「鈴木礼子さん、だね?」 校門を出たところで、私は反射的に立ち止まった。フルネームで呼ばれては、通り過ぎるわけに行かない。 声の主は、門柱の脇に立っていた。アーミーグリーンのジャケットを着込み、ジャングルブーツを履いている。 ジャケットと同じ色のキャップを上げ、顔を見せた。人の良さそうな、穏やかな目をした好青年。 この人は、自衛隊の人間のようだ。クラスメイトの一人、奈々が私と彼を見比べていたが、訝しむ。 「礼ちゃん、この人知ってるの?」 奈々と私の背後を、生徒達は彼を怪しみながら通りすぎていく。まぁ、当然の反応だよね。 若い自衛隊員は、どう言おうか迷っているようだった。大方、彼は北斗絡みの人間に間違いないだろう。 私は奈々に振り向き、笑む。困り果てている自衛隊員が、不憫に思えてきたからだ。 「うん、まぁね。なっちん、先に帰っていいよ」 「礼ちゃん!」 いきなり、奈々はがしっと私の両肩を掴んだ。顔を寄せ、真剣な目になる。 「何かやばいと思ったら、思いっ切り逃げてね! 最近はマジで治安悪いんだから!」 「…うん」 仕方なく、私は頷いた。ちらりと自衛隊員を見上げると、やりきれないのか、変な笑いになっている。 絶対だよ、と奈々は私に念を押してから、自宅の方向へ走っていった。長い髪を乗せた背が、遠ざかっていく。 私は力なく彼女に手を振ってから、今一度、自衛隊員を見上げる。情けなさそうに、眉を下げていた。 「オレ、そんなに怪しいのかなぁ…?」 「一般的に考えたら、充分怪しいと思いますよ。ていうか、戦闘服じゃなくて軍服なら」 と、そこまで言いかけて、私は思った。いや、戦闘服より軍服の方が。 「あ、そっちの方が怪しいか」 「やっぱ、私服にするべきだったのかもなぁ」 苦笑気味に、彼は肩を竦めた。私は、自衛隊員に尋ねる。結構でかいな、この人。 「えと、それで。北斗の用事ですか?」 「ああ、そうなんだ。詳しい話は、車に乗ってからするよ。無関係者に聞かれたら困る」 自衛隊員は、くいっと逆手に路地を指した。親指の示した先には、陸上自衛隊、と書かれたワゴンが一台。 なんて味気ない車だろうか。まぁ、北斗の運転するジープよりは、大分まともだとは思うけど。 じゃあ行こうか、と自衛隊員はその車に向かった。私は彼の後に続きながら、ふと、中学校を見上げた。 校門に面した壁に備え付けられた時計は、そろそろ十二時になりそうだ。テスト期間中だから、放課が早い。 少し歩いて、私と自衛隊員はワゴンの前に付いた。彼が運転席に乗り込んだので、私も助手席に乗った。 通学カバンを足元に置いて、シートベルトを締めた。隣でキーが回され、やかましいエンジン音が起こる。 機械油臭くてちょっと汚れ気味のフロントガラスを見ていたが、私は運転席に向き、言った。 「行く前に、お昼ご飯買わせてもらえません? 食いっぱぐれると困るんで」 「了解。テスト期間中だもんな」 彼は厚いジャケットを脱ぎ、後部座席に放り投げた。その下は、迷彩の戦闘服だ。 胸元のポケットにネームが縫い付けられていて、神田、とある。そうか、この人は神田隊員か。 ダッシュボードからサングラスを取り、掛けてから、神田隊員は私に振り向いた。ますます怪しい。 「まず最初に、名乗っておこうか。オレは陸上自衛隊陸士長、神田葵。北斗と南斗の担当だ」 「それで、一体何の用事なんですか?」 私はまず、それが聞きたかった。西部警察の大門のようなサングラスの奧で、神田隊員は笑う。 「おかしな話なんだけどね。今日、バレンタインだろ?」 「まぁ確かに、今日は二月の十四日だけど…」 「礼子さんは誰かにあげた?」 「いえ。そういう神田さんはもらいました?」 「高校んときの女友達と妹から、義理でね」 「で、そのバレンタインと私に何の関係があるんですか?」 