※ 注意! ※

これは「ドラゴンは笑わない」の番外編ですが、現代日本が舞台になっています。
そして、別の作品である「Metallic Guy」とも繋がった世界になっています。
そういうお遊びが苦手な方は、ご遠慮下さいませ。






ドラゴンは笑わない




竜の夏休み



フィフィリアンヌは、後部座席に座り込んでいた。


エンジンの振動が、車内を揺らす。運転席と助手席の間から覗くバックミラーに、不機嫌な少女が映っていた。
ツノの生えた頭をシートに埋めた少女は、仏頂面で足を組んでいる。その隣の青年は、青ざめた顔をしていた。
車窓から見える景色は、平坦な田園ばかりだ。青々とした稲に覆われた地表の奥に、低い山々が連なっている。
高速道路には、車がまばらに走っていた。平日の午前中ということもあって、対向車線を通る車も少ない。
真っ直ぐな高速道路に併走して、新幹線の高架橋が一直線に通っていた。上越新幹線の線路である。
彼女らの乗った黒のジープラングラーは、関越自動車道を新潟方面に進んでいた。つまりは、下り線である。
前方に、看板が現れた。次のサービスエリアを示しており、五キロ、とあった。それが、すぐ通り過ぎた。
フィフィリアンヌは座席に投げておいた地図を拾い、高速道路を示す線を指でなぞりながら、運転席に言う。

「して。目的地はどこだ?」

「とりあえず新潟市かな。このまま関越道を真っ直ぐで行けるしよ」

運転席から顔を出した男が、笑った。度のない丸メガネを掛けており、長い黒髪を緩い三つ編みにしていた。
頭には迷彩柄のバンダナを巻いていて、冴えないチェック柄のシャツを着ていた。要するに、アレである。
助手席に体を押し込めている大柄な甲冑は、ヘルムを運転席へ向けた。男の姿を見、かなり嫌そうな声を出す。

「だけどよー、グレイス。どうしてそこで、てめぇは秋葉系になってんだよ?」

「いいじゃねぇかよぅ。しっくり来るんだから」

へらへらと笑うグレイスは、ハンドルを握り締めた。ギルディオスはダッシュボードに腕を乗せ、頬杖を付く。

「しっかし…なんでまた、こっちの世界に来ちまったんだか」

「そういえば、ニワトリ頭はこちらの世界に来たことがあったのであるな」

ドリンクホルダーに納められた瓶の中で、ごぼり、とスライムが泡を吐き出した。おう、と甲冑は返す。

「まぁな。あのときは理由があったが、今回は何もねぇみてぇなんだよなぁ。なーんか変な気がして仕方ねぇ」

「それは私もだ。だが、理由がないのであれば、それが理由なのだろう。そう思っておけ、ギルディオス」

地図を放ったフィフィリアンヌは、淡いピンクのキャミソールのストラップを指で引っ張り、眉間を歪める。

「しかし、この世界は服が妙でならんな。露出が多くて敵わん」

「ていうかもう下ろしてください…」

窓に額を押し付けたカインは、血の気の失せた顔で呟いた。頭痛や胃のむかつきなどが、先程から続いていた。
気を抜けば、胃の中のものが戻ってきてしまいそうだった。なんとか堪えてはいたが、辛くて苦しくて仕方なかった。
フィフィリアンヌはミニスカートから伸びた足を投げ出すと、左隣の彼を見上げた。不思議そうに、首をかしげる。

「大した揺れではないと思うのだが」

「いえ…。僕にとっては、充分大したことはあります」

蚊の鳴くような声で洩らしたカインは、目を閉じて口元を締めた。こうでもしないと、堪えられそうにない。
フィフィリアンヌは苦しげなカインに、少し待て、と言った。ショルダーバッグを探り、薬液の入った小瓶を出した。
もう一つ、薬液の入った小瓶を取り出すと、空の瓶も出した。二つの小瓶の中身を空の瓶に入れ、混ぜた。
赤っぽい薬液と緑掛かった薬液が、混じり合った。フィフィリアンヌは、その瓶をカインに突き出した。

