手の中の戦争




第八話 夏祭りの夜に



私は、雑踏があまり好きではない。


休日の街中とか、帰省シーズンの駅構内とか、満員の電車とか、そういった場所のむっとした空気が苦手なのだ。
他人との距離が少ないし、動きづらいし、何より息苦しい。だから、人が集まる場所には進んで行かない方だ。
なので、私の住んでいる町で毎年行っているお盆の夏祭りだって、誰かに誘われでもしなければ行かない。
夜店に目を輝かせるほど幼くはないし、一緒に馬鹿騒ぎをするような友人もいないので、行かない時もある。
小さい頃は滅多に着られない浴衣を着てはしゃいだり、打ち上げられる花火の轟音に泣いたりしたこともあった。
だけど、それは過去の話だ。小学三年生頃から浴衣なんて着なくなったし、花火の炸裂音も怖くなくなった。
夏祭り自体に興味がないし、今年の夏休みは自衛隊駐屯地で訓練漬けなので、今回は行かないつもりでいた。
だが。任務となれば、行かないわけにはいかない。




自衛隊駐屯地のだだっ広い食堂で、私は朱鷺田隊長と向かい合っていた。
今は朝食の真っ最中で、ずらりと並んだ横長のテーブルでは、大勢の自衛官が量の多い食事を摂っていた。
私と朱鷺田隊長は、食堂の隅に座っている。あまり目立たない位置で、二人だけでただ黙々と食べていた。
私にすれば量の多い、お椀の半分以下に盛ったご飯を食べながら、その合間に味の濃いめのおかずを食べる。
あのひどい味のコンバットレーションからは想像も付かないが、自衛隊の食堂のご飯はおいしかったりする。
最初は、私はこんな場所に来ていいものか、と戸惑っていたが、私の存在は既に駐屯地内に知れているらしい。
だが、考えてみれば、自衛隊相手の特殊演習の際に一般の自衛官と接していたのだから、知られない方が変だ。
私が温くなりつつあった味噌汁を啜っていると、朱鷺田隊長が箸を置いた。冷めたお茶を呷り、飲み干した。

「鈴木。明日、帰宅しろ。だから、今日の夜にでも準備をしておけ」

「なんでですか?」

私は、食べる手を止めた。朱鷺田隊長は戦闘服のポケットを探って紙を取り出し、広げた。

「任務だ」

そこには、やたらと気合いの入ったデザインのロゴが踊る夏祭りの告知と、私の住む町の地図が載っていた。
毎年お盆休みにやる夏祭りで、市街地から外れた位置にある由緒正しい神社が、唯一賑わう行事なのだ。
神社の境内や、割と大きな鳥居のある道から真っ直ぐに繋がっている大通りに、いくつもの夜店が並ぶ。
一日目は盆踊りやヒーローショーなどを行い、二日目には小中学校の子供達が御輿を担いだりする。
だが、メインは一日目の夜に行う大花火大会で、町の中心を流れる川で花火が大量に打ち上げられる。
夏祭り自体はどこでもやっているようなものなので、あまり目新しさはないが、花火だけは綺麗だと思う。
だけど、これのどこが任務なのだ。私が夏祭りの広告をじっと覗き込んでいると、朱鷺田隊長は言った。

「詳しいことは、後で説明してやる。色々と面倒な経緯も知っておいた方がいいだろうからな」

「教えてもらえるんですか?」

私は、それが不思議だった。今まで、任務を行う時は、その内容だけで裏の事情までは教えてもらえなかった。
朱鷺田隊長は夏祭りの広告を折り畳むと、戦闘服のポケットにねじ込んでから、怪訝そうに私を見下ろした。

「なんだ、知りたくないのか?」

「いえ、そうじゃありませんけど」

私は、これを喜ぶべきか戸惑うべきか迷いながら、塩のきつい塩鮭の皮を剥いで身だけを取って食べた。

「なんだ、お前は皮は喰わないのか?」

朱鷺田隊長は、意外そうにする。私は皮と身を離し、朱鷺田隊長に目をやる。

「あんまり好きじゃないので。いります?」

「いる」

朱鷺田隊長は躊躇なく箸を伸ばし、私が塩鮭の身から離した皮を取るとすぐに食べた。ああ、本当に食べた。
既に食べ終えている朱鷺田隊長は、真っ向から私を見ていた。食べづらくなってしまい、私は箸を置いた。

「なんですか?」

「まさか、こういう日が来るとはなぁ」

朱鷺田隊長は腕を組むと、椅子の背もたれに体重を掛け、軽く軋ませた。

「だから、なんですか?」

「今度の任務の相手は、神田じゃない。俺だ」

「…はい?」

それは、前代未聞だ。私が目を丸くしていると、朱鷺田隊長は少し面倒そうにする。

「今回は、今まで以上に面倒なのを相手にするってことだよ。神田はそれなりに経験もあって実力もあるが、あれで甘い部分がある。だから、今度は俺が出ることになったんだよ」

