私は、運がないんだと思う。 いつにしたってそうだ。今だって、目の前のマグカップに注ごうとした牛乳が切れている。 小さな白い一滴が、カップの底で空しく弾けた。昨日はまだ沢山入っていたのに、誰だよこんなに飲んだやつ。 憎むべき相手を探すため、私は顔を上げた。だがその相手は、ランドセルを引っ掴んで玄関へ走っていく。 どたどたと激しい足音が遠ざかり、いってきまーす、という元気の良すぎる声を残して弟は登校していった。 私は紅茶の入っているポットを取り、マグカップに注いだ。あまり好きじゃないが、仕方ない。 お母さんの入れた少し渋い紅茶を飲みながら、バタートーストをかじる。明日こそ、牛乳でトーストを食べたい。 ぼんやりとテレビを眺めつつ、テーブルの上に放置してある大量の広告を取り、いくつか広げた。 ふと、その中に違和感を感じた。赤や黄色で安売りを謳う広告の間に、なんだかいやに白っぽいものが。 ダイレクトメールのようにシールで書かれた宛名は、私宛になっていた。鈴木礼子様、と。 「なにこれ?」 私がその変なハガキを引っ張り出すと、お母さんがガスコンロを止めてから振り返った。 「それ、シールハガキになってんのよ。宛名は礼子だから、めくっちゃうの悪いと思って」 「うわーい」 やる気のない返事をしながら、私は青いシールの貼られた裏面を見た。シールの中央に、小さく文字がある。 それを読むことをせずに、左端の欠けている部分を指でめくり、一気に剥がす。びっ、といい音がした。 シールの下から現れた文字に、一瞬、何が何だか解らなかった。 「…自衛隊?」 このたびはご当選おめでとうございます、と、下手な詐欺のハガキみたいな冒頭で文章が始まっている。 自衛隊が、私に何の用だろうか。近年は隊員不足だからって、まさか中学生の青田刈りはないだろう。 だけど私は、スカウトされる心当たりもないし志願するようなつもりもない。本当に、無縁の世界だ。 少々混乱しながらも、私は文章を読んでいった。お母さんが、私の手元へ身を乗り出してきた。 「鈴木礼子様、このたびはご当選おめでとうございます。あなたは、ただ一人選ばれました…」 うさんくさいわね、とお母さんは眉を曲げる。同じことを思ったようだ。 「このハガキは、鈴木礼子様へ三日間に渡る特殊演習参加の権利を差し上げる通知です」 「尚、特別な事情がない限り、特殊演習参加を拒否することは出来ません。他者への譲渡も不可能です」 お母さんの目の前からハガキを抜き、私は続きを読み上げる。 「国家機密に関わる演習ですので、どうかご了承下さい…?」 ますます訳が解らない。べろりとシール部分の丸まったハガキを、ぽいっと広告の山へ放り投げた。 私は紅茶を飲み、かじりかけのトーストを半分まで食べてから、お母さんに尋ねる。 「お母さん、何か変なのに応募でもしたんでしょ?」 「あー、たぶんあれだわ。うん、思い出した」 自分のマグカップに紅茶を注いだお母さんは、私の反対側の席に座った。ハガキを取り、裏返す。 「夏にいつも、健吾と一緒に近くの自衛隊基地の航空祭に行ってたでしょ?」 「うん」 弟の健吾は、戦闘機に目がないのだ。私はまるで興味はないが。お母さんは続ける。 「なんかのアンケートに書いて応募したのよねー、その時。健吾と礼子の二人分を書いてさ」 「あー、そういうこと」 お母さんが、懸賞でいつもやる手段だ。といっても、私の名前で当たった試しはないのだけど。 記念すべき初当選が自衛隊だなんて、嫌すぎる。というか、普通なら健吾に当たるのが筋じゃないのか。 砂糖を入れ、紅茶を飲んでいたお母さんは、また文面を読み直していた。あら、と途中で目を止める。 「三日間なんて長いわねぇ。今日が金曜日で明後日までだから、土日が潰れちゃうわね、礼子」 「誰も参加するなんて言ってないんだけど」 「拒否は出来ないんだから、仕方ないでしょ。ま、面白いことがあったら健吾に話してあげなさい」 他人事だから、お母さんは気楽に笑った。