数日後。メアリーは再びギルディオスに会い、また王都の外へ引きずり出された。 今回も、一度たりとて斬り付けることが出来なかった。剣を地面に突き立て、メアリーは息を荒げていた。 二人に踏み潰された草が、柔らかくなった土にめり込んでいた。その上に、ギルディオスはどっかりと座り込む。 ギルディオスは、前回は使っていなかったバスタードソードを使っていた。真新しい刃が、日光を撥ねている。 メアリーは剣を地面から引き抜き、地面に腰を下ろした。連日の雨で水分を含んだ土は、ぶにゃっとしている。 息を整えるギルディオスの横顔からは、表情が失せていた。明るさは見えず、なにやら思い悩んでいるようだった。 メアリーはそれが気になったが、訊かなかった。知り合ったばかりなのに問い詰めることもない、と思ったのだ。 王都から離れた森の傍で、二人は座っていた。遠くに見える城壁は、直線的な日差しを真っ向から受けている。 メアリーは額の汗を拭うと、一息吐いた。首筋に掛かった黒髪が鬱陶しかったので、ぐしゃりと掻き上げた。 「やっぱ、切っちまおう」 「伸ばさねぇのか?」 ギルディオスが不思議そうにすると、メアリーは目元をしかめる。 「伸ばしても意味はないだろ、邪魔になるだけなんだから」 「伸びたらまとめりゃいいだろ。それにお前は強いから、ちょっとぐらい長くても邪魔にはならねぇんじゃねぇの?」 「よく言うよ。あたしをじゃかすか負かしたくせに。あたしが強いわけないだろ」 「本当のことさ。オレ、お前ほど強い女には会ったことなくってよ。楽しくって仕方ねぇんだ」 先程までの陰鬱さは消え、ギルディオスは快活に笑った。メアリーは、ぷいっと顔を逸らす。 「あたしはちっとも面白くないね。負かされてばっかりだし、力の差ってやつを嫌ってほど見せ付けられちゃうしさぁ。いっそのこと、男だったら良かったよ」 「良くねぇよ」 ギルディオスは、あからさまに残念そうな顔をする。 「せっかく可愛い顔してんのに、男だったらつまんないぜ。そんなこと言うんじゃねぇよ」 「けどさ」 「髪伸ばしたら、もっと可愛いぞ。オレが保証してやらぁ」 「あたしは別に、そんなのはどうでもいいんだ。女らしくしたって、意味なんてないんだから」 「意味はあるさ」 ギルディオスは、ぐしゃりとメアリーの髪を撫でた。 「強ぇ女が可愛くしてるってのは、見てるだけでもいいもんなんだぜ?」 「何すんだい!」 反射的に、メアリーはギルディオスの手を跳ね除けた。ギルディオスはよろけ、背中からばちゃりと泥に埋まった。 メアリーは、慌てて立ち上がった。倒れたままのギルディオスを見下ろすと、彼は可笑しげに笑い、起き上がる。 「これで一敗だな」 「ごめん」 メアリーは申し訳なくなり、顔を伏せた。ギルディオスは泥に汚れた髪を掻きながら、笑う。 「いいさ、このくらい。気にもならねぇよ」 顔を合わせづらくなり、メアリーは彼に背を向けた。ガントレットを外した手で、しきりに後ろ髪をいじった。 ずっとこの長さでいたから、伸ばした感覚など思い出せない。戦うときには広がって厄介だろう、と思った。 それでも、不思議と悪い気はしなかった。外見を褒められたことはあるが、実力と一緒なのは初めてだった。 ギルディオスの傍は、居心地が良かった。今までに会った男達は、大抵、母であるイリーサを引き合いに出した。 或いは、ガズィールと戦闘能力を比べていた。娘はどちらの血が濃いのか、というような会話ばかりだった。 だが、ギルディオスは違っている。真正面からメアリーを見ている。それが嬉しくもあり、くすぐったくもあった。 メアリーは初めて、王都に来たことを喜んだ。ここに来なければ、彼に出会うことはなかったからだ。 それだけのことだったが、彼女にとっては大きなことだった。 日が翳り始めたので、メアリーは移民団の住宅街に帰っていた。 ギルディオスとの会話の余韻を楽しみながら、浮ついた気分で歩いていた。すると、移民の一人が駆けてきた。 移民の女性は、メアリーの両手をがっと掴んだ。かなり焦っていたようで、その手の力はいやに強かった。 「どこ行ってたのメアリーちゃん! お父さんが、ガズィさんが大変だってのに!」 