ギルディオスは、戦っていた。 力任せに剣を振るい、ごずっ、と敵の腕ごと鎧を打ち砕く。片腕を失った敵兵を蹴り倒し、前進する。 自分の荒い息が、はっきり聞こえていた。周囲で轟く兵士達の絶叫が、大地といわず空まで揺らがしている。 剣の競り合う音、凄絶な断末魔、足元を汚す血と臓物、砕けた肉から覗く骨。それが、足元を埋め尽くしていた。 斬っても斬っても、きりがない。帝国軍の軍勢は王国軍の倍以上もいるので、そもそもの絶対数が違っている。 後方から、乱暴な猛りが聞こえてきた。振り向きざまにバスタードソードを振り上げると、べきり、と首が砕けた。 剣を高々と掲げていた帝国軍の兵士は、首と顎を砕かれた。ギルディオスが剣を引くと、動脈から血が噴き出す。 飛沫を噴きながら、兵士は崩れ落ちた。ギルディオスは甲冑を汚す返り血を見下ろしたが、すぐに目を上げた。 左手に持った盾を掲げ、駆け出した。後方支援はこれまでだ。帝国軍の本陣へ向かった部隊の援護をしなくては。 前を塞ぐように現れた兵士を薙ぎ払い、飛んできた矢を切り落とし、死体と血の海を踏み越えて突き進んでいく。 帝国軍の兵士の軍勢に、切れ目があった。奥には本陣らしき場所があり、両軍の騎士達が競り合っている。 ギルディオスはその切れ目に飛び込み、敵の騎士を倒すべく向かった。馬上の騎士達の背後に回り、駆けていく。 王国軍の軍勢の間を抜け、帝国軍の手前に出ようとした。が、突然後方に斬撃が訪れ、反射的に盾を出した。 がっ、と横に掲げた盾に刃が叩き込まれた。ぎちぎちと金属が擦れ合い、双方の腕が互いの力で軋む。 同じように、血に汚れていた。ヘルムと覆面の間から覗く鳶色の目は、ギルディオスを認めると見開かれた。 相手は盾から剣を抜き、身を下げた。王都製とは違う形状の鎧を身に付けた、長身の女。傭兵の一人だった。 肩を上下させながら、女は目元を歪めた。ギルディオスに背を向けると、早々に自分の持ち場に走っていった。 ギルディオスは、僅かに呆然とした。すぐに気を取り直すと、帝国軍の騎士を馬上から落とし、脳天を砕いた。 ずりゅっ、と剣先を引き抜いてから、女の去った方向を見据えた。だが既に、女は戦いの喧騒に消えていた。 女の剣さばきと鳶色の目には、覚えがあった。盾を見下ろすと、オオカミの紋章は真っ二つに断ち切られている。 あの目は、あの斬撃は、間違いなくメアリーだった。 戦闘が収束し、傭兵部隊は野営地に戻っていた。 ギルディオスは剣を拭いながら、時折目を上げた。休息を取る傭兵達の中に、彼女の姿が見当たらない。 いつもなら、彼女は早々に駆け寄ってくるはずだ。一年程度、彼女と付き合ってきたが、親しいのは自分だけだ。 父親の死後に傭兵となってからは、メアリーはギルディオス以外には近付こうともせず、話そうともしなくなった。 気が付けば、メアリーはギルディオスの傍にいることが多い。そんな彼女が見当たらないのは、妙だった。 彼女には彼女の都合があるのだろう、とも思いたかったが先程のこともあり、釈然としない思いが渦巻いていた。 メアリーは、一瞬の隙を狙って的確な位置を斬り付けた。殺す気でないと、あそこまでの力は出せないだろう。 地面に横たえた盾には、深い傷が出来ていた。縦長で逆五角形の鉄製の盾には、吼えるオオカミの紋章がある。 そのオオカミは無残にも首と胴体が切断され、盾本体にも深く傷が出来ている。これでは、もう使えそうにない。 まだ新しかったのに、とギルディオスは内心で惜しんだ。前の古い盾を売って、数週間前に買ったばかりだった。 汚れの取れたバスタードソードに、錆止め油を塗り付けた。光沢が増した銀色の刃に、己の顔が映り込む。 日に焼けて脱色した薄茶の髪と、やはり色素の落ちた薄茶の瞳を持つ若い男。決別した兄に、よく似ていた。 その顔の背後に、影が立った。足音は軽めだが、確かだった。それが誰だが察したが、敢えて反応しなかった。 銀色の刃には、メアリーが映っていた。メアリーは甲冑を外していたが、茶色い覆面で口元を隠したままだった。 ギルディオスは、間を置いてから振り向いた。あからさまに不機嫌そうなギルディオスに、メアリーは呟いた。 