肉親って、たまに薄情だよなぁ。 とりあえず、中学校に行かないと。私は食べかけのトーストに目玉焼きを載せ、一気に食べた。 紅茶で流し込んでから立ち上がり、テーブルの横に置いてあった通学カバンを背負った。と、その時。 唐突に、玄関先からチャイムが鳴らされた。お母さんは返事をしながら、玄関に向かっていった。 こんな朝早くに来なくても。私は時間を弁えない来客の姿を見てから登校するべく、お母さんに続いた。 廊下から玄関に顔を出した途端、また、何が何だか解らなくなった。 玄関のドアよりも遥かに大きい、戦闘服姿の男が立っていた。だけど、ヘルメットの下の肌は銀色だ。 肩には自動小銃を載せていて、それがドアに引っかかっている。なんだ、なんなんだこいつは。 サングラスのような目元が上がり、私を捉えた。威圧感ありまくりな姿に、思わず息を飲んでしまう。 するとそいつの後ろから、今度は別の男が現れた。階級章を付けた、紺色の軍服の男だ。 「朝早くから失礼します、鈴木さん。我々は自衛隊の者です。連絡のハガキは届いていましたでしょうか?」 「このたびはどうも、うちの礼子がお世話になります」 深々と頭を下げたお母さんは、私を手招いた。仕方なく、私も玄関に出て頭を下げる。 「…どうも」 戦闘服姿の男が、じっと私を見下ろした。怖いなぁ、もう。なんだよこいつは。 近くで見ると、銀色の肌がかっちりしているのが解る。分厚いベストの間から見える首も、硬そうだ。 もしかしてとは思うけど。いやいや、そんなの有り得ない。私は頭に浮かんだ考えは、現実離れし過ぎている。 軍服姿の男は、戦闘服の男の太い腕を軽く叩いた。私へ、安心させるように笑う。 「礼子さん。こいつが、三日間あなたを守る男です。人型自律実戦兵器、七号機。通称は北斗です」 かん、と硬い音がした。北斗はブーツのかかとを合わせ、敬礼する。 「陸上自衛隊一等陸士、人型自律実戦兵器、七号機です。これから三日間、どうぞよろしくお願いします」 人間っぽいけど、どこか機械的な声だった。私の考えは、間違っていないようだ。 うん。これは絶対、この七号機は、北斗ってのは。 「…ロボット、なんですか?」 「簡単に言えば、自分はそういうものだ。だが、単なる作業用機械とは一緒にしないで頂きたい」 つっけんどんに、北斗は答えた。ヘルメットの側頭部には、HOKUTOとある。 「三日間の演習で、自分は鈴木礼子君を守り通す。だが、自分の命令には従って頂こう」 「はあ?」 なんだろう、この偉そうなロボットは。私は思わず、変な声を出してしまっていた。 頂きたい、で表現を弱めているけど、完全に上から物を言っている。まるで、昔の軍人みたいだ。 北斗は、まじまじと私を見下ろす。固く握っていた手を解き、ずいっと私を指した。 「今朝の時点で、ここは既に戦場になっている。生き抜きたければ、従うことだ」 「単なる模擬戦闘でしょ?」 「演習に参加するということを、もう少し理解して頂きたい。例え模擬でも、戦いは戦いなのだ」 ふん、と少し嫌そうに北斗は顔を逸らした。私だって嫌だ、こんなのと三日も一緒だなんて。 軍服姿の男は、お母さんと何やら話してから玄関から出た。お母さんも、なぜか外へ出てしまう。 ドアを閉めながら、お母さんはにこにこしていた。これは一体、どういうことなのだ。 「それじゃ礼子、頑張ってねー。お母さん達は、しばらく訓練の迷惑にならない場所にいるから」 「詳しいことはそこの北斗に聞いてやって下さい。それでは、武運を祈ります」 と、軍服姿の男は敬礼し、ばたんとドアを閉めてしまった。おい、おいこらちょっと待て。 私がドアに駆け出そうとすると、北斗が間に入った。いきなり出来た壁に、私はちょっと臆してしまう。 「…どいてよ」 「保護対象者を、単独行動させるわけにはいかん。それに、既に外には敵が多数いる」 北斗は、頑として動こうとしない。私は、ドアの脇の磨りガラスから外を見てみた。 