私は、強い人間ではない。 それは、私自身が一番良く知っている。特殊機動部隊に入ってからというもの、以前にも増して実感する。 演習とはいえ戦うのは恐ろしいし、マーカー弾とはいえ撃たれたら痛いし、基礎訓練だって根を上げてしまう。 私は強くはない。私は兵器ではない。私はただの中学生でしかない。だが、私は、自衛官の端くれなのだ。 地位がないと面倒だから、という理由で付けられただけの地位でしかないけど、それでも一等陸士なのだ。 拳銃を持たせられ、手榴弾だって持たせられ、時には実弾入りのサブマシンガンまで持たせられる自衛官だ。 だから私は、もっと強くならなければならない。戦いに対する恐怖も苦しみも悲しみも受け入れて、そして。 乗り越えなくては、いけない。 二週間と数日振りに戻ってきた我が家は、平和そのものだった。 先日の米軍との合同特殊演習での負傷で入院していた、自衛隊の病院から持ち帰った荷物をリビングに放った。 私以外は誰もいないので、家の中はしんとしている。当然だ、私が帰ってきたのは平日の真っ昼間なのだから。 最初は自衛隊のヘリだったのだが、途中からは神田隊員の運転する黒のジープラングラーで送ってもらった。 富士山が間近に見えていた場所から都内までは遠く、そこそこの距離があったので、私は多少疲れてしまった。 荷物をそのままにソファーに座り、右手を振ってみた。MP5Kの反動で痛めた関節も、もう治りつつあった。 ソファーに身を沈めてぼんやりしていたが、暇になったのと、家の中が静かすぎるのでテレビを付けてみた。 テレビに映ったのは、毎日のようにやっている昼間のワイドショーで、内容は至って普通のものだった。 入院している間にずっと見ていたのだが、毎日それほど代わり映えのない情報を、報じるばかりだった。 中には高宮重工やシュヴァルツ工業の話題もあったけど、私の知っている両社からは、懸け離れていた。 北南兄弟やグラント・Gの印象が強すぎるせいか、私の中での高宮重工とシュヴァルツ工業は過激なのだ。 見方によっては、どちらも軍隊相手の武器商人とも取れるし、時代の先駆者とも、ライバル同士とも取れる。 だから、高宮重工とシュヴァルツ工業が共同開発した家庭用ロボットの話題なんて見ても、妙な感じがした。 病院で使っていた着替えや日用品の詰まったボストンバッグを開いて、底を探り、グロック26を取り出した。 ずしりとした、冷ややかな鉄の手触り。弾丸が入っていなくても充分に重く、黒光りする銃身は威圧感がある。 入院している間は、銃にはまともに触っていなかったので、久々に持つとその重たさをいつも以上に感じた。 銃身をスライドさせると、弾丸が装填される部分、チェンバーが出る。そこには、既に弾丸が装填されている。 それはマーカー弾だけど、弾丸には変わりない。至近距離で人間を狙えば、ある程度のダメージは与えられる。 自衛隊の駐屯地や、特殊機動部隊の中にいる時や、演習の最中に見るのであれば、別に違和感は感じない。 そういう時は、他の人達も銃を手にしているし、銃を扱うのが当然であり、そうしなければならないからだ。 だが、ここは違う。私の家のリビングだ。テレビの音を聞き流しながら、私は銃身を戻してチェンバーを閉じた。 じゃきり、という硬質な金属音が響き、消えた。グロック26をそっとテーブルに横たえると、手を引いた。 「どうしようかなぁ…」 小振りなオートマチックの拳銃が、蛍光灯の青白い光に照らされている。私はしばらくの間、それを見つめた。 二週間と少し前の、あの日。米軍との合同特殊演習の末、私は、北斗と南斗を倒したグラント・Gを倒した。 といっても、それは完全な勝利ではない。グラント・Gのセンサー部分を壊して、ショックで停止させただけだ。 