脱線しそうな話を修正するべく、私は最初に戻した。それがね、と神田隊員はおかしげに続ける。 「そのバレンタインの話を北斗にしたらば、君に会って何かあげたい、とか言うんだ。普通は逆だろうに」 「セオリーだと、私があげるもんですもんねぇ」 「だろ? それで、直接じゃないといけないとか言い出してね。それで、オレがここに回されたってわけだ」 とんとん、と神田隊員は軽くハンドルを叩いた。私はなんだか、彼に同情してしまった。 それはつまり、神田隊員は、北斗に顎で使われているということじゃないか。まぁ、相手は国家機密だもんなぁ。 当然といえば当然かもしれないけど、なんか納得出来ない。北斗よ、お前はそんなに偉いのか。 しかし、男から、しかもロボットからバレンタインのプレゼントって。変どころか、かなぁりずれてる気がする。 北斗、あんたって奴は。やっぱり、変なロボットだ。 北斗のいる自衛隊基地には、一時間ほどワゴンを走らせたら到着した。 その途中で適当なコンビニに寄ってもらい、私は食いっぱぐれずに済んだ。カレーパン二つで、満ち足りる。 灰色の壁の前で、ワゴンは止まった。私はカレーパンの空袋とレモンティーの缶を、通学カバンに突っ込んだ。 運転席から降りた神田隊員は、ちょっと待ってて、と言い残し、ワゴンから離れた。小走りに、門に向かう。 門衛らしき男達にいくつか説明していたが、戻ってきた。また運転席に乗り込み、門の奧を指す。 「中に入っても、少し走るから。オレと北南兄弟が所属してる、特殊機動部隊の棟はちょっと離れててね」 「でしょうね」 幾分か失速したワゴンは、自衛隊基地内に入っていった。物珍しくて、私は辺りを眺めてみた。 頑丈そうな建物が並んでいて、至るところにアーミーグリーンがある。車両とか機材とか、全部その色だ。 ここまで徹底していると、なんだか凄い気がする。ああ、軍隊なんだなぁ、自衛隊って。 遠くに見える訓練場や飛行場には、お昼時だからか、まばらにしか人間がいなかった。そりゃそうだよね。 いくつかの倉庫の角を曲がり、だだっ広い道路を走っていくと、離れた位置に大きめの建物が見えた。 神田隊員はハンドルを回しながら近付き、入り口前に停車させた。私は一息吐き、シートベルトを外した。 運転席から後部座席に腕を伸ばし、神田隊員はジャケットを取った。サングラスを外してから、それを着込む。 「それじゃ、付いてきて」 彼が運転席から降りたので、私も降りた。ばん、とワゴンのドアを閉め、入り口に向かう神田隊員を追う。 ワイヤーの入ったガラス製の分厚いドアには、電子ロックらしきものが付いている。神田隊員は、カードを出した。 銀色のカードを溝に滑らせると、ぴっ、と高い音がした。隣の数字キーをいくつか叩き、彼は身を引く。 なにやら、随分と仰々しいセキュリティだ。私は、電子ロックとガラスドアと、神田隊員を見比べてしまう。 数秒経ってから、がちゃり、とガラスドアが開いた。神田隊員は片手でドアを押し、私を手招く。 それに従って中に入ると、空気が変わった。泥と硝煙と、機械油の匂いがする。ロボットのいる証拠だ。 薄暗い廊下を神田隊員と歩いていくと、廊下の奥に影があった。でかいのが二つ、床に座っている。 二人の間には、紙製のゲームボードと駒が広げてある。盤上にバッテンがあるから、これは軍人将棋だな。 神田隊員が声を掛けようとしたので、私は彼の袖を引き、制止した。神田隊員は、変な顔をする。 私は彼に黙るように指示してから、慎重に近付いた。二体のでかいロボットは、真剣に軍人将棋を睨んでいる。 どちらも、ヘルメットを被っていて解りづらい。側面も良く見えない。だけど、すぐに判別は出来た。 なんとも都合の良いことに、二人とも上半身は黒のタンクトップ一枚なのだ。