フィフィリアンヌは、見慣れぬ武器に見入っていた。 赤々と燃え盛っている暖炉の前で、フィフィリアンヌとカインが向かい合って座っていた。 カインは、先日の親戚周りを兼ねた旅行の土産と、カトリーヌを預かったことの礼を持ってきたのである。 土産の品は、普通ではなかった。カインによれば、親戚の男爵が珍しい物好きで、その収集品の一つらしい。 二人の間のテーブルに、黒光りするものが置かれている。それは、火薬を用いる近代兵器、拳銃だった。 すらりとした長めの銃身と持ち手の間に填っている、いかつい円筒が特徴的な外見をしている武器だった。 銀の装飾に縁取られたグリップには、猛々しく羽ばたくハヤブサが掘られていた。ストレイン家の家紋だそうだ。 カインは銃を取ると、じゃこんと円筒を出してみせる。六つの穴が空いているそれは、弾倉のようだった。 弾倉を傾けると、小さな魔導鉱石がいくつか落ち、テーブルへ転がった。フィフィリアンヌは、その一つを取る。 「鉛玉ではないようだな」 「それは鉱石弾って言うんです。ちょっと特殊な加工がしてあって、普通のとは違うんだ」 先細った円筒形の鉱石弾を取り、カインはそれを掲げて見せる。小さな赤い鉱石が、つやりと輝いた。 カインの肩に乗るカトリーヌが、首をかしげている。暇なのか、赤いリボンの付いた尾をぱたぱたと振っていた。 ギルディオスは伯爵と共に、遠巻きに二人を眺めていた。どうにも、割り込めそうな話ではなかった。 テーブルに置かれた近代兵器から目を外し、ギルディオスは大きな机に背を預ける。今回も、関心が起きない。 戦争で軍隊が使用する大型の近代兵器には惹かれるものはあるが、こういう小型のものには魅力を感じない。 だが、ギルディオスとは逆に、フィフィリアンヌはこの小型兵器が気に入ったのか、まじまじと見つめている。 オレらはとことん気が合わないようだな、と思いながらギルディオスは、机に肘を置いて頬杖を付いた。 傍らに置かれているグラスを、ごとん、と伯爵が動かした。体をにゅるんと伸ばし、手近なボトルへ向ける。 ワインを要求しているのだ。ギルディオスは赤ワインのボトルを取ると、どぼどぼと伯爵の中へ注ぐ。 グラスの半分ほどで注ぐのを止めると、伯爵は少々不満げに声を洩らしたが、大人しくワインを吸い込んだ。 カインは円筒の底、平らになっている部分を指した。そこには、小さな丸い金属板が填められている。 「この一つ一つに、結構な量の魔力を蓄えられるんですけど、これだけじゃ何の意味もないんです。ですけど、その魔導拳銃に装填して引き金を引けば、呪文詠唱をせずとも魔法を発動させることが出来るんです」 「なかなか面白いな」 「鉱石弾の後ろには、その魔導鉱石の特性に合わせた魔法陣が貼り付けてあって、引き金を引いてそこを叩くと、発動する仕組みになっているんです。拳銃本体にも呪文が施してあるからなんですけどね。肝心の魔法の威力は、充填した魔力の度合いと発動時のテンションで、まちまちらしいので、実戦には向きませんけどね」 得意げにカインは説明を続けるが、フィフィリアンヌは顔を上げずに拳銃本体を手に取る。 ずしりとした鋼鉄の重みを感じながら、構えてみせる。じゃこん、と出されていた弾倉を中に戻した。 「使い勝手の悪さといい、この無駄な重さといい、効率の悪さといい…。うむ、気に入ったぞ」 「発動出来る魔法は、基本の攻撃魔法三種ですね」 「魔法陣と鉱石の色からして、火炎、水流、雷撃か。無難すぎる取り合わせだな。意外性がない」 フィフィリアンヌはまた弾倉を開け、六つの弾丸を出した。赤と青と緑の弾丸が、二つずつテーブルに並ぶ。 「鉱石弾の魔力の許容は?」 「それは、術者によるかなぁ。あの、フィフィリアンヌさんが気に入ったんなら、その魔導拳銃は」 譲る、とカインが言う前に、フィフィリアンヌはずいっと身を乗り出した。 「買う。いくらだ」 「…大叔父様によれば、弾丸と本体を合わせて金貨五十五枚だそうで」 真剣な顔をしたフィフィリアンヌに、カインは説明する。受け取るつもりはないが、言うべきだと思った。 魔導拳銃をテーブルに置き、フィフィリアンヌは少し唸った。すぐに顔を上げ、カインを見据えた。 「買った」 「え、いやいいですよ! 