手の中の戦争




第四話 コンバット・ブルース



私は今まで、特殊演習で負傷らしい負傷をしたことがない。


ごくごくたまに傷を負っても、擦り傷であったり、うっすらとした切り傷であったり、すぐに治るものばかりだった。
なので、特殊演習の際に、自衛官の人達が北斗と南斗の攻撃で傷を負った様を見るのは心苦しいものがあった。
その度に、とても申し訳なくなった。私は、自分の力を信じて戦う彼らと違って、守られているだけだからだ。
人質役という立場上、それが当然であるし、そうであるのが普通だと解っていても、どこかで気兼ねしてしまう。
守られているだけでいいのか、戦わなくていいのか、私もちゃんと戦う必要があるはずではないのか、と。
そう感じているからこそ、尚のこと、神田隊員や朱鷺田隊長と違って、生傷の一つもない体が情けなく思えた。
だけど。これからも、ずっとそうなのだと思っていた。




授業を終えた私は、家路を急いでいた。
途中まで一緒だった奈々や級友達と別れた後、歩調を早めながら、西日に照らされた住宅街を歩いていた。
梅雨を終えて夏を迎えたばかりだと言っても、暑さは既に本格的で、半袖のセーラー服の下では汗が滲んでいる。
住宅街の中心を抜ける、幅のある道路の左側を歩きながら、通学カバンの中を探って携帯電話を取り出した。
ぱちん、とフリップを開くと画面が明るくなり、待ち受け画面が表示された。メールを選択し、受信トレイを開く。
その一番上には、送信者名:神田葵、と表示されている。私は、先程着信したメールを開き、中身を読んだ。
神田隊員からのメールは、大抵は特殊演習や訓練に関わることだけど、私用のメールを送ってくることもある。
だが、今回は普段通りの特殊演習の告知だった。三日後の土曜日に、米軍との合同演習を行う、とあった。

「米軍かぁ…」

初めてだなぁ、と思いながら、私は歩調を緩めてメールを読み直した。神田隊員の文章は、どこか柔らかい。
顔文字や絵文字の類は使っていないのだが、彼の口調のように、語尾が女性的というか、穏やかなのである。
私は、神田隊員の文章が好きだった。小説では硬めの文章が好きなのだが、メールだけは優しげな方が良い。
メールというものは、小説などとは違って口語で書くものだ。だから、必然的に、書き手の人柄が現れる。
だから、神田隊員の人柄の優しさが滲み出ている文章は、見ているだけで、自然と温かい気分になってくる。
私は神田隊員からのメールを送り、その次に来ていたメールを開いた。今度は、奈々の派手なメールだ。
奈々からのメールは、顔文字や絵文字やギャル文字がごってり使われていて、目にやかましい文章だった。
それでも、内容は至って普通なので、あまり気にしていない。というか、こうでなくては彼女らしくはない。
奈々のメールには、今度の土曜日に遊びに行こう、とあった。だが、都合の悪いことに、その日が演習の日だ。
私は申し訳なくなりながら、断りのメールを打った。送信してから五分もしないうちに、奈々から返ってきた。
それは、先約があるなら仕方ないね、その埋め合わせにアイス奢ってね、と、少々図々しい内容のものだった。
再来週の土曜日にでも、私の方から奈々を誘って遊びに行こう。埋め合わせも、奢らなくてはならないのだから。
家に向かいながら、私は奈々とどうやって遊ぼうか考えていた。




私の家は、住宅街の南側にある家だ。
十何年か前に造られた新興住宅地なので、どの家も似たり寄ったりで、子供の頃は迷ってしまったこともあった。
さすがに今は迷わないけど、夜が更けると壁の色が解らなくなってしまって、たまに困惑することもある。
規則正しく並んだ家々の間を通っていくと、ダークブラウンの屋根とベージュの壁の、二階建ての家が現れた。
それが、私の自宅だ。玄関前の門を開けて塀の中に入り、レンガ状のブロックを敷き詰めた道を真っ直ぐ進む。
ここだけなぜかカントリー調の扉を開けて玄関に入ると、リビングでクーラーを付けているのか、涼しかった。

「ただいまぁ」

気の抜けた声を出しつつ、ローファーを脱いで廊下に上がる。靴をちゃんと揃えてから、リビングに向かった。
扉が開け放してあるリビングに入ると、案の定クーラーが効いていた。今の私には、とてもありがたい。
通学カバンを放り投げてソファーに転がり、靴下を引っこ抜く。素足が冷気に触れ、凄く気持ち良くなった。
セーラー服の襟元を広げてスカートをめくり、私が涼しさに浸っていると、キッチンからお母さんがやってきた。