それに、私がグラント・Gと戦う前に、南斗は重機関銃に撃たれて大破し、北斗もグラント・Gに腹部を破壊された。 その上、グラント・G率いるチーム・グラントは、リーダーであるグラント・Gがいなくとも稼働出来る部隊だ。 知覚を持たないグラント量産型に指令を下せるのは、何も、リーダー機であるグラント・Gだけではないのだ。 リーダーが大破した場合には、同部隊の指揮官からの指令を受ければ、戦い続けられるように設定されている。 だから、リーダーを倒したからといって勝利を得られるわけではなく、実質、勝利したのはチーム・グラントだ。 残機数と損害の多さを比較すれば、一目瞭然だ。数が違いすぎるので、比較にならない気がしないでもないが。 あの戦いで、北斗と南斗と私は完全に敗北したのだ。そして心に、消えることのない深い傷を負ってしまった。 グラント・Gのセンサー部分を撃ち壊せたのは、まぐれのようなものだ。また、あんなことが出来るとは思えない。 あの日に感じた死の恐怖は、私の心と体に刻み付けられた。今まで感じていなかった、戦いへの畏れも生まれた。 やっぱり、私はお姫様だった。なんだかんだで、北斗と南斗に守られていて、本当に危険な目には遭わなかった。 だから、特殊演習で恐怖を感じることもなかったし、本気で死にかけたことなんて、あの日が初めてだった。 南斗が撃たれて、北斗が腹を破られて、次は私だと思った瞬間の寒気と絶望は、すぐに思い出すことが出来る。 二人は、私の盾だった。そして、誰よりも強く、何よりも頼れる、馬鹿で子供だけど信頼出来る仲間だった。 その二人がやられてしまった。だから、私は怖くなったのだ。もう、私を守ってくれる盾はなくなったのだと。 特殊機動部隊に戻り、再び特殊演習を始めるようになれば、あの日のような目にまた遭ってしまうかもしれない。 当然だが、それは嫌だ。心臓が縮み上がって胃が裏返りそうになるほどの恐怖なんて、味わいたいものじゃない。 だけど、特殊機動部隊に戻らなければ、北斗と南斗には会えなくなる。恐らく、いや、絶対に会えなくなるだろう。 私が目覚めた時に、朱鷺田隊長が言ってきたことが蘇る。このまま戦い続けるか、否か、ということだ。 未だに、その結論は出ていなかった。考えれば考えるほど深みに填ってしまい、活字も頭に入らなかったほどだ。 こんなに悩んだのは、初めてかもしれない。悩みすぎると頭が痛くなってしまうなんてこと、知らなかった。 そうして思い悩んでいたら、いつのまにか時間が過ぎ、テレビはワイドショーからドラマの再放送になっていた。 壁に掛けてある鳩時計を見上げると、小一時間は過ぎていて、時間を飛び越えたような気分になってしまった。 あんまり悩んでいても、仕方ない。明日からは中学校に行かなくてはならないし、気分転換をしておこう。 私はテレビを消してから、グロック26をボストンバッグに詰め込み、リビングを出て自分の部屋に向かった。 まず、最初に何をしようかな。まず、一番大事なことは、すっかり遅れてしまった勉強をやることだろう。 勉強はそれほど好きというわけではないけど、長いこと離れていたので、なんだか懐かしい気持ちになる。 そんなことを思うのも、初めてだった。 翌日。私は、いつもより早めに家を出た。 半袖のセーラー服を着て通学カバンを提げ、ジャージの入ったバッグも担ぎ、のんびりとした足取りで歩いた。 普段の登校時間よりも早かったので、人通りが少なく、住宅街を通る車も台数もそれほど多くはなかった。 朝日を浴びて眩しく輝く家々を眺めながら、時折聞こえてくる目覚まし時計の音を聞きながら、学校に向かう。 私の家から中学校まではそれほど遠くはないので、十五分ほどで到着した。校門をくぐり、昇降口から入る。 