思った。
アンジェリーナは、祭りの中心を見下ろした。三本のツノを生やした巨体の異形が、娘と共に血溜まりにいる。
その少し奧に、目をやった。人間達と対峙している甲冑の背で、短めの赤いマントがはためいていた。
アンジェリーナは、内心で期待していた。このままギルディオスに戦ってもらえば、人と竜の戦いにはならない。
人と人の、戦いに過ぎない。そう思いながらも、アンジェリーナは違和感と苛立ちを覚え、唇を噛み締めた。
しかしこれは、本当に正しいのだろうか。竜族としては正しいかもしれないが、親として正しいはすがない。
娘が傷付けられて、悲しくないはずがない。まともに会えなくても、いくら仲が悪くても、娘は娘なのだ。
愛する夫と自分の血を分けた、自分に良く似た異形の娘。決めかねたせいで、二つの名を持つ愛しい娘。
たった一人の娘を、フィフィリアンヌを守ることすらを許されないのは、いくらなんでもおかしいとしか思えない。
アンジェリーナは立ち上がり、窓へ向いた。すぐさま魔導師達が駆け寄り、窓を固く閉ざしてしまった。

「出てはいけません、アンジェリーナ様。竜王様のご命令なのです」

青竜族の魔導師は、アンジェリーナの右腕を取る。左肩を、赤竜族の魔導師が掴む。

「悔しいのは、我々とて同じです。今は、あの剣士に任せるほかはありません。どうか、ご辛抱を」

「同じなわけないでしょ。あの子は私の娘なのよ」

苛立ちながら、アンジェリーナは呟いた。親でない者達に、この悔しさが解るはずがない。

「大体ね、おかしいのよ。親が子を助けちゃいけないって、何よそれ。無茶苦茶過ぎるわ」

「ですから、それは」

青竜族の魔導師は、少し口籠もる。アンジェリーナは、二人の手を払いのけた。

「竜王様のご命令。聞き飽きたわ」

「どうか、堪えて下さい。アンジェリーナ様」

赤竜族の魔導師は跪き、アンジェリーナを見上げる。アンジェリーナは、彼らを一瞥した。

「それこそ無茶よ」

アンジェリーナは、扉に向かって歩き出した。背後の二人は引き留めようと手を伸ばし、追いかけてきた。
両開きの扉に手を掛け、ばん、と全開にさせた。狭い廊下の窓から、弱く月明かりが差し込んでいる。
そこに、影が立っていた。青白い逆光を受け、顔が陰っている。その者はアンジェリーナに頭を下げ、礼をする。
灰色の服を着込んだ男は、すいっと顔を上げた。人の良い笑みを浮かべながら、彼女を丸メガネに映す。

「お初にお目に掛かりますぜ、アンジェリーナ様」

男の背後には、竜王軍の兵士達が転がっていた。首や腕をへし折られた死体に、幼い娘が座っている。
返り血を浴びた白いエプロンで、妙な髪型をした幼女は手を拭いていた。アンジェリーナに気付き、立った。
幼女の背には、鉱石で出来ていると思しき翼が生えていた。青紫の硬そうな翼が、ぎらりと光っている。
アンジェリーナは、二人に名を問おうとした。だがその前に、幼女は体を浮かばせ、するりと脇を通り抜けた。
擦れ違い様、幼女は笑っていた。アンジェリーナの耳元で、くすくすと楽しげな含み笑いが聞こえた。
直後、べきりと鈍い音が響いた。アンジェリーナが振り返ると、青竜族の魔導師の肩に幼女が乗っている。
青竜族の魔導師の首は、逆に曲げられていた。幼女は短い足で彼の頭を挟み、腰をくいっと捻る。

「えいっ」

首が、べきりと捻り切られた。頭と胴体に分離した魔導師は、血を溢れさせながら膝を付き、倒れた。
幼女は、足を緩めた。その間に挟んでいた首を床に落とすと、ごとん、と重たい音がして転がった。
赤竜族の魔導師は固まっていたが、魔法を詠唱するために腕を突き出した。幼女は、一瞬で移動した。
踏み込むと同時に胸元に滑り込み、小さな拳を腹に打ち込む。服と皮を破いて肉に手を入れ、にぃっと笑む。

