手の中の戦争




第八話 夏祭りの夜に



「あっれぇー? 鈴木さんじゃあん」

派手なハイビスカス柄の浴衣を着た同じクラスの女子、植原明日香が、にやにやしながら歩み寄ってきた。
だが、浴衣は大分着崩されていて、帯が変に絞ってあるので、腰から下がスカートのように広がっていた。
手にはスケルトンのバッグを提げて、ビーズの付いたミュールを突っかけていて、色々とずれている恰好だ。
化粧もいつも以上に濃くなっていて、アイシャドウの色なんか物凄かった。肌が荒れても平気なのかな。
明日香は私の前にやってくると、他の女子達と一緒に立ち塞がった。私は、彼女を見上げ、一応挨拶した。

「こんばんは、植原さん」

「夏休みに入ってから見掛けないと思ってたんだけど、帰ってきたんだぁ。ジサツしたんじゃなかったのぉ」

明日香は自分の言った言葉で、けたけたと笑う。その声は、やけに上擦っている。酒でも飲んだのだろうか。

「あたしぃ、てっきり死んだんだと思ってたぁ。だって、事故って入院したなんてのは嘘でしょー?」

「鈴木さんて大人しいし、なんか超暗いから、マジ簡単に襲われちゃいそうだもんねー」

明日香の傍で、いつも彼女の近くにいる笹岡京香がリップグロスでてかてか光る唇を、ぐいっと曲げた。

「あー、もしかして、今までどっか行ってたのって、オロしてたからとかー?」

一際甲高い声で高笑いするのは、吉田恵美だ。中学生にしては発育の良い体を、惜しげもなく晒している。
彼女の高笑いに吊られて、他の二人もげらげら笑っている。何が可笑しいのか、私にはちっとも解らない。
三人の想像力、というか、根拠のない妄想には怒るどころか呆れてしまった。シモのことしか頭にないのか。
それマジ有り得るー、と明日香が恵美を小突いている。何がどう有り得るのか、具体的に説明してほしい。

「さっき一緒にいた変なオヤジって、もしかして鈴木さんの趣味ぃ? それマジキモくない?」

京香が、私ににじり寄ってくる。それが朱鷺田隊長を指しているのだということは、すぐに解った。

「暇なんだねぇ」

「あたし達ぃ、超忙しいのぉー。だけど鈴木さんとはクラス同じだしぃー、無視っちゃ可哀想だと思ってぇー?」

ねー、と明日香は二人に振り向いた。私はその小学生じみたやり取りが、馬鹿馬鹿しくてならなかった。

「だったら、なんで私に絡んでくるんだろうねぇ。忙しいんだったら、さっさと先へ進んだら?」

「絡んでなんかないよー、お喋りしてるだけぇー」

きゃははははは、と京香が裏返った笑い声を上げる。姿勢もどこかおかしいので、三人とも飲んでいるのだろう。
そんなことをする暇があったら、きっちり勉強していた方が余程自分のためになるというのに、愚か極まりない。
明日香はとろんとした目付きで、私の浴衣を眺めてきた。私はその目に少し嫌なものを感じて、立ち上がった。
すると明日香は、私との間を詰めてきた。明日香はリップグロスを厚く塗りたくった唇を、ぐにゃりと歪める。

「よくそんなダサいの着てて平気だよねー。あたしだったら超死ねる、ていうかヤバ過ぎー」

「それはあんたの価値観であって、私の価値観じゃない。押し付けないでくれる?」

私が言い返すと、明日香は手にしていたトロピカルジュースの蓋を開き、ストローの付いた蓋を投げ捨てた。
明日香の右手が上がりそうになった瞬間、私は訓練のクセで、反射的に体を前に出して明日香との間を詰めた。
トロピカルジュースのコップを持った明日香の右手首を掴んで捻り、肘と肩まで曲げてから、もう一方の腕を出す。
右腕で明日香の顎を押し上げ、喉を潰す。明日香の右手からコップが落ち、ばちゃっ、とジュースが零れた。