ローファーから上履きに履き替えて、教室棟の階段を昇っていき、三階にある三年A組の教室の扉を開けた。 誰もいないと思っていたが、一人だけいた。奈々が、窓際にある自分の机に座っていて、こちらを見ていた。 「あ…」 驚いたのか、奈々は私を凝視してきた。私は教室に入って扉を閉めてから、彼女に挨拶した。 「おはよう、なっちん。早いね」 「礼ちゃんこそ。おはよう」 奈々は立ち上がった。私は自分の机にカバンとバッグを乗せてから、奈々の元に寄った。 「今日は朝練の日じゃないよね? どうしたの?」 「礼ちゃん」 奈々はいつになく真剣な目をしたが、途端に泣きそうな顔になる。 「大変だったねぇ、痛かったよねぇ!」 「あ…うん」 私は奈々の反応に少し戸惑いつつも、頷いた。神田隊員の話によれば、私の入院は交通事故との名目らしい。 更に細かい設定を言えば、家族で行楽に行ったときに私だけが運悪く車にはねられた、とのことだった。 入院先が離れていた理由も、そう言えば一応説明が付くし、あまり無理なく話の筋を通すことが出来ている。 怒ったような、だけど、嬉しいような複雑な表情をしている奈々は、ぐいっと目元を拭ってから声を上げる。 「帰ってくるなら帰ってくるって、ちゃんと連絡してよぉ! そしたら、迎えに行ったんだから!」 「ごめん」 私が謝ると、奈々はぼろぼろと涙を落とした。やっぱり、一度も電話をしなかったのは、いけなかったのだ。 入院中は、機密保持と安全確保のために電話もメールも制限されていて、当然ながら奈々もその対象だった。 だから二週間半以上も、私から奈々に電話もメールもしていなかったが、奈々から来ることはあった。 その中身は、いつものギャル文字や絵文字が少なめな文面で、私の容態を心配しているものばかりだった。 他のクラスメイトからも来たけど、一番多いのは奈々だった。思っていたよりも、心配を掛けてしまった。 私は、そこまで心配してくれる奈々の気持ちが嬉しかったけど、本当のことを言えないので心苦しくもあった。 言えるものなら、特殊機動部隊の件を話して悩みをぶちまけたいけど、奈々のためにもそれは出来ないのだ。 危険な目に遭ったり、過剰に機密に触れたり、自衛隊から束縛されてしまうのは、私一人だけで充分だ。 奈々は可愛いハンカチを出して涙を拭いていたが、顔を上げ、飛び掛かるようにして私に抱き付いてきた。 「れいちゃあん!」 「うん。ごめん」 私は、苦しいぐらい抱き締めてくる奈々の肩を支えた。こんなに泣かれると、私まで泣きたくなってくる。 奈々はわんわん泣いていて、子供みたいだった。彼女はよく笑うけど、またよく泣いたりする子なのだ。 だけど、こんなに激しいのを見るのは初めてだった。相当、奈々には心配を掛けてしまっていたのだろう。 この分だと、埋め合わせは大変なことになりそうだ。そう思いながら、私は奈々を引き剥がして、笑った。 「解ったから、もう泣かないの」 「私の方こそ、ごめん。なんか、泣いちゃって」 マジ情けない、と奈々は恥ずかしそうにした。私は首を横に振る。 「いいよ。だけど、そんなに心配掛けちゃってたなんて知らなかった。本当にごめん、なっちん」 「めっちゃめちゃ心配したんだからね! 礼ちゃん、死んじゃったんじゃないかって思っちゃったんだからね!」 あっという間に元気を取り戻した奈々は、赤い目のまま笑った。 「だから、この埋め合わせはひどいよ! アイスだけじゃ済まさないからね!」 「解った解った。それじゃ、何を奢ればいい?」 私は、切り替えの早い奈々に少し驚きつつも、苦笑した。くるくる表情が変わるので、見ていて忙しい。 そういえば、土曜日に奈々と遊びに行く約束を特殊演習ですっぽかした時に、埋め合わせる約束をしていた。 