寒そう、ていうか服着ろよ。 私に背を向けている方の左上腕には、七号機、とある。向かい側のには、六号機。あっちが南斗か。 もう一度、手前のロボットが北斗であると確認してから、私はおもむろに通学カバンを振り上げた。 不意に、北斗が振り向いた。私は高々と掲げた通学カバンを、力一杯、北斗の横っ面に叩き付けてやった。 「てぇあ!」 ごっ、と鈍い音がした。教科書の角でも当たったのか、痛そうだ。 いきなり攻撃されたからか、北斗はよろめく。大きな体は徐々に傾き、どごん、と壁にぶつかった。 ヘルメットが、がりっ、と壁に擦れる。ふと見ると、南斗がぽかんと口を半開きにして、私を見上げていた。 私は通学カバンを下ろしてから、壁にもたれている北斗を見下ろした。彼は、ゆっくりと顔を上げる。 「…れ」 「こないだの報復」 ああ、これでスッキリした。あの三日間に渡る特殊演習以来、一度、北斗にやってやりたかったことなのだ。 前に見たときと、ちっとも北斗は変わっていなかった。ダークブルーのゴーグルに、私が映る。 壁から背を外して、ゆらりと北斗は立ち上がった。混乱した様子で、声を上げる。 「礼子君、君は一体何を考えているのだ! 自分が君に、報復されるようなことをしたというのか!?」 「したよ」 私が頷くと、軍人将棋の駒を動かしていた南斗は手を止め、にやりと笑って北斗を指した。 「したよなぁ、思いっ切り。お嬢ちゃんの方が正しいぜ、北斗」 「…ぐう」 言い返せなくなったのか、北斗は変な声を出した。カバンが当たった部分なのか、頬を押さえている。 神田隊員は呆気に取られていたが、勢い良く吹き出した。笑いながら、北斗に言う。 「確かに、お前ならやりかねないよなぁ。報復されそうなことをさ」 「しかし礼子君、何も教科書の角で殴ることはないではないか。痛かったぞ」 笑い転げる神田隊員を無視し、北斗は口元を曲げた。私は少し考えてから、返す。 「それじゃ、靴なら良かった? ローファーの底で、背中にどっかん」 「いや、そういうことではなく…」 困ってしまったのか、北斗は頭を抱えた。でかいロボットが困っている姿は、なんだか可愛い。 私は攻撃が成功したことと、北斗をからかえたことで満足していた。神田隊員は、まだ笑い続けている。 北斗は、きっと神田隊員を睨み付けた。腹立たしげに、彼を指す。 「いつまで笑っているのだ、カンダタ!」 「いい加減に笑い止めよ、カンダタ」 鬱陶しくなってきたらしく、南斗は不機嫌そうに神田隊員を見た。なんだよ、そのカンダタってのは。 神田隊員は何度か深呼吸して、息を落ち着けてから、目元を擦った。笑いすぎだ。 「すまん」 「ていうか北斗、そのカンダタって何?」 私の問いに、北斗は神田隊員を指した。あんまり人を指しちゃいけないぞ。 「神田葵の通称だ。最初は自分も南斗も、神田隊員、と呼んでいたのだが、途中で詰まってしまったのだ」 「んで、カンダタ、と」 なんだ、元ネタは芥川龍之介じゃないのか。たぶん、ドラクエでもないだろう。 どっちにせよ、あだ名としては不憫なあだ名だ。どっちのカンダタも、れっきとした悪人だし。 確かに、響きはいいよね。だけど、呼ばれる方は溜まったもんじゃないだろう。 そう思っていたら、神田隊員はあからさまに嫌そうな顔になった。やっぱり嫌なんだ、この呼ばれ方は。 だが、言い返すこともなく苦笑した。長いこと呼ばれているので、諦めてしまっているんだろう。 「まぁ、葵ちゃんよりはマシだよ」 「…でしょうね」 私は、目の前のカンダタに苦笑した。確かに、大の男がちゃん付けで呼ばれるのはもっと嫌だ。 葵ちゃんには様々な思い出があるらしく、彼はあらぬ方向を見ている。聞きたいけど、聞いちゃいけない気がする。 