手の中の戦争




第十三話 スクール・ウォーズ 前



翌日。至って平穏な、気持ちの良い朝だった。
寒々とした青空が住宅街の上に広がり、白い雲がまばらに散っていて、その端々が朝日で眩しく輝いていた。
アスファルトを走ってきた冷たい風が頬を切り、短く切ったばかりの後ろ髪を揺さぶり、私は首を縮めた。
そろそろ、マフラーを出しておく時期なのかもしれない。コートも出して、クリーニングに出してもらわないと。
私はセーラー服の上に着た厚手のカーディガンの襟を掻き合わせ、生徒達がまばらに通る通学路を歩いていた。
片手で持っている通学カバンが、結構重い。教科書とノートとグロック26、それと、実弾のマガジン入りだ。
武装強化の命令に合わせ、支給されたのだ。といっても、いつもはマーカー弾入りのマガジンを装填しているが。
落としたりしたら、弾丸がおかしくなってしまうかもしれないので、私は気を張って通学カバンを持っていた。
住宅街の隙間を縫っている道路と、太めの道路が交差する十字路の横断歩道で、奈々が私を待っていてくれた。

「おはよー、礼ちゃん」

寒さからか、奈々の声はちょっとだけ弱かった。私は奈々に歩み寄ると、並んで歩き出した。

「おはよう、なっちん」

「礼ちゃん。修学旅行さぁ、どこに行くか決めた? 私、まだ決められてないんだよねー」

面白そうなところが多いんだもん、と奈々は唇を尖らせる。私は、班の中でリストアップした場所を数える。

「そうだね。金閣寺と銀閣寺のどっちに行くかもそうだし、京都市内だけでも大きな寺院は沢山あるし、絞るにはまだまだ時間が掛かりそうだね。男子共は派手な場所に行きたいみたいだけど、私は神社仏閣を回りたいなぁ。まぁ、清水寺は初日に全クラスで行くから良いんだけど」

「そうそう。受験に備えて、お守りも一杯買わなきゃだしね! 私の実力なんてたかが知れてるんだもん、神様にも仏様にもしっかり頼らなきゃ!」

奈々は、力を込めて意気込んだ。私は彼女の下心に呆れつつも、その気持ちは解らないでもなかった。

「まぁ、ね。でも、買いすぎるのも良くないよ」

「えー、そうー? 買えるだけ買っておいて、縋れるだけ縋っちゃった方が良くなくない?」

にんまりする奈々に、私は言葉に詰まった。奈々の言うことにも一理あるような、ないような、いや、絶対にない。
そう思い直し、私はにやにやしている奈々に目を向けた。頼りすぎると、いざというときにダメになってしまう。

「これって決めたところのだけにしておきなよ。あんまり他人に頼りすぎると、肝心な時に負けちゃうと思うよ」

「そっかなぁー」

奈々は、不満げに頬を膨らませる。そうだよ、と奈々に言おうとして、私は思わずその言葉を飲み込んでしまった。
私達の歩く手前に、見慣れた後ろ姿がある。中学生にしては高めの身長に比例して、程良く広い、彼の背だった。
通学カバンを肩に乗せるように持ち、ジャージの入ったスポーツバッグを提げている。奈々は、彼に手を振る。

「おはよー、沢口君!」

彼、沢口君は、奈々の元気の良い声に振り返った。その瞳は奈々を捉えずに、真っ直ぐに、私を見据えてきた。
私は、初冬の寒さとは違う冷たさを感じ、身震いしてしまった。沢口君の鳶色の瞳には、一切の光がなかった。
そして、底がなかった。視線を合わせていない奈々には感じられないのか、奈々は笑顔を彼に向けている。
沢口君の眼差しが私から外れると、彼の瞳にも光が戻ってきた。いつもの穏やかな笑みを、目元に浮かべた。

「おはよう、桜田さん、鈴木さん」

「沢口君の班ってさー、グループ研修の日程、決まった?」

奈々は沢口君に駆け寄ると、歩調を合わせた。私は仕方なく奈々の後を追って、沢口君のすぐ後ろに付いた。
沢口君は、テンポ良く話し掛けてくる奈々に、当たり障りのない答えをしながら、たまに私に目を向けた。
その目線は優しかったけど、私は先程の凍えるような瞳を思い出してしまうので、目を逸らしてしまった。
すると、視界の端で、沢口君は笑った。切れ込みを入れるかのように、うっすらと、口の端を上向けた。
慌てて目線を戻すと、沢口君の表情は元に戻っていた。奈々との会話に戻り、楽しげに声を弾ませている。
私は、気付かないうちに鼓動が強くなっていた。緊張とも戸惑いとも付かない感情が、背筋を冷やしている。
なんだろう、今の笑顔は。さっきの瞳といい、あの笑顔といい、世の中にあんなに冷たい表情があったのか。
沢口君が、李太陽に戻ったのかもしれない。私は通学カバンの取っ手を握り締めていたが、奈々に呼ばれた。