何が、と聞き返す前に引っ張られた。女性に引きずられるようにしながら、メアリーは自分の家へと向かった。 家の前には、移民達が集まっていた。騒がしい中に、鉄の匂いがあった。それが何なのかは、すぐに解った。 メアリーは女性の手を振り解き、人を掻き分けて家の中に転げ込んだ。居間には、父といくつかの死体があった。 板張りの壁には血が飛び散り、切り落とされた腕や胴が転がっている。一見して、三人以上は倒したようだった。 ガズィールは、血溜まりの中心にいた。鎧を付けた腹に剣を叩き込まれていて、呼吸のたびに剣が動いている。 それでも、表情はなかった。血の気の失せた顔を上げた父は、片手に抱えていた箱を前に出し、娘に差し出した。 「相手が多いと、片手は辛いな」 メアリーが言葉を失っていると、ガズィールは細工の施された箱をずいっと娘に押し付けた。 「やる」 恐る恐る、メアリーは箱を受け取った。開くと、その中には色とりどりの宝石と母の字の並ぶ紙が入っていた。 ガズィールは、水混じりの咳をした。腹に突き立てられた剣を掴むと、ぐっと奥歯を噛み締めながら引き抜いた。 がしゃん、と緋色に染まった剣が床に投げられた。ガズィールは口元を拭い、ほんの僅かに口元を上向ける。 「お前は今日で十五だ。イリーサとの約束だ。それをやる」 「こんなもん、どうだっていいじゃないか! 両手で戦えば、いくらだって勝てたはずじゃないか!」 メアリーが叫ぶと、ガズィールは言う。覇気のない、力の抜けた声だった。 「どうでも良くはない。お前は女だ。嫁に行くには金が要る。その金にしろ」 「あたしはお嫁になんて行かない! あたしは戦って死ぬんだ、だから本当にどうでもいいんだよ!」 がしゃん、と宝石箱を床に叩き付けたメアリーは、父に背を向けた。剣を背負い直し、ざわめく人々を押しのけた。 西日に染まった裏通りを見回し、地面に落ちている血を見つけた。雨粒のような、ほんの小さな赤黒い染みだ。 父は、敵を倒し切れていなかったのだ。片手で戦って、その上で深手を負ったのだから仕方ないのかもしれない。 メアリーは、強烈に悔しかった。父に傷を与えた人間が、腹立たしくて忌々しくて居ても立っても居られなかった。 背後から引き止める声が聞こえていたが、構わずに走り出した。夜風を切って駆けながら、拳を握り締めていた。 背中の剣が重く、ずしりと肩にベルトが食い込む。がちゃがちゃとうるさい甲冑は、いつになく耳障りだった。 道に散らばる血痕は、追うに連れて大きくなる。最初は水滴のようだった血も、次第に血溜まりになっていく。 それは、大通りを避けて奥へと進んでいた。道も細く、荒れてくる。家々はなくなり、巨大な城壁が現れた。 血痕は、最早ナメクジが這ったかのような状態だった。体を引きずったのか、血はかなり擦れて足跡すらない。 高い城壁は、夕日に焼かれていた。砂漠の色に似た城壁の下へ目線を動かすと、人影が寄り掛かっていた。 メアリーは、がちりとバスタードソードを抜いた。怒りと焦燥で僅かな魔力を呼び起こされ、力が増していた。 今なら、何だって打ち倒せる。どんな相手でも、甲冑ごと斬り倒すことが出来る。そう思いながら、足を進める。 距離を詰めると、人影の輪郭が見えてきた。見覚えのある顔は血と恐怖に歪んでいて、腹の鎧は砕けている。 メアリーは、土を踏み締めた。小さく引きつった悲鳴が上がり、息も絶え絶えになっている男は身を下げた。 がしゃり、と城壁に背が当たる。男の顔は、竜の谷で見たものと同じだった。ディザスという名の男だった。 「お願いだぁ殺さないでくれ、すまなかった、ガズィール、ガズィ、悪かった、オレが悪かった!」 逆光の中から、メアリーは数歩踏み出した。すると男は、ぐにゃりと表情を緩めた。 「なんだ、娘か。へへ、なら丁度いい。助けてくれよ」 メアリーは黙っていた。すると男は、腹の傷を押さえて顔を歪めた。 「愛想のねぇ娘だな、ガズィの馬鹿野郎の娘らしいぜ。だが、これであの野郎の手傷も無駄ってことにならぁな」 メアリーは、鳶色の目を上げた。男は、だらしなく笑う。 「オレの仲間は、まだ近くに残ってるからな。メスガキ一匹攫うのなんて、訳もねぇ。