ちっとも、嬉しくなかった。 そりゃ、縛られて銃口で狙われた相手に言われたから、というのもあるが、動揺も戸惑いもしなかった。 心に決めた相手がいると、その相手しか見えない。だから、こうして好きだと言われても、平気なのだろう。 それか、もしくは、好きだと言われ慣れているのかもしれない。北斗も南斗も、常日頃から言ってくるから。 きっとそうだ。だから私は、目の前で沢口君から好きだと言われても、意識なんて欠片もしないのだろう。 これで、もう少し前だったら違っていたのかもしれない。まぁ、この状況で告白されて頷く女はいないと思うが。 沢口君は、真剣な顔付きだった。でもそれは演技である可能性が高いので、私はそれを信じないことにした。 「鈴木さん」 そう呼ばれても、答えようにも答えられない。私が声にならない声を漏らすと、沢口君は猿ぐつわを解いた。 「本当は、ここまでしたくはなかったんだけどね」 嘘だ。そうだったら、制服を切り裂いたりするものか。私が言い返さずにいると、沢口君は続けた。 「小隊長の方針でね。徹底的にやっておいた方がいいってさ」 それは恐らく、あの二尉のことだろう。その意見には私も同意する。そういうところは、手を抜かない方がいい。 私がむっとして黙っていると、沢口君はちょっと意外そうに目を丸めた。私の前に、胡座を掻いて座った。 「悲鳴も上げないんだね」 「上げたら殴られるって解っていて、上げる馬鹿がいるもんですか」 私が呟くと、へぇ、と沢口君は感心した。あの、酷薄な笑みが浮かぶ。 「伊達に人質稼業をやっていたわけじゃなさそうだね」 「人質っていうのは、殺されないのも仕事だから。無駄に抵抗すれば、敵もろとも射殺される可能性があるから」 私は正座を崩そうとしたが、両手両足の手錠を繋いでいる紐が短いため、少ししか動けなかった。 「もちろん、助けてくれることを信じていなければならないんだけど、自衛隊って実戦経験がないから、どうしても動きが鈍い部分があるの。警察みたいに日常的に前線に出ているわけじゃないし、出たところで後手後手だから、最終的な部分がダメなんだよね。まぁ、これは、随分前に朱鷺田隊長が言っていたことなんだけど。それを補填するために、私は人質稼業をさせられていたってわけ。ただの演習といえど、生身の人間がいるのといないのとじゃ、心構えが変わるから」 「意外に喋るね」 「暇だから」 私は、沢口君を見据えた。沢口君は少し驚いたようだったが、いきなり笑い出した。 「そうか、暇なのか! 鈴木さんらしいや!」 直後、痛みと衝撃が頭を揺さぶった。沢口君の手が私の頬を張り倒し、乾いた音が埃だらけの教室に響いた。 その勢いで、私は床に倒された。だがすぐに起こされると、沢口君は私に詰め寄り、苛立ちを露わにした。 「今まで散々手間を掛けさせやがって! だがそれも今日で終わりだ、こんな面倒、二度とごめんだからな!」 彼の形相は、変わっていた。これはもう沢口陽介じゃない、李太陽だ。私は、頭の隅でそんなことを考えていた。 太陽は私を突き飛ばして転ばせると、派手に舌打ちした。SIG・P220を抜いて握り締めると、声を荒げる。 「中坊共に紛れて仲良しごっこなんざ、飽きるだけだ」 太陽は、近くに転がっていた椅子を引き寄せて、荒っぽく腰掛けた。 「何が京都だ、何が修学旅行だ、馬鹿馬鹿しい」 太陽の激しい剣幕に、私は気圧されてしまいそうになった。いつもは押さえている、彼の本性が表に出てきたのだ。 余程、外面が良いのだろう。というより、あの外面の良さも、工作員として訓練で鍛え上げていたのかもしれない。 有り得る話だ。彼もまた、軍人とは違うが似たようなものだ。厳しい規律と訓練の末に、力を得ているのだから。 その口振りからして、太陽は戦闘員ではないのだろう。戦えるようだが、戦闘は別の人間が行っている感じだ。 考えてみれば、そうだ。夏祭りの時だって、私が太陽に引っ張られていった森の中では、別の仲間が待っていた。 今だって、自衛隊を装った実働部隊が踏み込んでいる。私の見張りをしていることも、彼が下っ端である証だ。 それは、仕方ないことだ。多少戦えるとはいえ、十五歳の子供なのだから、最前線に出されるわけがないのだ。 