手の中の戦争




第十話 スカイ・フライ・ハイ



私は、こちらまで情けない気分になっていた。
つい先程、顔面から地面にダイブしてしまった北斗と南斗は、膝を抱えて背を丸め、ひどく落ち込んでいる。
北斗と南斗は、余程、居たたまれない気持ちになっているのだろう。気弱な表情で、目線を落としている。
気持ちは解らないでもない。だが、だからといって、なぜ私の座っている長机の前でそれをするのだろう。

「邪魔」

私が呟くと、北斗は顔を上げた。人間であれば、泣いているような声を出した。

「そう邪険にせんでくれたまえ、礼子君」

「ちょっとは励ましてくれよぅ」

南斗が、拗ねたようにむくれる。私は頬杖を付き、目を逸らす。

「自業自得。真面目にやらなかったからでしょ」

「そうとは限らへんよ、礼子ちゃん」

その声に目を上げると、ノートパソコンを手にしたすばる隊員がやってきた。今回も、白衣姿だ。

「すばるさん」

「まぁ、礼子ちゃんのゆうことにも一理あるんやけどね」

すばる隊員は長机にノートパソコンを置くと、開いた。白衣のポケットから、二本の太いケーブルを取り出した。
ノートパソコンの後ろ側にそのケーブルを差し込み、北斗と南斗に片方ずつ渡すと、二人は側頭部を開いた。
耳元から伸びていたアンテナ状のものが動き、続いて装甲も開くと、その中から少々大きいジャックが現れた。
二人は、そこにケーブルを差し込んだ。すばる隊員はそれを確認してから、ノートパソコンのキーボードを叩く。

「さっき、北斗と南斗が浮かんだところ見ながら、うちらの班は色んな計算をしとったんよね」

キーボードを操るすばる隊員の指先は滑らかで、かなり手慣れていた。

「そしたら、データを作っとる段階やと解らなかったような不具合がごろごろ出てきたんよ。さっきのもその一つでな、反重力状態やとバランサーがおかしゅうなるらしいねん。まぁ、考えてみたらそうなんよ。二人は、重力を受けていることを大前提にして造られたロボットやから、重力の弱い場所で活動出来るようには造られてへん。宇宙開発事業用やったら別やったんやろうけど、戦闘用やから重心をしっかり据えるんは当たり前のことや。せやけど、さっきはちょいとしっかり据えすぎたんよ。背部のジェットポッドが作動したから、重心が思い切り前に傾いてしもうたって二人の中のプログラムが判断して、それを戻そうとしたんよね。そやけど、バランサー回路に入っとった情報は、重力が弱まった状態でのデータなんてあらへんもんやったから、重心が変な方向にずれてしもうて、あないに間抜けなことになってしもたんよ」