手間ぁ取らせやがって。攫った後は、散々遊んでやるから覚悟しろよ。ガズィの野郎、手間取らせやがって。さっさと娘の居所さえ吐きゃあ、すぐに殺して楽にさせてやったのに、抵抗なんざしやがるから面倒なことになったんだ」 下心が滲み出た言葉で、何があったのか理解した。ガズィールは、メアリーを攫いに来たこの男達と戦ったのだ。 きっと、先日の負傷もそれだ。だが、父は何も言わなかった。ああいう人だから、当然と言えば当然のことだ。 男はずりずりと這い上がり、座り直した。手で押さえている腹の傷からは、じわじわと血が流れて落ちている。 「あんな安い石なんざ、守っても意味はねぇのに。とことん馬鹿だ。女も売らなかったし、娘も売らなかったしよ」 金銭欲ってのはねぇのか、と男は吐き捨て、メアリーの体を値踏みするように眺め回した。 「いい具合になったてぇのに、勿体ねぇじゃねぇか」 メアリーはバスタードソードを握り締め、目を動かした。草を踏み分けて、間を詰めてくる人影がいくつかあった。 男が声を上げると、それらが西日の中に躍り出た。彼らの手には短剣が握られており、振りかざしてきた。 メアリーが身を下げると、今し方までいた位置に短剣が振り下ろされた。踏み込みも甘く、戦い慣れていない。 何度か避け続けると、どの人間もそうだった。大方、浮浪者の類に金を渡して掻き集めてきただけなのだろう。 メアリーのすぐ脇に、短剣が突き出された。メアリーはバスタードソードを上げ、短剣を持った腕を斬り上げた。 がっ、と衝撃の後に飛沫が散った。短剣ごと、切り落とされた腕が転がる。片腕を失った男は、獣のように喚いた。 メアリーは、血の伝う剣を掲げた。逃げ惑い始めた人間達の一人にすぐ追いつき、踏み込むと同時に腹を斬る。 胴が裂かれ、背骨が砕ける。横に剣を引いて切り終えると、どぼっ、と水音と共に上半身が地面に崩れ落ちた。 辺りには、新しい鉄錆の匂いが満ちていた。メアリーが振り返ると、無傷の男が腰を抜かし、がくがくと震えている。 メアリーは剣を横にして、上半身を捻った。その男に背を向けた瞬間、血が噴き上がり、ごろりと首が落ちた。 生温い雨が、降り注いでいた。赤黒い液体が肩や頬を叩き、手を染めていく。メアリーは、大きく肩を上下させる。 城壁を窺うと、男は目を見開いていた。半開きになった口からは潰れた声が漏れていたが、言葉ですらなかった。 メアリーは顔に付いた血を拭い、近付いていった。命乞いをしようと、男は震える手を上げて伸ばしてくる。 その真上に、剣先を叩き込んだ。がっ、と幅の広い剣が骨と肉を打ち砕き、剣先が男の手と地面を繋げた。 声にならない声で悲鳴を上げる男の手から、剣を引き抜いた。メアリーは汚れ切った剣を、男の首に突き立てた。 返り血が、ばしゃばしゃっと散ってきた。メアリーは浅い息を繰り返しながら、男の首から剣を抜いて後退した。 指先から力が抜け、剣を取り落とした。がしゃん、と激しい金属音が響く。震える膝から力が抜け、折れてしまう。 両手を広げると、それが誰の血も解らないほどに汚れていた。涙がぼたぼたと落ち、手に付いた血を薄める。 座り込んだメアリーは、動けなかった。人を殺した感触と、どうしようもない空しさで、立ち上がれなかった。 傍らに横たわるバスタードソードは、赤黒く濡れていた。十四歳になった日に、父が買って来てくれたものだ。 素っ気無い言い方で、ただ一言。必要だろうと思ってな、と渡した。誕生日であったと知ったのは、その後だ。 帰らなければ、と強く思った。父が帰りを待っている。放り投げてしまった宝石箱を、今度こそ受け取らなくては。 震える足に力を込め、メアリーは立ち上がった。奥歯を噛み締めて、溢れ出てくる涙を堪え、剣を鞘に戻した。 あの人は、他人ではない。恐ろしく不器用だが、父親なのだ。乱暴ながらも剣を教えたのも、彼なりの愛なのだ。 父は、妻と子を守るために己の身を遠ざけることも厭わないほど、妻を愛していた。そして、その娘も愛していた。 あの人は、紛れもない父親だ。ただ一人の父親だ。メアリーは弱った心を奮い立たせ、家に向かって駆け出した。 夕暮れの空は、緋色の宝石と似た色をしていた。 