「礼ちゃん、どしたの? 早く行こうよ」

振り返った奈々は、きょとんと目を丸くしている。沢口君も振り返り、私に向いた。

「鈴木さん。具合でも悪いのかい?」

「別に、なんでもない」

私は歩調を早め、二人に追い付いた。奈々はちょっと訝しんでいたが、またすぐに沢口君との会話に戻った。
沢口君を、あまり見たくなかった。なので、下ばかり向いていたために、周囲に気を配る余裕はなかった。
たまに目線を上げると、見慣れない車両が路肩に駐車してあった。この辺りの人は、持っていない車だった。
だけど、私はそれを気に掛けることも出来ず、次第に近付いてきた中学校に向かって、ただひたすら歩いた。
背中に貼り付くような、嫌な予感を感じていた。




一限目と二限目を終えて、三限目が始まる頃だった。
始業のチャイムが鳴っても、先生は入ってこなかった。足音も聞こえてこず、皆、拍子抜けした顔をしている。
私も、世界史の教科書とノートを机に載せて、廊下の方を見ていた。もしかすると、何かあったのだろうか。
窓際に座っている生徒の一人が、窓へと身を乗り出した。あっ、と声を上げると、窓の外を指差して叫んだ。

「あれ、自衛隊じゃね!?」

その単語に、私はぎくりと動揺してしまった。なんだ、なんで、どうして。そんな話、誰からも聞いていないぞ。
慌てて立ち上がって窓際に駆け寄り、外を見ると、確かに校門付近にミリタリーグリーンの車両が止まっている。
幌が張られた人員輸送用のトラック、高機動車、装甲車まである。迷彩の戦闘服を着た、自衛官もちゃんといる。
彼らは自動小銃を背負っていて、武装に身を固めていた。どこからどう見ても、陸自の人達に違いなかった。
私は眼下の光景を凝視していたが、自分の机に戻った。通学カバンを開けて、携帯電話を取り出して確かめた。
電話もメールも着信していない。ということは、一体どういうことだ。私に連絡があるのが、普通ではないのか。
確かめるために電話を掛けようと思ったが、手を止めた。仮にも今は授業中だ、それにここでは彼の目がある。
携帯電話を閉じて沢口君を窺うと、沢口君はこちらを見ていた。私と視線を合わせると、何か、言ったようだった。
遠いから声は聞こえなかったが、口の動きで解らないでもなかった。戦いの始まりだ、と、言ったように思えた。
戦い。誰と。考えるまでもない。私だ、いや、特殊機動部隊と自衛隊と高宮重工との、戦いを始める気なのだ。
となれば、あの自衛隊は当然ながら偽物だ。シュヴァルツ工業の配下の、戦闘部隊が偽装しているに違いない。
だけど、どうして。私が戸惑うと、沢口君は廊下に向いた。その視線の先から、複数の足音が近付いてきた。
先生かと思ったが、それにしては数が多い。私がその音を辿っていると、足音は教室の扉の前で止まった。
扉を開けたのは、担任の江島先生だった。先生が入ってくると、それに続いて屈強な男達も踏み込んできた。
ジャングルブーツを履いた足が並び、背負われた自動小銃の銃口が天井を睨む。一斉に、皆は正面に向いた。

「皆、慌てないで聞いて欲しい」

いつになく緊張感に満ちた江島先生と、戦闘服姿の男達に、クラスメイト達はただならぬものを感じたようだ。
初めて目にした自動小銃に圧倒されているのかもしれないし、男達の目の鋭さに怯えているのかもしれない。
私は、通学カバンの中のグロック26を取り出す機会を窺ったが、この分だと通学カバンからは出せそうにない。

「近隣住民からの通報で、この近くに不発弾が埋まっているのが見つかったそうなんだ」

江島先生が言うと、自衛官の一人が踏み出た。これも偽物だろうけど、階級章は二等陸尉となっている。

「安全を考慮し、付近住民の皆さんには避難して頂かなくてはなりません。どうか、ご協力下さい」

その内容に、私はまたも驚いたが顔に出さないようにした。だが、それを全ては押さえられなかったようだった。
なんだ、なんなんだ。その設定は、私と北斗が初めて会った時の特殊演習の設定と、全く同じものじゃないか。