ほんでな、とすばる隊員は北斗と南斗に繋げたケーブルを指す。

「直せるところは直さなアカンから、もっとデータをもらいに来たんや。外からだけやと把握しきれへんもん」

「それ、どれくらいの時間が掛かるんですか?」

私の問いに、すばる隊員は指折り数えた。

「二十人がかりでも二三時間は掛かるわ。何せ、北斗と南斗のプログラムは通常の何倍も複雑やからね」

「ご苦労様です」

なんて、大変な仕事なんだろう。私はその苦労を想像して、頭を下げた。すばる隊員は、手を横に振る。

「ええよ、そんなん。いつものことやし。ほんで、北斗、南斗、ダウンロードにはあとなんぼ掛かるんや?」

「四五分は掛かるかもしれねーなぁ。情報っつったって、色んなものがあるわけだし?」

南斗が言うと、北斗は頷いた。

「うむ。修正するべき部分だけを抜き出してそちらに落としたとしても、それだけでも大分量があるからな」

「ほな、しばらく待っとるわ。うちも休みたかったしな」

すばる隊員は長机に腰掛けると、深く息を吐いた。私達は暇なのだが、すばる隊員は相当忙しかったのだろう。
ちょっとだけ、罪悪感が湧いてしまった。だけど、私にはどうしようも出来ないことなので、何も言わなかった。
特殊機動部隊として行動を同じくしている時には見えないけど、こうして別れてみると、温度差が目に見えてくる。
自衛隊と高宮重工、公務員と民間人、戦闘員と非戦闘員。これが、住む世界の違い、というやつなのだろう。
私は自衛隊から地位を与えられた一自衛官だが、すばる隊員は高宮重工からの派遣社員のようなものだ。
すばる隊員はきっと、私の知らない部分で、その温度差を感じているのだろう。今も、感じているに違いない。
彼女の俯いた横顔を覗き見ると、心なしか寂しげだった。その寂しさの大半は、神田隊員への恋心からだろう。
すばる隊員の切なげな目を見つつ、私は先日の神田隊員を思い出した。色々と、情けないことを言っていた。
十年前の恋がまだ吹っ切れていないから、すばる隊員に好意を持っているのに示せない、とかなんとか。
鈴音さんとのやり取りからして、神田隊員もすばる隊員が思いを寄せていることには気付いているようだった。
そして、神田隊員も、今までは表には出さなかったがまんざらでもなかったようだし、好きであると感じた。
つまるところ、両思いなわけだ。だが、神田隊員がヘタレなために、すばる隊員が切ない思いを味わっている。
私は、無性に神田隊員の後頭部を張り倒してやりたくなった。ヘタレ過ぎるのも罪なんだぞ、と教えたい。
すると、足音が近付いてきた。すばる隊員も顔を上げたのでそちらを見ると、当の神田隊員が戻ってきた。

「ご苦労様です、すばるさん」

「あ、神田はん」

すばる隊員は今し方までの表情を消し、柔らかく笑んだ。神田隊員は、手に缶コーヒーを持っていた。

「隊長は?」

「萎えた、って言って、どこかに行きました。たぶん、人気のないところでタバコ吸いまくってるんじゃないですか」

私が返すと、神田隊員は苦笑いした。

「気持ちは解るなぁ…」

すばる隊員は、ぼんやりと神田隊員を見つめていた。見慣れない礼服姿の神田隊員に、見取れているようだ。
私も、すばる隊員の気持ちは解る。私とは違って、神田隊員が硬い服を着ていると、様になっているのだ。
背が高くて肩幅も広いので、見栄えが良い。戦闘服姿の時とはまた違った精悍さがあり、男らしくもあった。
鈴音さんは神田隊員の礼服姿を似合わないと言っていたけど、私は結構似合っているんじゃないかと思う。
神田隊員はすばる隊員の視線に気付き、すばる隊員に向いた。すばる隊員はちょっと戸惑ったが、笑った。

「なんや、神田はん、カッコええなぁって思て」

「そう言ってくれるのはすばるさんだけですよ。ありがとうございます」

神田隊員は褒められたことが照れくさいのか、気恥ずかしげに笑った。すばる隊員も、照れてしまう。

「え、まぁ、だってホンマにそうなんやもん」

二人して照れている様は、まるで中高生の恋愛を見ているようだった。どっちもどっち、といった感じである。
微笑ましいというか、じれったいというか。でもこれは、私が手を出していい問題ではないので、黙っていた。
北斗と南斗は、見ちゃいられない、とでも言いたげに、顔を逸らしていた。うん、私もそんな感じの気分だ。
不意に、ノートパソコンから電子音がした。すばる隊員ははっとすると、モニターを見、キーボードを叩いた。

「データのダウンロード、無事に完了したみたいやな。北斗、南斗、ケーブルを外してもええで」

「ほいよー」

南斗がずぼっとケーブルを抜くと、北斗も側頭部のジャックから引っこ抜いた。

「意識がある時にデータをダウンロードするというのは、あまり気分の良い感覚ではないな」

「ほな、また後でな」

ケーブルをポケットに入れ、ノートパソコンを閉じたすばる隊員が歩き出そうとすると、引き留められた。

「あ、ちょっと」

神田隊員の手が、すばる隊員の腕を掴んだ。すばる隊員はぎくりとして、立ち止まった。

「はい?」

「これ、良かったら」

神田隊員は、すばる隊員の白衣のポケットに缶コーヒーを押し込めた。すばる隊員は、頬を淡く染める。

「あっ、でも、悪いやん」

「こっちこそ、悪いですから。すばるさんとか高宮とかが忙しいのに、何もしていないんですから」

神田隊員が笑うと、すばる隊員は次第に頬を紅潮させ、見ている方まで恥ずかしくなるほど真っ赤になった。

「そんなん、別に…」

「仕事、頑張って下さいね」

そう言いながら、神田隊員はすばる隊員の腕を放した。

「がっ、頑張ってきますー!」

すばる隊員はノートパソコンをしっかり抱えて、白衣の裾を翻しながら、技術者達のいるテントに走っていった。
私は、なんとなく彼女の背を見つめていたが、ふと神田隊員を見上げた。神田隊員は、右手を緩く握っていた。
それは、すばる隊員の腕を掴んでいた方の手だった。腕の感触でも思い出しているのか、指を軽く曲げている。
彼の眼差しは、すばる隊員の後を追っていた。十年前の恋の話をしている時と同じように、切なげだった。
だが、あの時と違って懐かしげではなく、苦しげだった。昔の恋を踏ん切れていないことからの、罪悪感なのか。
すると、神田隊員はこちらに向いた。ポケットからもう一本缶コーヒーを取り出すと、私の前に置いてくれた。