カンダタ、もとい、神田隊員はジャケットの内側に手を入れ、タバコとライターを出した。マイルドセブンだ。 歪んだパッケージから一本出すと、銜え、慣れた手つきで火を点ける。深く煙を吸い込み、一気に吐き出す。 壁際にあった灰皿を引き寄せ、中に灰を叩き落とす。タバコを持った右手で、北斗を示した。 「さて、ここでオレの任務は終わりだ。北斗、感謝しろよ。非番だったから、付き合ってやっただけなんだぞ」 「そうそう。お前の素っ頓狂な我が侭を聞いてくれるのは、後にも先にもカンダタぐらいってもんさ」 良き理解者ってやつさ、と付け加えながら、南斗は軍人将棋の駒を進めた。とん、と敵陣地に駒を置く。 「ほい、撃墜。北斗、お前の元帥倒したぞー。前衛がら空きだったぜ」 「何ぃ!」 素っ頓狂に声を裏返し、北斗は南斗へ振り返る。がばっと、ゲームボードの前にしゃがみ込んだ。 しばらくボードを見つめていたが、がっくりと項垂れてしまった。いちいち、リアクションがオーバーな奴だ。 はぁ、と力の抜けるようなため息を吐いてから、北斗は立ち上がった。そして、びしりと南斗を指す。 「南斗、次は負けんぞ! そして、次回こそ自分が先に北斗の拳を読むのだ!」 「北斗と南斗、そんなことのために軍人将棋してたの?」 と、私はなんとなく笑いそうになってしまった。北斗と南斗が、北斗の拳を掛けて。似合いすぎる。 南斗はちょっとむっとしながら、軍人将棋の駒とゲームボードを片付けた。背後から箱を出し、中に入れる。 「そんなこととは失礼だな、お嬢ちゃん。あの無茶苦茶な世界の面白さが解らないのか?」 「いや、解るけどさ」 突っ込みどころ満載だから。私も一応、あの漫画は一通り読んだことがある。凄かった。 おお、と妙に感心したような声を出した北斗は、身を屈めた。私の目線に合わせ、ずいっと顔を寄せる。 「礼子君は、どの拳法の使い手が好きなのだ?」 「そういう北斗と南斗は?」 私が尋ねると、二人は間髪入れずに声を揃えて答えた。しかも嬉しそうに。 「ジャギ!」 ジャギ。なんでよりによって、北斗四兄弟の三男なのだ。オレの名を言ってみろ、ってやつだ。 せめて他の三兄弟なら話は解るよ、うん。ケンシロウは主役だし、トキはまともだし、ラオウは世紀末覇者だし。 まぁ、南斗六星は見事なまでに変態ばっかりだったけど、でもだからって。なんでまた、あのジャギ。 私が困っていると、神田隊員はまた笑っていた。マイルドセブンのフィルターを噛み締め、肩を震わせている。 北斗は私を覗き込むようにしながら、にぃっと笑う。あんまり近付かれたので、私は顔を逸らす。 「で、礼子君は?」 「んと、レイ…かなぁ」 とりあえず、私は無難な南斗水鳥拳の使い手を挙げる。この答えで、二人は納得したように頷いた。 まさか、言えやしないじゃないか。トキの真似事をして、トキに対する憂さ晴らししてた奴が好きだなんて。 根性の曲がりまくったアミバが、北斗の拳の中で一番好きだなんて。うわらば。 北斗に案内されて通されたのは、ロッカールームみたいな場所だった。 みたいな、ってだけで、辺りに置いてあるのは隊員の衣服じゃない。北斗と南斗の外装とか、装備とか。 床に並べてある左右の腕は、ビニールが掛けられている新品だ。TAKAMIYA、ってあるから、高宮重工製だ。 とにかく、男臭い代わりに金属臭い。丁度、車の整備工場みたいな匂いがしていて、空気が重たい。 狭くて多少汚い部屋を見回していると、北斗がロッカーの一つを開けた。扉には荒い字で、HOKUTOとある。 がしゃがしゃと金属音をさせながら中を探っていたが、ばたんとロッカーを閉めた。ちぃ、と舌打ちする。 「ええい、ここではなかったか!」 「ねぇ、北斗」 「ん?」 NANTOと書かれたロッカーに手を掛けた北斗は、呼ぶと振り向いた。