体が小さいし体力がないし筋力も足りていないから、あっという間に打ち負かされて、突破されてしまうのだ。 太陽は、それが不満のようだった。いかにも、年頃の粋がっている男子らしい考え方だが、私はそうは思わない。 経験と訓練が不足している状態で最前線に突っ込まれて死ぬよりも、しっかり訓練してから戦った方がいい。 何事も、焦りは禁物なのに。私は、太陽の割と子供っぽい部分を見たおかげで、逆に開き直ることが出来た。 もしかすると、この状況を打破出来るかもしれない。太陽が、勢い余って何かやらかしてくれたら、だが。 太陽は、さも腹立たしげに私を睨んだ。その眼差しには焦りや苛立ちが滲んでいて、ますます子供っぽかった。 「おい」 太陽の上履きの靴底が、どん、と私の肩を突いた。 「オレさぁ、お前のこと、嫌いなんだよな。嘘でも、好きだなんて言いたくなかったぜ。ああいうことを言えば、ちったぁ動揺してくれるかと思ったが、驚きもしやしねぇ。サワグチのままでいるのも面白いが、あのままぐだぐだやってると時間を喰っちまうからな。それに、オレもこっちに戻った方が楽だからな」 私が答えずにいると、太陽は吐き捨てた。 「お前みたいな澄ました女、見てると苛々するんだよ。口を開けば偉そうなことばっかり言うし、お前の下らねぇ趣味に付き合わなきゃいけないから読みたくもない本を読まなきゃならなかったし、ぎゃんぎゃんやかましい桜田とも話さなきゃならなかったしよ! お前も桜田もうざったくて、殺してやりたくてたまんなかったぜ!」 太陽は上履きのつま先で、私の顎を持ち上げる。 「ほんっと、お前って可愛くねぇよなぁ。ちったぁ泣けよ、殴ってやるから」 脅し文句にしては、ありきたりで語彙がない。私が黙っていると、太陽は上履きを離して私の体を見下ろした。 「役立たずで弱っちいくせに、調子こきやがって」 そのどちらも私自身が自覚しているし、開き直ってしまうと大したことはないので、別に悔しくもなかった。 この分だと、太陽は私を殺せないようだ。命の危険が完全に消えたわけではないが、これで少しは安心した。 携帯電話を撃ち抜かれたのは、今から十五分程度前だ。破壊と同時に、高宮重工に信号電波が飛んだはずだ。 その連絡が自衛隊に、そして特殊機動部隊に伝わるまでのタイムロスを考えても、二三時間は粘る必要がある。 冷静になると、こちらにも勝ち目は残っている。援軍さえ来たならば、兵力の差で自衛隊が勝つに決まっている。 だが、問題はある。北斗と南斗はまだ海上戦を行っているはずだから、こちらに来るまで大分時間が掛かる。 それに、来ないかもしれない。二人は仮にも国家機密なのだから、そうほいほいと出動させられるわけがない。 増して、中学校だ。ロボットだから人目に付くし、目立つし、状況が悪化する可能性が全くないわけではない。 それはちょっと、いや、かなり残念だが、その時はその時だ。どれだけ怖かったか、散々話してやることにする。 太陽が黙ると、外の騒がしさが聞こえてきた。体育館の方から、状況を説明している先生方の声が聞こえてくる。 窓が遠い上にカーテンが閉まっているので、外は見えない。車の音が聞こえるので、住民を避難させているのだ。 その方が、色々とやりやすいのは確かだ。目撃証言が少なくなるし、何より、不発弾の信憑性が高まってくれる。 よく考えたものだなぁ、と敵ながら感心してしまう。太陽は腰をずり下げてだらしなく座ると、長い足を組んだ。 「お前を引き入れたら、次はあの裏切り者をどうにかしなきゃいけねぇな。これ以上、放っておくと面倒だ」 「それって、すばるさんのこと?」 私は思い浮かんだ人物の名を、口に出した。太陽は、私を見下ろす。 「ま、正解だよ。あの裏切り者は、オレの姉貴でね」 「似てないけど…」 私は、太陽をまじまじと眺めてしまった。太陽は、私の視線から目を逸らす。 「腹違いなんだよ、それぐらい気付け。親父が日本で手ぇ出した女が孕んじまって、堕ろさせようと思った頃にはそう出来なくなっちまってたとかで産ませたんだとさ。一応、プログラマーの才能があったから、生かしてやってたらしいけど、裏切られちまったからその辺の投資も全部無駄になっちまったってわけ」 「そうだったんだ…」 予想もしていなかった事実に、私はそうとしか言いようがなかった。