ドラゴンは笑わない




隻眼の正義



ジャックは、息を殺していた。


夕暮れの寂れた通りを、静かに歩いていた。数歩前を行く男の背は高く、黒い外套が歩調に合わせて揺らめく。
足取りを弱めて、少し間を空けた。西日を浴びている男の影は長く伸びて、古びた家の壁に当たって折れている。
素早く目で辺りを窺うと、人通りは失せていた。ジャックは体を縮めると、力一杯地面を蹴って駆け出した。
外套の男は、軽い足取りで歩いている。その足音がやけに小さいことが気になったが、気にしないことにした。
全速力で駆けて、男のすぐ隣に追い付いた。すれ違いざまに外套の下に右手を差し込み、腰の物入れを掴んだ。
そのまま引こうとしたが腕が引っかかり、がくん、と体が揺れた。見上げると、右手の手首が握られている。
視線を上げていくと、男は無表情にジャックの腕を掴んでいた。引っ張り上げて身を屈め、目線を合わせる。
ジャックのすぐ隣にある男の顔は、隻眼だった。左目を黒い眼帯で覆っていて、もう一方の目は威圧感があった。
男の手が、ぐいっと捻られた。関節を曲げられた痛みでジャックは目を剥いたが、悲鳴は上がらなかった。

「お前、一人か」

ジャックは痛みを我慢しながら、頷いた。眼帯の男はジャックの腕を戻すと、自身の頭の高さまで上げた。
男の目は、刃物のような鋭い光を帯びていた。顎の下に冷たい感触がやってきたので、ジャックはびくりとする。
ひやりとした金属が、首筋に押し当てられている。それが短剣だと気付くまで、あまり時間は掛からなかった。
ジャックは喉の奥が引きつり、背筋が冷たくなった。なんとか恐怖心を堪えて、体の震えも無理矢理押し止めた。
すると、眼帯の男はジャックの首筋から刃を外した。ジャックの腕からも手を離したので、地面に落ちてしまった。
外套の下に入れていた腕を出し、じゃらりと鎖を絡めている。眼帯の男はちらりとジャックを見、小さく呟いた。

「動くなよ」

ジャックは言葉の意味が解らず、眼帯の男を見上げた。砂混じりの風が黒を揺さぶり、その下の広い背が覗く。
通りを挟んでいる家の脇、路地からいくつか影が現れた。それらが踏み出そうとしたとき、男は消えた。
影に気付いて見上げると、眼帯の男は高々と跳躍していた。すたん、と軽い足取りで近くの家の屋根に落ちる。
武装した男の一人は腰に提げた剣を、しゃりんと引き抜いた。切っ先を黒い影に向けると、投げつける。
ひゅっ、と銀色の刃が空を裂いた。眼帯の男はくるりと身を捻って剣の軌道から逸れ、外套の下に手を入れる。

「いいものやろうか!」

外套から出された右手から、何かが投げつけられた。小さな十数個の玉が男達に当たると、同時に破裂した。
火花と白い煙が散り、視界が奪われる。ジャックは地面に座り込んだまま、白煙が充満した通りを眺めた。
その中で、すたん、と着地音がした。同時に、じゃらり、と鎖が振り回される音と格闘音が聞こえてきた。
弱い風が抜け、煙が薄らいだ。ぶわりと広がった黒い外套が白い煙を切り裂き、長い足が鋭い蹴りを放った。
ごがっ、と鈍い音が響く。眼帯の男のかかとが、敵の一人の首にめり込んでいた。その足で男を倒し、身を翻す。
足を下ろした眼帯の男の背後に、新手が現れた。斧を振りかざして突っ込んでくると、振り下ろし、地面を砕く。
素早く後ろに向いた眼帯の男は、左手に持っていた鎖を回し始めた。地面から斧を抜いた男は、舌打ちする。
ひゅん、と眼帯の男は鎖を止めた。にじり寄ってくる男と向き合うと両手に鎖を握り、ばしん、と張り詰めさせた。
斧の男は、真正面から切りかかってきた。眼帯の男はくっと上半身を下げて体を捻り、男の横に回り込む。