私は、床の両腕を指す。 「北斗と南斗って、国産だったんだね。高宮重工の」 「そうだとも。知らなかったのか、礼子君?」 がばん、と南斗のロッカーを開け、北斗はその中に頭を突っ込んだ。おい、勝手に開けて良いのか。 だが、またもや目当ての物がなかったらしく、乱暴に閉めた。どがん、とロッカー全体が軽く揺れた。 北斗は別のロッカーを開けてから、ドアの前に立つ私を見下ろした。こん、と胸を叩く。 「自分と南斗は、高宮重工に存在する人型戦闘兵器を原型に作られた、量産型兵器なのだ」 ええい、と北斗はロッカーを閉めた。この分だと、北斗の探している物はこの部屋にはなさそうだ。 北斗もそう思ったようで、ドアの前から私を押し退け、廊下に出てしまった。おい、どこに行くんだよ。 廊下から、がしゃりとドアが閉められた。私は出ようかと思ったが、下手に出るとまずいと思い、身を引いた。 少し後退して、テーブルの前に置かれた椅子に腰掛ける。クッションのへたれた、丸いパイプ椅子だ。 私は通学カバンをテーブルに載せ、体の力を抜いた。知らない場所だから、結構緊張してしまう。 北斗が駆け回っているのか、壁越しに重たい足音が聞こえてくる。南斗らしき高めの声も、時折混じる。 なんだか、変な疎外感を感じてしまった。私って、何のために、ここにいるんだろうか。 うっすらと埃を被った蛍光灯を見上げていたら、心細くなりそうだ。いや、もう心細かったりする。 かといって、この部屋から出るわけにもいかないだろう。ああ、でも。 しばらく迷っていると、ドアの前で足音が止まった。すると、神田隊員が入ってきた。 「凄いだろ、この部屋」 「北斗、何してます?」 自分でも解るくらい、気落ちした声になってしまった。神田隊員はドアを閉め、後ろ手に外を指す。 「バレンタインのプレゼントを、まだ捜してるよ。でも、正直なところ、ありゃあ照れ隠しだな」 「そうなんですか?」 私は、きょとんとしてしまった。あのでかいのが、照れるのか。いや、まさかな。 神田隊員は、近くの丸椅子を引き寄せた。私から少し離れた位置に座ると、足を組む。 「オレの経験上だと、そうとしか思えないね。戦闘ロボットってのは、決まって女性には弱いものさ」 「えーと、詰まるところ、私は北斗に」 惚れられてるんですか、と言おうと思ったが、言えなかった。考えたくない、っていうか困る。 神田隊員は私の言葉の続きを察したのか、笑った。ドアの方を見、んー、と少し唸る。 「さあ、どうだかね。そうと言えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、少なくとも」 「好かれてはいるんですよね」 「嫌かい?」 「いえ、別に」 激しく好きじゃないけど、激しく嫌いでもない。私にとって、北斗ってのはそういうものだ。 でも、北斗は違うようだ。嬉しいようで、嬉しくないようで、微妙な気分。 目線をどこにやればいいのか解らず、私は神田隊員の背後に合わせた。禁煙、と張り紙がされている。 廊下の足音が、納まった。ようやく目当ての物を見つけたようで、北斗のはしゃいだ声が聞こえてきた。 神田隊員は少し残念そうだったが、立ち上がった。なぜか嬉しそうに、目を細める。 「ま、普通はそんなもんだよ。普通は」 「はぁ」 私は、気の抜けた返事をした。神田隊員て、いやに北斗に肩入れしている。なんでだ。 神田隊員がドアノブに手を掛けようと、手を伸ばした。するとその一瞬前に、ばん、と廊下側に開かれる。 北斗はでかい袋を担いで、部屋に入ってきた。どかん、とテーブルに置くと、神田隊員を睨む。 「カンダタ、なぜここにいるのだ!」 「北斗、そう怒るな。別にお前の邪魔はしないさ」 笑いながら、神田隊員は出て行った。