あの約束は、まだ有効だったらしい。奈々はちょっと考えていたが、ぱっと表情を輝かせ、高らかに叫んだ。 「駅前の喫茶店のストロベリーパフェ!」 「あー、あれ? でも、あれって高いんだよねぇ。一つ、千二百五十円もしなかったっけ?」 私が渋ると、奈々はむくれる。 「何よー、奢ってくれるって言ったじゃあん」 「ちゃんと奢るって。それは約束する」 奈々にそう返しながら、私は奈々の要求してきたストロベリーパフェの様相を思い出し、げんなりしてしまった。 彼女が求めているものは、駅前商店街にある喫茶店と言うよりもフルーツパーラーに近い店の看板商品だ。 正式名称は、ラブリーストロベリーベリーパフェというとても恥ずかしい名前で、二人前程度の量がある。 一般的なパフェに比べて一回り大きいパフェグラスに、これでもかと言わんばかりにイチゴとクリームが入る。 上から順番に、ストロベリーソース、ソフトクリーム、イチゴ、スポンジケーキ、イチゴ、アイスクリーム、イチゴ。 赤と白のコントラストが色鮮やかで、見ている分には綺麗だけど、いざ食べるとなると体力を消耗する代物だ。 私は、チョコレートは好きだがパフェの類はそれほど好きというわけではないので、たまにしか食べない。 だけど、奈々はアイスクリームやソフトクリームが超が付くほど大好きで、腹を下すことを恐れずに食べる。 だから、奈々がパフェの類を食べる時は、私はコーヒーとケーキ一切れだけで付き合うことに決めているのだ。 奈々に付き合ってしまったら、絶対に腹を壊す。確信出来る。当の奈々は、浮かれた様子でにやけている。 「それじゃ礼ちゃん、今日の放課後ね! 今日は部活もないし!」 「でも、もうすぐ期末テストじゃなかったっけ? 勉強しておかなきゃだよ」 私は、黒板の脇の掲示板にあるカレンダーを指した。七月のカレンダーの、五日から八日が赤く塗られている。 「いいのいいの! テストなんてどうせ点数悪いんだから、それより今は礼ちゃんの再起祝いの方が先!」 奈々は私の手を取り、ぶんぶんと上下に振った。私は、期末テストの方が優先では、と思ったけど言わなかった。 動機は少々不純でも、奈々の心遣いが嬉しいことには変わりない。私は、無意識のうちに顔が緩んでいた。 きつく思えるぐらい手を掴んでくる奈々の手が、ほんの少し汗ばんでいて、そして、とても温かいと感じた。 それが、いやに印象に残った。 久々に登校したこの日は、至極穏やかだった。 奈々を始めとした仲の良い子達だけでなく、普段はあまり話さないクラスメイトまで、私に話し掛けてくれた。 彼らは、心配半分興味半分で、私の入院生活や事故の話を聞いてきた。私は、生まれて初めて演技をした。 なるべくボロを出さないように頑張り、出来るだけ自然なことであるように気を遣いながら、作り話を話した。 私は今まで嘘らしい嘘を吐いたことがなかったので大分苦労したが、とりあえず、誤魔化せたようだった。 だけど、やっぱり心苦しいのは変わりない。皆に危険が及ばないため、との理由があっても、嘘は嘘なのだから。 後れを取ってしまった授業にも、昨日一日を潰して復習したおかげで、どうにかこうにか付いていけた。 そうして、いつになく緊張感に満ちた授業を終えた私は、奈々にパフェを奢るべく駅前の喫茶店に向かっていた。 校門を出て、駅前商店街に繋がる道路の歩道を歩く。アスファルトに籠もった昼間の熱が、立ち上ってくる。 私達の前を、同じ制服を着た生徒達が数人歩いている。それぞれに、他愛もない話をしながら、家路を辿る。 以前であれば気にも留めなかった光景だけど、改めて見てみると、なんとものんびりとした風景だった。 ずっと張り詰めていた神経が緩んで、ほっとした。そうだ、そうだよ、そんなに緊張することなんてないよ。 