「遅ぇ」

眼帯の男は僅かに笑うと、鎖を横から男の首に引っ掛けた。じゃらっ、と鉄が擦れ合い、喉笛に食い込む。
ぎちぎちと軋む鎖を外そうと、男は斧を取り落として首を掻き毟る。だが、鎖は緩まず、更に食い込んでくる。
次第に、男の呼吸が掠れて途切れ途切れになる。体が震えてくるが、声は出ず、鎖を掴もうとする指が震える。
眼帯の男は鎖を捩じり、更に拘束を強めた。首の皮が引きつって血が鬱積し、首から上は真っ赤になっている。

「さぁて。ここで、簡単な交渉をしようじゃないか」

眼帯の男は首を絞められている男の耳元に、口を寄せる。

「お前らの頭の居所を吐く気があるんなら、生かしてやろう。そうじゃなかったら、首の骨をへし折るぞ?」

ジャックは立ち上がろうとしたが、落ちたときに腰に響いたのか、立てなかった。男は、ひゅるひゅると息をする。
眼帯の男は鎖の締め付けを少し緩めたが、男は何も喋らなかった。荒い息を繰り返すが、言葉は出てこない。
鎖の拘束は、じゃらりと解けた。首に出来た赤い痣を押さえ、男は眼帯の男を横目に見ながら、肩を上下させる。
眼帯の男は完全に鎖を解いたが、男は何も言わなかった。ぼたぼたと涙を落としてはいるが、呻きすら出さない。
ジャックは痛む腰を押さえながら、周囲を窺った。通りを挟む家々から顔を出す人々は、不安げにしている。
だが、誰も何も言わない。男の荒い息と鎖の揺れる音だけが聞こえ、薄暗くなった通りは異様な雰囲気だった。
眼帯の男は足元に転がる男の一人を、どん、とつま先で蹴った。気絶しているようで、だらしなく口が開いている。
それでも、誰一人として呻き声すら出さなかった。眼帯の男は倒れている男と首を絞められた男を見比べた。

「趣味の悪いことをしやがる」

そう漏らした眼帯の男は、ほとんど足音を立てずにジャックへ歩み寄った。いきなり、ジャックの襟首を掴む。
ネコのように持ち上げられ、ジャックは困惑した。急に高くなった視界に戸惑っていると、眼帯の男は言う。

「お前らの頭は誰だ」

ジャックは言葉にしようとしたが、魚のように口をぱくぱくさせるだけだった。そうか、と眼帯の男は呟く。

「何も言えないのか。それだけなんだな?」

ジャックは、何度も頷いた。眼帯の男はジャックを下ろして立たせてから、訝しげにする。

「ここらの賊って言えば、どの連中だろうな。ゲイリード一味、は前にやったから違うし、レイゾス・ダヴュールは去年やられたし、となれば、誰だろうなぁ」

眼帯の男は首を巡らせて、通りを見回した。小さな古びた店が軒を連ねており、一見して裕福でないと解る。
土を均しただけの地面には石がごろごろしているし、窓もガラスが填まっているものはなく、板張りだった。
眼帯の男は地面にしゃがみ、目を凝らした。荷車を引いた痕跡が残っていて、それらは街の奥へと向かっている。
何方向かに分かれているが、一際深いものがあった。眼帯の男は目を細め、その深い溝の先を辿っていった。
顔を上げると、溝は真っ直ぐに北側の山へと繋がっていた。眼帯の男は立ち上がろうとしたが、ため息を吐いた。
家から出てきた数人の人間が、武器を向けていた。取り囲まれた眼帯の男は、がりがりと短く切った髪を掻く。

「お前ら、何か勘違いしてるだろ? オレはまだ、誰も殺しちゃいない。そこらに倒れてる奴らは誰も死んでねぇぞ。首の骨、折らなかっただろうが」

彼らは目を泳がせ、顔を見合わせる。眼帯の男は立ち上がって膝を払い、鎖を左腕にちゃりちゃりと巻く。

「それに、オレは別にお前らを殺しに来たわけじゃない。オレは賊じゃなくて、賞金稼ぎなんでね」

賞金稼ぎ。ジャックは、少し拍子抜けをした。眼帯の男は、あの者に加勢するために来たのだと思っていた。
しかし、そうではなかった。早とちりだったんだ、と思いながら、地面に転がったままの住民達を眺めた。
武装した男達の元に、彼らの妻子が駆け寄る。妻は夫を揺すったり叩いたりしているが、声はやはり出ない。
眼帯の男はジャックの前に戻ってくると、がしっと頭を掴んだ。ジャックがきょとんとすると、男は叫んだ。