「んふ」

破裂音のあと、がぼっ、と粘り気のある水音がした。赤竜族の魔導師は口元から血を落とし、数歩ずり下がる。
幼女は手を抜き、とん、と彼の肩を蹴った。胸に穴が開いた赤竜族の魔導師は、壁に背を当てて座り込んだ。
じわじわと広がる血溜まりに、幼女は舞い降りた。血濡れた手と足をエプロンで、ごしごしと拭う。

「心臓一発ぅ。竜族ったって、魔導師だもんねー。懐はぁ、隙だーらけー」

幼女は、灰色の男へ向く。邪気のない、幼子の笑みだった。

「御主人様ーぁ、どうしますー? 血ぃ、抜いときますかぁー?」

「今日はいいや。目的はそれじゃねぇし」

灰色の男が返すと、はぁーい、と甲高い返事があった。幼女は魔導師の死体を踏み越え、歩いてきた。
アンジェリーナは魔法を唱えることもなく、立っていた。こういう輩には会ったことはないが、知っている。
灰色を好み、幼女を連れた、得体の知れぬ呪術師。数百年を生き長らえる、人ならざる人。その者の名は。

「グレイス。グレイス・ルーね?」

アンジェリーナは、表情を強張らせる。いかにもその通り、とグレイスは胸に手を当てる。

「よくご存知で。いやはや全く嬉しいですなぁ、竜王都の誉れ高い守護魔導師に存じて頂けているとは」

「でもってー、わたしはレベッカちゃんでーす。御主人様のー、忠実なる傀儡でーす」

にこにこと笑いながら、レベッカは高々と挙手した。グレイスは、幼女の頭に手を置く。

「結構前から、娘さんとは取引がありましてねぇ。一度、親御さんにも挨拶せにゃと思いましてね」

アンジェリーナは、黙っていた。下手に言葉を交わせば、どうなるか解ったものではない。
グレイスは少し残念そうにしたが、すぐに笑った。愛想の良く、アンジェリーナに頭を下げる。

「てなわけで。ご挨拶に参りましたぜ、アンジェリーナ様。常日頃から、娘さんにゃお世話になっております」

「私に挨拶をするだけなら、あの二人を殺す理由はないんじゃなくて?」

アンジェリーナは、後方に転がる魔導師達の死体を見た。黒々とした水溜まりが、床に染みている。
あの二人は、魔導師の中でもなかなかの腕を持っていた。一般的な尺度で考えれば、強い魔導師になる。
近接戦闘のために、武術も心得ていたはずだった。そんな彼らが、こうもあっさり幼子にやられてしまうとは。
アンジェリーナはレベッカの背に生えた翼で、彼女が何で出来ているか悟った。これは、魔導鉱石の固まりだ。
それすなわち、魔力の固まりだ。元来魔力の高い魔導師にとっては、己の魔力に馴染んでしまい、気配が鈍る。
幼子にしか見えない外見は、強力な中身との落差を作るためだろう。メイド姿も、同じようなものだ。
魔導師にとっては、この上なく厄介な相手だろう。魔法も効果が弱いだろうし、なにより、製作者がまずい。
無機物に魂を与えて命を吹き込む術、いわゆるゴーレムは、どちらかといえば呪術に近い魔法なのだ。
呪術に長けたグレイスが作ったのであれば、その能力は十二分に発揮され、通常以上の力を持っているはずだ。
事実、レベッカは身の丈に合わない戦闘能力を持っている。体積以上の魔力を有しているとしか、思えない。
こんな狭い場所では、まともに相手にしてはいけない。アンジェリーナは唇を締め、動揺を静めた。
グレイスはアンジェリーナをまじまじと眺めていたが、感服したように、ため息を吐いた。

「なんともなんとも。フィフィリアンヌが綺麗なわけだ、母上様がここまでお美しいと、当然ですなぁ」

「何の用事なの?」

「そう邪険になさらないで下さいな、アンジェリーナ様」

「ていうか、あんたに敬称を付けられる覚えはないんだけど。気色悪いからやめてくんない?」

「オレとしちゃあ、それなりに敬意を持っているんだがねぇ。そこまで言われちゃ、仕方ない」

残念そうに言いながら、グレイスは首を振った。体を起こして姿勢をちゃんと正すと、意外に身長がある。
肩幅も割と広く、体格は悪くない。思い掛けず見上げる形となってしまい、アンジェリーナは少々困った。
自分より背の高い相手は、あまり得意ではない。物理的にも見下せる方が、精神的にも見下しやすいからだ。
こうなってしまっては、多少劣勢だ。アンジェリーナは、先程以上に神経を張り詰めさせて気を張った。
グレイスは腕を組み、にんまりとした意地の悪い笑みを浮かべた。何はなくとも、笑うのが好きな男らしい。