「ごめん」 「自分で悪いって、解ってんならいいけどよ。でも、なんでオレを敵と間違えるんだか」 ギルディオスは、無性に苛立ってしまった。メアリーは、声を落とした。 「帝国の奴らに混じってて、良く解らなかったんだ。あたし、途中で気付いたんだけど、止められなくて」 その言葉にギルディオスは、訝しく思ってメアリーを見上げた。彼女なら、寸前で止めるなど簡単なことだ。 戦闘で疲弊しても、それぐらいの余力は残すはずだ。だが彼女はそれをせず、盾ごと叩き切る勢いで斬ってきた。 彼女の目は、申し訳なさそうに見えた。だがそれと同時にどこか虚ろで、嘘を取り繕おうとしているようでもあった。 ギルディオスは、苛立ちが増した。殺しかけたなら殺しかけた、殺そうと思ったならそう言えばいいではないか。 どん、と磨いたばかりのバスタードソードを地面に突き立てた。彼が立ち上がると、メアリーは顔を背けた。 ギルディオスは、表情の定まらないメアリーの覆面をぐいっと下ろした。形の良い唇は、固く締められていた。 嘘を吐いているにしては、確信的な顔をしている。ギルディオスは、腹立ち紛れにメアリーの肩を突いた。 「嘘ならもっと上手にやれ」 「なんだよそりゃあ!」 メアリーは覆面を外し、ギルディオスを見上げる。ギルディオスは、嫌な笑みを作った。 「お前はオレを殺すつもりだったんだろ? じゃなきゃ、あんなにでかい傷は作れねぇもんなぁ」 「違うよ! あたしは、本当に間違えただけなんだ!」 「本当にそうか?」 「なんでそんなに疑うんだい、ギルらしくもない!」 「色々と引っかかるんだよ、さっきから!」 ギルディオスは声を荒げ、がっとメアリーの襟元を掴んだ。メアリーは一瞬臆したが、言い返す。 「何がだい! あたしがあんたを殺すわけがないだろうが!」 「金になろうがなるまいが、殺したくなったんじゃねぇのか!」 「殺すのは、帝国の連中だけで充分さ! それに、味方を殺しても何にもならないじゃないか!」 「さぁてそいつはどうだかな」 ギルディオスはメアリーの襟元から手を放し、小突いた。少しよろけたメアリーは、彼を睨む。 「何が言いたいのさ」 「お前の親の片方は帝国だろう? 情が移ったんなら、在り得そうなもんじゃねぇか」 「馬鹿なことを言うんじゃないよ」 「オレらは帝国の連中を殺してる。オレらは、お前の親の祖国の連中を潰してるんだ。敵ってことじゃねぇかよ!」 ギルディオスの言葉に、他の傭兵達の目線が彼女に集まる。メアリーは左右を窺ったが、ギルディオスに叫ぶ。 「あんな奴ら、あたしの味方じゃない! ダルバドを壊した連中なんか、あたしの味方なもんか!」 「じゃあ、誰が味方なんだよ! お前は殺そうとしたんだろ、味方のオレをよ!」 「だから…」 「どうせなら、斬り返しておきゃ良かったぜ」 ギルディオスは盾と剣を拾い、甲冑を集めた。メアリーは拳を固く握り締め、わなわなと肩を震わせていた。 二人の声が消えると、少しばかり静寂が訪れた。だがすぐに、傭兵達は自分の作業に戻り、言葉を交わし始めた。 テントに向かいながら、ギルディオスは仲間達の視線を浴びていた。視線が痛かったが、気にならなかった。 腹の底で煮え滾る怒りの方が、余程強かった。 翌朝。夜明け近くなった頃、ギルディオスは見張りをしていた。 傭兵部隊の野営地の西側に、一人で座っていた。交代したばかりなので、相方となる者はまだ来ていなかった。 地平線は、東から差し込む朝日に白く焼き尽くされていた。西側の平原には、昨日の戦闘の痕跡が残されている。 兵士や馬の死体、魔法による砲撃の焼け跡、紋章が付いた盾や旗、両陣営の敗者達に埋め尽くされている。 寝起きのぼんやりした頭で、メアリーとの言い合いを反芻した。言い過ぎたかな、と思ったが謝る気はなかった。 元々、あれはメアリーが悪いのだ。斬り付けてきたくせに言い訳ばかりして、しかも、嘘にまみれた言い訳だった。 メアリーは気が強いせいで、嘘は得意でない。何事も真正面から挑もうとするような女に、妙な狡さはないのだ。 ああして目線が彷徨っているときは、言いたくないことを隠しているときか、慣れない嘘を吐いているときぐらいだ。 