「彼の者を戒めし言霊よ、我が言葉を受けよ! 忌まわしき契約に、綻びを作ることを許したまえ!」

ジャックは、掴まれた額と胸の奥が熱くなった。眼帯の男は何度か深呼吸してから、ジャックから手を離す。

「気休めに過ぎんが。何か言ってみろ。まぁ、付け焼刃の魔法だし威力も大したことないから、期待はするなよ」

頷いてから、ジャックは深く息を吸った。言いたいことは色々とあったが、まずは、これを聞くべきだと思った。
あ、と言おうとしたが、空気の抜ける音にしかならなかった。ジャックは気を落ち着け、もう一度言葉を出した。

「あ、あの!」

「おう、言えたか。ちったぁ効き目があったってことだな」

満足げな眼帯の男に、ジャックは叫んだ。

「お名前、なんて言うんすか!」

「仕事が終わったら教えてやるよ。下手に名前出すと、あちらさんが警戒するかもしれねぇからな」

そうなったらやりづらいし、と眼帯の男は言い、ジャックの頭に手を置いた。その感触は、大きくて温かかった。
あっという間に住民達を打ちのめした手と同じ手だとは、思えなかった。手のひらから伝わる体温が、心地良い。
思いがけないことに、ジャックは緊張してしまった。嬉しいのだが、素直に嬉しいといって良いのか解らなかった。
その気持ちを知ってか知らずか、眼帯の男の手はジャックの頭を軽く叩いていた。




日が落ちて、寂れた街は夜に包まれた。
ジャックは眼帯の男を連れて、家に向かっていた。あちこちの家の窓から、不安と興味を混ぜた顔が覗いている。
それが、ジャックとしては気分が良くなかった。確かに彼の外見は恐ろしいが、そこまで警戒することもないだろう。
賞金稼ぎだと言ったが、その肩書きの割に根は善良そうだ。善良に違いない、とジャックは思って頷いた。
むしろ、そうであってほしい、と願っていた。そっと背後を見上げると、眼帯の男は物珍しげに街を見回している。
ジャックは小走りになると、一際小さな家の前に駆け出た。立ち止まってから振り返り、その家の扉を示す。

「ここっす」

「おう」

眼帯の男は素っ気無く言い、ジャックの後ろに立った。ジャックは古い扉を軋ませながら、力を込めて開いた。
家の中は、真っ暗だった。月明かりが家具の端々を光らせているが、目を凝らさなければ見えないも同然だった。
ジャックは小さなテーブルの上からランプを取って開き、芯に手を翳す。じっと睨んでいると、ぼっ、と火が付いた。
ランプの火から火種を取ったジャックは、暖炉の木屑に付けた。めらめらと燃え広がり、煙が立ち上り始める。
ランプにガラスの覆いを被せてから、ことん、とテーブルに載せた。眼帯の男は頭を屈めて、家の中に入ってきた。
水の入ったポットを暖炉に置いてから、ジャックは椅子を持ってきて、眼帯の男の方へと押し出してやった。
粗末な椅子に腰掛けた男は、ばさりと外套を整えた。その拍子に、ちゃりっ、と鎖と思しき金属音が聞こえた。

「親はいないのか?」

「いないんすよ」

よく聞かれる質問なので、ジャックはさらりと返した。茶葉の入った瓶を取りながら、言い慣れた言葉を言う。

「赤ん坊だった頃、この街の入り口に捨てられてて、それを近所の人が拾ってくれたんっす。でも別に、オレは不幸なんかじゃないっすよ。ちゃんと働く場所もあって屋根のある場所に住めて、街の人も結構優しくしてくれるんすよ」