「なんて恰好してんのよ、礼子」

「暑かったんだもん」

私は汗ばんだ髪を掻き乱し、むくれた。お母さんは小さくため息を吐き、ソファー前のテーブルに近付いた。
そこには、来客用のティーセットが並んでいた。どうやら、お客さんが来たからクーラーを付けたようだった。
お母さんは手にしていた盆に、紅茶が半分ほど残ったティーカップやポットを乗せてから、私に向いた。

「ねぇ、礼子」

「ん?」

私は身を屈めて、床に脱ぎ捨てた靴下を拾った。お母さんは少し言い淀んでいたが、言った。

「嫌だったら、言っていいんだからね。どうしても戦うのが嫌だったら、朱鷺田さんに嫌だって言いなさい」

「次の演習のこと?」

私が問うと、お母さんは盆をテーブルに置いてから、私の隣に腰掛けた。

「さっきね、朱鷺田さんが来たのよ」

「珍しいね、隊長がうちに来るなんて。いつも、神田さんだったじゃん」

私は、かなり意外だった。私の家族に、私が行う任務や演習の説明をしにやってくるのは、大抵神田隊員だ。
朱鷺田隊長が来るのは数えるほどしかない上に、私がいないときにやってきたことは、一二回しかない。
それが、なんでまた。私が不思議がっていると、お母さんはリビングの壁を指した。私は、そっちに目を向けた。
そこには、真新しい自衛隊の礼服が掛けられていた。紺色でかっちりしているが、サイズは小さめだった。
例によって、私専用に作られたサイズなのだろう。だけど、今まで、礼服を着る用事なんて一度もなかった。
だから、作る必要もなかった。いつも、戦闘服か作業着のどちらかを着て、訓練や演習をしていたのだ。
朱鷺田隊長や神田隊員が礼服を着た姿も、見たことがない。式典や、偉い人に会う機会がなかったからだ。
私の礼服があるということは、式典か偉い人との接見か、のどちらかがこれからあると踏んでいいだろう。
だが、前者はないはずだ。特殊機動部隊は、自衛隊の中でも機密扱いなので、私も表には晒されない存在だ。
となれば、残るは後者だ。そして、偉い人と接見する必要があるであろう用事も、既に思い当たっていた。

「今度、米軍と合同演習するから、その時に必要なんでしょ。きっと、演習を始める前に、自衛隊と米軍の偉い人と会う必要があるんじゃないの。でも、朱鷺田隊長の用事は、私の礼服を持ってくることだけじゃないでしょ?」

私は、真っ新で折り目の付いていない礼服を見つめていた。お母さんは、少し目を伏せる。

「うん、それがね。今までのものとは、違う感じの演習らしいのよ」

「だろうね。相手のロボットの製造元も所属も違うもん、やり方も違って当たり前だよ」

私は数日前に見せられた、人型戦闘兵器の資料の内容を思い出してから、続けた。

「北斗と南斗は高宮重工だけど、米軍が使っているのはドイツの会社が造ったロボットなんだから、設計の方針が違うのも当たり前だし、実戦経験が多い米軍なんだから、自衛隊よりも火器が多いのが当然だと思うよ」

「私ね、凄く心配なのよ」

お母さんは眉根をひそめ、表情を曇らせる。

「最初の頃は、自衛隊のロボットも礼子が演習に出ることも現実味がなかったから、よく解らなかったけど、今はもう心配で心配でたまらないのよ。礼子が銃を持っていなくちゃいけないことも、ロボットと一緒になって戦っていることも、ロボットと知り合いだからってだけで訳の解らない人達に狙われちゃうことも」

「大丈夫だよ、別に。結構慣れたし」

私は通学カバンを探り、その中から小振りな拳銃を取り出した。じゃきり、と銃身をスライドさせる。

「死ぬようなことなんてないよ、絶対に」

「だと、いいんだけどね」

お母さんは、声を沈ませた。私はすっかり手に馴染んだグロック26を、ごとり、とテーブルに置いた。

「第一、自衛隊が私を死なせるようなことをすると思う? それに、私が撃たれるようなことがあったら、北斗と南斗が盾になってくれるよ。あの二人は、そのためにいるようなもんなんだから」