たぶん、そのどちらでもあるのだろう、と思った。そうでなければ、あそこまで必死に言い訳をするはずがない。 これから、彼女とどう接するべきか。ギルディオスは思考に耽ろうとしたが、足音がしたので、振り返った。 ギルディオスは声を掛けようとして、思い止まった。背後に立っているのは、強張った面持ちのメアリーだった。 「何しに来たんだよ、メアリー」 「あたしが当番なんだよ。オルファの奴、昨日の戦いで足をやっちまったろ? だから、交代したんだよ」 素っ気無く言い、メアリーはギルディオスから離れた位置に腰を下ろした。寝癖の残る黒髪を、掻き上げる。 バンダナを額に巻いて前髪を退けると、ちらりとギルディオスを横目に見た。彼の横顔は、不機嫌そのものだった。 ギルディオスは、戦場の平原を見ていた。彼女の顔など見ていたくもなかったし、本当なら近くにいたくもなかった。 だが、持ち場を離れれば奇襲に遭うかもしれない。そうなれば、傭兵部隊だけでなく王国軍も傾く可能性がある。 ギルディオスは私情と任務の板挟みになっていたが、堪えていた。ほんの一時、我慢すればいいだけのことだ。 メアリーは、ギルディオスから目を外した。草原を走ってきた弱い風が、彼女の長い黒髪をふわりと揺らがせる。 「あたし、そんなに信用ない?」 「あったけどなくなったんだよ」 投げやりに、ギルディオスは答えた。だよねぇ、とメアリーはため息を漏らす。 「ごめん」 「オレの盾になってくれるっつーんなら、ちょっとだけなら信用が戻るかもしれねぇぞ」 吐き捨てるように、ギルディオスは呟いた。意地の悪い文句が、勝手に口から出てくる。 「お前はオレの盾をぶっ壊したし、オレのお前に対する信用もぶっ壊したんだよ。その穴埋めをしてくれねぇと、オレとしても困るんだよ。まぁ、本気でオレを殺す気だってんならいい機会だぜ? 上手いことすりゃ、盾の分際でも武器を潰せるからな。だが、次はねぇぞ。殺される前に、殺してやらぁ」 ギルディオスの刺々しい言葉に、メアリーは悔しさと悲しさの入り混じった顔をしていたが、頷いた。 「いいよ」 「んじゃ、隊長に言ってこいよ。お前の持ち場はオレとは離れてるし、距離があっちゃ盾の意味がねぇからな」 「うん」 メアリーは立ち上がると、ギルディオスに背を向けた。隊長に言ってくる、と残した彼女は野営地へと駆けていった。 ギルディオスは、その後ろ姿を見たがすぐに目を外した。少し離れた位置に立つ黒い影を見、顔をしかめる。 眼帯で左目を覆い、黒い外套を身に纏った男が立っていた。よ、と片手を上げた若い男は歩み寄ってきた。 「またひどいケンカをしたな」 「うるせぇな。お前にゃ関係ねぇだろ、マーク」 ギルディオスは顔を背け、吐き捨てた。眼帯の男、マークはメアリーの去った方に目をやる。 「まぁな。だが、言い過ぎじゃないか? いくらメアリーが悪いったって、ギルの言い草はえげつないぜ」 「あれぐらいしねぇと、気が済まねぇんだよ」 けっ、と変な声を出したギルディオスに、マークは呆れたような顔をする。 「青臭いこと言ってないで、協調性を大事にしろよ。オレと違って、お前らは前線なんだぞ。崩れたらどうすんだ」 「オレとあいつの二人ぐらい乱れたって、大したことねぇよ」 「いいや、あるさ。軍隊ってのは巨大な組織だからな。少しでも統制が乱れたら、綻びが生じて崩壊を招くんだぜ」 マークはギルディオスの隣に座り、胡坐を掻いた。 「今の王国軍がそうだ。昨日の戦いがいやに面倒だったのは、軍のどこかが綻んでるからだ」 「なんでそんなの解るんだよ?」 ギルディオスが訝ると、マークは得意げにする。 「傭兵の密偵を舐めるんじゃねぇぞ。それくらい解るさ。王国軍の第三部隊の動きがやけに鈍くてな、何かと思って調べてみたら隊長の動きがどうもきな臭いんだ」 「変なのか?」 「変、っつーか、その隊長の経歴がおかしいんだ。ヴェヴェリスの出身で魔導師一家の生まれらしいんだが、魔導師試験に何度か落っこちて、仕方ないから軍人になったクチでな。他にも色々と引っかかる部分があるんだ」 「具体的には?」 