僕はいらないから、あなたに譲ろうと思って持ってきたんだし…」 慌ててカインが声を上げたが、フィフィリアンヌは立ち上がった。足早に、机へと向かっていった。 机に寄り掛かっていたギルディオスは、背を外した。椅子を引いて机の下に体を突っ込む、彼女を見下ろす。 ワイングラスから、伯爵がにゅるりと先端を伸ばした。ギルディオスが肩を竦めると、伯爵は先端を横へ振る。 「いやはや、いやはや…」 「カインが譲るってんだから、わざわざ金を払うこともねぇだろ?」 ギルディオスが不思議そうに言うと、机の下からフィフィリアンヌが出てきた。両手で、大きな袋を引き摺っている。 金貨が入っていると思しき麻袋をずるずると引き出し、床に擦りながら、フィフィリアンヌは暖炉の前へ戻った。 力を込めて金貨の袋を持ち上げ、どがん、とテーブルに置く。息を吐いてから、彼女は甲冑を見上げる。 「私が買うと言ったら買うのだ。私の金の使い方に、いちいち口を出すな」 さあ五十五枚取れ、と、フィフィリアンヌは金貨の袋を軽く叩いた。カインは、カトリーヌと顔を見合わせた。 カトリーヌは尾を振りながら、ぎしゃあ、と鳴く。貰えるものなら貰っておけ、と言うような雰囲気だ。 仕方なしに、カインは目の前の大きな金貨の袋を開ける。大きさからして、百枚以上入っているようだった。 十枚ずつ取り出して、カインは枚数を数えた。彼が金貨を受け取り終えると、フィフィリアンヌは目元を細める。 「よし」 すぐさま魔導拳銃を手にしたフィフィリアンヌは、鉱石弾を掴み取った。がちゃり、と手の中で石が擦れる。 かちんかちん、と黒い弾倉に鉱石弾を込めていく。無表情ながらも、いつになく楽しげだった。 ギルディオスは、傍らの伯爵に尋ねる。こぽん、とスライムから小さな気泡が出た。 「フィルの金遣いって、いつもああなのか?」 「ああ、そうだとも。フィフィリアンヌは、稼いだ金を目先の下らないものに使うことが異様に好きなのである」 悪いクセなのだよ、と伯爵は笑う。にゅるり、とワインレッドがギルディオスの胸元を指す。 「貴君もその一つだ。唐突に、上物の魔導鉱石を買い付けたと思ったら、このような姿にしてしまったのである」 「…嬉しくねぇなぁ。オレは衝動買いで蘇ったのかよ」 笑うに笑えず、ギルディオスはがりがりとヘルムを掻く。せめて、もう少し高尚な理由が欲しかった。 魔導鉱石を買ったから、墓が目に付いたから、自分が蘇った。普通なら嬉しいはずなのに、無性に物悲しい。 ギルディオスは複雑を通り越して空しくなりながら、しきりに魔導拳銃をいじり回す少女を眺めていた。 先程から、かちん、と引き金は引かれるが、魔法は発動されない。鉱石弾に、魔力が込められていないのだ。 銀の浮き彫りが施されたグリップを握り締め、フィフィリアンヌは目を閉じる。こん、と額に弾倉を当てた。 しばらくすると目を開き、じゃこんと弾倉を出した。赤い鉱石弾を出して眺めたが、また中に戻す。 「充填は、こんなものでいいだろう」 「フィル。そいつの試し撃ちをするんなら、外に出た方が良くねぇか?」 「そうだな。私もこの部屋を壊したくはない」 ギルディオスの提案に、フィフィリアンヌは頷いた。ベルトの間に、ぐいっと魔導拳銃を差し込んだ。 机の上から伯爵のグラスを取ると、近くにあったフラスコへつるんと流し込み、コルク栓を押し込んで蓋をした。 金具をベルトに付け、フラスコを魔導拳銃の隣へ下げてから、フィフィリアンヌは翼を畳んで黒いマントを羽織る。 壁に掛けてあった先の尖った黒い帽子を取ると、ツノを隠すように深く被る。足早に、玄関へ向かった。 「行くぞ」 カインとギルディオスが返事をする前に、フィフィリアンヌはさっさと扉を開けて出て行ってしまった。 ギルディオスはこの事態が、少し信じられなかった。普段は出不精なのに、こういうときだけは行動が迅速だ。 きぃきぃ、とカトリーヌに急かされ、カインは思い出したように立ち上がった。ギルディオスは、己の剣を背負う。 「んじゃ、オレらも行くとしますか」 「お土産を喜んでもらえたのは嬉しいけど…その、なんか複雑だなぁ…」 変な笑いを浮かべながら、カインは項垂れた。ギルディオスは、乾いた笑い声を上げる。 「オレもだよ。知りたくもねぇ事実を知っちゃったんだから」 二人が外へ出ると、フィフィリアンヌが待っていた。