「あ」

私は、思いきり捻ってしまった明日香の腕に気付いた。筋肉がまるで付いていない腕が、手の中で震えている。
顎を押し上げて首を押さえ込んでいるので、明日香の顔色は良くない。痛みと苦しさで、脂汗が浮いている。
このまま、力一杯腕を捻れば折れてしまうだろう。だが、そんなことをしては警察沙汰なので、私は手を離した。
捻られた腕を押さえて、明日香はよろけながら身を下げた。かなり痛かったらしく、声が引きつっている。

「ちょっと、何すんのよ!」

「正当防衛、かなぁ。これ以上やったら過剰防衛になるし」

私は手に残る、明日香の汗ばんでぬるつく肌の感触を気にしながら、痛みで青ざめている明日香を眺めた。
本当なら、あの場で背後に回るのが鉄則だけど、足元が下駄なので動きがワンテンポ遅れてしまったのである。
首を固めて動きを止めた瞬間にナイフを引き、致命傷を与える。ここのところ、そんな訓練を続けていたのだ。
自衛隊で教わる格闘技は、自己保身のものではない。敵を確実に仕留めるための、殺人術に近いものがある。
もっと力があれば、ナイフがなくても敵の首をへし折れるだろうけど、さすがにまだそこまで教わっていない。

「大丈夫だよ、折ってないから。関節も痛めてないから、安心して」

私は、明日香の腕を掴んでいた方の手を振った。明日香は、ぎち、と奥歯を噛んでから吐き捨てた。

「あんた、何なのよ!」

「別に。ただの護身術だから、気にしないで」

私は手を下げて、拳を固めた。掴み掛かってこられたら、痣が残らない程度に応戦しなくてはいけないだろう。
明日香は私からじりじりと距離を開けて、行こ、と二人を促して駆け出したが、ミュールなので転び掛けている。
二人は、私を変な生き物でも見るような目で見ていたが、明日香を追っていった。一体、何がしたかったのだろう。
三人の姿が消えてからしばらくすると、朱鷺田隊長が戻ってきた。手には、セブンスターのタバコを持っている。

「なんだ、あの変な生き物は」

「何がですか?」

私が問うと、朱鷺田隊長は今し方通ってきた神社の境内を指した。

「そこで擦れ違った連中なんだが、子供のくせにやたらと濃い化粧をして、浴衣なんかも滅茶苦茶に着ていたんだ。そんなのが、走っていきやがったんだ。あんな恰好で走ったら、間違いなく着崩れると思うんだがなぁ。足腰も弱そうだしサンダルなんか履いていたから、そろそろ」

朱鷺田隊長の言葉が止むと、境内から少し離れた階段の辺りから、明日香のものと思しき悲鳴が聞こえた。

「転ぶと思ってな」

「やっぱり、いけませんでしたかね。うっかり、腕捻り上げちゃったの」

私がぽつりと呟くと、朱鷺田隊長は足元に落ちているトロピカルジュースのコップと甘い水溜まりを見下ろした。

「鈴木。俺がいない間に、何かあったのか?」

「隊長の言うところの変な生き物は、私のクラスメイトでして。なんか解りませんけど、絡まれてしまいまして」

「で、こいつを投げられそうになったから、思わず腕を捻った、と?」

朱鷺田隊長は、下駄を履いたつま先で足元の水溜まりを示した。私は、明日香の手首を掴んだ左手を出す。

「骨は折りませんでしたけど…。いけませんでしたか?」

「ほう。手加減が出来るようになったのか」

「いえ。足元が下駄なんで、踏み込んだ時に力が入らなかっただけです」

「まだまだ訓練の余地があるな」

朱鷺田隊長はどっかりとベンチに腰掛けると、新しく買ってきたセブンスターを早速開けて、タバコを出した。
私はその隣に座ると、おずおずと朱鷺田隊長を窺った。怒られも咎められもしないのが、不思議だった。

「あの、怒らないんですか?」

「腕を折っていたら怒っていたさ。だが、始末書は覚悟しろ。理由はどうあれ、民間人に手を出したんだから」

しっかり書けよ、と朱鷺田隊長はにやりとした。私は苦笑いし、敬礼した。

「アイサー」

転んで膝でも擦り剥いたのか、明日香の喚きと二人が慰める言葉が聞こえているが、それは次第に遠ざかった。
痛い、痛い、としきりに泣いている明日香の声は弱々しくて、私はさすがに罪悪感が湧いてきてしまった。
腕を捻るだけにしておけば良かったかな、と。喉を潰されてしまったら、怖くなってしまうのも当然だろう。
これからは、気を付けよう。さっきみたいなことを繰り返していたら、自衛隊との秘密がばれてしまうだろう。