だって、まるで関連性がなかったのだ。 太陽は、そうなんだよ、とぞんざいに相槌を打った。私から奪った二枚のドッグタッグを、手の中で弄ぶ。 「だが、このまま全部思い通りに進んじまうと、ちょっと面白くねぇな。俺の見せ場がなくなっちまう」 ちゃりっ、と二枚のドッグタッグを握り締め、太陽は薄汚れた窓の外に目線を投げた。 「つまんねぇの」 ますます、子供だ。その言い草で私は、彼が沢口君であった頃に抱いていた敬意などが失せ、軽蔑に変わった。 戦いは楽しむものじゃない。どんな任務であれ状況であれ、一瞬でも油断すれば、命を落としかねないのだ。 太陽は、他人を舐めているようだ。そんなことじゃすぐに死ぬぞ、と言ってやりたかったが、今は我慢した。 ふと、太陽が顔を上げた。廊下を駆けてきた足音が教室の前で止まり、扉が叩かれ、敵の戦闘員が入ってきた。 「李。こっちは終わった、学校の連中は誰一人として疑いを持っていない」 「あれは?」 太陽が尋ねると、敵の戦闘員は私の通学カバンを掲げた。もう一方の手には、ジャージの入ったバッグもある。 「思った通りだ。ガキのくせに実弾なんか持ってやがった。これを使わない手はない」 私の通学カバンが放り投げられ、太陽の手に渡った。太陽は一度カバンを下ろすと、手袋を取り出して填めた。 使い込まれた革製の手袋の付け具合を確かめてから、私の通学カバンを探り、中からグロック26を取り出した。 マガジンを抜いて、その中身がマーカー弾であることを確かめると、もう一つのマガジンを取り出して装填した。 「こいつはいいや。使い勝手も良さそうだ」 太陽はグロック26を構え、目を細めた。その銃口の先には、敵の戦闘員が立っている。 「どこがいい?」 「腕は勘弁してくれよ、銃が使えなくなるからな」 敵の戦闘員は、両手を上向けて肩を竦めた。太陽は、グロック26の引き金を軽く絞った。 「じゃ、足だな。ちょっと痛いぞ、我慢しろよ?」 たぁん、と乾いた破裂音が辺りに響いた。先程のSIG・P220に比べると銃身が短いために、若干音が軽かった。 戦闘員の軍用ズボンの、右太股の外側が裂けていた。そこから覗く皮膚は切り裂かれ、血が滴り落ちている。 よろけた彼の背後の壁には、弾痕が出来ている。敵の戦闘員は痛みに顔を歪めていたが、深く息を吐き出した。 「…あー痛ぇ」 「性能は悪くないが、威力が足りないな。やっぱりこいつは、お前のものだ」 太陽は、私の目の前にグロック26を置いた。あまりの光景に私が目を見開いていると、太陽はにたりとした。 「オレの仕事は、お前をシュヴァルツに引き込むことだ。そのためには、手段なんて選んでられるか」 「まさか」 私は太陽の取った作戦を察し、ぞわりとした。もしかして、さっきの発砲を私がしたことにする気じゃないだろうな。 いや、そうだ。銃を奪って使うだけなら、手袋を着ける必要はない。あれは、私以外の指紋を付けないためだ。 そう考えれば、私ではなく味方を撃ったことにも合点がいく。私が乱射した、とでも言い張るつもりでいるのだ。 そして、私が銃を持っていた理由に適当な理由でも付けて、連行する、などと言って引っ張り込む算段だろう。 罪状だって付けられる。銃刀法違反、殺人未遂、それだけあれば口実には充分だ。なんて汚いんだ、こいつらは。 そうなってしまえば、当てにはならないけど警察に頼ることも出来なくなる。私が逃げる隙を、全て潰すつもりだ。 戦いたい。太陽も、他の連中も、戦って倒してしまいたい。だが、何も出来ない。私は、強烈に悔しくなった。 「おい、どうしたんだ!」 わざとらしく声を上げながら、戦闘服姿の敵の戦闘員が駆け込んできた。騒ぎ立てて、他人に聞かせるつもりだ。 太陽に撃たれた戦闘員は、これまたわざとらしく叫んでいる。大した傷でもないのに、痛い痛いと喚いている。 その騒ぎを横目に、太陽は私のバッグを拾って開け、ひっくり返した。ジャージを、床の血痕の上に落とす。 それを拾うと、私に向かって放り投げた。太陽はジャージを入れていたバッグを、教室の隅の方に投げ捨てた。 「それでも着とけ。