苛立っているのか、しきりにつま先で地面を叩いている。 一刻も早く魔導拳銃を試したくて仕方ないらしく、二人が付いてくるのを待たずに、先に歩き出していった。 城下とは逆方向、西側の森に黒いマントの小さな背は進んでいく。慌てて、二人はフィフィリアンヌを追う。 獣道のような道を突き進むフィフィリアンヌは、木々の向こうに見える、人気のない野原に視線を据えていた。 魔導拳銃の威力がどのようなものなのか、想像を巡らせながら、期待に緩みそうな表情を固めていた。 フィフィリアンヌの行き着いた先は、寂しい野原だった。 冷たく乾いた風が、冬を待つうちに枯れた草をざあざあと揺らがせる。先日降った少ない雪が、溶けかけている。 森の奧にぽっかりと開いている野原は、人家から離れていると言うこともあり、荒れ放題になっていた。 背の高い草が生い茂り、地面を覆い尽くしている。フィフィリアンヌはギルディオスを見上げ、目の前を指す。 「ギルディオス。ここの草を刈れ」 「へいへい」 仕方なく、ギルディオスはバスタードソードを抜いた。やる気は起きなかったが、逆らってもいいことはない。 もう少し先だ、と指示を出されたので、草を踏み分けるようにしながらギルディオスは大股に歩いていった。 数歩進むと、止まれ、とフィフィリアンヌが命じた。ギルディオスが振り返ると、彼女は頷いていた。 ギルディオスは足場を作るため、多少足元を踏み付けた。人一人動ける空間が、出来上がる。 腰を落としながら、低く剣を構えた。きちり、と刃を傾け、目の前で揺れる草を睨んで足を前に滑り出す。 「っどぁ!」 ぶん、と力強く振られた剣が、枯れ草を一気に薙ぎ払った。ギルディオスは、くるっと上半身を捻る。 一回転すると、彼の周囲の草は丸く刈り取られた。切り落とされた草がばさばさと倒れ、足元を埋める。 大半の草がなくなると、森の前に立つ二人の姿が見えた。フィフィリアンヌの隣で、カインが感嘆の声を洩らす。 がちん、とバスタードソードを肩に担いだ。ギルディオスは足にまとわりつく草を蹴飛ばし、二人に向く。 「これでいいか?」 「上出来だ。これで魔法陣を描ける」 フィフィリアンヌは歩み出ると、ギルディオスの隣へ来た。草の切られた円の中から、甲冑を押しやる。 がちん、と背中の鞘にバスタードソードを戻してから、ギルディオスはフィフィリアンヌの足元を見下ろす。 靴の先で、草を掻き分けるようにしながら二重の円を描いた。円と円の間隔に、古代魔法文字が書かれる。 フィフィリアンヌは大きな文字を書き終えると、落ちていた枝を取り、大きな文字の下に書き足していった。 円の中央へ立つと、両手を組んで頭の上へ持ち上げる。一度目を閉じてから、見開いた。 「我が魂と体に宿りし魔導の力よ、我が意に従い、力となれ!」 強く、組まれた手が握られる。 「発動!」 直後。フィフィリアンヌを中心に、風が舞い起こった。地面を這うように、空気の刃が吹き抜ける。 どこからか溢れ出してくる強い風が、あっという間に草を薙ぎ払っていく。僅かな雪が、巻き上げられて散った。 一際強い旋風が抜けると、ばさり、とフィフィリアンヌの長いマントが落ち着いた。黒の上に、濃緑の髪が落ちる。 少しずれた帽子を整え、フィフィリアンヌは平らになった野原を進む。その背に、ギルディオスがぼやく。 「これが出来るんなら、最初からやってくれよ。オレの草刈り、意味あるのか?」 「あるとも。広範囲の魔法には、それ相応の魔法陣が必要なのだ。そんなことも知らんのか、貴様は」 横顔だけ向け、フィフィリアンヌは不愉快げに眉をしかめた。平らになった草原を、足早に歩いていく。 ギルディオスはげんなりしながらも、その後を追った。カインは、術者のいなくなった魔法陣へ入った。 強烈な風で大半は消し飛んでいるが、多少は残っていた。しゃがみ込み、古代魔法文字をそっと指でなぞる。 カインの後ろで羽ばたきながら、カトリーヌも覗き込む。カインの顔の脇で、ぎしゃあ、と一声叫んだ。 カトリーヌの起こす弱い風に髪を揺らがされながら、カインはフィフィリアンヌの魔法陣を見下ろした。 「凄いや」 最低限の魔力で、最大限の威力を発揮出来るような陣だった。彼女らしく、文字はかっちりしている。 魔法陣には古代魔法の効率の良さも含まれているが、現代魔法の威力の高さも程良く混ぜてあった。 