これが普通で、当たり前なんだ。私のいるべき場所は、本当は戦場なんかじゃなくて、こういう場所だ。 学校へ行って、授業を受けて、友達と一緒に下校して。単調で退屈に見えるけど、実はそうじゃない日々だ。 こういう日常の楽しさを、私はすっかり忘れてしまっていた。離れてみると、改めて平和の良さが実感出来る。 そんなことを思うと、また迷いが生じてくる。一晩経っても、私の悩みは尽きず、未だに答えは出ていなかった。 北斗と南斗のことを思い出せば、二人のことが気になる。だけど、平和を感じると、名残惜しくなってくる。 二週間悩んで答えが出なかったのだから、一晩で出るわけがない。そう思い、私は悩みから奈々に意識を戻した。 私の数歩前を行く奈々は、浮き足立っている。ラブリーストロベリーベリーパフェが、そんなに嬉しいのか。 奈々の背中で、白いセーラーがひらひらと揺れている。二人の足元に伸びた影は長く、日暮れが訪れていた。 何の気なしに空を見上げると、その色は、北斗が惨敗してしまう前に見た空の色と、とても良く似ていた。 私は一瞬ぎくりとしたが、緊張と恐怖を押さえ込んだ。勘違いしてはいけない、ここには敵なんていないんだから。 すると、奈々が立ち止まった。横断歩道の信号は赤になっていて、目の前の道路を、車が何台も走り抜けていく。 「ね、礼ちゃん」 「うん?」 奈々が振り向いたので、私は奈々の隣に立った。奈々は唇を舐めてから、言った。 「礼ちゃん、嘘吐いてるでしょ?」 その言葉に、私は身動いだ。どうして解ったんだろう。何かしくじったのか。だとしたら、一体どこを。 私が答えに詰まっていると、奈々はぎゅっと通学カバンの持ち手を握り締め、ほんの少し声を沈ませた。 「だって、礼ちゃん、骨折なんてしてないでしょ? 捻挫だって、してないみたいな感じがするもん」 横断歩道をダンプが通り過ぎ、排気混じりの風が抜け、奈々の長い髪を散らした。 「なのに、二週間半なんて長すぎるよ。絶対おかしいよ、なんかあったはずだよ、そうじゃなきゃ変だよ!」 奈々は私に向くと、通学カバンを落とし、私の両腕を掴んだ。 「礼ちゃん、本当のこと、言っていいんだよ!? 私、絶対に他の人になんて言わない、約束する! ねぇ礼ちゃん、もしかして、男の人に変なことされたりしたんじゃないよね!?」 叫ぶように言い終えた奈々は、肩を上下させた。私は、奈々の手の熱さと、自分の鼓動の早さを感じていた。 一瞬、自衛隊で特殊演習を行っていることが、奈々にばれてしまったのかと思った。だが、違っていた。 だから、奈々はいきなり泣いたりしたのだ。そういう考えを持って私を見ていたのなら、不安にもなるだろう。 奈々の想像は飛びすぎている気がしないでもないけど、客観的に見れば、全くそう見えないこともなかった。 気持ちは嬉しい。でも、本当のことなんて言えやしない。私は腕を掴んでいる奈々の手をそのままに、言った。 「ありがとう。でも、そうじゃないから。本当に、事故っちゃっただけだから」 「…本当に、本当?」 奈々が不安げに見つめてきたので、私は笑って頷いた。 「本当。だから、もうそんなに心配しないで」 横断歩道の信号が青になっていたので、私は足元に落ちた奈々の通学カバンを拾うと、彼女の手を引っ張った。 「ほら、さっさと行こう。パフェ食べるんでしょ」 「うん」 奈々はまだ不安げだったが、私に従った。手を繋いで横断歩道を渡りきると、駅前商店街に向かって進んだ。 住宅街だった街並みが移り変わり、商店が建ち並ぶようになり、アーケードの付いた駅前商店街が現れた。 夕方だけあって、買い物客が多かった。買い物袋を提げた主婦や、学校帰りの高校生などが目に付いた。 商店街の入り口付近にあった電気店のショーウィンドウの中には、高宮重工製の最新型ロボットがいた。 