そのまま引き摺り出すのも面白いが、それじゃオレが強姦犯だからな」 「手錠、外してくれる?」 私が呟くと、太陽は大股に歩いてきて、私の髪を掴んで顔を上げさせた。 「いい加減に立場を弁えろ、この野郎!」 「李、いちいちキレるな。その女をどうこうするのは連行した後だ、今はあまり傷を付けるんじゃねぇ」 騒いでいた敵の戦闘員の一人が、首を横に振った。太陽は私の頭を放ると、不満げに眉を吊り上げる。 「ですけどね」 「殺すのは、拷問して出せるだけの情報を出した後だ。その後に、遊べばいい。だが、今だけは何もするな」 窘められ、太陽は舌打ちしながら手錠の鍵を取り出した。 「了解」 「だーけど、ガキ一人攫うのに、マジで騒ぎすぎじゃないっすかね? 通学路で待ち伏せりゃいいんじゃ?」 まだ若いらしい戦闘員が、不思議そうにする。その傍らにいた、年上らしき戦闘員が首を横に振る。 「屋外だと、高宮の監視衛星があるだろうが。あれの性能は、うちのやつよりも強烈だ。五分もしないで見つかって、自衛隊にでも高宮にでも殺されちまうのが関の山だ」 「やりづらくなっちまったすねー、オレらの稼業も」 戦争は機械任せになっちまいそうだし、と若い戦闘員が肩を竦める。年上の戦闘員が、苦々しげにする。 「全くだ。あんな子供のいる部隊になんか回されて、挙げ句に子供を攫えときたもんだ。人を馬鹿にしてるぜ」 「しゃーねーよ。稼ぎがいいんだ、我慢しろよ。中東なんかで死に目に会うより、日本で戦った方が余程安全だしな」 太陽に右足を撃たれた戦闘員が、体を起こした。その足に布を巻き付けていた戦闘員が、私を見やった。 「しかし、あんなのがグラントをなぁ。グラントの装備は相当なものだったはずだが、不思議なことがあるもんだ」 「ビギナーズラックってやつっしょ、そういうの?」 若い戦闘員の言葉に、戦闘員達は可笑しげに笑い合った。間違いじゃないので、言い返せないのが悔しかった。 私の手足の手錠を外していた太陽は、私の背を軽く蹴った。ほらよ、と言い捨てると、さっさと離れた。 手錠が外れているのを確かめてから、私は硝煙と血の匂いのするジャージを手にした。あまり、着たくない。 でも、着ないでいるのもどうかと思うので、着た。ジャージの色が青なので、赤黒い血のシミが目立っている。 これも、狙いだろう。返り血の付いた服を着ているとなれば、何も知らない人間は私が撃ったのだと信じる。 どこまでも、相手のペースだ。それを崩してやりたくて仕方なかったが、抵抗すれば、どうなるか解らない。 ジャージのファスナーを上げてから、上履きを探したが見当たらなかった。逃亡を阻止するため、だろう。 太陽も太陽で、不幸なのかもしれない。だけど、グラント・Gとは違って、こればかりは同情出来なかった。 グラント・Gは、兵器なりのフェアな勝負を仕掛けてきたけど、太陽は最初からかなり卑怯な手ばかりだ。 テロリストならば当然だけど、もう少し綺麗なやり方があるだろうに。だから、同情なんて感じなかった。 むしろ、敵意と共に、強い戦意が漲ってきた。ここに北斗と南斗がやってきたら、覚悟を決めておくがいい。 二人に掛かれば、お前なんて目じゃない。私も戦えるようになったなら、思う存分戦ってやろうじゃないか。 再び、両手両足に手錠を掛けられた。敵の戦闘員の一人に担ぎ上げられ、荷物のようにして運ばれていく。 落とされそうで怖いけど、我慢した。すぐ後ろを、沢口陽介の表情に戻った太陽が、俯きながら付いてくる。 揺さぶられて運ばれながら窓の外を見ると、日は高く昇っている。普通であれば、今は四限目くらいだろう。 ふと、視界の隅を何かが過ぎった。確かめようとしても窓を通りすぎたので、何を見たのか解らなかった。 黒い、影のようなものだった。でも、それが何なのか考えるよりも先に、私は渡り廊下を運ばれていった。 その先にある体育館の出入り口は、自衛官に良く似た姿の、シュヴァルツ工業の戦闘員に固められていた。 体育館の中からは、ざわめきが零れてくる。これから、どうなるんだ。最悪の展開しか、思い付かない。 出来るだけ、考えないことにした。泣くのは今じゃない、戦いが終わって勝ってから、思う存分泣けばいい。 今は、戦闘状況中なのだから。 06 8/8 |