フィフィリアンヌが発動させた風魔法は、二番目に簡単なものだ。適応範囲は、限界近くまで拡大されている。 この魔法の本来の目的は、敵を殺傷するものではなく、目くらましに近い。だから、二人に被害はなかった。 しかしそれでは、あの量の草を薙ぎ払うことは出来ない。疑問に思いながら、カインは文字を辿った。 「あ、そうか」 風を捻れさせるための呪文が、内側の円に書き記してある。外側でだけ、風が強くなった理由はこれだ。 簡単だからこそ、ここまで手を加えているのだろう。だがそれも、普通は一度で上手く発動させることは難しい。 魔力の扱いが、それだけ上手いということだ。フィフィリアンヌの才能に感心しながら、カインは顔を上げる。 「研究熱心なんだなぁ…」 遠くでは、フィフィリアンヌは魔導拳銃を握り締めながら、真っ直ぐに野原を見据えていた。 その視線を辿ると、ギルディオスが朽ちて倒れた木を切って何かを作っていた。的を立てるつもりらしい。 カインは魔法陣から出ると、カトリーヌを従えてフィフィリアンヌの元へ駆けていった。 ギルディオスの作った的は、地面へ突き立てた棒へ枯れ草を巻き付けただけの粗野なものだった。 大きく間隔を空けて、横へ三つ並べられていた。三本目を深く突き刺してから、ギルディオスが戻ってきた。 少々土に汚れた手を払いながら、魔導拳銃を構えるフィフィリアンヌと、後方に立つカインの隣で足を止める。 フィフィリアンヌは、視界の中で銃口の先に付けられた照準と的を重ねながら、グリップを固く握り締めた。 引き金に指を掛け、弱い風に揺れる的を見定めた。足を肩幅程度に広げ、腕を伸ばす。 フィフィリアンヌが片目を閉じたり開けたりしていると、ギルディオスがじれったそうに急かしてきた。 「さっさと撃てよ」 「うるさい。照準が定まらんのだ」 そう返しながら、フィフィリアンヌは弾倉を止めていたハンマーを動かす。がちん、と鉱石弾が装填される。 引き金に当てた指に力を込めようとすると、フラスコの中から伯爵が話し掛けてきた。 「フィフィリアンヌよ。それでは銃口が低すぎる、的の手前を抉ってしまうだけであるぞ」 「貴様も黙らんか、集中出来ん」 一度魔導拳銃を下げ、フィフィリアンヌはベルトの金具からフラスコを外した。それを、ぽいっと放り投げる。 高く放られた伯爵は、ごとん、とギルディオスの手に納まった。いやはや、と小さな呟きが聞こえる。 ギルディオスは伯爵を脇に抱えながら、しきりに照準を調整するフィフィリアンヌの真剣な横顔を見ていた。 カインの肩で、カトリーヌが急かすように高い声を出す。カインはワイバーンの口を押さえ、苦笑する。 「カトリーヌ。黙ってなきゃダメだよ」 きゅうん、とカトリーヌは頭を下げた。小さなツノの間を、カインは優しく撫でてやる。 フィフィリアンヌはぎゅっと唇を噛み締めていたが、銃口の位置を少し調整してから頷いた。 「よし」 がちん、とフィフィリアンヌの指が引き金を押し込んだ。 間髪入れずに銃口から放たれた閃光は、火炎球となって的へ向かう。はずだった。 どがん、と衝撃が地面を揺らがせた。 的の前方に、焼け焦げた穴が出来上がっている。煙を立ち上らせながら、ちりちりと細かい火を残していた。 煙の少し奧に立っている的は、どこにも損傷がなかった。棒の先で、枯れ草がさわさわと揺れている。 機嫌の良い伯爵の笑い声が、彼らの静寂を打ち破る。思わぬ結果が、面白くて溜まらないのだ。 フィフィリアンヌは振り返り、伯爵を睨んだ。彼を持つギルディオスも笑いたいのか、肩が僅かに震えている。 カインはどうしたらいいのか解らず、とりあえずカトリーヌと顔を見合わせる。ぎゃあ、と一声吠えられた。 眉間を歪めながら、フィフィリアンヌは再び的の方へ向き直った。がちり、と弾倉を回転させる。 「私はこれを使ったことがなかったのだ、一発目から当たるわけがなかろう」 先程と同じように、フィフィリアンヌは右端の的へ銃口を向けた。ギルディオスは、彼女の手元を指す。 「片手じゃなくて両手で持ってみたらどうだ? さっき、反動で肩がぶれてたぜ」 「…そうか?」 あまり聞き入れたくはないようだったが、フィフィリアンヌは仕方なさそうに左手をグリップの下に添えた。 深く呼吸をしてから、フィフィリアンヌは腕を上げた。