でも、外は至って普通だ。人通りが異様に減っているけど、何の変哲もない朝の住宅街じゃないか。 これのどこに、敵がいると言うんだ。しばらく外を見ていたら、首根っこを掴まれ、ぐいっと引き戻された。 「うわっ」 「あまり外を見るな! 撃たれるぞ、馬鹿め!」 廊下に私を押しやってから、北斗は声を上げた。私は、その語気の強さにちょっと押されてしまった。 身動き出来ずにいると、北斗は手榴弾とワイヤーを取り出した。ワイヤーを伸ばし、ピンに巻いてドアに付ける。 あ、これはどこかで見たことある。開けた途端にどかん、となってしまうトラップだ。 ドアから離れた北斗は、背負っていたやたらにでかいリュックを下ろし、何かを出して私へ投げた。 「着ろ」 「なによこれ」 分厚いジャケットと、ゴーグル付きの重たいヘルメット。私は、それと北斗を見比べる。 「敵が用いる弾丸はマーカー弾だが、衝撃はある。我々が用いる弾丸も同様だが、跳弾したら事だろう」 生身の人間にはな、と言いながら、北斗は更にリュックを探っていった。弾丸て、我々ってどういうことだ。 私は仕方なしに、恐らくは防弾ジャケットであろうものを着た。サイズがぴったりで、なんだか恐ろしい。 前髪を横へのけてからヘルメットを被っていると、北斗がベルトのようなものを差し出した。私は、それを取る。 「これも何?」 「グロック26とホルスターだ。小型の拳銃だが、反動はしっかりある。撃ち方はあとで教えてやろう」 「やったら重いんだけど…これ、本物なの?」 恐る恐る、私はホルスターとマガジンの付いたものを持ち上げた。背負うタイプのホルスターらしい。 通学カバンを下ろしてからベストの上に着込むと、脇にずしりと重さが来る。小さくても、拳銃は拳銃だ。 じゃきり、と北斗は自動小銃にマガジンを差し込んだ。それを肩から提げてから、私を見下ろす。 「実銃だ。こんな状況で、モデルガンを渡す馬鹿はいない。そんなことも解らんのか、君は」 「解るわけないでしょ」 大体、銃器に興味のある女子中学生はそうそういるもんじゃない。思考が偏ってるなあ、こいつ。 体を縮めるように、北斗は腰を落としながら廊下に踏み込んできた。おいこら、土足で人の家に上がるな。 すれ違いざま、ヘルメットを押し込まれる。ちゃんとかぶれ、ということらしい。余計なお世話だ。 押し込まれたせいで、一瞬目の前を塞がれた。私はヘルメットを持ち上げ、一応顎の下でベルトを止める。 重たいブーツをゆっくり進めている北斗の背が、リビングの前で止まった。振り向き、私を手招く。 「早く来んか!」 「へいへい」 「返事は一回、そして」 「アイサー、でしょ」 「解っているなら早く来い、礼子君」 リビングの手前の壁に背を当て、北斗は腰を落とした。ポケットを探り、鏡を出す。 それに従って、私は北斗の隣からその鏡を覗き込む。窓の向こうに見える狭い庭は、いつもと変わっていない。 だが北斗はそうは思っていないのか、体を捻って銃身を壁に貼り付ける。かきん、と引き金を引いた。 激しく乱射された弾丸は、勢い良くリビングの窓やカーテンを破っていった。ガラスが砕け、飛び散っていく。 弾が破裂したらしく、至るところに青い塗料がべっとり付いている。ああ、リビングがスカイブルーに。 あまりのことに、私は何も言えなかった。本当は、人の家を破壊しに来たんじゃないのか、こいつは。 ひとしきり乱射した後、がしゃり、と庭の方で倒れる音がした。どうやら、何人か隠れていたらしい。 北斗は慎重に辺りを伺っていたが、私へ頷いた。また、手を窓の方へ向けて動かす。 「行くぞ」 「窓、どうしてくれんの」 呆気に取られたまま、私は呟いた。北斗はちょっと黙ったが、すぐに答えた。 「破壊許可は得ている。この街の修復は、陸上自衛隊と政府が責任を持って行う」 「それ、めちゃくちゃ血税の無駄遣いじゃない」 この国の未来は絶望的だ。ああ、私の未来はどうなってしまうの。