家に戻ったメアリーは、ぺたんと床に座り込んだ。 父は、息絶えていた。腹に布を巻かれていて、顔を清められていたが、瞼は固く閉じ、深く眠っていた。 死体がどけられた居間の奥の、狭い寝室で一人で眠っていた。医者は、血が出過ぎたんだ、とだけ言った。 まただ、と思った。前にもこんなことがあった。帰ってくると、母が死んでいて、二度と目を覚まさなかった。 医者は血に汚れたメアリーを見、哀れむような目をした。父の枕元にあの宝石箱を置くと、口元を歪める。 「どうしてこう、誰も魔法が使えないんだ! 傷さえ塞げりゃあ、後はどうとでもなるってのによぉ!」 メアリーは、医者を見上げた。まだ若い医者は、くそぅ、と洩らした。 「この人がこんなことで死ぬなんて、おかしいんだよ! こんなことで死ぬタマなんかじゃねぇのにさぁ!」 メアリーは、何も言えなかった。医者は拳を握り締めていたが、甲冑を朱に染めたメアリーを見下ろした。 「そりゃ、自分の血じゃないな。どれだけ殺してきた」 「四人」 小さく、メアリーは言った。そうか、と医者は僅かに表情を緩くした。 「仇は討てたか?」 メアリーが頷くと、医者は物言わぬガズィールに振り向いた。 「聞いたか、ガズィさん。あんたの娘は、立派な剣士になったみてぇだぞ」 医者はメアリーの肩を叩き、寝室を出て行った。扉が閉まると、部屋はランプの柔らかな明かりに満たされた。 ベッドの上を見つめたまま、メアリーはぼんやりしていた。思考が働かず、すぐには事態を飲み込めなかった。 血生臭かった。返り血と、父の血臭が混じっている。メアリーは剣を背から下ろし、ぱちん、と甲冑を外した。 脱ぎながら、さっさと洗って整備しないとな、と思っていた。血と脂に汚れた金属は、すぐに痛んでしまうからだ。 服の袖で顔を拭い、手をごしごしと擦った。血の大半を拭い落としてから、そっと、父の手に触れてみた。 冷たかったが、まだ体温は残っていた。皮の厚い手は大きく、メアリーは両手で父の左手を包み、握り締めた。 「父さん」 やっと出てきた言葉は、それだけだった。ガズィールが生きているうちに、一度も父をそう呼んだことはなかった。 呼ぼうと思っても、意地が邪魔をした。意地が薄らいでも、照れくさくなった。そのまま、呼ばず終いだった。 メアリーは後悔したが、もう無駄だと思った。死んでしまえば、何を言っても聞こえるはずがないのだから。 だくだくと流れ出る涙が、父の手を濡らしていた。メアリーは父の手を離して涙を拭うと、宝石箱を手にした。 ずしりと重たく、中身が詰まっている。父の血が、多少古びた浮き彫りの細工に染み込んでしまっている。 蓋を開くと、宝石が現れた。イリーサが貴族時代に持っていたものらしく、雰囲気がどことなく帝国寄りだった。 一際目立っていたのは、赤く大きな宝石だった。その下に、紙が押し込まれており、ぐしゃぐしゃになっている。 メアリーは慎重に、その紙を出した。これは、母からの手紙だ。さっきは読まなかったので、内容は解っていない。 手紙を広げると、優雅な母の字が並んでいた。何年も前のものなので、インクは薄くなっていたが充分読めた。 愛するメアリーへ 十五歳のお誕生日、おめでとう。この箱と中身は、私からのせめてものお祝いです。 大好きな人が出来たら、その人のために身に付けてみて下さい。きっと、あなたに似合うでしょう。 それと、ほとんど喋らないお父さんを喋らせる方法を教えてあげます。きっと、苦労しているでしょうから。 お父さんは、そうは見えないけれど凄くお酒に弱いんです。だから、ちょっとでも飲ませれば色々と喋ります。 私はこの方法で、大分お父さんのことを知りました。メアリーも、お父さんを知りたければやってみて下さい。 どうか、私の贈り物が、少しでもあなたの役に立ちますように。 母より愛を込めて イリーサ 読み終えたメアリーは、手紙を折り畳んだ。宝石箱の中に手紙を入れてから、一番大きな赤い宝石を手にした。 血の赤とは違う、澄み切った赤だった。細い金鎖が付いていて、鎖を持って掲げるとしゃりっと金属が擦れた。 その宝石を握ったメアリーは、痛いほど胸に押し当てた。いないはずの母がいるようで、体が温かくなっていた。 