「アンジェリーナ。お前さんは、あの子が憎いんじゃないんですかい?」

いきなり、何を言うのだろうか。そう思い、アンジェリーナは鼻で笑う。

「自分の子よ。愛してはいるけど、憎むはずなんてないじゃないの。馬鹿じゃないの」

「あんたとロバート氏を引き離した、張本人ですぜ」

グレイスの物腰が、一際穏やかになった。組んだ腕を、とん、と指で軽く叩く。

「その上、ロバート氏に戦いをもたらし、結果として死なせた女だ。愛せますかい、こんな女を」

「しかもー、フィフィリアンヌはロバートさんを独り占めしたんですよねぇ。娘だからー、ってだけでー」

グレイスの足に背を預け、レベッカはにやりと笑う。小さな唇に、血の付いた指を添える。

「妬けちゃいますよねー、いくら相手が娘でもー。あなたが我慢してるっていうのに、ずっと一緒にいたんだからー」

「本来は、あんたに向けられるべき愛情だったかもしれないのにねぇ」

グレイスは、感情を込めて続ける。アンジェリーナの目は、既に自分から外れて床を睨み付けていた。
やはりな、と思った。いくら親子とはいえ、女同士は女同士。ほんの少しでも、妬かないはずがないのだ。
どこまでアンジェリーナを揺さぶれるか、グレイスは楽しくなってきた。同情するような表情を、目元に作る。

「殺すなら今ですぜ、アンジェリーナ。あんたから夫を奪った女を見殺しにすれば、それでいいんですから」

「剣士さんは確かに強いと思うけどぉー、それだけじゃダメですもんねぇー」

レベッカは、グレイスに縋る。幼い声に、妖しげな雰囲気が混じる。

「一対四ですもんねー。一人を相手にしている間は、他の三人は自由ってことですー。その間に、フィフィリアンヌをまた攻撃しないはずがないですもんねー。相手も必死なんですからー、確実に殺しに掛かるはずですよー」

「いくら竜族の回復能力が優れているからって、回復にゃあ自分の体力を使うわけですからねぇ」

グレイスは、フィフィリアンヌに良く似た、アンジェリーナの目を見下ろす。

「そのうちに、力尽きるでしょうや。半分は人間なんだから、限界ってのもありますしね」

「だからぁー、アンジェリーナさんー。他の竜族みたいに放っておけば、あなたの夫を奪った女はぁー」


「黙らっしゃい!」


レベッカの言葉を、アンジェリーナの強い叫び声が遮った。アンジェリーナは一歩踏み出し、床を踏み付ける。
その剣幕に、グレイスとレベッカは一瞬押された。アンジェリーナは薄い唇を歪め、眉を吊り上げる。
マントの下で握っていた手を出して広げ、グレイスに突き付けた。ちゃりん、と手首の装飾具が擦れて鳴る。
魔力を高めるにつれて、彼女の足元に気流が生まれた。弱い風が巻き起こり、ふわりと床から昇ってきた。
長い緑髪と新緑のマントが揺らぎ、アンジェリーナの影を広げた。赤い目に、ぎらついた輝きが宿る。

「さっきから聞いてりゃ、下らないことをべらべらべらべら! 鬱陶しいのよ! そんなこと、百も千も承知済みよ!」

アンジェリーナは、熱の籠もり始めた手を握る。ぱちり、と電流が走った。

「確かにあの子はあの人を奪ったわ、でもそれがなんだってのよ! 嫉妬なんてもんはね、とっくに消えたわよ!」

人差し指が立てられ、青白い電流が巡る。

「そんなことを言うためだけに、あの二人を殺したんだとしたら、足場吹っ飛ばして湖に落としてやるわよ!」

「…無駄足だったのかねぇ」

目の前に突き出された指と電流を見つつ、グレイスはむくれた。予想よりも、アンジェリーナは意思が固い。
足元のレベッカは、きゃん、とグレイスの陰に隠れた。恐る恐る顔を出したが、すぐに引っ込めた。
アンジェリーナは親指も立て、手首を曲げて構えた。グレイスの鼻先に、手を突き出す。