「ほう」

やる気なく、眼帯の男は相槌を打った。ジャックは乾いたパンを皿に載せ、マグカップと一緒に男の前に置いた。

「だけど、賞金稼ぎだなんてちょっと意外っす。だって小父さん、見た目だけなら盗賊みたいなんすから」

「昔はそれだったからな。今更、戦い方を変えるのが面倒なだけだ」

眼帯の男はパンを取ると、べりっと半分に引き裂いた。残り半分を皿に載せ、ジャックの方に押し出す。

「ところで、お前、名前は?」

「ジャック」

「オレのは、事が終わったら教えてやるよ。まぁ、大したことのない名前だがな」

眼帯の男は、固いパンを齧った。ジャックは汚れたティーポットの中に安い紅茶の葉を入れ、沸いた湯を注いだ。
どぼどぼと乱暴に注がれ、少々飛び散った。ジャックは並々と湯の入ったティーポットに蓋をし、腰掛けた。
真正面から、眼帯の男を見上げてみた。精悍な顔付きは、この近辺では見かけないような顔の作りをしていた。
肌の色も白ではなく、黄色が強かった。一見すると細身だが肩幅も身長もあり、骨格はがっしりしている。
左目、すなわち彼自身の右目を塞いでいる眼帯が印象深かった。ジャックは物珍しさで、その眼帯を見つめた。

「ああ、これか」

眼帯の男はジャックの視線に気付き、食べる手を止めた。ジャックは、慌てて手を振る。

「あ、いや、聞いちゃいけないんだったらもう見ないっす」

「いや、いいさ。慣れてるしな」

眼帯の男は、左目の眼帯をぐいっと引き上げてみせた。その下にあるはずの目はなく、古い傷跡が残っている。
刃物で瞼の縦に切った痕もあり、皮膚が癒着した瞼は窪んでいる。眼球そのものが、抉り取られているようだ。

「こいつはな、小せぇ頃に親父に抉られたんだ。なんでも、盗賊の掟なんだそうだ」

見てはいけない、と思いながらも、ジャックは彼の右目から目を離せなかった。眼帯の男は続ける。

「本当なら、この上で反対側の耳も潰すんだそうだ。そうして感覚を高めさせて、どんな暗闇でも確実に戦えるような人間にするのが目的なんだ。実際、オレの兄弟もそんな連中が多くてな、昔はそれが普通だと思ってたんだよ」

ジャックは、ごくりと生唾を飲み下した。見知らぬおぞましい世界を、眼帯の男は話し続ける。

「そんなイカれた環境で育って、そうだな、丁度お前と同じくらいのときに狩りに出された。狩りっつっても、相手は獣じゃない。人間だ。山道をやってきた旅団を兄弟や仲間と一緒に襲って、オレも何人か殺して、金品を奪ったんだ。んで、気付いた。殺した人間達は、どれもこれも両目がある。耳も両方あるし、手も二つあって、なんだか変だった。でも、それが普通だと気付いたんだな。本当の人間は両手両足両目両耳が揃ってて、親に目を潰されることはないんだと。このままじゃオレもイカれちまうと思ったから、家から逃げ出して、賞金稼ぎになったってわけだ」

「…すごい、っすね」

呆然としながら、ジャックは呟いた。眼帯の男は眼帯を元に戻すと、まぁな、と返す。

「んじゃ次は、お前の番だ。どうしてオレの金を奪おうとした?」

「それは…その」

ジャックが渋ると、眼帯の男はティーポットを取って欠けたマグカップに注いだ。

「金を払ったら物をもらう。戦えばその分の報酬をもらう。オレが話した分も、お前も話せ。当然の取引だ」

「でも、話せるかどうか解らないっすよ。だってオレら、魔導師に呪いを掛けられちゃったんすから」

ほら、とジャックは薄汚れた袖をまくってみせた。痩せ細った腕には、魔法陣が描かれている。

「ね?」

「レブ、ライ、エゼ、ワド、ヨヨ。そりゃ呪いじゃない、単なる防水の魔法だ」

「え?」

ジャックには、聞き覚えのない言葉だった。眼帯の男はジャックの腕を掴み、引き寄せる。

「ここらの人間は、マジで魔法に疎いんだな。これは別に呪いじゃなくて、単にこの魔法陣が水で消えないようにする魔法だ。大方、こりゃ墨で書いたんだな。しょうもない手だ」

「んじゃ、どうしてオレらは喋れなくなっちゃってたんすか?」

「ありゃ失言の呪いだ。一番簡単な呪いの一つで、魔力の少ねぇオレでも弱めることが出来るほど弱いものだ」

思ったより簡単そうだ、と眼帯の男はジャックの腕を離した。どがっ、とテーブルの上に足を乗せて組む。

「大方、お前ら住民は、その魔導師にちゃちな魔法を掛けられていいように食い物にされていたんだろ? 水と食糧をくれだの金を稼いでこいだの旅人を襲えだの、下らん命令をされたんだろう。反逆を禁ずる呪いでも行動を制する呪いでもない魔法を掛けられたぐらいじゃ、普通なら逆らえるんだが、不幸なことにこの街にはまともに魔法の知識を持った人間がいなかった。だから、ずるずると食い物にされていた」