「グラウンドには自衛隊の車両が入っているので、一時的に体育館への避難を行って下さい。街の外へは、我々が誘導しますので」

二尉が、体育館の方を示した。江島先生は、私達を見渡す。

「避難訓練の時と同じ要領だ。学級委員の指示に従って、慌てずに、落ち着いて行動するように」

クラスの皆は、机の上を片付けてから立ち上がった。マジかったりー、などと所々から文句の声が上がっている。
授業がサボれると解って嬉しいのか、笑っている男子もいる。事の重大さを知っているのは、私と沢口君だけだ。
私も、避難しておいた方がいいのかもしれない。生徒の間に紛れていれば、敵も攻撃を仕掛けにくいだろう。
携帯電話をポケットに押し込んで立ち上がると、沢口君が近付いてきた。その表情は、至極穏やかなものだった。
私が警戒心を抱くよりも先に、沢口君は私の懐に滑り込むと、拳を打ち込んだ。突然の痛みに、声が出なかった。
夏祭りの時に打たれた打撃よりも、もっと重くて力のあるものだった。痛みと苦しさで、頭がくらくらしてくる。
動かなきゃ、逃げておかなきゃ、助けを呼べなくなる。私は必死に意識を戻そうとするが、勝手に薄らいでいく。
とうとう体を支えられなくなって、私はよろけた。沢口君は私を支えると、手を上げて、江島先生に言った。

「先生。鈴木さん、貧血みたいなので僕が後から連れて行きます」

「一人で大丈夫か、沢口?」

何の疑いも持っていないのか、江島先生はこちらを見ただけだった。沢口君は頷く。

「はい、平気です。後からちゃんと行きますんで」

そうか、と江島先生は皆と一緒に体育館に向かった。私は痛みを堪えながら動こうとしたが、押さえ込まれた。
背中に回された腕は固くて、見かけよりずっと筋肉質だった。顔に押し当てられている胸も、結構厚かった。
でも、北斗に比べたら大したことはない。今頃、どうしているのだろう。海の上で、戦っているのだろうな。
私が咳き込むと、再度、沢口君の拳は私の腹を抉った。胃ではないのは、無駄に吐き戻させないためだろう。
二度目の打撃を堪えられるほど、私は強くなかった。意識は薄らいで、視界はぼやけ、ぐらりと世界が傾いた。
倒れた先は、沢口君の腕の中だった。




腹の鈍い痛みと、手首に足首に冷たいものが触れる感覚で、私は目を覚ました。
頬が冷たい。体が重たい。何度か瞬きして視界を取り戻したが、ここがどこなのか、すぐには解らなかった。
冷たい、板張りの床。無造作に積み上げられた机と椅子。埃っぽい黒板。カーテンの閉められている窓。
教室のようだが、三年A組の教室ではない。使われていない様子なので、恐らく、三階の左端の教室だ。
昔は生徒数が多かったので、各学年はD組まであったのだが、生徒の減少に伴ってC組までとなったのだ。
普段は物置として使われているので、埃だらけだった。私は咳き込もうとしたが、上手く息が出来なかった。
口を無理矢理開かれて、その間に布が挟み込まれて縛り付けてある。下手に喋らないように、ということか。
舌を噛んで自決させないためかもしれない。まぁ、私には、自分から命を捨てられるほどの覚悟はないが。
体を起こそうとしても、両手両足が使えないので動けなかった。それでも目は動くので、下に向けてみた。
そして、驚いた。セーラー服もスカートも上履きも脱がされていて、着ているのは下着程度になっていた。
なんだなんだ、これはどういうことなんだ。さすがに恥ずかしくなって、身を縮めようとしたが出来なかった。
がしゃっ、と手首と足首から金属音がする。指を動かしてなぞってみると、どうやらこれは、手錠らしい。
両手両足を拘束している手錠の鎖に紐が渡してあり、双方を結びつけている。私は、エビ反り状態のようだ。
なんて格好悪い。半裸でそれはないだろう。状況の最悪さを差し置いて、私が思ったことはまずそれだった。
目が覚めて鈍っていた感覚が戻ってきたので、寒さが身に染みてきた。この季節にこの恰好では、風邪を引く。
私は目を動かし、辺りを窺った。床の向こう、教卓の傍に何かが散らばっている。見覚えのある、紺色だ。
それは、私の制服だった。セーラーの襟もスカーフもプリーツスカートもブラウスも、全て切り裂かれている。
うわぁ、なんてことをしてくれたんだ。あまりのことに私がぎょっとしていると、足音が頭上に近付いてきた。

「お目覚めかな」

硬くて冷たい感触が、私の側頭部を抉った。

「鈴木さん?」

考えるまでもなく、それは銃口だった。その声がした方に目を向けると、自動小銃を手にした沢口君がいた。
学ラン姿のままで、武装している。自動小銃だけでなく、コンバットナイフと拳銃も装備しているのが解る。
沢口君は、学ランのポケットを探った。そこから取り出されたものは、私と北斗のドッグタッグだった。