「ええ、最高に無駄足よ。その足で、とっとと帝国にでも地獄にでも魔界にでも帰るがいいわ、幼女趣味の変態め」

「いや、オレんちは王国だし、別にオレは死人でも魔族でもないし…。まぁ、確かに幼女趣味だけどさ」

「どうでもいいことを突っ込まないの。案外余裕ね、あんた」

「それを言うなら、アンジェリーナも大分余裕があると思いますぜ」

グレイスはつまらなさそうに言い、くるりと背を向ける。言い負かすことは出来そうだが、難しい相手のようだ。
こういう場合は、さっさと諦めてしまうに限る。それに今回の目的は、アンジェリーナを堕とすことではない。
レベッカは、とん、と跳ねてグレイスの肩に乗った。グレイスはぐるりと足を動かし、兵士の血で魔法陣を描く。

「んでは、また」

こん、とグレイスのつま先が床を叩いた。ふわりと弱い風が起こり、灰色の男と幼女の姿は消え失せた。
アンジェリーナは掲げていた手を降ろして、深く息を吐いた。右手の構えを解いても、僅かな電流は残っている。
ぴりぴりした電流の感覚を手袋越しに感じながら、アンジェリーナは、閉ざされている窓に振り向いた。
その下で息絶えた二人の魔導師は、血が出尽くしていた。生臭い死臭が、早くも室内に漂い始めていた。
アンジェリーナは二人に手を翳し、一言二言唱えた。死体の腐敗を止める魔法を掛けてやると、死臭は納まった。
窓に手を掛け、内側に引いた。窓を全開に広げたので夜風が入り込み、空気が薄らいで死臭も少しは和らいだ。
冷たい夜風が部屋に吹き込み、カーテンを揺らした。アンジェリーナは、カーテンを押さえる。
竜神祭ではなく、戦いの行われている広場を見下ろした。




ギルディオスは、ますます苛立っていた。
手前の騎士、バロニスがこのパーティの頭のようなのだが一向に話そうとしない。それどころか、黙っている。
かといって、他の者が話し出すわけでもなく、聖職者の男が女魔導師に回復魔法を掛けるわけでもなかった。
一見すれば、まとまりが良く、釣り合いの取れたパーティだ。だがその実体は、あまり大したことがなさそうだ。
彼らの結束が固いのであれば、自分が出てきた時点で戦闘員の配置を換えて、既に戦闘に至っているはずだ。
なのに、この男達はいつまで経っても戦闘を仕掛けてこない。これでは、戦いにならないではないか。
ギルディオスは、背後のフィフィリアンヌを窺った。フィフィリアンヌはセイラに手を添え、何か言っている。
回復魔法を掛けているらしく、セイラの傷は次第に埋まっていった。ギルディオスは、少し安心した。
そして今一度、冒険者達に向き直った。バロニスという名らしい騎士に、怒りを込めて言い放った。

「なんとか言えよ、おい!」

バロニスは渇いてしまった喉に唾を飲み下し、足を少し開いた。こうなってしまったら、仕方がない。
自分が、経緯を話すしかない。それは勇者の役割であり、魔王との決戦には欠かせない出来事だ。
そう思い、顔を上げた。真正面に立つ甲冑、ギルディオスは怒りに充ち満ちているらしく、雰囲気が怖い。
敵の雰囲気に飲まれないように、バロニスは気張った。緊張に上擦りそうな声を、落ち着ける。

「私達は、シルフィーナの仇を討つため、そして、竜族を倒すためにやってきたのだ!」

「ほう?」

ギルディオスは、やっと話したか、と言いたげな声を出した。
まだ馬鹿にしている。内心のむかつきを声に出さないようにしながら、バロニスは続けた。

「竜族は、世界を壊す存在だ! だから今のうちに討伐し、世界に平和をもたらすのだ!」 

「正義の味方ー、ってやつか」

けっ、とギルディオスは吐き捨てた。バロニスは剣を掲げ、声を張り上げる。

「そうとも、正義のためだ! この世を守るため、世界を救うため、私達はやってきたのだ!」

「世界ねぇ…」

訝しげに、ギルディオスは首をかしげる。バロニスは、腹の底から苛々してきた。

「世界を救うためにも、まずは、シルフィーナの無念を晴らしてやらなくてはならない! ギルディオスとやら、貴様がそのフィフィリアンヌとどういう関係だかは知らんが、邪魔立てするなら倒すまでだ!」