「飲め。鎮静剤と吐き気止めだ」

「ああ、どうも」

カインがその瓶を受け取ると、フィフィリアンヌは手のひらを広げてみせた。

「金貨五枚だ」

「相変わらずですねぇ、フィフィリアンヌさん」

甘くて苦い薬液を飲みながら、カインは力なく呟いた。フィフィリアンヌは、澄ましている。

「材料費だ」

「はっはっはっはっはっは。元の世界に戻ったならば真っ先に払うが良いぞ、カインよ」

にゅるりと瓶の中をうねった伯爵は、触手のように体を細長く伸ばしてキャップを捻り、内側から開けた。

「しかし、貴君らは一体どこからこのような乗り物を調達したのかね? そしてグレイス、貴君はこれを運転する許可を得ているのかね?」

「偽造に決まってんだろー、そんなもん。結構簡単に作れるんだなーこれが」

前を向いたまま、グレイスは片手を振ってみせた。カインは薬液を飲み下してから、声を上げた。

「さらっと犯罪行為を暴露しないで下さい!」

「ギルディオス・ヴァトラス。ダッシュボードの下、ちょっと開けてみー?」

グレイスは、助手席のダッシュボードを指した。ギルディオスは、言われるがままに収納ボックスを開けてみた。
中には、様々な身分証明があった。普通自動車の運転免許、保険証、パスポート、なぜか社員証まである。
いずれにもグレイスの顔写真が貼り付けてあるが、その名前はあからさまに偽名で、ありふれた日本名だった。
ギルディオスは、収納ボックスを閉じた。グレイスに掴みかかろうとしたが、びん、とシートベルトが突っ張る。

「てんめぇなぁ! やっていいことと悪いことっつーのがあるだろうが!」

「なぁに、どうせ魔法の産物だ。役目が終わればただの紙切れに戻るから、証拠も残らねぇよ」

けらけらと笑うグレイスに、ギルディオスは銀色の手でヘルムを押さえた。うぁー、と変な声を出してずり下がる。

「…なんでこいつが運転手なんだよ」

「簡単なことだ。私は身長がない上に、外見は子供に過ぎん。そんな者が、車両など運転出来るわけもない」

そして、とフィフィリアンヌは空になった小瓶でカインを示した。

「カインは十七歳だ。私達の文化では成人だが、この極東の国では未成年に過ぎん。それに、ニワトリ頭は死んでいるのだ。死者に免許を交付するような国家など、どこにもあるまい」

「つまり、オレぐらいしかまともに見える成人がいなかった、ってことよ」

うんうん、とグレイスは頷いた。カインは、車内の天井を指した。

「それで、もう一つの疑問の方はまだでしたね。この車、一体どこの誰の物なんですか?」

「まぁ、話せば長くなるんだけどよ」

ギルディオスは首を捻り、助手席から後部座席に振り返った。

「前にこっちの世界に来たときに、機械人形のインパルサーってのに会ったんだよ。そいつに連絡して、その恋人の友達の車を貸してもらったんだよ。ジープラングラーだとさ。結構強引に貸してもらったらしくて、何度も傷付けるなーって言われたよ。あの分だと、本当のことを言って借りてきたわけじゃなさそうだなぁ。まぁ、当然と言えば当然な気もするけどよ」

「なんか僕ら、とてつもなく無遠慮なことをしていませんか? この車、まだ新しい感じもしますし」

カインは車内を見回し、居たたまれなくなった。内装は真新しく、買って間もないという気配がありありとする。
恐らく、断りたくとも断れずに貸し出したのだろう。他人事ながら、カインはこのジープの持ち主に心底同情した。
バックミラーを見上げると、そこに映るグレイスは邪心に満ちた笑顔をしていた。灰色の目が、にやりとした。

「そうか新車かぁ。だったら、車内にコーヒーでもコーラでもなんでも、どばーっとぶちまけてやろうじゃねぇか。いや、いっそのこと、エンジン引っこ抜いて魔導鉱石を動力にさせて、人造魂も押し込めてやってレベッカちゃんみてぇに意思を持たせて、新手の魔導兵器にして持って帰っちまうってのもいいかもなぁ」

「…本気か?」

ギルディオスはグレイスに顔を向けた。フィフィリアンヌは、ふん、と顔を背ける。

「やりかねんな」

「ダメですよそんなことしたら! 車の持ち主に、どれだけ恨まれるか解ったもんじゃありませんよ!」

カインは助手席のヘッドレストにしがみつくと、グレイスに叫んだ。グレイスは目を上げ、カインに向ける。

「そんときは、恨み返しの呪いを掛けてやるまでよ。んでカイン、お前、車酔いは治ったのか?」

「あ」

カインは身を引き、そっとシートに腰を下ろした。薬はまだ回っておらず、気分の悪さはしっかり残っていた。
叫んだりしたせいで、更にそれは増していた。カインが口を押さえると、フィフィリアンヌは袋を差し出した。