腕と肩を平行にし、衝撃が直線になるようにする。 銃口と照準を、右端の的へ据える。閉じていた片目を開き、その位置を少し右へ調整した。 がちん、と引き金が引かれる。唐突に出現した水流が、的へ目掛けて宙を流れる。はずだった。 だばん、と的の左脇に小さな川が出来た。 乾いた地面に、魔力で生み出された水が吸い込まれる。しゃわしゃわと、周囲の草が飲み込んでいく。 今回もまた、的には少しも被害が出ていなかった。多少跳ねた水を浴びたようだったが、倒れるほどではない。 フィフィリアンヌの背に、伯爵のけたたましい笑い声が掛かる。抱腹絶倒、といった様子だった。 カインに見上げられたギルディオスは、肩を竦めて首を横に振る。何も言わない方がいい、という意味だ。 彼の意図を察したのか、カインは曖昧な笑顔を浮かべる。フィフィリアンヌは、苛ついた声を上げる。 「次は外さん!」 「はっはっはっはっはっは、それはどうかなフィフィリアンヌよ。二度あることは三度ある、と言うではないか」 「黙らぬかこの単純生物、煮溶かすぞ」 かなり嫌そうに吐き捨ててから、フィフィリアンヌは構え直した。今度は、少し銃口を上向けてみた。 今までは、恐らく下に向いていたのだろう。だから、二度も地面を抉ってしまったのだ、と思ったからだ。 ならば上に向けてしまえば、さすがに掠りはするはずだ。そう考え、フィフィリアンヌは三つの的を凝視する。 何も言わぬ右側の的が、急に憎らしくなってきた。わざと外れているような、そんな気分になってしまう。 なので今度は、中央にある的を狙うことにした。照準の先を、中央に立てられた的へ合わせて構える。 深く吸った息を止め、唇を軽く噛む。目元を強め、穴と川の側に立つ的を睨み付ける。 ハンマーを起こして弾倉を回転させ、三番目の鉱石弾を装填する。そして、一気に引き金を絞った。 一直線に放たれた電流は、辺りを眩しくさせながら的へ飛び抜ける。はずだった。 ばちん、と後方の針葉樹に閃光は衝突した。 今回もまた、的はいずれも無傷だった。背の高い樹木は少々帯電していたが、すぐに消えた。 フィフィリアンヌは、強く奥歯を噛み締める。原因は全て自分にあるのは解っているが、腹が立ってしまう。 先程から止まない伯爵の笑いは、彼女の焦燥を高めるように上がり続ける。もう、笑い転げている声だ。 ギルディオスは伯爵のフラスコを叩いてみるが、まるで止めようとしない。それどころか、余計に笑っている。 唐突にフィフィリアンヌは、ギルディオスへ銃口を向けた。不機嫌な形相のまま、がちりと弾倉を回す。 思わぬことに動揺したギルディオスが身を引こうとしたが、その前に、フィフィリアンヌは引き金を引いた。 ばしゅん、と火炎が甲冑の肩の上を飛び抜けていった。これだけの至近距離でも、命中はしなかった。 鋼鉄の体にじんわりと染み渡る熱を感じながら、ギルディオスは後退った。さすがに、不意打ちされるのは怖い。 「…何するんだよ」 「問題は、的の大きさではないようだな」 つまらなそうに眉根を歪め、フィフィリアンヌは呟いた。すぐにまた、弾倉を回転させる。 四発目の鉱石弾が、銃身へ装填された。ギルディオスの頭部へ、真っ直ぐに銃口が据えられる。 「だが、当たるはずだ! 当たらないはずがないのだ!」 「お、あ、ちょい待てよ!」 ギルディオスが制止したが、フィフィリアンヌの指は止まらない。がちん、と引き金が押し込まれる。 仰け反ったギルディオスのヘルムのすぐ脇を、強烈な勢いの水流が通り抜けた。ざばあ、と背後で流れが砕ける。 逃げ腰の甲冑へ、更に雷撃が放たれた。胸元を狙っていた銃口が不意にぶれ、腕の下を激しい閃光が走る。 ばちばちと、ギルディオスのすぐ後ろで帯電した水が光った。ぴりっとした感覚が、彼の体に起こる。 遅れてやってきた恐怖に手が緩み、ごとん、とフラスコが地面に落ちた。ないはずの背筋が、少し冷たい。 徐々に落ち着きが戻ってくると、次第に恐怖が怒りに代わってきた。ギルディオスは、声を上げる。 「フィル、お前はオレを殺す気かぁ!」 「既に死んでいるではないか」 「そういう問題じゃねぇ! なんだってオレを標的にすんだよ、的はあっちだろ!」 叫びながら、ギルディオスが的を指した。フィフィリアンヌは、顔を逸らす。 「当たらないのだ」 「だからって人を的にするんじゃねぇ!」 