「雇い主と傭兵。聞いてなかったのか?」

「私が指したのは、そこではない! その前の話だ!」

「それじゃあ聞くが、お前と後ろの連中はどういう関係だ?」

「仲間に決まっている! 数々の戦いを切り抜けてきた、信頼の出来る仲間だ!」

「仲間なら、なんでお前を援護しない? でもって、なんでそこの姉ちゃんを助けてやらねぇんだ?」

ギルディオスは、首を押さえて弱り果てているエリスティーンを指した。バロニスは、ゼファードを横目に見る。
ゼファードは怯えきっていて、手も足もがくがくに震えている。あんな状態では、魔法など使えそうにない。
バロニスが彼に命じようと、そちらに顔を向けた。するとギルディオスは踏み出し、一気に駆け寄ってきた。
思わぬことに逃げようとしたが、回り込まれてしまう。バロニスの前に甲冑は踏み込み、ざっ、と足を止めた。
ギルディオスはバスタードソードを、ぐいっとバロニスの顎に当てた。鋭い刃が、氷のように冷たい。

「敵から目を離すな。馬鹿が」

ギルディオスは、バロニスを見据えた。まだ若い、二十を越えたばかりの男のようだった。
彼の持つ剣の紋章と、彼のファミリーネームであるグランディアには覚えがあった。帝国の、貴族の名だ。
同じ貴族でも、カインとはかなり違う。カインは弱い部分が多すぎて、芯の強さが隠れているだけだ。
カインと比べるのが嫌なほど、この男は弱い。ギルディオスは、バロニスの青い目を睨む。

「いいか。若ぇの」

ギルディオスは刃をぐっと持ち上げ、バロニスの顔を自分に向けさせた。

「大体な、世界ってのは簡単に傾くもんでもねぇし、簡単に救えるもんじゃねぇんだよ!」

バロニスの目尻には、少し涙が滲んでいた。

「それ以前に、どうして自分の頭で物事を考えねぇ! 帝国の言うことをまんまに受け取って、それでも男か!」

ギルディオスは、叫び続けた。

「フィルがシルフィーナを殺した? 嘘に決まってんだろ、そんなもん! グレイスの戯言を信じたのか!」

バロニスは、僅かに頷いた。なぜ、この甲冑があの男の名を知っているのか解らない。
だが、そんなことを問う余裕はなかった。顎を持ち上げている冷たい刃が、喉元に近付いている。
ギルディオスのガントレットには、剣の柄が歪みそうなほどに力が入っている。ぎしり、と金属が軋む。

「シルフィーナを殺したのはグレイスで、フィルは別の仕事で居合わせただけだ! それだけなんだよ!」

「…だが」

重戦士が、やっと聞こえるほどの声を出した。斧を下ろし、ギルディオスに振り向いた。

「あの男は、グレイスの持ってきた情報は、今までは確実だったんだ。だが、なぜ、今になって…」

「お前らに信用されるため、都合良く動かすためだろ。そういう準備は欠かさないんだよ、グレイスの野郎は」

変態だからな、と付け加えてからギルディオスはバロニスの顎から剣を抜いた。どん、と彼の肩を突く。
バロニスは数歩よろけて後退し、その場に座り込んでしまった。がちがちと鎧が鳴り、震えている。
ギルディオスはそれを見下ろしていたが、重戦士にヘルムを向けた。がちん、と剣を肩に担ぐ。

「今からでも遅くはねぇ。お前ら、帰れ。フィルとオレに、殺されないうちにな」

「帰る?」

重戦士は、きょとんとした。ギルディオスは、左手で王都の方向を指す。

「ああ、そうだ。帰るのが、お前らにとって一番確実な逃げ道だ」

「戦わずに帰る、なんて…。考えたこと、ありませんでした」

やっと、聖職者は口を開いた。震えが残っていたが、言葉は明瞭だった。

「一人でも敵を倒してからでないと、帰ってはいけないと、ずっと、思っていたから…」

「それは戦争の話だ。戦争と冒険は違う。戦争は引き際が見当たらねぇが、冒険はいくらでもあるじゃねぇか」

ギルディオスは、顔を見合わせている二人に言った。重戦士と聖職者の二人は、割とまともだったらしい。
二人とも、人に流されやすい性分なのだろう。勇者然としたバロニスと、女魔導師二人に押されたのだろう。
彼らの中に一度入ったら、出るに出られなかったに違いない。馴れ合いだけで出来た関係には、ありがちな話だ。
足元に座り込んだバロニスは、呆気に取られている。恐らく、グレイスを一番信用していたのだろう。
ギルディオスは、彼をほんの少しだけ哀れに思った。実質、裏切られたのだからその衝撃は相当のものだ。
これでなんとかなったかな、と、ギルディオスは一息吐いた。ふと見ると、倒れていた盗賊が見当たらない。
よからぬ予感が、ギルディオスの背筋を走った。反射的に、フィフィリアンヌとセイラの倒れている方を見る。
軽い足音を立てて、小柄な男が遠ざかっていく。右手に短剣を握り締め、姿勢を低くしている。