「君も器用な人だ」

沢口君は、ズタズタになっている私の制服に目をやった。

「制服の中に内ポケットなんか作って、これを入れていたんだから」

そういえば、そうだった。用心しておこう、と思って、私は自分の制服にやれるだけの小細工をしておいたのだ。
ドッグタッグを普通にポケットに入れておけば落ちてしまうかもしれないので、内ポケットを作っておいた。
でも、その場所がちょっと面倒な場所なのだ。セーラーの襟の下辺り、背中の上側に作っておいたのである。
そこならば、セーラーが邪魔をして膨らみが解らないし、ぴったり押さえ付けてしまえば金属音もしなくなる。
良い場所だと思ったのだが、切り裂かれてしまってはばれて当然だ。凄く面倒だったのに、その苦労が台無しだ。
沢口君は、私と北斗のドッグタッグだけでなく、私の携帯電話も取り出した。それを、私の頭上に投げ捨てた。

「今頃、君の仲間達は海上戦の真っ最中だそうだね。無線を傍受させてもらったよ」

沢口君は、SIG・P220の銃身をスライドさせた。自衛隊に偽装するためとはいえ、徹底している。

「日本海側は、こちらから距離にして約千五百キロ。太平洋側も、千キロ近く離れている。君の仲間達が、こちらの異変に気付いて、君を助けに来たとしても、もう手遅れになっているだろうさ」

SIG・P220の銃口が、私の携帯電話を睨んだ。

「誰も、君を助けになんて来ないんだ」

引き金が押し込まれると、間近で発砲音が響いた。硝煙の匂いと音の強い衝撃に、私は顔をしかめてしまう。
ぴん、と金色の薬莢が飛び、床に転げた。撃ち抜かれた携帯電話は、無惨に抉れた穴から、煙を上げていた。
目の前でやる必要はないと思うが、敢えて私に見せ付けることで、より一層深い絶望感を味わわせるためだろう。
その効果は、覿面だった。私は最後の頼みの綱である携帯電話をやられたことで、強い恐怖感に襲われていた。
グラント・Gとの戦いで味わったものなんて目じゃないくらいに、泣き出してしまいたいほど、怖くなっていた。
殺される。死んでしまう。両手を固く握り締めて必死に堪えていたが、それでも全部は我慢しきれなかった。
猿ぐつわを噛まされているので声は出なかったが、涙は少し出てしまった。こんなことで、泣いてはいけない。

「だけど」

沢口君は私の前に膝を付くと、私の顎を持ち上げた。冷たい、手だった。

「僕らは、君を助けられる」

何を言っているのか、解らなかった。沢口君は、私の埃と涙に汚れた頬を、慎重に拭った。

「シュヴァルツに付け、鈴木さん。君は、こちらの世界の人間になるべきだ」

聞きたくない。でも、聞こえてくる。

「君は、十年前のあの事件で、マシンソルジャーに襲われた経験がある。マシンソルジャーに対して、畏怖と敵意を持っているはずだ。僕らは、そのマシンソルジャーを打ち倒すための戦いをしているんだ。彼らは危険だ。十年前と同じく、人類に危機をもたらす危険性がある。だから、僕らは戦わなければならない。犠牲を出さないためにも」

違う。そうじゃない。

「北斗と南斗と呼ばれる人型兵器もそうだ。あれは気の違った高宮重工が造った、とんでもない危険物だ。人に良く似た姿をしているが、その破壊力は計り知れない。あれらが今以上の機能を得る前に、破壊しておかなければならないんだ。高宮重工とマシンソルジャーが、世界を制してしまう前に」

私の脳裏に、先月の出来事が蘇る。高宮屋敷で会ったリボルバーとインパルサーは、決して危険などではない。
リボルバーは乱暴だけど、荒っぽいけど、優しいところもある。その証拠に、私を赤い戦車から助けてくれたんだ。
インパルサーも、見るからに強そうだけど、とても穏やかな人だった。あのガトーショコラの味は、忘れられない。
北斗も南斗も、危険なんかじゃない。北斗が私に触れたり、抱き締めたりする手付きは、とても、優しいのだから。
私は、縛られている苦しさや痛みよりも、皆が非難される方が悲しかった。北斗の名前が出てくると、もうダメだ。
でも、泣いたらいけない。下手に感情を波立ててしまっては、戦える時に戦えなくなってしまうかもしれないのだ。
沢口君は私を見ていたが、頬に触れていた手を外して立ち上がった。無線と思しきイヤホンを、耳に入れる。
何を聞いているのかは聞こえなかったが、沢口君の表情は真剣だった。しばらくそうしていたが、返事をした。

「了解」

沢口君は耳から手を離し、SIG・P220をホルスターに差し込んで、肩に担いでいた自動小銃を下ろした。

「鈴木さん」

沢口君は私を起こさせると、私の両肩を掴んできた。



「僕は、鈴木さんが好きだ」





 


06 8/8