「そうよね、いつもそうだものね」

お母さんは、無理に口調を明るくさせた。私は、お母さんを安心させるために笑ってみせた。

「そうだよ。北斗と南斗の装甲は硬いから、ちょっとやそっとじゃ壊れないんだから」

「そうねぇ、あの二人はロボットだもんねぇ。人間みたいに、簡単には死んじゃったりしないわよね」

お母さんはソファーから立ち上がると、ティーセットを載せた盆を持った。

「さて、ご飯の支度の続きと行きますか」

「今日は何?」

私が中腰になって身を乗り出すと、お母さんはにんまりした。

「お父さんの給料が出たから、カニグラタンにしちゃったの」

「うわきっつー」

この暑いのに、そんなに熱いものを。だけど、好きなものだ。私は言葉とは裏腹に、にやけてしまっていた。
私の反応に満足したのか、お母さんはにこにこしながらキッチンに戻った。そういえば、バターの匂いがする。
お母さんは、やたらと手の込んだ料理を作りたがるので、当然ながらグラタンもホワイトソースから作る。
私は、その優しい味が好きだ。生クリームよりも牛乳が多く入っていて、それほど塩気の強くない味が。
リビングにまで漂ってくる温かな匂いが、心地良かった。


予想通り、カニグラタンはおいしかった。
だけど、熱かった。オーブンから取り出して時間が経っても、器に熱が残っているので、チーズが煮えている。
私は多少苦労しながら、カニグラタンを食べていた。中でも一番苦労しているのが、向かい側のお父さんだった。
家族の中で、猫舌なのはお父さんだけだ。だけど、お父さんは文句も言わずに、黙々とグラタンを食べている。
私は半分ほど食べてから、一旦スプーンを置いた。手元のコップに入っている麦茶を飲み、口の中を冷ました。
ふと、食卓の脇にあるテレビを見ると、いつのまにかローカルニュースから全国ニュースに切り替わっていた。
アナウンサーの淡々とした声と、映像が重なっている。高宮重工から新製品が出た、とのニュースだった。
テレビ画面の中で、バランサーを改良されたという人型のロボットが、滑らかな動きで画面の中を走っている。
ボディラインもすっきりしていて、無駄を省いてある。ついこの間までのロボットは、手足が太かったのに。
近い将来に実用化して一般販売するつもりだ、とのアナウンサーの解説が終わると、映像も切り替わった。
今度は一転して、いかついロボットが映し出された。高宮重工のそれとは違い、下半身が戦車のようだった。
このロボットには、見覚えがあった。特殊機動部隊で見せられた資料に、このロボットの写真が載っていた。
今度の演習の相手は、米軍が使用している人型戦闘兵器と同型、というか、それそのものなのだろう。
だが、名前までは知らなかった。私が見せられた資料は英語だったので、その文面が読み切れなかったのだ。

「これ、グラントじゃん!」

すると、私の隣で、弟の健吾が歓声を上げた。私は、その名に覚えがあるような気がした。

「グランド、じゃなくて、グラント、なわけ? なんか、聞いたことある名前だけど」

「南北戦争の北軍の将軍の名前だよ。このロボットは、米軍が使っているものらしいからな」

アメリカらしいセンスだ、と、お父さんは麦茶を呷った。カニグラタンが、相当熱かったものと見える。

「南北戦争って、ああ、アメリカのあれね」

通りで、聞き覚えがあるわけだ。私は、テレビを見た。グラントなるロボットは、上半身だけ人間型だった。
といっても、北斗と南斗とは違って、角張っている。両手も重機のようだし、手はペンチに似たアームだ。
頭も大きくて、スコープアイとレーザーサイトが目のように見える。ボディカラーは、ミリタリーグリーンだ。
キャタピラで動く、平たい箱のような下半身の側面には、Grant・mass production、と文字が書いてあった。
つまり、グラント量産型、ということだ。すると、映像が切り替わり、画面一杯にグラントが映し出された。
だが、そのグラントは色が違っていた。量産型はミリタリーグリーンだが、そのグラントはダークレッドだった。
太い角柱のような腕の側面に大きく、Grant・G、と白い塗料で印してあり、目立っていた。Gは何の略だろう。
映像は、グラント・Gに寄った。グラント・Gはカメラ目線になると、ぎちっ、と四角いマスクフェイスを傾けた。

『Hey!』

一瞬、何が起きたのか解らなかった。テレビの中のグラント・Gは、ペンチのような手をがちがち鳴らす。

『my neme is,Grant.G! Grant.the.General! yeah!』

それに合わせて、グラント・Gの映像の下に字幕が出る。私の名前はグラント・G、グラント将軍である、と。
私は、思わず目を剥いていた。今の今まで、北斗と南斗以外の喋るロボットを知らなかったからである。
というか、あの二人ぐらいしか意思を持って言葉を操れるロボットはいないのでは、と思っていたほどだ。
だが、テレビの中の映像では、グラント・Gはべらべら喋っている。大袈裟な身振りを付け、陽気な口調で。
私がいれば戦争で死ぬ人間は減る、私は戦うために生まれたロボットだ、私は世界に貢献出来る存在だ、と。
グラントへのインタビューも、そろそろ終わりそうだ。グラントは豪快に笑い声を上げてから、最後に言い放った。