「誰が」

その声に、ギルディオスは駆け出そうとした。盗賊の男は、フィフィリアンヌに向かっていった。
セイラに魔法を掛けていたフィフィリアンヌは、一瞬遅れて盗賊に気付いた。振り向いたが、既に遅かった。
見開かれた赤い目が、盗賊の背に隠れる。ぎらついた短剣が振り上げられ、ばっ、と空中に血が散った。


「帰るかぁああっ!」


横たわるセイラの肌に、赤が増える。盗賊は息を荒げ、衣装の切れ端が付いた短剣を下ろした。
盗賊の男は、フィフィリアンヌの襟元を掴んだ。足元のおぼつかない彼女を立たせ、腹と首を抱きかかえる。
白い首筋に短剣をぺたりと当て、盗賊は呼吸を整えた。その目はギルディオスを越して、バロニスを睨んでいる。

「腰抜けが。そんな野郎にとやかく言われたぐらいで、戦いをやめるってのか!?」

目線は、エリスティーンに向かった。明らかに、軽蔑している。

「お前もお前だ。シルフィーナの方が、お前なんかより、ずっと」

ぴん、と盗賊の手首から太い針が現れた。喉を押さえていたエリスティーンは、顔を上げる。

「役に立ってたんだよ!」

ギルディオスは片手を伸ばしたが、止める間などなかった。太い針は投げられ、彼女の首を貫いた。
フィフィリアンヌが外した動脈に、ずぶりと銀の線が埋まった。女の口は、悲鳴を上げた形で固まっている。
動脈と同時に首の骨もやられたらしく、エリスティーンは首を曲げてよろけた。己の血の海に、倒れ込む。
ばちゃり、と粘度の高い水音がした。盗賊は、フィフィリアンヌの返り血に汚れた顔を拭う。

「…死んでろ、役立たず」

どっ、と重戦士の斧が手から滑り落ちた。先は地面に埋まっていたが、徐々に傾き、がらんと倒れた。
ギルディオスは重戦士の様子から、予想だにしていなかったのだと知った。余程、盗賊の男は豹変したのだ。
確かにあの盗賊は、先陣を切って攻撃をしていた。誰よりも先に、フィフィリアンヌに向けて矢を射っていた。
きっと盗賊の男は、他の者達とは違う理由で戦っていたのだろう。その理由のために、戦いに来たのだ。
だから、仲間の戦意喪失が許せなかったのだろう。それは解らないでもないが、だが、だからといって。

「おい」

ギルディオスはバスタードソードを、盗賊の男に向けて突き出した。

「その女は、仮にもお前の仲間だろ。何も、殺しちまうことはねぇだろうが!」

「仲間ねぇ…」

先程のギルディオスの口調を真似て、盗賊は、笑った。

「別に仲間でもなんでもねぇよ。オレはただ、竜を狩りに来ただけさ」

盗賊は服の胸元を探り、もう一本短剣を抜いた。軽く、それを手の中で回す。

「そいつらは、丁度良い前衛だったってだけだ。今の今まで、利害が一致してただけに過ぎねぇ」

かがり火を受けた盗賊の目は、欲望に満ちていた。

「冒険なんざ、オレは別に求めちゃいないさ。オレが欲しいのはドラゴンの血肉、それだけだ」

いい金になるからなぁ、と盗賊はフィフィリアンヌの顎を掴んだ。白い頬は、血の気が失せてしまっていた。
ギルディオスは、コルグの剥製を思い出した。彼女がそうなるとは限らないが、そうなり得るかもしれない。
フィフィリアンヌの頬に落ちていた涙が、盗賊の手に移っている。それが、とても汚らわしく思えた。
ギルディオスは、歩き出した。エリスティーンの死体の脇を抜け、盗賊の前に立ち塞がる。

「下衆野郎め」

怒り過ぎて、突き抜けた。ギルディオスの声は、落ち着いていた。


「オレの娘から、その血生臭ぇ手をさっさと離しやがれ」





 



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