「当たらなかったではないか」 「オレは当たるかと思ったんだよ!」 ギルディオスに迫られ、フィフィリアンヌはむくれながら銃口を下ろした。 「だが…ここまで近付いても掠りもしないとは…」 「フィフィリアンヌよ。貴君には、射撃の才能が欠片も存在していないようであるな」 地面に転がるフラスコの栓を開けた伯爵は、にゅるんと体を伸ばし、フィフィリアンヌへ向けた。 フィフィリアンヌはさすがに気落ちしたのか、顔を伏せてしまった。項垂れた魔女を、カインは慰める。 「でも、射撃の腕がなくったって、フィフィリアンヌさんには魔法の才能があるじゃないですか」 「母上には負ける」 フィフィリアンヌは、淡々と答えた。カインは、首をかしげる。 「いや、だけど、僕からしてみれば相当に凄いんだけどなぁ」 「貴様が下手だから、そう思えるだけだ」 「僕、そんなに下手かな…」 逆に、カインが落ち込んでしまった。がっくりと下げた頭の上に、どん、とカトリーヌが乗った。 フィフィリアンヌは魔導拳銃の弾倉を出し、鉱石弾の後ろへ手を当てる。魔力を注ぎながら、カインへ言う。 「ああ、下手だ。魔力の制御もなっていないし、何より魔法陣の修練が足りない。あと十年は修行しろ」 泣きそうなカインに見上げられ、ギルディオスは顔を逸らす。彼の脆弱さに、呆れてしまった。 「ていうか、お前が落ち込んでどうすんだよ」 「よし。もう一度だ」 気を取り直し、フィフィリアンヌは的の前へ向かって歩いていった。ざくざくと、草を踏み分ける。 ギルディオスは伯爵のフラスコを拾って付いていったが、ぐったりしているカインは付いてこなかった。 ぎしゃあぎしゃあ、とカトリーヌに慰められてはいるが、すぐには立ち直りそうになかった。かなり堪えたらしい。 群青色の後ろ姿から目を外してから、ギルディオスは的へ近付いたフィフィリアンヌの隣に立つ。 フィフィリアンヌの銃口は、今度は左側を狙っていた。野原を走る弱い風が、穴から昇る煙を散らす。 屈んだギルディオスは、フィフィリアンヌの肩越しに先の魔導拳銃を見た。少し、腕の角度が下がっている。 「フィル。あともうちょい、腕を上にしてみな。手首じゃなくて」 ギルディオスは手を伸ばし、フィフィリアンヌの手を取った。冷たいガントレットが、少女の細い手首と腕を支える。 フィフィリアンヌは、唐突に触れた金属の感触にぎょっとした。反射的に手を引っ込め、声を上げた。 「何をする!」 「あ、悪ぃ。そんなに冷たかったか」 手を放し、ギルディオスは苦笑する。寒空に体が冷え切っていることを、つい失念してしまっていた。 全く、と洩らしながら、フィフィリアンヌは銃口を上げる。ギルディオスに言われた通り、腕の軸を上向けてみる。 がちん、と弾倉を回して火炎の呪文が印された鉱石弾を装填させた。そして、引き金を引き絞った。 放たれた火炎球は、直後に着弾した。どごん、と震動が起こり、先程よりも大きめの穴が地面に出来上がる。 穴の位置は、右側にあるものよりも、少しばかり的に近付いていた。薄い煙が流れ、焦げた匂いが漂ってきた。 ギルディオスの助言が、少しだが役に立ったようだった。フィフィリアンヌは、物珍しげに目を丸める。 「ギルディオス。貴様も、たまには役に立つのだな」 「たまにはってなんだよ、いつもの間違いだろ」 「あまり調子に乗るな。今度こそ撃ち抜くぞ」 と、フィフィリアンヌは背後へ銃口を向ける。ずざり、とギルディオスは後退した。 「言ってみただけじゃねぇか。お前、本当にかわいくねぇな…」 「私に気安く触れるからだ」 あまり面白くなさそうにしながら、フィフィリアンヌは魔導拳銃を上げた。グリップに、左手を添える。 どん、どん、どん、と三発が連射された。がちん、とハンマーが弾倉を叩き、回転を止める。 出来たばかりの穴の両脇を、水の刃が切る。二つの大きな傷から、ざばりと水が流れ落ち、穴へ並々と満ちた。 ちぃ、と舌打ちをしてから、フィフィリアンヌは銃口を引き続ける。ばしん、ばしん、と激しい雷撃が迸った。 的へは近付いたものの、掠ることはない。あれだけ穴を開けても、的の足場すら崩れることはなかった。 あーあーあー、とギルディオスは声を上げた。更に被害の増えた野原と、フィフィリアンヌを交互に見る。 