「隊長と、私が、一緒に行くんですか? その、うちの町の夏祭りに」

私が呆気に取られながら言うと、朱鷺田隊長は頷いた。

「そうだ」

「援助交際に間違われませんかね」

私がふと思い付いたことを口に出すと、朱鷺田隊長はかなり渋い顔をした。

「嫌なことを言うな」

「私だって、それだけはごめんです。さすがに、自分の父親と同年代の人は守備範囲ではないので」

「お前なぁ…」

朱鷺田隊長は辟易したように、口元を曲げた。私は塩鮭の残りを食べてしまってから、味噌汁も全て飲んだ。
夏休みを潰して集中的に訓練を始めてからというもの、運動量に比例して、食べる量が大分増えてしまった。
それ自体は別に嫌なことではないのだが、一応年頃の中学生女子としては、気にならないわけではなかった。
しかし、朱鷺田隊長と夏祭りか。一体、うちの町の夏祭りで、どんな任務を行おうというのか想像も付かない。
朱鷺田隊長の言う、相手、というのも気掛かりだった。神田隊員ではダメだ、という部分が特に気になる。
だが、あまり考え事に耽っていては朝ご飯が冷めてしまうし、基礎訓練が始まる時間が迫ってきてしまう。
なので私は、朝ご飯を食べることに集中した。




基礎訓練と専門訓練を終えた後、私は特殊機動部隊専用営舎の事務室にいた。
北斗と南斗と神田隊員とすばる隊員もおり、それぞれの机に座っているが、朱鷺田隊長はまだ来ていなかった。
私は持参した文庫本をぱらぱらとめくっていたが、朱鷺田隊長と行う任務の内容が、ずっと気に掛かっていた。
まず、私の住む町で行う、ということからして不可解だ。これまでは、私と関係のない場所ばかりだったのに。
そんなことをしては私と自衛隊の関係がばれてしまう危険もあるし、下手をしたら北斗と南斗のことだって。
私が悶々としていると、私の右隣の机に座っている北斗が顔を向けてきた。腕と足を組んでいて、態度がでかい。

「礼子君の住まう町というと、あの町であるな」

「そこ以外にどこがあるってのよ」

私はページの間に栞を挟むと、文庫本を机に置いた。北斗の向かいに座る南斗が、身を乗り出してきた。

「でもよー、ナツマツリってどんなんなん? 具体的に教えてくんね?」

「どうって…うちの町の夏祭りなんて、別にどうってことないと思うんだけどなぁ。神社でやぐらを囲んで盆踊りしたり、商店街にあるステージで戦隊物とかのヒーローショーをやったり、露店がずらーっと並んだり、御神輿担いだ人達が町内を歩いて回ったり、それぐらいだよ。見て面白いのは花火大会ぐらいで、後は本当に大したことないよ」

私は、数年前の夏祭りの様子を思い出しながら返した。すると、北斗がわくわくしながら詰め寄ってきた。

「なんだね、その聞いたことのない単語の数々は! 航空祭よりも余程魅力的ではないか!」

「仮面ライダー来る? 来ちゃう? 来るんだったらオレ行く、握手する記念撮影するー!」

机を乗り越える勢いで、南斗は私に迫ってきた。私はすかさず身を引いて、二人との間を開ける。

「行きたいとか言わないでよ。あんた達が行けるわけないでしょうが」

「それぐらい解ってるってぇ。ちょっと言ってみただけじゃんよー」

南斗は残念そうにしながら座り直し、どかっと机の上に足を乗せた。神田隊員は、その仕草に顔をしかめる。

「少しは行儀良く出来ないか」

「そうやよ、南斗。これから隊長はんが来るんやし、ええ子にしとかんとアカンで」

すばる隊員は、ノートパソコンを閉じた。南斗はあまり面白くなさそうな顔をしていたが、足を下ろした。

「ちょっとぐらいいじゃんかよぅ。机ん下って狭いから、足の置き場がねーんだよ」

反抗期の子供のような態度で、南斗はむくれている。すると、廊下から足音が近付き、事務室のドアが開かれた。
朱鷺田隊長が入ってくると、北斗は組んでいた腕と足を解いた。南斗も、渋々ながらもちゃんと椅子に座った。
私は椅子を回して、机の島の側面に縦向きに置いてある朱鷺田隊長の机と、そこに座った朱鷺田隊長に向いた。
朱鷺田隊長は私達をぐるりと見回してから、一度、私に目を留めた。だがすぐに視線を外して、話を始めた。