「そろそろ、デートのお相手が来るぞ」

朱鷺田隊長は声を沈め、囁いた。私は、朱鷺田隊長の横顔に向く。

「任務開始ですか」

「俺は離れて様子を見る。目当ての相手以外の奴がいるかもしれんからな、狙撃でもされたら厄介だ」

朱鷺田隊長は口に銜えたばかりのタバコをケースに戻すと、立ち上がった。

「次ばかりは、腕を折っても構わない。折ることが出来たら、だがな」

朱鷺田隊長は下駄を転がしながら、雑踏の中にするりと消えていった。だが、あまり離れたりはしないだろう。
私は一人にされて、不意に不安が過ぎった。囮にされるのは慣れているが、だからといって平気ではない。
今度の相手は、今までの相手とは違う。立場もそうだが、その背後にあるものが、はっきりと見えている。
シュヴァルツ工業だ。高宮重工も底が知れない企業だけど、シュヴァルツ工業も充分底の知れない企業だ。
こういう場所だから、グラント・Gのような強烈な戦闘ロボットは使わないと思うけど、それでも気掛かりだ。
ポシェットを開いて、その中に入れた偽物のドッグタッグを確かめていると、あ、と聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、同じクラスの女子達と共に奈々がいた。白地に朝顔の浴衣を着ていて、巾着を提げている。

「礼ちゃん!」

奈々は下駄を鳴らしながら私に駆け寄ると、私の両手を取った。嬉しいのか、にこにこ笑っている。

「帰ってきたなら帰ってきたって言ってよぉー!」

「うん、ちょっとね」

私が奈々に笑い返すと、奈々は花火大会が行われる川の方向を指した。

「これから皆で花火見に行くんだけど、礼ちゃんも行かない?」

「いいの?」

「いいに決まってるってー。ね、行こう?」

奈々はちょっと首をかしげ、懇願してきた。私が奈々の肩越しにクラスメイト達を窺うと、彼女達は手招いた。

「そうだよ、鈴木さんも一緒の方がいいよ。その方が楽しいって!」

「んー、じゃあ」

私が歩き出すと、奈々は私の手を引っ張った。

「早く早くぅ!」

そのまま、私はクラスメイト達のグループの中に混ぜられた形で、神社の境内や夜店の通りを歩いていった。
奈々や他の子との他愛もない会話に興じながらも、常に気を張っていて、確保するべき相手を探していた。
朱鷺田隊長の姿は見えない。というか、探さなかった。挙動不審になったりしては、怪しまれるからだ。
土手に向かう途中にある駐車場に、高宮重工の系列会社のトレーラーが、三台駐車しているのを見つけた。
恐らく、この中に北斗と南斗は待機しているのだろう。きっと今頃、二人はもどかしい気持ちでいるに違いない。
目と鼻の先で行われている夏祭りに、参加出来ないのだから。




川沿いの土手は、既に見物客でごった返していた。
大人達はシートを敷いて酒盛りをしているし、子供達ははしゃいでいる。どこもかしこも、人だらけだった。
奈々達とはぐれないように気を付けながら、進んでいった。どうやら、皆は待ち合わせをしているようだった。
人並みを掻き分けて進んだ先で、見知った顔が待っていた。同じクラスの、男子の数人のグループがいた。
その中に、沢口君がいた。いつも通りの、年齢の割に大人びた穏やかな表情で、親しげな笑顔を浮かべていた。

「こんばんは、鈴木さん。久し振りだね」

「マジ珍しいじゃん、鈴木がいるなんてよ!」

男子の一人が、私がいるのを見て大袈裟に驚いた。私は、それがあまり面白くなかった。

「いいじゃない、別に」

「あー、沢口君もいるんだぁ! めっずらしー!」

私と奈々の手前で、女子の一人が声を上げた。沢口君は、ジーンズとTシャツというラフな恰好をしている。

「せっかくだから、近くで見ようって思ってさ」

沢口君の目線が、私に向けられた。私は、それにほんの少し戸惑ってしまい、彼の目線から顔を逸らした。
そろそろと顔を戻すと、沢口君は笑っていた。周囲の騒がしさに紛れているが、その言葉はちゃんと聞こえた。