「射撃の才能、本気でないんだなぁ」 「練習が足りておらんだけだ!」 力一杯抗議したフィフィリアンヌは、熱を持った弾倉をぎゅっと握り締める。三度目の、魔力充填を行った。 六つの鉱石弾に魔力が溜まり切ると、すぐにフィフィリアンヌは連射を始めた。火炎や水流、雷撃が何度も続く。 衝撃波と共にやってくる熱風を受けながら、ギルディオスは苦笑した。すっかり、意地になってしまったらしい。 また、的の近くが大きく抉られる。しかし、的が倒れることはなかった。 ぎしゃお、とカインの目の前でカトリーヌが喚く。仕方なく、カインは顔を上げた。 先程から漂っている土の焼ける匂いが、野原一体を満たしていた。彼は、煙の根源へ目をやる。 「うわぁ…」 思わず、カインはこんな声を出してしまった。他に、言うべき言葉が見当たらなかったからだ。 魔力を使い果たしたのか、フィフィリアンヌは両膝を付いて息を荒げている。帽子がずれ、ツノが覗いていた。 彼女の後ろでしゃがんでいるギルディオスは、困っているのか、がりがりとヘルムを掻いている。 粗野な三つの的は、未だに立っていた。その周囲は、まるで魔導師同士が戦闘を行った後のようだった。 火炎球が作った数十個の巨大な穴は、重なり合って更に大きくなっていた。窪んだ部分の土が、焦げている。 繋がった穴の中には、刀傷のような跡と大量の水が溜まっている。春先になれば、奇怪な形の池が出来そうだ。 雷撃が当たったのか、森の一部は嵐の後と化していた。数本の針葉樹の幹が、無惨にも大きく砕けている。 いつのまにか日は傾いていて、夕陽が野原を照らしていた。奇妙な形の穴の底で、水面が輝いていた。 あまりのことにカインが呆然としていると、ギルディオスが立ち上がる。ふう、と疲れたように息を漏らした。 「…すげぇだろ? 一発も当たらなかったんだぜ」 「見たところ、五十は撃った感じがするんですが…。これだけ撃てば、当たりそうなものなんだけどなぁ」 カインが不思議そうに首を捻ると、ギルディオスは笑う。 「それがなぁ、なーんでか知らないけど全部逸れるんだよ。これも、一種の才能かもな」 「…うるさい」 やっと聞こえるほどに小さな声で、フィフィリアンヌは呟いた。項垂れていた頭を、持ち上げる。 魔力の消費が激しいせいか、瞳の赤が弱まっていた。苦々しげに、口元を歪める。 「それに私が撃った回数は五十ではない、六十三回だ」 「撃ち過ぎですよ」 感心半分呆れ半分のカインを、フィフィリアンヌは見上げる。 「練習を続けたら、回数が増えただけだ。まだ足りん」 「フィフィリアンヌよ。どれ、その魔導拳銃を我が輩に貸してみないかね?」 しゃがみ込んだフィフィリアンヌの傍らのフラスコから、にゅるりと伯爵が出た。腕に、ワインレッドが絡む。 撃ち過ぎで力の入らない彼女の手を、スライムは持ち上げていく。指を開かせ、グリップを奪い取った。 フィフィリアンヌが手を開くと、魔導拳銃ごと地面に落ちる。伯爵が受け止めたのか、落下音はしなかった。 ちらりと足元へ目線を動かしたフィフィリアンヌは、面倒そうに返す。邪魔をするのも、億劫だった。 「好きにしろ。魔力は少しなら入っているぞ」 「それでは、遠慮なく撃たせて頂こう」 魔導拳銃が、にゅるにゅると持ち上がっていく。伯爵の体が、引き金にくるりと巻き付けられる。 伯爵が引き金の部分を一気に収縮させると、がちん、と勢い良く引き金が押し込まれた。 「ぬん!」 銃口から放たれた小さめの火炎球が、一直線に飛び抜けていった。火炎は、どごん、と中央の的を揺らがした。 炎を受けた枯れ草はあっという間に燃え上がり、次第に棒は傾いていく。そして、がらん、と後方へ倒れた。 的の後ろにあった穴に転がり落ち、棒の姿は失せ、じゅわっと火の消える音がした。直後、蒸気が立ち上った。 ぐにゅりと魔導拳銃から体を放して、先端を高く持ち上げた伯爵は、かなり機嫌の良い笑い声を上げた。 「はっはっはっはっはっはっはぁ!」 「当たり、やがった」 呆気に取られつつ、ギルディオスは呟いた。信じられない面持ちで、カインが頷いた。 「しかもど真ん中で、的を倒しちゃいましたよね…」 恐る恐る、二人はフィフィリアンヌへと振り向いた。彼女がどんな反応を示すかが解らず、少々恐ろしかった。 ぺたんと座り込んでしまったフィフィリアンヌは、不機嫌そのものだった。