「お前らは、五月に行った作戦を覚えているか」

「無論です。二○十五年五月十八日に行った、国内の電子機器輸入業者のように装った中国系武装組織が陸自に流してきた、鈴木礼子一士の略取計画の打破と、密造人型兵器を隠した資材倉庫の摘発と関係者の逮捕を目的とした作戦でありますね。今度の作戦も、その件と何か関わりがあるのですか?」

北斗がすぐさま返すと、朱鷺田隊長は北斗に目をやった。

「丁度良い。その部分を説明する手間が省けた。その密造人型兵器なんだが、高宮重工で分解して調べてみたら構造が妙だったんだよ。外装やフレーム、マニュピレーター、ジョイントの類は、主にシュヴァルツ工業が使う合金と設計で造られていて、エンジンもそれだった。だが、ソフト面は、プログラムの基礎からパターンから何から何まで、高宮重工で使っているものと酷似していた。つまり、体はシュヴァルツで脳髄は高宮だ。これをどう考える、神田」

「技術スパイでもいたんでしょうね。シュヴァルツは、ロボットを製造する傍らで行っている中東向けの武器製造から世間の目を逸らさせるために、過剰なまでに己のロボット技術を放出していますが、その技術の大半は在り来たりなものです。ですが、そういう企業ですから、自社の持つ特殊技術を売りに出す社員がいないわけがないでしょう。高宮もでかい企業ですから、中にどんな人間がいるのかなんて把握しきれないと思いますしね。それで、オレ達はその情報漏れの穴でも探るんですか?」

神田隊員が、淀みなく言った。朱鷺田隊長は、首を横に振る。

「穴は既に見つかっている。高宮もそれを塞ぎに掛かっているから、今更俺達が手を出すようなことじゃない。まぁ、要請があれば出るがな。問題は、そこから漏れた情報なんだ」

「どんなのが漏れたんです? そんなにアカンもんなんですか?」

すばる隊員が、不安げに眉を下げた。朱鷺田隊長は灰皿を引き寄せると、タバコに火を点けて少し吸った。

「大分な。北斗、南斗。お前ら、鈴木にドッグタッグを渡しただろう」

「あれ、なんかやばかったんすか?」

南斗が、ばつが悪そうに苦笑した。私は戦闘服のポケットを押さえ、その中にある二人のドッグタッグに触れた。

「これ、ただのドッグタッグだと思いますけど」

「お前らなぁ。高宮の技術の末恐ろしさは、嫌ってくらい思い知っているだろうが。ただのはずがあるか」

結構値が張るんだぞ、と朱鷺田隊長は付け加えた。

「ぱっと見は普通のドッグタッグだが、実に上手いこと偽装されている。コーティングも完璧だし、滅多なことでは壊れないようになっている。ということはつまり、その中身はろくでもないってことだ。なんだか解るか、鈴木」

「え、っと」

急に話を振られたので、私はちょっとだけ戸惑ってしまった。

「北斗と南斗の構造とか、コアブロックの何かに関わるものが入っている、とかですか?」

「違うな。もっと面倒で、厄介で、扱いづらい代物だ」

朱鷺田隊長はタバコの煙をゆっくりと吐き出して、タバコの灰を灰皿に落としてから、目を上げた。

「メモリー・デルタのコピー、十分の一が入ったマイクロチップだ」

私には、朱鷺田隊長の言葉の意味が解らなかった。だが、他の皆は解っているらしく、一様に驚いている。
メモリー・デルタ。三角形の記録。一体、どういう意味の言葉なのかさっぱりだ。私だけ、話に付いていけない。
特に驚いているのが神田隊員で、血の気が引いてすらいた。見開いていた目を瞬きさせていたが、呟いた。

「…どうして、そんなものを」

「デルタって、あの、デルタやろ? そないなもん、なんでコピーしとるねん」

すばる隊員は狼狽えていて、やばいやん、としきりに繰り返している。北斗も、やけに怖い顔をしている。

「全くだ」

「まーた厄介なもんを作りやがって」

南斗が顔をしかめていると、朱鷺田隊長は二本目のタバコに火を点けた。

「それで漏れた情報というのは、お前ら二人が鈴木にドッグタッグを渡したことと、その中身がなんであるかってことなんだ。だが、この情報がどこまで広がったのかは解らないし、掴んだ輩が何を仕掛けてくるのかもまだ解らない。その辺りを確かめるためにも、また鈴木を囮にする、というわけなんだ」