「可愛いね、鈴木さん」

私は、それに反応出来ず、固まってしまった。この恰好を褒めてくれるのは親ぐらいなものだと思っていた。
もしくは北斗か南斗、神田隊員ぐらいしか、私のことを可愛いと称するような男性はいないとものだとばかり。
なので、私は俯いてしまった。照れくさいのと気恥ずかしいのとを押し殺していると、奈々はにやけた。

「じゃ、礼ちゃんは沢口君と一緒にいなよぉ。仲良いんだしさぁー」

奈々は私をぐいっと押しやって、沢口君の前に出した。私が身動いでいると、沢口君は手を差し伸べてきた。

「僕なんかで良かったら」

周りにいる男子も女子も、テンション高く囃し立ててくる。私はどうしようかと迷ったが、彼を無下には出来ない。
私は、恐る恐る沢口君の手を取った。その手の感触は、北斗と南斗のものとも神田隊員のものとも違っていた。
そうすると、周りの騒がしさは一層増した。結婚しちまえ、などという男子もいて、張り倒したくなってしまった。
そのまま、私は沢口君に連れられて土手の川側の斜面にやってきた。そこには、ブルーシートが敷いてあった。
私と沢口君は、その上に腰掛けた。私達の後から来た皆も、思い思いの場所に座って花火が始まるのを待った。
土手に据え付けられたスピーカーから、花火大会の始まりを告げるナレーションが聞こえ、発射音がした。
夜空に打ち上げられた花火の玉は、導火線部分に点火用の小さな火が付いていて、それがぐんぐん空に昇る。
数秒後、炸裂した。腹に響く震動と共に、薄暗かった夜空に閃光が迸り、色鮮やかな大輪の花が咲いた。
それを皮切りに、ひっきりなしに花火が上がる。上がるたびに、花火のスポンサーの名前が読み上げられた。
五号玉、六号玉、七号玉、八号玉。時にはチョウなどの形を模した花火も上がり、夜空は華やかになった。
打ち上げられて炸裂するたびに、人々から歓声が上がる。でも、ごくたまに円の歪んでいる花火もあった。
それは仕方ないことだ。花火は打ち上げてみないと解らないのだから、たまには失敗だって存在するのだ。
最初はきゃあきゃあと騒いでいた皆も、花火の迫力に飲まれて、打ち上げられた花火に見入るようになった。
私もそうしたかったけど、今は任務の最中だ。うっかり気を逸らしてしまって、任務をしくじったらいけない。
花火を見つめる奈々の横顔を見ていたが、目を外した。最後まで付き合えなくてごめんね、と内心で謝った。
大型クレーン車のクレーンを高く伸ばして、その間に花火を渡してあるナイアガラの滝が点火され、始まった。
これが終わると、次からは派手なスターマインが始まる。その合図として、一際大きな尺玉が打ち上げられた。
どぉん、と今までのものよりも幾分強い震動が体を揺さぶった。柳のように、火花が長く垂れ下がっていく。

「鈴木さん」

不意に、沢口君が私の手を取った。彼は、笑っている。

「ちょっと、一緒に来て欲しいんだけど」

スターマインの絶え間ない花火の閃光が、沢口君を照らしている。優しげな目元は、一切笑っていなかった。
花火の轟音と喧噪に紛れ、声色の変化も近くでないと解らなかった。だが、いつもに比べて、少し低かった。
私の有無を言わせずに、沢口君は私の手を引いて立ち上がった。他の皆に問われると、ちょっとね、と返した。
手を振り解こうにも、彼の手は私の手首を強く握り締めている。痣が残りそうな程に、きつく掴んでいるのだ。
その痛みに、私は顔をしかめた。だが、沢口君は振り返ることもせずに、私をぐいぐいと引っ張って進む。
土手を下り、花火を見ようと土手に群がる人々の間を抜けて、神社の境内の脇にある森の中に入っていった。
森に入ってしばらくすると、沢口君は足を止めた。周りは騒がしいのに、ここだけ薄暗く、喧噪も遠かった。
私の荒い呼吸と、沢口君の穏やかな呼吸の音だけがやけにはっきりと聞こえた。かこ、と私の下駄が鳴る。
沢口君は、こちらに背を向けている。マリンブルーの生地に、スポーツブランドの白いロゴが入っている。
私は気持ちを落ち着けるため、唾を飲み下した。ポシェットの上からグロック26を押さえ、身構える。
沢口君は、ゆっくりと振り返った。暗いので表情は解らなかったが、その眼差しには、鋭い輝きがあった。
だが、沢口君の視線は私を通り越していた。私は沢口君の様子を気にしながらも、横目に背後を見やった。
また、花火が打ち上げられる。ほんの数秒間明るくなった森の中に、見覚えのあるシルエットが立っていた。