違うか、と眼帯の男は笑う。ジャックがぶんぶんと首を横に振ると、そうだろう、と眼帯の男は頷く。

「三流もいいとこだ。今時、こんな手段が通用するような場所がある方が珍しいぜ」

「それじゃ、オレらは騙されてたんすか!?」

がたっと椅子を蹴飛ばして立ち上がり、ジャックは眼帯の男に迫る。

「この街から出たらカエルになっちゃうとか、命令に背いたら竜が喰いに来るとか、食糧を貢がないと神罰が下るとかってのは全部嘘だったんすか!?」

「当たり前だろ。馬鹿か、そんなの信じてたのか」

「だっ、だって、魔法ってなんでも出来るんじゃないんすか!」

「出来ないんだよ。何にだって限界があるし、約束事を守ってやらんと魔力が変な方向に行っちまうしな」

淡々と切り返す眼帯の男に、ジャックは少し変な顔をした。

「なんで、小父さんはそんなに色々と知ってるんすか? 賞金稼ぎじゃないんすか?」

「こういう商売してると、色々と知っておいた方がいいのさ。といってもオレの場合は、知識として知っているだけで、ほとんど魔法は使えないがな」

眼帯の男は、濃く煮出された紅茶を飲んだ。顔をしかめたが、ぐっと傾けて一気に飲み干してしまった。
酒のように、どん、とマグカップをテーブルに叩き付けた。口元を拭ってから、ジャックを睨むように見下ろす。

「それで、お前は金は持ってるか?」

「金、っすか?」

「オレも仕事なんでな。その馬鹿な魔導師とやらに賞金を掛けてもらわなきゃ、動けないんだ」

「助けてくれないんすか!?」

「当たり前だ。慈善事業をやるほど、オレは人間が出来ちゃいないし金持ちでもないからな」

素っ気無い眼帯の男を、ジャックは睨み返した。だが、彼の目を見ることは出来ず、すぐに目を逸らしてしまう。

「でも、オレ、お金なんてないっすよ。うちにあるのを掻き集めても、せいぜい銀貨五枚ぐらいで…」

「それだけありゃあ充分だ」

「あい?」

あっさりとした返事に、ジャックはきょとんとした。眼帯の男は二杯目の紅茶を注いでから、にやりとする。

「金はもらうが、量は関係ない。要するに、オレがやりたいかやりたくないか、なんだ」

「じゃあ、最初っから普通に助けて欲しいっす! なんかめちゃめちゃ回りくどいっすよ!」

ジャックが抗議すると、眼帯の男はつまらなさそうにした。

「それ、なんか格好が悪いだろ。下手な正義の味方みたいで」

「いや、小父さんは充分正義の味方っすよ。だって、なんだかんだ言っても助けてくれるんすから」

「オレは正義の味方じゃない。ただ、オレが正しいと思っていることをやっているだけさ」

それを正義の味方と言うのでは、と思ったが、ジャックはなんとなく言い出せなかった。すとん、と椅子に座り直す。
自分のマグカップに紅茶を注ぎ、ぐびりと飲んだ。質の悪い茶葉なので、紅茶というよりも渋いだけの茶だった。
パンを齧って噛みながら、目の前の彼を見上げた。見た目は黒ずくめで恐ろしいが、話してみれば割に優しい。
ジャックはがしがしと髪を掻き毟り、先程の手の感触を思い出していた。あの温かさは、忘れたくないものだった。
父親も母親も、どちらも記憶にない。育ててくれた人達によれば、生後数週間で捨てられていたという話だった。
だから、ジャックには親がどんなものであるかという概念がない。近所の子達の親を見ても、想像が出来ない。
人物像を思い描こうとしても、今は、目の前の男にしかならない。眼帯の男が、父親であればいいとさえ思った。
ジャックは渋いだけで香りがしない紅茶を飲みながら、眼帯の男が父親である様を想像し、内心で悦に浸った。
少年は、幸せな気分だった。







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