明るいとは、到底思えない。 立ち上がった北斗は、私の突っ込みには答えずにリビングへ進んでいった。私は床を見、足元に気付いた。 「あ」 スリッパのままだった。これじゃあ外へは出られないし、ガラスの上も歩けそうにない。 さてどうしようかと思っていると、北斗がまた何か投げてきた。ごとん、と目の前に黒いものが落ちる。 私は目の前のジャングルブーツと、不機嫌そうな顔の北斗を見比べていたが、とりあえず足を突っ込んだ。 予想通り、サイズはぴったりだ。ていうか、二十三・五のジャングルブーツってあったのね。当然か。 サイドのファスナーを締めて紐を縛り終えると、北斗は早々に歩き出した。待っていたようだ。 リビングを出るだけなのに、私は歩くのに随分と苦労した。なんでこんなに歩きにくいんだ、この靴は。 なんとか歩いてリビングから出、砕けた植木鉢の散らばる庭を進んだ。ロボットが数体、転がっている。 ミリタリーグリーンに塗られたその歩兵ロボットを、ちょっとつま先でつついてみた。あ、動かない。 どうやらこれが、敵らしい。やっと私は、この訓練がかなり本格的なのだと実感した。 北斗よりも丸っこい感じのロボット達を見下ろしていると、家の玄関の方で銃声がし、鳴り止んだ。 がしゃがしゃん、と数体が倒れる音がしてから、北斗が戻ってきた。仏頂面で、自動小銃を上向ける。 「さっさと来い! 走るぞ!」 「どこに?」 「いいから来い、いちいち質問をするな!」 「…鬼軍曹」 「自分は陸士だ、軍曹ではない!」 私のどうでもいい呟きに、北斗は力を込めて言い返してきた。そして、本当に道路へ駆け出していった。 正直うんざりしてきたが、付いていくことにした。このまま殺されるよりは、たぶんマシだ。 いくら模擬とはいえ、そう簡単には死にたくはない。 「きりきり走れぇ、礼子君!」 自動小銃を振り上げながら、北斗は私の目の前を走っていた。気を抜くと、引き離されそうだ。 私は精一杯の速度で走りながら、どこに行くのか察しが付いた。真っ直ぐ行けば、中学校があるのだ。 たぶん、そこが今回の戦場なのだろう。かなり大事になっていないか、この演習。 大分息切れしながらも、私は静まり返った住宅街を見回した。皆、演習のために退避したのだろう。 「この世の終わりみたい」 「戦場とはそういうものだ」 と、北斗は簡単に私の感想を切り捨ててしまった。ロボットには、私の気持ちなど解らないようだ。 さっき朝食を食べたばかりだから、脇腹の辺りがずきずきと痛んでくる。ああ、なんてこったい。 痛みに顔を歪めていると、北斗が突然立ち止まった。解ってくれたのかな、この痛みを。 北斗は、近くの塀に背を当て、道路に顔を出す。中学校を見ていたが、ふ、と笑いのような声を洩らす。 「七三式装甲車か。いいだろう、撃破してくれる!」 「装甲車…?」 そういえば、先程からやたらに大きなエンジン音が聞こえると思ったら。私は、中学校の方を見た。 排気を吹き出しながら、巨大で重そうな車両が校門の前に滑り込んできた。ああ、本当だったんだなぁ。 思わず呆然としていると、北斗は私を脇に抱えて駆け出した。おいこら、いきなり何をする。 しばらく北斗に揺られていると、がくっと方向が曲がった。袋小路に入ると下ろされ、北斗はまた駆け出す。 「乗れ!」 「ジープだ…」 しかも、機関銃が付いている。運転席に座った北斗はキーを回し、エンジンを始動させている。 アーミーグリーンの車には、様々な武器が積み込まれているようで、後ろに掛けられた大きく布が膨らんでいた。 私はとりあえず走って、助手席に昇った。引っ張り上げられて座らされ、ぐいっとシートに押し込まれる。 「頭は下げていろ、撃たれるぞ」 「乱暴だなぁもう」 「死ぬよりはいいだろうが」 ぎりっ、とギアレバーを引いた北斗を横目に、私はずれ落ちそうなヘルメットを被り直した。 「だけどさ、北斗」 「なんだ」 北斗はアクセルを踏み込み、ジープは袋小路から飛び出した。