幼い子供のように、泣きじゃくった。温かくも穏やかな母の愛と、痛いくらい不器用な父の愛を全身で感じていた。 何度も何度も、メアリーは叫んでいた。泣き疲れて深い眠りに落ちるまで、ずっと、同じ言葉を繰り返していた。 父さん、母さん、と。 一週間後。父の葬儀を終えたメアリーは、王都の外にいた。 ギルディオスは、いつもの場所で待っていてくれた。森の入り口にある草原に、大柄な少年が腰を下ろしていた。 メアリーがやってきたのに気付くと、ギルディオスは表情を明るくさせた。嬉しそうな、幼い子のような顔になる。 すぐに立ち上がったギルディオスは、メアリーの元へ駆け寄った。ギルディオスは、彼女の両手を取って握る。 「良かった、また来てくれたんだな!」 「ちょっと、色々とあってね」 メアリーは、力なく笑った。浮かれるギルディオスを宥めて座り、言葉を選びながら、あの出来事を話し始めた。 父の死の前に、人を殺したことも全て話した。今までに何があったのか、なぜこうなったのかも、何もかも話した。 嫌われても構わない、と思った。ギルディオスとの付き合いが、深くなる前に言ってしまうべきだと考えた。 王都に住む人間は移民になど興味はないはずだし、離れてしまうのであれば傷は浅いほうがいい、と思っていた。 全てを聞き終えたギルディオスは、黙っていた。メアリーは彼の横顔を見ながら、嫌われたな、と内心で自嘲した。 ギルディオスは、メアリーに振り向いた。メアリーが立ち上がろうとすると、ギルディオスはその腕を掴んだ。 直後、メアリーは力任せに抱き竦められた。思いがけないことに動転していると、ギルディオスは声を上げる。 「オレ、何言ったらいいのか解らねぇんだ! 本当に、何も解らねぇ! だから、これしか思い付かなかった!」 メアリーはギルディオスの腕の中で、目を丸くしていた。ギルディオスは叫ぶ。 「お前はオレなんかよりもずっと辛いし、苦しいから、全部は解ってやれねぇし解るわけもねぇ! でもよ!」 彼の大きな手が、メアリーの頭をぐっと押さえる。 「オレは、ここにいてやらぁ」 押さえ込まれて苦しかったが、胸の方がもっと苦しかった。締め付けるような嬉しさが、メアリーの胸を占めていた。 メアリーが頷くと、ギルディオスは嬉しそうに笑った。彼女の後頭部に当てていた手を下げ、後ろ髪を撫でた。 「やっぱ、髪は伸ばせよ。その方が、絶対にいいぜ」 「そうするつもりさ」 メアリーが返すと、ギルディオスはメアリーの頭から手を放した。肩を押し、顔を見合わせる。 「そういやぁさ。お前の名前、まだ聞いてなかったような気がするんだが」 「ギル。あんたって男は本当に馬鹿だね」 メアリーは少し呆れたが、すぐに笑った。 「いいさ、教えてやるよ。あたしはメアリー、メアリー・コウザってんだ」 寂しさも苦しさも残っていた。母の思いを知らず、父の死に目に会えなかった悔しさも、心を締め付けていた。 それでも、不思議と落ち着いていた。目の前にいる少年の温もりと大きな手が心地良く、そして嬉しかったからだ。 服の上から、胸元に手を当てた。中には首から提げた緋色の宝石があり、その感触は硬く確かなものだった。 同時に、自分自身の鼓動も伝わってきた。父と母の血が体中を巡っていると思うと、少しだけ寂しさが失せた。 これからは、刃となろう。支えてきてくれた、強くなる術を教えてくれた、両親の血を無駄にしてはならない。 そして、その色は緋色だ。二人の血によって造られた、人の形をした刃なのだから、それ以外の色は在り得ない。 メアリーは、服の下の宝石を握り締めた。ギルディオスのことは好きだが、今は誰にも気を許せなかった。 刃となれば、盾はいらない。剣ではないのだから、鞘も必要ない。戦い抜いて生きるだけの、武器なのだから。 彼女は、己にそう言い聞かせ続けた。 こうして、彼女は戦いに身を投じ、父と同じ道を行くこととなる。 失ったものは大きく、手に入れたものは温かかった。だが、それらを抱いた心は閉じた。 戦いに生を求め、自らを捨て、生きるために刃となるために、固く蓋をした。 そんな彼女の心が、彼に手によって開かれるのはもう少し先である。 05 9/8 |