眉を吊り上げ、膨れている。 調子に乗った伯爵は、更に二発を放った。どがん、と残り二つの的も打ち砕かれ、後方へ倒れていった。 フィフィリアンヌは的の失せた場所を見ていたが、ぷいっと顔を背ける。情けなさそうに、声を漏らした。 「…ふん」 ぎぃぎぃぎぃ、とカインの頭の上でカトリーヌが羽ばたいた。伯爵の笑い声に、つられたらしい。 唇を歪めているフィフィリアンヌから目を外し、カインはギルディオスを見上げながら彼女を指す。 「もしかして、拗ねちゃったんですかね?」 「だと思うぜ。ガキみてぇな七十四歳だな」 可笑しげに、ギルディオスが笑う。カインはつられて笑いそうになったが、なんとか堪えた。 ギルディオスは拍子抜けした気分だったが、安堵もしていた。癇癪を起こされるよりは、余程マシだ。 気恥ずかしくなってきたのか、フィフィリアンヌは帽子の広いツバを両手で握り、ぎゅっと下げてしまった。 不機嫌なのと情けないのとが混じっている表情が、黒に隠れる。カインには、それがやけに残念に思えた。 座り込んだままのフィフィリアンヌは、帽子の影の下、伯爵とギルディオスの笑い声を聞き流していた。 こんなことで怒ってしまったら、大人げない。そう自分を制止しながら、更に帽子を押し込める。 かなり狭まった視界から見える光景は、夜が近付いてきたのか、薄暗くなり始めていた。 その夜、先日からちらついていた雪が勢いを増し、降り始めた。 外との温度差で水滴の滑る窓の横で、フィフィリアンヌは黙々と本を読んでいた。周囲には、本の山が出来ている。 暖炉の前に座ったギルディオスが、魔導拳銃をいじっていた。手が大きすぎるせいで、拳銃が小さく見える。 足を組むようにして椅子に座り、じゃこん、と弾倉を出してみせた。軽く回してから、また元へ戻す。 「なぁフィル、今度はオレに使わせてくれよ。オレもこいつで遊んでみてぇや」 「うむ。我が輩も、潜在していた才能に更に磨きを掛けたいと思うのであるぞ」 暖炉の前のテーブルで、ごとん、とワイングラスが動く。炎の明かりを受け、ちらちらとグラスが光った。 うんうんと頷き、ギルディオスは椅子へ背をもたせかけた。首を回し、窓の方にヘルムを向ける。 「また魔導拳銃で遊ぼうぜ、フィルー」 先程から、ずっとこの調子だった。フィフィリアンヌは、いい加減に苛立ってきていた。 ページに書かれている錬金術の計算式に集中することで逃避していたが、さすがにもう、限界が近かった。 子供のようなからかいを繰り返すギルディオスと伯爵を無視しながら、ぺらりとページを捲る。 「私は二度と使わん。地下倉庫にでも突っ込んでおけ」 「五十五枚もはたいたのにか?」 ギルディオスが首をかしげたので、フィフィリアンヌは仕方なく目を向けた。 「いらんものはいらん。それだけだ」 「そんなの勿体ねぇよ、格好は良いんだから。せめて飾っとこうぜ?」 「そうだともそうだとも。その方が、カインも傷付かぬぞ?」 たぽん、とワイングラスでスライムが揺れる。フィフィリアンヌは、うんざりしながらため息を吐く。 伯爵が他人を気遣うなど、珍しいを通り越して異様なことだった。これもまた、からかいの一部なのだ。 暖炉の明かりに照らされた二人と自分の映る窓の向こうを、無数の雪が落ちて、地面に吸い込まれていく。 壁と窓を伝わって、じんと寒さが染み入ってくる。これ以上反応するべきではない、とフィフィリアンヌは思った。 「…好きにしろ」 フィフィリアンヌの投げやりな言葉を好意的に解釈したのか、ギルディオスは伯爵と何やら笑い合っていた。 部屋のどこへ魔導拳銃を飾るか、どのようにして飾るか、そのような相談事を始めているようだった。 フィフィリアンヌは二人の会話を聞き流しながら、すっかり冷えてしまった両膝を抱え、壁へもたれる。 時折、思い掛けず味わった屈辱を思い起こしてしまい、その度にフィフィリアンヌは不機嫌に陥っていた。 翌日、雪に埋もれた野原に出現した無数の穴を、野戦訓練に訪れた王国軍が発見する。 どこぞの奇襲攻撃か、荒くれドラゴンの暴れた後か、などと推測されたために城下は騒ぎになってしまう。 だがそれを作った張本人達は、街へ出なかったため、噂を知る由もなかった。 全く持って、傍迷惑な連中なのである。 04 12/2 |