回り込むつもりなのか、しばらく走っていく。 狙撃手のいない機関銃と、隣でハンドルを動かす北斗を見比べた。あれ、使い物になるのかな。 「あの機関銃で攻撃するんだろうけどさ、狙撃手はいないじゃない」 「誰も移動しながら撃つとは言っていない。停車した際に、自分が撃てばいいだけのことだ」 淡々と返しながら、北斗はハンドルを回す。勢い良く視界が逸れ、細い道を曲がって直進する。 あまりにも荒い運転に、私の胃が次第にむかついてきた。これ以上乗っていたら、朝ご飯が出てしまう。 また、何度かカーブを曲がっていった。私はぐったりしながら、少し体を伸ばし、フロントガラスを覗く。 遠くには、中学校の校門が見えている。その前では、未だに装甲車が踏ん張っていて動きそうにない。 校門を睨んでいた北斗は、ブレーキを踏み込んでいった。ぎゃりぎゃりぎゃりっ、と横にずれながら止まる。 がくんと頭が前に落ち、私はいよいよ車酔いが激しくなってきた。頭も痛くなってきそう。 必死に吐き気と戦っていると、いきなり後方から銃声がした。音と衝撃波で、頭がぐわんぐわんする。 運転席から立ち上がった北斗は機関銃を掴み、今し方通ってきた路地に狙いを定めた。そして、連射した。 金色の薬莢が次々に吐き出され、助手席の方まで転がってきた。しばらく続いたが、それは止まった。 後ろを見ると、校門にいた装甲車とは別の装甲車が、弾痕と塗料を受けて止まっている。倒したらしい。 北斗はまた笑みを漏らしてから、後方へ向いている機関銃を前向きに戻す。運転席に座り、アクセルを踏む。 「行くぞ礼子君!」 「…行きたくない。てか行かないでお願いだから」 その後、私の記憶はあまりない。あまりの気分の悪さに、意識が遠のいてしまったのだ。 気付いた頃には、私と北斗の乗ったジープは中学校に突っ込んでいて、昇降口を突き破っていた。 ガラスと上履きの散らばる昇降口を、ぼんやりと眺めながら、出てきそうになる胃液を飲み下し続けていた。 この訓練。無茶苦茶を通り越して、かなり強引だ。うげ胃液出そう。 それから北斗は、また幾人かの歩兵ロボットを撃破し、中学校を制圧した。 私達は三階へ昇り、音楽室に籠もっていた。というか、ここに入ってすぐに、私が座り込んでしまったのだ。 車酔いが治っていないのに走り回されたせいで、もう立っていることも出来なくなった。北斗、お前のせいだぞ。 当の北斗は、私を黒板の前に座らせた後、脇のドアで張っていた。後ろのドアには、手榴弾が仕掛けてある。 じゃきん、と新しいマガジンを小銃に差し込み、構えている。いいなぁロボットは、車に酔わなくて。 黒板の下にもたれながら、私は変な声を上げていた。気分が悪くて悪くて、もう死にそうだ。 「う゛ぁー…」 「あれしきのことでなんだ、君は」 「つーか北斗、あんた、アクセル踏みすぎ…」 「速度を出していないと、すぐに撃たれてしまうのだ。市街戦では、あれが普通だ」 私を一瞥した北斗は、また廊下と階段を睨む。この教室は階段の目の前で、見張るには丁度良い。 「いっそ戻してしまえ、礼子君。少しは楽になるかもしれないぞ」 「出そうで出ないの」 これが一番辛い。私は時折来るえづきを飲み込みながら、ゆっくりと息を吐いた。もう嫌。 窓の向こうを、ばらばらと大型のヘリがいくつも飛んでいる。厳重に、この辺りを見張っているようだ。 でも、しばらく大人しくしていたら少しはまともになってきた。このまま動かなければ、治ってくれるかも。 目を閉じて、ゆっくり深呼吸する。すると足音がして、両手を開かされて何かを握らされる。 固い金属の感触に、目を開けて手元を見た。グロック26という名らしい拳銃が、私の手の中にある。 「うお!」 いきなり持たせられ、びっくりしてしまった。目の前に屈んだ北斗は、私の両腕を持ち上げて支える。 「休むなら携帯しておけ。撃つときは両腕を伸ばし切って、反動を腕全体で受け止めろ」 手を放され、私の腕は伸びたまま落ちた。