「またですか。もう慣れましたけどね」

ここのところ、囮の役をやっていなかったと思ったら、またやる羽目になるとは。私は、げんなりしてしまった。

「それで、その漏れた情報が伝わったかもしれない相手、というのが中国系武装組織ってやつなんですか?」

「まぁな。だが、その組織の後ろ盾がシュヴァルツである可能性は高い。シュヴァルツは中国にも大分進出して成功しているから、関わりがないと考える方が無理だろうよ。全く、とことん腐れた企業だよ。戦時中だったなら、世界一の大企業になっていることは間違いないな」

朱鷺田隊長はタバコを銜えると、にやりとした。

「そこで、だ。鈴木には、本物と違いのない北南のドッグタッグを持ってもらう」

「偽物じゃないんですか?」

私が不思議がると、朱鷺田隊長は私に目を向けた。

「いや、偽物だ。いかにも本物らしい厳重なガードを掛けた、色々と面倒な小細工をしてある代物だ」

「そやけど、中身は空っぽやよね?」

すばる隊員が朱鷺田隊長に尋ねると、朱鷺田隊長はタバコを口元から外した。

「空にしておいたら、鈴木の命はないだろう。万が一、鈴木と一緒に奪われでもしてガードを解除されて中身を見られた時に、その中身が何もなかったら鈴木は見せしめに殺される。そうさせないためにも、ある程度は本物の情報を入れておけ。だが、肝心な部分は全て削除済みの、あまり役に立たない情報をな。そうしておけば、敵は鈴木を取引材料にして次の情報を引き出しに掛かるだろう。そうなれば、鈴木は少なくとも死ぬことはない。たぶんな」

「うわぁ…」

朱鷺田隊長の話の生々しさに、私は苦い気持ちになった。だけど、そう上手く行くのだろうかと不安になった。
捕まってすぐに殺されてしまう可能性だってあるし、殺したのに生きている、と偽装される可能性だって高い。
というか、作戦前にそんな話をしないでほしい。慣れているとはいえ、これではやる気が失せてしまいそうになる。

「ですけど、隊長。その仰々しい話と、うちの街の夏祭りとの関連性が見えてこないんですけど」

私が疑問を口にすると、朱鷺田隊長は机の引き出しを開けて書類を取り出し、それを表にして置いた。

「組織の工作員が一人、鈴木の傍に確認された。それを確保するのが目的だ」

「ま、殺しちまったら証言引き出せねーし? あー、こいつねー」

身を乗り出した南斗は、朱鷺田隊長の手元にある書類を見下ろした。北斗も、同じようにする。

「自分達の出番はあるのですか、隊長」

「場所が場所だけにないと思っていいが、一応待機しておけ。いつでも出られるようにな」

朱鷺田隊長は書類を取り、南斗の隣に座っている神田隊員に渡した。神田隊員は、その内容に眉根を曲げた。

「通りで、オレが外されるわけです」

「ホンマやよ。こればっかりは、神田はんやとなぁ…」

すばる隊員は書類に目を通すなり、苦々しげにする。それが北斗に渡されると、北斗はすぐに私に渡した。

「自分は既に敵の情報は把握している。良く読んでおきたまえ、礼子君」

「あ、うん」

私は北斗から渡された書類を机に置いて、見た瞬間、ぎょっとした。

「嘘ぉ…」

書類の右端にクリップで留められている写真には、見知った顔の人物が写っているが、盗撮されたものらしい。
その証拠に、視線がこちらに向いていない。バックもまた見覚えのある景色で、日常的に見ているものだった。
私は書類を凝視していたが、いつのまにか口の中が乾いていた。混乱と共に起きた動揺で、少し苦しくなった。

「そういうこともある。だが、それが事実なんだ」

朱鷺田隊長は今まで吸っていたタバコを灰皿に押し当てて消すと、また新しいタバコを出し、火を点けた。

「俺達はただ戦うだけだ。そこに、どんな事実があろうともな」

タバコの渋い煙と共に、穏やかながら力のある言葉が、広がって消えた。

「任務とさえ名が付けば、殺しだってしなきゃならない。それが、軍隊ってものなんだよ」

私は無意識に、書類に添えていた手をきつく握り締めた。手のひらに滲み出ていた汗は冷たく、嫌なものだった。
そうだ。私のいる部隊は、警察が踏み込めない一歩を踏み込むためにある部隊なのだから、当然のことだ。
だけど、言葉にされると、その重みが身に染みて解った。今まで意識していなかったことが、押し寄せてきた。
この分だと、朱鷺田隊長と一緒に出掛ける夏祭りを楽しめそうにはない。武装も、固めておく必要がある。
写真に写っている人物は、普段通りの表情で笑っている。そのことが心苦しかったけど、考えないことにした。
任務を全うするために、余計なことは考えない方がいい。





 


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