「出すなら出せ。その方が楽だぞ」

カインは僅かに頷き、フィフィリアンヌの手から袋を受け取った。フィフィリアンヌは、後部座席の窓を開けた。
背後からは呻き声と、袋に液状のものが落ちる音がしていた。飲んだばかりの薬も、出てしまったようだった。
フィフィリアンヌはカインの背に手を当て、さすってやった。どこの世界にいてもこの男は脆弱だな、と思った。
車内には、力のない苦しげな声が漂っていた。




朱鷺メッセなる建物を、カインは腑抜けた顔で見上げていた。
ミラーガラスに覆われたビルは、周囲に建物をはべらせていた。長方形に近い配置で、信濃川の傍に建っている。
駐車場傍の緑地、というより芝生の広場にあるベンチに座っていた。酔い止めの薬が回り、少し眠たくなっている。
一番高いビルの上部にある、展望施設を見上げた。ギルディオスと伯爵とグレイスは、先にそちらに行っている。
抜けるような青空を背景にしてそびえ、ミラーガラスの半分ほどが陰っていた。その影の中に、彼女と座っていた。
隣に座るフィフィリアンヌは、駐車場の近くのアイスクリームショップから買ってきたソフトクリームを舐めていた。
食べ慣れないので、口の端にクリームが付いていた。彼女はそれに気付かず、やけに急いで舐め取っていた。
カインは付き合いで買ったカップのジェラートを、機械的に口へ運んでいた。チョコミントで、甘く爽やかだった。
フィフィリアンヌは、白いクリームを飲み込んだ。ようやくコーンまで辿り着くと、ふう、と深く息を吐いた。

「なかなか落ち着けない食い物だ」

「そんなにですか?」

カインは、右隣のフィフィリアンヌに向いた。フィフィリアンヌは、べたついた唇を舐める。

「ああ。これは、冷たくあってこその食い物なのだろう? ならば、溶ける前に喰い尽くすべきではないか」

「まぁ、そうでしょうね。アイスクリームですから」

カインは、液体になりつつあるジェラートを見下ろした。ミントグリーンがでろりと溶け、スープと化していた。
スプーンを外し、それを飲んだ。カインは刺激のある甘さと生温さに、むせた。数回咳き込んでから、呟く。

「飲むものじゃありませんね」

「具合の方は、もういいのか?」

ふやけたコーンをかじってから、フィフィリアンヌはカインに尋ねた。カインは、空のジェラートのカップを下ろす。
カインは、彼女を見下ろした。惜しげもなく露出されている滑らかな肩と細い二の腕が、物珍しかった。

「ええ、大分良いです。あなたの薬のおかげです」

「ならば、良いのだが」

フィフィリアンヌは、傍らのカインを見上げた。顔色も、まだ血の気が薄いようだったがそれなりに戻っていた。
カインは、濃い青のシャツの下に水色のタンクトップを着ていて、白のストレートジーンズを履いていた。
元の世界の服装とは懸け離れており、高貴さなど欠片もなかった。だが決して、似合っていないわけでもない。
フィフィリアンヌは食べかけのコーンを下ろすと、空に突き刺さらんばかりにそびえている朱鷺メッセを見上げた。

「すまんな」

「はい?」

「貴様が弱いことは思ったが、あそこまでとは思わなかったのだ。先に、何かしらの薬を作れば良かったな」

「いえ、お気になさらずに。いつものことですから」

「そうか」

慣れた様子で笑うカインに、フィフィリアンヌは返した。カインは空のカップを、ことり、とベンチに置いた。

「さっき、ギルディオスさんも言っていましたけど、どうして僕らはこの世界に来てしまったのでしょうか。朝起きたら、どこかの道路沿いにこの服で突っ立っていて、訳も解らずにぼんやりしていたら、グレイスさんとギルディオスさんがあの車で迎えに来て、そのまま乗っていたらこんな場所に来てしまいましたけど…。どこの誰の仕業なのか、フィフィリアンヌさんはご存知ですか?」

「異空間移動魔法から出現した際に見た魔法陣と、魔力からしてグレイスの仕業だ。あの男ぐらいしか、異なる世界を繋げるほどの技術と魔力は持っておらんしな。だが、この状況は楽しむだけ楽しんでおくべきだぞ」