小さいくせにずっしりと重いグロック26が、やたらと冷たい。 それと、と北斗は背中からリュックを下ろす。ごそごそと中を探り、水のペットボトルを取り出した。 「飲んでおけ。落ち着くだろう」 「…ありがと」 なんだか、急に優しくて気色悪い。投げ渡されたペットボトルを開け、少し飲んだ。 リュックを締めて背負い直し、北斗はまたドアの前に座り込んだ。自動小銃を抱き、外を見据えている。 多少温いけど、水を飲んだらまた少しすっきりした。いつのまにか喉が渇いていたようで、おいしい。 自動小銃を放さずに、北斗は脇に手を入れて拳銃を抜いた。じゃきん、と銃身をスライドさせている。 改めて見ると、こいつがロボットだと言うのがよく解る。顔は人間っぽいけど、目元はゴーグルになってるし。 藍色というかダークブルーのゴーグルは、サングラスみたいだ。奧にも、目はあるのかな。 拳銃を脇に戻してから、北斗は胸ポケットを探り、そこから出した平たいものを放り投げてくる。 投げ渡されたものは、「演習中」と書かれた赤い腕章だ。私は、それを広げて左腕に通した。 「付けろっての?」 「解っているではないか」 説明の手間が省けた、と呟いてから、北斗は自分の二の腕にも腕章を付けた。でも、腕には巻いていない。 袖のところに安全ピンを引っかけていて、ぶらぶらしている。二の腕が、太すぎるらしい。 制服の袖に穴が開くので少し躊躇したが、とりあえず付けることにした。腕章なんて、久々に付けた気がする。 私は腕章を着け終えてから、ペットボトルを取った。胃の気持ち悪さも、水のおかげで少しは落ち着いた。 窓の外を見上げると、あれだけ飛んでいたヘリが見当たらない。引き上げたのかな。 ついさっきまで、戦闘に次ぐ戦闘で凄く騒がしかったから、ここまで静かだとちょっと変な気がしてきた。 重たいヘルメットをずらし、汗でべっとりした髪を風にさらす。走りまくったから、つま先が痛い。 「敵、いなくなったのかな」 「この学校と周囲にはな。だが、敵はいつやってくるか解らんぞ。油断するな」 「いつ来るのか解る?」 「解っていたら訓練になどならん。実戦では、尚の事解るはずもないだろう。馬鹿か君は」 横目に私を見、北斗は苛ついたように言った。また言った、また馬鹿って言った。 そりゃ戦闘経験もない人間が相手じゃ、戦闘マシーンは苛つきもするだろう。でも、何もそこまで言わなくても。 私は物凄く理不尽な気がしていたが、言い返す文句が思い付かず、黙っていた。ええいこんちきしょう。 開け放たれた窓から、弱い風が入ってきた。暗幕を兼ねた黒いカーテンを、ふわりと揺らしている。 私が黙ったからか、北斗も黙ってしまった。必要以外のことは、喋らないのだろう。戦闘マシーンだし。 なんで、こんなことになってしまったんだろう。どうして、私なんだろう。 無表情なロボットの横顔を見ながら、漠然と考えていた。私は、十人並み以下の人間なのに。 成績は中の下で、目立った特技もない。強いてあげれば、本を読むのが早いくらい。京極堂は二時間だ。 自分で言うのもなんだが、顔もそんなに可愛くない。中の上といえば聞こえは良いけど、中途半端なだけだ。 日本中をひっくり返せば、私みたいな中二の女子は腐るほどいるだろう。うん、絶対に。 でも、自分で動くロボットが出来上がっているなんて知らなかった。きっと、国家機密なのだろう。 となれば、この特殊演習が国家機密になるわけだ。どういう言い訳をして、街中の人間を追い払ったのかな。 その疑問に答えてもらうべく、私は北斗に尋ねる。ヘルメットの位置を戻し、廊下側へ顔を向けた。 「北斗。自衛隊はさ、街の人間をどうやって追い払ったの? あっという間にいなくなったんだけど」 「一般市民には、不発弾処理という名目で退去してもらっている」 「あ、なるほど」 そういうことか。私は、自衛隊のその言い訳にちょっと感心していた。 