「粋な計らいだな」

朱鷺田隊長の声色には、凄みが加わっていた。浴衣の懐に手を入れて、そこから六インチの拳銃を抜く。
じゃきり、と弾倉が回され、弾丸が装填される。コルト・キングコブラ、朱鷺田隊長の愛用している拳銃だ。
その、王の蛇の銃口が真っ直ぐに沢口君を捉えた。その奧にいる朱鷺田隊長は、きち、と軽く引き金を絞る。



李太陽リ タイヤン!」



その言葉は、花火の炸裂音で掻き消された。沢口君は朱鷺田隊長に振り向き、うっすらと笑った。

「頭のお出ましか」

「撃て、鈴木!」

朱鷺田隊長の声に反応してグロック26を抜こうとした瞬間、沢口君の影がすいっと動いて、私の懐に入った。
直後。私の下腹部に重たい打撃が叩き込まれ、息が出来なくなる。目の前が白くなって、足元がふらつく。
咳き込んでしまいそうになったが、肩を小突かれて後ろ向きに転んでしまい、背中と後頭部に痛みが訪れた。
それから、ようやく咳き込んだ。骨は折られていないようだけど、これだけでも、私にとっては充分辛い。
沢口君が駆け出すのと同時に、朱鷺田隊長も駆け出した。浴衣の裾を帯に挟み、足捌きを良くしている。
脛に隠し持っていたコンバットナイフを抜くと、朱鷺田隊長は沢口君に振り翳し、間を詰めて迫っていく。
ひゅっ、と風を切る音が続く。そのうちの一回が、沢口君の右上腕を捉えたが、皮を浅く切っただけだった。
沢口君の腕から、鈍い色の血が落ちる。だが沢口君は痛みを顔に出すこともなく、朱鷺田隊長を見据えている。
朱鷺田隊長はナイフを下げて、キングコブラの銃口を上げる。引き金が押し込まれると同時に、火が噴いた。
スターマインの絶え間ない爆音に、銃声が混じる。空を切り裂いた弾丸を避けた沢口君は、身を屈めた。
曲げた膝を力強く伸ばして飛び出すと、キングコブラを持った朱鷺田隊長の右手を、蹴り上げようとした。
だが、沢口君の足が届くよりも先に身を下げた朱鷺田隊長は、沢口君の頭のすぐ脇に銃を出して発射した。
だぁん、と勢い良く放たれた発射された弾丸は、私の背後にある木の幹を砕き、細かな木片が飛び散った。
沢口君は、耳元で銃を発射されたために鼓膜が破れたのか、左耳を押さえながら朱鷺田隊長との間を開けた。

「ぐ…」

「安心しろ、殺しはしない」

朱鷺田隊長はコンバットナイフを持ち直すと、大きく踏み出して沢口君との間を詰め、どん、と叩き込んだ。

「今のところはな!」

粘り気のある水音と、肉の叩かれる鈍い音。朱鷺田隊長のコンバットナイフは、沢口君の太股に埋まっていた。
じっとりとした湿り気のある夏の夜風に、生々しい鉄錆の匂いが混じり、私の鼻先を掠めて通り過ぎていった。
土手の方向から流れてくる、スターマインにはしゃいでいる人々の歓声が、妙に現実感のないものに聞こえた。
朱鷺田隊長は沢口君の体を押して、ずっ、とコンバットナイフを抜いた。沢口君の体が、ぐらりと傾いていく。
花火は、上がり続けている。





 


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