『It enjoys that it fights with the Japanese robot ! hahahahahaha!』

その声と同時に、英語を訳したテロップが画面の下部に出た。日本のロボットと戦えることを楽しみにしている、と。
ただ聞いただけでは、ふざけた物言いにしか聞こえない。だが私には、北斗と南斗に対する挑発のように思えた。
また、ニュースの映像が切り替わった。アナウンサーが伝える話題がロボットから離れた頃、お母さんが言った。

「あれが、今度、礼子達と戦う相手らしいわね。朱鷺田さん、そう言っていたわ」

「…うん」

私は、先程の映像に衝撃を受けていた。米軍のロボットも自律型だと聞いていたが、ここまで凄かったとは。
私が見た資料には、そこまで書いてはいなかった。せいぜい、製造元と簡単な構造と、装備武器ぐらいだった。
グラント・Gの製造元は高宮重工ではなく、ドイツに本社を持つ世界的大企業、シュヴァルツ工業なのである。
シュヴァルツ工業は、自動車から調理器具まで手広く扱っている企業だけど、最近のメインはロボットだ。
民間用に特化した製品を開発している高宮重工とは違い、シュヴァルツ工業は各国の軍と共同開発している。
その相手は、本社のあるドイツだけでなく、今回のようにアメリカであったりと、色々な国に関わっている。
だが、弟は意外にも驚いていなかった。私はそれが不思議に思え、カニグラタンを食べ続ける健吾に向いた。

「でも健吾、なんであんたはグラントの名前知ってたの? 私もまだ教えられてなかったのに」

「姉ちゃん、ネット見てねぇの?」

健吾はホワイトソースの付いたスプーンを舐めてから、私に目を向けた。少し、馬鹿にしている。

「シュヴァルツのロボットの画像なんて、腐るほど流れてんだぜ。グラントシリーズが表に出たのは去年だけど、それよりも前から流出してて色んなサイトで転載されてたんだよ。オレはそれを見ただけだけどね。まぁ、さすがに北南のはなかったけど。自衛隊が本気で機密扱いしてるっぽいし」

「だけど、グラントが喋るってことまでは知らなかったんじゃない?」

と、私が健吾に問うと、健吾はにたりとした。

「知ってるよそんなもん。あいつが喋ってる動画、前に見たことあるんだ」

「ということは、シュヴァルツ工業はグラント・Gを機密扱いするつもりはないってことか」

私は、シュヴァルツ工業の姿勢に少し疑問を抱いた。普通なら、自社製品の情報は漏洩させないのではないか。
なのに、健吾のような小学生にすら、グラント・Gの画像はおろか動画も見つけられるほど、情報を流している。
北斗と南斗の存在を、強固に隠し続ける高宮重工とはかなり違っている。だけど、あまりいい気はしなかった。
確かに、彼らは兵器だ。名称にもちゃんと兵器が入っているし、武器を持って人間の代わりに戦う戦争の道具だ。
だが、もう少し丁重に扱ってやっても良いのではないのか。グラント・Gにも、しっかり人格はあるのだから。
以前に神田隊員が言っていたように、彼らは体こそロボットだけど、その中身は間違いなく心を持った人間だ。
だけど、兵器であることも変わりない。彼らを人間扱いするべきか、否か、私は少しばかり悩んでしまった。
でも、結論なんて出なかった。


夕ご飯を終えた私は、自分の部屋に戻った。
コーヒーを手にして部屋に入ると、朱鷺田隊長が持ってきたという自衛隊の礼服が投げてあるベッドが目に入る。
部屋の中央にあるテーブルにコーヒーを置いてから、ベッドの前に立った。改めて見ると、神妙な気持ちになる。
紺色のジャケットの肩と胸ポケットの上には、私の階位である、一等陸士の階位を示すマークが付いている。
私は、礼服からハンガーを外した。ジャケットを体の前に当てて、本棚の脇にある姿見に自分の姿を映した。
明らかに、おかしかった。高校生を飛び越えていきなり社会人になったような気がして、違和感ばかりがある。
サイズが合っているか確かめるため、私はTシャツとハーフパンツを脱ぎ、ジャケットとタイトスカートを着た。
全部、ばっちりだった。ウェストも肩幅も袖の長さも丁度良く、いつ調べたんだよ自衛隊、と少し怖くなった。
ストッキングを履いていないので、素足に触れるタイトスカートのアンダーがしゃらしゃらして冷たかった。
ジャケットの下のブラウスも着たけど、ネクタイの締め方はさっぱり解らないので、だらしなく首に掛けていた。
そして、もう一度姿見に映る自分を眺めた。やっぱり、違和感しか湧いてこず、すぐに礼服を脱ぎたくなった。
あんまり着ているとシワも付くし汗で汚れてしまうから早々に脱ごう、と思い、タイトスカートに手を掛けた。
すると、間の悪いことに、携帯電話が鳴り響いた。着メロからして、メールではなく、電話のようだった。