「オレを雇おうとした。若造なんかを引っ掛けても、上位軍人様は何の得にもならないはずなんだがな」 オレはまだ十九だぜ、とマークは変な顔をすると、ギルディオスは首をかしげた。 「いい話じゃねぇか。金払いもいいんだろ?」 「馬鹿言え。オレがどんな流れでここに来たか、お前も知ってるだろうが。戦争が始まったせいで普通の暗殺家業が目減りしたから、傭兵になっただけなんだぜ?」 「てことはその隊長、遠回しに暗殺の依頼をするつもりなのか?」 「たぶんな。その暗殺する相手が誰かは見えないが、どうも軍の身内らしい」 「確証は?」 「ない。確証があったら、こんなにべらべら喋らねぇよ。上位軍人かなんかに売ってるさ」 「なんだそりゃ」 ギルディオスが呆れると、マークは苦笑いする。 「オレは王国軍の調査文書をチラ見しただけだからな。偽書の可能性もないわけじゃない」 「じゃ、なんでそんなの喋るんだよ!」 「言いたくなるんだよ、なんか。言っちゃいけないと思うと、余計に言いたくなってならねぇんだ」 情けなさそうに、マークは髪を掻いた。ギルディオスは、親友に呆れ果ててしまった。 「マーク。お前、絶対に密偵には向いてねぇぞ。ていうかさっさとやめちまえ」 「ああ、近いうちに鞍替えするよ。賞金稼ぎかなんかにな」 そう返したマークは、ギルディオスを眺めてみた。平然としているようにも見えるが、それは外見だけのようだった。 落ち着きがない。メアリーへの怒りで、冷静さを欠いている。このまま戦えば、すぐに死んでしまいそうだ。 マークは彼女の表情を思い出しつつ、ギルディオスの話を思い起こした。メアリーが斬り付けたのは、本当だろう。 ギルディオスの盾には大きな傷跡が残っていたし、あれほどの斬撃を叩き込めるのもメアリーくらいしかいない。 他の傭兵達も強いといえば強いのだが、魔力と腕力を併用して戦わねば、あそこまで強烈な剣術は使えない。 それに、この傭兵部隊にはメアリー以外の女はいない。付き合いの長いギルディオスが、見間違えるはずもない。 変形した魔導師である可能性も無きにしも非ずだが、たかが傭兵の一人であるギルディオスを謀る必要はない。 その上、メアリー本人が詫びているのだから、彼女自身がギルディオスの盾を傷付けたのは違いないだろう。 しかし、何か腑に落ちないものがある。メアリーがギルディオスを慕っているのは、傍目に見ていても良く解る。 王都に流れ着いた移民である彼女が、唯一心を許した相手だ。男と女の関係でなく、友人関係となっている。 そんな彼女が、ギルディオスを敵と間違えるのだろうか。増して、故郷を滅ぼした帝国軍の兵士などと。 マークは思考に耽っていたが、すっきりしなかった。疑問ばかりが沸き、真相は少しも見えてこなかった。 黒衣の男は、しばらく悶々としていた。 隊長に配置換えを許してもらったメアリーは、のろのろと歩いていた。 わざわざ遠回りをして、野営地を巡るように歩いていた。見張り場所はそう遠くないのだが、遠くさせていた。 テントの脇を通りながら、重たい足を引きずっていた。ギルディオスの刺々しい言葉が、胸に深く突き刺さっていた。 言い訳をしたのは本当だ。彼に嘘を吐いたのも初めてだ。後ろめたさがのしかかり、心が重たくなってくる。 周囲には、木々がまばらに生えていた。その間に立つ人影に気付き、メアリーは身構えたが、剣を抜かなかった。 「抜かったな。ならば、報酬は減るぞ」 メアリーが答えずにいると、人影は呟いた。 「容易いことだ。あれの首を、私へ渡せばいいだけのことだ」 人影は、くるりと背を向けた。その足元には、簡略化された魔法陣があった。 「お前の武運を祈ろう」 とん、と人影は手にした杖で地面を突いた。途端にぶわりと風が広がり、人影は風に溶けるように姿を消した。 メアリーはバスタードソードを鞘に戻すと、深く息をした。周囲を見回したが、誰かに見られてはいなさそうだった。 野営地の西側へ目をやると、ギルディオスとマークの背が並んでいる。二人は、こちらを見てはいなかった。 メアリーは人影の立っていた空間を一瞥し、見張り場所へと向かっていった。 05 9/10 |