完全な人型で立ち姿も美しく、未来的なメタリックブルーのボディをしている、家庭用の娯楽ロボットだった。 そのロボットの足元にある値札には、商品名が書いてある。MGシリーズ、タイプ・ソニック02家庭用。 私が電気店の前で足を止めていると、奈々も足を止めた。二人揃って、ソニック02をまじまじと眺めた。 「マジ綺麗」 「うん」 奈々の感想に、私も同じ気持ちだった。私達のを認めたソニック02は、腰を曲げて手を胸の前に当てた。 その仕草は洗練されていて、しなやかだ。ソニック02は、マスクフェイスの顔を上げてゴーグルを光らせる。 ソニック02と、しばらく見つめ合った。だが、彼は何も喋ることはなく、今度は深々と頭を下げてきた。 その動作も、やっぱり滑らかだったけど、意思は伴っていない。ただ、プログラムに従っているだけだ。 北斗と南斗は、そうじゃない。うるさいぐらいに喋って、鬱陶しいぐらいまとわりついてきてばかりいる。 ソニック02は綺麗だけど、その腕は細かった。関節には、子供が指を挟まないようにカバーが掛けてある。 戦闘用だったら、エンジンや駆動部分の多さで太くなってしまう胴体も、女性的に思えるほどスレンダーだ。 装甲だって薄っぺらで、一回投げられただけで砕けてしまいそうに思える。根本から、彼は家庭用なのだ。 値札の傍に開いて置いてある商品パンフレットには、ソニック02が搭載している機能を紹介している。 彼は、主にAV機能に特化しているようだがそれだけではなく、パソコンを使って言葉を教えられるらしい。 つまり、思いのままに育てられると言うことだ。北斗と南斗ほどではないけど、人工知能があるようだった。 値段はそれ相応に高く、八十万円以上する。だけど、発売されたばかりの頃に比べれば、値が下がった方だ。 だけど、発売当初も今も売れ行きは好調らしい。高性能なロボットを従えて暮らすのは、人類の夢なのだろう。 ふと、目線を上げると、商店街の店の軒先に竹が付けられていて、色とりどりの短冊が笹の葉に付けてある。 そう言えば、七夕が近かったんだ。入院している間に日にちの感覚が失われてしまい、すっかり忘れていた。 電気店の軒先にある竹には、子供のものと思しき下手くそな字の短冊があり、ソニック02が欲しい、とある。 私が微笑ましい気分になっていると、私と繋いでいた手を離した奈々は、商店街の中心を指し示した。 「ね、礼ちゃん。せっかくだから、短冊、書いていかない?」 奈々の指した先にある中央広場には、一際巨大な竹が据え付けてあり、商店街のアーケードに届きそうだった。 その竹の下には、既にごっそりと短冊が下げられていて重たそうだ。竹の前には、長机が置いてあった。 短冊やペンがあるので、あそこで書くらしかった。奈々は私を引き摺るようにして、立派な竹に向かった。 「礼ちゃん、何お願いする?」 「そういうなっちんは?」 奈々に引っ張られながら私が問うと、奈々はにやけた。 「決まってんでしょー、一夏の出会いがありますようにって!」 「うわー不純」 奈々らしいお願い事に、私は笑ってしまった。そんなお願い、果たして織女と牽牛が聞き入れてくれるだろうか。 というか、七夕にお願い事なんてするのは日本だけだ。発祥の地である中国では、そんなことはしないそうだ。 いくら天帝の娘である織女だって、お願い事なんて叶えてくれるとは思えない。増して、牽牛は牛飼いなのだ。 年に一度だけ会える二人にそんなお願い事をするのは筋違いというか、失礼というか、とにかく訳が解らない。 だけど、叶うのなら、叶えて欲しいものだ。私は、沢山の短冊の下がった竹を見上げながら、そう思っていた。 たまには、星に願いを託すのも悪くない。 06 7/6 |