「礼子ちゃんにも、これ。座りっ放しで疲れているだろうから」

「どうも、ごちそうさまです」

私はその缶コーヒーを、ありがたく受け取った。神田隊員はマイルドセブンを取り出し、私に見せた。

「それじゃ、オレも適当なところで吸ってくるから。試験が再開されたら、戻ってくるよ」

「いってらっしゃーい」

私は、神田隊員に手を振った。神田隊員は私に手を振り返しながら、行き交う人々の間を擦り抜けていった。
その大きな背が見えなくなってから、手を下ろした。神田隊員も神田隊員で、思うところがあるようだった。
北斗と南斗も神田隊員の背を見送っていたが、南斗は胡座を掻いた。不可解極まりない、といった口振りだ。

「カンダタもすばる隊員も、わっけわかんね」

「二人とも、なぜあれぐらいのことで狼狽えるのだ?」

北斗も、不思議そうにする。私はその理由を説明しようかと思ったが、二人に野暮なので、言わないことにした。
他人の恋路は、邪魔してはいけない。北斗と南斗に余計なことを言ってしまったら、二人は十中八九邪魔をする。
それを防ぐためにも、余計な情報は与えない方がいい。そう判断した私は、缶コーヒーを振って中身を混ぜた。

「そんなことよりも、次はちゃんとやってよね? また顔面ダイブなんてしないでよね」

「そこでだ、礼子君!」

北斗はいきなり立ち上がると、詰め寄ってきた。

「次の試験が始まるまでに、訓練を行おうと思うのだ!」

「オレらってさ、経験重ねて強くなるタイプじゃん? だからさ、マジやっとくべきだと思うんだよね!」

南斗も立ち上がり、私ににじり寄ってきた。私は缶コーヒーを両手で持ったまま、ずり下がる。

「だけど、いいの? 勝手にそんなことして。試験に差し障りが出ない?」

「んじゃ、一応所長に許可仰いでくるわ」

マジめんどいけど、と付け加えてから、南斗は鈴音さんの姿があったトレーラーに向かって駆け出していった。
南斗と入れ違いに、グラント・Gがやってきた。Hay、とドリルの付いた左手を振りながら、私達の前に来た。

「礼子、North star 。ナカナカ上手ク行カネェミタイダナ?」

「なかなか、な。何せ、反重力装置を用いて飛行するのは初めてのことであるからな。何分、経験が皆無なのだ」

北斗は、情けなさそうに口元を歪めた。グラント・Gは北斗を見上げ、ライトブルーのゴーグルを光らせた。

「経験、カ。ナァ、North star 。オ前ハ、オレノ Former times ヲ知ッテイルンダヨナ?」

北斗は一瞬躊躇ったが、口を開いた。

「ああ。知っておるぞ。グラント・G、お前は自分達にとって脅威の存在であった。人工無能ロボットの部下を大量に率いて、自分と南斗と礼子君を追い詰め、深い傷を与えたのだ。米軍の誇る兵器であり、シュヴァルツ工業の自信作だったのだが、自分達に二度も敗北したためにシュヴァルツ工業と米軍から放逐されてしまったのだ」