「何だよもう」

私は面倒に思いながら、勉強机に投げてある携帯電話を取った。サブウィンドウを見て、もっと面倒になった。
そこには、北斗、と発信者名が表示されている。私はあんまり出たくなかったが、出ないとうるさいので出た。

「北斗。何、いきなり」

『別に何の用事でも良いではないか、礼子君』

携帯電話の向こうから、無意味に尊大な北斗の声が聞こえた。私は、ベッドに腰を下ろす。

「用事がないなら掛けないでくれる? どうせ、明後日にはまた顔を合わせるんだしさぁ」

『それは、そうなのだが…』

北斗の口調が、少しだけ弱った。私はベッドに寝転がり、天井を見上げた。

「ていうかさぁ、あんたが私に電話してきても、理由なんて大したことないよね。今日もそうでしょ」

『大したことないとはなんだ、大したことないとは! 自分はただ、部下の様子を知りたいだけなのだ!』

「私にも私の生活ってものがあるんだから、ちょっとは尊重してくれない?」

『礼子君は自分の様子が気にならんのかね! 自分は気になるのだ!』

「別にぃ」

私は、素っ気なく返した。まともに付き合うと、疲れるだけだ。

『して、礼子君。次回の対戦相手であるグラントシリーズの資料は読んだのかね?』

「一応ね。でも、別に大したものじゃないよ。私が読まされたやつには、グラントの名前すら書いてなかったし、英語だらけだったし、必要最低限のことしか教えられなかったよ」

いつものことだよ、と続けた私に、北斗は僅かに声を沈めた。

『そうか』

「何が?」

私は、北斗にしては勢いのない態度が訝しく思えた。だがすぐに、北斗の態度は元に戻った。

『別にどうということではない。それよりも礼子君、礼服は着てみたのかね?』

「まぁね。全然似合ってないけど」

私は首を動かし、姿見に映っている自分を見た。北斗は、ほう、とやけに感心してみせた。

『三日後を楽しみしておるぞ、礼子君! 礼子君の礼服姿は、さぞや麗しかろう!』

「褒めたって何も出ないよ。ていうか、まだ見てもないのに何言ってんの」

『はははははははは! 自分の演算能力は優れているのであるからして、見なくとも予測が付くのだ!』

「でも、本当に似合ってないんだから。あんまり褒めないでくれる?」

『それはなぜだ、礼子君?』

不思議そうな北斗に、私はうんざりしてきて額を押さえた。

「だって、似合ってもない服を褒められることぐらい、うざいことってないんだもん」

『だが、女性が新しい服を着た際には何はなくとも褒めるべきだ、とのデータが自分のメモリーにあるのだが』

「何それ」

それは、単なる褒め殺しじゃないだろうか。というか、一体、どこの誰がそんなデータを北斗に教えたのだろう。
神田隊員は優しいけど気障なことは教えないだろうし、かといって、朱鷺田隊長が教えるなんて有り得ない。
きっと、高宮重工の誰かが教えたんだろう。そう思いながら、私は電話を切るべく、電話の向こうの北斗に言った。

「じゃ、もう切るよ。これ以上、用件なんてないだろうし」

『礼子君』

「だから、何よ。もういいでしょ」

『何があろうとも、自分と南斗は、礼子君を守る覚悟でいる』

「知ってるよ、そんなこと。じゃあね、おやすみ」

私は耳元から携帯電話を離し、半ば無理矢理に切った。いきなり何を言い出すんだろうか、この馬鹿は。
全く、王子様気取りも良いところだ。グラント・Gの言い回しを借りれば、サムライのつもりなのだろうか。
守る守る、と言われるのは悪い気はしないけど、そう毎度のように言われてしまうと、ありがたみがない。
私は携帯電話のフリップを閉じると、ベッドの枕元に放り投げてから、上半身を起こしてジャケットを脱いだ。
もう一度、姿見を見てみたけど、やっぱり似合っていない。あと五年過ぎていたら、まだまともだっただろう。
私は、無性に情けない気分になった。





 


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