「はぁ」

カインが生返事をすると、フィフィリアンヌはにやりとするように目を細めた。

「あちらの世界にいる限り、私達は常に何かしらの厄介事を背負わねばならん。私にせよ貴様にせよニワトリ頭にせよ、面倒に首を突っ込まねば金を得られぬ仕事をしておるからな。だが、こちらにいるとなれば、話は別だ。毒薬の調合を依頼してくる政治家も竜族を毛嫌いする馬鹿共も、ヴァトラスを呪うと同時に己も呪って長らえてきた一族も、穢れた習慣に溺れて深淵に身を浸した兄もおらん。すなわち、まるで異なる世界があるが故に、何のしがらみも因縁も存在しておらんのだ。これほど心地良い一時はあるまい」

「考えようによっては、そうですね。確かに、こちらにいれば貴族同士の利権争いに巻き込まれずに済みますし」

「今日のことは、夏の休暇とでも思っておけ。それが一番楽だ」

「そうですね。せっかくですから、楽しむべきですよね」

カインは、同意して頷いた。カインはフィフィリアンヌの口元に手を伸ばし、指先で白いクリームを拭う。

「付いてますよ」

途端に、フィフィリアンヌは身を下げた。その勢いで手からコーンが落ちてしまい、足元に芝生に転がった。
カインは自分の指を舐めてから、笑った。白い頬を真っ赤に染めたフィフィリアンヌは、ぐっと口元を押さえる。
更に下がろうとするフィフィリアンヌとの間を詰め、カインは彼女の手首を取った。腕時計ごと、握り締める。

「そう逃げなくとも」

「逃げてなど」

困ったように眉を下げたフィフィリアンヌの目は、左右を窺った。カインは、背を曲げて彼女に顔を寄せる。

「その服、良くお似合いです。可愛らしいですよ」

「だから、どうだというのだ」

口元を歪めたフィフィリアンヌは、顔を背けた。カインは、気恥ずかしげなフィフィリアンヌに囁く。

「他の方々は、あなたを褒めるどころか見てすらいない感じがしましたので。せめて僕ぐらいは、と思いまして」

「それだけか?」

「はい。これを言いたかっただけです。公衆の面前ですから限度ってものがありますので、これ以上はしませんよ」

にこにことしたカインは、フィフィリアンヌの手首を離した。フィフィリアンヌは左手を下げ、徐々に顔を向けた。
傍目に見れば、彼女は不機嫌にしか見えない。だが、フィフィリアンヌは、どこか残念そうな表情をしていた。
すると、小さな手が伸びてきた。フィフィリアンヌはカインの襟元を掴むと、力任せに自分の方へと引き寄せた。

「え、ですけど」

カインが少し戸惑ったような顔をすると、赤面したフィフィリアンヌは片方の眉を吊り上げる。

「褒められたのだから、相応のことをするべきではないか。貴様らしくないな、拒否するのか?」

「あ、いえ。そうじゃなくて。その、僕、ついさっき戻したばっかりですよ? いいんですか?」

「人の顎を持ち上げながら、言う言葉ではないな。まぁ、私は別に気にせんから、貴様も気にするな」

フィフィリアンヌは顎を上向けられ、カインと目を合わせた。彼は笑んでいたが、意地の悪さが滲んでいた。
少女の手が、青いシャツの襟元を握り締める。カインは細い顎を支えながら身を屈め、そっと唇を重ねた。
ひやりとした冷たさがあり、舐めると甘みがした。カインが離れると、フィフィリアンヌは頬を染めて俯いた。

「…冷たいな」

「アイスクリームですからね」

カインはそう返してから、舌に移った彼女の味を味わった。横目に彼女を見下ろすと、小さく唸っていた。
竜の翼を下げたフィフィリアンヌは、カインの襟元から手を放した。ショルダーバッグを掴み、立ち上がる。
くるりと背を向け、つかつかと歩いていった。芝生の広場から歩道に出ると、ビルに繋がる歩道橋を指す。

「喰い終えたなら、さっさと行くぞ!」

「あ、はい」

カインは、そこまで照れなくても、と思いながら立った。フィフィリアンヌはカインが来るまで、歩道で待っていた。
彼が追いついてから、フィフィリアンヌは足早に歩き出した。ミュールの平べったい足音が、手前を進んでいく。
小さな背には、一括りにした長い緑髪が揺れていた。カインはその背を見つつ、先程の彼女を思い起こした。
ああも積極的なのは、珍しい。普段であれば、攻めるだけ攻めてしまわないと態度を崩さないほどだというのに。
きっとフィフィリアンヌも、それなりに浮かれているのだろう。カインは、そう思っておくことにした。
口の中には、彼女の味がありありと残っていた。






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