じゃな、と私に手を振ってから、がちゃりとドアを閉める。 全く、と北斗は苛立ちながら言い捨てる。私は北斗を見上げ、とりあえず先手を打った。 「別に何もないよ。神田さん、普通にいい人だし」 「何かあろうがなかろうが、自分は気に食わんのだ!」 だん、とテーブルに両手を突き、北斗は私を見下ろす。ああ、あからさまに妬かれているよ、カンダタさん。 ということはつまり、やっぱりそうか。北斗は、私なんぞに友情以上の感情を持っているというわけだ。 あの戦いの最後に、北斗が私に告ったのは、勢いだけじゃなかったようだ。なんてこったい。 まじまじと見つめてくるダークブルーのゴーグルから、私は目を逸らした。やりづらいなぁ、もう。 北斗は、やっと体を引いた。まぁいい、とまだ不機嫌そうに言いながら、あのでかい袋を引き寄せた。 アーミーグリーンの布袋は、重たそうに膨らんでいる。北斗は、それを私に突き出した。 「さあ、受け取りたまえ礼子君!」 「中身、何?」 「チョコレートだ!」 「あのさぁ北斗。普通さ、バレンタインってのは女子から男子にやるもんでしょ? 変だと思わない?」 「自分は思わない! 欧米ではどちらから送っても構わないと言うではないか! ならば!」 「ここ日本。ジャパンでジパング、マルコ・ポーロ曰く黄金の国」 「礼子君」 「何よ」 私は、普通に突っ込んだだけだ。北斗は、へにゃりと肩を落とす。 「…そんなに君は、自分が嫌いか?」 「そうじゃないけど」 「ならばなぜ、屁理屈こね回して受け取ろうとせんのだ!」 身を乗り出し、北斗は迫ってきた。私はちょっと押されそうになったが、気を取り直す。 「だってさ。それもらっても、私は返すものがないもん。学校帰りだし、お金もそんなに持ってないし」 「別に自分は気にしないが。意外に神経質なのだな、礼子君は」 「神経質っていうか、一般常識っていうか。まぁ、もらったら返すのは普通だから」 「だが、ひとまず受け取ってくれたまえ」 と、北斗は重たい袋を差し出した。中に何が入っているのか、あんまり想像したくない。 私はそれを受け取ったが、見た名以上にずっしり重かった。チョコレート、どれだけ入ってるんだよ。 袋をテーブルの上に下ろして、固く締められている口を開いた。あれ、これ、見覚えがある。 手を突っ込んで、いくつか取り出してみた。一口大の、カラフルな包装紙に包まれたチョコレートだ。 そうだ、これは間違いない。私はチョコレートを持ったまま、北斗を見上げた。 「…チロル?」 「そうだ。チロルチョコだ」 「義理の代名詞みたいなもんじゃん」 げんなりしながら、私は袋を眺めた。この中全部が、一つ十円のチロルチョコだっていうのか。 そうだとも、と北斗は胸を張った。なんだ、この妙な自信は。どこから来るんだ。 「基地内の売店にあったものを、全て買ったのだ! これだけ種類があれば、どれか一つは好きだろう!」 「ビスケットは好きだな」 「そうか、ならば良かった! ビスケットは三十七個あるはずだぞ!」 満足げに、北斗は頷いた。その数を聞いた途端、私は食欲が失せた。多きゃいいってもんじゃない。 でも、これだけ量があれば、一ヶ月は持つかもしれない。チロルチョコだけど。 私は手の中のチロルチョコを、袋の中に戻した。げんなりはしたけど、嬉しくないわけじゃない。 「うん、まぁ。ありがと、北斗」 「それで、礼子君は何を返してくれるのだね?」 「さっき、気にしないとか言ってなかった?」 現金な北斗に、私はちょっと呆れた。はははははは、と北斗は高らかに笑う。 「もらえるものはもらうとも。銃撃と砲撃と偽情報以外は、ありがたくな」 「全くぅ」 なんだか可笑しくなって、笑ってしまった。仕方ないので、通学カバンを引き寄せて開ける。 めぼしいものはない。