「Oh........」

グラント・Gは、少しだけ笑った。自虐だった。

「ヒドイ Life ダゼ。ソレガオレノ Former times カ、North star? ダガオレハ、ソレヲ一切覚エチャイネェンダヨナ」

「ああ。お前は米軍から放逐される際に、過去の記憶を全て奪われてしまったからな」

北斗の言葉に、グラント・Gは俯いた。だが、すぐに顔を上げる。

Thank you,brotherありがとな、兄貴

グラント・Gは少々気恥ずかしげに、ペンチ状の手で頭を押さえた。

「オレガオ前ラニ Defeat シタッテコトハ、オ前ラハオレト全力デ Battle シテクレタッテコトダロ?」

「ああ、そうだ。お前は自分達と全力で戦い、自分達もお前と全力で戦い、そして、お前を滅ぼしたのだ」

北斗の、冷淡な言葉が続く。だが、グラント・Gは嬉しそうだった。

「Hahahahaha! ソレコソ、オレ達 Aggressive weapon ノアルベキ姿! サゾヤ誇リ高イ戦イダッタロウゼ!」

「グラント」

私は、グラント・Gが無理をしているようにしか見えなかった。グラント・Gは私に向くと、肩を竦める。

「礼子。勘違イスルナ、オレハ別ニ Former times ヲ嘆イテイルワケジャネェ。タダ、昔ノオレハ役立タズノ Doll ダッタカラ捨テラレタンジャネェカッテ、Worry ダッタノサ。ダガ、North star ノオカゲデハッキリシタゼ。前ノオレハ、very very 強イ Aggressive weapon ダッタッテコトガナ!」

「まぁ、礼子君には解らん感覚だろうがな。自分達はあくまでも道具であり、兵器なのだ」

北斗がにやっとすると、グラント・Gはドリルを振り上げ、ぎゅいっと一回転させる。

「Oh yeah! ダカラオレ達ハ、人間ノ役ニ立テルコトガ Happiness ナノサ!」

「そっか」

私は、グラント・Gの明るい言葉に安堵した。思っていたよりも、グラント・Gは割り切った性格のようだった。
悲惨な過去を否定するどころか、そこからいい部分だけを抜き出して誇りに出来るなんて、随分と心が強い。
伊達に最前線に立っていたわけではない、ということか。グラント・Gは右手をばちんと鳴らし、私に差し出した。

「礼子! オレガオ前ラノ Team ニ配属サレタラ、色々ト教エテクレヨ? コレカラハ Companion ナンダカラナ!」

「こちらこそ」

私は、グラント・Gの手に触れた。北斗と南斗のそれとは違い、作業用機械のような、いかついものだった。
Oh、とグラント・Gは歓声を上げた。私が手を離すとグラント・Gは、ばちんばちん、とペンチの手を打ち鳴らす。

「礼子ノ手ハ soft ダナ! Marshmallow ミタイダゼ!」

「北斗ー!」

トレーラーが並んでいる方向から、南斗が手を振り回しながら帰ってきた。

「所長、訓練してもいいってよー!」

「おお、そうか! ならば即刻始めようではないか!」

北斗は南斗に返してから、やたらと爽やかな笑顔になり、空を指した。

「それでは礼子君、これから自分達は訓練を行う。次こそは、見事に空を飛んでみせようぞ!」

「今度はドラゴンボールごっこなんてしないでよね。ついでに、私に役を振ったりしないでね。絶対にやらないから」

また、さっきみたいなことを始められたらたまらない。私が釘を刺すと、北斗は心外そうにする。

「解っておる。あまりやりすぎると、所長から蹴り倒されてしまうしな。フェラガモのヒールは痛いのだ」

では、と北斗は南斗の元に歩き出そうとしたが、足を止めた。急に振り返ると、おもむろに手を伸ばしてきた。
何をするのかと思っていると、手袋を填めていない大きな手が、私の頬に触れた。冷たい、金属の感触が広がる。
硬く角張った指先が滑り、そっと撫でてきた。私が状況を理解するよりも先に、北斗は手を引いて、離れた。

「そうだな。グラント・Gの言う通りであるぞ」

私が呆気に取られている間に、北斗は南斗の元に走っていった。さあ始めようではないかっ、と意気込んでいる。
頬には、冷たくて硬いものが押し当てられた感触が強く残っていた。力任せに拭ってみても、消えなかった。
不意打ちも不意打ちだったので、何も出来なかった。言い返すための文句を、思い浮かべる暇もなかった。
ドウシタ、とグラント・Gが私を覗き込んできた。私は北斗に触れられた方の頬を押さえ、彼女から顔を逸らした。

「…なんでもない」

何度手で擦っても、感触が拭い取れない。それどころか、あの訳の解らない動揺が起きて、胸の辺りが痛くなる。
北斗の手は、あんなにも大きかったんだ。そんなこと、今の今まで知らなかった。だけど、それだけのことだ。
あいつの手が大きいからって、なんなんだ。別にどうでもいいことじゃないか、動揺することでもないはずだ。
だけど、ずきずきする。内側から締め付けられるみたいな、変な感覚が起きてきて、やりづらくて仕方ない。
これは、一体、なんなんだろう。





 


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