不発弾処理という名目ならば、装甲車を入れても兵隊を連れてきてもヘリを飛び回らせても、違和感がない。 一つには整理が付いたので、私はもう一つの疑問もぶつけることにした。こっちの方が、重要だけど。 「でさ、なんであんたの保護対象者が私なの? 私みたいなパンピーを使う理由が、まるで解らないんだけど」 「礼子君の周辺状況が、我々にとって都合が良かったからだ。基地にも近いしな」 顔を上げ、北斗は私を見た。いや、私の向こうの窓を見た。 「繁華街と住宅街の入り混じっている小規模な市街地に、一つだけ隣接する中学校。そして、北西部の山地だ」 「…それだけ?」 なんだか、納得が行かない。北斗は、深く頷いた。 「礼子君の周囲が、一対複数の戦闘訓練に充分な立地だったのだ。本当に、それだけだ」 「ごめんちょっと泣かせて」 つまり、場所さえ丁度良ければ私でなくても良かったのだ。ああ、今、マジで泣きたい。 北斗はちょっときょとんとしたが、少し首をかしげてから廊下へ向いた。乙女心が解らないようだ。 グロック26を握り締め、膝を抱えてみる。紺色のプリーツスカートは、すっかり汚れている。 防弾ジャケットの襟と脇からはみ出ているセーラーの襟も、ぐちゃぐちゃだ。シワだらけになっちゃった。 せめてジャージだったら、もう少し良かったかも知れない。制服って、ただでさえ動きにくいのに。 思わず、ため息を吐いてしまった。なんだかもう、やりきれなくなってきちゃったよ。 人生と境遇に絶望しきった私に、北斗は淡々とした口調で言った。 「礼子君、あまり感情を揺らがせるな。いざというときの判断が鈍るし、部隊の統制が崩れてしまう」 「あんたには思いやりってもんがないの?」 北斗に背を向け、私は呟いた。さっき優しかったのも、戦闘に支障が出るから、なんだろうなぁ。 抱えていた自動小銃を少し下ろし、北斗は考えるように腕を組む。んー、と少し唸った。 「他人に対する配慮、というか、援護射撃は得意だが」 「馬鹿ロボット」 「人を馬鹿といった者が馬鹿なのだぞ、礼子君」 むくれたような声で言い返してきた北斗に、私は更に言い返してやった。 「その理論で行くと、あんたが馬鹿なんだけど。先に言ってきたし」 「屁理屈をこねるな、新兵め!」 「子供相手に逆ギレは大人げないと思いまーす。つか私、新兵じゃないし」 「…ぐう」 立ち上がり掛けた北斗は、すとんと座り込んだ。よっしゃ、私が勝った。 しっかりと自動小銃を握り、北斗はぶすっとしながら廊下と階段を睨み付ける。敵、来るのかな。 私は手の中のグロック26を持ち上げ、先程言われた通りに、腕を真っ直ぐにして真正面に向けてみた。 照準を睨み、後ろの黒板に銃口を合わせてみる。ちょっと近視気味だから、標的があんまり良く見えない。 メガネ、持ってくるんだったなぁ。玄関先に置いてきちゃった通学カバンに、入れてあったのに。 教室の廊下側、掲示板の上の掛け時計を見上げて、ようやく今が何時か知った。 朝に家を出た時間は、確か八時前だったと思う。今は、十時過ぎだ。まだ、二時間しか経ってないのか。 えーと。三日間って言ってたから、北斗に付き合わなきゃいけない時間は単純計算で七十二時間。 で、それがマイナス二時間。てことは。そこまで考えて、私はぐったりしてきた。 「あと七十時間も、付き合わなきゃいけないわけ…?」 「厳密には、六十九時間五十四分と三十一秒だ。少々、長い付き合いになるぞ、礼子君」 「あーもう、いーやー…」 私は後ろへ傾き、ごん、とヘルメットを壁にぶつけた。そんなの、想像しただけでうんざりする。 誰だよ、こんな無茶苦茶な訓練を考えたの。誰だよ、私の名前のハガキを引き当てちゃったの。 なんだよもう、こんな国なんて。締めるところを締めないで、変なところに力を入れちゃってさ。 よし、決めた。こうなったら、私がこの国をどうにかしてやる。政治家になってやる。 でもって。 自衛隊なんて、絶対に弱体化させてやる。 04 12/26 |