教科書に参考書、ノートに暗記カード、ペンケースにメガネケース。お昼ご飯の名残。 他の女子だったら、漫画とか化粧品とか、プリクラとかキャンディとかがあるんだろうけど、私にはない。 我ながら、実に色気のない学園生活だ。私は教科書を押しやって、カバンの底に埋もれていたものを出した。 携帯だ。二つ折りでカメラの付いた、少し前の機種の、淡いピンクの携帯電話。ストラップは、二つしかない。 私は、その携帯を取り出した。認識票みたいな長方形の金属板が揺れ、かちりと本体に当たった。 フリップを開いて、多少操作する。自衛隊基地にいる間に、家から電話があったらしく、着信履歴がある。 「後でうちに掛けないとなー、心配されちゃう」 携帯をいじりながら、私はもう一度、通学カバンの中を見た。やっぱり、いいものはない。 よし、決めた。今の私が北斗にあげられるものは、これくらいしかないのだ。 「北斗。私の携帯の番号、教えてあげる。それでいいでしょ?」 「礼子君との連絡手段か…少し待て。外部通信時の禁止事項を調べる」 そう言うと、北斗はこめかみの辺りを押さえた。何か、思い出すみたいなポーズだ。 数分してから、北斗は手を放した。にいっと、口元を上向けている。 「うむ、なんとかなりそうだ。軍事的政治的技術的機密以外の事項であれば、自分は礼子君と話せるぞ」 「軍事政治技術以外、ねぇ…」 ネコをデフォルメしたキャラクターが待ち受けになっている携帯を見下ろし、私は想像してみた。 私と北斗が、軍事政治技術以外の話を。まるで想像付かない、ていうか北斗にそれ以外の話題はあるのか。 なさそうだ。今まで、まるっきり戦闘しかしてこなかったロボットに、そうそう話題なんて。 いや。一つだけなら、共通の話題がある。携帯から目線を上げると、北斗は嬉しそうに声を上げた。 「礼子君、ジャギの話ならば存分に出来るぞ!」 「ジャギ限定なの? 北斗の拳全般じゃなくて?」 「そうだとも!」 こっくりと、北斗は深く頷いた。私は頭痛がしそうになったが、堪える。 「でもさ、それじゃすぐに話題が尽きるから。せめて全般にして」 「礼子君がそう言うなら、そうしよう」 とても楽しそうに、北斗は笑う。私と電話出来るだけで、そんなに嬉しいのか。 爽やかなんだか子供っぽいんだかよく解らない、北斗の満面の笑みを見つめ、私はぼんやり考えていた。 カンダタ、いや、神田隊員の言うことは確かだった。思っていた以上に、好かれているぞ。 確実に、北斗は私が好きなんだ。三日間の特殊演習が終わってからというもの、相当強くなっている。 そういえば私は、北斗に告られてそのままだ。返事をしようと思っていたことを、忘れかけていた。 だけどまだ、返事は出来なさそうだ。北斗のことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方だけど、でも。 そういう好き、じゃない。だから、今は答えないでおこう。北斗との連絡手段も、一応は出来たことだし。 珍しく乙女チックな思考に浸りながら、私は北斗を眺めていた。大笑いして、喜びまくっている。 たかが携帯の番号なのに。けど北斗に取っちゃ、されど、なんだろうな。 なんか、嬉しいかも。 北斗に携帯の電話番号を教えて、数週間。 連日の恐ろしい量の呼び出しとエンドレスなジャギの話に、私は心底うんざりした。いやマジで。 携帯の番号と一緒に電話の常識も、北斗に教えておくんだった。ああ、私の馬鹿オロカ。 今もまた、机の上に置いた携帯が鳴り出している。着信名は、北斗。おいこら、何度目だよもう。 でも、鳴らなきゃ鳴らないで、ちょっとばかり寂しいんだよね。変な話だけど。 仕方ない、出てやるか。 北斗が私を好きなように、私も北斗は嫌いじゃないから。 05 2/4 |